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2017年 更新中
by xMUGIx
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ロシア皇帝ニコライ2世のイトコ その2

◆父 ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公←皇帝アレクサンドル2世の子
1847-1909 62歳没




■母 マリア・パヴロヴナ
←メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリー・アレクサンドリーネ
1854-1920 66歳没

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●キリル
バツイチのエディンバラ公爵令嬢ヴィクトリア・メリタと結婚
●ボリス
バツイチのジナイーダ・ラシェフスカヤと結婚
●アンドレイ
皇帝ニコライ2世の元愛人のバレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと結婚
●エレナ 
ギリシア王子ニコラオスと結婚


座る キリル
立つ左から ボリス アンドレイ エレナ 
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立つ左から キリル キリルの妻ヴィクトリア エレナの夫ニコラオス エレナ
座る左かた ボリス 母マリア アンドレイ
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●キリル・ウラジーミロヴィチ大公●子供3人
1876-1938 62歳没
バツイチのエディンバラ公爵令嬢ヴィクトリア・メリタと結婚
→ヴィクトリア・フョードロヴナ
1876-1936 60歳没

*海軍軍人。

*ヴィクトリア・メリタは、
18歳で父方のいとこヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒと結婚して子供1人、
25歳で離婚、
29歳で母方いとこキリルと再婚して子供3人、60歳没。

*キリルとロシア皇帝ニコライ2世はイトコ、
ヴィクトリア・メリタとニコライ2世の妻アレクサンドラはイトコ、
そしてヴィクトリア・メリタはかつて皇后アレクサンドラの兄エルンスト・ルートヴィヒと
結婚離婚しているという関係から、
この再婚によってヴィクトリア・メリタと皇后アレクサンドラの仲は険悪になった。

*ロシア革命により亡命、亡命ロシア人から担ぎ上げられて
キリルはロシア皇帝として返り咲くことを夢見るようになり、
その実現のためにヴィクトリアはナチスに接近。

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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

1935年貴賤結婚の問題を制度化するために、キリル大公は貴賤結婚による妻と子は
自ら選んだ苗字の前に『ロマノフスキー』という苗字を付けてもよいと決められた。
しかし貴賤結婚の該当者はほとんどこの勅令に従わず『ロマノフ』の名を使い続けた。

1936年ヴィクトリア・フョードロヴナ大公妃がドイツで亡くなられた。
娘のライニンゲン侯爵夫人マリヤ・キリロヴナの元を訪問されている最中だった。
キリル大公は大公妃が亡くなられた後はひどく落ち込まれ気力が弱ってしまわれたが、
1938年05月ポツダムで行われた娘のキーラ大公女の結婚式には出席された。
しかし09月突然体調が悪化し、10月に亡くなられた。

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●ボリス・ヴラディーミロヴィチ大公●庶子アリ
1877-1943 66歳没
バツイチのジナイーダ・ラシェフスカヤと貴賤結婚
1898-1963 65歳没

*プレイボーイ。

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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後コート・ダジュールにいた頃、
ボリス・ヴラディーミロヴィチ大公とジナイーダにもお会いした。
二人はロシアを出た後ジェノヴァで結婚し、一時的にニースに住んでおられた。

1943年11月ボリス大公が亡くなられた。
夫人のジナイーダが危篤だと知らせてきたため、急いで出かけたのだがもう遅かった。
ボリス大公はいつもいきいきとして快活で、高潔で素敵な男性だった。
たくさんの人が彼の死に涙を流した。

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●アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公●子供1人
1879-1956 77歳没
バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと貴賤結婚
1872-1971 99歳没

*マチルダは18歳で独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人となり、
22歳でニコライが結婚したためイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人になり、
28歳でセルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の愛人ともなり三角関係に、
30歳で子供1人を生み、両名とも自分が父親であると主張したがアンドレイが認知、
両名からプロポーズされていたが49歳でアンドレイを選んで結婚、
ロシア革命で亡命後はフランスでバレエの指導者となり、99歳没。

*子供の父親としてアンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の父親
ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公の名前も囁かれた。
しかし、いずれにしても【ロマノフの子】には変わりないという事に落ち着いた。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公は1902年頃からグレだし、
高貴の身分としてはいかがわしい行いを始めた。

