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国王フランソワ1世の子供
すべて前妻の子 ●フランソワ 王太子 早逝 ●アンリ2世 次代国王 ●マドレーヌ スコットランド王ジェームズ5世の前妻・本人死別 ●マルグリット サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと結婚 ●フランソワ 王太子 早逝 1518-1536 18歳没 ![]() ●アンリ2世 次代国王 ![]() ●マドレーヌ 1520-1537 17歳没 スコットランド王ジェームズ5世の前妻 本人死別 1512-1542 30歳没 ![]() ![]() ![]() ●マルグリット 1523-1574 51歳没 サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと結婚 1528-1580 52歳没 ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2003-01-26 00:00
| フランス
国王フランソワ1世の愛人
★愛人メアリー・ブーリン 1499-1543 44歳没 イギリスのメアリー王女の女官で、 メアリーがルイ12世と結婚した際にともにフランスに渡った。 フランソワ1世の女官となる。 フランスではいくつかの情事があったようでフランソワ1世の愛人にもなった。 「誰とでもやる偉大なる売春婦」と呼ばれていた。 帰国してからはイギリス国王ヘンリー8世の愛人になった。 その後ヘンリー8世の寵愛は妹アン・ブーリンに移る。 ![]() ★愛人シャトーブリアン伯爵夫人/フランソワーズ・ド・フォワ 1495-1537 42歳没 フランソワの最初の愛人。10年近く寵愛を受けた。 大柄で浅黒い肌に黒髪の美女でラテン語とイタリア語を話し 詩を書く才女であったという。 気が強く押しも強く要求の多い女性でもあった。 フランソワ以外にも愛人がおりボニヴェ卿と鉢合わせしたこともある。 フランソワは彼女を前妻クロード王妃の女官にした。 政治的な場にほとんど姿を現さなかったが、フォワ家を嫌う母ルイーズは激怒したという。 フランソワは次第にエタンプ夫人に心を奪われるようになる。 シャトーブリアン夫人が新しい愛人を「けばけばしい小娘」と中傷したことから王が激怒、 シャトーブリアン夫人を「獰猛な動物」と呼び愛の言葉を刻んだ金製品の返還を命じた。 彼女はそれを火の中に投げ入れ金塊にして返した。 王は金塊を持参した使者を追い返した。 王の寵愛を失ったシャトーブリアン夫人は宮廷を去った。 ![]() ![]() ★愛人エタンプ夫人/アンヌ・ド・ピスルー・デイリー 1508-1575 67歳没 フランソワの母の女官 華やかな金髪に青い瞳で、天真爛漫な明るさが魅力だった。 朗らかで可愛らしく機転がきき、フランソワが亡くなるまで彼の寵愛を独占し続けた。 フランソワの治世最後の10年間はアンヌがかなりの影響力を行使した。 彼女は王太子アンリ2世の愛人ディアーヌ・ド・ポワチエと犬猿の仲で ディアーヌを冷遇したがフランソワが亡くなるとエタンプ夫人は 逆に宮廷の実権を握ったディアーヌから宮廷から追放された。 ![]() ![]() ★愛人マリー・ゴーダン/ブールデジエール夫人/La Belle Babou 1495-1580 85歳没 ロワール地方のブールデジエール城はフランソワ1世がマリーに贈った城である。 ![]() ★愛人カナプレ夫人/マリー・ダシニー 1502-1558 56歳没 フランソワ好みの肌の浅黒い、ふっくらとした、瞳のキラキラした美人だった。 ![]() ★愛人モンチニュー夫人/マリー・ド・マシー 1515-1560 45歳没 ![]() ★愛人マリー・ド・ランジェ 1508-1588 80歳没 ![]() ★愛人ツゥリー夫人/Claude de Rohan-Gie ![]() ▲
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| 2003-01-25 00:00
| フランス
■父 アングレーム伯シャルル・ドレルアン
