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2017年 更新中
by xMUGIx
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ロシア皇帝ニコライ2世のイトコ その4

◆父 パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公←皇帝アレクサンドル2世の子
1860-1919 59歳没

*貴賤再婚をして国外追放となる。後に赦されて帰国、ロシア革命で処刑。

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■前妻 アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ 死別←ギリシャ王女アレクサンドラ
1870-1891 21歳没
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■後母 オリガ・カルノヴナと不倫ののち貴賤再婚
1865-1929 64歳没

*19歳でスウェーデン貴族エリック・フォン・ピストルコルスと結婚して子供3人、
28歳でパーヴェルと不倫して前夫と離婚、37歳でパーヴェルと再婚して子供3人、
54歳で死別、64歳没。

●前夫の息子 アレクサンドル
●前夫の娘  オリガ
●前夫の娘  マリアンナ

*アレクサンドル・ピストリコルスは
皇后の親友アンナ・ヴィルボワの妹アレクサンドラ・タネーエワと結婚、
夫妻でラスプーチンの熱狂的信者となったため母オリガらとと険悪な関係となる。

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●前妻の子マリア
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚、アレック・プチャーチン公と再婚離婚
●前妻の子ドミトリー
アメリカ人富豪令嬢オードリー・エメリーと結婚・離婚
●後妻の子ウラジーミル 
未婚・ロシア革命で処刑
●後妻の子イリナ
フョードル・アレクサンドロヴィチ公と結婚離婚、ユベール・モンブリソンと再婚
●後妻の子ナタリア フランスでモデル・女優ナタリー・パレとなる


後列左から 後妻オリガ 前夫の子アレクサンドル 前夫の子オリガ パーヴェル 
後夫の子ウラジーミル 前夫の子マリアンナ
前列左から 後夫の子イリナ 後夫の子ナタリア   
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パーヴェル&前妻アレクサンドラの娘 マリア・パヴロヴナ大公女
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚
  
私は母の顔を知らない。
私が1歳半の時に弟をドミトリーを出産し、そのままこの世を去った。
私は6歳になるまで一言もロシア語を話せなかった。
直に接する召使達を含め、家族の間では英語が日常語だったからである。

私とドミトリーは父の机上の黄金の写真立てに、
見慣れない一枚の写真が飾ってあるのに気づいた。
それは巻き毛がふさふさとして愛くるしい4,5歳の男の子で、
くるぶしまで届く長い服を着ていた。
誰なのか尋ねると、父は即答を避けて話をそらせた。

ある午後のお茶の時間、私達はいつも通りノックをしないまま父の書斎の扉を押した。
肘掛椅子に腰かけた父の前に、こちらに背を向けて一人の婦人が立っていた。
振り返ったその顔には見覚えがあった。いつだったか湖水でボート遊びに興じていた時、
通り過ぎたこの女性を観て、美しい人がいると思った事があった。
彼女はきれいだった。非常に美人だった。
聡明そうな顔立ちには形のよい目鼻が並んでいた。
年代物のレースのひだ飾りで衿ぐりと袖口が縁取りされた濃紫色のベルベットのドレスが、
抜けるように白い肌を引き立てていた。
ひと目で彼女の立ち姿が胸に焼き付けられた。今でもまざまざと瞼の裏に浮かんでくる。

そのころ父は2,30マイル離れた騎兵連隊の指揮を執っていた。
ある晩、家庭教師が父の筆跡で書かれた一通の封書を手渡した。
父からの信書は、自分とオリガ・ピストルコルスという女性の再婚を告げるものだった。
自分が孤独に思い悩んだ事、この女性こそが自分を幸福にしてくれるだろう事、
そして自分がこの女性をどれだけ真剣に愛しているかを綿々と書き綴っていた。
同じ時刻、ドミトリーも同じ手紙を手にしていた。
数時間二人は唇をわななかせながら、目が赤く腫れるまで泣き続けた。

しばらくすると、父に関する最悪の一報が伝えられた。
皇帝の勅許を得ずに身分の低い者と結婚した父は、
その時点にさかのぼってロシアから国外追放になり、
皇族としてのすべての権利を剥奪され、その公的歳入は全額没収される事になった。
先日のセルゲイ伯父夫妻の外国旅行は、
国外追放になった父と会ってその後の相談をするためのものだった。
父とその女性はイタリアで秘密裡に挙式した直後、
ローマで伯父夫妻と会い皇帝の裁断を伝えられた。
皇帝の勅許によって、私達姉弟はセルゲイ伯父の保護下に置かれる事になった。
我が家だったペテルブルクの宮殿が閉鎖された後、
モスクワのセルゲイ伯父の館に身柄を引き取られる事に決まった。

数年来関心の的だった父の家庭をようやく目のあたりにすることができ、
異母弟、異母妹達2人とも対面できた。
パリのブーローニュの館は簡素な造りだったが、
居心地が良く平安に満ち満ちてまさしく家庭そのものの雰囲気が漂っていた。
恐らく父はペテルブルクに残してきた宏壮なばかりで寒々とした宮殿には
何の未練もなかったろう。父とその妻は幸せの絶頂にいた。
二人で築き上げた家庭で幸せそうに寄り添う父とその妻を眺めているうちに、
継母にかつて抱いていた悪感情のしこりが心から消えていった。
それ以来私と父の妻は友人同士のように名前を呼び合い
トゥ・トワと言い交わすようになったが、この事は父を非常に喜ばせた。

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●マリア・パヴロヴナ大公女●前夫に子供1人
1890-1958 68歳没

*18歳で結婚して子供1人、24歳で離婚、27歳で再婚、33歳で離婚、68歳没。

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マリア・パヴロヴナ大公女

ある日盗み読みした電報の文面には、
スウェーデンの皇太子妃が私の近影を所望しているので
即刻ストックホルムまで数葉まとめて送付されたしとしたためてあった。
私と弟はうろたえて顔を見合わせた。
最初のショックが去ってしまうとこの一身上の重大事に格別心を動かされなかった。
いつの時代でも王子や王女達の結婚はお仕着せで、
誰もがこの事を甘受するように育てられた。

私は伯母から午後のお茶に客人が見えるので、
昼からは予定を立てずに空けておきなさいと命じられた。
扉が開いて姿を現した若々しい王子を冷静に観察した。
王子は優美な容貌の持ち主で、
気品高く美しい灰色の瞳が濃いまつ毛の間からのぞいていた。
肩幅は幾分狭かったが極めて長身で、それを気にしてかやや猫背だった。

