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by xMUGIx
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ハノーヴァー朝

ヴィクトリア女王の子供


*ヴィクトリアは生まれた男子全員のミドルネームに夫アルバートの名を入れた。
ヴィクトリアは生涯アルバートを熱愛していたため、
息子たちにはどうしても夫に比べて見劣りを感じてしまい、
息子たちに愛を注がず娘たちに期待した。

*血友病患者の父親&健全な母親の場合、
男子は全員 健全、女子は全員 血友病保因者となる。

*健全な父親&血友病保因者の母親の場合、
男子は1/2の確率で血友病患者、女子は1/2の確率で血友病保因者となる。




●ヴィクトリア 
プロイセン国王フリードリヒ3世と結婚
●エドワード7世 次代国王
●アリス 血友病保因者 
ヘッセン大公ルートヴィヒ4世と結婚 
●アルフレッド 
ロシア皇帝アレクサンドル2世の娘マリアと結婚
●ヘレナ 
シュレースヴィヒ・ホルシュタイン公子クリスティアンと結婚
●ルイーズ 
アーガイル公爵ジョン・キャンベルと結婚
●アーサー 
プロイセン王族ルイーゼ・マルガレーテと結婚
●レオポルド 血友病患者 
ヴァルデック・ピエモント侯女ヘレナと結婚
●ベアトリス 血友病保因者 
ヘッセン大公族ハインリヒ・モーリッツ・バッテンベルクと結婚 




四兄弟 左から エドワード7世 アルフレッド アーサー レオポルド
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●ヴィクトリア●子供6人 愛称ヴィッキー 
1840-1901 61歳没
プロイセン国王フリードリヒ3世と結婚
1831-1888 57歳没

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●エドワード7世 次代国王 愛称バーディ

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●アリス●子供7人 血友病保因者 愛称アリー 
1843-1878 35歳没
ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の前妻・本人死別
1837-1892 55歳没

*2男5女に恵まれるが、アリスは血友病保因者だったため、
1人の男子が血友病患者となり夭折、
2人の女子が血友病保因者となり、結婚後子供たちに血友病を遺伝させてしまう。
その女子の一人がアリックス、ロシアのニコライ2世に嫁いだアレクサンドラ皇后。
皇太子アレクセイが血友病患者だったので、
心を痛めた夫妻は怪僧ラスプーチンに心酔するようになり、ロシア革命の遠因となる。

*アリスとアレクサンドラには共通点が多い。
ともに異国の嫁ぎ先で病気がちで、宮廷の嫌われ者だったが夫とは深く愛し合っていた。
そしてアリスはドイツの宗教哲学者ダーフィト・シュトラウスを尊敬し神のように崇めた。
精神的なものに傾倒する性格はアレクサンドラに受け継がれた。

*ルートヴィヒはバツイチのロシア貴族
アレクサンドリーナ・フッテン=チャプスカと貴賤再婚、
姑ヴィクトリア女王を始め一族の反対に合い離婚。

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★後妻 バツイチのロシア貴族アレクサンドリーナ・フッテン=チャプスカ 離婚
1854-1941 87歳没

*19歳でロシア人外交官アレクサンドル・コレミンと結婚、ルートヴィヒの愛人となり前夫と離婚、
30歳でルートヴィヒと再婚、1ヶ月で離婚、再婚離婚の顛末をマスコミに売り、87歳没。




●アルフレッド●子供5人 愛称アッフィ 
1844-1900 56歳没
ロシア皇帝アレクサンドル2世の娘マリアと結婚
1853-1920 67歳没

*アフルレッドは自己中心的で不道徳な性格だった。

*マリアはイギリス王室にもイギリス国民にも嫌われた妃。本人もイギリス嫌いだった。
まず、ヨーロッパにおいては皇帝は国王より格上となる。
そのため女王の息子アルフレッドより皇帝の娘マリアの方が格上となるため、
結婚式はロシアで挙げざるを得なかった。(これは仕方なし)
さらに、称号として<妃殿下>ではなく、
今まで通り<皇女殿下>を使うことと<皇太子妃>より上位に置くことを要求した。
そこで母ヴィクトリア女王が激怒し、イギリスでは<皇女殿下>の称号を使わせなかった。
しかしマリアは、その後もデンマーク<王女>である皇太子妃アレクサンドラが、
ロシア<皇女>である自分より上位に立つことに嫌悪感を表し続けた。

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マリアの姪 マリア・パヴロヴナ大公女

伯母は無愛想なところが災いして人によっては煙たがられたが、
実際にはいきいきとした多少皮肉の混じったユーモアのセンスの富む女性だった。
そのうえ自分の意見を内に秘めておけない、思いついたままを率直に口に出す、
私達の周囲では期初価値のある存在であった。
私達姉弟は彼女のもったいぶった仰々しさに日頃はからかい半分で接していたが、
心の底では深く尊敬していた。
伯母はいつになっても完成しない編物を膝にして肘掛椅子に落ち着くと、
周囲で何かと気ぜわしそうに画策する者達を大きなメガネ越しに観察しては
事の次第を的確にそして子細に見抜き、やんわりと冷やかした後で最後の審判を下した。