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●エレナ・ウラジーミロヴナ大公女●子供3人
1882-1957 75歳没 
ギリシア王子ニコラオスと結婚
1872-1938 66歳没

*エレナは幼い頃から感情の制御ができず、一度婚約破棄されたほど難しい性格だった。
ニコラオスとの結婚も危ぶまれたが、なぜか夫婦仲は良好であった。
ただし、ギリシャ宮廷は迷惑をこうむった。

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# by xMUGIx | 2011-02-22 00:00 | その他

ロシア皇帝ニコライ2世のイトコ その1

◆前妻の子 皇太子ニコライ 
未婚・早逝








◆前妻の子 皇帝アレクサンドル3世


■妻 デンマーク王女マリア・フョードロヴナ


ニコライ2世 
次代皇帝

●ゲオルギー・アレクサンドロヴィチ大公
未婚・病死

●クセニア・アレクサンドロヴナ大公女
ロシア大公アレクサンドル・ミハイロヴィチと結婚

●ミハイル・アレクサンドロヴィチ大公
バツ2のナターリヤ・セルゲーヴナ・ヴリフェルトと貴賤結婚・ロシア革命で処刑

●オリガ・アレクサンドロヴナ大公女
アレクサンドル・ペトロヴィチ・オリデンブルクスキー公爵と結婚離婚、
軍人ニコライ・クリコフスキーと貴賤再婚








◆前妻の子 ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公


■妻 メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリア・パヴロヴナ

●キリル・ウラジーミロヴィチ大公
バツイチのエディンバラ公爵令嬢ヴィクトリア・メリタと結婚

●ボリス・ウラジーミロヴィチ大公
バツイチのジナイーダ・ラシェフスカヤと結婚

●アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公
バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと結婚

●エレナ・ウラジーミロヴナ大公女
ギリシア王子ニコラオスと結婚








◆前妻の子 アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公


■妻 平民アレクサンドラ・ズコーヴスカヤ 貴賤結婚・離婚  


●アレクセイ・アレクセーエヴィチ・ベリョーフスキイ伯爵
トルベツコイ公女マリアと結婚離婚、ナターリヤ・フォン・シェッピンクと再婚








◆前妻の子 マリア・アレクサンドロヴナ 大公女


■夫 イギリス王子/ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレート


●アルフレッド 
未婚・自殺

●マリー
ルーマニア国王フェルディナンド1世と結婚

●ヴィクトリア・メリタ→ヴィクトリア・フョードロヴナ
ヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒの前妻離婚、
ロシア大公キリル・ウラジーミロヴィチと再婚

●アレグザンドラ
ホーエンローエ=ランゲンブルク侯エルンスト2世と結婚

●ベアトリス
スペイン王族ガリエラ公アルフォンソと結婚








◆前妻の子 セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公


■妻 ヘッセン大公女エリザヴェータ・フョードロヴナ
妹アレクサンドラはニコライ二世皇后


●実子ナシ








◆前妻の子 パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公




■前妻 ギリシャ王女アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ 死別


●マリア・パヴロヴナ大公女
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚、アレック・プチャーチン公と再婚離婚

●ドミトリー・パヴロヴィチ大公
アメリカ人富豪令嬢オードリー・エメリーと結婚・離婚 ラスプーチン暗殺者の一人




■後妻 バツイチのオリガ・カルノヴナと貴賤再婚


●ウラジーミル・パヴロヴィチ・パーリィ公爵令息
未婚・ロシア革命で処刑

●イリナ・パヴロヴナ・パーリィ公爵令嬢
フョードル・アレクサンドロヴィチ公と結婚離婚、ユベール・ド・モンブランゾン伯爵と再婚

●ナタリヤ・パヴロヴナ・パーリィ公爵令嬢
フランスでモデル・女優ナタリー・パレとなる
ファッションデザイナーのリュシアン・ルロンと結婚離婚、
プロデューサーのジョン・チャップマン・ウィルソンと再婚死別