翌朝、私は伯母の待つ客間に召し出された。
「私がこれから話す事をよくお聞きなさいね。
とても大切な事ですから、答える前に充分考えてね。
ヴィルヘルム王子はあなたと近づきになられるために当地にお越しなのです。
あなたをお気に召されて、
あなたが結婚を承諾なさるかどうか気にかけていらっしゃいます。
即答しなくてもいいから充分考えなさい」
「伯母様、あの方はお着きになったばかりだし…。
お近づきになるまでには至ってませんわ。お答えするなんてどうしてできましょう…」

朝方近く、首の痛みで目が覚めた。熱が上がるのにつれて具合は一段と悪化した。
医師が、病気は瘰癧(るいれき)だが、
解熱しない場合には手術が必要になると診断した。
この滑稽かつ頭を悩ませる事の成り行きに、伯母は気を動転させていた。
伯母は私の容体を気遣って王子が座り続けている応接間と、
私の病室とを忙しく行ったり来たりしていた。
夕方から熱が下がり始め、朝が明けると手術の話は立ち消えになった。

伯母は王子の事が気が気でないらしく、
待ちくたびれてしまわないかと戦々恐々としていた。
ついに私の病室に入ってくると、こう宣言した。
「あの若い方をこれ以上お待たせするわけにはまいりません。
王子はすぐにもスウェーデンに帰国される予定です。
何とか御返事をせねばなりますまい。王子に何と申し上げましょう」
「ひとつだけ条件を認めて下さればお受けします。
私は若すぎますもの。18歳になるまでは結婚したくありません」
「王子にはあなたに直接結婚の申し込みをなされてよい旨を、
明朝にでもお伝えしておきます」
あくる日の午後、私は着替えをさせられ私専用の客間に連れて行かれた。
御婦人達はあたふたと午後のお茶を飲み終えると、私と王子を二人だけにして退散した。
王子は私の病後の経過について幾つかの質問をし終えると、
いきなり私の手を取って自分が好きかと尋ねた。
「はい」
「スウェーデンにいらっしゃいますか? 私と一緒に」
もう一度「はい」と答えた。
王子は私の手を唇に持っていくと、そっと接吻した。
「あなたはお疲れです。おいとましますので御休息ください」と声をかけ、
背を屈めて私の額にくちづけしてから部屋を出て行った。
これで私達の縁談は成立したことになった。
伯母達が戻ってくると、私に祝福を浴びせた。

私はスウェーデン国王と一緒にいるといつも安心できた。
私は舅が出向く鹿狩り旅行に同行する唯一の女性の常連だった。
大の親友同士だったうえ甘やかされていたのをいい事に、
舅には幾度となく悪戯を仕掛けた。
新聞はこれを大げさに誇張して書き立てたが、舅はいつも鷹揚に受け止めてくれた。
舅は私には常に寛大で親切で、私も舅には真の友情を感じていた。
あれからさまざまな出来事のあった今でも、その気持ちに変わりはない。

結婚契約に基き、私達夫婦の家計は全額私の方で賄う事になっていたので、
これ以上自分の資産に手をつけたくなかった。
しかし家令が説明する財政状態ではそうも言っておられず、またもや出費が重なった。
結婚に際しての財産上の取り決めは、
伯母とロシア宮廷が最初から不利に事を運んでしまっていた。
私とスウェーデン王子との結婚契約書は、
ロシア・スウェーデン両国の公使が起案し署名した上で
両国の国璽をもって捺印されたもので、私個人ではどうする術もなかった。

夫はライプチッヒ戦争百年記念行事に国王の代理として出席する予定だった。
私は王室の人達と友人達に出発の挨拶をすると、
5年あまりの間私の生活の基盤であった周囲の見納めをする事にした。
息子を残していくのは気がかりだったが、
すぐにでも手元に引き取れるものと楽観していた。
息子との再会が長年実現しないなどとは、その時は夢にも思わなかった。
10月中旬、私達はスウェーデンを後にした。
心に秘めた意向は誰にも打ち明けない方が無難だと判断した。
夫にもスウェーデン国外に出てから初めて告げた。
ベルリンの駅に弟が立っているのを見出した時は、ほっと胸をなでおろした。
私達は長時間かけて話し合い、夜になると3人で晩餐会に出席した。
あくる日私はパリに向けて発った。
父と継母は温かく迎えてくれた内にも一抹の不安を隠さなかった。
彼らはこの一件に付随する複雑な局面を、私よりはるかに見通していた。
結婚の解消はスウェーデンではその年の12月に入る直前、
ロシアではその数ヶ月後に公表された。
今日顧みるとあれほどの重大事件が
あれだけ迅速に簡単に万端ぬかりなく処理され得たのは、実に不思議なくらいである。

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■前夫 スウェーデン王子ヴィルヘルム 離婚
1884-1965 81歳没

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■後夫 ミハイル・セルゲイヴィッチ・プチャーチン公の子アレック・プチャーチン 離婚
1893-1968 75歳没

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●ドミトリー・パヴロヴィチ大公●子供1人 
1891-1941 50歳没
アメリカ人富豪令嬢オードリー・エメリーと結婚・離婚
1904-1971 67歳没

*ドミトリーはラスプーチン暗殺グループの一人。
皇帝ニコライ2世夫妻は激怒してドミトリーを国外追放する。
国外にいたおかげでロシア革命による処刑を免れる。

*バイセクシャルのプレイボーイ。ココ・シャネルとも浮名を流した。

*オードリーは離婚後、グルジア貴族ドミトリー・ジョルジャーゼと再婚・離婚。


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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後パリにいた頃、
ブーローニュの森の果てにあるシャトー・ド・マドリードの夕食会に招待された。
そこには思いがけずドミトリー・パヴロヴィチ大公が友人達と一緒にいらしており、
うれしい再会になった。
1916年末、彼がラスプーチン暗殺に加わったとしてペテロブルクを追放されてから、
私達は一度も会っていなかった。
革命の直前にロシアから追放されたおかげで、生き延びる事ができたのだった。
周りの人がまったく目に入らない様子で、
彼はうれし涙を流しながら私の腕に飛び込み、キスを浴びせられた。
その後、私達がパリを離れるまで毎日お会いした。

数年後の1926年ドミトリー大公はピアリッツでオードリー・エメリーと結婚された。
彼女は美しいアメリカ人で、すぐに皆をとりこにした。
二人は結婚後カンヌにヴィラを借り、
私達がパリに移った時にはルール城に住んでいらした。

1942年03月ドミトリー大公がダヴォスで亡くなられた。
ドミトリー大公はサナトリウムに入っておられたがまだ50歳を超えられたばかりで、
私達はその早すぎる死を悼んだ。
最初のうち人生は彼に微笑みかけているようだった。
美しく裕福で好ましい女性と結婚され、息子も生まれた。
その後彼は全部を失った。離婚して健康を害し、
彼を愛する人々と離れてダヴォスで最後の孤独な日々を過ごされた。
わずかな弔問客が村の小さな共同墓地へ向かう霊柩車の後に従った。