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●ヘレナ●子供4人 愛称レンヒェン 
1846-1922 76歳没
シュレースヴィヒ・ホルシュタイン公子クリスティアンと結婚
1831-1917 86歳没

息子たちは頼りにならないと思っていたヴィクトリア女王は、
娘のうち誰かを手元に置きたいと思っていた。
そこで領土や財産を一切持たない公子クリスティアンを選んだ。
夫妻は女王から贈られたハンプシャーのフロッグモア館に新居を構えた。

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●ルイーズ●実子ナシ 愛称ルーシー 
1848-1939 91歳没
アーガイル公爵ジョン・キャンベルと結婚
1845-1914 69歳没

ヴィクトリア女王は、次に外国紛争に無縁な相手を娘の婿に選んだ。
王女と臣下の結婚は、16世紀にヘンリー7世の娘メアリー王女が
サフォーク公爵と結婚して以来のことであった。

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●アーサー●子供3人
1850-1942 92歳没
プロイセン王族ルイーゼ・マルガレーテと結婚
1860-1917 57歳没

*ビクトリア女王の息子たちの中では唯一マシな王子

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●レオポルド●子供2人 血友病患者 愛称レオ 
1853-1884 31歳没
ヴァルデック・ピエモント侯女ヘレナと結婚
1861-1922 61歳没

レオポルドは血友病患者であったが、1男1女に恵まれた。
しかし1女が血友病保因者となり、結婚後子供たちに血友病を遺伝させてしまう。

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●ベアトリス●子供4人 血友病保因者 愛称ベイビー 
1857-1944 87歳没
バッテンベルク公ハインリヒ・モーリッツと結婚
1858-1896 38歳没

ヴィクトリア女王は末っ子のベアトリスにも領土も財産も持たない婿を選んだ。
ベアトリスには自分の秘書をさせていたので、これぐらいの婿がちょうど良かったのだ。

3男1女に恵まれるが、ベアトリスは血友病保因者だったため、
2人の男子が血友病患者となり、
1人の女子が血友病保因者となり、結婚後子供たちに血友病を遺伝させてしまう。
その女子がヴィクトリア・ユージェニー、
スペインのアルフォンソ13世に嫁いだビクトリア・エウヘニア王妃。
4男2女に恵まれるが、2人の男子が血友病患者であった。

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by xMUGIx | 2005-02-21 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

◆ヴィクトリア女王
先代ウィリアム4世の姪
1819-1901 18歳即位 81歳没


*明治政府からヨーロッパに派遣された岩倉具視使節団は
イギリスでヴィクトリア女王と謁見している。
またイギリス留学中の夏目漱石はヴィクトリア女王の葬列を見物した。




■父 エドワード・オーガスタス王子
1767-1820 53歳没

兄のジョージ4世が子供を遺さなかったことから
自分の子供を作って王にすることを狙って
30年近く暮らしたサン・ローラン夫人を捨てて
50歳の時に32歳の二児のある未亡人ヴィクトリアと結婚する。
ヴィクトリアはジョージ4世の娘シャーロット王女の夫の姉の娘であった。
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■母 ザクセン・コーブルク・ザールフェルト公女ヴィクトリア バツイチ
1786-1861 75歳没

ヴィクトリア女王は心情ドイツ人・母語ドイツ語。
ヴィクトリアの生後半年で父が亡くなったので、
母は愛人サー・ジョン・コンロイと組んで娘の即位を夢見た。
母がドイツ人であったためヴィクトリアも3歳までドイツ語のみを話す生活を送った。
そのためヴィクトリアはドイツなまりの英語を話し、生涯ドイツびいきであった。
母は自分の思い通りに操れるようにヴィクトリアを他人と交流させなかった。
ヴィクトリアの孤独を埋めていたのは132体の人形だった。
人形にはすべて名前がつけられ豪華な衣装を着ていた。
そしてスパニエル犬のダッシュがヴィクトリアの最良の友だった。

ウィリアム4世の死によりヴィクトリアは18歳で即位した。
最初に行った仕事は母とその愛人を追放することであった。
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★母の愛人ジョン・コンロイ
1786-1854 68歳没
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■夫 アルバート・オブ・サクス=コバーグ・アンド・ゴータ イトコ結婚
ザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世の息子
1819-1861 21歳結婚 42歳没

