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by xMUGIx
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ロマノフ朝

◆皇帝アレクサンドル2世
先代ニコライ1世の子
1818-1881 37歳即位 63歳没

*喘息持ちで神経質。

*ひどい便秘症で、アヘンを吸いながら便器に座っていた。

*浮気性。

*暗殺。

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ピョートル・クロポトキン

*地質学者・探検家 小姓として皇帝に仕えたことがある

彼は凡人ではなかったが、彼の中には二人の異なった人間が生きていた。
二人の人間はしだいに成長し、互いに争うようになった。
この内なる争いは、彼が年を取るにつれて激しさを増していった。
彼が愛想良くふるまう事もできたが、あっという間に残忍な態度に変わった。

父から横暴な性質を有り余るほど受け継いでいた。
普段は優しい態度を見せてはいるが、横暴な面がすぐに顔をのぞかせるのた。
よく癇癪を起こし、臣下に対しておそろしく見下した態度をとる事があった。
政策についても個人的な感情についても、とうてい信頼のおける人物とは言えなかった。
執念深いところもあった。私は彼は心から人を愛した事がないのではないかと思う。

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■前妻 マリア・アレクサンドロヴナ
←ヘッセン大公ルートヴィヒ2世の娘
マクシミリアーネ・ヴィルヘルミーネ・マリー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
1824-1880 17歳結婚 56歳没

*アレクサンドル2世がヨーロッパ旅行中に出会い見初める。
公国の公女にすぎなかったので父親から大反対されるが、押し切って結婚する。
しかしアレクサンドルの愛情はすぐに冷めて、次々と愛人を作るようになる。

*内向的で人見知りが激しかったため、
夫が浮気を繰り返してもロシア宮廷の同情を得られなかった。

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ピョートル・クロポトキン

皇族の中でもっとも思いやりにあふれていたのは、疑いなく皇后マリアだった。
誠実な女性で、皇后が何かうれしくなるような事を言う時は
心からそう思っているのがわかった。
皇后の家庭生活はどう見ても幸福ではなかった。宮廷の女性達からも嫌われていた。
彼女達は皇后は固すぎると思い、皇后が夫の不実に深く傷つく理由も理解できなかった。

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■後妻 エカチェリーナ・ミハイロヴナ・ドルゴルーコヴァ 29歳年下 夫62歳&妻33歳で再婚
没落貴族ミハイル・ミハイロヴィチ・ドルゴルーコフ公爵令嬢
1847-1925 78歳没 

*前妻が死ぬとすぐに長年の愛人を後妻にする。

*アレクサンドルはエカチェリーナと庶子たちを宮殿に住まわせ妻妾同居を強行し、
人前でも互いに<サーシャ><カーチャ>と愛称で呼び合い、宮廷の顰蹙を買った。

*19歳で愛人となり庶子3人、33歳で正妻となり、34歳で死別、78歳没。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アレクサンドル2世は60歳を越えて、大きな皇子や皇孫まで持っている年配でありながら、
高貴の人としてはいかがわしい結婚をした。
エカチェリーナが利権問題に関与して私利を計り、
利権や特許権の仲介をして利益を得ていた事は、皇太子時代のアレクサンドル3世に
著しい精神的影響を及ぼさずにはおかなかったのである。


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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後コート・ダジュールにいた頃、
アレクサンドル2世の貴賤結婚の未亡人エカチェリーナがニースで亡くなられた。
我々はすぐにアナスタシア・ミハイロヴナ大公女と共に最後のお別れに出向き、
ニース大聖堂で行われた葬儀にも出席した。


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●前妻の子 ニコライ 
皇太子 早逝
●前妻の子 アレクサンドル3世 
次代皇帝
●前妻の子 ウラジーミル
メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリア・パヴロヴナと結婚
●前妻の子 アレクセイ 
アレクサンドラ・ズコーヴスカヤと貴賤結婚・離婚  
●前妻の子 マリア 
イギリス王子/ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレッドと結婚
●前妻の子 セルゲイ 
ヘッセン大公女エリザヴェータ・フョードロヴナと結婚
●前妻の子 パーヴェル 
ギリシャ王女アレクサンドラ・ゲオルギエヴナと結婚死別、
オリガ・ヴァレリアノヴナ・カルノヴナと貴賤再婚
●後妻の子 ゲオルギー 
ザルケナウ伯爵夫人アレクサンドラと結婚
●後妻の子 オリガ 
ゲオルク・ニコラウス・フォン・メレンベルク伯爵の前妻・本人死別
●後妻の子 エカチェリーナ 
アレクサンドル・バリャティンスキー公爵と結婚死別、
セルゲイ・オボレンスキー公爵と再婚離婚
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by xMUGIx | 2008-01-21 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

