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by xMUGIx
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ハプスブルク朝

◆皇太子フィリップ 父より先に亡くなったため即位できず
1478-1506 28歳没
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■妻 スペイン女王フアナ
1479-1555 17歳結婚 76歳没
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二人の結婚決まる。

フアナは120隻の船でフィリップが治めるブルゴーニュ公国へ嫁ぐ。

夫婦仲は良く次々と子供が産まれるが、すぐにフィリップの浮気癖が始まる。
フアナは精神的に不安定になる。

兄の皇太子フアンの死亡により、王位継承権の関係で夫妻スペインに向けて出発。
フランスのルイ12世と親睦を深めたいというフィリップの希望により
フランスに1年半も滞在して寄り道。

スペインに到着するも、飽き飽きしたフィリップは、
身重のフアナを置いてブルゴーニュへ帰ってしてしまう。
またしても各国に寄り道をして、ブルゴーニュに到着したのは1年後。

フィリップの元へ行きたいと言うフアナは異常行動を取る。
うなる、大声をあげる、食事をとらない、眠らない、
「歩いてでも帰る」とわめきながら、雪の日に裸足で城の門を揺さぶり続けた。
とうとう母王イサベル1世も匙を投げる。

フェルナンドは無事に生まれるが、フアナは赤ん坊を置いてすぐにフィリップの元へ帰国。
当然愛人を作っていたフィリップの相手をハサミで切り付け、
丸坊主にした挙句、顔にもケガをさせる。

フェリペはうんざりして、フアナを幽閉する。
食事・睡眠を拒否して、壁を頭にぶつけることを繰り返した。

イサベル女王の死亡により、王位継承権の関係で夫妻スペインに向かう。
スペインのブルゴスでフェリペ突然病死。暗殺説もある。

フアナ、フェリペの遺体をブルゴスからグラナダの王室礼拝堂まで運ぼうとする。
フェリペの棺を担いだ葬列は、明るいうちは移動せず
夜中にロウソクを灯して荒野の中を進んだ。
フアナはフェリペが生き返っているかもしれないという期待から、毎日棺の蓋を開けた。
葬列は2年もかかってグラナダに到着する。

父王、フアナを幽閉する。
着替え・入浴・食事・睡眠を拒否する。

父王、嫡男を得るために再婚するが死亡。

スペインを相続した息子のカルロス1世もフアナの幽閉を解かず、
46年間の幽閉のまま死亡。
死ぬまで、「ヨ・ラ・レイナ」(我、女王)とサインをした。


フアナは美人で楽器や歌や踊りに優れ語学の才能に秀でた宮廷自慢の王女だった。
またカトリックの戒律を忠実に守り一日に3回お祈りをするという
ある意味では典型的なスペイン女でもあった。
フィリップと対面した時、
「フィリップ美公」と呼ばれた彼の凛々しさにフアナはすっかり魅せられた。

フィリップは享楽的で遊び好きだったが
これまで体験したことのなかった異国情緒あふれる新妻に夢中になった。
しかし新鮮さが薄れると元来の性格が出てすぐにフアナに飽きた。
フアナは夫の浮気に対する嫉妬から病的なヒステリーを起こすようになる。

母方の祖母ポルトガル王女イサベルが精神異常であった。
祖母は母王イサベル1世を出産後、一人座って何時間もじっと遠くを見つめるようになる。
さらにはヒステリーを繰り返すようになり、最後には誰の顔も見分けられなくなった。
母王はフアナに祖母の病気が遺伝していることを痛感した。




●レオノール 
ポルトガル国王エマヌエレの計3回の3番目の妻・相手死別、
フランス国王フランソワ1世の後妻
●カルロス オーストリア皇帝カール5世/スペイン国王カルロス1世
●イサベル デンマーク王クリスチャン2世と結婚
●フェルナンド オーストリア皇帝フェルディナント1世
●マリア ハンガリー・ボヘミア王ラヨシュ2世と結婚
●カタリナ ポルトガル王ジョアン3世と結婚
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# by xMUGIx | 2001-01-04 00:00 | オーストリア

