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by xMUGIx
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アブスブルゴ朝

◆国王フェリペ3世
先代フェリペ2世の子
1578-1621 20歳即位 43歳没
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意志薄弱で無気力で怠惰、信仰心は厚かったが政治に関心のない王であった。
ひたすら狩猟を楽しんだだけの生涯だった。
祖父と父が築いたスペイン帝国は衰退への道を歩み始めることとなる。

オーストリアの三姉妹の中からお妃を選ぶことになったので三名の肖像画が送られてきた。
父フェリペ2世は早速フェリペ3世を呼んで選ばせたが
「私にそのようなことはできません。父上が選んで下さい」と言うので
部屋に持って帰ってゆっくり選ぶように言ったが
「いくら絵を眺めても私には決断することはできません。父上の選択以上のことはできません」
と言うのでその優柔不断さにフェリペ2世もあきれた。
ちょうど上手い具合に(ひどいか)二名の皇女はバタバタと亡くなったので残った皇女に決まった。


■妻 マルガリータ・デ・アウストリア=エスティリア←マルガレーテ・フォン・エスターライヒ
1584-1611 15歳結婚 27歳没
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当時の記録

思いやりが深く、臣下の者にも優しく接する王妃であった。
彼女のすらりとした姿と美しさは欠点のアゴを忘れさせた。

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●アナ・マリア 
フランス国王ルイ13世と結婚
●フェリペ4世 次代国王
●マリア・アナ 
オーストリア皇帝フェルディナント3世の1/3番目の妻・本人死別




●アナ・マリア 
1601-1666 65歳没
フランス国王ルイ13世と結婚 イトコ結婚
1601-1643 42歳没
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女嫌いのルイは王妃に全く関心を示さなかったし
実権を握る姑マリー・ド・メディシスからは無視された。
アナはフランス文化に慣れずスペインの習慣のまま生活を続けたが
人々は彼女の美しさには感嘆した。


●フェリペ4世 次代国王
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●マリア・アナ 
1606-1646 40歳没
オーストリア皇帝フェルディナント3世の1/3番目の妻・本人死別
1608-1657 49歳没
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by xMUGIx | 2006-01-13 00:00 | スペイン

アブスブルゴ朝

国王フェリペ2世の子供


●最初の妻の子 ドン・カルロス 王太子 早逝

●3番目の妻の子 イサベル・クララ・エウヘニア 
オーストリア大公アルブレヒトと結婚

●3番目の妻の子 カタリーナ・ミカエラ 
サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世と結婚

●4番目の妻の子 フェリペ3世 次代国王




●ドン・カルロス 皇太子 早逝
1545-1568 23歳没

オペラ『ドン・カルロ』のモデルでもある。
年老いた父王フィリッポ2世は
聡明な王子ドン・カルロの婚約者エリザベッタを横取りする。
あきらめきれないドン・カルロとエリザベッタの苦悩を描くというストーリー。
悲劇のヒーローとして描かれるが事実はまったく違う。


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ボヘミア大使の証言

ドン・カルロスは肩の高さが違い足の長さが違い頭が大きすぎる。
胸はくぼみ背中にコブがある。まるで子供のように愚かな質問ばかりする。
高尚な事に興味を示したことはなく食べることにしか感心がない。
際限なく食べ続けているのでよくいろいろな病気にかかり
顔色はひどく悪く長生きはできないだろう。


ヴェネチア大使の証言

王子の頭は異常に大きくそれを支える身体とアンバランスだ。体格は弱く性格は凶暴。
しかし女性にはすぐ傾き王宮からドレスや宝石を持ち出し気に入った女性に与えている。
自分もお洒落でいつも豪華な衣装に身を包みプライドが高い。
激昂しやすく頑固で手に負えない。しばしば精神錯乱に陥る。

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父はもとより祖父のカルロス1世もこの孫に強い不快感を示した。