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オードリーと息子家族
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ドミトリーと別の女性
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ドミトリーとナターリア(イトコのミハイル・アレクサンドロヴィチ大公の妻・バツ2)
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同じくドミトリーとナターリア(ちょ、人妻にしては距離が近すぎないか?)
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ドミトリーとココ・シャネル
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同じくドミトリーとココ・シャネル
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●ウラジーミル・パヴロヴィチ・パーリィ公爵令息 未婚・ロシア革命で処刑
1897-1918 21歳没

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ウラジーミルの異母姉 マリア・パヴロヴナ

ウラジーミルは非凡な人間だった。
読書量と卓抜した記憶力は周囲を驚かせるのに充分だった。
彼が他の子供達と異質であるのを見抜いた両親は型にはめた教育をしなかった。
子供の頃から立派なできばえの詩を作り、見事な戯曲を創作し、
ピアノを自由自在に弾きこなし、絵もよくした。

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●イリナ・パヴロヴナ・パーリィ公爵令嬢●前夫に子供1人・夫に子供1人
1903-1990 87歳没

*20歳で結婚して子供1人、ユベール・ド・モンブランゾン伯爵と不倫関係となり、
31歳でモンブランゾンの子供1人生む、33歳で離婚、
47歳でモンブランゾンと再婚、87歳没。

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■前夫 フョードル・アレクサンドロヴィチ大公 イトコ結婚・離婚
1898-1968 70歳没

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■後夫 ユベール・ド・モンブランゾン伯爵
1892-1981 89歳没

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●ナタリア・パヴロヴナ・パーリィ公爵令嬢●実子ナシ 
1905-1981 76歳没

*22歳で結婚、31歳で離婚、32歳で再婚、56歳で死別、76歳没。

*フランスでモデル・女優ナタリー・パレとなる

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■前夫 ファッションデザイナー リュシアン・ルロン 離婚
1889-1959 70歳没

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■後夫 プロデューサー ジョン・チャップマン・ウィルソン 死別
1899-1961 62歳没

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姉妹の異母姉 マリア・パヴロヴナ大公女

姉妹は外見上も気質の上でも似通ったところがまったくなかった。
姉のイレーヌは痩せぎすの物思いに耽るタイプで、他人に強い印象を与えた。
目鼻立ちは父親似で平凡だった。

妹のナターシャはころころしており、そり気味の鼻、桜色の頬、美しい金髪の巻毛を持つ、
陽気で激しい性格の少女だった。

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by xMUGIx | 2011-02-24 00:00 | 御貴族様

ロシア皇帝ニコライ2世のイトコ その3

◆父 アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公←皇帝アレクサンドル2世の子
1850-1908 58歳没
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■母 アレクサンドラ・ズコーヴスカヤ 貴賤結婚・離婚  
1842-1899 57歳没
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●アレクセイ
トルベツコイ公女マリアと結婚離婚、ナターリヤ・フォン・シェッピンクと再婚




●アレクセイ・アレクセーエヴィチ・ベリョーフスキイ伯爵●前妻に子供4人
1871-1931 60歳没

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■前妻 トルベツコイ公女マリア 離婚
1872-1954 82歳没

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■後妻 ナターリヤ・フォン・シェッピンク
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by xMUGIx | 2011-02-23 00:00 | 御貴族様

ロシア皇帝ニコライ2世のイトコ その2

◆父 ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公←皇帝アレクサンドル2世の子
1847-1909 62歳没




■母 マリア・パヴロヴナ
←メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリー・アレクサンドリーネ
1854-1920 66歳没

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●キリル
バツイチのエディンバラ公爵令嬢ヴィクトリア・メリタと結婚
●ボリス
バツイチのジナイーダ・ラシェフスカヤと結婚
●アンドレイ
皇帝ニコライ2世の元愛人のバレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと結婚
●エレナ 
ギリシア王子ニコラオスと結婚


座る キリル
立つ左から ボリス アンドレイ エレナ 
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立つ左から キリル キリルの妻ヴィクトリア エレナの夫ニコラオス エレナ
座る左かた ボリス 母マリア アンドレイ
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●キリル・ウラジーミロヴィチ大公●子供3人
1876-1938 62歳没
バツイチのエディンバラ公爵令嬢ヴィクトリア・メリタと結婚
→ヴィクトリア・フョードロヴナ
1876-1936 60歳没

*海軍軍人。

*ヴィクトリア・メリタは、
18歳で父方のいとこヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒと結婚して子供1人、
25歳で離婚、
29歳で母方いとこキリルと再婚して子供3人、60歳没。

*キリルとロシア皇帝ニコライ2世はイトコ、
ヴィクトリア・メリタとニコライ2世の妻アレクサンドラはイトコ、
そしてヴィクトリア・メリタはかつて皇后アレクサンドラの兄エルンスト・ルートヴィヒと
結婚離婚しているという関係から、
この再婚によってヴィクトリア・メリタと皇后アレクサンドラの仲は険悪になった。

*ロシア革命により亡命、亡命ロシア人から担ぎ上げられて
キリルはロシア皇帝として返り咲くことを夢見るようになり、
その実現のためにヴィクトリアはナチスに接近。

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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

1935年貴賤結婚の問題を制度化するために、キリル大公は貴賤結婚による妻と子は
自ら選んだ苗字の前に『ロマノフスキー』という苗字を付けてもよいと決められた。
しかし貴賤結婚の該当者はほとんどこの勅令に従わず『ロマノフ』の名を使い続けた。

1936年ヴィクトリア・フョードロヴナ大公妃がドイツで亡くなられた。
娘のライニンゲン侯爵夫人マリヤ・キリロヴナの元を訪問されている最中だった。
キリル大公は大公妃が亡くなられた後はひどく落ち込まれ気力が弱ってしまわれたが、
1938年05月ポツダムで行われた娘のキーラ大公女の結婚式には出席された。
しかし09月突然体調が悪化し、10月に亡くなられた。

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●ボリス・ヴラディーミロヴィチ大公●庶子アリ
1877-1943 66歳没
バツイチのジナイーダ・ラシェフスカヤと貴賤結婚
1898-1963 65歳没

*プレイボーイ。

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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後コート・ダジュールにいた頃、
ボリス・ヴラディーミロヴィチ大公とジナイーダにもお会いした。
二人はロシアを出た後ジェノヴァで結婚し、一時的にニースに住んでおられた。

