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by xMUGIx
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ウィンザー朝

◆女王エリザベス2世
先代ジョージ6世の子
1926- 27歳即位


■夫 フィリップ←フィリッポス 夫26歳&妻21歳で結婚
ギリシャ王子アンドレオスの息子
1921-

エリザベス一家は父の母校ダートマス海軍大学を訪問した。
この時の案内役がフィリップ・マウントバッテン海軍中尉だった。
18歳の長身で金髪のハンサムなフィリップに13歳のエリザベスは一目惚れ。初恋だった。
フィリップはギリシャ王子であったがクーデターのため一家でイギリスに亡命していた。

フィリップはエリザベスに求婚した。
エリザベスは両親にも政府にも無断で承諾した。

たとえ夫が浮気をしようが隠し子の噂が立とうが初恋を遂げた女王は見て見ぬふりを続けた。
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●チャールズ 次代国王
スペンサー伯爵令嬢ダイアナと結婚離婚、一般人カミラ・シャンドと再婚
●アン 
一般人マーク・フィリップスと結婚離婚、一般人ティモシー・ローレンスと再婚
●アンドルー 
一般人セーラ・ファーガソンと結婚・離婚
●エドワード 
一般人ソフィー・ヘレン・リース=ジョーンズと結婚
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by xMUGIx | 2005-03-08 00:00 | イギリス

ウィンザー朝

◆国王ジョージ6世
先代エドワード8世の弟
1895-1952 41歳即位 56歳没

幼少期のジョージは言葉が遅く6~7歳まできちんとした会話ができなかった。
生来左利きであったことから利き腕を右手に矯正するよう指導されることとなった。
食事の際は左手に長いひもを結び付けられ左手を使った場合には父から乱暴に引っ張られた。
字を書く際も無理矢理右手で書くよう家庭教師達から矯正され
加えてX脚だったことから父の方針により9歳頃から脚の形を矯正するために
1日に数時間ギプスを着用することも強制された。
ギプスを使用する痛みに耐え切れず泣き叫ぶようなこともしばしばあり
幼いジョージははこれらの虐待に起因する過度のストレスから
重度の吃音に悩まされることとなる。
病弱で生来左足が不自由であったが活発でテニスを趣味とする一面もあった。


■妻 エリザベス・ボーズ=ライアン
ストラスモア伯爵クロード・ジョージの娘
1900-2002 23歳結婚 101歳没

3度の求婚の末に結婚。
彼女は王室に嫁ぐことに不安を持っていたため求婚を断り続けていたが、
姑メアリー王妃の後押しもあって3度目のプロポーズでイエスと答えた。
ジョージ6世は社交界の花形だった兄エドワード8世とは対照的で内向的な性格だったが
大らかな性格のエリザベスと出会ったことで少しずつ改善されていった。

大らかで優雅な雰囲気を持つエリザベス王妃は国民から愛され
これによりジョージ国王の人気も非常に高いものとなった。
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●エリザベス2世 次代女王
●マーガレット 一般人アンソニー・アームストロング・ジョーンズと結婚離婚


エリザベス2世王女とマーガレット王女の二女に恵まれる。
二人の王女はともに帝王切開で生まれた。
幼少時から厳格な両親に育てられたためジョージ6世は自分の家族を大事にした。

兄エドワード8世がウォリス・シンプソン夫人と結婚するために退位したため
急遽国王として即位しなければならなくなった。
生来引っ込み思案な性格だったジョージはこの事態を最も恐れていた。
病弱で内気だった彼は即位を嫌がったが
国王になった以上は責任を果たそうと誠実に努力した。
エリザベスも夫の吃音に言語障害の専門医をつけて共に克服に取り組んだ。

