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by xMUGIx
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ロマノフ朝

◆1918年


■04月25日 皇帝一家エカテリンブルクへ移送


■07月16日 皇帝一家処刑
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by xMUGIx | 2008-02-18 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆1917年


■01月01日ラスプーチンの死体が川で発見される
■01月02日ラスプーチンの遺体は司法解剖ののち
亜鉛製の柩に入れられてツァールスコエ・セローのフョードル大聖堂へ運ばれた
■01月03日ラスプーチンの葬式が行われる


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アンナ・ヴィルボアの付き添い医師 ジューク

私はアンナと皇室庭園に建設中の彼女の教会へ馬車で行きました。
彼女はラスプーチンはあそこに葬られると言いました。
場所は皇后様が御自身でお選びになったのです。
墓の場所は聖堂の中央の左手の十字台のある所でした。
墓穴はすでに掘ってあり、その中に棺があるのを見ました。
我々が墓に到着してから10分ほど後に、
皇帝と皇后と子供達を乗せた自動車がやってきました。
葬儀が終わると、森の中に配備されていた秘密警察の諜報員達が墓に土をかけました。


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皇后の友人&ラスプーチンの信者 リリ・デーン

ラスプーチン様が亡くなられた事を耳にすると、私はツァールスコエ・セローへ行き
そこで1泊してラスプーチン様の埋葬にも列席しました。
太陽は紺碧の空に輝き、固く積もった雪はダイヤのようにキラキラしていました。
私は馬車を止めて、建設中の教会へ向かいました。
ソリの鈴の音が聞こえ、アンナがやってきました。
同時に自動車が止まり、喪服の皇帝一家が到着されました。
皇后はとても青い顔をしていらっしゃいましたが、落ち着いておられました。
棺は結局開けられませんでした。皇帝と皇后はこの出来事に打ちのめされていました。
皇帝と皇后が棺の上に土を落とされたあと皇后が大公女達と私達に白い花を配られ、
みんなで棺の上にまきました。


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ニコライ2世の日記 1917年01月03日

朝9時に家族全員で出かけ、野中の礼拝堂に着いた。
12月17日の未明にユスポフの家で悪党どもに殺された
忘れる事のできぬグリゴリーの遺体を納めた棺がもう墓穴に下ろされていた。
神父が追悼の祈祷を行い、私達は家に戻った。
午後は子供達と散策を楽しんだ。


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ニコライ・ミハイロヴィチ大公の日記

ラスプーチンの暗殺者達が行った事は中途半端な措置である。
なぜならば、皇后もプロトポポフも始末しなければならないからだ。
そうしなければ、いっそう悪くなるだろう。


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ニコライ2世の日記 1917年02月10日

2時にアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公が来て、
私も交えて寝室でアレクサンドラと長いこと話し合った。


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アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公の手紙

ロシアの内部にある力が、君をロシアを避ける事のできぬ破滅へと導いてゆく。
ロシアは皇帝なしには存在しえない。
だが忘れてはならないのは、皇帝一人ではロシアを統治する事はできないという事だ。
諸々の事件が君の助言者達が、君とロシアを確実な破滅へ導いている事を示している。
進言する声に君がまったく耳を貸そうとしない事に絶望を感じざるをえない。
今や政府は革命を準備する機関である。
我々は下からのではなく、上からの革命というかつてない光景に際会している。

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■アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公は皇后に家事に専念する事を懇願した。
皇后はサンドロの言葉をさえぎったが、彼はかまわずに続けた。
皇后は声を張り上げた。彼も負けずに声を高めた。
この荒々しい会話が続く間、皇帝はパイプをくゆらしていた。
アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公は、
いずれ彼女が彼の正しさを認める日が来ると予告して辞去した。


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国会議長 ロジャンコ

「顔ぶれの交代だけでなく、全統治システムの交代が緊急の対策です」
「君たちは皆プロトポポフの退任を要求しているが、
どうして君達全員は彼をそれほど嫌うのかね?」
「要求します。これまではお願いでしたが、今は要求します。
陛下、我々は重大な事件の前夜にいます。その出口はもはや予見する事ができません。
私は断言します。3週間も経たぬ内に、ものすごい革命の火が燃えさかり、
あなたも皇帝の地位に留まる事ができなくなるでしょう」


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皇后から皇帝への手紙 1917年03月07日

私の大切な人、強くなって下さい。これがロシア人に必要なのです。
今こそ彼らに拳骨を感じさせなさい。彼ら自身がそれを願っているのです。
どれほど多くの人から「我々に必要なのは鞭だ!」という言葉を聞かされた事でしょう。
奇妙な事ですが、これがスラヴの本性なのです
彼らはあなたを恐れる事を学ばねばなりません。愛だけでは足りません。
子供は父を熱愛していても、父を怒らせる事を恐れなければなりません。


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■03月08日 二月革命(旧暦での呼び名のため新暦とはずれる)
ペトログラードでストライキが始まった。
8万人の労働者が立ち上がり、パン屋の前に飢えた人々の長い列ができた。


■同時期、皇帝一家の子供達が次々と麻疹にかかる


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皇后から皇帝への手紙 1917年03月09日

オリガとアレクセイが麻疹にかかりました。
他の娘達も感染を避けられないなら早くかかった方がいいと思います。
その方がみんな一緒で楽しいし、そんなに長いことではないでしょうから。


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皇后から皇帝への手紙 1917年03月10日

昨日騒動がありました。貧民がパン屋を襲ったのです。
彼らに対してコサックが差し向けられました。
ストライキと市内の混乱はもう挑発を超えるものです。
これはもう無頼の徒の騒乱で、パンが無いと叫び立てています。
これは単にパニック状態を作り出すためです。
そして労働者は互いに働くのを邪魔しあっているのです。
こんなことはみな、国会がしっかりやりさえすれば何事もなく収まるでしょう。


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■しかし3月11日には、
皇帝は兵士達が暴徒に発砲する事を拒否し反乱者側に移ったという報告を受けた。
ロジャンコは皇帝に絶望的な電報を送った。
しかし電報は深夜に届いたため、皇帝がこの電報を見たのは翌朝になってからだった。


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国会議長 ロジャンコの電報 1917年03月11日

首都は無政府状態。政府機能はマヒし、交通は乱れ、食料と燃料は完全に消滅。
軍は敵味方に割れ、通り通りでめちゃくちゃな銃撃戦が行われている。
一切の逡巡は死を意味する。責任が皇帝にかからぬ事を神に祈るのみ。


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皇帝の日記 1917年03月11日

報告はちょうどいい時間に終わった。10時にミサに行った。
アレクサンドラに手紙を書いてから、馬車で小礼拝堂へ出かけた。
夜、ドミノをやった。


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皇后から皇帝への手紙 1917年03月11日

市内の混乱についていろいろと噂されています。20万人以上だと思います。
我が国は本当に馬鹿です。
すべての不幸は、ぼやぼやしている民衆、着飾った人々、負傷した兵士、
騒ぎを煽り立てる女子学生などのせいです。なんという腐り切った人達でしょう!
今日は本当に暖かい日です。
子供達が自動車でさえドライブができないのは腹立たしい思いです。
私は【私たちの友】の懐かしいお墓に詣でて大きな心の安らぎを感じています。
【私たちの友】は私達を救うために死んだのです。


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■03月12日 前日の電報に返事がなかったため、ロジャンコは再び電報を送った。


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国会議長 ロジャンコの電報 1917年03月12日

状況は悪化。ただちに措置を取る必要あり。明日ではもう遅い。
祖国と王朝の運命が決せられる最後の時が来た。


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ニコライ2世の日記 1917年03月12日

ペトログラードで数日前から騒乱が始まった。
遺憾な事にそれに軍隊が参加しはじめた。
報告を受けるのは簡単に済ませた。午後散歩した。
ディナー後できるだけ早くツァールスコエ・セローへ出発する事にして
1時に列車に移った。


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皇后の友人 ラスプーチンの信者 リリ・デーン 1917年03月12日

「私には理解できない。革命だなんて私は信じません。
騒ぎはペトログラードだけなのよ」

「皇帝に電報を打ち、すぐ帰ってくれるように頼みました。彼は14日の朝着きます。」
「娘達にはどうしてもという時まで話したくないのよ」


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■しかし、皇帝は首都に戻る事はできなかった。
すでに全駅は反乱軍に占拠されていた。
監獄は解放され、警察署は破壊され、警官は捕えられている。
街には民衆があふれ、至るところ旗や赤い布で覆われていた。
03月13日、ツァールスコエ・セローの守備隊が蜂起した。


■03月15日 皇帝ニコライ2世退位


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ニコライ2世の日記 1917年03月15日

私は同意した。大本営から宣言案を送ってきた。
夜にペテルブルクから前国会議長グチコフと国会議員シューリギンが到着した。
私は二人と話をして、推敲し署名した宣言文を渡した。
周囲は裏切りと小心、そして欺瞞だけだ。


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皇后の友人 ラスプーチンの信者 リリ・デーン 1917年03月15日

皇后は皇帝が退位したという新聞を見せられた。
「いいえ、嘘です。私は信じません。新聞の中傷です」

「リリ、船舶隊が見捨てて行ってしまったの!」
「どうして、いったいどうしたというのですか」
「彼らの指揮官のキリル・ウラジーミロヴィチ大公が呼び寄せたのよ。
私の水兵、私だけの水兵、信じられない」


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皇后から皇帝への手紙 1917年03月15日

私はあなたの事を何も知らないし、あなたも私達の事を何も知らないと思うと、
私は胸が張り裂けそうです。
すべてが忌まわしい事ばかりで、事件は恐ろしい速さで進展しています。
自分たちの君主を拘束するなんて、歴史に例のない最大の辱めであり卑劣な行為です。
国会と革命家達は二匹の蛇です。互いに頭を噛みちぎりあえばいいのにと願っています。
でも私は固く信じています。何ものもこの信念を揺るがす事はできません。
あなたは譲歩を強いられても、絶対にそれを実行してはなりません。
私は神が何かしてくださると感じています。
【私たちの友】の十字架を身に着けて下さい。


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皇后の友人 ラスプーチンの信者 リリ・デーン 1917年03月16日

ドアが開き皇后が姿を見せました。顔は苦しみに歪み、目は涙でいっぱいでした。
よろめくような足取りで、私は駆けよって皇后を支え、窓際の机までお連れしました。
皇后は机にもたれかかって私の手を握り、とぎれとぎれに
「アブディクー、アブディクー」(フランス語で退位の意味)と言われました。


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ブクスヘヴェデン男爵夫人 1917年03月16日

「結局はよくなるでしょう」と皇后は言われました。
「これも神の御意志なのです。神はロシアを救うためにこうなさったのです」
私達がドアを閉める時、皇后が椅子に倒れこまれ手で顔をおおって
痛ましそうにむせび泣かれるのが見えました。


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皇后から皇帝への手紙 1917年03月16日

緑色の寝室に聖母のイコンを供えて、
素晴らしい祈祷とアカフィストが行われました。
すべてが良くなります。良くならなければなりません。
私は自分の信念にいささかの迷いも感じません。

つい今しがたパーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公が来て、すっかり話してくれました。
私はあなたの行為がすっかりわかりました。私は誓って断言します。
私達はあなたの国民と軍によって奪い返された帝位に
再び立つあなたの姿を見る事になるでしょう。


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■退位の署名を終えた皇帝は、軍隊に最後の挨拶をするため大本営に引き返した。


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皇帝の日記 1917年03月17日

キエフから到着するママを迎えに駅に行った。
ママを家に連れて行き、身内達も加えて食事をともにした。
長いこと語り合った。


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■皇太后は3日間モギリョフに滞在し、御召列車の中で過ごした。
皇帝一族の出発について話し合いを進めていた。イギリスに亡命するつもりであった。
ニコライはアレクサンドラの元に帰るまでにすべてを調整しようとしていた。
しかしそれは許されなかった。臨時政府はロマノフ一族の逮捕を決定したのである。


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ニコライ2世の日記 1917年03月21日

12時客室内のママの所に行って、ママや側近達と会食、4時半までそこにいて
ママ、アレクサンドル・ミハイロヴィチ、セルゲイ・ミハイロヴィチ、
ボリス・ウラジーミロヴィチらと別れの挨拶。


*これがニコライと母親の最後の別れとなる
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■1917年03月22日 ニコライはツアールスコエ・セローに帰宅
ニコライの帰宅までにアレクサンドラはお気に入りの藤色の間の暖炉で書類を焼き続けた。


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皇后の友人 ラスプーチンの信者 リリ・デーン 1917年03月22日

03月22日、宮殿の扉に錠が下ろされました。
私は藤色の皇后居室まで降りて行きました。
皇后は私を待っておられましたが、その立ち姿はとても少女少女して見えました。
長い豊かな髪を編んで背中にたらし、パジャマの上に絹の部屋着を着ておられました。
とても青白い透き通るようなお顔で、なんとも言えず痛ましい御様子でした。
私が長椅子の上にベッドを作っているのを御覧になって、笑いながら近寄ってこられました。
「リリ、あなた方ロシア婦人はベッドの作り方をよく御存知ないのよ。
私は少女の頃、御祖母様のヴィクトリア女王がベッドの作り方を教えて下さいましたのよ」
私には眠ることができませんでした。私は皇后の藤色の長椅子に横になって、
ひょっとしてこれは夢ではないかしら、
突然ペトログラードの私のベッドで目が覚めるのではないかしら?
でも皇后の寝室から聞こえる咳は、悲しい事に夢でない事を知らせている。