17歳の時にドン・カルロスは目当ての女性を追いかけ階段から落ちて大ケガをした。
頭を強く打ち一時は生死の境をさまよったがなんとか助かった。
しかしこの頭の負傷が原因なのか性格はますます頑固に凶暴になっていった。
側近を窓から放り投げたり、毎夜ように悪友たちと街中に繰り出し
気に入らない者は仲間とともに傷つけ気に入った女性には乱暴する。
自分の衣装を濡らした家に火をつけて燃やしてしまう。
フェリペはその都度謝罪し賠償金を払って回った。

もともとドン・カルロスにはオランダの統治が約束されていた。
それを思い出したカルロスはオランダのプロテスタントと手を結ぼうとした。
ついに幽閉された。
ドン・カルロスは全裸で歩き回り、雪氷を入れた冷水をがぶ飲みし、
ベッドにも雪氷を持ち込んだ。
そのため風邪を繰り返し体力を消耗して亡くなった。23歳であった。

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●イサベル・クララ・エウヘニア 
1566-1633 67歳没
オーストリア大公アルブレヒトと結婚 イトコ結婚
1559-1621 62歳没

イトコであり、同じスペイン宮廷で育った幼なじみでもあった。
イサベルはもともとアルブレヒトの兄ルドルフ2世の婚約者であったが
20年以上も待たされたため弟のアルブレヒトと結婚することになった。
その間は母の代わりに父フェリペ2世の補佐役を務めていた。
2人は共同統治者としてネーデルラント総督を治めた。
夫の死後はイサベルが総督となった。

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●カタリーナ・ミカエラ  
1567-1597 30歳没
サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世と結婚
1562-1630 68歳没

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●フェリペ3世 次代国王

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by xMUGIx | 2006-01-12 00:00 | スペイン

アブスブルゴ朝

◆国王フェリペ2世
先代カルロス1世の子
1527-1598 29歳即位 71歳没
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フェリペはスペインを中心とするカトリックによる世界統一という夢に
生涯取り憑かれた人物であった。
各地に副王を置き自分はマドリードの執務室で統治を行った。

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当時の記録

中背で赤毛に青い目、ピンクがかった白い肌、下唇は厚く下がっているが
全体としてかなり感じが良い。しかしとても用心深く無口で社交的ではない。
狩猟と乗馬は得意で音楽とダンスが上手い。建築と数学を好む。
演劇や闘牛は好きではない。

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フェリペが動くと血が流れるとまで言われた彼も、父と同じ通風に悩まされ71歳で亡くなった。


フェリペは4回結婚して、すべて死別している。


■最初の妻 マリア・マヌエラ・デ・ポルトゥガル イトコ結婚
ポルトガル王ジョアン3世の娘
1527-1545 16歳結婚 18歳没
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フェリペの母はポルトガル出身だったので、彼も自然とポルトガル贔屓になった。
二人はポルトガル語で会話した。
ふっくらしてほがらかな妻は口数の少ない社交下手のフェリペに喜びを与えたが死別。


■2番目の妻 イギリス女王メアリー1世
イギリス国王ヘンリー8世の娘
1516-1558 38歳結婚 42歳没●実子ナシ
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父カルロス1世の命令でイギリス女王と政略結婚する。
目的はイギリスのカトリック化と跡継ぎを作ることであった。
メアリーは父のいとこにあたる。
12歳も年上のメアリーはすごく痩せていて眉が無く頭が禿げていたのでカツラをつけており
歯槽膿漏で歯をいくつか失くしていた。
メアリーは貴公子のフェリペに一目惚れするが、フェリペは礼儀正しくメアリーを大切にするのは
自分に与えられた任務としてこなしていただけであった。
カトリック化を果たし跡継ぎは絶望的とわかるとフェリペはわずか1年でスペインに帰ってしまう。
父カルロス1世の死と重なったためメアリーの葬儀にも参列しなかった。
そしてその異母妹エリザベス1世に求婚するが断られる。