皇帝ニコライ1世の子供


●アレクサンドル2世 
次代皇帝
●マリア 
ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボアルネと結婚死別、
グレゴリー・ストロガノフ伯爵と貴賤再婚
●オリガ 
ヴュルテンベルク王カール1世と結婚
●アレクサンドラ 
ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒの前妻・本人死別
●コンスタンチン 
ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラと結婚
●ニコライ 
オルデンブルク公女アレクサンドリーネと結婚・別居
●ミハイル 
バーデン大公女ツェツィーリエと結婚




●アレクサンドル2世 次代皇帝

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●マリア・ニコラエヴナ大公女●前夫に子供6人、後夫に子供1人 
1819-1876 57歳没

*20歳で結婚して子供6人、後夫と不倫、33歳で前夫と死別、
35歳で後夫と再婚して子供1人、57歳没。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

マリア・ニコラエヴナ大公女が夫と良い関係にあったのは結婚当初だけで、
皇帝アレクサンドル3世や宮中の考えでは、
マリア公女・ニコライ公子・エヴゲニヤ公女だけが本当に夫の血を受け継いだ子供で、
後の公子達は疑惑を差しはさむ余地があると解していた。
ことにゲオルギー公子はストロガノフ伯爵の子であると見られていた。
事実マリア大公女は夫が死ぬとすぐに、
非常に美男子の評判が高かったストロガノフ伯爵に嫁したのは周知の事である。

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■前夫 ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボアルネ←ナポレオン一族 死別
1817-1852 35歳没
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■後夫 グレゴリー・ストロガノフ伯爵と貴賤再婚 夫30歳&妻35歳で再婚
1824-1879 55歳没
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●オリガ・ニコラエヴナ大公女●実子ナシ 
1822-1892 70歳没
ヴュルテンベルク王カール1世と結婚
1823-1891 68歳没

*カール1世は同性愛者。

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★夫の愛人チャールズ・ウッドコック アメリカ人

*カールがチャールズに男爵の地位を与えたことから、非難を浴びる。




●アレクサンドラ・ニコラエヴナ大公女●実子ナシ 
1825-1844 19歳没
ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒの前妻・本人死別
1820-1884 64歳没

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●コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公●子供5人 
1827-1892 65歳没
アレクサンドラ・イオシフォヴナと結婚←ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ
1830-1911 81歳没

*コンスタンチンは気性が荒く、短気で非社交的な性格だった。
芸術を愛し、特に音楽を好み、チェロが得意だった。

*アレクサンドラは美しさ、快活さ、優雅さでロシア社交界で人気を得る。

*夫がチェロ、妻がピアノを弾いて楽しむなど音楽の趣味は共有できたのだが、
コンスタンチンが教養派であるのに対し、アレクサンドラは教養がなかった。
夫婦仲は冷え始めて夫が愛人を作るに至り、妻はオカルトや神秘主義に傾倒してゆく。

*愛人アンナ・クズネツォーヴァと庶子を同じ宮殿に住まわせて顰蹙を買う。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公とニコライ・ニコラエヴィチ大公が
ひどく皇帝アレクサンドル3世の不興を蒙ったのは、
両大公が女優と同棲し皇族としていかがわしい生活をしていたのが主なる原因であった。

コンスタンチン大公が正しい家庭生活をしていたら、
おそらく皇帝との関係も当時のように先鋭化されなかった事であろう。
コンスタンチン大公が踊り子のアンナと一緒に
ロシア各地や外国までも旅行して歩くような事をしなかったら、
彼に対する皇帝の不興もかくまでひどくはならなかったであろう。
であるからコンスタンチン大公は皇帝よりもはるかに年長の叔父であったにもかかわらず
ペテルブルクに来る事ができないで、常に外国かヤルタに住んでいたのである。

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★愛人アンナ・クズネツォーヴァ バレリーナ 庶子2人アリ
1847-1922 75歳没