「私は散歩に行こうと思っている」と皇帝はおっしゃいました。
皇后とアンナと私の3人が窓から見ていました。
兵士達が拳と銃で皇帝を押し戻して、まるで浮浪者を扱うように皇帝をからかいました。
「あんたはあっちへ行ったらいかんのだ」「俺たちはあんたをそっちの方には行かせないよ」
「命令されたら言う事を聞くんだ」皇帝は向きを変えて宮殿の方に戻って来られました。
私はこの時まで革命の恐ろしい権力を本当に理解していなかったと思います。
皇帝が右往左往するのを見ると、
今まで広大な領地を持っていた皇帝が
今は自分の庭園の数メートルしか歩けないという事を、
私達は否応なく思い知らされたのでした。

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■アンナとリリが逮捕される


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ニコライ2世の日記 1917年04月03日

司法大臣ケレンスキーが突然来訪、
かわいそうにアンナを逮捕し、リリとともに町へ連れ去った。


*これがニコライ一家とアンナの最後の別れとなる

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皇后の友人 ラスプーチンの信者 リリ・デーン 1917年04月03日

皇后は恐ろしいほどの意志力で微笑まれました。
「リリ、苦しみによって私達は天国で清められるのよ。この別れは小さい事なのよ。
私達は別の世界でまた会いましょう」


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ニコライ2世の日記 1917年04月05日

所持品や本を整理して、
イギリスに行く時に持っていきたいと思う物を選り分ける仕事を開始。


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ニコライ2世の日記 1917年05月01日

本日は外国ではメーデー。そこで我が国の阿呆どもは、
楽隊つきで赤旗を押し立てた街頭行進でこの日を祝う事に決定した。


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■ラスプーチンの遺骸が掘り返され、焼却された。
棺の中から小さな木製のイコンが発見された。
イコンの裏側には皇后と4人の娘達とアンナの署名が紫色のインクで記されていた。


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オリガ皇女から叔母オリガ・アレクサンドロヴナ大公女への手紙 1917年07月04日

かわいそうなママは恐ろしく退屈しています。
新しい生活とここの環境に、どうしてもなじめないでいるのです。
クリミアに一緒に行けるのですから、一般的に言って私達は感謝してもいいぐらいなのに。


*皇帝一家は、夏にクリミアに移送されるものと思っていた。

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ニコライ2世の日記 1917年08月10日

我々が送られる先はクリミアではなく、旅程3日ないし4日の東方の県であると知らされた!
具体的にどこであるかは誰も教えてくれないし、警備司令でさえ知らないという。
我々は皆リヴァージァに長期滞在する事をあれほど期待していたのに!


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皇后からアンナ・ヴィルボヴァへの手紙 1917年08月14日

私達がどこへ行くのか、どれだけ時間がかかるのか、誰も教えてくれません。
でも、あなたと私たしの仲間が前の夏に行ったあの場所ではないかと思っています。
〔アンナとリリはラスプーチンの故郷トボリスクへ行った〕
我らの聖者と【私たちの友】が、あそこで私達を呼んでいます。
素敵じゃないですか。


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女官 エリザヴェータ・ナルィーシキナ公爵夫人の日記 1917年08月14日

最終的に判明した所では、御一家はトボリスクへ連れていかれる。
皇帝は顔色がひどくお悪くなり、お痩せになった。
皇后は気丈にも希望を持ち続けておられる!
親愛なる友ラスプーチンの生家の近くに行くのを喜んでおられるのだ。
皇后のメンタリティは何も変わっていない!


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■08月14日 皇帝一家はトボリスクへ移送


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皇后から女友達への手紙 1917年10月30日

ああ、なんという人達でしょう!
志の低い意気地なしばかり。根性もなく、祖国と神への愛もない。
だから神がこの国に罰を与えておいでになるのです。
聞き分けのない子供を罰する親のような気持ちで、神はロシアに接しておいでなのです。
ロシアは神に対して罪を犯してきましたし、今も神の愛にふさわしい国ではありません。
しかし神は全能で何でもおできになります。
最後には苦しむ者達の祈りを聞き届けて、お赦しになり助けて下さいます。

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■11月07日 十月革命(旧暦での呼び方のため新暦とはずれる)


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皇后から男友達への手紙 1917年12月12日

10月革命の事はたくさんの人がすでに、
あれは全部ユートピアだった妄想だったと悟っています。
彼らの理想は泥と恥辱にまみれて崩れ去り、
ロシアにとって良い事は何ひとつ成し遂げませんでした。
こういった理想家達を、私はかわいそうだとさえ思います。
彼らは自分の事だけを考えて祖国を忘れていたのです。
すべて口先ばかり、騒ぎばかりだったのです。
しかし全国民が堕落したわけではなく、誘惑に負けただけなのです。
非文化的な野蛮な国民。でも神は我が哀れなロシアのために力を貸して下さるでしょう。


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皇后から男友達への手紙 1917年12月29日

あまりにも長い間私は自分を国の母だと感じてきましたので、
私と国とは一心同体で悲しみも幸せも分かち合っています。
この国は我々に苦痛を与え、意地悪をし、中傷したりなどしましたけれど、
それでもなお我々は国を深く愛し、その病気が治ってくれればいいと願っています。
性質は悪いけれども良い所もある病気の子供みたいに、祖国もまた愛おしいものです。


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by xMUGIx | 2008-02-17 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆1916年


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皇后から皇帝への手紙 1916年01月04日

【私たちの友】は絶えず戦争について考え、祈っています。
何か特別な事が起った時には、
すぐに自分に伝えるようにと【私たちの友】は言っています。


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皇后からラスプーチンへの電報 1916年04月22日

身も心もあなたと一緒。この晴れの日、私とニコライの事を祈って。
愛しています。キスします。可愛い女より。


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皇后から皇帝への手紙 1916年09月20日

【私たちの友】は、内務大臣にプロトポポフを任命するよう切に願っています。
あなたは彼を御存知ですね。いい印象をお持ちでしょう。彼は国会議員です。
だから、あの人達にどう振る舞ったらいいかわかるでしょう。
私は彼に会った事はありません。でも、【私たちの友】の叡智と導きを信じます。
あなたとロシアに対する【私たちの友】の愛は限りないものです。
あなたを助け導くために、主が【私たちの友】を送って下さったのです。


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皇帝から皇后への手紙 1916年09月22日

私はこの問題をよく考えなければならない。
人に関する【私たちの友】の意見は、時としてきわめて奇妙なものです。
だから慎重にしなければいけない。とりわけ高い地位に人を任命する場合には。


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フェリックス・ユスポフ公爵 ラスプーチン暗殺者の一人

私はなぜラスプーチンは昨日あんなに急いで帰ったのか、マリアに聞いてみた。
「何か重要な事がうまくいかなくなったという知らせを受けたそうです。
でももうすっかり大丈夫だそうです。ラスプーチン様が怒って怒鳴りつけたら、
向こうはびっくりして言われる通りにしたそうです」
「向こうって、どこの事ですか?」
「ツァールスコエ・セローです」
私はラスプーチンを怒らせた出来事が、
プロトポポフを内務大臣に任命するという事だと聞いた。
ラスプーチン一味が是が非でもプロトポポフを望んだのだが、
他の人々が皇帝に反対を奏上したのだ。しかしラスプーチンは
ツァールスコエ・セローへじきじきに出かけて勝ちを収めたのだった。
こうしている間にラスプーチンがやって来た。とても御機嫌だった。
「すべて片づけたよ。宮中まで行かなければならなかったがね。
着いたらばったりアンナに会った。まったくあの人は困る。
もうだめ、ラスプーチン様、頼みの綱はあなただけよ、ああお願いと泣き言を言うばかり。
俺はすぐに奥の間に入って行った。
すると皇后はふくれっ面、皇帝は部屋の中をぐるぐる歩き回っている。
俺は怒鳴ってやった。すると二人ともすぐに静かになった。
こんな事をしていると俺はもうあんた方を見捨てると言うと、
二人ともすっかり慌てて折れて出た。
二人ともさんざん俺の悪口を聞かされて参っていたんだ。
俺は俺の忠告に従うのが一番だと教えてやった。あそこでは俺の悪口ばかりだ。
それに皇帝は騙されている。しかし連中も長続きはせんさ。
俺がもうすぐ国会を解散させて、連中をみんな戦場に送ってやる」
「なんですって?あなはた国会の解散も自由にできるのですか?」
「なあに、そんな事は造作もないことだ。皇后は聡明だ。あの人となら何でもできる。
皇帝はまあ単純な人柄で、支配者に生まれついていない。国家統治はあの人の手に余る。
だから俺が神の恵みを得て、あの人を助けるしかないんだよ」
身のほど知らずの皇帝への侮辱の言葉に私の腹わたは煮えくり返ったが、
どうにか素知らぬふりを装った。
「俺がいなければみんな終りだったのだ。
俺の言う事が聞き入れられなければ、拳固でテーブルをどんと叩いて出て行くだけだ。
よろしい、俺はもうシベリアへ帰るからあんた達はここで勝手に堕落しろ、
神に背を向けて、皇太子が破滅し、悪魔の爪に掛かるぞとな。
するとあの人達は追っかけてきて、
あなたの言う通りにするから私達を見捨てないでおくれと言うんだ。
まあ、これが俺のやり方だ。俺の仕事はまだ終わっていない。
今はまだ早い。準備が整っておらん。
すべて満足のいくように準備ができたら、皇后を皇太子の摂政にする。
皇帝はリヴァディアに行って休んでもらう。あの人はその方がずっと幸せだ。
疲れているから休息が必要なっだ。
リヴァディアで花に囲まれて神様の近くにいる方があの人にはいい。
皇后はなかなか英明な人だ。エカチェリーナ2世と言っていい。
近頃ではあの人が皇帝の代りをしている。
議会でおしゃべりしている連中はみんな解任するとあの人は約束した。
議員どもはみんな地獄行きだ。あいつらは神に背いて事を構えようとしたのだ」


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■10月01日 プロトポポフが内務大臣に就任する


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皇后から皇帝への手紙 1916年10月01日

いつ攻撃をする予定なのか、あらかじめ教えて下さい。
【私たちの友】が特別な祈りを捧げられるように。
これには特別な意味があります。


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皇后から皇帝への手紙 1916年10月04日

ロジャンコやグチコフやその一味、
この卑劣漢達は想像よりもはるかに大きな何かの中心になっていて、
閣僚達の手から権力を奪い取る事を目的にしています。
私は【私たちの友】に助言を求めましょう。とてもしばしば【私たちの友】は、
他の人達の頭には浮かばないような健全な判断をするのです。
主が【私たちの友】に霊感をお与えになっているのでしょう。


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皇后から皇帝への手紙 1916年10月06日

【私たちの友】は、あなたがブルシーロフらに下した命令についてこう言われました。
「パパの命令には大いに満足ですよ。事態は良くなるでしょう」


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皇后から皇帝への手紙 1916年10月07日

【私たちの友】は、あなたの命令にブルシーロフが従わなかった事で激昂しています。
【私たちの友】は、あなたにこの命令を出させたのは天の導きで、
神の祝福があっただろうにと言うのです。
【私たちの友】は、あなたが御自分の決定を貫き通す事を願っています。


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皇帝から皇后への手紙 1916年10月07日

【私たちの友】がひどくがっかりしているという
君のの電報を、たった今受け取ったところです。
【私たちの友】いは、パパは賢明な手段を取るように命じたと伝えて下さい。


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皇后から皇帝への手紙 1916年10月08日

お願いですから、ブルシーロフに対する命令をもう一度繰り返して下さい。
あなたは自分の意志を押し通さなければなりません。一国の主なのですから。
そうすれが、誰もがひざまずいてあなたに感謝することでしょう。
神の祝福はあなたの計画の上にあります。どうかそれが遂行されますように。


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皇后から皇帝への手紙 1916年10月10日

私のメモを手元に置いておいて下さい。
【私たちの友】はこうした諸問題について、
全部プロトポポフと話し合ってほしいとあなたに頼んでいます。


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■再婚するオリガの結婚式がキエフで行われるのを利用して
集まった一族によって会議が開かれ、
ニコライ・ミハイロヴィチ大公を皇帝の元へ派遣する事が決まった。


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ニコライ2世の日記 1916年11月02日

ニコライ・ミハイロヴィチが来訪し、昨夜長時間話し合った。

*皇帝は一族の代表が彼に渡した手紙を、そのまま彼女に同封した。

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一族の共同書簡

誰も信用できない誰もが自分を騙していると君はたびたび私に言った。
もしそれが本当なら、それは君の妻の身にも起こっているのだ。
彼女は自分を取り巻く連中に悪意のある大嘘を吹き込まれて誤解している。
君は妻を信じている、それはわかる。
だが彼女の口から出る事は、巧妙な歪曲の結果であって実際に正しい真実ではない。
もし君にこのような影響から彼女を引き離す力がないなら、
少なくとも君の愛する妻を通じて行われる絶え間ない干渉や呪文から自分を守るのだ。
私は君に真実を打ち空けるべきか長い間迷っていたが、
君の母上と妹御達に説得されてようやく決意したのだ。
君は新しい動乱の時代の前夜にいる。
はっきり言おう、暗殺の前夜にあるとさえ言ってもいい。
私を信じてくれ。ひとえに君と君の帝位と愛する祖国を、
取り返しのつかぬ結果から何としても救いたいと願うからだ。