1943年11月ボリス大公が亡くなられた。
夫人のジナイーダが危篤だと知らせてきたため、急いで出かけたのだがもう遅かった。
ボリス大公はいつもいきいきとして快活で、高潔で素敵な男性だった。
たくさんの人が彼の死に涙を流した。

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●アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公●子供1人
1879-1956 77歳没
バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと貴賤結婚
1872-1971 99歳没

*マチルダは18歳で独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人となり、
22歳でニコライが結婚したためイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人になり、
28歳でセルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の愛人ともなり三角関係に、
30歳で子供1人を生み、両名とも自分が父親であると主張したがアンドレイが認知、
両名からプロポーズされていたが49歳でアンドレイを選んで結婚、
ロシア革命で亡命後はフランスでバレエの指導者となり、99歳没。

*子供の父親としてアンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の父親
ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公の名前も囁かれた。
しかし、いずれにしても【ロマノフの子】には変わりないという事に落ち着いた。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公は1902年頃からグレだし、
高貴の身分としてはいかがわしい行いを始めた。

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●エレナ・ウラジーミロヴナ大公女●子供3人
1882-1957 75歳没 
ギリシア王子ニコラオスと結婚
1872-1938 66歳没

*エレナは幼い頃から感情の制御ができず、一度婚約破棄されたほど難しい性格だった。
ニコラオスとの結婚も危ぶまれたが、なぜか夫婦仲は良好であった。
ただし、ギリシャ宮廷は迷惑をこうむった。

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by xMUGIx | 2011-02-22 00:00 | 御貴族様

ロシア皇帝ニコライ2世のイトコ その1

◆前妻の子 皇太子ニコライ 
未婚・早逝








◆前妻の子 皇帝アレクサンドル3世


■妻 デンマーク王女マリア・フョードロヴナ


ニコライ2世 
次代皇帝

●ゲオルギー・アレクサンドロヴィチ大公
未婚・病死

●クセニア・アレクサンドロヴナ大公女
ロシア大公アレクサンドル・ミハイロヴィチと結婚

●ミハイル・アレクサンドロヴィチ大公
バツ2のナターリヤ・セルゲーヴナ・ヴリフェルトと貴賤結婚・ロシア革命で処刑

●オリガ・アレクサンドロヴナ大公女
アレクサンドル・ペトロヴィチ・オリデンブルクスキー公爵と結婚離婚、
軍人ニコライ・クリコフスキーと貴賤再婚








◆前妻の子 ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公


■妻 メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリア・パヴロヴナ

●キリル・ウラジーミロヴィチ大公
バツイチのエディンバラ公爵令嬢ヴィクトリア・メリタと結婚

●ボリス・ウラジーミロヴィチ大公
バツイチのジナイーダ・ラシェフスカヤと結婚

●アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公
バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと結婚

●エレナ・ウラジーミロヴナ大公女
ギリシア王子ニコラオスと結婚








◆前妻の子 アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公


■妻 平民アレクサンドラ・ズコーヴスカヤ 貴賤結婚・離婚  


●アレクセイ・アレクセーエヴィチ・ベリョーフスキイ伯爵
トルベツコイ公女マリアと結婚離婚、ナターリヤ・フォン・シェッピンクと再婚








◆前妻の子 マリア・アレクサンドロヴナ 大公女


■夫 イギリス王子/ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレート


●アルフレッド 
未婚・自殺

●マリー
ルーマニア国王フェルディナンド1世と結婚

●ヴィクトリア・メリタ→ヴィクトリア・フョードロヴナ
ヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒの前妻離婚、
ロシア大公キリル・ウラジーミロヴィチと再婚

●アレグザンドラ
ホーエンローエ=ランゲンブルク侯エルンスト2世と結婚

●ベアトリス
スペイン王族ガリエラ公アルフォンソと結婚








◆前妻の子 セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公


■妻 ヘッセン大公女エリザヴェータ・フョードロヴナ
妹アレクサンドラはニコライ二世皇后


●実子ナシ








◆前妻の子 パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公




■前妻 ギリシャ王女アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ 死別


●マリア・パヴロヴナ大公女
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚、アレック・プチャーチン公と再婚離婚

●ドミトリー・パヴロヴィチ大公
アメリカ人富豪令嬢オードリー・エメリーと結婚・離婚 ラスプーチン暗殺者の一人




■後妻 バツイチのオリガ・カルノヴナと貴賤再婚


●ウラジーミル・パヴロヴィチ・パーリィ公爵令息
未婚・ロシア革命で処刑

●イリナ・パヴロヴナ・パーリィ公爵令嬢
フョードル・アレクサンドロヴィチ公と結婚離婚、ユベール・ド・モンブランゾン伯爵と再婚

●ナタリヤ・パヴロヴナ・パーリィ公爵令嬢
フランスでモデル・女優ナタリー・パレとなる
ファッションデザイナーのリュシアン・ルロンと結婚離婚、
プロデューサーのジョン・チャップマン・ウィルソンと再婚死別








◆後妻の子 ゲオルギイ・アレクサンドロヴィチ・ユーリエフスキイ公爵


■妻 ザルケナウ伯爵令嬢アレクサンドラ 離婚


●アレクサンドル








◆後妻の子 オリガ・アレクサンドロヴナ・ユーリエフスカヤ公爵令嬢


■夫 ゲオルク・ニコラウス・フォン・メレンベルク伯爵の前妻・本人死別


●アレクサンダー
●ゲオルグ
●オルガ




◆後妻の子 エカテリーナ・アレクサンドロヴナ・ユーリエフスカヤ公爵令嬢 


■前夫 アレクサンドル・バリャティンスキー公爵 死別


●アンドレイ
●アレクサンドル


■後夫 セルゲイ・オボレンスキー公爵 離婚


●実子ナシ
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by xMUGIx | 2011-02-21 00:00 | 御貴族様

ロシア皇帝アレクサンドル3世のイトコ その5

◆父 ミハイル・ニコラエヴィチ大公←皇帝ニコライ1世の子
1832-1909 77歳没




■母 オリガ・フョードロヴナ←バーデン大公女ツェツィーリエ
1839-1891 52歳没
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●ニコライ 
未婚・ロシア革命で処刑
●アナスタシア
メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世と結婚
●ミハイル
メーレンベルク伯爵令嬢ゾフィーと貴賤結婚
●ゲオルギー 
ロシア革命で処刑・ギリシャ王女マリア・ゲオルギエヴナの前夫・本人死別
●アレクサンドル
皇帝アレクサンドル3世の娘クセニアと結婚
●セルゲイ 
未婚・ロシア革命で処刑