1459-1496 37歳没 ![]() ■母 サヴォイア公女ルイーズ・ド・サヴォワ 1476-1531 55歳没 *未亡人となり、息子フランソワ1世を王座に就け、自らも王太后となった後、 男漁りを始める。 『ヴィネガーの栓を抜く女』『フルートの立て直し屋』『パイプの通し屋』 というあだ名がついた。 フランソワ1世の愛人シャトーブリアン夫人としばしば男を取り合う形となり、 反目する。 *38歳の時24歳の妻子あるブルボン公爵シャルル3世にのめり込む。 シャルルをめぐってライバルであった実娘マルグリットを クズ男アランソン公爵シャルル4世と結婚させて追いやり、 シャルルを大元帥にしてやり、シャルルが妻と別れて自分と結婚することを夢見た。 7年後シャルルは妻を亡くしたが、ルイーズとは一緒にならなかった。 激怒したルイーズは、シャルルの全財産を没収した。 ![]() ![]() ![]() ●マルグリット→孫は国王アンリ4世 夫20歳&妻17歳でアランソン公爵シャルル4世と結婚、33歳で死別、 夫23歳&妻35歳でナバラ王アンリ・ダルブレと再婚、子供1人生み、57歳没 ●フランソワ1世 次代国王 ◆国王フランソワ1世 先代ルイ12世のイトコの子 1494-1547 21歳即位 53歳没 ルイ12世に嫡男がなかったため、イトコの子であるフランソワが即位する。 ヴァロワ・アングレーム朝の始まりである。 王は2メートルを超える長身で恰幅が良く、希代の女たらしだった。 好奇心旺盛・自信満々・大胆不敵・豪華絢爛、死因は梅毒だったといわれる。 フランス・ルネッサンスの父といわれる。 レオナルド・ダ・ヴィンチのパトロンでもあり、 晩年のダ・ヴィンチをフランスに招きダ・ヴィンチはフランスで亡くなっている。 神聖ローマ帝国皇帝であるオーストリアのマクシミリアン1世の死にともなう 次代皇帝選挙は、フランソワと マクシミリアン1世の息子であるスペインのカルロス1世との一騎打ちとなったが、 フランソワが敗れる。 両国の間で戦争が始まり、王はスペインの捕虜となってしまう。 フランス宮廷は右往左往の大騒ぎだったが、王は未亡人となりスペインに帰ってきていた カルロス1世の姉エレオノールを口説いていた。エレオノールも乗り気で結婚が決まり、 夫妻がフランスに戻る代わりに、 王の長男フランソワと次男アンリが代わりの人質としてスペインに送られる。 ![]() ■前妻 クロード・ド・フランス 死別 フランス国王ルイ12世の娘 1499-1524 15歳没 25歳没 クロードの結婚生活は 絶え間ない妊娠と夫の多くの愛人たちのため心が安まることはなかった。 ![]() ![]() ■後妻 エレオノール・ドートリッシュ←レオノール・デ・アウストリア●実子ナシ スペイン女王フアナの娘 1498-1588 32歳結婚 90歳没 *20歳でポルトガル国王マヌエル1世の3/3番目の妻・相手死別、 32歳でフランソワ1世と再婚 ![]() ![]() すべて前妻の子 ●フランソワ 王太子 早逝 ●アンリ2世 次代国王 ●マドレーヌ スコットランド王ジェームズ5世の前妻・本人死別 ●マルグリット サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと結婚 ▲
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| 2003-01-24 00:00
| フランス
◆国王ルイ12世
先代シャルル8世のイトコ 1462-1515 36歳即位 53歳没 *頭脳明晰・冷静沈着・用意周到、長身で美男であった。 しかし即位してすぐにしたことは、妻と別れて再婚することであった。 ![]() ■父 オルレアン公シャルル 結婚3回 1394-1465 71歳没 ![]() ■母 クレーフェ・マルク公女マリー・ド・クレーヴ 3/3番目の妻 1426-1487 61歳没 ![]() ■最初の妻 ジャンヌ・ド・フランス 離婚●実子ナシ 国王ルイ11世の娘 1464-1505 12歳結婚 41歳没 「美しい心と獣の容貌」と言われたジャンヌは「足萎えのジャンヌ」とも呼ばれた。 結婚後25年たってもルイ12世とジャンヌの間には子供がなく ルイ12世は教皇に頼み込んでジャンヌとの結婚を無効にした。 ジャンヌは修道院に入り、失意のうちに亡くなった。 ![]() ![]() ■2番目の妻 アンヌ・ド・ブルターニュ 死別 国王シャルル8世の未亡人 1477-1514 37歳没 *14歳で国王シャルル8世と結婚死別、22歳で国王ルイ12世と再婚 足が悪く不細工と言われながら二人の国王の王妃となった珍しい人物である。 ![]() ![]() ■3番目の妻 マリー・ダングルテール←メアリー・テューダー 34歳年下●実子ナシ イギリス国王ヘンリー7世の娘 1496-1533 37歳没 *18歳で国王ルイ12世と結婚死別、 19歳でサフォーク公爵チャールズ・ブランドンと再婚 メアリーはサフォーク公爵チャールズ・ブランドン恋愛中であったが 兄ヘンリー8世からフランス国王ルイ12世と結婚させられる。 彼女はルイ12世の死後は好きな人と結婚させてくれるようヘンリーに約束をさせて嫁いだ。 メアリの祖父ほどの年齢だったルイ12世は3ヵ月後に死去。 ヘンリーは約束を守る気などなく次の嫁ぎ先を考えていたが ヘンリーのライバル新国王フランソワ1世が フランスでメアリーとチャールズ・ブランドンを結婚させてしまう。 ヘンリーは怒り狂い2人が帰国することを禁ずるが莫大な金を支払って帰国がかなう。 ![]() ![]() すべて2番目の妻の子 ●クロード 国王フランソワ1世の前妻・本人死別 ●ルネ フェラーラ公エルコレ2世と結婚 ●クロード 国王フランソワ1世の前妻 本人死亡 1499-1524 25歳没 ![]() ![]() ●ルネ 1510-1574 64歳没 フェラーラ公エルコレ2世と結婚 1508-1559 51歳没 ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2003-01-23 00:00
| フランス
◆国王シャルル8世●実子ナシ
先代ルイ11世の子 1470-1498 13歳即位 28歳没 *鴨居に頭をぶつけて死亡。 父王にとって唯一の嫡男だったので超過保護に育つ。 過保護と言っても溺愛ではなく、 王位継承者として死なないようにほどんど監禁されて育つ。 父王は医師を常駐、兵士に厳重に守らせ、毎日詳細な報告書を提出させたが、 息子に2回しか会いに行かなかった。 そのため王は世間知らずで夢見がちな性格に育つ。 ![]() ★元婚約者 マルグリット・ドートリッシュ←マルガレーテ・フォン・エスターライヒ オーストリア皇帝マクシミリアン1世の娘 1480-1530 50歳没 ![]() ![]() ■妻 アンヌ・ド・ブルターニュ ブルターニュ女公 ブルターニュ公フランソワ2世の娘 1477-1514 37歳没 *14歳で国王シャルル8世と結婚死別、22歳で国王ルイ12世と再婚 ![]() ![]() ルイ11世は王子シャルル8世の嫁にと オーストリア皇帝マクシミリアン1世の娘マルグリットを拉致した。 シャルルは彼女より一回り年上の病弱で器量も悪い王子だった。 フランスでは虚弱体質の王家にやっと元気旺盛なマルグリットの血が注がれると 彼女が早く適齢期になるのを楽しみにしていた。 フランス式の教育を受け愛らしく聡明なまわりを明るくさせるような少女に育った。 フランス生活も10年となった頃、 父マクシミリアン1世が敵国フランスを東西から挟むために ブルターニュ女公アンヌと再婚することを決意した。 慌てたフランスのシャルル王子はブルターニュ公国を攻撃しアンヌを奪って妃とした。 こうなればシャルルは婚約者マルグリットをフランスから追い出すしかなかった。 人々は愛らしく聡明なマルグリットの代わりに不細工なアンヌを娶れねばならないとは シャルルも気の毒なことだと嘆くと同時にマルグリットとの別れを心から惜しんだ。 こうしてマルグリットは幸運にも故郷に戻ることができた。 シャルルは鴨居に頭を打ちつけ頭蓋骨骨折で亡くなった。 シャルルの死後アンヌ王妃はルイ12世の2番目の妻となった。 足が悪く不細工と言われながら二人の国王の王妃となった珍しい人物である。 ▲
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| 2003-01-22 00:00
| フランス
◆国王ルイ11世