■3番目の妻 イサベル・デ・バロイス←エリザベート・ド・ヴァロワ
1546-1568 14歳結婚 22歳没
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イサベルはフェリペ2世の息子ドン・カルロスと結婚する予定だったが
ドン・カルロスの精神異常が重くなったため父王フェリペ2世と結婚することになった。
祝宴の際に馬上槍試合に参加した花嫁の父フランス王アンリ2世は
モンゴメリー伯の槍に目を貫ぬかれ死亡した。
縁起でもないスタートになった。
宮廷はフランス風になり贅沢な遊びをし豪華な調度品に囲まれ、
最新流行の衣装を着たイサベルの女官であふれていた。
おしゃれで浪費家のイサベルはフランスから仕立師を呼んで自分や女官の衣装を作らせ、
化粧品や香水にも凝っており、一度着たドレスは二度と着なかった。
フェリペは彼女に甘く贅沢三昧を許していたが死別した。


■4番目の妻 アナ・デ・アウストリア←アンナ・フォン・エスターライヒ
オーストリア皇帝マクシミリアン2世の娘 伯父と姪の近親再婚 22歳年下
1549-1580 19歳結婚 31歳没
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フェリペの妹でスペイン王女であった母マリアから
スペインに対する尊敬を植えつけられていたアナはフェリペの良き妻となる。
スペイン語を話せるアナとは親類の安心感があった。
次々と子供が生まれ穏やかなアナと一緒にフェリペにも静かな暮らしが訪れる。
フェリペは一日に3回必ず王妃の部屋に行った。


●最初の妻の子 ドン・カルロス 皇太子 早逝
●3番目の妻の子 イサベル・クララ・エウヘニア 
オーストリア大公アルブレヒトと結婚
●3番目の妻の子 
カタリーナ・ミカエラ サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世と結婚
●4番目の妻の子 フェリペ3世 次代国王




★愛人アナ・デ・メンドーサ/エーボリ姫
1540-1592 52歳没
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■夫 ルイ・ゴメス
1516-1573 57歳没
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★エーボリ姫の愛人アントニオ・ペレス
1540-1611 71歳没 
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メリート公ディエゴ・デ・メンドサの一人娘で、
フェンシングで右目を失っていたが美貌と才能にあふれた女性だった。
12歳の時に24歳年上のエーボリ公ルイ・ゴメスと結婚、幸せな結婚生活を送り9子をもうけた。
夫の死により修道院に隠遁するが、奔放な性格に変貌する。
3年後マドリッドの宮廷に戻り情事を楽しむようになる。
フェリペとも関係があったという。
そのうちフェリペの側近アントニオ・ペレスと恋愛関係となる。
二人が国家反逆計画を企てたとしてフェリペ2世はペレスを追放しアナを幽閉する。
疑問の多い事件であったが、幽閉のまま死亡した。
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by xMUGIx | 2006-01-11 00:00 | スペイン

アブスブルゴ朝

◆国王カルロス1世/カール5世
先代女王フアナの子/オーストリア皇帝マクシミリアン1世の孫
1500-1558 16歳即位 58歳没 

オーストリアから数百の船団を組んでやってきたカルロス一行を見てスペイン人は仰天した。
金糸銀糸を縫い込んだ衣装、宝石類をちりばめた剣、白い羽飾りのついた兜、
このように華やかな宮廷人は地味で質実剛健なスペインにはいなかったからだ。
ここに優雅なブルゴーニュの騎士文化と
スペインの風土のもとで培われた厳しい宗教観が融合して独特のスペイン文化が生まれる。

神聖ローマ帝国皇帝であるオーストリアのマクシミリアン1世の死にともなう皇帝選挙は
カルロスとフランス国王フランソワ1世との一騎打ちであった。
マクシミリアン1世の妹である叔母のブルゴーニュ公国総督マルガレーテの奔走などにより
カルロスが皇帝の座についた。
選挙と戦争の両方で敗れた国王フランソワ1世の怨みはすさまじく
イスラム教のオスマン帝国をけしかけカルロス1世の実家オーストリアのウィーンを包囲させている。