◆後妻の子 ゲオルギイ・アレクサンドロヴィチ・ユーリエフスキイ公爵


■妻 ザルケナウ伯爵令嬢アレクサンドラ 離婚


●アレクサンドル








◆後妻の子 オリガ・アレクサンドロヴナ・ユーリエフスカヤ公爵令嬢


■夫 ゲオルク・ニコラウス・フォン・メレンベルク伯爵の前妻・本人死別


●アレクサンダー
●ゲオルグ
●オルガ




◆後妻の子 エカテリーナ・アレクサンドロヴナ・ユーリエフスカヤ公爵令嬢 


■前夫 アレクサンドル・バリャティンスキー公爵 死別


●アンドレイ
●アレクサンドル


■後夫 セルゲイ・オボレンスキー公爵 離婚


●実子ナシ
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# by xMUGIx | 2011-02-21 00:00 | その他

ロシア皇帝アレクサンドル3世のイトコ その5

◆父 ミハイル・ニコラエヴィチ大公←皇帝ニコライ1世の子
1832-1909 77歳没




■母 オリガ・フョードロヴナ←バーデン大公女ツェツィーリエ
1839-1891 52歳没
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●ニコライ 
未婚・ロシア革命で処刑
●アナスタシア
メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世と結婚
●ミハイル
メーレンベルク伯爵令嬢ゾフィーと貴賤結婚
●ゲオルギー 
ロシア革命で処刑・ギリシャ王女マリア・ゲオルギエヴナの前夫・本人死別
●アレクサンドル
皇帝アレクサンドル3世の娘クセニアと結婚
●セルゲイ 
未婚・ロシア革命で処刑


立つ ミハイルの妻ゾフィー
座る左から アレクサンドル ミハイル セルゲイ
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左から ニコライ ミハイル ゲオルギー セルゲイ
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●ニコライ・ミハイロヴィチ大公●庶子アリ 未婚・ロシア革命で処刑
1859-1919 60歳没

*軍務を嫌い学問を好み、自由主義者・平和主義者であった。

*昆虫学・植物学・歴史学を得意とした。

*ギャンブル好き。

*生涯独身だったが、複数の庶子アリ。

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フェリックス・ユスポフ公爵 ラスプーチン暗殺者の一人

ニコライ・ミハイロヴィチ大公は大変矛盾する性格の持ち主だった。
博識で知的で独立不羈の歴史家だったが、
一方で身内に対して嘲弄的な口を弄する人だった。
口軽で打ち明け話が大好きで、しばしば慎み深さを欠く事があった。
またラスプーチンが大嫌いで、彼がロシアの害毒となっている事を理解していた。
ニコライ大公の政治的立場は極端な自由主義だった。
平気で政府を批判して、首都から追放されて自分の領地に蟄居させられた事もあった。

〔ラスプーチン暗殺の翌日〕
ニコライ大公は入ってくるなり私に言った。
「さあ、何をやったか話してくれ」
「あなたまで流言を信じているのですか。私はあの事件にはまったく関係ありません」
「他の連中にはそれでいいが、私にそんな事を言っても無駄だ。
私はすべて知っているぞ」

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●アナスタシア・ミハイロヴナ大公女●子供3人
1860-1922 62歳没
メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世と結婚
1851-1897 46歳没

*アナスタシアは、7人兄妹の中で唯一の女子ということで甘やかされて育つ。
病弱な夫を疎んじて一年の大半をイタリアやフランスで過ごした。
社交とギャンブルに明け暮れる妻を夫は愛し続けたが、別荘で転落死。
国民はアナスタシアが殺害したと疑ったという。
事故死か自殺かは現在も不明。

*夫の死後、秘書のウラディミール・パルトロフの庶子を生む。


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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後コート・ダジュールにいた頃、我が家からさほど遠くないヴィラに
住んでおられたアナスタシア大公女は誰よりも素敵な女性だった。
どこまでも礼儀正しく親切で純真な心を持ち、人生を愛し人生の楽しみ方を知っておられた。
ロシア革命前に息子がカンヌで病気になった時はたびたびお見舞いにいらして、
息子を御自宅のヴィラにも招待して下さった。おいしいお茶と軽食をふるまわれ、
彼はお菓子のひとかけらも残さなかったと笑いながら語っておられた。
今や息子も18歳で、アナスタシア大公女は彼に踊りを習わせたがっていらした。