●ニコライ・ニコラエヴィチ大公●子供2人 
1831-1891 60歳没

*妻アレクサンドラは、
18歳で結婚して子供2人、30代で別居、51歳で修道女となり、62歳没。

*ニコライは女と金にだらしなかった。
陰で「妻以外のすべての女を愛している男」と言われた。

*アレクサンドラは不細工で服装に無頓着、非社交的で洗練されていなかった。
夫の兄 皇帝アレクサンドル2世に夫の不倫を訴えるが、
皇帝は逆にアレクサンドラに愛人を見習ってもっと身なりに構うように説教する始末だった。

*ニコライは晩年脳に腫瘍ができ発狂、幽閉された。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公とニコライ・ニコラエヴィチ大公が
ひどく皇帝アレクサンドル3世の不興を蒙ったのは、
両大公が女優と同棲し皇族としていかがわしい生活をしていたのが主なる原因であった。
ニコライ大公が踊り子のエカチェリーナと同棲した事に起因している。
ニコライ大公とこの踊り子との間には一人の子供、
皇帝ニコライ1世に似た非常に美しい女の子があった。
ニコライ大公はアレクサンドル3世を非常に恐れていた。
その観念はアレクサンドル3世の治世を通じ、死ぬまで抜けなかった。

ニコライ大公が常に他の婦人と同棲していること、および
アレクサンドラ大公妃が二子を生んだ後まったく夫と別居していた事を見れば、
この夫妻の間柄は決して円満なものではなかった。
ニコライ大公はかなり聞こえた放蕩者であったし、
またアレクサンドラ大公妃も温良な聡明ではあったが変わった性格の人であった。
大公妃は久しき以前から腰の疾患のため歩行不自由の身であった。
彼女はキエフの広大な王宮に
家令のロストフツォフと侍僧のレベデフの二人のみを相手に寂しき日を送っていた。
それで彼の地のやや身分のある者はおおかた招かれて宮殿に伺候した。
私達夫婦も常に出入りしていた。
しかし大公妃が侍僧レベデフを愛顧すること甚だ分に過ぎ、
レベデフもまた寵遇に慣れて挙措すこぶる専恣であったので、
両者の関係を普通以上にあるかの如く風評する者も少なくなかった。
皇帝アレクサンドル3世はこの風評を耳にすると大いなる不快を禁じ得ず、
大公妃がキエフ宮殿に居住する事を禁じ、レベデフを首都に召還してしまった。
大公妃はその後キエフに近いドニエプル河畔に宏壮な邸宅を建設した。
それは半ば僧院であり、半ば病院であった。
大公妃はここで信仰と慈善事業に余生を送ったのである。

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■アレクサンドラ・ペトロヴナと結婚・別居←オルデンブルク公女アレクサンドリーネ
1838-1900 62歳没
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★愛人バレリーナのエカチェリーナ・チスロヴァ●庶子4人
1846-1889 43歳没
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●ミハイル・ニコラエヴィチ大公●子供7人
1832-1909 77歳没
オリガ・フョードロヴナと結婚←バーデン大公女ツェツィーリエ
1839-1891 52歳没

*ミハイルは女にハマって家庭を顧みなかった兄達と違って放蕩はしなかったが、
代りに軍務にハマって家庭を顧みなかった。

*妻オリガも、子供達をスパルタで育てた。

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ミハイルの又姪 マリア・パヴロヴナ大公女  

大叔父に当るミハイル大公は格段に背が高く、
エレガントな老紳士だったのが印象に強い。
均整の取れた優美な態度が完璧に演じられる人で愛想が良く、
今ではすっかり消滅してしまった一昔前の王侯貴族特有の雰囲気を身辺に漂わせ、
周囲の心をとらえて離さなかった。
祖父時代の宮廷作法通り、男性同士の会話にはトゥイを用いる最後の大公でもあった。
かなり老齢だったにもかかわらず、
婦人の前では必ず優雅なしぐさで腰を折り手の甲に接吻を授けた。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

ミハイル・ニコラエヴィチ大公は国民の親愛を得ていた温厚な人であったが、
妻オリガ大公妃は国民に極めて不人気だった。
彼女は艶麗で小才があり小策を弄することを好む陰謀家であった。

ミハイル・ニコラエヴィチ大公はかなり狭隧な人間で、
政治的にも狭隧であり政治的教養も少なかったが、伝統的な大公であった。
伝統の人であったため、コーカサス提督に任命された時に彼は伝統、
すなわちキリスト教化したコーカサスの住民に対して差別的待遇をせず、
ロシア人同様に扱うという方針を忠実に守った。