ヴィクトリアがイトコのザクセン・コーブルク・ゴータ公子アルバートと初めて会ったのは
16歳のときである。
アルバートは教養があり知的できりりとした美男だった。
ヴィクトリアは彼に一目惚れした。
ちなみにヴィクトリアは自分からアルバートに求婚した。
女王に求婚することは許されなかったからである。


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ヴィクトリアの日記

アルバートの背丈はその兄エルネストと同じぐらいだが、ずっと頑丈そうに見える。
とてもハンサムだ。髪の色は私と同じ鳶色。目は青く大きい。
美しい鼻、並びの良い歯、甘い唇をしている。
最も魅力的なのは顔の表情だ。本当に素敵な表情を見せる。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
夫 アルバートの証言

ヴィクトリアは短気で激昂しやすい。私の言う事を聞かずにいきなり怒りだして、
私が彼女に信頼を強要している、私が野心を抱いている、と非難しまくって私を閉口させる。
そういう時私は黙って引き下がるか
(私にとっては母親にしかられて冷遇に甘んじる小学生のような心境だが)、
あるいは多少乱暴な手段に出る(ただし修羅場になるのでやりたくない)しかない。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ヴィクトリアの日記

彼が示してくれる過分なほどの愛の思いと優しさは、
以前の私には望もうにも決して与えられなかった至上の愛情と喜びで私を満たしてくれた。
彼の美貌、愛らしさ、柔和さ。
これほどの夫に恵まれて、私はいったいどれだけ感謝すれば足りるのだろう。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


ヴィクトリアは一人娘でわがままで感情をむき出しにするところがあった。
そんな彼女を理想的な女王に教育していったのが夫のアルバートだったのである。
彼は「私は女王の夫、女王の秘書、子供たちの家庭教師である」と語っている。
ヴィクトリアとアルバート夫妻の夫婦愛は国民に畏敬の念を吹き込んだ。
浮気をせず貞節を守り家庭生活に満足し子どもは次々と生まれ政治的義務もしっかり果たす、
これはイギリス国民が誇りとした君主のありようであった。
結婚21年目に42歳で夫アルバートが死去する。
エドワード皇太子の女性スキャンダルを解決するために
病身をおして事にあたり急逝したのだ。
女王は夫の死はエドワードのせいだと思い憎むようになった。
女王は鬱に囚われ社会から引きこもってしまった。
彼女は三年間喪服で静かに暮らした。

ヴィクトリアは生涯アルバートを熱愛していたため、生まれた男子すべてにアルバートの名を入れた。
しかしどうしても息子たちは夫に比べて見劣りがすると思っており、
息子たちに愛を注がず、娘たちに期待した。
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★女王の愛人ジョン・ブラウン
1826-1883 57歳没

夫の死後引きこもりがちな女王は主治医から健康のために乗馬を勧められた。
毎日女王を外へ連れ出したのが馬丁のジョン・ブラウンであった。
まもなくヴィクトリアはキルトを着た逞しいこのスコットランド人を愛するようになる。
ブラウンは女王にぶっきらぼうな口のきき方をした。
女王の帽子の紐を結びながら「すぐ終わるから、いい子にしてな」と言われて女王は喜んでいた。

この粗野な無作法者に対する女王の寵愛は側近たちには理解不能だった。
思うに彼女は幼い時から周囲にはこのようにストレートに接してくる人物がいなかったのだと思う。
だからこそ一国を背負う女王ではなく、一人の女性として扱われることが新鮮だったのだろう。

ヴィクトリアの娘たちは母親から高圧的かつ冷淡な扱いを受けてきた。
彼女たちは自分たちの知らない親しみをブラウンに与えていることを知った。
娘たちはブラウンを「ママの恋人」と呼んだ。
またブラウンは「女王の種馬」とも呼ばれた。
女王は「ミセス・ブラウン」と陰で呼ばれた。

しかしブラウンは病気で急逝した。
女王は悲嘆にくれた。
なくなる前に彼女は遺言をしていた。
ブラウンの写真と巻き毛を私の左手に持たせて下さいと。
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ヴィクトリア女王とジョン・ブラウン
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●ヴィクトリア 
プロイセン国王フリードリヒ3世と結婚
●エドワード7世 次代国王
●アリス 血友病保因者 
ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の前妻・本人死別 
●アルフレッド 
ロシア皇帝アレクサンドル2世の娘マリアと結婚
●ヘレナ 
シュレースヴィヒ・ホルシュタイン公子クリスティアンと結婚
●ルイーズ 
アーガイル公爵ジョン・キャンベルと結婚
●アーサー 
プロイセン王族ルイーゼ・マルガレーテと結婚
●レオポルド 血友病患者 
ヴァルデック・ピエモント侯女ヘレナと結婚
●ベアトリス 血友病保因者 
ヘッセン大公族ハインリヒ・モーリッツ・バッテンベルクと結婚