第二次世界大戦中ジョージ6世とエリザベス王妃はイギリスの抗戦の象徴とされた。
ドイツ軍からバッキンガム宮殿が9回も爆撃を受けたにもかかわらず、
国王夫妻はロンドンから避難することを拒んだ。
王妃は「私の子供たちは私のもとを離れません。私は国王陛下のもとを離れません。
そして国王陛下はロンドンをお離れになりません」と王妃はきっぱりと言った。
二人は第二次世界大戦中のイギリス国民を大いに勇気づけた。
ヒトラーも彼女を「ヨーロッパでもっとも危険な女性」と呼んだ。
国王夫妻は疲弊した国土を戦勝へと「精神的」に導いたと言っても過言ではない。

激務に追われ続け国王としての責務と重圧から健康を崩すようになった。
加えてヘビースモーカーであったことから肺癌になり
ジョージ6世は完全に健康を回復することが出来なくなってしまった。

王妃は夫が急逝した原因の1つに
身体が生まれつきあまり頑丈ではないのに王位を継ぐことになったうえ
夫の意向を無視してナチス・ドイツと親交を結び心身とも疲労させたとして
エドワード8世夫妻を終生許さなかった。

競馬とジンが大好きな皇太后は101歳まで長生きし、
クイーン・マザーと呼ばれ国民から愛された。

王妃は長女エリザベスとフィリップの結婚にはフィリップの素行や素性に不満を持ち
フィリップとの確執は根深い物があった。
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●エリザベス2世 次代女王
1926-
ギリシャ王子フィリッポスと結婚→フィリップ
1921-
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●マーガレット 
1930-2002 72歳没
カメラマンのアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚・離婚
1930-
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by xMUGIx | 2005-03-07 00:00 | イギリス

ウィンザー朝

◆国王エドワード8世●実子ナシ
先代ジョージ5世の子
1896-1986 40歳即位 89歳没


*エドワード8世も長すぎる皇太子時代に悩んだクチだった。
父王と違って狩猟は好まなかったので、
日常生活の大半を乗馬・ダンス・ゴルフ・テニスなどの暇潰しに費やすことになった。
本来彼は忙しく働いていることが好きだったので、始終退屈していた。


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エドワード8世が側近ゴッドフリー・トマスに語った言葉

こうしてただずっと皇太子でいることに、本当に心底からうんざりしているんだ。
これでは神経がすりへって混乱するばかりだ。
私はね、時々自分が気が狂うんじゃないかと思うことがあるよ。

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父王ジョージ5世の証言

あれの友人にはまともな紳士は一人もいない。ちゃんとした人々と付き合った経験もない。
もう40歳になるのに。私が死んだら、あれは12ヶ月以内に破滅するだろう。

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エドワードの人生は父の予言どおりになる。




■妻 バツ2のアメリカ人ウォリス・シンプソン 夫41歳&妻43歳で結婚
1894-1972 41歳結婚 77歳没  

*20歳でアメリカ海軍のウィンフィールド・スペンサー・ジュニアと結婚離婚、
32歳でイギリス人の船舶会社社長アーネスト・シンプソンと略奪再婚離婚、
43歳でエドワードと再々婚、77歳没。

*ウォリスは男性を支配したがる利己的なタイプだったので、
エドワードはうってつけのカモだった。
愛人テルマがアメリカに行っている間に二人は親密な関係になり同棲を始めた。
エドワードの親友で大臣でもあったダフ・クーパーは、
「彼女は冷酷な女で、彼を愛してなどいなかった」と証言している。
ウォリスはエドワードを子供のように扱い、ときどき人前で叱りつけたりもした。
エドワードはウォリスに奴隷のような献身で応えた。
彼女に金や宝石を雨あられと注いだ。


エドワード8世は内外を問わず大変な人気者であった。
ヨーロッパでも屈指のプレイボーイとしても有名で
14年間愛人関係にあったフリーダ・ダドリー・ウォード議員夫人をはじめとして
貴族令嬢から芸能人まで交際相手は幅広かった。