彼は物質的方面、すなわち金や土地に少しも執着を持たぬ人間であった。
しかし彼の妻オリガ大公妃は、
その方面では裏面で糸を引いた事はコーカサスにおける周知の事実である。


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by xMUGIx | 2008-01-20 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝ニコライ1世
先代アレクサンドル1世の弟
1796-1855 29歳即位 59歳没

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キュスティーヌ侯爵夫人

彼はいつも苦しさに耐えているような表情を浮かべていた。
そのため整った顔立ちにもかかわらず、感じの良い表情とは言えなかった。
もっともごくまれに優しい光が浮かんで、
尊大な支配者然とした顔つきが和らぐ事があった。
しかしその感じの良い表情も、すぐにもとの威厳ある端正な顔に戻るのだった。


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イギリス ヴィクトリア女王

彼は厳格でこれと定めた義務感に凝り固まっていて、
その気持ちを変えさせる事は絶対にできない。
聡明だとはとても思えない。教養が高いとも思えない。
おそらく教育がおろそかにされたのだろう。
彼の関心は、もっぱら政治と軍事に向けられている。


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■妻 アレクサンドラ・フョードロヴナ←シャルロッテ・フォン・プロイセン 
プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の娘
1798-1860 19歳結婚 62歳没

*夫妻は互いを<ニック>と<ムフィー>と呼び合って長く夫婦円満だったが、
中年以降は愛人を作るようになる。

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●アレクサンドル2世
次代皇帝
●マリア
ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボアルネと結婚死別、
グレゴリー・ストロガノフ伯爵と貴賤再婚
●オリガ 
ヴュルテンベルク王カール1世と結婚
●アレクサンドラ 
ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒの前妻・本人死別
●コンスタンチン 
ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ・イオシフォヴナと結婚
●ニコライ 
オルデンブルク公女アレクサンドラ・ペトロヴナと結婚・別居
●ミハイル 
バーデン大公女オリガ・フョードロヴナと結婚




★愛人バルバラ・ネリドヴァ 妻の女官
1814-1897 83歳没
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by xMUGIx | 2008-01-19 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝アレクサンドル1世
先代パーヴェル1世の子
1777-1825 48歳没

*生まれてすぐ両親から離されて、祖母エカチェリーナ2世に育てられる。
不仲である祖母エカチェリーナと父パーヴェルの板挟みになり悩みながら育つ。

*結婚後しても奔放な恋愛を楽しんでいたアレクサンドルは中年で神秘主義に傾き、
一変して家庭にこもって静かな生活を送るようになる。

*神秘主義に傾いたのはクリュデネル夫人と名乗る神秘主義者の影響。
彼女はロシア皇室の前はナポレオンに取り入ろうとしたが、
ナポレオンは関心を示さず「気違いばあさん」呼んで追い返された人物。

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ティーセンハウゼン伯爵夫人の証言

端正で繊細な顔立ちに、輝くほど瑞々しい肌をしている。
形の良い鼻と小さめの口が調和し、鋭敏で表情豊かな青い瞳は、軽い近視である。
黄金色の髪は古代のカメオやメダリオンのように入念に整えられ、
月桂樹かオリーブの冠を戴くにふさわしい。
気品のある堂々たる長身を、古代の彫像のように優美に前にかがめる癖があって、
慈愛に満ちた優しい雰囲気があり、それがあらゆる人の心をつかみ、
たちまちにして信頼感を抱かせる。

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(どの絵を見ても、言われるほど美男とは思えない…。もしかして、雰囲気イケメン?)
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■妻 エリザヴェータ・アレクセーエヴナ←ルイーゼ・マリー・アウグステ・フォン・バーデン
バーデン大公子カール・ルートヴィヒの娘
1779-1826 14歳結婚 47歳没

*皇后としては珍しくロシア語を完璧にマスターし、ロシアの歴史等も熱心に勉強したが、
内向的な性格からロシア宮廷になじめず、夫からも放置され、
ポーランド貴族アダム・イエジィ・チャルトリスキ公爵と不倫関係となる。