*血友病患者の父親&健全な母親の場合、
男子は全員 健全、女子は全員 血友病保因者となる。

*健全な父親&血友病保因者の母親の場合、
男子は1/2の確率で血友病患者、女子は1/2の確率で血友病保因者となる。


子供たちをヨーロッパ各国の王侯貴族と結婚させたため、
孫は40人にのぼり「ヨーロッパの祖母」と呼ばれた。
しかし女王は血友病保因者だったため、
自身の息子を始めロシア皇太子アレクセイなどが次々と発病した。
ヴィクトリア女王の父方にも母方にもそれまで血友病患者はいないため、
突然変異によるものと言われている。
現在でも、血友病患者の約3割は突然変異によるものである。
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by xMUGIx | 2005-02-20 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

◆国王ウィリアム4世●実子ナシ
先代ジョージ4世の弟
1765-1837 65歳即位 71歳没
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*兄王ジョージ4世の唯一の王女シャーロットが嫡子を遺さず亡くなったのを見て、
20年間も夫婦同然だった愛人を捨て、しかるべき身分の女性を探し結婚をする。

*しかし皮肉にも、庶子は10人もいたが実子はできなかった。

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当時の記録

情け深く善意に満ち、決して馬鹿ではなくおどけ者で、元気のいい老人である。
もし気が狂ったりしなければ立派な国王になるかもしれないが、
時おり奇行が見られる。

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■妻 アデレード←アーデルハイト・フォン・ザクセン=マイニンゲン 27歳年下
ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク1世の娘
1792-1849 26歳結婚 57歳没
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★愛人ドロシー・ジョーダン 庶子10人生む
1761-1816 55歳没

愛人と言えば王から沢山のプレゼントを巻き上げる存在だが彼の場合逆だった。
ウィリアムは女優ドロシー・ジョーダンに充分な生活費を渡すと約束していたが
一度も履行されたことはなかった。
20年間王の子供を10人も生みながら彼女はイギリス中を興行して回り金を稼いだ。
ウィリアムとドロシーはブッシー・ハウスに引越した。
この豪華な邸宅は王から愛人へのプレゼントではなく
愛人から王へのプレゼントだったのである。
ドロシーは病気になり稼げなくなって
債務者刑務所に収監されることになりフランスへ逃げた。
ウィリアムは彼女を助けるために指一本動かすことはなかった。
手紙の一通も書かなかった。
ドロシーは彼からの連絡を待ちわびながらフランスで亡くなった。
ウィリアムは正式な結婚をするためにドロシーを捨てたのであった。
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by xMUGIx | 2005-02-19 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

国王ジョージ4世の愛人

*ジョージはかなり年上の孫までいるような女性に尻に敷かれるのが好みだった。

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親友の証言

すべての女性を愛おしむあまり、誰か一人の女性だけを愛おしむことなどできない男。
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★愛人メアリー・ロビンソン 1780年代の愛人
1757-1800 43歳没
女優・人妻

17歳のジョージは21歳の美人女優メアリーに惚れ込む。
人妻であり2人の子持ちであった。
豪華な住まいや宝石を贈り続けこれが彼の借金人生の始まりとなる。
さらに「自分が二十歳になったら2万ポンド贈る」という証書もプレゼントしてしまう。
ジョージがメアリーの付き人に夢中になったため、7ヶ月で破局する。
しかしジョージが出したラブレターをネタにゆすられ、
父王ジョージ3世はラブレターを買い戻すために5000ポンド支払った。
しかしまだ証書があったので、
父王はさらにメアリーとその子供たちに年金を支給することになった。

後にメアリーは詩人として有名になる。
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★愛人グレース・エリオット 1780年代の愛人
1754-1823 69歳没
高級娼婦
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★愛人フランセス・ヴィリアーズ 1790年代の愛人
1753-1821 68歳没
母の友人。
夫は国王の主馬頭ジャージー伯爵ジョージ・ヴィリアーズで20歳も年上の夫だった。

この頃ジョージは借金をチャラにするために結婚したものの
王妃に嫌気がさして女性遍歴を再開した。
夫との間に10人の子供を生むが、下の2人はジョージの子と言われる。
ジョージがフィッツハーバード夫人に夢中になったことによりこの関係は終わった。
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★愛人メアリー・スマイス/フィッツハーバート夫人 1790年代の愛人 
1756-1837 81歳没 ジョージとの間に庶子10人あり