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皇后から皇帝への手紙 1916年11月04日

私は彼の手紙を読み、怒りで息が詰まりそうになりました。
どうしてあなたは話の途中で、彼をシベリア送りにするそ、
これは国家への裏切りと紙一重だからだ、と彼に言ってやらなかったのですか。
彼はいつも私を憎み、22年間私を悪く言い続けてきました。
しかもこんな重大な時期に、
あなたのママと妹達の背後に隠れて皇帝の妻を守ろうとする勇気もないなんて、
これは卑劣な裏切り行為です。
彼とニコライ・ニコラエヴィチ大公がはあなたの最大の敵です。
妻はあなたの支えです。妻は石の壁のようにあなたの背後に立っています。

【私たちの友】はニコライ・ミハイロヴィチの手紙を読むとこう言いました。
「この手紙のどこにも主の御慈悲は見当たらない。
あるのは悪だけだ。すべては取るに足らない事だ」


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皇帝から皇后への手紙 1916年11月05日

手紙を君に転送して、
君の気分を害しひどく怒らせてしまった事が、私には悔やまれてならない。
彼が君の事を何か言い出したら、
君の夫が君の擁護に乗り出さぬわけがないではないか。


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皇后から皇帝への手紙 1916年11月12日

これは君主制とあなたの威信にかかわる問題なのです。
これで終わるとは思わないで下さい。
彼らはあなたに忠実な人々を一人ずつあなたから遠ざけ、
その後で私達自身を退けようとしているのです。


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ニコライ・ミハイロヴィチ大公の日記

皇帝アレクサンドル3世の時代には、
少数の信頼できる人間からなる内密のサークルがあった。
ニコライ2世の場合、23年の統治ののち一人の友人も残さなかった。
親類の中にも、上流社会の中にも。


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■11月23日皇帝から首相になることを打診されたトレポフは、
内務大臣プロトポポフを更迭するならば引き受けるという条件を出す。
プロトポポフは梅毒が脳に回り、正常な判断を下せる状態ではなかった。


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皇帝から皇后への手紙 1916年11月23日

君は交代の事をもう知っている頃でしょう。
今どうしてもそれをしなければならないのです。
プロトポポフは良い人間です。しかし彼は考えがくるくる変わってしまい、
一定の意見を守り抜く判断ができないのです。
このような時代に内閣をそんな人物の手に委ねるのは危険な事です。
ただ、お願いだから【私たちの友】を巻き込まないで下さい。
責任を負っているのは私です。自分で自由に選択したいのです。


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皇后から皇帝への手紙 1916年11月23日

あなたのため、そして私達のために、もう一度思い出して下さい。
あなたには【私たちの友】の祈りや忠告が必要なのです。
プロトポポフは【私たちの友】を崇拝しています。だから神の祝福もあるのです。
ああ、愛しいあなた、私は神にお祈りしています。
【私たちの友】があなたを正しい信仰へと導き、
【私たちの友】にこそ私達の救いがあるという事をあなたが悟るようにと。
お願いですから、どうか私がそちらに行くまで誰も更迭しないで下さい。


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■皇后は大本営に乗り込み、皇帝は折れ、プロトポポフを留任させた。


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ラスプーチン暗殺者の一人 国会議員プリシュケヴィチの演説 1916年12月02日

諸悪の根源は闇の勢力である。この闇の勢力が、
本来高い地位に就く事のできない者達をむりやり出世させてやっているのだ。
諸悪の根源は、ラスプーチンによって率いられている勢力なのだ。
私は近頃眠ることもできない。
横になっていると、あの読み書きもろくにできぬ農夫が
あちこちの大臣に宛てて書いている電報や通知などが頭に浮かぶからだ。
2年半の戦争の間、私は戦時中は国内のいさかいは忘れるべきであると思っていた。
しかし今、私はこの禁を破る。
民衆を戦場に送り出したのは操り人形と化した大臣達だが、
その操り人形の糸をしっかりとつかんでいるのはラスプーチンと皇后である。


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ラスプーチンから皇帝への電報 1916年12月02日

厚かましくもプリシュケヴィチは罵詈雑言を吐いた。
だが、そんな事は痛くも痒くもない。神があなた方を力づけて下さるだろう。
勝利はあなた方のものであり、船もあなた方のものだ。
誰もその船に乗る権利は持っていない。


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皇后から皇帝への手紙 1916年12月04日

あなたが君主である事を彼らに見せてあげなさい。
彼らに服従を教えなければなりません。
なぜ彼らが私を憎むのか?私が強い意志を持ち何かが正しいと確信したら、
そして【私たちの友】が私を祝福したら、
私が絶対に意見を変えない事を彼らは知っているからです。


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ラスプーチンから皇后への電報 1916年12月05日

信じなさい。そして、おじけづいてはならない。
自分の帝国を欠ける所のない完全な形で、あなたの息子に渡すのだ。
父親が受け取ったのと同じものを、あなたの息子も受け取ることだろう。


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皇后から皇帝への手紙 1916年12月14日

国会を延期するというやり方は完全にまちがっています。
【私たちの友】が14日に国会を閉会するようにあなたに言ったではありませんか。
ピョートル大帝になりなさい、イワン雷帝になりなさい、パーヴェル1世になりなさい。
忌まわしい事などできぬよう彼らをみな震え上がらせなさい。
私は恐れる事なく愛する私のボーイに書いているのです。


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皇帝から皇后への手紙 1916年12月14日

君の叱責にやわらかく御礼を言う。私は読みながら笑いを禁じえなかった。
というのは、幼子に諭すように私に言っていたからだ。


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皇后からラスプーチンへの電報 1916年12月15日

まったく手紙を書いてくれない。ひどくあなたが恋しい。早く来て。
ニコライのこと祈って。愛しています。キスします。かわいい女より。


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ニコライ2世の日記 1916年12月15日

アンナの家でグリゴリーと話をしながら、晩のひとときを過ごした。

*これがニコライとラスプーチンの最後の別れとなる。

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皇后から皇帝への手紙 1916年12月17日

あなたが君主である事を、すべての人々に見せておやりなさい。
彼らには服従を教えてやらなければならないのです。
あなたは善良で寛容なあまり、連中を甘やかして駄目にしました。
【私たちの友】の祈りと助力に対する深い信仰がもうちょっとあれば、
すべてはうまく行くのです!事態は良くなりつつあります。
【私達の友人】の夢には特別な意味があるのです!


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皇后から皇帝への手紙 1916年12月19日

私達は昨晩、アンナの家で快適に穏やかに過ごしました。
リリも少し遅れからきて、それからマリアもやって来ました。
【私たちの友】は気分がよく朗らかでした。
【私たちの友】は絶えずあなたの事を考えて下さっていて、
これからはすべてがうまく行くに違いありません。
支配者になって下さい。あなたの気丈な妻と【私たちの友】の言うことに従って下さい。


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アンナ・ヴィルボワの付き添い医師 ジューク

昼の12時頃マリア・ゴロヴィナから電話がかかってきて、
ラスプーチンが外出したまま帰宅していないとのことでした。
アンナはすぐにこの事を宮廷に伝え、ひどく心配し始めました。
そして、絶え間なくペテルブルクと電話で話していました。

アンナは皇后の命令に従って、宮廷に引っ越してそこで寝泊まりする事になりました。
彼女も殺されるかもしれないという恐れがあったからです。
特に危険だからと警戒されていたのが、若い大公達でした。
私は、大公は誰も通してはいけないと命じられました。


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皇后から皇帝への手紙 1916年12月30日

私達はみんな一緒にいます。【私たちの友】が消えてしまったのです。
昨日彼はアンナに、「ユスポフ公爵から今夜来てくれと言われている。
妻のイリナに会う事になっている。車が迎えに来るのだ」と彼女に言ったそうです。
彼の家に迎えの自動車が来ました。
平服の男2人が乗っていて、彼はその自動車に乗って出かけました。
その夜遅く、ユスポフ公爵の家で大変な騒ぎがありました。
大集会で、ドミトリー大公やプリシュケヴィチ議員などが集まり、
みんな酔っていたそうです。
警官が銃声を聞きつけました。プリシュケヴィチが走り出てきて、
【私たちの友】が殺されたと警官に叫びました。
ユスポフ公爵は今夜クリミアに発つつもりだそうです。
私は彼を引き留めておくように、プロトポポフ内務大臣に命じました。
ユスポフ公爵は【私たちの友】を家に呼んだ事など一度もないと言い張っています。
どうやらこれは罠だったようです。
私は今でもまだ神の慈愛に頼り、彼はどこかへ連れ去られただけだと思っています。
もう不安で不安でたまりません。すぐに戻ってきて下さい。
あなたがここにいらっしゃれば、誰もアンナには手出しできないでしょう。


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皇后から皇帝への電報 1916年12月31日

あなたが戻ってこられるまで、
あなたの名においてドミトリー大公に外出禁止を命令しました。
今日ドミトリー大公は私に会いたいと言ってきましたが、私は拒否しました。
首謀者は彼です。


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皇帝から皇后への電報 1916年12月31日

たった今、君からの手紙を読んだところです。
衝撃を受け、激しい怒りを感じています。
君達とともに祈り、考えている。明日6時に帰ります。


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パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公の妻オリガ

夫は皇帝とお茶を飲み、平穏と至福の表情が陛下の顔に浮かんでいる事に驚いた。
陛下がこんな風に昂揚した気分になるのは久しくない事だった。
陛下はあまりにも妻を愛しておられたので、妻の願いには背くことができなかった。
だから、運命のおかげで自分から行動する必要から解放されて幸せだった。


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by xMUGIx | 2008-02-16 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆1915年 前半


■01月15日 アンナが列車事故で重傷を負う


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ニコライ2世の日記 1915年01月15日

今日06時、列車の衝突事故があったという報告を聞いた。
犠牲者の中にアンナがいて気の毒にも重傷を負い、
10時15分ころ宮内病院に収容された。11時に見舞いに行った。
彼女の両親も一緒にいた。やがてグリゴリーが到着した。


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ニコライ2世の日記 1915年01月22日

夕食後、グリゴリーがアンナの所から私達の所へ来てお茶を飲んでいった。

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皇后から皇帝への手紙 1915年01月26日

アンナは自分の家に帰りたがっています。
でもあなたはこれからはあまり頻繁に見舞いに来れないという事も
彼女にはっきり言うべきです。
もし今あなたがはっきりした態度をお見せにならないなら、
クリミアであったような恋愛劇やスキャンダルを再び繰り返す事になるのですから。


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皇后から皇帝への手紙 1915年01月27日

アンナは快方に向かっています。彼女はまた家に帰りたいと言っています。
そうなったら、私達の生活がめちゃくちゃになる事は目に見えています!
彼女は自分がすっかり痩せたと思い込んでいますが、
彼女は巨大なお腹と脚をしていて(しかもまったく見てくれが良くないのです)、
顔色はいいし頬はあいかわらず脂ぎっていて、目の下がたるんでクマができています。
しかし、ああ神よ、あの彼女の、
特に1912年の秋から春にかけてのあの醜悪な振る舞い以来、
彼女は私からどれほど隔たってしまった事でしょう。
以前のように彼女に対して自由になれないのです。


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ニコライ2世の日記 1915年02月20日

夜にグリゴリーがやってきて座っていた。

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ニコライ2世の日記 1915年03月12日

アンナを訪ね、グリゴリーと30分一緒だった。

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皇后から皇帝への手紙 1915年04月05日

医師がアンナを馬車で連れて行きました。明日には私の所に来るつもりです!
ああ神様、私の方は彼女から永遠に解放されたと思って大喜びしていたのです。
私はすっかりエゴイストになってあなたを独占したいと思っていますが、
またもや彼女はあなたが戻るたびに、私達をしょっちゅう悩ます事でしょう。


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アンナ・ヴィルボワの女中 マリア・ペリャーエワ

1915年05月の事ですが、アンナは朝9時から10時の間に目を覚まし、
診察所へ出かけて昼の1時か2時までおり、
その後は皇后の所へ出かけ5時までそこに残ってました。
昼食の後には必ず皇后の所へ出かけ、その後は12時まで残っていました。


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アンナ・ヴィルボワの付き添い医師 ジューク

アンナは毎日宮廷に赴き、昼は3時から5時まで、
そのご夜は9時半から12時や1時までいました。
しかし皇帝がお帰りになっている時には、
アンナは夜の時間には皇后を訪問しませんでした。
手紙のやりとりも頻繁で、私が晩にアンナを宮廷から彼女の家に送り届けると
もうすでに皇后から手紙が来ている事さえありました。
さらにはアンナが寝る支度をしている間にも。
時には2,3回ほど手紙を交わしている事もありました。