アナスタシア大公女は1922年03月にコート・ダジュールで突然亡くなられた。
その2日前にいつも通り陽気で快活な彼女にお会いしたばかりだった。
大公所の忠実な長年の侍女がすぐに来てくれと言うので出向いた所、
大公女はすでに意識を失っておられた。最期の時が来た。
最後の2年間、彼女はまさに私達の人生を喜びと優しさで満たして下さった。
2時間後、大公女の姪クセニヤ・ゲオルギエヴナ大公女がカンヌからいらした。
翌日、大公女の弟アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公もパリから到着された。

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●ミハイル・ミハイロヴィチ大公●子供3人
1861-1929 68歳没
メーレンベルク伯爵令嬢ゾフィーと貴賤結婚
1868-1927 59歳没

*プレイボーイ。社交とギャンブルに明け暮れる。
皇帝アレクサンドル3世から「馬鹿者」と呼ばれていた。

*貴賤結婚により国外追放となり、そのショックで母親は死亡した。

*ドイツ・フランス・イギリスなどで暮らしていたため、ロシア革命による処刑を逃れた。

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●ゲオルギー・ミハイロヴィチ大公●子供2人 ロシア革命で処刑
1863-1919 56歳没
ギリシャ王女マリア・ゲオルギエヴナの前夫・本人死別
1876-1940 64歳没

*ゲオルギーは物静かで優しい性格。

*マリアは24歳で結婚して子供2人、43歳で死別、46歳で再婚、64歳没。

*ゲオルギーは妻子を愛したが、
マリアは平民の恋人と引き裂かれての結婚だったので夫を愛せなかった。
そのため一年の大半を海外で過ごすようになる。
おかげで夫は処刑されたが、マリアはロシア革命を免れる。

*ゲオルギーの死後、
マリアはギリシャ人軍人ペリクレス・イオアニデスと夫41歳&妻46歳で再婚。

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●アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公●子供7人
1866-1933 67歳没
皇帝アレクサンドル3世の娘クセニアと結婚
1875-1960 85歳没

*海軍軍人。

*幼馴染の二人は新婚時代から夫婦円満であったが、
末っ子が生まれる頃には夫婦仲は冷え切り、互いに愛人を持つようになる。

*ロシア革命により亡命した後は妻はイギリスで夫はフランスで暮らし、
各自その地で亡くなる。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

皇帝ニコライ2世に不断の影響を与えたのは大公達であった。
一部の大公達は始終皇帝の上に忌まわしい勢力をふるった。
ことに皇帝の義兄弟であるアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公がその最たる者であった。
この大公さえいなかったら、
恐らく我々があの極東で受けた一切の不幸を知らずに済んだであろうと思う。

父親ミハイル・ニコラエヴィチ大公は国民の親愛を得ていた温厚な人であったが、
母親オリガ大公妃は国民に極めて不人気だった。
彼女は艶麗で小才があり小策を弄することを好む陰謀家であった。
アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公は母親に似た子であった。
容貌が端麗で他人の顔色を読むことが上手で
小利口で無教育でうぬぼれが強くしかも陰険であった。
アレクサンドル大公は皇帝ニコライ2世の妹クセニア大公女と結婚、
彼女は皇帝ともっとも仲の良い愛妹であったため、
皇帝はすぐにアレクサンドル大公を特に親愛するようになった。

皇帝アレクサンドル3世は、
叔父アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公を非常に敬愛されていた。
しかし大公の子供達に対しては、あまり良い感情は持っていなかった。
皇帝の目には
自分の皇女の夫としてはアレクサンドル大公はふさわしくない者に映ったのであろう。
ある時皇帝はアレクサンドル大公と一緒にフィンランド沿岸を遊航した事があった。
巡遊中何かの原因で皇帝の使用していた風呂が壊れた。
そこでアレクサンドル大公は自分の持っていたペルシャゴム製の風呂を皇帝に提供した。
皇帝はよほど気に入ったものとみえ、非常にこれを称賛された。
そこでアレクサンドル大公はこう言った。
「皇帝陛下は、とうとう僕にも一つぐらい良いものあると発見したよ」
事実これは皇帝がアレクサンドル大公に対して初めて与えた称賛の言葉であった。
皇帝はアレクサンドル大公の事といえば何でもかんでも片っ端から批評し、
気に入った事は一つも無かったのであった。