バツ2 一番長い愛人 秘密結婚していた
19歳の時にエドワード・ウェルドと結婚死別、トマス・フィッツハーバートと再婚死別。

ジョージが22歳の時に28歳のフィッツハーバート夫人と出会う。
鼻が長く小麦色の肌のフィッツハーバート夫人は美人ではなかったが
穏やかで高貴な雰囲気を漂わせていた。身持ちが良く金への執着もなかった。
問題は彼女はカトリックだったことだが、
何よりもジョージ好みの「すばらしい胸」の持ち主だった。
ジョージはブライトンに館を買ってフィッツハーバード夫人と暮らし始める。
秘密結婚して、その後10年ほどはまずまずの生活を送った。
夫人は年齢と肥満を重ね、ジョージは女遊びを重ねた。
ジョージがハートフォード夫人に夢中になったことによりこの関係は終わった。
年金1万ポンドを与えられた。
その後ジョージが亡くなったとき遺体の首にかかっていたペンダントには
フィッツバード夫人の絵が入っていた。
ロケットは遺体とともに埋葬された。
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★愛人イザベラ・アン・イングラム 1810年代の愛人
1759-1834 75歳没
夫はハートフォード侯爵フランシス・シーモア=コンウェイ

もともとジョージが皇太子の時に魅かれた女性だったが、
夫はジョージから妻を引き離しておいた。
しかしジョージは30年後ハートフォード夫人を手に入れる。
夫人は大柄ででっぷりした女性ですでに孫がいた。
周囲は驚いたが夫人は温かい家庭生活で彼を包んだ。
彼女は政治にも口を出すようになるが、
父王や内閣とことごとくぶつかっていたジョージをうまくなだめて妥協させた面もある。
信頼されていたハートフォード夫人も
ジョージがカニンガム夫人に夢中になったことによりこの関係は終わった。
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★愛人エリザベス・カニンガム 1820年代の愛人
1769-1861 92歳没
夫はヘンリー・カニンガム侯爵、5人の子持ち。

カニンガム夫人は美しいが非常識さが目立ち 「卑しい女」扱いをされていた。
しかし情事には事欠かず、ロシアのニコライ1世とも恋愛した。
エリザベスは強欲だったのでジョージは国の宝物庫にあった
伝来の宝石までプレゼントしてしまった。

カニンガム夫人に対するジョージの愛は死ぬまで変わらず
年をとるにつれて彼女に依存するようになっていく。
彼女はジョージ4世が亡くなるまで付き添っていたが、
ウィリアム4世が即位すると宮廷から閉め出された。
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★愛人アナ・マリア・クラウチ
1763-1805 42歳没
オペラ歌手・人妻

ジョージは彼女に金や宝石や豪華なプレゼントを贈った。
そして、ラブレターと証書も。
ジョージが別れようとすると、またもラブレターや証書を盾にゆすられた。
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★愛人ヘンリエッタ・ポンソンビー/ベスボロー夫人/通称ハリエット
1761-1821 60歳没
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by xMUGIx | 2005-02-18 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

◆国王ジョージ4世
先代ジョージ3世の子
1762-1830 58歳即位 67歳没
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■妻 キャロライン・オブ・ブランズウィック
←カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル イトコ結婚
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの娘
1768-1821 27歳結婚 53歳没
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ジョージのあだ名は<快楽の王子>。
彼は自分の全生涯を愉快に過ごすことだけに捧げた。
10代の頃から酒と麻薬に溺れた女たらし、
飲む打つ買うの上におしゃれと美食と美術品と建築物に目がない底なしの浪費家だった。
そのため莫大な借金を負うことになり、独身貴族を泣く泣くあきらめて、
持参金つきの妻と結婚して借金を帳消しするしかなくなる。

初対面の時ジョージは彼女の強烈な体臭に驚きキャロラインは彼の肥満に驚いた。
キャロラインは小柄で肥満体、陽気で騒々しく優雅さや洗練さとは無縁で、
風呂に入らず歯磨きもせず下着も替えなかったので体臭が強かった。
ドレスは汚れて擦り切れ洗濯もされていなかった。
キャロラインの身だしなみを一目見て震え上がったジョージは
「気分が悪い」とつぶやき去っていった。
それでもジョージは新婦と3回性交した。
「体中があまりにも不潔で吐き気がした。二度とこいつに手を触れるものかと誓った」
とジョージは友人に書き送った。

そして実際彼は二度と妻に触れなかった。
ところがこれだけでキャロラインは妊娠しシャーロット王女を生んだ。
そこで役目を終えた二人は別居することになる。
キャロラインはイギリスでもヨーロッパでも情事を重ねた。
海軍大佐サー・シドニー・スミスを愛人とし、次に海軍大佐トマス・マンビーに乗り換えた。
イタリアではイタリア人兵士バルトロメオ・ベルガミを愛人にした。
情事には不自由しなかったが、
彼女はどんどん肥満して衣装も態度もだらしなくなっていった。