先代シャルル7世の子 1423-1483 38歳即位 60歳没 文武両道の優等生な王太子だった。 ところが父王が愛人アニェス・ソレルに溺れ、母妃をないがしろにし始めた頃から、 父王に反抗的になる。 何度も父王の退位を謀ったが失敗し、父王の死後王位についた。 ![]() ■前妻 マルグリット・デコス←マーガレット・ステュアート 死別●実子ナシ スコットランド王ジェームズ1世の娘 1424-1445 12歳結婚 21歳没 マーガレットは目を見張る美人だったがルイは全く興味を持たなかった。 多くの詩作をしたが彼女の死後ルイの手で処分された。 ![]() ■後妻 シャルロット・ド・サヴォワ←カルロッタ・ディ・サヴォイア 1441-1483 10歳結婚 42歳没 ルイは後妻にも興味を持たなかった。 子供を生ませるだけ生ませるとブルゴーニュへ追いやった。 シャルロットはブルゴーニュ公妃イザベル・ド・ブルボンの援助で生活した。 孤独のうちに亡くなった。 ![]() ルイ11世は犬の繁殖に凝っていて全種類を集めようとしていた。 自分自身は質素な生活をしていたが、犬には贅沢をさせ、健康に留意し、 死んだ時には追悼する詩まで書かせている。 (奥さんの詩は全部捨てたくせに) 趣味の世界に生きてた人なのかなとも思います。 ちょっとオーストリア皇帝ルドルフ2世のハードタイプという感じですね。 彼の序列は、犬>男>ジャンヌ・ダルク、聖女>>>>>>>>>>女 男好きいう意味ではなく、女嫌い、女蔑視の人だったようです。 奥さんにも娘にも冷たい。息子だけ可愛がる。 ★愛人Marguerite de Sassenage 1424-1471 47歳没 と言いつつ愛人も複数いたようです。 ![]() すべて後妻の子 ●アンヌ ブルボン公ピエール2世と結婚 ●ジャンヌ 国王ルイ12世の1/3番目の妻・離婚 ●シャルル8世 次代当主 ●アンヌ 1461-1522 61歳没 ブルボン公ピエール2世と結婚 1438-1503 65歳没 ![]() ![]() ![]() ●ジャンヌ 国王ルイ12世の1/3番目の妻・離婚 1464-1505 41歳没 ![]() ●シャルル8世 次代国王 ![]() ▲
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| 2003-01-21 00:00
| フランス
◆国王シャルル7世
先代シャルル6世の子 1403-1461 19歳即位 58歳没 兄たちが続けて亡くなったためシャルルが王太子となった。 母イザボーは淫乱王妃と呼ばれたので シャルルは正統な子ではないのか狂人の子なのかという 究極の選択に悩むことになった。 シャルルは道化のような顔とX脚をした弱々しい小男だった。 女性にはだらしなく手当たり次第と言っていいほどの女たらしだった。 ジャンヌ・ダルクの参戦がきっかけで形勢が逆転。 ジャン2世が失った領土を奪還。王位もフランスに戻った。 ここに百年戦争は終結した。 シャルルは晩年息子ルイ11世との対立に苦しみながら亡くなった。 息子との争いで毒殺されることを恐れて 食事を拒み餓死したとも言われている。 ![]() ■妻 マリー・ダンジュー アンジュー公ルイ2世の娘 1404-1463 18歳結婚 59歳没 ![]() ![]() ★愛人アニェス・ソレル 王妃の女官 庶子3人生む 1422-1450 28歳没 *フランス史上初の公妾となる。 王ははアニェスの死後数人の愛人を持ったが公妾はアニェス一人だった。 *もともとは男性の宝石だったダイアモンドを初めてアクセサリーにした女と言われる。 *「美の国の貴婦人」と呼ばれた。 シャルルはアニェスに出会った瞬間からその妖艶な美しさの虜になり すっかり魂を抜かれてしまった。 シャルルはアニェスと離れたくなかったので公式の場にも彼女を連れて行った。 王妃はアニェスの美しさにはかなわないと思ったのか夫の愛人の存在を認めた。 こうしてフランスで初めて公式の愛妾=公妾という存在が誕生した。 その後アニェス15年にわたって絶大な影響力を誇った。 顔だけでなくスタイル抜群のアニェスは特に胸が自慢で 片方の胸を丸出しにしていたのでさすがに周囲は眉をしかめた。 しかしシャルルは片胸を出した姿を好み何枚も絵に描かせている。 アニェスは28歳で急死する。 アニェスの遺骨を調べたところ死因は水銀中毒であったことが判明した。 しかしながら、当時の化粧品には水銀が使われていたため、 毒殺なのか否かはわからない。 アニェスは片乳を出して宮廷を歩き回ってたってこと!? 舞踏会にも片乳ドレスで登場したんだろうか。 そしてこの片乳見せは流行したんだろうか。うーむ。 ![]() ![]() ●ルイ11世 次代国王 ●カトリーヌ ブルゴーニュ公シャルルの1/3番目の妻 ●ヨランド サヴォイア公アメデーオ9世と結婚 ●ジャンヌ ブルボン公ジャン2世と結婚 ●マドレーヌ ビアナ公ガストン・ド・フォワと結婚 ●シャルル 未婚 ▲