立つ ミハイルの妻ゾフィー
座る左から アレクサンドル ミハイル セルゲイ
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左から ニコライ ミハイル ゲオルギー セルゲイ
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●ニコライ・ミハイロヴィチ大公●庶子アリ 未婚・ロシア革命で処刑
1859-1919 60歳没

*軍務を嫌い学問を好み、自由主義者・平和主義者であった。

*昆虫学・植物学・歴史学を得意とした。

*ギャンブル好き。

*生涯独身だったが、複数の庶子アリ。

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フェリックス・ユスポフ公爵 ラスプーチン暗殺者の一人

ニコライ・ミハイロヴィチ大公は大変矛盾する性格の持ち主だった。
博識で知的で独立不羈の歴史家だったが、
一方で身内に対して嘲弄的な口を弄する人だった。
口軽で打ち明け話が大好きで、しばしば慎み深さを欠く事があった。
またラスプーチンが大嫌いで、彼がロシアの害毒となっている事を理解していた。
ニコライ大公の政治的立場は極端な自由主義だった。
平気で政府を批判して、首都から追放されて自分の領地に蟄居させられた事もあった。

〔ラスプーチン暗殺の翌日〕
ニコライ大公は入ってくるなり私に言った。
「さあ、何をやったか話してくれ」
「あなたまで流言を信じているのですか。私はあの事件にはまったく関係ありません」
「他の連中にはそれでいいが、私にそんな事を言っても無駄だ。
私はすべて知っているぞ」

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●アナスタシア・ミハイロヴナ大公女●子供3人
1860-1922 62歳没
メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世と結婚
1851-1897 46歳没

*アナスタシアは、7人兄妹の中で唯一の女子ということで甘やかされて育つ。
病弱な夫を疎んじて一年の大半をイタリアやフランスで過ごした。
社交とギャンブルに明け暮れる妻を夫は愛し続けたが、別荘で転落死。
国民はアナスタシアが殺害したと疑ったという。
事故死か自殺かは現在も不明。

*夫の死後、秘書のウラディミール・パルトロフの庶子を生む。


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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後コート・ダジュールにいた頃、我が家からさほど遠くないヴィラに
住んでおられたアナスタシア大公女は誰よりも素敵な女性だった。
どこまでも礼儀正しく親切で純真な心を持ち、人生を愛し人生の楽しみ方を知っておられた。
ロシア革命前に息子がカンヌで病気になった時はたびたびお見舞いにいらして、
息子を御自宅のヴィラにも招待して下さった。おいしいお茶と軽食をふるまわれ、
彼はお菓子のひとかけらも残さなかったと笑いながら語っておられた。
今や息子も18歳で、アナスタシア大公女は彼に踊りを習わせたがっていらした。

アナスタシア大公女は1922年03月にコート・ダジュールで突然亡くなられた。
その2日前にいつも通り陽気で快活な彼女にお会いしたばかりだった。
大公所の忠実な長年の侍女がすぐに来てくれと言うので出向いた所、
大公女はすでに意識を失っておられた。最期の時が来た。
最後の2年間、彼女はまさに私達の人生を喜びと優しさで満たして下さった。
2時間後、大公女の姪クセニヤ・ゲオルギエヴナ大公女がカンヌからいらした。
翌日、大公女の弟アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公もパリから到着された。

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●ミハイル・ミハイロヴィチ大公●子供3人
1861-1929 68歳没
メーレンベルク伯爵令嬢ゾフィーと貴賤結婚
1868-1927 59歳没

*プレイボーイ。社交とギャンブルに明け暮れる。
皇帝アレクサンドル3世から「馬鹿者」と呼ばれていた。

*貴賤結婚により国外追放となり、そのショックで母親は死亡した。

*ドイツ・フランス・イギリスなどで暮らしていたため、ロシア革命による処刑を逃れた。

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●ゲオルギー・ミハイロヴィチ大公●子供2人 ロシア革命で処刑
1863-1919 56歳没
ギリシャ王女マリア・ゲオルギエヴナの前夫・本人死別
1876-1940 64歳没

*ゲオルギーは物静かで優しい性格。

*マリアは24歳で結婚して子供2人、43歳で死別、46歳で再婚、64歳没。

*ゲオルギーは妻子を愛したが、
マリアは平民の恋人と引き裂かれての結婚だったので夫を愛せなかった。
そのため一年の大半を海外で過ごすようになる。
おかげで夫は処刑されたが、マリアはロシア革命を免れる。

*ゲオルギーの死後、
マリアはギリシャ人軍人ペリクレス・イオアニデスと夫41歳&妻46歳で再婚。

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●アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公●子供7人
1866-1933 67歳没
皇帝アレクサンドル3世の娘クセニアと結婚
1875-1960 85歳没

*海軍軍人。

*幼馴染の二人は新婚時代から夫婦円満であったが、
末っ子が生まれる頃には夫婦仲は冷え切り、互いに愛人を持つようになる。

*ロシア革命により亡命した後は妻はイギリスで夫はフランスで暮らし、
各自その地で亡くなる。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

皇帝ニコライ2世に不断の影響を与えたのは大公達であった。
一部の大公達は始終皇帝の上に忌まわしい勢力をふるった。
ことに皇帝の義兄弟であるアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公がその最たる者であった。
この大公さえいなかったら、
恐らく我々があの極東で受けた一切の不幸を知らずに済んだであろうと思う。

父親ミハイル・ニコラエヴィチ大公は国民の親愛を得ていた温厚な人であったが、
母親オリガ大公妃は国民に極めて不人気だった。
彼女は艶麗で小才があり小策を弄することを好む陰謀家であった。
アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公は母親に似た子であった。
容貌が端麗で他人の顔色を読むことが上手で
小利口で無教育でうぬぼれが強くしかも陰険であった。
アレクサンドル大公は皇帝ニコライ2世の妹クセニア大公女と結婚、
彼女は皇帝ともっとも仲の良い愛妹であったため、
皇帝はすぐにアレクサンドル大公を特に親愛するようになった。

皇帝アレクサンドル3世は、
叔父アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公を非常に敬愛されていた。
しかし大公の子供達に対しては、あまり良い感情は持っていなかった。
皇帝の目には
自分の皇女の夫としてはアレクサンドル大公はふさわしくない者に映ったのであろう。
ある時皇帝はアレクサンドル大公と一緒にフィンランド沿岸を遊航した事があった。
巡遊中何かの原因で皇帝の使用していた風呂が壊れた。
そこでアレクサンドル大公は自分の持っていたペルシャゴム製の風呂を皇帝に提供した。
皇帝はよほど気に入ったものとみえ、非常にこれを称賛された。
そこでアレクサンドル大公はこう言った。
「皇帝陛下は、とうとう僕にも一つぐらい良いものあると発見したよ」
事実これは皇帝がアレクサンドル大公に対して初めて与えた称賛の言葉であった。
皇帝はアレクサンドル大公の事といえば何でもかんでも片っ端から批評し、
気に入った事は一つも無かったのであった。