ジョージは妻をを戴冠式に呼びたくなかった。
そこで彼は妻の不貞を理由に離婚裁判を起こした。
双方マスコミを使って相手を攻撃し、大々的なスキャンダル合戦を繰り広げた。
結局離婚は認められなかった。王は戴冠式で一計を案じた。
戴冠式が行われるウェストミンスター寺院の扉を閉ざして王妃を入れなかったのである。
これがきっかけとなったのかキャロラインは1ヶ月も経たない内に亡くなった。
イギリスには埋葬されたくないという遺言を残して。




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ジョージは他人の金で何か美しいものに時間を費やすのが一番の幸せだった。
彼は自分の全生涯を愉快に過ごすことだけに捧げた。
彼の華麗な生活は無謀な浪費によって維持されていた。
建築熱に浮かされて王宮や宮殿や街を造りかえた。
また着飾るのが好きだった。
彼が上院に登場した時の格好は、
金糸で刺繍された黒のベルベットの上下(裏地はピンク)に
ピンクの靴、チリチリにカールさせた髪というものだった。
また大食漢であった。
ある日の朝食は鳩のパイを2枚、ステーキ3枚、ワイン1本、グラス1杯のシャンパン、
グラス2杯のポートワイン、グラス1杯のブランデーをとっている。

晩年のジョージは肥満のため横たわることもできなくなり、
一日中ブランデーやアヘンに酔って過ごした。
体重は110キロ、ウエストは125センチ。
そして肘掛椅子に座ったまま亡くなった。




●子は王女シャーロット・オーガスタス
1796-1817 21歳没
ベルギー国王レオポルド1世の前妻・本人死別
1790-1865 75歳没

*シャーロットは父王に溺愛されていたが、
目が行き届かないこともあって恋多き王女に育つ。
オランダ国王ウィレム2世との縁談がもちあがるが、
イギリスを離れたくないからと拒絶する。
結局ベルギー国王レオポルド1世と結婚することになるが、
結婚式までにシャーロットが別の男性と駆け落ちしないように厳重に見張られていた。
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by xMUGIx | 2005-02-17 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

国王ジョージ3世の子供


●ジョージ4世 
次代国王

●フレデリック 
プロイセン王女フレデリカと結婚

●ウィリアム4世 
次々代国王

●シャーロット 
ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の後妻

●エドワード 
ザクセン・コーブルク・ゴータ公女ヴィクトリアと結婚→娘はヴィクトリア女王

●オーガスタ 
未婚

●エリザベス 
ヘッセン・ホンブルク方伯フリードリヒ6世と結婚

●アーネスト 
メクレンブルク・シュトレーリッツ大公女フリーデリケと結婚

●オーガスタス
ダンモア伯爵の娘オーガスタ・マレーと秘密結婚・離婚、
アラン伯爵の娘/未亡人セシリア・レティシアと秘密再婚 

●アドルファス 
ヘッセン・カッセル・ルンペンハイム方伯の娘オーガスタと結婚

●メアリー 
グロスター公ウィリアム・フレデリックと結婚

●ソフィア 
未婚

●アミーリア 
未婚




●ジョージ4世 次代国王

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●フレデリック●実子ナシ 
1763-1827 64歳没
プロイセン王女フレデリカと結婚
1767-1820 53歳没

*妻フレデリカは不細工でひどい口臭があり、
異常に小柄で足のサイズは5,5インチしかなかった。

*内気なフレデリカはぬいぐるみに囲まれて暮らしており、夫の浮気にも寛大だった。

*女優メアリー・アンクラークを愛人とし、
政治家や実業家から賄賂を取っていたことが発覚し失脚。

*その後は、ラットランド公爵夫人エリザベス・ハワードを愛人にした。

夫妻の風刺画
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●ウィリアム4世 次々代国王

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●シャーロット●実子ナシ 
1766-1828 62歳没
ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の後妻
1754-1816 62歳没

*夫フリードリヒの前妻は兄ジョージ4世の妻キャロラインの妹アウグステ。
フリードリヒは結婚直後からアウグステに暴力をふるい、
離婚を申し出たアウグステは不貞の罪で幽閉され24歳で死亡。

*フリードリヒは巨大な肥満体の奇怪なルックスだったが、
シャーロットはこの縁談に飛びついた。新郎は45歳、新婦は30歳であった。

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●エドワード→娘はヴィクトリア女王

ジュリー・サン・ローランと27年も夫婦同然の生活を送ったが、
52歳の時に32歳のザクセン・コーブルク・ゴータ公女ヴィクトリアと結婚。
彼女はライニンゲン公エミッヒ・カールの未亡人で二人の子持ちだった。
二人の間には後の女王ヴィクトリアが生まれるが
生後半年でエドワードは死亡する。

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●オーガスタ 未婚
1768-1840 72歳没

*父王の侍従武官サー・ブレント・スペンサーと秘密結婚

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●エリザベス●実子ナシ 
1770-1840 69歳没
ヘッセン・ホンブルク方伯フリードリヒ6世と47歳で結婚
1769-1829 60歳没