ラスプーチンは頻繁にアンナの家に来ました。
そんな日はたいていアンナの家に皇帝一家が勢ぞろいしたものです。
皇帝と皇后、子供達です。


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■05月 皇帝がモギリョフの大本営に常駐するようになる。


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皇后から皇帝への手紙 1915年05月20日

あなたに【私たちの友】の杖をお送りします。
【私たちの友】がしばらく使っていましたが、
祝福の印としてあなたにお送りするそうです。
私は、ムッシュー・フィリップの杖とこの杖が
あなたの部屋で一緒になるのがとてもうれしいのです。


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皇后から皇帝への手紙 1915年06月29日

サマーリンの事に関しては、私は悲しいどころの騒ぎではありません。
彼女はエリザベータ・フョードロヴナ大公妃〔皇后の姉〕の
不品行で偽善的な取り巻きの一人ではありませんか。
【私たちの友】を誹謗するゴシップが広まっていて、すべてが悪い方へ向かっています。
これはエリザベータの差し金であり、朝から晩まで尾行されているのです。
サマーリンは反ラスプーチンの立場なのですから、私達にも敵対してくるでしょう。
御存知のとおり私はニコライ・ニコラエヴィチ大公をまったく信用しておりません。
私は彼がまったく賢明でないのを知っていますし、
ひとたび神の人の敵になったからには彼の仕事がうまくいくわけはありませんし、
彼の意見も間違ったものである事を知っています。
いやまモスクワの一味が、私達をクモの巣にかけたかのようにがんじがらめにしています。
【私たちの友】の敵は私達の敵です。【私たちの友】に対する一切の陰謀やゴシップを
お禁じになるという事をはっきりとあなたからおっしゃって下さい。
ロシアの君主が神の人の迫害をお許しになるなら、
ロシアには決して神の祝福はないでしょう。

彼らは私の影響力を恐れているんですわ。
私が強い意志を持ち、他の誰よりも彼らの魂胆を見抜き、あなたが確固とした態度を
お取りになれるように手助けできる事を彼らは知っているからですわ。
この事はあなたの親族も感づいているので、
彼らはあなたがお一人の時にあなたに近づこうとしているのです。
あなたがここにいて下さったら、全力を振り絞ってあなたの御考えを変えて見せますのに。
あなたの妻があなたの助け手になる事、
これは私の意志というより神がお望みになる事なのです。
グリゴリーはいつもそう言っていますし、フィリップも同様です。
私はタイミングよくあなたに警告して差し上げる事ができるでしょう。


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ロシア在住フランス大使 パレオローグ

モスクワで6月に混乱が起こった。かの有名な赤の広場で群衆が皇室を糾弾し、
ラスプーチンを絞首刑にせよ、皇后は剃髪させて修道院に送れ、
皇帝は退位してニコライ大公に譲位しろ、などと要求した。


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■ジェンコフスキーはモスクワ騒乱のついて報告するよう皇帝から呼び出された。
ジェンコフスキーはモスクワ騒乱の報告とともに、
丸1年にわたるラスプーチンの尾行記録を見せた。


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憲兵隊隊長 ジェンコフスキー

皇帝陛下は私の報告中は一言も口をはさまれませんでしたが、
その後こうお尋ねになりました。「この件は記録されていますか?」
私は書類をカバンから取り出すと、
陛下はそれを手に取り書き物机のフタを開けて中に書類をしまいました。
私は「ラスプーチンの行動はきわめて危険で、ロシアを破滅に導こうとする集団の
道具になっているに違いないと思われます。問題は深刻です」と申し上げました。
対して陛下はこうおっしゃいました。
「この報告の事は私と貴職だけ、つまり私達の間にだけとどめるよう配慮したもらいたい」


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皇后から皇帝への手紙 1915年07月05日

私の敵ジェンコフスキーが卑劣な汚らわしい書類を見せました。
総司令部では皆が【私たちの友】と関係を断ちたいと思っているのです。
なんと忌まわしい事でしょう。もし私達が【私たちの友】を迫害すれば、
私達と私達の国すべてが苦しみを受ける事になります。
ああ、私の愛しい人、あなたはいつになったら拳で机を叩き、
ジェンコフスキーや他の者を怒鳴りつけて下さるのですか?


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皇后から皇帝への手紙 1915年07月08日

ああ、私のあなた、物事があるべき方向に進んで行かないのです。
なぜなら粗暴な助言であなたを感化しようとして、
ニコライ・ニコラエヴィチ大公があなたをそこから放そうとしないのですから。
ニコライ・ニコラエヴィチは、
【私たちの友】に導かれた私があなたに影響を与える事を恐れているのです。
私の大切な人、
あなたは彼に皇帝であるのは自分である事を思い出させなければいけません。
御自分には御自分の意志があり、ニコライ・ニコラエーヴィチや
彼の参謀の支配下にはないという事をお示しになるべきなのです。


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秘密警察の記録 1915年08月13日&08月14日

ラスプーチンがツァールスコエ・セロを訪問。

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シャチルバトフ公爵

ラスプーチンはニコライ大公罷免の前に3日間ツァールスコエ・セロに来ていました。
意志薄弱な性格の皇帝は、ストルイピンであろうとニコライ大公であろうと、
あまりに大きな役割を果たす人物すべてを恐れていたのでしょう。
自らが最高司令官におなりになるという御決断を、
人々は皇后とラスプーチンの影響力によるものだと理解していました。


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皇太后の日記 1915年09月03日

私の言葉はすべて虚しかった。これはもう私の理解を超えている。

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皇后から皇帝への手紙 1915年09月04日

ニコライ・ニコラエーヴィチ大公との謁見は快いものとはならないでしょう。
あなたは彼の事を信用していらっしゃったのですから。
しかし今や【私たちの友】が数ヶ月前に言ったこと、
つまりニコライ・ニコラエーヴィチが、あなたとあなたの国とあなたの妻に対して
誤った接し方をしているという発言の正しさをあなたは確信しておられます。
神はあなたとともにおられ、【私たちの友】もあなたの後ろについています。
ですから時が経てば、誰もがあなたが国を救って下さったと感謝する事でしょう。
ニコライ・ニコラエーヴィチ大公を利用しようとしていた左翼の者どもの陰謀が
白日の下にさらされたのですから。


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■09月05日 皇帝はニコライ・ニコラエーヴィチ大公を罷免する。


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月05日

謁見の前には必ずグリゴリーの櫛で髪の毛を梳かす事をお忘れにならないで下さい。
この小さな櫛が助けをもたらしてくれますから。


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アンドレイ・ウラジミーロヴィチ大公の日記 1915年09月06日

皇太后を訪ねると、彼女はすっかり気落ちしてふさぎこんでいた。
ニコライ・ニコラエーヴィチ大公を遠ざけた事は、
皇帝を避ける事のできぬ破滅に導くと彼女は考えていた。
「私達はどうなるの?私達はどうなるの?」と彼女はしきりに尋ねた。
「これはみな皇后がやった事です。
今起こっている事のすべての責任は、彼女一人にあるのです」


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皇帝から皇后への手紙 1915年09月07日

私は繰り返し祈り、何度も君の手紙を読み返して過ごした。
ニコライ・ニコラエーヴィチ大公は悪びれずさばさばした顔で入ってきて、
単にいつ立ち去れとの命令かと尋ねただけだった。
私も同じような調子で、2日間留まってよいと答えた。
お陰ですべてが過ぎ去った。


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月12日

グチコフを早く片付けてしまうべきなのでしょうが、どうやって片付けるか。
戦時下でもあるし、
なにか彼を投獄する根拠となるような事を考え出すわけにはいかないでしょうか。
なぜって彼の陰謀や演説、非合法活動を見るのは本当に不快なのですから。


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月20日

サマーリンは、ヴァルナワがあなたのもとに赴き
グリゴリーに関するすべての真実を告げるように望んでいます。
彼はひたすら【私たちの友】を迫害しています。これは私達への攻撃なのです。
ここにあなたのために、
サマーリンのポストへの候補者となりうる者達の名前のリストがあります。
(残念ながら、そんなに多くはないのですが)


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月21日

他の者はすべて追い払って、ゴレムイキンに新しい大臣を指名させて下さい。
鈴のついて私のイコンが、人を見分けるすべを教えてくれたのです。
もし彼らが悪しき意図をもって私の所に来たのなら、
きっと鈴が鳴りだして彼らをさえぎってくれたことでしょう。
あなた、愛しい人、どうか私の助言に耳を傾けて下さい。
これはあなたを助けるために私に与えられた特殊な本能なのです。
【私たちの友】の電報です。
『09月08日、恐れるなかれ。過ぎしより悪くはならじ、信仰と御旗が汝を慈しむ』


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月22日

彼の電報を別の紙に書き写しましたか?
『試練において消沈するなかれ。御自分の姿もて主が祝福を送らん』


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月23日

【私たちの友】は折よくニコライ・ニコラエーヴィチ大公を追い払い、
自ら軍の指揮を執るべきであると説得して下さった事で、あなたをお救いになったのです。


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月24日

宗務院総裁のサリーマンは愚かな恥知らずです。即座に彼をクビにして下さい。
それから内務大臣シチェルバトフも同様です。
お願いですから、彼のポストにフヴォストフを任命なさって下さい。


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月27日

私が公務に手を出している事に腹を立てている者もいます。
しかし、あなたを助ける事は私の義務です。
それはたとえ、世間や大臣が私の事を弾劾しようともです。
まったく世の中は筋の通らぬものです。


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月28日

閣僚会議の前に、例の小さなイコンを手に取り、
彼の櫛で髪を梳かすのをお忘れにならないで下さい。


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皇后から皇帝への手紙 1915年10月03日

ベレツキーは万事を知り尽くしているので、
内務大臣にとって非常に有益な人間になりうるだろうと思います。
【私たちの友】の妻がやってきました。
マスコミが書き立てている誹謗中傷やゴシップのせいで、
【私たちの友】がひどく悩まされていると言っています。
こうした事に終止符を打つべき時です。
フヴォストフとベレツキー、彼らこそそれを遂行する事ができます。


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■10月09日 宗務院総裁サマーリンが罷免される。フォブストフが内務大臣に就任する。
■10月11日 ベレツキーが警察局長官に就任する。


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皇后から皇帝への手紙 1915年10月19日

あなたに牝牛〔アンナ〕からの分厚い手紙をお送りいたします。
この恋情に満たされた生き物は、
自らの愛をすべて注ぎだしてしまわねば気が済まないのです。
放っておけば破裂してしまったでしょう!


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皇后から皇帝への手紙 1915年11月16日

フヴォストフが私に、あなたの秘密の行軍ルートの地図を持ってきました。
このことは一言たりとも他言いたしません。
ただ【私たちの友】にだけは伝えます。彼が至る所であなたを守ってくれるように。

私が思うに無駄な事ですが、アンナは政治的役割を演じたいと思っているようです。
彼女はあまりにも傲慢かつ自信過剰で注意力に欠けます。
【私たちの友】は、彼女が私達のためだけに生きる事を望んでいます。


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皇后から皇帝への手紙 1915年11月19日

ねえ、あなた、【私たちの友】は、
今度は私がゴレムイキン首相に会ってすべてを話すのが一番よいと考えています。
スキャンダルでやめさせられるよりは、
あなたの願いに応じてという形で自分から身を引かせる方がよいでしょう。


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皇后から皇帝への手紙 1915年11月20日

大切な天使、ルーマニアに関するあなたの御計画について、
【私たちの友】が大変知りたがっています。


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皇后から皇帝への手紙 1915年11月23日

【私たちの友】は夜中に幻視を体験して、
そこにすべての都市や鉄道などが出てきたのです。
【私たちの友】の幻視を伝えるのは難しいのですが、
【私たちの友】はこれはきわめて深刻な話だと言っています。
【私たちの友】が言うには、あなたは小麦粉・バター・砂糖を乗せた列車を
走らせるようお命じにならなければなりません。
現時点においては、弾薬や肉よりもこれらの品物の方が断然欠かせないのですから。


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皇后から皇帝への手紙 1915年12月22日

【私たちの友】はあなたがニコライ・ニコラエーヴィチ大公の地位を奪わなければ、
帝位から追い落とされるであろうと言っていましたね。


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by xMUGIx | 2008-02-15 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

■1915年 後半


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ラスプーチンの信者 歌手 アレクサンドラ・ベリング

ラスプーチンに初めて会ったのは、1915年11月だった。
ピストリコルスの妻サナは大変美しい女性で、
まるで陶器のような顔立ちをしていた。
甘やかされたわがままな子供のような魅惑的な印象を人に与えた。


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好奇心からラスプーチンに会ってみた人物 作家 ヴェーラ・ジュコフスカヤ