*チャルトリスキ公爵が追放されると、次は軍人アレクセイ・オコトニコフと不倫関係となる。

*エリザヴェータは子供を2人生んだが、どちらも夫の子ではないと言われる。
子供は2人とも幼くして早逝。

*しかし夫アレクサンドルは特に文句を言うこともなく、生まれた子供も可愛がった。
この夫婦は兄妹か同志のような間柄であったらしい。
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★夫の愛人マリア・ナルィシキナ 愛人関係19年
ポーランド王族マリア・チェツェティンスカ・/ナリシキン大公ドミトリーの妻
1779-1854 75歳没

*16歳で結婚して子供2人、20歳でアレクサンドルの愛人となり、39歳で清算、
59歳で前夫と死別、後夫と再婚、75歳没。

*子供うちの何人かは皇帝の子と言われる。
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★妻の愛人アダム・イエジィ・チャルトリスキ公爵 ポーランド貴族
1770-1861 91歳没

*関係を知った舅の皇帝パーヴェルにより海外駐在に飛ばされる。
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★妻の愛人アレクセイ・オコトニコフ  軍人
1780-1807 27歳没

*暗殺
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by xMUGIx | 2008-01-18 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

皇帝パーヴェル1世の子供


すべて後妻の子
●アレクサンドル1世 次代皇帝
●コンスタンチン 
ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公女アンナ・フョードロヴナと結婚離婚、
ポーランド貴族ヨアンナ・グルジンスカと貴賤再婚
●アレクサンドラ 
オーストリア大公ヨーゼフ・アントンの前妻・本人死別
●エレナ 
メクレンブルク=シュヴェリーン大公子フリードリヒ・ルートヴィヒの
1/3番目の妻・本人死別
●マリア 
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒと結婚
●エカテリーナ 
オルデンブルク公子ゲオルクと結婚死別、
ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世と再婚・本人死別
●アンナ 
オランダ国王ウィレム2世と結婚
●ニコライ1世 次々代皇帝
●ミハイル 
ヴュルテンベルク王女エレナ・パヴロヴナと結婚




●アレクサンドル1世 次代皇帝
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●コンスタンチン●実子ナシ 
1779-1831 52歳没

*カトリック教徒である後妻ヨアンナと貴賤結婚したため、皇位継承権を剥奪された。

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チャルトルィスキ公の証言

心は健全だが、彼の判断が正しいかどうかは予測がつかない。
愛するにしても、憎むにしても、必ず暴力が伴うからである。


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キュスティーヌ侯爵夫人の証言

ロシア軍の規律がいかに完璧かを証明するために、
観兵式で一人の将軍の足を剣で刺して見せた。


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■前妻 ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公女ユリアーネ
→アンナ・フョードロヴナ 離婚
1781-1860 79歳没

*暴力的な夫に恐れをなして実家に逃げ帰る。

*15歳で結婚、20歳でドイツに帰国、
27歳でフランス人ジュール・ガブリエル・ド・セニューの子供生む、
31歳でスイス人ルドルフ・アブラハム・フォン・シェファリーの子供生む、
39歳で離婚成立、79歳没。
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■後妻 ポーランド貴族ヨアンナ・グルジンスカ 貴賤再婚
1791-1831 40歳没
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★愛人クララ=アンヌ・ド・ロラン

*前妻と後妻との間に関係を持った愛人。




●アレクサンドラ●実子ナシ 
1783-1801 18歳没
オーストリア大公ヨーゼフ・アントンの前妻・本人死別
1776-1847 71歳没

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●エレナ●子供2人 
1784-1803 19歳没
メクレンブルク=シュヴェリーン大公子フリードリヒ・ルートヴィヒの1/3番目の妻・本人死別
1778-1819 41歳没

*生まれた時から美しかったため、
祖母エカチェリーナ2世がトロイの傾国の美女ヘレネにちなんでエレナと名付ける。
(しかしそんな名前をつけるのは不吉なのでは?)