そして愛人の一人テルマ・ファーネスからアメリカ人女性ウォリス・シンプソン夫人を紹介される。
母親からの愛情に恵まれないまま育ったことから
年上の女性や人妻からの温もりを求めるエドワードにとって
自由奔放かつ博識で母性を感じさせるウォリスの存在は大変に魅力的であり
彼女との結婚を真剣に検討するようになる。
しかしウォリスは離婚歴のある人妻であった。多くの国民がこの交際に反発した。

彼女は抜群の美貌ではなく小柄だったがお洒落や会話術、ダンスなどに
人一倍の努力を払っていたこともあって男性たちを魅了するタイプだった。
ウォリスは粗暴なアメリカ海軍中尉の夫を捨て
船舶会社社長のイギリス人アーネスト・シンプソンと再婚しイギリスへやって来た。
社交界に顔のきく夫のおかげで
シンプソン夫人はイギリスの社交界にデビューしすぐに花形となった。
そしてエドワード皇太子と出会った。
チヤホヤすることなく思うことを言葉にするシンプソン夫人にエドワードは新鮮な魅力を感じた。
伝統と格式の中で生きてきたエドワードにとって自由で奔放なウォリスは
まるでアメリカからやってきた自由の風のようだった。
その後のエドワードはどこにでも彼女を連れ歩き高価な物を好きなだけ買い与え
エドワードの邸宅で同棲するに至った。
シンプソン氏にも愛人がおり互いに干渉しない間柄だった。

しかしエドワードはパーティの席上でシンプソン氏に
「さっさと離婚しろ」と詰めより殴り倒すという暴挙に出たのである。
この国王にあるまじき醜態が原因となり議会が開かれた。
エドワードは王冠か恋かの選択を迫られ退位を決断する。

「王である前に一人の男性であり、自分の心のままに従いたい。
王冠を捨てるのは愛する彼女の助けと支えなしでは
王として重大な責任と義務を果たすことが到底不可能であるからだ」
という声明をBBC放送を通じて国民に伝えて退位した。
1年に満たない在位であった。
この一連のスキャンダルは「王冠を捨てた恋」と呼ばれる。
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退位してウインザー公夫妻となった二人はパリに新居をかまえた。
当初エドワードはフランスでしばらくほとぼりを冷ました後は
またイギリスに戻って元通りの生活できると思っていたようだ。
ところが国王ジョージ6世から
「許可を得ずに帰国するようなことがあれば王室からの手当を打ち切る」
と言われたため実現には至らなかった。

以来王室とは疎遠となり
特に母メアリー王太后やジョージ6世王妃エリザベスとは絶縁状態にあった。
エリザベス王妃は病弱なうえに吃音症や脚の障害を抱える夫
を無理矢理王位につかせたエドワード夫妻を憎んだ。

一生このままだという事実がわかったエドワードは
二人に好意的なナチス・ドイツと急激に親しくなる。
ナチス・ドイツに協力してドイツがイギリスを征服した後イギリス国王として返り咲こうと計画した。
「この戦争が終わり、ヒトラーがアメリカを撃破した後、われわれの出番となる。」と語っていた。

ナチス・ドイツ寄りの発言や行動が目立つようになった夫妻に慌てたイギリス政府は
エドワードをバハマ総督に任命して2人をヨーロッパから離した。
夫人はバハマを嫌い特注のエルメスのバッグを持ち毛皮や宝石で飾り立てて
飛行機で何度もアメリカへ買い物をしに行く姿は戦時下で苦難にあえぐ人々の批判の的となった。

第二次世界大戦後はフランスに戻り半ば引退のような生活を送った。

エドワードは幼少期に母の愛情が少なかった体験から長く神経性胃炎と躁鬱病を患っていた。
また大人になってからも何か自分に気に入らないことがあると
すぐに大声で泣き叫ぶなど年不相応に幼い面が多く見られたという。