マルチリンガルだったカルロスもドイツ語だけは話そうとしなかった。
「スペイン語は神への言葉、イタリア語は女性への言葉、フランス語は男性への言葉、
ドイツ語は馬への言葉」と言ったという。

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■妻 イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン イトコ結婚
ポルトガル王マヌエル1世の娘
1503-1539 23歳結婚 36歳没
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ポルトガル宮廷の華美な雰囲気の中にスペイン宮廷の教育を持ち込んだ。
カトリックに対する敬虔な思いと家事の切り盛りである。
イサベラはその二つを吸収して育った。
「豊かな金髪、尖った鼻、小さな口、大きな目。
高貴な顔立ちであり身体は華奢で整っている。
母マリアの元でスペイン風の教育を受けており、ヨーロッパで最も裕福な王女である」
彼女は政治能力も高く夫の留守中は国王代理の役目を果たした。
カルロスはイサベルをこよなく愛した。
しかしカルロスが39歳の時イサベルが亡くなった。
カルロスは1ヶ月間修道院にこもるほどショックを受けた。

イサベラは清純な女性だったので出産の時も一声も漏らさず
苦しい顔やしぐさを産婆や女官に見られないために部屋を真っ暗にしていた。
亡くなった時も「夫以外の男性に身体を見せることはできない」と
医者の診察を拒み続けた結果であった。
(いくらなんでも限度があるだろうよ・・・)

イサベラの死後カルロスは再婚することはなかった。
真面目で几帳面な性格であったため結婚中は愛人も作らなかった。
そして貴族身分の愛人から子が生まれれば認知し
商人・工人身分の愛人から子が生まれれば修道院などへ入れて面倒を見た。

カルロスはドイツに9回スペインに6回イタリアに7回オランダに10回フランスに4回
イギリスに2回アフリカに2回行き、その間に40回の遠征をした。
戦争につぐ戦争と持病の通風に疲れ切ったカルロスは引退を宣言した。
母フアナが亡くなった翌年だったのは偶然だろうか。
国王を息子フェリペ2世に譲り、修道院で隠遁生活に入った。
そして2年後に亡くなった。




●フェリペ2世 次代国王
●マリア 
オーストリア皇帝マクシミリアン2世と結婚
●フアナ 
ポルトガル皇太子ジョアン・マヌエルと結婚


庶子も多い


●庶子 マルガリータ 生母ヨハンナ・ファン・デル・ヘインスト  
●庶子 ドン・フアン・デ・アウストリア 生母バルバラ・フォン・ブロンベルク




●フェリペ2世 次代国王
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●マリア 
1528-1603 75歳没
オーストリア皇帝マクシミリアン2世と結婚 イトコ結婚
1527-1576 49歳没

マクシミリアンは幼少時をスペインの宮廷で過ごしたが肌に合わず
それゆえかカトリックの家元である国の大公子でありながら
プロテスタントのルター派にかぶれていたが
父帝から勘当を迫られてやむなくカトリックにとどまった。
ところが父帝が亡くなると国民の信仰の自由を認めると言い出しマリアと反目した。
世俗的で陽気で女好きだった。

マリアは保守的なカトリック教徒だったのでマクシミリアンとは対立した。
16人の子供が生まれたが夫の死後スペインへ戻ったマリアは
「異教徒のいない国に住めてとても幸せだ」と語ったという。
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●フアナ 
1535-1573 38歳没
ポルトガル皇太子ジョアン・マヌエルと結婚
1537-1554 17歳没

夫は第1子妊娠中に死亡、嫡男セバスティアンが生まれた。
兄フェリペ2世がイギリス女王メアリー1世と結婚してスペインを留守にすることとなったため、
息子をポルトガルに置いてスペインに戻り代理を務める。
その後ポルトガルに戻ることはなく息子とも会うこともなかった。
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●庶子 マルガリータ 生母ヨハンナ・ファン・デル・ヘインスト
1522-1586 64歳没