1915年末のラスプーチンのサロンの様子は、
サモワールが沸き立っているそばには、
灰色の看護服を着たアキリーナがぐったりとしていた。
彼女の横にはマリアがいて、
私をソファの隅に押し付けているラスプーチンを柔和な崇拝の表情で見つめていた。
シェホフスカヤ公爵夫人がやってきた。彼女も看護婦の服を着ていた。
「あんまり疲れたものだから一眠りしたいと考えていたのだけど、
こうしてあなたの所に来てしまったわ」
「まあ、いい子にするんだ」とラスプーチンは言った。
「大した御馳走だ」と言って彼は彼女の襟元から手を突っ込んで、胸を撫でた。
そして彼女の膝を抱きしめ、目を細めながら付け加えた。
「精神はどこにあるか知ってるかね?ここにあるんだ」
そう言ってラスプーチンは彼女の服の裾をまくった。
「ああ、扱いにくい連中だ。いいか、言うことを聞くんだ。このカマトトめ」
「私はすぐにお家に帰りますわ」と
公爵夫人はラスプーチンの肩に頭をもたれさせながら甘えて言った。
公爵夫人は接吻してもらうために顔を差し出しながら甘えた声で頼んだ。
「だっておわかりでしょう、神父様!」
「よしよし、いい子だ」とラスプーチンは彼女の胸をもみながら優しい声で答えた。
「欲しくなったんだな」
このような事はいつも私を驚かせた。
どうしてここではすべてが恥ずかしくないのだろうか。
あるいは、ここではすべてが特別なのだろうか。
ここでは甘やかされた貴族の女達が、薄汚れた初老の農夫の愛撫を待っていた。
怒りもせず嫉妬もせずに、おとなしく順番を待っているのだった。


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ラスプーチンの信者 商人の妻 ヴェーラ・ジャヌモア

ラスプーチンに初めて会ったのは、1905年04月のモスクワでした。
彼は赤ワインのグラスを手に私にもたれかかりながら、
何の前置きもなく「飲めよ」と言った。それから、「鉛筆を持ってきて書け」と命じた。
「天真爛漫さを学べ。苦悩は人をフランティックにさせるタチの悪いものだ。
太陽でさえ悩める者達を暖かく照らさない」 私は書きとめた。
「これを読め。心を込めて読め」とラスプーチンは言った。
そして私のニックネームをマダム・フランティックとした。
「あなたはついてるわ。彼は一目であなたに注目し愛してくれたのですもの」
と老婦人がささやいた。
「あんたは用事があってここへ来たんだろう。
さあ、向こうへ行こう。何がお望みかね、素敵な奥さん」
私達は隣の部屋へ行った。「あんたの抱えている問題は難しいね。
だが、皇后に話してみよう。たぶん、なんとかなるだろう。
皇帝の方がずっと俺を気に入っている。彼らは俺を愛さないわけにはいかない。
もし俺がいなければ、彼らも存続しえないし、ロシアも存続しなくなる。
あんたはペテルブルクへ来てもらわなければならない」

ラスプーチンを紹介してくれた友人から電話がかかってきた。
「彼はゆうべウチに泊まったんだけど、
今朝早くからそわそわしてあなたの所へ行く準備をしているわ。
尋ねると、『黒髪の美人に会いに行くんだ』と言うじゃありませんか。
これであなたは彼に何でも頼めるわよ。この機会をうまく利用してね」
私はペテルブルク行の急行列車に乗り込むラスプーチンを見送りに行った。
彼は私を抱擁して、「私と一緒にペテルブルクに来なさい。
あんたのためなら何でもしてあげるよ、フランティック。
いいかね、あんたが来なければ、何もできない」と言った。
そして見送りに来た一人一人に接吻して、車内に消えた。

10月にペテルブルクのラスプーチンの家に行き、
サロンのほとんど全員に会う事ができた。
白いスカーフの愛徳会修道女やみすぼらしい身なりの老女がいるかと思えば、
シルクや光沢のあるドレス・黒貂の毛皮・ダイヤモンド・
羽飾りをつけてセットした髪の女性もいた。
来訪者は全員、手にキスする儀式から始めた。
ラスプーチンは私を、
「この人はモスクワから来た俺の最愛の人、フランティックだ」と紹介した。
彼は私をアキリーナ・ニキチーシュナの隣に座らせた。
紅茶が注がれたので砂糖を入れようとすると、
アキリーナは私のカップを取り上げて「神父様、祝福をして下さい」と言って、
「神父様の手で砂糖をお入れになると、それが神の祝福になるのです」と私に説明した。
みんなもカップをラスプーチンに差し出した。
素晴らしいブルネットの男爵夫人、ヴェーラ・クーソワが皿を集め始めた。
ラスプーチンは短い説教を始めた。
「人はもっと天真爛漫でなければならない。天真爛漫であればあるほど神に近づける。
わしの可愛い御婦人がたよ、あんたがたはみなこざかしい。
わしはあんたがたをよく知っている。わしはあんたがたの心を読める」
帰る時になるとみな神父の手にくちづけをし、
彼の方は全員を抱いて唇にキスをするのだった。
「神父様、乾パンを下さい」と彼女達は求めた。彼が黒い乾パンを分け与えると、
皆はそれをよい香りのするハンカチにくるみ手提げの中にしまった。
女中が新聞紙にくるんだ2つの包みを持ってきた。
それはラスプーチンの汚れた下着だった。
「汚ければ汚いほどよいのです」と彼女達は言った。「汗が染みついた物ですから」

ロフチナが入ってきた。
彼女は昔風の仕立ての白い麻布の衣服をまとい、
頭には修道尼の白い頭巾をかぶっていた。
首からは十字架つきの小さな本がたくさんぶら下がっていた。12の福音書だ。
彼女はラスプーチンに向かって何かささやいていたが、
誰か大声で話す者がいるとにらみつけ「神父のもとでは、
大聖堂の中と同じように厳粛にしなければなりません」
「放っておけ。楽しませてやれ」ラスプーチンは言った。
近くの婦人に尋ねると、
「彼女は神父様を聖人のように敬って、隠遁者のような生活を送っています。
丸太を枕にして木のベッドで寝ているのです。聖女ですよ」と教えてくれた。

ベルが鳴ると、
簡素な服装のふっくらした金髪のアンナ・ゴロヴィナが立ち上がってドアを開けた。
偉そうに構えているアンナの母もそばにいた。
看護婦の制服を着た黒髪の素晴らしい美人、シェホフスカヤ公爵夫人がやってきた。
公爵夫人は夫と子供達を捨てて4年も彼につき従っている。
ラスプーチンは彼女を【私の雌アヒル】と呼び、侯爵夫人は彼の手や足にキスをしていた。
真珠貝のような爪をした繊細な指で公爵夫人がジャガイモの皮をむいてやっている間に、
ラスプーチンは魚を食べていた。公爵夫人は魚でねばねばしている彼の指にキスをした。
公爵夫人はラスプーチンの書斎へ行きたがった。彼は不機嫌にそれに応じた。
だが、二人は数分で戻ってきた。
ラスプーチンは怒っており、公爵夫人は目に涙を浮かべていた。
「俺はかつて彼女を愛した事もあったが、今はもう愛していない」
とラスプーチンは言った。「俺はあんたのためなら何でもするよ。
だが、あんたも俺を喜ばせ、俺の言う事を聞かなくてはだめだ。
あんたが俺の言う通りにすれば問題は解決する。嫌なら何もしてやらない」
清純無垢のマリアも私に謎めいた事を言った。
「彼はすべてを神聖にしてくれるのです。なぜなら彼が相手なら罪はないからです」
そして彼を困らせず折れるようにと私を説得した。

ラスプーチンは歌手のアレクサンドラ・ベリングを私のところに寄こした。
彼女は私がラスプーチンを苦しめていると非難した。
「どうしてあなたは神父のものになるのに同意しないのですか?
彼はすべてを神聖なものにするのです。だからあなたが彼とする事は何でも神聖なのです」
「あなたは同意なさっているの?」
「もちろんです。私は彼のものです。それは無上の幸福です」
「でもあなたは結婚してるんでしょう?あなたの御主人はどう思っているの?」
「主人は知っています。彼はこのことを大きな幸福だと思っています。
もし神父様が誰かを欲した時、私達はそれを素晴らしい祝福だと受けとめます。
私達も夫達もそう思います。今神父様があなたの事でどれほど悩んでいるか、
私達はみんな知っています。私は信者一同に代って、
神聖な神父様をこれ以上苦しめ、祝福を拒まないようにお願いするために参りました」

夕方、今度はラスプーチンが一人でやってきた。
「あなたは聖人と言われているのに、淫らな行為に誘おうとしておられる。
これは罪ではないんですか?」
ラスプーチンはささやきました。
「この事に罪などない。そんな事は人間が考え出したのだ。
獣達を見よ、奴らが罪を感じているか?単純が一番尊いのだ」
「神父様、あなたは約束ばかりして、何もして下さらない」
「あんたも俺に何もしてくれないじゃないか。
あんたがやっているのはこざかしく立ち回る事だけだ。
俺にひとときの愛をくれれば、あんたの問題はうまく進む。
愛がなければ、力が出ないし運も開けない。
俺はあんたを愛しているから心から助けたいと思っているが、愛なしでは何も生まれない」
ラスプーチンはいらいらしながら歩き回った。
彼は次第に落ち着きを取り戻し、
私を抱擁して「そんなに怒るなよ、フランティック」と言った。


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by xMUGIx | 2008-02-15 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆1914年

*皇帝一家は04月07日から06月18日までクリミアで静養、首都を2ヶ月半留守にする


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ニコライ2世の日記 1914年02月02日

夜に、グリゴリーとお茶を飲んだ。

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■02月12日 首相ココフツォフが罷免される


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首相 ココフツォフ

皇太后◆私はあなたが立派な方であり、
私の息子に何の悪意もお持ちでない事も知っています。
またあなたは私が将来に不安を持っている事もよくわかっていただいていると思います。
私は嫁から嫌われています。私が彼女の権力を妬んでいると思っているのです。
私のただひとつの願いは息子の幸福だけなのを理解してくれません。
私は破局が近づいているのがわかるのです。
それなのに皇帝は周りに何が起きているのかわかっておらず、疑いさえしていません。
あなたは今は何を言おうと自由の身ですから、
まだ遅くないようでしたら皇帝に警告をしてあげてもらえないでしょうか。

ココツフォス◆何もできません。皇后は私を敵だと思っています。
この敵意は1912年以来続いているものです。


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ニコライ2世の日記 1914年02月15日

夕食後にグリゴリーが来て、1時間一緒に話をした。

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ニコライ2世の日記 1914年03月03日

お勤めの時、祭壇にいるグリゴリーを見た。

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ニコライ2世の日記 1914年05月28日

昨日ヤルタに来たグリゴリーと夜の時を一緒に過ごした。

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■06月 ラスプーチンが地元ポクロフスコエ村で、見知らぬ女性に刺される


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ロシア駐在フランス大使モリス・パレオログ

晩餐会の間、私は皇后を見守っていた。
ダイヤモンドが輝いている頭、白錦のデコルテに包まれた姿は、まだかなり美しく見えた。
彼女は右側に座っているポアンカレと会話を絶やさないように努めていた。
だがまもなくその微笑がひきつり始めて、頬にまだらなぶちが現れた。
皇后は絶えず唇を噛みしめていた。熱に浮かされたかのような息遣いのせいで、
胸元を飾っていた網模様のダイヤ細工のネックレスが炎のように揺れ動いていた。
おそらくこの哀れな女性はヒステリーの発作と闘っていたのであろう。


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警察の記録 加害者ヒオニア・グーセワ

私はラスプーチンは偽預言者であり、反キリストであると考えたのです。
私は400人にのぼる偽預言者をナイフで殺めた聖なる預言者に倣って、
ラスプーチンを殺す事を決意したのです。
06月29日の昼食の後、通りを歩いていくラスプーチンを見かけました。
私は短剣をスカートの裏側に縛り付けて隠し持っていました。
それをコートの隙間から引き出しました。
その短剣で彼の腹を1回突き刺しました。
するとラスプーチンは走って逃げようとしたので私は追いかけました。
彼に致命傷を与えようと思って。
彼は地面に落ちていた車の舵棒をつかむと私の頭を一殴りしたので、
私はばったりと地面に倒れました。昼間の事だったのですぐに人が集まり、
「こいつを殺してしまおう」と言いながら例の舵棒を手にしました。
私は立ち上がって群衆に向かって言いました。
「私を警察に引き渡して。どうか殺さないで下さい」


*裁判をしてグーセワの口からラスプーチン批判が出る事を恐れた当局は、
グーセワを精神病院に送った。

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宗教家 イリオドル

川の岸辺に信徒を集めた。その集まりで3人の非常に美しい女性が選出された。
その3人の美女には、ラスプーチンを誘惑し殺害する使命があった。
しかし、そこに参加していたヒオニア・グーセワがこう言った。
「どうして前途あるこの美しい人達の身を破滅させる事ができましょう。
私は醜く誰にも必要とされない女です。私一人で彼を処刑してみましょう。
神父様、私に彼を仕留めよとお命じ下さい。
古代の預言者が偽預言者どもを処罰したように」
私はヒオニヤ・グーセワの贖罪司祭だった。
彼女は18歳までは美しい顔立ちをしていたが、そのご異様に醜くなってしまった。
梅毒で鼻が崩れ落ちてしまったのだ。


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■07月28日 第一次世界大戦始まる
皇帝はモギリョフの大本営と首都を往復するようになり留守が重なるにつれて
皇后・ラスプーチン・アンナの三頭内閣が実権を握る。