*姉妹の中で一番美人に育ち、陽気で快活、何かと難しい家族の中で珍しく誰からも愛された。

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●マリア●子供3人→娘アウグスタはドイツ皇后
1786-1859 73歳没
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒと結婚
1783-1853 70歳没

*祖母エカチェリーナ2世いわく「この子は男子に生まれるべきだった」
美術や音楽の才能があり、学術に関心が高かった。

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●エカテリーナ●前夫に子供1人、後夫に子供2人
1788-1819 31歳没

*21歳で結婚して子供1人、24歳で死別、28歳で再婚して子供2人、31歳没。 

*兄アレクサンドル1世のお気に入りの妹。政治好きでウィーン会議にも同行する。

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■前夫 オルデンブルク公子ゲオルク イトコ結婚 死別
1784-1812 28歳没
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■後夫 ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世の2/3番目の妻 イトコ結婚 本人死別 
1781-1864 83歳没
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●アンナ 
1795-1865 70歳没
オランダ国王ウィレム2世と結婚
1792-1849 57歳没

*ウィレム2世は美術品蒐集家で、死後莫大な借金を残す。
アンナは弟ニコライ1世に泣きつき、買い取ってもらった。
この時の美術品がエルミタージュ美術館にある。

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●ニコライ1世 次々代皇帝
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●ミハイル●子供3人 
1798-1849 51歳没
ヴュルテンベルク王女シャルロッテと結婚→エレナ・パヴロヴナ
1807-1873 66歳没

*義兄ニコライ1世から<一家の知恵>と呼ばれたほど、知性と教養のある女性だった。

*ゆえに教養がなく軍人頭の夫との夫婦仲は悪かった。

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by xMUGIx | 2008-01-17 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝パーヴェル1世
先代女帝エカチェリーナ2世の子
1754-1801 47歳没

*暗殺

*母帝エカテリーナ2世と不仲だったため、母帝死後に彼女の政策を全否定する政治を行う。
そのことがクーデターを招き、暗殺される。

*パーヴェルは次代以降、女帝を廃止した。

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フランス人画家ヴィジェ・ルブランの証言

まれにみる醜さ。
ひしゃげた鼻、大きな口、長すぎる歯のせいで、まるでしゃれこうべのように見える。


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ロシアの外交官夫人の証言

目を別にすると、容貌は醜い。
怒りに自分を見失っていない時は驚くほど感じの良い優しい表情をしているが、
怒り出すととたんに恐ろしい表情に変わる。
物腰はぎこちないが、礼儀正しさを感じさせる。
女性に対しては丁重で、それがこの人物が高貴な身分の王子であることを知らしめる。


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■前妻 ナターリア・アレクセーエヴナ●実子ナシ
ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘
1755-1776 21歳没

*パーヴェルは熱烈にナターリアを愛したが、陽気で社交的なナターリアは夫を嫌った。
そして、夫の親友アンドレイ・ラズモフスキー伯爵と不倫していた。

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★前妻の愛人アンドレイ・ラズモフスキー伯爵
1752-1836 84歳没
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■後妻 マリア・フョードロヴナ←ゾフィー・ドロテア・フォン・ヴュルテンベルク
ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲンの娘
1759-1828 69歳没

*背か高くぽっちゃりしていたマリアと背が低く貧相なパーヴェル、
社交が好きな妻と社交嫌いな夫で正反対だったが、
なぜか互いに気に入り夫婦仲は良好だった。

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★後妻の愛人セルゲイ・ムハーノフ 側近


★後妻の愛人ダニーラ・バープキン 軍人




すべて後妻の子
●アレクサンドル1世 次代皇帝
●コンスタンチン 
ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公女アンナ・フョードロヴナと結婚離婚、
ポーランドの伯爵夫人と貴賤再婚
●アレクサンドラ 
オーストリア大公ヨーゼフ・アントンの前妻・本人死別
●エレナ 
メクレンブルク=シュヴェリーン大公子フリードリヒ・ルートヴィヒの1/3番目の妻・本人死別
●マリア 
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・フリードリヒと結婚
●エカテリーナ 
オルデンブルク公子ゲオルクと結婚死別、ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世と再婚・本人死別
●アンナ 
オランダ国王ウィレム2世と結婚
●ニコライ1世 次々代皇帝
●ミハイル 
ヴュルテンベルク王女エレナ・パヴロヴナと結婚




★皇帝の愛人ソフィア・ウシャコワ/ソフィア・ラズモフスキー 
1746-1803 57歳没

*ミハイル・チャルトリスキと結婚死別、パーヴェルの愛人となり、ピーター・ラズモフスキーと再婚。
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★皇帝の愛人エカチェリーナ・ネリードヴァ 前妻・後妻の女官
1756-1839 83歳没

*ダンスが得意だった。

*本妻との関係も良好だったが、パーヴェルが新しい愛人アンナを見つけたため関係が終わる。

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★皇帝の愛人アンナ・ロプーヒナ
1777-1805 28歳没