ハプスブルク朝

すべて前妻の子
●フィリップ 皇太子
●マルグリット
フランス国王シャルル8世と婚約破棄、
スペイン皇太子フアンと結婚死別、
サヴォイア公フィリベルト2世の後妻・死別




●フィリップ 皇太子 父王より先に死亡したため即位できず
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●マルグリット
1480-1530 50歳没

フランス国王シャルル8世と婚約破棄
→スペイン皇太子フアンと結婚死別
→サヴォイア公フィリベルト2世の後妻死別

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★元婚約者フランス国王シャルル8世
1470-1498 28歳没

マルグリットは運命に翻弄される。
母と死別し父が追放された時マルグリットはまだ2歳だった。
フランスのルイ11世は王太子シャルル8世の嫁にとマルグリットを拉致した。
シャルルは彼女より一回り年上の病弱で不細工な王子だった。
フランスでは虚弱体質の王家にやっと元気旺盛なマルグリットの血が注がれると
彼女が早く適齢期になるのを楽しみにしていた。
フランス式の教育を受け愛らしく聡明なまわりを明るくさせるような少女に育った。
フランス生活も10年となったころ父帝マクシミリアンは敵国フランスを東西から挟むために
ブルターニュ公女アンヌと再婚することを決意した。
慌てたフランスのシャルル王子はブルターニュ公国を攻撃しアンヌ公女を奪って妃とした。
こうなればシャルルは婚約者マルグリットをフランスから追い出すしかない。
人々は愛らしく聡明なマルグリットの代わりに不細工なアンヌを娶れねばならないとは
シャルルも気の毒なことだと嘆くと同時にマルグリットとの別れを心から惜しんだ。
こうしてマルグリットは幸運にも故郷のブルゴーニュ公国へ戻ることができた。
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■前夫 スペイン王子フアン・死別
1478-1497 19歳没

そして前述した、兄フィリップとともにスペイン王国との二重結婚が成立する。
スペインに嫁いだ17歳のマルグリットはフェルナンド王やイサベル女王
そして夫ファン王子に大変気に入られた。
しかしファンの愛情は常軌を逸したほどに激しいものであった。
やはり妹フアナと同じ血が流れていたのかもしれない。
結婚以来ファンはマルグリットのそばから片時も離れなかったのである。
しかし病弱だったファンは19歳で病死してしまう。
当時妊娠していたマルグリットに王子出産の期待がかかったが死産であった。
これでスペイン王国は跡取りを失った。
イサベル女王は慰留したが未亡人となったマルグリットは祖国に戻った。
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■後夫 サヴォイア公フィリベルト2世の後妻・死別
1480-1504 24歳没

父の指示によって今度はマルグリットはサヴォイ公フィリベルト2世の後妻となる。
サヴォイ公国は小さいながらもフランスを攻撃する上で重要な拠点だったからである。
しかし彼も病死してしまう。また子供のなかったマルグリットは祖国に戻った。
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彼女は父帝にもう二度と結婚する意志のないことを告げた。
父帝も彼女の意思を尊重してブルゴーニュ公国の総督の任を与えた。
政治能力にも優れた彼女には適任であり兄フィリップの遺児たちの養育も引き受けた。
父帝マクシミリアン皇帝の死にともなう皇帝選挙では甥カール5世が皇帝となれるよう奔走した。
また音楽家・作家・画家を庇護することによって文化水準をさらに高め
さまざまな工芸品も発展させた。
そして誰からも愛された総督は惜しまれつつ静かに世を去った。


ちなみにマルグリットは兄フィリップの遺児たちの養育のために
ヨーロッパ中から優れた学者を集めて学校を作った。
その学校にヘンリー8世の2番目の妻となるアン・ブーリンが留学して学んでいた。
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# by xMUGIx | 2001-01-03 00:00 | オーストリア

ハプスブルク朝

◆皇帝マクシミリアン1世
先代フリードリヒ3世の子
1459-1519 34歳即位 60歳没

*マクシミリアンは言語の発達が遅く5歳まで言葉を喋れなかったが
元気旺盛でたくましく、何をやらせても見事な技の冴えをみせた。

*「中世最後の騎士」なおかつ「近世最初の皇帝」である。
またドイツ最初のルネサンス人でもあった。

*浪費家。富豪フッガー家に莫大な借金をした。

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『君主論』のマキャヴェッリの証言

気持ちの揺れの大きい人物。
気の短い園芸家で、果実が熟するのを待っていられない。

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■前妻 マリー・ド・ブルゴーニュ 死別*落馬事故で死亡
ブルゴーニュ公シャルルの娘
1457-1482 20歳結婚 25歳没