60年経って「王冠を捨てた恋」の真実が暴露された。
1995年に第二次世界大戦中イギリス軍によって押収されたドイツの外交文書の一部が公表された。
その資料からシンプソン夫人はナチスの駐英大使リッベントロップと深い関係にあったことが
明るみになった。
当時のイギリス政府がシンプソン夫人との結婚に反対したのは夫人の離婚歴ではなく
ナチスとの関係を問題視したためだった。

エドワードとの結婚後も愛人関係はは続いており
イギリスを始めとする連合国の機密情報をナチスに漏らしていた可能性が高い。
さらに2002年にアメリカのFBI文書が公開され
シンプソン夫人はドイツ諜報部の工作員だったという事実が明かされた。
第二次世界大戦中夫妻がバハマ提督に任命されたのも
イギリス政府が夫人の背後にいるナチスを警戒したためであった。
またこの情報に基づきルーズベルト大統領は夫妻がアメリカを訪れた際に
常にFBIの監視下に置いていた。
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二人は永遠に「王冠を捨てた恋」というロマンスのカップルを演じ続けなければならない。
ロマンスのカップルは離婚も出来ず、愛人を作って情事を楽しむということも出来ない。
エドワードは王冠を捨てたことを後悔していた。だから自分を王として扱ってくれる国を好んだ。
晩年の二人は酒に溺れていた。
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彼は恋愛相手に母親のような役割を求めたため、子供もいるような人妻が多かった。


★愛人フリーダ・ダドリー・ウォード 議員夫人
1894-1983 89歳没
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★愛人セルマ・モーガン ファーネス子爵夫人
1904-1970 66歳没
テルマはウォリスをエドワードに紹介したために、エドワードを取られてしまう。

美貌の双子として有名だった。
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by xMUGIx | 2005-03-06 00:00 | イギリス

ウィンザー朝

国王ジョージ5世の子供


●エドワード8世 次代国王
●ジョージ6世 次々代国王
●メアリー 
ハーウッド伯爵ヘンリー・ラッセルズと結婚
●ヘンリー 
クイーンズベリー公爵令嬢アリスと結婚
●ジョージ 
ギリシャ王女マリナと結婚
●ジョン 早逝




●エドワード8世 次代国王
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●ジョージ6世 次々代国王
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●メアリー●子供2人 
1897-1965 68歳没
ハーウッド伯爵ヘンリー・ラッセルズと結婚
1882-1947 65歳没
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●ヘンリー●子供2人 
1900-1974 74歳没
クイーンズベリー公爵令嬢アリスと結婚
1901-2004 103歳没
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●ジョージ●子供3人 
1902-1942 40歳没
ギリシャ王女マリナと結婚
1906-1968 36歳没
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●ジョン 早逝
1905-1919 14歳没

*自閉症であったため、世間から隠すように別宅で育てられた。
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by xMUGIx | 2005-03-05 00:00 | イギリス

ウィンザー朝

◆国王ジョージ5世
先代エドワード7世の子
1865-1936 45歳即位 70歳没

*第一次世界大戦に際し、
敵国ドイツの家名サクス=コバーグ=ゴータをウィンザーに変更した。

*ジョージはイギリスの国王というよりジェントリーだった。
彼の趣味は狩猟と切手集めだった。
午前中は狩猟をして、午後は切手帳を眺め、
夜は家族とともに静かに夕食を取る一日が最良の日だった。
家族だけと夕食をとるときにも、必ず燕尾服を着てガーター勲章をつけた。

*単調を愛するジョージは、在位中の18年間にイギリスを離れたのは8週間だけだった。

母方のいとこロシア皇帝ニコライ2世とジョージ5世は双子のようによく似ていた
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■妻 メアリー・オブ・テック
テック公爵フランツの娘
1867-1953 26歳結婚 85歳没

*メアリーはもともと兄アルバート皇太子の婚約者であったが
皇太子が亡くなったため祖母ヴィクトリア女王がジョージにメアリーと結婚するよう説得した。
彼は説得を受入れてメアリーと結婚した。
両親とは対照的に質素で静かなライフスタイルを好んだ。
切手収集と狩猟に没頭した。
切手収集では名の知れた収集家であり
インドではトラを21匹キジを1,000羽上狩った。