フィレンツェ公アレッサンドロ・デ・メディチと結婚死別
1510-1537 27歳没
パルマ公オッターヴィオ・ファルネーゼと再婚
1524-1586 62歳没
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●庶子 ドン・フアン・デ・アウストリア 生母バルバラ・フォン・ブロンベルク
1547-1578 31歳没●未婚

レパント海戦の英雄。
同じカトリックのスコットランド女王メアリーとの縁談が決まっていたが、
結婚前に本人死亡。

バルバラは名家ブロンベルク家に生まれたが、父の死後生活が苦しくなった。
そこで母親が美しく若い娘バルバラをカルロス1世に引き合わせた。
息子ドン・フアン・デ・アウストリアが生まれたのは良いが、
バルバラは次から次へと男を変える奔放な生活を始めた。
慌てたカルロス1世はドン・ファンを引き取り、
バルバラを手頃な男と結婚させて生活費を送ることにした。
しかしバルバラ夫妻は仕送りを超える贅沢三昧をして、カルロス1世の頭痛の種となる。
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by xMUGIx | 2006-01-10 00:00 | スペイン

アブスブルゴ朝

スペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家


●兄 カール5世/スペイン国王カルロス1世
1500-1558 58歳没
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●弟 オーストリア皇帝フィルディナント1世
1503-1564 61歳没
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兄弟は正反対の性格だった。

兄カール5世はブルゴーニュ育ちで享楽的な生活、暴飲暴食を常とした。
そのため生涯通風に悩まされることになる。
性格は内向的で鈍重、近寄りがたい雰囲気を持っていた。

弟フェルディナント1世はスペイン育ちで簡素な生活、教養豊かであった。
性格は陽気で機敏、誰からも親しまれた。


カスティーリャ女王となったフアナの父アラゴン王フェルディナントが他界したため
アラゴンの継承権は狂気の女王フアナの長男であるカール5世に移動した。
すなわちアラゴンとカスティーリャを併せたスペイン王国の君主に即位することになったのである。
スペイン王国とそれに付随する新大陸がハプスブルク家に転がり込んできた。

二人はトレードされる形で
カール5世がカルロス1世となりスペイン王国を、
フェルディナント1世がオーストリア帝国を統治することとなった。


ここからスペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家に分かれる。
以降スペイン・ハプスブルク家について述べていく。
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by xMUGIx | 2006-01-09 00:00 | スペイン

トラスタマラ朝

スペイン女王フアナ&オーストリア皇太子フィリップの子供


●レオノール
ポルトガル国王エマヌエレの3/3番目の妻・相手死別、フランス国王フランソワ1世の後妻
●カルロス オーストリア皇帝カール5世/スペイン国王カルロス1世となる
●イサベル 
デンマーク王クリスチャン2世と結婚
●フェルナンド オーストリア皇帝フェルディナント1世となる
●マリア 
ハンガリー・ボヘミア王ラヨシュ2世と結婚
●カタリナ 
ポルトガル王ジョアン3世と結婚


オーストリア皇帝マクシミリアン1世は孫たちを使って各国との政略結婚に励んだ。
「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」との家訓の通り。




●レオノール
1498-1558 60歳没
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■前夫 ポルトガル国王エマヌエレの3/3番目の妻 死別
1469-1521 52歳没
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■後夫 フランス国王フランソワ1世の後妻
1494-1547 53歳没
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フランス国王フランソワ1世はスペインの捕虜となった時に和平の印として
スペイン国王カルロス1世の姉エレオノールと政略結婚することを約束させられた。
そこでフランス国王フランソワ1世の2番目の妻→エレオノール王妃となった。
夫は二人の愛人をはべらせて会議に現れたり性病をうつされたりした。