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秘密警察の記録 1914年08月25日

ラスプーチンはアンナとともに宮殿に向かった。

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ニコライ2世の日記 1914年09月04日

夕食後に負傷してから初めてグリゴリーに会った。

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ニコライ2世の日記 1914年09月27日

夜グリゴリーが来るのを長い間待ち、それから彼と長時間一緒に話をした。

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ニコライ2世の日記 1914年10月30日

夜にグリゴリーと話をして落ち着き、心の平衡を取り戻した。

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好奇心からラスプーチンに会いに行った女性作家 ヴェーラ・ジュコフスカヤ

私がラスプーチンの家を訪問したのは1914年冬のことだった。
エレベーターは最上階で止まった。私が呼び鈴を鳴らすと、
白いスカーフをかぶった背の低い太った女性(アキリーナ)がドアを開けてくれた。
彼女は間隔の広くあいた灰色の目で私を無愛想に眺めた。
玄関の間からドアが少しだけ開き、
ラスプーチンがスリッパをすりながらそそくさとなぜか横向きに飛び出てきた。
「私の個室にお連れしろ」ラスプーチンは私を指しながら小声でそう言った。
それは窓が一つだけある狭い部屋だった。
ドアの脇にベッドがあり、高くふくらんだクッションを
絹のつぎはぎだらけの毛布が覆っており、横には洗面台があった。
洗面台の脇の窓の前には書き物机があった。
机の真ん中にはフタに国章が施された大きな懐中時計が置いてあった。
イコンはなかったが、窓辺にはイサク大聖堂の祭壇の大きな写真があり、
その上にはさまざまな色のリボンが束ねてあった。

彼は肱掛椅子を近寄せると私と面と向かって座り、私の両足を自分の膝の間にはさんだ。
「お前も坊主どもなど信じちゃならん。連中は馬鹿ですべての秘密を知ってはおらん。
罪は悔い改めるために授かるものだ。ああ、お前は可愛い子だ、ミツバチのようだ。
お前に罪を見せてやろうか?1週間精進して聖体礼儀のあと俺のところへ来てみるといい。
その時、お前の魂に天国が訪れるだろう。
ほら、俺が今から罪というものをお前に見せてやる。
お前はなんで俺の方をそんなに見てるんだ?ミツバチさんよ」
そして身体を屈めキスをした。

サロンとなっている大きな部屋には10人ばかりの女性がいて、
テーブルの端にはジャケットを着て陰気な様子の男が座っていた。
彼の横にはブラウスをはだけた若い身重の女性が肱掛椅子の背にもたれていた。
彼女の大きな空色の瞳は、優しくラスプーチンを眺めていた。
私は後に彼らがピストリコルス夫妻である事を知った。
しかしラスプーチンの所で夫のピストリコルスに会う事はなくなり、
見かけるのは妻のサナだけだった。
サナの横にはリュボーフィ・ゴロヴィナ〔マリア・ゴロヴィナの母〕が座っており、
私は彼女の青白い生気のない顔が気に入った。
彼女は女主人然と振る舞っており、皆に食べ物を勧め会話を絶やさないようにしていた。

私は好奇心を抱きつつアンナを見た。
背が高くふくよかなブロンドで、地味で野暮ったく見える服装をしており、
顔は美しくなく、鮮やかな暗赤色の肉感的な口と、不自然に輝く空色の目をしていた。
彼女の表情は絶えず変化していた。それは捕えがたく裏表のある欺瞞的な表情で、
秘められた肉欲と底なしの不安が、厳格に交替していた。
彼女の隣に座っていたマリアは、
おとなしそうな絶えず瞬いている淡い空色の目で私を眺めていた。
マリアのラスプーチンへの態度は、
聖なる者への崇敬といったものでなく、ある種の盲目的な信仰でした。
ゴロヴィン家のような堅苦しい家庭、
偏狭な倫理観による厳しい規律のもとで育まれた家庭が、
ラスプーチンの放埓な行動を辛抱するどころか、
彼を取り巻いているものに何も気づかないでいるなどということが、
いったいどうして可能だったのでしょう。
うら若い娘が柔和な青白い瞳で私を見つめた。
明るい灰色のドレスとスミレを飾った白い帽子を身に着けた彼女は、
とても小さく見え胸を打った。
彼女の眼差しや言葉の一つ一つに、限りない献身ぶりと心服し切った態度がうかがえた。

あとの女性達は取り立てて言うことのない人々で、皆なんだか同じような顔をしていた。
中学校の制服を着た背の高い少女が入ってきた。ラスプーチンの娘のマトリョーナだった。
皆は彼女に向かってまっすぐに手を差し伸べ、「マーロチカ!」と言って迎えた。
公爵夫人や伯爵夫人たちがラスプーチンの娘にキスする光景は非常に不思議なものだった。
マトリョーナは16歳、ワルワーラは13歳だった。
大きく色鮮やかな唇を備えた彼女達の広く青白い顔には、
荒々しいシベリアの力が激しく溢れ返っていた。
汗の匂いがする彼女たちの力強い肉体は、
薄手のカシミア織で作った地味な子供服からはみ出さんばかりだった。

玄関の間で激しいざわめきが起こった。
「キ~リ~ス~ト~は~甦り~給え~~~り~!」
キンキンした甲高い声で狐つきのようにヒステリックに歌っていた。
ロフチナ夫人は私の横を通り過ぎて、ラスプーチンの肱掛椅子の前でバタンと倒れた。
勢いよく起き上がると彼女は後ろからラスプーチンの頭に抱きつき、
とぎれとぎれの素っ頓狂な声で叫びつつ、猛烈にキスを浴びせた。
「愛しいお前さんよ~、優しいお前さんよ~、おひげさんよ~」
ラスプーチンは懸命に振り払いながら叫んだ。「立ち去れ!サタンめ」
首にかかった手をもぎ放すと、力任せに彼女を部屋の隅に投げ飛ばした。
ロフチナ夫人は息も絶え絶えに寝椅子にたどりつきわめいた。
「でもあんたは~あたしのものなんだ~!あたしは~知ってる~!
あんたは~わたしが~好きなんだ~!」
「お前など大嫌いだ!畜生め」
「でも、あたしはまたあんたにキスしてやる!」
彼女は一瞬にしてラスプーチンに走りよると、彼の頭を抱きかかえた。
ラスプーチンは彼女を壁まで飛んでいくほど強く殴ったが、ロフチナ夫人はまた叫んだ。
「ほら、殴れ!殴れ!殴れ!」
彼女は容赦を知らない恐るべき巫女のようなものを思わせた。
突然アンナがロフチナのもとに歩み寄り、
彼女の前にひざまずいてその手にくちづけをして自分の場所に戻った。
「やっとわかったね!」ロフチナは冷静に言った。
すると今度はムーニャがロフチナの前にひざまづき、彼女の手にくちづけしたのだ。


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ラスプーチンの信者 マリア・ゴロヴィナ

1913年にロフチナの攻撃に対する抗議という意味を込めて、
彼女がペテルブルクに来た折にはかしずくようになりました。


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by xMUGIx | 2008-02-14 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆1913年

*皇帝一家は06月22日から翌年01月01日までバルト海・クリミアで静養、
約6ヶ月首都を留守にする


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ニコライ2世の日記 1913年01月31日

善良なグリゴリーに会った。彼は1時間15分、私達の所にいた。

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■1913年はロマノフ王朝300周年であった。
1年に渡って様々な記念式典が行われたが、常にラスプーチンが招かれていた。


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ニコライ2世の妹 クセニア大公女の日記 1913年05月24日

ラスプーチンが入口の所に立っていて、私以外の者はみな彼を見ていた。
聖職者達の間の不満と抗議は大変なものだった。


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ニコライ2世の日記 1913年06月14日

お茶の後でグリゴリーに会った。

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ニコライ2世の日記 1913年07月30日

午後7時にグリゴリーがやってきて、
アレクサンドラとアレクセイのそばにおり、私や娘達と話をした。
グリゴリーが去って間もなくアレクセイの腕の痛みが無くなり始め、落ち着いて寝入った。


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■10月 ラスプーチンは初めて首都ペテルブルクに自分自身の住居を構えた。
二人の娘は上流階級の子女のためのステブリン・ラメンスカ高等女学校に入学を許された。


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イギリス大使ジョージ・ブキャナンの娘 マリエル・ブキャナン

オペラのボックス席にいた皇后の白い鷲の羽の扇子が
ひどく不自然に揺れ始めたのが目に入った。
皇后の青白い顔は急に上気して、とてもこの場にいられない様子に変った。
彼女が苦しそうに息をするたびに、
ドレスに散りばめられたダイヤモンドが不安気にきらめいた。
苦痛に耐え切れなくなった皇后は皇帝にちょっと耳打ちするとボックス席から姿を消し、
その夜は二度と現れなかった。場内に憤慨のさざ波が走った。
ささやかれる話はいつも同じで、「皇后はペテルブルクをひどく嫌っておられる。
社交界も、ここに住む人々も、ここに関係のある物はすべて気に入らないのだ。
その場に感情移入して、自らも楽しむという人ではない」というものだった。
父は本当に身体がつらくて席を立たれたのだと私に説明した。
それは本当だった。たまに公の場に出ると、
皇后は決まって息切れ・失神・疲労などの発作を起こすのだった。
だがいくら理由が説明されても、人々の間には不快な印象を残し、消えなかった。


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ラスプーチンの信者 レオニード・モルチャノフ

4つか5つの部屋からなる住居は家具調度が粗末で快適ではありませんでした。
部屋の一つにはアキリーナ・ラプチンスカヤが住んでいましたが、
差し当り女中がいないため彼女がサモワールを沸かしたり魚汁を作ったりしていました。
別の部屋には二人の娘達がステブリン・カメンスカヤ私立中学校の寄宿舎から
帰ってきた時に一緒に住んでいました。


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ラスプーチンの信者 マリア・ゴロヴィナ

モギリョフ県の農婦アキリーナは、以前ヴェルホトゥリエ修道院に住んでいました。
しかしその後なんらかの面白くない事件が起こったため、
彼女はそこを去り看護婦となりました。


*ヴェルホトゥリエ修道院は、放浪中のラスプーチンが立ち寄った場所である。

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秘密警察の報告 1916年

アキリーナはラスプーチンの家に何ヶ月も暮らしている。
彼女を相手にしたエロティックな体操は、ブラインドが無いので通りから丸見えだった。


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ジナイーダ・ユスーポワから息子フェリックス・ユスポフ公爵への手紙 1913年11月

私は皇帝一家のテーブルに席を与えられました。。
皇后は私にお祝いを述べ、お前たち二人の事についてたくさん話しました。
愛想よく見せようとしていたにもかかわらず会話はそっけないもので、
私がどれだけ彼女にとって気に食わぬ存在かという事が見て取れました。
皇帝は笑顔や握手で事をごまかそうとし、言葉は一言も発せられませんでした。
アンナは5番目の皇女という資格で、そのように振る舞っていました。
【黒い姉妹】はまるでペスト扱いで、
皇帝夫妻が彼女たちをまったく無視しているのを見ると、
宮廷の者達は誰も彼女達に近づいていこうとしないのでした。


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by xMUGIx | 2008-02-13 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆1912年

*皇帝一家は03月28日から06月15日までクリミアで静養、3ヶ月半首都を留守にする。
さらに9月17日から狩猟のためポーランド・ベロベシに出かけ、2ヶ月首都を留守にする。


■01月23日より秘密警察によるラスプーチンの監視が再開された


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秘密警察の報告

内務大臣マカーロフの命により、
ラスプーチンに対する再度の監視が1912年01月23日より行われた。


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秘密警察の報告

1912年、ラスプーチンは
雑誌『ロシア・エコノミスト』の出版者であるゲオルギー・サゾーノフと
彼の妻マリア・アレクサンドロヴナの住居に暮らしていた。
ラスプーチンとサゾーノフ夫人は愛人関係にあるものと思われる。


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皇后の友人 ラスプーチンの信者 リリ・デーン

ラスプーチンはロフチナ夫人と一緒にやってきました。
私は彼を病気の坊やが寝ている子供部屋へと連れて行きました。
この訪問の翌日には、坊やはよくなりました。
この事は私に深い感銘を与えました。
私は週に2,3回、ある時は自分の家、ある時はゴロヴィン家、
ある時はサゾーノフ家にいる彼の元に通うようになりました。


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秘密警察の記録 1912年01月24日

ラスプーチンは10時15分に家を出て店へ向った。
1本の瓶を持って出てくる。おそらくワインだと思われる。
彼はマリアとその母がいるゴロヴィン家をほとんど毎日訪れる。
通常2時から3時の間だった。
この時間、家にはジナイーダ・マンシュタットとリリ・デーンが集まっていた。
これらの女性達の同席のもと、彼は一日中過ごした。


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ニコライ2世の妹 クセニア大公女の日記 1912年01月25日

すべてはどのように終わりを迎えるのだろう。恐ろしい。

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秘密警察の報告

街の中を移動する時ラスプーチンは、
ゴロヴィン家の箱馬車かタクシーか女性信者によって雇われた辻馬車に乗った。
彼は一日中、リリかジナイーダかアキリーナかマリアかサゾーノフ夫人とともに現れる。