*メアリー王妃の欠点は各王家に宝石のリストを作らせたり
貴族の家に行くと家宝を褒めちぎって献上させたりすることで
「強盗の一歩手前のような方」とまで言われた。
ロマノフ家の一族がイギリスに亡命した時には王妃に見つからないように
財宝を一生懸命隠したが結局は取り上げられてしまったという。

*また母親というより貴婦人というメンタリティーが強く、
育児は乳母や教育係まかせで子供に愛情を注ぐということ面はほとんどなかった。
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●エドワード8世 次代国王
●ジョージ6世 次々代国王
●メアリー 
ハーウッド伯爵ヘンリー・ラッセルズと結婚
●ヘンリー 
クイーンズベリー公爵令嬢アリスと結婚
●ジョージ 
ギリシャ王女マリナと結婚
●ジョン 早逝


シンプソン夫人との結婚問題などで皇太子エドワード8世との関係は悪化の一途をたどった。
対照的に生真面目で誠実な性格である二男のジョージ6世とは良好な関係で
孫娘のエリザベス2世を溺愛していた。

第一次世界大戦が勃発したため敵国ドイツの家名を廃しウィンザーと改めた。
第一次世界大戦によるストレスはヘビースモーカーだったジョージ5世の喫煙量を
更に増やすきっかけとなった。
長く肺気腫や気管支炎、慢性閉塞性肺疾患、胸膜炎を患った。
以降もジョージ5世の健康が完全に回復することはなく
晩年には酸素の投与が必要な体になっていた。
主治医の証言によると最期の言葉は「ちくしょう!」だったという。

X脚であることに強いコンプレックスを抱いていたため
自分と同じX脚を持つ二男の国王ジョージ6世に対して脚の形を矯正するために
9歳頃から両足に1日数時間ギプスを着用するように命じたが
幼いジョージ6世はギプスの痛みに耐え切れず泣き叫ぶようなこともしばしばあった。
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by xMUGIx | 2005-03-04 00:00 | イギリス

サクス=コバーグ=ゴータ朝

国王エドワード7世の子供


●アルバート・ヴィクター 皇太子 早逝
●ジョージ5世 次代国王
●ルイーズ 
ファイフ公爵アレグザンダーと結婚
●ヴィクトリア 未婚
●モード 
ノルウェー国王ホーコン7世と結婚




●アルバート・ヴィクター 皇太子 早逝 愛称エディ
1864-1892 28歳没


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ヴィクトリア女王のイトコ ケンブリッジ公ジョージの証言

あいつは救いがたい、根っからのマヌケだ。
何一つやる気がないし、まともにできた試しもない。

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*並外れた着道楽に加えて長すぎる首を隠すために、高い衿を着けていたことから
<カラーとカフス>というあだ名が付いていた。

ロンドンのクリーヴランド通りにあった男娼売春宿が警察に摘発され
顧客にアルバート皇太子がいたことから
王室はこのスキャンダルから皇太子を遠ざけることに躍起になった。
父エドワードが裁判が始まる前に売春宿の経営者をフランスへ亡命させたため
顧客からは一人の逮捕者も出なかったが
皇太子が同性愛者であるという噂は流れてしまった。
「クリーヴランド・ストリート・スキャンダル」と呼ばれる事件である。
切り裂きジャックの正体として候補に挙がることもある。
侍医によると皇太子は淋病の上に梅毒による精神錯乱を起こしており、
28歳で早逝した時は国中がホッと胸をなでおろした。
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元婚約者メアリー・オブ・テックと→メアリーは皇太子の死後弟の国王ジョージ5世と結婚する
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●ジョージ5世 次代国王 愛称ジョージィ
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●ルイーズ●子供2人 愛称ルル
1867-1931 64歳没
ファイフ公爵アレグザンダーと結婚
1849-1912 63歳没
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●ヴィクトリア 未婚 愛称トリア
1868-1935 67歳没
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●モード●子供1人 愛称ハリー
1869-1938 69歳没
ノルウェー国王ホーコン7世と結婚
1872-1957 85歳没
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by xMUGIx | 2005-03-03 00:00 | イギリス