*21歳で皇帝の愛人となり、愛人のままパーヴェル・ガガーリンと結婚、
皇帝の暗殺により24歳で関係終了、28歳没。

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by xMUGIx | 2008-01-16 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆女帝エカチェリーナ2世
先代ピョートル3世の妻/アンハルト=ツェルプスト侯クリスティアン・アウグストの娘
1729-1796 33歳即位 67歳没

*16歳で結婚して子供1人、33歳で死別して即位、67歳没。

*ドイツの貧乏貴族の娘だったが、
夫の養母女帝エリザヴェータに利発さを買われて皇太子妃となる。

*女帝エリザヴェータ死亡後は夫ピョートル3世が即位するが、
半年もしない内にエカチェリーナ2世はクーデターを起こし夫を失脚させ女帝となった。

*晩年は肥満し、リューマチと脚にできた腫瘍のせいで歩行もままならなかった。


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フランス人外交官の証言

栗色の髪に、濃い茶色の眉、明るい茶色の瞳は魅入られそうな美しさだ。
額がすっきりと広く、鼻はかぎ鼻に近い。愛らしい唇に、美しい歯。
アゴは二重アゴに近いが、決して太っているわけではない。
気品があり魅力にあふれ、歩く様子は威厳に満ち、立ち居振る舞いは極めて優雅である。


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女帝エカチェリーナ2世

私は6時に起きると、8時半までひとり書斎にこもって本を読んだり物を書いたりして過ごす。
9時近くに秘書官達が顔を出すので、11時まで秘書官と仕事をする。
そのあと着替えをしながら、私の部屋に居合わせた者達とおしゃべりをする。
化粧には1時間もかからない。接見室に向かい1時から2時までの間に食事をとる。
食後は4時まで本を読ませ、それに耳を傾けながら縫い物をする。
その頃に午前中に用件を話せなかった者がやってくる。
6時までに仕事を済ませ、後は散歩に出るか、何か気晴らしの遊びをするか、
おしゃべりをするか、劇を観て過ごす。
夕食は9時から10時までの間に食べ、その後にベッドに入る。

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*エカチェリーナには少なくとも12人の愛人がいたことが判明している。


★1人目 1750年代前半の愛人セルゲイ・サルティコフ 側近
1726-1765 39歳没

*外交官として海外に派遣されたため関係が終わる。
皇太子パーヴェルの実父である可能性高し。

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★2人目 1750年代後半の愛人スタニスワフ・ポニャトフスキ 
ポーランド人外交官 庶子1人アリ 
1732-1798 66歳没

*スタニスワフが帰国したため関係が終わる。後にポーランド王となる

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★3人目 1760年代~1770年代前半の愛人グリゴリー・オルロフ 軍人 庶子1人アリ
1734-1783 49歳没

*愛人関係11年。女帝の女官に手を出して女帝から捨てられる。

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★4人目 1770年代前半の愛人アレクサンドル・ヴァシーリチコフ 軍人
1746-1813 67歳没

*エカチェリーナによると、「素敵だけれど、恐ろしく退屈な人」。短期間で終わる。

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★5人目 1770年代前半からの愛人グリゴリー・ポチョムキン 軍人・官僚
1739-1791 52歳没

*病気が原因で若くして片目を失っていたが美男だった。

*愛人関係が終わった後も、自分が新しい愛人を見つくろってエカチェリーナに紹介していた。
二人はポチョムキンが死ぬまで深い絆で結ばれていた。

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★6人目 1770年代後半の愛人ピョートル・サヴァドーフスキー ウクライナ人軍人・官僚
1739-1812 73歳没

*知性にすぐれた人物で、関係が終わった後も重用された。

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★7人目 1770年代後半の愛人シメオン・ゾーリッチ セルビア人軍人
1743-1799 56歳没

*ギャンブル中毒のため女帝に捨てられる。短期間で終わる。

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★8人目 1770年代後半の愛人イワン・リムスキー・コルサコフ 軍人
1754-1831 77歳没

*音楽に優れていた。女帝の女官に手を出して女帝から捨てられる。

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★9人目 1770年代後半~1780年代前半の愛人アレクサンドル・ランスコイ 軍人
1758-1784 26歳没