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| 2003-01-20 00:00
| フランス
◆国王シャルル6世 通称:狂気王
先代シャルル5世の子 1368-1422 12歳即位 54歳没 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 当時の証言 背は高くなかったが、がっしりとしていてよく食べ、健康で美しい顔つきをしていた。 色白でアゴには感じのいいヒゲをたくわえ、 利発そうな目と整った鼻と金色の髪を持っていた。 寛大な心を持ち人の言葉をよく聞き、身分の低い者とも気軽に交わった。 礼儀正しく生涯変わらぬ態度で人々と交わったので、 その後たびたび不幸に襲われたにもかかわらず、民衆の愛情を失うことはなかった。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 母ジャンヌが精神異常であり、 彼も子供の頃から精神が不安定になることがあった。 ブルターニュ遠征中に発狂し、森の中で4人の護衛を殺すという事件を起こす。 一旦回復するが、今度は<燃える人の舞踏会>という事件が起きた。 仮装舞踏会でたいまつが王を含む人々に燃え移り4人が焼死した。 王は無事だったが急速に精神状態が悪化した。 発作を起こすと自分は王ではなく別人だと言い始める。王妃を蛇のこどく嫌う。 王は亡くなるまで正気と狂気を42回も繰り返した。 ![]() 遠征中に御乱心となるシャルル6世 ![]() <燃える人の舞踏会>事件 ![]() ■妻 イザボー・ド・バヴィエール←エリーザベト・フォン・バイエルン バイエルン公シュテファン3世の娘 1370-1435 15歳結婚 65歳没 見合いの席でシャルルはイザボーに一目惚れした。 花嫁は一見魅力的だったが性格は最悪だった。 貪欲、わがまま、軽薄、怠惰、浪費家と絵に描いたようなエゴイストだった。 外国から嫁いだ王妃はフランスに同化しようと努力するものだが 彼女は自分だけが快適な生活ができたら フランスのことなどどうなろうと知ったことではないというタイプだった。 狂気の夫を無視しドレス、宝石など浪費癖は 宮廷費を瞬く間に使い果たしてしまう凄さで 自分の子供たちにすら満足な衣食を与えなかった。 王弟オルレアン公ルイやブルゴーニュ公ジャンなどと関係を持ち、 淫乱王妃と呼ばれた。 ゆえに12人の子供は夫の子だと言い切れない。 結婚してすぐ夫は戦地に出かけてしまう。 退屈した15歳のイザボーは青年貴族ボワ・ブールドンと不倫関係になる。 その後王弟オルレアン公ルイと愛人関係になるが、 愛人ルイがブルゴーニュ公ジャンに殺されると今度はジャンの愛人となった。 そしてジャンが暗殺されるとイギリスがフランスに乗り込んできた。 イザボーはいつでも強い方につく女である。 イギリス側に寝返った。つまり我が子シャルル7世と敵対したのである。 イザボーはシャルル7世を私生児だと宣言する一方 カトリーヌ王女をイギリス国王ヘンリー5世に嫁がせ ヘンリーにフランスの王位継承権を与える。 前代未聞の事件で「史上最悪の王妃」と呼ばれるゆえんである。 しかしジャンヌ・ダルクの活躍によりシャルル7世は即位する。 イザボーはよほど悔しかったのか即位の数日後に亡くなった。 左端の赤いドレス ![]() ![]() ★愛人オデット・ド・シャンディベール 庶子1人 1391-1425 34歳没 オデットは精神病となったシャルル6世の世話をするために王妃が付けた愛人。 オデットはシャルル6世や宮廷の人々から「小さな王妃様」と呼ばれていた。 陽気で美しく優しい性格のオデットは 不幸な国王をできるかぎりの献身と忍耐で世話をした。 オデットと過ごした15年の間にシャルルは彼女の献身に対して数々の贈り物を与えた。 シャルルの最期の言葉は「オデット」。イザボー王妃は葬儀に出席しなかった。 ![]() ●イザベル イギリス国王リチャード2世の後妻 ●ジャンヌ ブルターニュ公ジャン5世と結婚 ●マリー 修道女 ●ミシェル ブルゴーニュ公フィリップと結婚 ●カトリーヌ イギリス国王ヘンリー5世と結婚 ●シャルル7世 次代国王 ●イザベル イギリス国王リチャード2世の後妻 1389-1409 20歳没 7歳でイギリス国王リチャード2世と結婚、10歳で未亡人、 17歳でオルレアン公シャルルと再婚、20歳で死亡。 