*絶世の美女としても知られ
この時代の女性にしては珍しく運動好きで狩猟や乗馬、スケートを好んだという。
ブルゴーニュ公国は15世紀後半のヨーロッパでは高い文化水準を誇っていた。
しかし君主シャルルにはマリーしか子供がいなかった。
ゆえにブルゴーニュ公国の継承権はマリーにあった。
豊かな公国の跡取り娘が誰と結婚するのかはヨーロッパで関心の的だった。
娘の縁談をことごとく断り続けたシャルルが
オーストリアの貧しい山国に過ぎないハプスブルク家との縁談を選んだのは
マリーをマクシミリアンと結婚させれば
いつかは自分も神聖ローマ帝国の皇帝になれるのではないかという胸算用が働いたからである。
神聖ローマ帝国皇帝と言っても当時はすでに名ばかりの名誉職のようなものであったが。

しかし君主シャルルの戦死によりマリーと結婚したマクシミリアンがブルゴーニュの君主となった。
オーストリアの片田舎で飢えと貧困に慣れたマクシミリアンは、
ブルゴーニュの宮廷の豪華な食事、ワイン、狩猟、演奏会、舞踏会の日々に驚いた。
マリーは乗馬や狩猟も得意で、二人で夜明けまでダンスを踊り、仲睦まじかった。
マリーとは上流階級の教養語であったラテン語でコミュニケーションを取っていたが
フランス語をマリーから習い会話・読み書きできるまで習得した。
しかし結婚5年目にいつものように夫と狩猟に出かけた妊婦のマリーは
落馬事故で亡くなってしまう。
子供たちは妻の実家ブルゴーニュ公国に取られマクシミリアンは祖国へ追い出されたが
父帝フリードリヒ3世の死により皇帝マクシミリアン1世となる。
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■後妻 ビアンカ・マリア・スフォルツァ
ミラノ公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの娘
1472-1510 38歳没●実子ナシ

*2歳でサヴォイア公フィリベルト1世と結婚死別、22歳で皇帝マクシミリアン1世と再婚。
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すべて前妻の子
●フィリップ 皇太子
●マルグリット
フランス国王シャルル8世と婚約破棄、
スペイン皇太子フアンと結婚死別、
サヴォイア公フィリベルト2世の後妻・死別
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# by xMUGIx | 2001-01-02 00:00 | オーストリア

ハプスブルク朝

◆皇帝フリードリヒ3世
1415-1493 37歳即位 78歳没

*諸侯は皇帝選挙で小心者で貧乏なフリードリヒを神聖ローマ帝国皇帝に選んだ。


■妻 エレオノーレ・フォン・ポルトゥガル
ポルトガル王ドゥアルテ1世の娘
1434-1467 16歳結婚 33歳没
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多くの縁談が持ち込まれたが、
エレオノーレは神聖ローマ帝国の皇后となることを切望しフリードリヒ3世と結婚。
当時のポルトガルは海洋王国として栄えていたが
帝国とは言ってもハプスブルク家はまだ弱小の領主に過ぎず
フリードリヒ3世は大変な倹約家であった。
粗衣粗食、ワインなど一切食卓に出ない、そして民と一緒に畑を耕していた。
結婚後にこのことを知ったエレオノーレは愕然として失望し
華やかなポルトガル宮廷を思い続けながら亡くなった。


●マクシミリアン1世 次代皇帝
●クニグンデ 
バイエルン公アルブレヒト4世と結婚




●マクシミリアン 皇帝マクシミリアン1世
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●クニグンデ 
1465-1520 55歳没
バイエルン公アルブレヒト4世と結婚
1447-1508 61歳没

*クニグンデは父の反対を押し切ってアルブレヒト4世と結婚した。
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# by xMUGIx | 2001-01-01 00:00 | オーストリア


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