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●セルゲイ・ミハイロヴィチ大公●庶子アリ 未婚・ロシア革命で処刑
1869-1918 49歳没

★愛人バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤ
1872-1971 99歳没

*マチルダは18歳で独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人となり、
22歳でニコライが結婚したためイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人になり、
28歳でセルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の愛人ともなり三角関係に、
30歳で子供1人を生み、両名とも自分が父親であると主張したがアンドレイが認知、
両名からプロポーズされていたが49歳でアンドレイを選んで結婚、
ロシア革命で亡命後はフランスでバレエの指導者となり、99歳没。

*セルゲイは陸軍軍人、数学・物理学を得意とした。

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by xMUGIx | 2011-02-15 00:00 | 御貴族様

ロシア皇帝アレクサンドル3世のイトコ その4

◆父 ニコライ・ニコラエヴィチ大公←皇帝ニコライ1世の子
1831-1891 60歳没

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■母 アレクサンドラ・ペトロヴナ 別居←オルデンブルク公女アレクサンドリーネ
1838-1900 62歳没

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●ニコライ
バツイチのモンテネグロ王女アナスタシア・ニコラエヴナと結婚
●ピョートル
モンテネグロ王女ミリツァ・ニコラエヴナと結婚


*ミリツァが姉、アナスタシアが妹。
この二組の夫婦は<黒い家族>というあだ名が付くほどオカルトや神秘主義に傾倒し、
アレクサンドラ皇后にラスプーチンを紹介する。
ロシア革命後は全員ちゃっかりと亡命に成功して、処刑もされず天寿をまっとうした。


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ラスプーチンの信者 作家ヴェーラ・ジュコフスカヤ

ミリツァの顔は古い肖像画の顔のように生気がなく、
大きな長く黒い目は疲れ、誇り高い表情を浮かべていた。
彼女はなぜか不自然なほど青白かった。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

祈祷師フィリップとパリで知り合い彼の奇怪な言行に眩惑されて
ロシアへ土産話としたのが、ミリツァとスタナであった。
彼をもっとも深く信仰したのはニコライ・ニコラエヴィチ大公である。
この人は非常な迷信家で、常人をして精神状態を疑わしめるほどであった。
私はニコライ大公を有為の材だとは思わない。しかし真面目で別に悪意のある人ではない。
皇帝ニコライ2世にに対しては盲目的に従順であるし、
軍事については相当の才能のあった人だと考える。
それ以来フィリップは時々ロシアへやってきて数ヶ月間秘かに宮中に滞在して、
両陛下にいろいろと神秘的治療を行ったりしていた。
このモンテネグロの王女達はたった2人の取るに足らぬ女性であったが、
ロシアの皇室に災いしたことはいかに大きかったか。
この姉妹の醜劣な言行を書き立てるならば、どんな大冊な書物になるかしれない。

機会をつかむ事に寸時も注意を怠らなかった姉妹は、
遠く他国に嫁したばかりで周囲の人々に親しみを持たぬ
アレクサンドラ皇后の侍女達を押しのけて皇后の左右に近侍した。
それ以来彼女達は皇后の側を去る事のない親友となり、次第に宮中で勢力を得るようになった。
彼女達の欲望はまず金銭の方向に表れてきたので、彼女達と私の間に小衝突が起こった。
まだロイヒテンベルク公妃であった時にスタナは、
ロイヒテンベルク公家の歳費を15万ルーブル増額する事を皇后を通じて皇帝に請願した。
私はもちろんこれに承諾を与えなかったが、
勅令によって宮内省から15万ルーブル支出する事になって結末がついた。
またミリツァは、夫ピョートル・ニコラエヴィチ大公が
投機に手を出して大穴をあけたというので、
私に中央銀行から貸し出しを取り計うように依頼してきた。私はそれを拒絶したが、
するとこれも勅令で宮内省から御料地の収入を割いて援助する事になった。


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●ニコライ・ニコラエヴィチ大公
1856-1929 73歳没
バツイチのモンテネグロ王女アナスタシア・ニコラエヴナと結婚
1868-1935 67歳没

*陸軍軍人。

*一本気で信心深かったため、妻のオカルト好きに引きずられて行く。

*アナスタシアは21歳で結婚して子供2人、38歳で離婚して再婚、67歳没。

*アナスタシアの前夫は、ニコライのいとこロイヒテンベルク公ゲオルギー。
離婚して半年でニコライと再婚する。


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アナスタシア&前夫
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●ピョートル・ニコラエヴィチ大公●子供3人
1864-1931 67歳没
モンテネグロ王女ミリツァ・ニコラエヴナと結婚
1866-1951 85歳没

*ピョートルは病弱で気が弱かったため、妻のオカルト好きに引きずられていく。

*物静かで、芸術を愛した。

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by xMUGIx | 2011-02-14 00:00 | 御貴族様

ロシア皇帝アレクサンドル3世のイトコ その3

◆父 コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公←皇帝ニコライ1世の子
1827-1892 65歳没




■母 アレクサンドラ・イオシフォヴナ←ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ
1830-1911 81歳没

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●ニコライ 
未婚・皇位継承権剥奪
●オリガ
ギリシア国王ゲオルギオス1世と結婚
●ヴェラ
ヴュルテンベルク公オイゲンと結婚
●コンスタンチン
ザクセン=アルテンブルク公女エリザヴェータ・マヴリキエヴナと結婚
●ドミトリー 
未婚・ロシア革命で処刑




●ニコライ・コンスタンチノヴィチ大公●庶子アリ 未婚・皇位継承権剥奪
1850-1918 68歳没

*プレイボーイ。数々の浮名を流すが、
アメリカ人高級娼婦ファニー・リアーと愛人関係となり実母の宝石を盗み、
24歳で皇位継承権を剥奪されファニーは国外追放される。

*と言っても皇室からの生活費でその後も贅沢に自由気ままな生活を送り、
アレクサンドラ・アパザに庶子2人、ダーリヤ・チャソヴィティナに庶子3人、
ナジェジダ・ドレイエルに庶子2人を生ませている。

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ファニー・リアー
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ニコライとナジェジダ
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左から ニコライ ナジェジダ 弟コンスタンチン
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●オリガ・コンスタンチノヴナ大公女●子供7人
1851-1926 75歳没
ギリシア国王ゲオルギオス1世と結婚
1845-1913 68歳没