●カルロス オーストリア皇帝カール5世/スペイン国王カルロス1世
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●イサベル 
1501-1526 25歳没
デンマーク王クリスチャン2世と結婚
1481-1559 78歳没
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クリスチャン2世は「悪党」というあだ名を歴史にとどめた男である。
スキャンダラスな生涯を送った無知無道な国王だった。
クリスチャンは少年時代から粗暴で無教養な手におえない王子だった。
彼は悪友と罪もない市民を脅し、良家の娘たちを乱暴した。
イサベルは彼に初対面した時
手入れもしていない赤毛の髪と髭をたくわえた恐ろしい顔の巨漢と結婚したことを知ったのである。
そのうえ夫は愛人デューヴェケを寵愛していたため愛人の一族に囲まれての生活が始まった。
イサベルは長い間理不尽な扱いに耐えてきたが夫の愛人が急逝した。
時を同じくしてデンマークの支配下にあったスウェーデンが反乱を起こした。
デンマーク王はスウェーデン貴族600人を処刑した。「ストックホルムの大虐殺」である。
ついにデンマーク国民の忍耐も限度を越え国王夫妻と子供たちはネーデルランドへ逃げた。
育ての叔母のマルグリットが子供たちを引き取ったがイサベルは夫と別れることを拒んだ。
そして貧困の中で25歳で亡くなった。典型的なDV妻ってやつでしょうか?


●フェルナンド オーストリア皇帝フェルディナント1世
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●マリア 
1505-1558 53歳没
ハンガリー・ボヘミア王ラヨシュ2世と結婚
1506-1526 20歳没
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マリアはラヨシュ2世の元に嫁いだ時に、夫が側近たちに翻弄されていると見抜いた。
マリアが到着した翌日からラヨシュは周囲の言いなりになることを断固拒否し始めたのである。
幸福な生活もつかの間トルコがハンガリーを攻めてきてラヨシュは戦死してしまう。
ところがラヨシュの死によりハンガリーとそれに付随するボヘミアの継承権が
ハンガリー王女アンナの夫であるフェルディナント1世の元に転がり込んできたのである。
これによりオーストリア=ハンガリー=ボヘミアという三国がハプスブルク家に統合された。
ネーデルランド総督叔母マルグリットの死により新たな総督に任命された。
そして叔母と同じようにイサベルの遺児を育てた。


●カタリナ 
1507-1578 71歳没
ポルトガル王ジョアン3世と結婚 イトコ結婚
1502-1557 55歳没
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by xMUGIx | 2006-01-08 00:00 | スペイン

トラスタマラ朝

◆女王フアナ(カスティーリャ=アラゴン連合国女王)
先代女王イサベルの子
1479-1555 25歳即位 76歳没 幽閉のまま死亡
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■夫 オーストリア皇太子フィリップ
オーストリア皇帝マクシミリアン1世の子
1478-1506 18歳結婚 28歳没
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二人の結婚決まる。

フアナは120隻の船でフィリップが治めるブルゴーニュ公国へ嫁ぐ。

夫婦仲は良く次々と子供が産まれるが、すぐにフィリップの浮気癖が始まる。
フアナは精神的に不安定になる。

兄の皇太子フアンの死亡により、王位継承権の関係で夫妻スペインに向けて出発。
フランスのルイ12世と親睦を深めたいというフィリップの希望により
フランスに1年半も滞在して寄り道。

スペインに到着するも、飽き飽きしたフィリップは、
身重のフアナを置いてブルゴーニュへ帰ってしてしまう。
またしても各国に寄り道をして、ブルゴーニュに到着したのは1年後。

フィリップの元へ行きたいと言うフアナは異常行動を取る。
うなる、大声をあげる、食事をとらない、眠らない、
「歩いてでも帰る」とわめきながら、雪の日に裸足で城の門を揺さぶり続けた。
とうとう母王イサベル1世も匙を投げる。