なんか嫌がってる感じのイザベル王女・・・ ![]() なんか引いてる感じのフランス側・・・ ![]() ●カトリーヌ イギリス国王ヘンリー5世妃 1401-1437 36歳没 その美しさから「麗しのキャサリン」と呼ばれた。 ヘンリー5世の死後に1歳にも満たない新王の王母に虫がつくのを恐れたイギリス宮廷は 二重三重に対策を施していたが、灯台下暗しで側近オウエン・テューダーと愛人関係となった。 オウエンはがっしりした身体と美貌に恵まれた男だった。 思うにキャサリンはまだ21歳。 毛並みのいい男がいなければ近場で済ませてしまうのが人情。 イギリス宮廷の作戦があだとなる結果となった。 キャサリンは愛人との間に3男1女を生んだが正式に再婚を認められることなく38歳で亡くなった。 ●シャルル7世 次代国王 ![]() ▲
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| 2003-01-19 00:00
| フランス
◆国王シャルル5世
先代ジャン2世の子 1338-1380 26歳即位 42歳没 子供の頃の病気の後遺症でシャルルの右手は腫れ上がっており、 重い物を持つことができないほど病弱だった。 しかし頭脳明晰で、神学・化学・法学に通暁していた。 教養の高い合理的な人物であった一方、迷信深い国王でもあった。 なかなか跡継ぎができなかったことや数々の病気のために占星術の信奉者になった。 フランス王家の紋章を小百合紋(百合の花を無数に散らせた紋章)から 百合の花の数を3つにした紋章に変更したことでも有名である。 最初にドーファンを名乗った王太子である。 ドーフィネ侯爵がその領地を王室に譲渡する際に、 代々の王太子はドーフィネ侯爵を名乗ること=ドーファンを 名乗ることを条件にしたためである。 以降、フランスの王太子はドーファンと呼ばれるようになる。 ![]() ■妻 ジャンヌ・ド・ブルボン 父のイトコ ブルボン公ピエール1世の娘 1338-1378 12歳結婚 40歳没 ジャンヌの家系には精神病の遺伝があり 息子シャルル6世の精神異常や他の子供たちの虚弱さはこれによるものだと考えられている。 祖父・父・ジャンヌのきょうだいの多くが精神病になった。 ジャンヌも後に神経質になり感情の起伏が激しくなり、精神が不安定になった。 ![]() ★愛人ビエット・ド・カジネル ●シャルル6世 次代国王 ●ルイ ミラノ公女ヴァランティーヌと結婚 ▲
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| 2003-01-18 00:00
| フランス
◆国王ジャン2世
先代フィリップ6世の子 1319-1364 31歳即位 45歳没 イギリス軍の捕虜となったが、 イギリス国王リチャード3世はジャン2世を手厚くもてなした。 テムズ河沿いに豪奢な館を構え、狩猟を楽しみ、舞踏会を楽しんだ。 しかしフランスが莫大な身代金の工面に手間取ったため、そのままイギリスで亡くなった。 ![]() ■前妻 ボンヌ・ド・リュクサンブール 死別 ボヘミア王ヨハンの娘 1315-1349 17歳結婚 34歳没 ![]() ■後妻 ジャンヌ・ドーヴェルニュ●実子ナシ オーヴェルニュ伯ギヨーム12世の娘 1326-1360 34歳没 12歳でブルゴーニュ公子フィリップと結婚死別・23歳でジャン2世と再婚。 ![]() すべて前妻の子 ●シャルル5世 次代国王 ●ルイ ブルターニュ公女マリーと結婚 ●ジャン アルマニャック伯女ジャンヌと結婚死別、オーヴェルニュ女伯ジャンヌ2世と再婚 ●フィリップ フランドル女伯マルグリット3世と結婚 ●ジャンヌ ナバラ王カルロス2世と結婚 ●マリー バル公ロベール1世と結婚 ●イザベル ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティと結婚 ▲
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| 2003-01-17 00:00
| フランス
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