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左 ゲルギオス   右 オリガ   床 オリガの妹ヴェラ
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●ヴェラ・コンスタンチノヴナ大公女●子供2人
1854-1912 58歳没
ヴュルテンベルク公オイゲンと結婚
1846-1877 31歳没

*夫28歳&妻20歳で結婚、夫31歳&妻23歳で夫死別、58歳で妻没。

*幼い頃から感情が制御できず、暴力的な奇行が多かった。
成長するとともに克服し、知的でウィットに富んだ人物に育つ。
後年、舞踏病のせいであったと言われている。

*子供のなかった伯母夫妻(オリガ・ニコラエヴナ大公女&ヴュルテンベルク王カール1世)
に預けられドイツで育つ。

*夫婦仲は良かったがオイゲンが決闘で死亡、3年間の結婚生活だった。

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●コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公●子供8人
1858-1915 57歳没
ザクセン=アルテンブルク公女エリザヴェータ・マヴリキエヴナと結婚
1865-1927 62歳没

*教養が高く、K.Rのペンネームで詩・戯曲・演劇・作曲などを残した。

*良き夫・良き父親で、夫婦仲・親子仲も良好であったが、
コンスタンチンは同性愛者であったため、
部下との情事、男娼宿通いなど、二重生活を送ることになる。
死後90年間は公開を禁じた日記にその苦悩が赤裸々に綴られている。

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●ドミトリー・コンスタンチノヴィチ大公 未婚・ロシア革命で処刑
1860-1919 59歳没

*海軍から陸軍に移るが、軍人として優秀で部下の信頼も厚かった。

*穏やかな性格で音楽好き、特にピアノが得意だった。

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by xMUGIx | 2011-02-13 00:00 | 御貴族様

ロシア皇帝アレクサンドル3世のイトコ その2

◆母 マリア・ニコラエヴナ大公女 皇帝ニコライ1世の子
1819-1876 57歳没

*20歳で結婚して子供6人、後夫と不倫、33歳で前夫と死別、
35歳で後夫と再婚して子供1人、57歳没。

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■前父 第3代ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボアルネ←ナポレオン一族 死別
1817-1852 35歳没

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■後父 グレゴリー・ストロガノフ伯爵 貴賤再婚
1824-1878 54歳没

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●前夫の子マリア
バーデン大公子ヴィルヘルムと結婚
●前夫の子ニコライ 第4代ロイヒテンベルク公
バツイチのナデージュダ・アンネンコワと貴賤結婚
●前夫の子エヴゲニヤ
オルデンブルク公アレクサンドルと結婚
●前夫の子エヴゲニー 第5代ロイヒテンベルク公
ダーリヤ・オポチーニナと貴賤結婚・死別、ジナイーダ・スコーベレワと貴賤再婚
●前夫の子セルゲイ 
未婚・戦死
●前夫の子ゲオルギー 第6代ロイヒテンベルク公
オルデンブルク公テレーゼと結婚死別、
モンテネグロ王女アナスタシア・ニコラエヴナと再婚離婚
●後夫の子エレナ
ウラジーミル・シェレメチェフと結婚、グレゴリー・ミラシェヴィチと再婚


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

マリア・ニコラエヴナ大公女が夫と良い関係にあったのは結婚当初だけで、
皇帝アレクサンドル3世や宮中の考えでは、
マリア公女・ニコライ公子・エヴゲニヤ公女だけが本当に夫の血を受け継いだ子供で、
後の公子達は疑惑を差しはさむ余地があると解していた。
ことにゲオルギー公子はストロガノフ伯爵の子であると見られていた。
事実マリア大公女は夫が死ぬとすぐに、
非常に美男子の評判が高かったストロガノフ伯爵に嫁したのは周知の事である。

ロイヒテンベルク公が死んだので第1公子ニコライが相続したのであるが、
ニコライが死ぬと弟のエウゲニーとゲオルギーの二人が相続争いを起した。
エウゲニーはジーナと私的結婚をしていたので、
正式に結婚し正しい公族の血統を伝えるゲオルギーが
ロイヒテンベルク公家を相続するのが至当だったからである。
ところが一方においてニコライは死ぬ前にロイヒテンベルク公家は
自分の子供に相続させてくれという遺言を皇帝アレクサンドル3世に遺して死んだ。
そこで皇帝はこの遺言に同意して、
彼の息子を皇族として認めロイヒテンベルク公家を相続する事を承認した。
エウゲニーはこの決定を不当として請願書を皇帝の手元に差し出した。
皇帝はなぜニコライだけに良い感情を持ち、他の兄弟をよく思わなかったのであろうか。
皇帝はエウゲニーとゲオルギーの家庭生活の状態に良い感情を持っていなかった。
ニコライはナデージュダと非公式の結婚をして同棲していた。
私的結婚をしていたにも係らず皇帝から良く思われていたのは、
彼の家庭生活に非難する点がなかったからであった。

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●マリア●子供2人
1841-1914 73歳没


■夫 バーデン大公子ヴィルヘルム
1829-1897 68歳没

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●ニコライ・マクシミリアーノヴィチ 第4代ロイヒテンベルク公●子供2人
1843-1890 47歳没


■妻 人妻ナデージュダ・アンネンコワと不倫のすえ貴賤結婚
1840-1891 51歳没

*ニコライはヴラディーミル・アキンフォフの妻ナデージュダと不倫、
夫が離婚に応じないまま子供が生まれるが、離婚成立ののち結婚に至る


上から
ニコライ・マクシミリアーノヴィチ 
皇帝の弟 ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公
皇帝 アレクサンドル3世
皇帝の親友 アルベルト・フォン・ザクセン=アルテンブルク
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左から ウラジーミル アルベルト アレクサンドル3世 ニコライ
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左上 ウラジーミル   右上アレクサンドル3世
左下 ニコライ   右下 アルベルト
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●エヴゲニヤ●子供1人
→子ピョートル・オリデンブルクスキーはオリガ・アレクサンドロヴナ大公の前夫・離婚
1845-1925 80歳没


■夫 アレクサンドル・オリデンブルクスキー公爵
1844-1932 88歳没

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●エヴゲーニー・マクシミリアーノヴィチ 第5代ロイヒテンベルク公●前妻に子供1人
1847-1901 54歳没

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

皇帝アレクサンドルは、エウゲニーが軽率浅慮であったのと
後妻の品行が良くなかったので良い感情を持っていなかった。
彼女は自分の夫よりもアレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公と一緒にいる方が多かった。

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■前妻 ダーリヤ・オポチーニナと貴賤結婚・死別
1845-1870 25歳没