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●セルゲイ・ミハイロヴィチ大公●庶子アリ 未婚・ロシア革命で処刑
1869-1918 49歳没

★愛人バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤ
1872-1971 99歳没

*マチルダは18歳で独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人となり、
22歳でニコライが結婚したためイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人になり、
28歳でセルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の愛人ともなり三角関係に、
30歳で子供1人を生み、両名とも自分が父親であると主張したがアンドレイが認知、
両名からプロポーズされていたが49歳でアンドレイを選んで結婚、
ロシア革命で亡命後はフランスでバレエの指導者となり、99歳没。

*セルゲイは陸軍軍人、数学・物理学を得意とした。

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# by xMUGIx | 2011-02-15 00:00 | その他

ロシア皇帝アレクサンドル3世のイトコ その4

◆父 ニコライ・ニコラエヴィチ大公←皇帝ニコライ1世の子
1831-1891 60歳没

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■母 アレクサンドラ・ペトロヴナ 別居←オルデンブルク公女アレクサンドリーネ
1838-1900 62歳没

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●ニコライ
バツイチのモンテネグロ王女アナスタシア・ニコラエヴナと結婚
●ピョートル
モンテネグロ王女ミリツァ・ニコラエヴナと結婚


*ミリツァが姉、アナスタシアが妹。
この二組の夫婦は<黒い家族>というあだ名が付くほどオカルトや神秘主義に傾倒し、
アレクサンドラ皇后にラスプーチンを紹介する。
ロシア革命後は全員ちゃっかりと亡命に成功して、処刑もされず天寿をまっとうした。


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ラスプーチンの信者 作家ヴェーラ・ジュコフスカヤ

ミリツァの顔は古い肖像画の顔のように生気がなく、
大きな長く黒い目は疲れ、誇り高い表情を浮かべていた。
彼女はなぜか不自然なほど青白かった。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

祈祷師フィリップとパリで知り合い彼の奇怪な言行に眩惑されて
ロシアへ土産話としたのが、ミリツァとスタナであった。
彼をもっとも深く信仰したのはニコライ・ニコラエヴィチ大公である。
この人は非常な迷信家で、常人をして精神状態を疑わしめるほどであった。
私はニコライ大公を有為の材だとは思わない。しかし真面目で別に悪意のある人ではない。
皇帝ニコライ2世にに対しては盲目的に従順であるし、
軍事については相当の才能のあった人だと考える。
それ以来フィリップは時々ロシアへやってきて数ヶ月間秘かに宮中に滞在して、
両陛下にいろいろと神秘的治療を行ったりしていた。
このモンテネグロの王女達はたった2人の取るに足らぬ女性であったが、
ロシアの皇室に災いしたことはいかに大きかったか。
この姉妹の醜劣な言行を書き立てるならば、どんな大冊な書物になるかしれない。

機会をつかむ事に寸時も注意を怠らなかった姉妹は、
遠く他国に嫁したばかりで周囲の人々に親しみを持たぬ
アレクサンドラ皇后の侍女達を押しのけて皇后の左右に近侍した。
それ以来彼女達は皇后の側を去る事のない親友となり、次第に宮中で勢力を得るようになった。
彼女達の欲望はまず金銭の方向に表れてきたので、彼女達と私の間に小衝突が起こった。
まだロイヒテンベルク公妃であった時にスタナは、
ロイヒテンベルク公家の歳費を15万ルーブル増額する事を皇后を通じて皇帝に請願した。
私はもちろんこれに承諾を与えなかったが、
勅令によって宮内省から15万ルーブル支出する事になって結末がついた。
またミリツァは、夫ピョートル・ニコラエヴィチ大公が
投機に手を出して大穴をあけたというので、
私に中央銀行から貸し出しを取り計うように依頼してきた。私はそれを拒絶したが、
するとこれも勅令で宮内省から御料地の収入を割いて援助する事になった。