*エリザベスは絵画が堪能だった。

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●アーネスト
1771-1854 80歳没
メクレンブルク・シュトレーリッツ大公女フリーデリケと結婚 イトコ結婚 バツ2子持ち
1778-1841

*フリーデリケは15歳でプロイセン王子ルートヴィヒと結婚、
子供2人生み18歳で死別、
25歳でフリードリヒ・フォン・ゾルムス=ブラウンフェルスと再婚、
子供4人生み36歳で離婚、
37歳でイギリス王子/カンバーランド公爵エルンスト・アウグストと再々婚、
子供1人生み63歳没。

*アーネストは完全に常軌を逸した人物で、
些細なことで従僕を殴り殺したり強姦未遂事件も頻繁に起こしていたと言われる。

*フリーデリケも2人の前夫を暗殺したと噂される女性で、似合いの夫婦だった。

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●オーガスタス 秘密結婚2回
1773-1843 70歳没

*病弱で転地療養が多く、その先々で秘密結婚をした。

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■前妻 ダンモア伯爵の娘オーガスタ・マレー
1768-1830 62歳没

オーガスタスはイタリアを旅行した際彼女と出会った。
2人は父王ジョージ3世の同意のないまま結婚した。
オーガスタスはロンドンに連れ戻された。
裁判所はこの結婚を王の同意を得ていないことから無効だとした。
それでも二人は8年間同棲して子供も生まれた。
しかし彼は議会年金12,000ポンドをもらうためオーガスタと子供たちを捨てた。
オーガスタはさらに子供たちの保護権を保持し年4,000ポンドの養育費も受け取っていた。


■後妻 アラン伯爵の娘セシリア・レティシア
1785-1873 88歳没

サー・ジョージ・バギンの未亡人で王子とは貴賎結婚にあたる。
この結婚も王の同意を得ないものだった。




●アドルファス 
1774-1850 76歳没
ヘッセン・カッセル・ルンペンハイム方伯の娘オーガスタと結婚
1797-1889 92歳没

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●メアリー●実子ナシ 
1776-1857 81歳没
グロスター公爵ウィリアム・フレデリックと40歳で結婚 イトコ結婚
1776-1834 58歳没

*40歳でグロスター公爵と結婚するが、粗暴な夫に苦しめられた。

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椅子の2人 左はヴィクトリア女王 右はメアリー
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●ソフィア 未婚
1777-1848 70歳没

その生涯の間数多くの噂に付きまとわれた。
56歳の馬丁トーマス・ガースとの間に男子を生んだ。
しかし実は兄のアーネストとの間の子で、
ガースはその尻拭いに過ぎないとも言われている。

ソフィアはヴィクトリア王女の教育係であるジョン・コンロイの魅力の虜となり
彼に自分の資金の管理を任せていた。
ソフィアは10年もの間視力を失って過ごした後に亡くなった。
ソフィアの死後コンロイが彼女の金を使い込んでいたのが発覚した。

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●アミーリア 未婚
1783-1810 27歳没

結核になった時の主治医の息子チャールズ・フィッツロイと恋愛関係になり
性病をうつされ27歳で亡くなった。
死後、彼と秘密結婚していたことが発覚した。
遺書には全財産をフィッツロイに贈ると書かれていた。

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by xMUGIx | 2005-02-16 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

◆国王ジョージ3世
フレデリック・ルイス皇太子の子
1738-1820 22歳即位 81歳没

*久しぶりのイギリス生まれのイギリス育ちだったジョージは国民に愛された。
先代たちのように愛人を持つこともなく、
妻子を大切にし質素な生活を好んだところも好感を呼んだ。

*彼は10歳でやっと字が読めるようになり、
20歳で字が書けるようになったが子供並の文章だった。

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■妻 シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
←シャルロッテ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ
メクレンブルク=シュトレーリッツ公子カール・ルートヴィヒの娘
1744-1818 17歳結婚 74歳没

*この妻も英語はまったく駄目で
結婚式の時の「アイ・ウィル」という返事すら覚えられず
結局本番では「イッヒ・ウィル」という珍妙な返事をした。
不細工で知性に欠けていたが、夫婦仲は良かった。

*夫妻は共にスキャンダル・不倫などに厳しい倫理観を持っており
子供にもそう接したがこの教育は裏目にでる。
(ただし、王妃は夫の目を盗んで情事は楽しんでいた)

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*王は子供たちの非行に悩むことになる。
もともとハノーヴァー家は好色の血統で品行方正なジョージ3世が例外なのである。
王は子供たちのスキャンダルに心を痛めついには発狂してしまった。
現在ではポルフィリン症だったのではないかと言われている。
そしてまた非行に走った子供たちもポルフィリン症だった可能性が高いと言われている。