サクス=コバーグ=ゴータ朝

国王エドワード7世の愛人


*エドワードは派手好きで奔放な性格であり
女優のサラ・ベルナールなど数多くの女性たちと浮名を流した。
その数100人ともいわれる。




★愛人ホーテンス・シュナイダー
1833-1920 87歳没
オペラ歌手

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★愛人サラ・ベルナール
1844-1923 79歳没
フランスの大女優。エドワードとは火遊びの一つだった。

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★愛人アグネス・カイザー
1852-1941 89歳没
人道活動家

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★愛人チャーチル夫人→息子は首相ウィンストン・チャーチル
1854-1921 67歳没

息子を生むと妹と一緒に社交生活に熱中するようになった。
チャーチル夫人は美しい女性でチヤホヤされるのが好きだった。
そしてエドワードと愛人関係になった。
エドワードの後ろ盾があることでイギリスの社交界を楽々と登っていくことができたので
エドワードと別れた後もチャーチル夫人に言い寄る男は多かった。
「自分が偉大なことを成し遂げることができたとしたらそれは母のお陰である」
とチャーチルは母を称賛した。

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★愛人リリー・ラングトリー夫人 愛称ジャージー・リリー
1853-1929 76歳没

ジャージー島の牧師の家に生まれロンドンに憧れていた田舎娘のリリーは、
金持ちの男エドワード・ラングトリーと結婚して社交界デビューを果たす。
そこで知り合った画家ミレーが彼女をモデルに描いた『ジャージー・リリー』で
その美貌が一躍有名となる。これがきっかけでアルバートも彼女に興味を持つ。
あちこちに同伴する姿が目撃され、
二人の愛の巣をポーツマスに買い求めるに至って愛人として注目されることになった。
意外にもにもヴィクトリア女王にもアレクサンドラにも好感を持たれた。
二人の関係は3年続いた。
しかしリリーがエドワードのいとこバッテンベルク公息ルイスの子を生んだため破局した。
夫とも別れたリリーは生活のために優になった。
皇太子の元愛人ということで舞台は大成功した。
ペイス準男爵と結婚し、レディ・ド・ペイスとなる。
後年アメリカの市民権を得て、晩年をモンテカルロで過ごした。

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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後コート・ダジュールにいた頃、
モンテカルロには当代一のセレブが住んでいた。
エドワード7世の寵姫であったリリー・ラングトリーは窮乏し宮廷を去って女優になり、
シェークスピア作品で大きな名声を得た。
彼女のヴィラには宮廷と舞台の思い出の品があふれていて、
その会話にはすっかり魅了された。

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★愛人フランシス・ブルック 愛称デイジー・ウォーリック
1861-1938 77歳没

ヴィクトリア女王の四男レオポルドのお妃候補に挙がったこともある。
メイナード子爵令嬢のデイジーは、ウォーリック伯爵フランシス・グレヴィルと結婚、
マナーの良いエレガントな着こなしの頭の良い美人だった。
夫は狩猟に熱中したが、それは妻が情事に忙しかったからである。
ゆえにエドワードがウォーリック伯のカントリーハウスに滞在する時は
日中は一緒に狩猟をし、夜は妻をエドワードに貸し出した。
エドワードは彼女の頭の回転の良さに魅かれいろいろな議論を楽しんだという。
そして彼女を「デイジー・ワイフ」と呼んだ。
しかしデイジーはアレクサンドラと対等に接してくるので、
アレクサンドラは彼女に敵意を持った。
彼女は子供を生んでから情事を楽しむようになった。
二人の関係は8年続いた。
デイジーが社会主義に傾倒していったため破局した。

