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■父 ルイ・ボナパルト ナポレオン1世の弟
1778-1846 68歳没 ![]() ■母 オルタンス・ド・ボアルネ ナポレオンの前妻ジョゼフィーヌの連れ子 1783-1837 54歳没 ![]() ◆皇帝ナポレオン3世 最後の皇帝 ナポレオン1世の甥 1808-1873 44歳即位 64歳没 *両親が離婚、 母は3人の息子のうち末っ子のナポレオン3世のみを引き取ってスイスに亡命、 そのため生涯ドイツ訛りのフランス語しか話せなかった。 *幕末にパリ万国博覧会に将軍徳川慶喜の名代として派遣された徳川昭武使節団が フランスでナポレオン3世に謁見している。 ![]() ■妻 ウジェニー・ド・モンティジョ←エウへニア・デ・パラフォクス・イ・キルクパトリック テバ伯爵・モンティホ伯爵・アルガバ侯爵・ペニャルダ公爵ドン・シプリアーノの娘 1826-1920 27歳結婚 94歳没 ナポレオン3世が即位したときヨーロッパの王室は彼を同等に扱わなかった。 彼は貴族政治を復活させるために ウージェニーを中心に据えて華やかなフランス宮廷を作ろうとした。 ウージェニーの美貌と優雅な立ち居振る舞いそれに応えた。 彼女はファッションリーダーとなり、彼女の新しい装いは たった2ヶ月でアメリカ西部の酒場の女たちに真似されるほどだった。 彼は青年時代からボナパルト家の政権奪回に情熱を傾ける野心家であったが 同時に豊富な女性経験を持つ享楽家でもあった。 結婚前から庶子がいたし、結婚後は「小皇后」と呼ばれる愛人を次々と作った。 ウージェニーは夫の女性関係に悩まされ嫌悪感を持ったので夫婦関係は冷え切っていった。 普仏戦争に敗れたナポレオンが敵軍の捕虜となり共和制が宣言されると、 ウージェニーは友人であるヴィクトリア女王のいるイギリスに亡命した。 まもなく前線からルイ皇太子が戻り釈放された夫も合流した。 ヴィクトリア女王は一家を手厚く保護し、カンデンプレイスに住まわせた。 しかしイギリスでの三人の生活は長く続かなかった。 ナポレオンが病死しルイもアフリカで戦死する。 ウージェニーはファーンボロに隠遁し40年の余生を過ごした。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ *独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、 ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、 セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。 私達が亡命後コート・ダジュールにいた頃、 ウージェニー皇后がキャップ・マルタンに住んでおられた。 アンドレイの父ウラジーミル・アレクサンドロヴィチが 青年時代に万国博覧会を訪問された頃から、皇后は彼がお気に入りであった。 皇后とウラジーミル大公は、 定宿にされていたパリのコンチネンタルホテルでたびたび会われた。 皇后はアンドレイも子供時代から御存知で、 アンドレイは皇后の若々しさに魅了されたと語った。 彼女は94歳という年齢が信じられないほど快活で陽気で、 誰にでも親切な言葉をかけられた。 ロシアの現状に大いに興味を示されており、驚くほどの記憶力をお持ちだった。 声ははっきりとしていて明瞭で、耳も問題なかった。 歩く時にも少しもよろめかれたり、背中を丸めたりする事はなかった。 主治医たちが食餌療法を強制するとこぼしながら、お客達と同じ料理を楽しまれた。 侍女からは、皇后は食後に休まれるどころかドライブに出かけられる事を聞いた。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ●子はナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト 通称ナポレオン4世・未婚・戦死 1856-1879 23歳没 ![]() *イギリスに亡命していたナポレオン4世は、陸軍士官学校を卒業、 ズールー戦争の際にイギリス軍人として出兵、戦死する。 ■
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| 2003-03-22 00:00
| フランス
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