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●ニコライ・ニコラエヴィチ大公
1856-1929 73歳没
バツイチのモンテネグロ王女アナスタシア・ニコラエヴナと結婚
1868-1935 67歳没

*陸軍軍人。

*一本気で信心深かったため、妻のオカルト好きに引きずられて行く。

*アナスタシアは21歳で結婚して子供2人、38歳で離婚して再婚、67歳没。

*アナスタシアの前夫は、ニコライのいとこロイヒテンベルク公ゲオルギー。
離婚して半年でニコライと再婚する。


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アナスタシア&前夫
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●ピョートル・ニコラエヴィチ大公●子供3人
1864-1931 67歳没
モンテネグロ王女ミリツァ・ニコラエヴナと結婚
1866-1951 85歳没

*ピョートルは病弱で気が弱かったため、妻のオカルト好きに引きずられていく。

*物静かで、芸術を愛した。

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# by xMUGIx | 2011-02-14 00:00 | その他

ロシア皇帝アレクサンドル3世のイトコ その3

◆父 コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公←皇帝ニコライ1世の子
1827-1892 65歳没




■母 アレクサンドラ・イオシフォヴナ←ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ
1830-1911 81歳没

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●ニコライ 
未婚・皇位継承権剥奪
●オリガ
ギリシア国王ゲオルギオス1世と結婚
●ヴェラ
ヴュルテンベルク公オイゲンと結婚
●コンスタンチン
ザクセン=アルテンブルク公女エリザヴェータ・マヴリキエヴナと結婚
●ドミトリー 
未婚・ロシア革命で処刑




●ニコライ・コンスタンチノヴィチ大公●庶子アリ 未婚・皇位継承権剥奪
1850-1918 68歳没

*プレイボーイ。数々の浮名を流すが、
アメリカ人高級娼婦ファニー・リアーと愛人関係となり実母の宝石を盗み、
24歳で皇位継承権を剥奪されファニーは国外追放される。

*と言っても皇室からの生活費でその後も贅沢に自由気ままな生活を送り、
アレクサンドラ・アパザに庶子2人、ダーリヤ・チャソヴィティナに庶子3人、
ナジェジダ・ドレイエルに庶子2人を生ませている。

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ファニー・リアー
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ニコライとナジェジダ
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左から ニコライ ナジェジダ 弟コンスタンチン
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●オリガ・コンスタンチノヴナ大公女●子供7人
1851-1926 75歳没
ギリシア国王ゲオルギオス1世と結婚
1845-1913 68歳没

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左 ゲルギオス   右 オリガ   床 オリガの妹ヴェラ
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●ヴェラ・コンスタンチノヴナ大公女●子供2人
1854-1912 58歳没
ヴュルテンベルク公オイゲンと結婚
1846-1877 31歳没

*夫28歳&妻20歳で結婚、夫31歳&妻23歳で夫死別、58歳で妻没。

*幼い頃から感情が制御できず、暴力的な奇行が多かった。
成長するとともに克服し、知的でウィットに富んだ人物に育つ。
後年、舞踏病のせいであったと言われている。

*子供のなかった伯母夫妻(オリガ・ニコラエヴナ大公女&ヴュルテンベルク王カール1世)
に預けられドイツで育つ。

*夫婦仲は良かったがオイゲンが決闘で死亡、3年間の結婚生活だった。

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●コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公●子供8人
1858-1915 57歳没
ザクセン=アルテンブルク公女エリザヴェータ・マヴリキエヴナと結婚
1865-1927 62歳没

*教養が高く、K.Rのペンネームで詩・戯曲・演劇・作曲などを残した。

*良き夫・良き父親で、夫婦仲・親子仲も良好であったが、
コンスタンチンは同性愛者であったため、
部下との情事、男娼宿通いなど、二重生活を送ることになる。
死後90年間は公開を禁じた日記にその苦悩が赤裸々に綴られている。

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●ドミトリー・コンスタンチノヴィチ大公 未婚・ロシア革命で処刑
1860-1919 59歳没

*海軍から陸軍に移るが、軍人として優秀で部下の信頼も厚かった。

*穏やかな性格で音楽好き、特にピアノが得意だった。

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# by xMUGIx | 2011-02-13 00:00 | その他


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