フェルナンドは無事に生まれるが、フアナは赤ん坊を置いてすぐにフィリップの元へ帰国。
当然愛人を作っていたフィリップの相手をハサミで切り付け、
丸坊主にした挙句、顔にもケガをさせる。

フェリペはうんざりして、フアナを幽閉する。
食事・睡眠を拒否して、壁を頭にぶつけることを繰り返した。

イサベル女王の死亡により、王位継承権の関係で夫妻スペインに向かう。
スペインのブルゴスでフェリペ突然病死。暗殺説もある。

フアナ、フェリペの遺体をブルゴスからグラナダの王室礼拝堂まで運ぼうとする。
フェリペの棺を担いだ葬列は、明るいうちは移動せず
夜中にロウソクを灯して荒野の中を進んだ。
フアナはフェリペが生き返っているかもしれないという期待から、毎日棺の蓋を開けた。
葬列は2年もかかってグラナダに到着する。

父王、フアナを幽閉する。
着替え・入浴・食事・睡眠を拒否する。

父王、嫡男を得るために再婚するが死亡。

スペインを相続した息子のカルロス1世もフアナの幽閉を解かず、
46年間の幽閉のまま死亡。
死ぬまで、「ヨ・ラ・レイナ」(我、女王)とサインをした。


フアナは美人で楽器や歌や踊りに優れ語学の才能に秀でた宮廷自慢の王女だった。
またカトリックの戒律を忠実に守り一日に3回お祈りをするという
ある意味では典型的なスペイン女でもあった。
フィリップと対面した時、
「フィリップ美公」と呼ばれた彼の凛々しさにフアナはすっかり魅せられた。

フィリップは享楽的で遊び好きだったが
これまで体験したことのなかった異国情緒あふれる新妻に夢中になった。
しかし新鮮さが薄れると元来の性格が出てすぐにフアナに飽きた。
フアナは夫の浮気に対する嫉妬から病的なヒステリーを起こすようになる。

母方の祖母ポルトガル王女イサベルが精神異常であった。
祖母は母王イサベル1世を出産後、一人座って何時間もじっと遠くを見つめるようになる。
さらにはヒステリーを繰り返すようになり、最後には誰の顔も見分けられなくなった。
母王はフアナに祖母の病気が遺伝していることを痛感した。




●レオノール
ポルトガル国王エマヌエレの計3回の3番目の妻・死別、フランス国王フランソワ1世の後妻
●カルロス オーストリア皇帝カール5世/スペイン国王カルロス1世となる
●イサベル 
デンマーク王クリスチャン2世と結婚
●フェルナンド オーストリア皇帝フェルディナント1世となる
●マリア 
ハンガリー・ボヘミア王ラヨシュ2世と結婚
●カタリナ 
ポルトガル王ジョアン3世と結婚
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by xMUGIx | 2006-01-07 00:00 | スペイン

トラスタマラ朝

◆女王イサベル1世(カスティーリャ=アラゴン連合国女王)
先代エンリケ4世の妹
1451-1504 23歳即位 53歳没
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カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世との結婚が成立した。
これによりカスティーリャ=アラゴン連合王国が誕生する。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
当時の証言

礼儀正しい女性で、服装や装飾品にいつも気を配っている。
とても色白で、髪は赤く、丸顔で中背である。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::




■夫 アラゴン王フェルナンド2世
1452-1516 17歳結婚 64歳没
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::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
当時の証言

中肉中背、広い肩を持ち、筋骨はたくましい。
ブロンズの肌と栗色の髪を持っている。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::




★王の後妻 ジェルメーヌ・ド・フォワ
ナルボンヌ子爵ジャン・ド・フォワ
1488-1538 50歳没●実子ナシ
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フェルディナンドの死後、ヨハン・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハと再婚、
ヨハンの死後は、カラブリア公フェルナンドと再々婚した。