■後妻 ジナイーダ・スコベレワと貴賤再婚
1856-1899 43歳没

*社交界の花であったジーナは夫のいとこアレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公と
不倫関係になるが、夫エヴゲニーはこれを黙認した。

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ジナイーダとアレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公
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●セルゲイ・マクシミリアーノヴィチ 未婚・戦死
1849-1877 28歳没

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●ゲオルギイ・マクシミリアーノヴィチ 第6代ロイヒテンベルク公
前妻に子供1人、後妻に子供2人
1852-1912 60歳没

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

皇帝アレクサンドル3世はゲオルギーの家庭生活に良い感情を持っていなかった。
ゲオルギーはモンテネグロの王女と結婚したにも係らず、
恋人のフランス女と同棲を続けていた。
ある日皇帝が「ピアリッツにはロシア人が沢山いるかね?」と尋ねた。
「はい、だいぶおります。ゲオルギー殿下も来ておられました」
すると皇帝は鋭い語調で言った。
「ゲオルギーは、あの不潔な身体を大洋の波で洗ってでもいるのかね?」

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ゲオルギーと娘エレナ
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■前妻 オルデンブルク公テレーゼ 死別
1852-1883 31歳没

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■後妻 モンテネグロ王女アナスタシヤ・ニコラーエヴナ 離婚
1868-1935 67歳没

*ゲオルギーはフランス人愛人を囲ってアナスタシアを顧みず、
アナスタシアは夫のいとこニコライ・ニコラエヴィチ大公と不倫のすえ再婚。

*アナスタシアは、21歳で結婚して子供2人、38歳で離婚して再婚、67歳没。


ゲオルギーと後妻アナスタシア
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●エレナ●前夫に子供2人
1861-1908 47歳没

*18歳で結婚して子供2人、32歳で死別、35歳で再婚。

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■前夫 軍人ウラジーミル・シェレメチェフ
1847-1893 46歳没

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■後夫 軍人グレゴリー・ミラシェヴィチ
1860-1918 58歳没
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by xMUGIx | 2011-02-02 00:00 | 御貴族様

ロシア皇帝アレクサンドル3世のイトコ その1

◆父 皇帝アレクサンドル2世




■前妻 ヘッセン大公女マリア・アレクサンドロヴナ 


●前妻の子 ニコライ 
皇太子・早逝

●前妻の子 アレクサンドル3世 
次代皇帝

●前妻の子 ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公
メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリー・アレクサンドリーネと結婚

●前妻の子 アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公 
平民アレクサンドラ・ズコーヴスカヤと貴賤結婚・離婚  

●前妻の子 マリア・アレクサンドロヴナ大公女
ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレッドと結婚

●前妻の子 セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公
ヘッセン大公女エリーザベトと結婚

●前妻の子 パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公
ギリシャ王女アレクサンドラと結婚死別、バツイチのオリガ・カルノヴナと貴賤再婚




■後妻 ドルゴルーコフ公爵令嬢エカチェリーナ・ドルゴルーコヴァ 貴賤再婚


●後妻の子 ゲオルギイ・アレクサンドロヴィチ・ユーリエフスキイ公爵
ザルケナウ伯爵夫人アレクサンドラと結婚

●後妻の子 オリガ・ミハイロヴナ・ドルゴルーカヤ公爵令嬢 
ゲオルク・ニコラウス・フォン・メレンベルク伯爵の前妻・本人死別

●後妻の子 エカテリーナ・ミハイロヴナ・ドルゴルーカヤ公爵令嬢 
アレクサンドル・バリャティンスキー公爵と結婚死別、
セルゲイ・オボレンスキー公爵と再婚離婚








◆母 マリア・ニコラエヴナ大公女




■前夫 ナポレオン一族のマクシミリアン・ド・ボアルネ 死別


●マリア
バーデン大公子ヴィルヘルムと結婚

●ニコライ
バツイチのナデージュダ・アンネンコワと貴賤結婚

●エヴゲニヤ
オルデンブルク公アレクサンドルと結婚

●エヴゲニー
ダーリヤ・オポチーニナと貴賤結婚・死別、ジナイーダ・スコーベレワと貴賤再婚

●セルゲイ 
未婚・戦死

●ゲオルギー
オルデンブルク公テレーゼと結婚死別、
モンテネグロ王女アナスタシア・ニコラエヴナと再婚離婚




■後夫 グレゴリー・ストロガノフ伯爵と貴賤再婚

●エレナ
ウラジーミル・シェレメチェフと結婚、グレゴリー・ミラシェヴィチと再婚








◆母 オリガ・ニコラエヴナ大公女


■父 ヴュルテンベルク王カール1世


●実子ナシ








◆母 アレクサンドラ・ニコラエヴナ大公女


■父 ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒの前妻・本人死別


●実子ナシ








◆母 コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公


■父 ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ・イオシフォヴナ


●ニコライ・コンスタンチノヴィチ大公
未婚・皇位継承権剥奪

●オリガ・コンスタンチノヴナ大公女
ギリシア国王ゲオルギオス1世と結婚

●ヴェラ・コンスタンチノヴナ大公女
ヴュルテンベルク公オイゲンと結婚

●コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公
ザクセン=アルテンブルク公女エリザヴェータ・マヴリキエヴナと結婚

●ドミトリー・コンスタンチノヴィチ大公 
未婚・ロシア革命で処刑








◆父 ニコライ・ニコラエヴィチ大公


■母 オルデンブルク公女アレクサンドラ・ペトロヴナ 別居


●ニコライ・ニコラエヴィチ大公
バツイチのモンテネグロ王女アナスタシア・ニコラエヴナと結婚

●ピョートル・ニコラエヴィチ大公
モンテネグロ王女ミリツァ・ニコラエヴナと結婚

*ミリツァが姉、アナスタシアが妹








◆父 ミハイル・ニコラエヴィチ大公


■母 バーデン大公女オリガ・フョードロヴナ


●ニコライ・ミハイロヴィチ大公
未婚・ロシア革命で処刑

●アナスタシア・ミハイロヴナ大公女
メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世と結婚

●ミハイル・ミハイロヴィチ大公
メーレンベルク伯爵令嬢ゾフィーと貴賤結婚

●ゲオルギー・ミハイロヴィチ大公
ギリシャ王女マリア・ゲオルギエヴナと結婚・ロシア革命で処刑

●アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公
皇帝アレクサンドル3世の娘クセニアと結婚

●セルゲイ・ミハイロヴィチ大公
未婚・ロシア革命で処刑
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by xMUGIx | 2011-02-01 00:00 | 御貴族様


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