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★愛人アリス・ケッペル
1868-1947 79歳没

スコットランドの準男爵家生まれのアリスは、
アビルマール伯爵家の三男ジョージ・ケペルと結婚、美貌と低い声が魅力的な女性で、
エドワードにとっては、リリーほど身分が低くなくデイジーほど身分が高くない、
中間の身分であることも魅力であったようだ。
そしてアレクサンドラの愛人に対する感情も、
リリーとデイジーに示した感情の中間であった。
しかし周囲は困った。
リリーの時は王妃と両方をパーティーに招待すれば良かった。
デイジーの時はどちらか片方を招待すれば良かった。
アリスの時はぎりぎりまでどちらを招待すべきか皆悩んだという。
アリスの夫は軍人だったが裕福ではなかったので、
王と妻の関係を喜んで見て見ぬふりをした。
エドワードに対して恋人・妻・母の三役を完璧にこなせる女性であった。
長年の愛人にして最愛の女性であるアリス・ケッペルを
片時も側から離したがらないほど深く寵愛し
彼女の子供たちの何人かの実の父親は
エドワードである可能性が濃厚であると言われている。

ちなみに御先祖様は、女王メアリー2世の夫ウィリアム3世が
故郷のオランダから連れてきた16歳のオランダ人美少年アーノルド・ケッペル。
男色のウィリアム3世から愛され、爵位を与えられて貴族となった。
さらにアリス・ケッペルの曾孫がチャールズ皇太子と再婚したカミラ夫人である。
男も女も驚きの魔性の愛人体質一族です。

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by xMUGIx | 2005-03-02 00:00 | イギリス

サクス=コバーグ=ゴータ朝

◆国王エドワード7世
先代ヴィクトリア女王の子
1841-1910 60歳即位 68歳没  

皇太子として幼少時は虐待とも言えるほどに厳しいしつけを受けた。
その反動からか成長してから問題児になる。
エドワードは知能は高かったが、思想・芸術・文学などにはまったく興味がなく、
興味があるのは社交界の交際だけだった。
そのため、フランス語・ドイツ語を流暢に話せた。

大の博打好きで女たらしだった。
彼の好きな物は、競馬・ヨット・美食・贅沢な酒・狩猟・賭け事・ダンス・舞踏会、
そして泊りがけのパーティー(これは基本的に乱交パーティー)。
エドワードの友人たちは彼に絶えず気晴らしをさせておくことに懸命だった。
エドワードはチヤホヤされないと機嫌が悪くなり、何かおもしろいことがないとイラ立った。

それがたたって2度も法廷に立っている。
<モーダント離婚訴訟事件>は、サー・チャールズ・モーダントが妻に離婚を求めた裁判で、
妻の複数の不倫相手の中にエドワードが含まれていた。
エドワードは証人として呼び出され不倫を否定したが、
皇太子がこのような事態に陥ること自体が大スキャンダルであった。
<トランビー・クロフト荘バカラ事件>は、ウィリアム・ゴードン・カミング准男爵がイカサマをした。
そこでその場にいた仲間たちがカミングに二度とバカラをやらないという念書を書かせ、
仲間たち9人も署名した。恥をかかされたカミングはその仲間を相手取って裁判を起こした。
その9人の一人がエドワードだったため、またしても彼は証人として呼び出されて法廷に立った。


ヴィクトリア女王は息子が「浮ついた、身勝手な、道楽好きの金持ち」
とばかり付き合っていることを嘆き、
「思慮の足りない、頭の鈍い、不器用な、遊んでばかりいる、家の中にいるとイライラする男」
と言った。

ヴィクトリア女王は自分が亡くなるまで
皇太子には一切政治にタッチさせないという強い方針を貫いており、
何の公務も与えられなかった長すぎた皇太子時代が彼の性格に悪影響を与えたともいえる。
ヴィクトリア女王が長生きだったので在位期間は10年に満たない。