彼が一人で街に出るのはまれだった。
そんな場合には売春婦達が歩き回っている通りに行って一人選び、
ホテルか公衆浴場に向かった。
彼は身分の高い女性達と過ごしながらも、売春婦達を訪ねる事をやめない。

・ラスプーチンは個室付公衆浴場に、サゾーノフの妻(43歳)と一緒に訪れた。
・ジナイーダとともにイワノフ修道院へ行き、
その後売春婦に会うと一緒に宿屋で過ごした。
・サゾーノフの妻は2時間ラスプーチンのもとに残っていた。
その後彼は売春婦を拾ってその女の住居へ行った。
・ラスプーチンはその日、売春婦と2回公衆浴場に行った。
・売春婦2人の所からゴロヴィン家に行き、
2時間後再び売春婦をつかまえて公衆浴場へ行った。


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ヒノニア・ベルラツカヤの告発

知人の女性が、心をとても安らげてくれて秘められたる知恵を語ってくれる
ラスプーチンと近づきになるよう勧めてくれました。
ラスプーチンは私を落ち着かせてくれた上、女性信者達にも紹介してくれました。
彼女達のおかげで、彼の聖性についての私の信念が固まっていきました。
私はすべてにおいて彼に従おうと努め、
もし心の中で「嫌だ」「必要ない」といった声が抵抗を始めたり、
どうしても言いつけの実行に踏み切れなかったりした時には、
「私はわかっていない、これらはみな新しい事だ、
あの人の言葉は聖なる法であり私の判断の及ぶものではない」
などと自らを諭し、すべてに打ち勝ちました。

彼の愛撫は、私の気を重くさせました。
絶えず手にくちづけし、唇にもキスをしようとしました。
私はそれも忍耐の訓練と思って、終わるたびにホッとしました。
ポクロフスコエ村に行く一行は、ラスプーチンと一人の修道女、それに私と息子でした。
晩に皆が床に入ると彼は自分の所から這い出してきて私と並んで横たわり、
愛撫しキスをしまるで恋人のような言葉を語りかけ、
そして「俺の女房になってくれるか」と尋ねました。
私は「もしもそれが必要なら」と答えました。
私はすべてを彼への自分の愛の純粋さを試みるためのものと受け取りましたし、
女性信者の一人が何だかわけのわからない非常に苦しい試練を受けた
と話していたのも思い出しました。
私はこれは彼が試練を課しているであり、彼自身は汚れなき存在だと確信していました。
そして彼は夫にだけ許される事を行い始め、
私を無理矢理犯していろいろな事をしたのです。


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国会議長 ロジャンコ

新聞を読んだ皇太后は、すぐさま私を呼んだ。
ラスプーチンについての噂は世間であまりに度の過ぎたものになってしまったので、
彼の乱交について詳しく語った。
皇太后は黙って聞いていたが、別れ際になってから突然言った。
「あなたはこの事を皇帝陛下にお話しするつもりだそうですね。
彼は悪を信じるにはあまりに心が清らかすぎるのです。
あの子をあまり辛い目にあわせないで下さい」


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コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公の日記 1912年

皇太后は、
彼らが秘かにラスプーチンに会い続けている事を知って絶望しておられる。


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■皇后がラスプーチンに送った手紙が流出する


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流出した皇后からラスプーチンへの手紙

熱愛する忘れがたい私の先生、救助者へ。
あなたがそばにいないと私はどんなに苦しいことでしょう。
先生が私のそばいる時だけ、私は安らぎ休息できます。
私はあなたの手にキスをして、私の頭をあなたの聖なる肩にもたれさせたい。
そうすれば私の気持ちはどんなに楽になることでしょう。
私は一つのことを願います。
あなたの肩、あなたの抱擁の中で永遠の眠りにつきたい。
あまたはどこにいるのですか、どこに飛び去ったのですか。
私は苦しく、心はふさいでいます。なるべく早く来て下さい。待ち焦がれています。
あなたの聖なる同意を願い、あなたの聖なる手にキスをします。
永遠にあなたを愛するママより。


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皇后の友人 アンナ・ヴィルボワ

内務大臣マカーロフはこれらの手紙の現物を自分で皇帝に持って行きました。
私は自分の目でマカーロフの持って来た手紙を見て、
それが写しではなく実物である事を確信しました。
マカーロフは皇后に手紙を返さなかった事で、彼女の怒りを買ったのです。


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月17日

彼らは私たちの友人ラスプーチンに宛てた私の手紙を部外者達に見せた
マカーロフに劣らぬ悪者達です。


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首相 ココフツォフ

印刷された4,5通の手紙の写しが町中に広まりつつあった。
1通は皇后から、残りは皇女達からラスプーチンに宛てた物だった。
1912年02月13日に私は皇太后から呼ばれた。
1時間半ほど続いた会話は、すべてラスプーチンの話題に費やされた。
「私の不幸な嫁は、自ら自分と王朝の死を招いているという事が理解できないのです。
彼女はあの疑わしい人物の神聖さを深く信じ切っているのです」


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マリア・ゴロヴィナからフェリックス・ユスポフ公爵への手紙 1912年02月14日

別の生を開示する人は、どんな時代にも迫害され追放されるものです。
キリストに従った人々と同様に。
あなたは彼についてあまりにも知らず見てもいないので、
彼の人格と彼を動かしている力を理解できないのです。
しかし私は彼を知って2年になりますから、彼が神の十字架を背負っており、
私達には理解しえない真理のために苦しんでいるという事を確信しています。


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1912年02月18日

これほど恥ずべき時代は前代未聞だ。
今ロシアを支配しているのは皇帝ではなく、山師ラスプーチンなのだ。
ラスプーチンは新聞雑誌の攻撃に閉口して、
「自分は立ち去る用意はあるのだが、身内が自分を必要としているのだ」と言っている。
その身内とは皇帝一家の事なのだ。


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1912年02月22日

あのラスプーチンが宮殿で行っている事に対して、全ペテルブルクが憤慨している。
ああ、あの男は皇后の元でならどんな事もできるのだ!


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国会議長 ロジャンコ

1912年02月28日、書類によって武装し皇帝の元へ報告に向かった。
私は皇帝に対し、
ラスプーチンが鞭身派であると皆が知った時の世間一般の怒りについて述べた。
「あなたはなぜ彼が鞭身派だと思うのですか」と皇帝は尋ねた。
私は「彼が女達と一緒に公衆浴場へ通っているのを、見張りの警察が突き止めたのだ」
と述べた。
「それがいったい何だというのですか?平民達の間ではよくある事です」
そこでラスプーチンの犠牲者達による手紙や告白のこと、
ラスプーチンが狂気に追いやったロフチナ夫人のこと、
ラスプーチンが暮らしていたサゾーノフ家で行われていた宗教儀式のことなどを話した。
「あなたはストルイピンの報告書を読みましたか」と皇帝が尋ねた。
「いいえ、それについては存じておりますが読んではおりません」
「私はあれを却下したのだが」と皇帝は言った。
そして皇帝は私に、トボリスク事件の調書を借り出して調べてみるよう勧めた。

私に調書を持ってきたのは、宗務院総裁補佐のダマンスキーだった。
次の日に彼は私に電話をかけてきて面会を求めた。
やってくるなりダマンスキーは告げた。
「私はラスプーチンに関する機密文書をお返しいただくようお願いに参りました」
「あなたは皇帝陛下の命を受けておられるのですか」
「いいえ。しかしいとやんごとなき御方からあなたへの依頼であります。皇后陛下です」
「皇后陛下にお伝えください。
あの方もこの私と同じく皇帝陛下、すなわち御自分の夫君に仕える身でいらっしゃると」


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ニコライ2世の日記 1912年02月28日

ママがお茶の時間にやってきて、グリゴリーについて話をした。

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ニコライ2世の妹 クセニア大公女の日記 1912年02月29日

ママは言いたい事を全部言ったので満足していた。
アレクサンドラは、ラスプーチンは素晴らしい人物であり、
ママも彼に近づきになるべきだと言って彼を弁護した。
ママは「いま国会が返答を待っている所なので、
彼に出て行ってもらったほうがいい」と勧めただけだった。
アレクサンドラは一歩も退く事はできないと宣言した。


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■皇帝皇后は世論の鎮静化のため、ラスプーチンを故郷のポクロフスコエ村へ行かせた。


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ポクロフスコエ村のラスプーチンから皇帝夫妻への手紙

愛しいパパとママ!これは呪うべき悪魔が力を得ているのです。
国会も悪魔に仕えています。あそこには革命家やユダヤ人どもが大勢います。
果たして連中は何を求めているのか?
それは神の遣わした皇帝を一刻も早く追い払う事なのです。
パパ、これはあなたの国会だから、どうとでもやりたいようになさるがいい。


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■ポクロフスコエ村でゆったりと田園生活を楽しんでいたラスプーチンの所に、
1912年03月ごろ正気を失ったロフチナ夫人がやってきた。
かつてペテルブルクのファッションをリードしていたロフチナ夫人は、
数々のリボンやイコンをぶら下げた珍妙な白い上衣をまとい裸足だった。
施し物で飢えをしのぎつつポクロフスコエ村まで歩いて来たのだ。
彼女は村人の視線を浴びながら、「キリストは甦りたまえり!」と叫びながら歩いていた。
新聞は、ラスプーチンがこの哀れな夫人を狂気に追い込んだのだと書き立てた。
そこでラスプーチンは彼女に奇行を禁じ、絶え間なく叫ぶ彼女を容赦なく殴った。
ラスプーチンの妻もまた、ロフチナ夫人の髪を掴んで家の門から引きずりだすと
通りの真ん中で殴ったりするのが目撃された。


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ラスプーチンの信者 オリガ・ロフチナ

つかみ合いについては、確かにそういう事はありました。
ある日ラスプーチン一家がお客に行っていた時、私は別の村人の家に寄りました。
その家の住人がたいそう貧窮していることを知った私は、
ラスプーチン様に牝牛をくれるようしつこくせがみました。
私は何か思いつくと、それが実現されるまでずっとこだわり続けるたちなのです。
それで私は客の前でラスプーチンの妻をケチだと言って責めたのです。
客が去るとラスプーチンの妻は、よその人の前で悪口を言ったとして私を責め、
髪をつかんで私を殴ったのです。私は彼らの元から去りました。

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■皇帝一家は3月末からクリミアへ保養に行った。
クリミアに到着すると、皇帝皇后はすぐにラスプーチンに電報を打った。
電報を受け取ったラスプーチンは、ポクロフスコエ村からクリミアへ向かった。


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1912年03月14日

明日皇帝一家はそろってクリミアへ発たれる。ラスプーチンも合流する。
この鞭身教徒を大目に見るという事ができる皇后の御趣味については、
書くのも悲しい。


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秘密警察の記録 1912年03月23日

ラスプーチンはペテルブルク行きの列車に乗った。

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ニコライ2世の妹 クセニア大公女の日記 1912年03月23日

*ニコライの妹クセニアとオリガの姉妹もクリミアへ向かった。

車内でオリガは私達にアレクサンドラとの会話を話して聞かせた。
かわいそうな坊やがあの恐ろしい病気にかかったこと、
そしてそのために自分も病気になり全治の見込みはないことを、
アレクサンドラは初めて語ったのだ。
アレクサンドラはラスプーチンについて、
「彼がそばに来てくれたり祈ってくれたりすると
すぐに子供の具合が良くなるのを目にしているだけに、
自分は彼を信じないわけにはいかない」と語ったという。
神よ!なんと恐ろしいことでしょう!そして彼らはなんと哀れなことでしょう!