すべて前妻の子
●イサベル
ポルトガル皇太子アフォンソと結婚死別、ポルトガル王マヌエル1世の前妻
●フアン 
オーストリア皇女マルガレーテと結婚 本人死別
●フアナ 次代女王 通称:狂女フアナ
●マリア 
ポルトガル王マヌエル1世の後妻
●カタリーナ→娘はイギリス女王メアリー1世
イギリス皇太子アーサーと結婚死別、その弟国王ヘンリー8世と再婚




●イサベル
1470-1498 28歳没
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■前夫 ポルトガル皇太子アフォンソ 死別
1475-1491 16歳没
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■ポルトガル王マヌエル1世の前妻 本人死別
1469-1521 52歳没
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●フアン 
1478-1497 19歳没
オーストリア皇女マルガレーテと結婚 本人死別
1480-1530 50歳没
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■マルグリット
フランス国王シャルル8世と婚約破棄
→スペイン皇太子フアンと結婚死別
→サヴォイア公フィリベルト2世の後妻死別




●フアナ 次代女王 通称:狂女フアナ
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●マリア
1482-1517 35歳没
ポルトガル王マヌエル1世の後妻。前妻は姉イサベル。
1469-1521 52歳没
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●カタリーナ→娘はイギリス女王メアリー1世
1487-1536 49歳没
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■前夫 イギリス皇太子アーサーと結婚死別
1486-1502 16歳没
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■後夫 その弟国王ヘンリー8世と再婚
1491-1547 56歳没
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by xMUGIx | 2006-01-06 00:00 | スペイン

トラスタマラ朝

◆エンリケ4世(カスティーリャ王) 通称:不能王
先代フアン2世の子
1425-1474 29歳即位 49歳没

*ノッポでノロマ、病的なほどの恥ずかしがり屋だった。
赤味がかった美しい金髪に青緑の瞳をしていたが、
黄色い出っ歯と子供の頃のケガのせいで鼻がぺしゃんこで歪んでいた。
さらに風呂嫌いで体臭がひどかった。




■前妻 ブランカ2世 イトコ結婚
アラゴン王フアン2世の娘
1424-1464 16歳結婚 40歳没

*夫エンリケ4世は性的不能であったため処女のまま離婚、
実家に戻されたが実父フアン2世は娘の結婚の失敗を激怒、
幽閉のうえ毒殺された。




■後妻 フアナ・デ・ポルトゥガル イトコ結婚・離婚
ポルトガル王ドゥアルテ1世の娘
1439-1475 16歳結婚 36歳没

*豊かな黒髪に黒い瞳、浅黒い肌でほっそりとしなやかな美少女だった。

*夫が性的不能であったため、
アルブルケルケ公爵ベルトラン・デ・ラ・クエバと関係し娘を生む。

*その後ペドロ・デ・カスティーリャ・イ・フォンセカと関係して子供2人生み離婚、
修道院に送られる。




●後妻の子 フアナ 
通称フアナ・ラ・ベルトラネーハ
(国王の子ではなく王妃の情人ベルトランの娘という意味)
1462-1530 68歳没

*14歳の時、43歳の母方叔父ポルトガル王アフォンソ5世の後妻となるが、
ローマ教皇は近親結婚を理由にこの結婚を無効とする。
フアナは修道院に送られた。
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by xMUGIx | 2006-01-05 00:00 | スペイン

トラスタマラ朝

◆フアン2世(カスティーリャ王)
先代エンリケ3世の子
1405-1454 1歳即位 49歳没


■前妻 マリア・デ・アラゴン イトコ結婚
アラゴン王フェルナンド1世の娘
1396-1445 22歳結婚 49歳没


■後妻 イサベル・デ・ポルトゥガル
ポルトガル王族ジョアン・デ・ポルトゥガルの娘
1428-1496 19歳結婚 68歳没


●前妻の子 エンリケ4世 次代国王
●後妻の子 イサベル1世 次々代女王
●後妻の子 アルフォンソ 早逝
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by xMUGIx | 2006-01-04 00:00 | スペイン


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