■妻 アレクサンドラ・オブ・デンマーク
デンマーク国王クリスチャン9世の娘 妹はロシア皇后マリア
1844-1925 19歳結婚 80歳没

エドワードは派手好きで奔放な性格であり
女優のサラ・ベルナールなど数多くの女性たちと浮名を流した。
その数100人ともいわれる。
彼は即位までを長くパリの娼館で過ごしヴィクトリア女王やアルバート公を大いに悩ませた。
エドワードの素行の悪さを直したかった女王は美しい妃を与えておとなしくさせることを考えた。
そこで美貌の誉れ高いアレクサンドラ王女に白羽の矢を立てた。
アレクサンドラと対面したエドワードはその美貌に惚れ込んで結婚を望んだ。

しかし結婚後もエドワードの女性遍歴は止まらなかった。
二人の夫婦関係は両親のヴィクトリア女王夫妻とは全く対照的に冷やかで険悪であり
互いに好意も愛情も一切感じることのない関係であった。

アレクサンドラも子供たちに
「お父さまのように愚かな人間になってはなりませんよ」と常に言い聞かせたり
夫の愛人一人一人に蔑称をつけて呼んでいた。
エドワードがアリス・ケッペルと散歩しているのを目撃した際は
夫とアリスが共に肥満体であったことから「豚のつがいが庭を散歩している」と皮肉った。

アレクサンドラに対するエドワードの愛情が消えた一因として
彼女の頸部リンパ節結核手術による首の傷跡を見たことが挙げられる。
初夜に初めてアレクサンドラの首の手術跡を見た皇太子は余りのおぞましさに悲鳴をあげ
傷ついたアレクサンドラもエドワードへの好意や愛情を持つことができなくなってしまった。
傷跡があることを伝えておかなかった王妃も王妃だし
傷跡のある人間に思いやりを持てない王も王であると思う。

エドワードとの冷え切った夫婦関係で心身ともに疲れ果てていたが
子育てに専念する事で屈辱を耐えていた。
そんなアレクサンドラを打ちのめしたのが長男アルバート皇太子の死であった。
一時は王室行事に出席しない日々が続いた程だった。

アルバートの婚約者だったテック公女メアリーは二男ジョージ5世と結婚することになった。
アレクサンドラとメアリーは性格や価値観の不一致で仲が悪かった。
ヴィクトリア女王との確執もあった。
要するに姑とも嫁とも仲が悪かったのである。

「潔癖症でハンドキスを受けるのを嫌う」「時間にルーズである」といった悪い評判もあったが
ヴィクトリア女王の長く重苦しい治世の後に
アレクサンドラの天性の明るさは誰からも好感を持たれた。

難聴の傾向があったが歳を追うごとに深刻化して悩ませた。
また出産の後遺症で足を自由に動かす事ができなくなり晩年まで足を引きずって歩いた。

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ロシアの首相 セルゲイ・ウィッテ

列車から降りたのはまず新皇帝ニコライ2世だった。
続いて2人のブロンドの貴婦人が降りた。
私は新皇后アレクサンドラを拝するのは初めてだったので、
その若くすっきりとした端麗な美人を、てっきり皇后だと思い込んでしまった。
しかし私が皇后だと思い込んでいた彼女は
イギリスの王妃アレクサンドラだと聞かされた時には唖然としてしまった。
むろん皇后もなかなかに美しい人ではあったが、
伯母にあたるアレクサンドラ王妃ほど美しいとは思えなかったのである。

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ヴィクトリア女王と
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●アルバート・ヴィクター 皇太子 早逝
●ジョージ5世 次代国王
●ルイーズ 
ファイフ公爵アレグザンダーと結婚
●ヴィクトリア 未婚
●モード 
ノルウェー国王ホーコン7世と結婚
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by xMUGIx | 2005-03-01 00:00 | イギリス


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