ラスプーチンがクリミアに到着するとアレクサンドラは大喜びして、
「この人は自分がいつ私に必要なのかを常に感じ取ってくれる」と言った。


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■10月22日 アレクセイ皇太子危篤が報じられる。
皇位継承第2番目であった皇帝の弟ミハイルは結婚を急いだ。
もし跡を継いでしまえば、
今の恋人ナタリア・ヴリフェルトと結婚することは不可能となるからだ。


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ミハイル・アレクサンドロヴィチ大公から皇太后への手紙 1912年10月31日

愛しい母上、あなたを悲しませるのは僕にとってどんなに辛く心痛むことでしょう。
2週間前に僕はナタリアと結婚しました。
もし小さなアレクセイの病気がなかったら、
おそらく決してこんな思い切った事はしなかったでしょう。

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■首都に戻ったラスプーチンは以前と同じサイクルで生活を始めた。
堅苦しいゴロヴィン家の後は売春婦、
その後アンナと会い女性信者の誰かと公衆浴場を訪れ、休憩時間にまた売春婦、
そして晩には時々自動車に乗って皇帝皇后に会いに行くというパターンである。


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秘密警察の報告

以前は彼は売春婦との逢引に際して警戒心を示し
周りに目を配りながら人気のない通りを歩いていたのに対し、
最近ではこうしたこともまったく大っぴらになされるようになった。

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ロマノフ朝

◆1911年

*皇帝一家は09月19日から12月31日までクリミアで静養、約4ヶ月首都を留守にする


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1911年01月02日

皇帝はいつも一人で、皇后はいつも閉じこもってアンナと一緒にベッドにいる。
皇帝はまだ若くて修道士のように暮らすことはできないのだから、
バレリーナにでも気晴らしを求めたらという意見もあるほどだ。
そうすれば、少しは皇帝の気持ちも楽になるかもしれない。


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1911年01月23日

ラスプーチンは再びペテルブルクにいる。
宮中には出入りしていないが、アンナをしばしば訪ね、
皇后がアンナを頻繁に訪問している。
みんな陰でアンナの悪口を言っているが、面と向かうと御世辞を言う。


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出版者 アレクセイ・フィリッポフ

1911年のことです。私は非常に重苦しい場面の目撃者になってしまいました。
朝早くラスプーチンの家にいつものようにお茶を飲みに訪れると、
寝台を隔てるついたての向こうに彼がいるのを見ました。
なんと彼はリボンを一面につけた白いドレスという
なんとも素晴らしい装いをした女性を激しく殴っているではありませんか。
彼女は彼の陰茎をつかんで叫んでいました。「あなたは神です!」
私は彼に駆け寄りました。「何をしているんだ!女性を殴るなんて!」
ラスプーチンは答えました。「つきまとって離れないんだ。ろくでなしの女め!」
一方、その女性はついたての陰に隠れて叫んでしました。
「私はあなたの羊です!あなたはキリストです!」
私にははじめてそれがかのロフチナ夫人、
つまりラスプーチンの信者で男女の仲になっていた女性であるとわかりました。
ロフチナ夫人といえば大変な知性を持った
いかにも上流の婦人らしい品のいい人だと知っていただけに、
私はこの目で見たものにひどく驚いてしまったのです。


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■皇帝皇后は世論の鎮静化のため、ラスプーチンをしばらく巡礼の旅に行かせる。


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ニコライ2世の日記 1911年06月17日

夕食後に
エルサレムと聖山アトスへの巡礼から帰って来たグリゴリーに会えてうれしかった。


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■09月14日 首相ストルイピン暗殺
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ロマノフ朝

◆1910年

*皇帝一家は08月28日から11月16日までドイツに外遊、2ヶ月半首都を留守にする


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皇帝の妹 クセニア・アレクサンドロヴナ大公女 1910年01月14日

ラスプーチンの件は本当に悲しく、ニッキーが気の毒だ。
私には理解できない。


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1910年04月02日

ラスプーチンとアンナは宮中への出入りがいつでも自由だ。

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出版者 アレクセイ・フィリッポフ

ラスプーチンはこの時期、金に窮していました。
20から100ルーブリくらいのさほど大きくはない額ですが、
借りて行っては返せる時に返しに来るといった具合でした。
「そんなに皇后と親しいのに金に困っているのか」と聞いてみたことがあります。
彼は答えました。「ケチなんだよ、皇后は。100ルーブリくれたとするだろう。
で、1週間後にもう一度無心すると、
『だって、もう100ルーブリ差し上げたでしょう』なんて言うんだから」


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皇帝の妹 オリガ・アレクサンドロヴナ大公女

アレクサンドラはしまり屋でしたね。
ラスプーチンには金をやらず、絹のシャツや帯を与えました。
彼が身に着けていた金の十字架もアレクサンドラのプレゼントでした。


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宗教家 イリオドル

ラスプーチンはサテンのシャツを指しながら私に言った。
「このシャツは皇后が刺繍してくれたんだ。
皇后が刺繍してくれたシャツはまだ他にもある」
ラスプーチンの妻がシャツを何枚か持ってきた。
私はしげしげとそれを眺めた。
赤いシャツ・白い絹織のシャツ・白い高価な亜麻織の物。
それぞれ衿と袖に刺繍があった。


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1910年06月16日

皇后はラスプーチンの事を詐欺師だの何だのと叫ぶ人達に腹を立てている。
そのせいで家庭教師のソフィア・チュッチェワと養育係のマリア・ヴィシニャコワには
2ヶ月の暇が言い渡された。


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家庭教師 ソフィア・チェッチュワ 大詩人フォードル・チェッチェフの孫娘

子供部屋の側に行くと、大変な騒ぎの真っただ中でした。
ヴィシニャコワが目に涙を浮かべて語ってくれたのですが、
彼女と他の女性信者たちは鞭身派の宗教儀式に参加したというのです。
そして聖霊の命じるところと思っていたものが、単なる淫蕩だとわかったのでした。
しかもラスプーチンは、
この女性達の懺悔聴聞司祭であるフェオファンにこの事を言わないよう警告したのです。
『フェオファンは頭の単純な男だから、この秘跡が理解できず非難するだろう』
というわけです。

ヴィシニャコワは皇后の元へ向かいました。
しかし皇后はデマなど信じませんと言って、その事を話すのも禁じてしまいました。
私の所に急使がやってきて、6時30分に執務室へ来るようにとの皇帝の命を伝えました。
皇帝は『何のために呼んだか見当がつくでしょう。
子供部屋では何が起こっているのですか』
私は話しました。
『では、あなたもラスプーチンが聖人だという事を信じないのですね?』
私は信じませんと答えました。
「では、私がこの何年間かを生きてこられたのも
ひとえに彼の祈りのお陰だと言ったら、どう答えますか?」
そして皇帝はそんな噂は信じない、
清らかなものには汚れたものがくっつくものだなどとおっしゃり、
「陛下のあまりに清らかな御心では、
どんなに汚らわしいものに御自分が取り囲まれているかお気づきにならないのです。
ああいった人間が皇室の御嬢様達に近づきうると思うとぞっとします」
と私は申し上げました。
「私が自分の子供達の敵だとでも言うのですか?」と皇帝は反発されました。
皇帝はこれはみんな嘘だと信じており、
皇后はラスプーチンの噂話について、清い人にはすべての物が清いのだと言い始めた。


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養育係 マリア・ヴィシニャコワ 貴族出身

1910年の春でしたか、
皇后陛下からトボリスクのヴェルホトゥリエ修道院に行く事を勧められました。
3週間ほどの予定で行ってきたらどうかとおっしゃるのです。
この旅行にはラスプーチンとロフチナ夫人、
それからジナイーダ・マンシュタットという女性も参加する事になっていました。
ヴェルホトゥリエ修道院には2,3日滞在し、
それからラスプーチンに招かれてポクロフスコエ村の彼の家に向かいました。
ラスプーチンの家は二階建てで大きく、かなり立派な家具調度が備えられ、
まあ中流の役人の家といったところでしょうか。
下の階にはラスプーチンの妻と食客達が住んでいて、
私達には上の階の部屋が別々に与えられました。
ある夜中、ラスプーチンは私の部屋に来てキスをし始め、
私をヒステリー状態に陥れ純潔を奪ったのです。
彼が下着だけの姿でジナイーダ・マンシュタットと寝ている所を目撃した事もあります。
ペテルブルクに戻ると、私は皇后陛下に洗いざらい御報告いたしました。
皇后陛下は私の言葉を意に介されず、
「ラスプーチンの行うことは何であれすべて神聖なのです」と仰せられました。


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宗教家 アントーニ

ヴォルヒニエの療養所に送られたマリアは、私にラスプーチンに誘惑された事を告白した。
彼女はラスプーチンと宮廷の関係について詳細に述べ、
皇帝の子供達を悪魔から救ってほしいと言った。
私は皇帝に謁見を願い出て、彼女の言った事を繰り返した。
しかし皇帝は、それは家族の問題で教会に立ち入る権利はないと言った。
「そうではございません、陛下。皇太子は陛下の御子息であるだけではありません。
将来我々の統治者となる方で、ロシアのものでございます」
しかし皇帝は、宮廷内の事に干渉されるのは我慢できないと言った。
「ロシアの皇帝であられるならば、
隠し立てのない水晶の宮殿にお住まいになるべきだ考える事をお許しいただきたいのです」
皇帝は私に退出を命じた。


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ラスプーチンの信者 マリア・ゴロヴィナ

1910年、私は夢中になっていた人を失いました。
私のイトコの妻であるアレクサンドラ・ピストリコルスはラスプーチン様の知り合いでした。
彼は当時悲しみに沈んだ者を慰められる聖人と見なされていたのです。
私が初めてラスプーチン様に会ったのはほんの数分だけでしたが、
彼は私に素晴らしい感銘を与えました。


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ラスプーチン暗殺者の一人 フェリックス・ユスポフ公爵

マリアは繊細と言う以上に過敏で、影響されやすく神経質だった。
常に心の赴くままに行動し、感情が理性に勝っていた。
超常現象にすぐ夢中になる彼女の宗教的感情は、不健全な神秘主義に冒されていた。
あまりに信じやすくナイーブな彼女は、
人間を正確に見分けることも事柄を客観的に判断することもできなかったのである。
ゆえに、
ラスプーチンがゴロヴィナ家に入り込むことができたにも怪しむには足らないだろう。
この純潔このうえない娘は、
すぐにラスプーチンに奴隷のように献身的に仕えるようになった。


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軍人 ニコライ・サブリン

ラスプーチンが婦人達に破廉恥な事をしているという噂は私の耳にも届いてきました。
私ははじめこんな噂を信じませんでした。
上流の御婦人があんな薄汚い農夫に身を委ねる事などありえないと思われたからです。
こういった噂を皇后には話すことができませんでした。
ラスプーチンに関するたとえごくかすかな不信でもほのめかされようものなら、
それは皇后に病的な作用を及ぼしました。
私は皇帝陛下に、「世間を刺激せぬようラスプーチンをトボリスクに
送り返した方がよろしいのではないでしょうか」と何度も申し上げました。
しかし皇帝陛下はその御性格のせいで曖昧な返事をされるだけでした。
そうでなければ、「その件は皇后と話し合うように」とおっしゃるだけだったのです。


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宗教家 フェオファン

私は最後の手段を取る事にしました。
すべてを公然と暴露し、皇帝に話してしまうという事です。
皇帝に手紙を書きましたが、
私を引見したのは皇帝ではなく皇后で、アンナも同席していました。
私は一時間近く話し、
ラスプーチンが精神的誘惑にさらされている事を証明しようとしました。
皇后は反論し、興奮して神学書の言葉まで持ち出しました。
私は彼女の論拠をことごとく論破しましたが、
皇后は「そんなことはすべて嘘で誹謗中傷です」と繰り返すばかり。
私はこれ以上ラスプーチンと付き合う事はできないと言って、会話を締めくくりました。

私は皇帝に2通目の手紙を書き、ラスプーチンが精神的誘惑にさらされているだけでなく、
宗教的・道徳的な意味において罪人であると断言したのです。
罪人であるというのは、ラスプーチンが自分の信者達を誘惑している事です。
しかし、皇帝が私の話を聞こうとも理解しようともしていないと感じました。


※皇帝は彼をペテルブルクからアストラハンに左遷させる命令を出した。
昨日まで皇后の懺悔聴聞司祭であったフェオファンは追放されたのである。

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■ロフチナの夫は真相に気づき、ラスプーチンと手を切るように妻に言い渡した。
しかし妻の答えは
「彼は聖人なのです。あなたは神様のお恵みを追い払おうとしているのです」
というものだった。


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ラスプーチンの信者 ロフチナ

1910年に私は家族ときっぱり別れました。
家族は私にラスプーチン様を捨てる事を要求し、
私が彼とともに暮らす事を望まなかったのです。


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ラスプーチンの信者 マリア・ゴロヴィナ

ロフチナはペテルブルクの自分の住居ばかりでなく、
贈与という形で自分の娘名義にした
カザン県の自分の領地へも立ち入りを許されなくなって、
彼女は白い修道衣に裸足という姿で、人の施し物だけで暮らすようになりました。


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■ロフチナ家を追い出されたラスプーチンは、
ロフチン夫妻を通じて出会った出版者ゲオルギー・サゾーノフの家に鞍替えする


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出版者 ゲオルギー・サゾーノフ

ラスプーチンは「お二人はロシアの大地を守るために神が遣わされた両親だから」と
皇帝と皇后をパパ・ママと呼んでいました。
ラスプーチンが公園を歩いていると、向こうから皇后が馬車に乗ってやってきました。
ラスプーチンの姿を遠くから認めると皇后は馬車を止めさせて彼に駆けより、
公園にいた皆が見ている前で彼の手に接吻したのです。

ラスプーチンが女性達と浴場に通っているという噂が耳に入ったので彼を問い質しました。
ラスプーチンはその通りだと答え、こう付け足しました。
「皇帝陛下も御存知のことで、俺は二人だけで行くんじゃなくて大勢で一緒なんだ」
それから彼は、自分が最大の罪だと見なすのは傲慢さだと説明したのです。
「上流階級の御婦人達はおごりでいっぱいだ。
このおごりを払い落とすには、彼女たちを貶める必要がある。
薄汚い農夫と一緒に浴場に行かなければならない」
民衆の魂というものを深く理解している私には、これはもっともな考え方に思えました。


*サゾーノフの妻も
ラスプーチンと公衆浴場の個室を利用した事が秘密警察に記録されている。
サゾーノフはラフチナの夫と同じ立場になったのである。

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by xMUGIx | 2008-02-10 00:00 | ロシア


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