*関係が始まって4年後に病死、エカチェリーナはその死を嘆いた。

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★10人目 1780年代前半の愛人アレクサンドル・エルモーロフ 軍人
1754-1836 82歳没

*短期間で終わる。

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★11人目 1780年代後半の愛人アレクサンドル・マモーノフ 軍人
1758-1803 45歳没

*結婚したため、短期間で終わる。

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★12人目 1790年代の愛人プラトン・ズーポフ 側近 30歳年下 最後の愛人
1767-1822 55歳没

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by xMUGIx | 2008-01-15 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝ピョートル3世 
先代女帝エリザヴェータの甥
1728-1762 34歳即位 34歳没

*ドイツ生まれのドイツ育ち、
ロシア語を話そうとも学ぼうともせずドイツ風を押し通した。

*プロイセン国王フリードリヒ2世の熱烈なファンだったピョートルは、
ロシア軍が占領したすべての領土を放棄するという講和条約を結ぶ。

*即位から半年で妻エカチェリーナ2世のクーデターにより失脚、幽閉される。
エカチェリーナは幽閉先に、
黒人の召使ナルシスと愛犬モプシーとヴァイオリンを持っていくことを許した。
幽閉のまま死亡。

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■妻 ゾフィー・アウグステ・フリーデリケ→次代女帝エカチェリーナ2世
アンハルト=ツェルプスト侯クリスティアン・アウグストの娘
1729-1796 16歳没 67歳没

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●子は次々代皇帝パーヴェル1世
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★愛人エリザヴェータ・ヴォロンツォーヴァ 妻の女官
1739-1792 53歳没

*自他ともに認める不細工だった。

*ピョートルは妻と離婚してエリザヴェータと再婚するつもりでいた。

*ピョートル失脚後は、アレクサンドル・ポリャンスキーと結婚、子供2人。

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by xMUGIx | 2008-01-14 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆女帝エリザヴェータ
皇帝ピョートル1世&女帝エカテリーナ1世の子/元女帝アンナのイトコ
1709-1762 32歳即位 53歳没●未婚


*母帝エカテリーナ1世の死後14年間不遇の身にあったエリザヴェータは、
クーデターを起こして王位に就く。

*ロシア宮廷をヴェルサイユに匹敵する文化とファッションの中心地にしようとする。
一度着た服は二度と着なかったので1万5000着のドレスを持っており、
エリザヴェータよりドレスや容姿が美しい女性には罰が与えられた。

*身長が180センチあったので男装がよく似合ったため、本人は男装も好んだ。

*ダンス・音楽・美術・グルメが趣味、仮面舞踏会をよく催しお祭り騒ぎをした。

*不眠症だったエリザヴェータの寝室には専門の<足裏くすぐり係>がいた。
性的興奮が得られるらしい。(かえって眠れなくなるのでは?)

*母帝と同じく、美酒美食を暴飲暴食して肥満し、心臓発作で死亡。


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ロシア在住イギリス人女性の証言

抜けるような白い肌、明るい茶色の髪、活き活きと輝く大きな青い瞳、
美しい歯、愛らしい口元をしていた。
少々太り気味だが、上品で大変美しい。
私は彼女ほどダンスが上手い人に会ったことがない。

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★愛人アレクサンドル・ブトゥールリン 側近
1694-1767

*エリザヴェータが10代の頃の愛人。


★愛人アレクセイ・シュービン


★愛人アレクセイ・ラズモフスキー 宮廷礼拝堂の聖歌隊員
1789-1771

*一番長く続いた愛人。エリザヴェータの死まで続いた。あだ名は<夜の皇帝>。
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★愛人ニキータ・ベケートフ
1729-1794

*芝居で女役を演じた時に見初められて愛人となる。
エリザヴェータの関心が新しい男イヴァン・シュヴァーロフに移ったため関係が終わる。

★愛人イヴァン・シュヴァーロフ
1727-1797
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by xMUGIx | 2008-01-13 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝イヴァン6世 
先代女帝アンナの又甥/皇帝イヴァン5世の曾孫
1740-1764 24歳没●未婚

*生まれてすぐ女帝アンナから後継者に指名される。
2週間後にアンナが死亡したため即位。
しかし女帝エリザヴェータがクーデターにより即位したため、
イヴァンは王位から引きずりおろされ幽閉される。

*幽閉のまま死亡。
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by xMUGIx | 2008-01-12 00:00 | ロシア


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