これは遺伝性の代謝異常で初期は痙攣と関節の激しい痛みと発疹、
さらに白目が黄色くなりろれつが回らなくなり、錯乱状態に陥る。
幻覚症状やヒステリー症状、妄想症、精神分裂症を引き起こすために
精神病と思われることが多い。

日頃は穏やかで清廉潔白なジョージが
女官に襲いかかったり子供たちにも暴力を振るったりした。
片側のヒゲだけ剃って、反対側は剃るなと言ったりした。

ジョージ3世だけでなく、ジョージ1世・ジョージ2世・フレデリック・ルイス皇太子など、
ハノーヴァー王家の人々には何かと奇行が多いのもポルフェリン症の遺伝だと思われる。

ジョージの精神状態は良くなったり悪くなったりしたが
晩年は回復せず、目もほとんど見えず耳もほとんど聞こえなくなり、
紫色の部屋着で長く白いアゴヒゲを生やし部屋に引きこもってハープシコードを弾いた。
そして過去の出来事を大声で語るのみであった。
王妃は彼の姿を見るのも嫌がった。

王子たちは愛人を作って中年になるまで独身貴族を楽しんでいたが
兄のジョージ4世が子供を遺さなかったことから
自分の子供を作って王にすることを狙って慌てて結婚していく。

王女たちは両親から恋愛を厳しく監視されていた。
年寄りの男しか出入りさせず、中年になっても縁談を手配しなかった。
皮肉にも若い男性に接する機会のなかった王女たちは手近な男の手に落ちていく。




●ジョージ4世 
次代国王

●フレデリック 
プロイセン王女フレデリカと結婚

●ウィリアム4世 
次々代国王

●シャーロット 
ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の後妻

●エドワード→娘はヴィクトリア女王 
ザクセン・コーブルク・ゴータ公女ヴィクトリアと結婚

●オーガスタ 
未婚

●エリザベス 
ヘッセン・ホンブルク方伯フリードリヒ6世と結婚

●アーネスト 
メクレンブルク・シュトレーリッツ大公女フリーデリケと結婚

●オーガスタス
ダンモア伯爵の娘オーガスタ・マレーと秘密結婚・離婚、
アラン伯爵の娘/未亡人セシリア・レティシアと秘密再婚 

●アドルファス 
ヘッセン・カッセル・ルンペンハイム方伯の娘オーガスタと結婚

●メアリー 
グロスター公ウィリアム・フレデリックと結婚

●ソフィア 
未婚

●アミーリア 
未婚
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by xMUGIx | 2005-02-15 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

皇太子フレデリック・ルイスの子供


●オーガスタ 
ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル公
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントと結婚

●ジョージ3世 
次代国王

●エドワード・オーガスタス 
未婚

●ウィリアム・ヘンリー 
未亡人マリア・ウォルポールと秘密結婚

●ヘンリー・フレデリック 
聖職者の娘オリヴァ・ウォルモットと秘密結婚、
未亡人アン・ホートンと秘密再婚

アン・ホートン夫人と秘密結婚

●キャロライン・マティルダ 
デンマーク国王クリスチャン7世と結婚




●オーガスタ 
1737-1813 76歳没
ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル公
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントと結婚
1735-1806 71歳没

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●ジョージ3世 次代国王

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●エドワード・オーガスタス 未婚
1739-1767 28歳没

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●ウィリアム・ヘンリー
1743-1805 62歳没
7歳年上のウォルドグレイヴ伯爵未亡人/サー・エドワード・ウォルポールの庶子
マリア・ウォルポールと秘密結婚
1736-1807 71歳没

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●ヘンリー・フレデリック
1745-1790 45歳没

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■前妻 聖職者の娘オリヴァ・ウォルモットと秘密結婚


■後妻 アン・ホートンと秘密再婚
クリストファーホートン未亡人/カーハンプトン伯爵の娘
1742-1808 66歳没

*ヘンリーと後妻アンは互いに多くの浮名を流した浮気者同士の再婚であった。

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●キャロライン・マティルダ 
1751-1775 24歳没
デンマーク王クリスチャン7世と結婚
1749-1808 59歳没

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キャロラインはデンマーク王クリスチャン7世と結婚した。
クリスチャンは華奢で背の低い人形のような外見していたが
酒に溺れ街なかでの乱暴な振る舞いと無分別な暴力で有名な国王だった。
要するに頭のいかれた女たらしのアル中だったのである。

クリスチャンは早々に結婚生活が気にくわなくなった。
彼はキャロラインを愛せないと公に宣言さえして無視し彼女は孤独な生活を送った。
彼は悪友たちと娼館で馬鹿騒ぎをする生活に戻ってしまった。

姑はクリスチャンの継母ユリアーネ・マリーエ。
彼女は自分の息子フレゼリクを王位につけることを狙っていた。
そのため跡継ぎを生む可能性のあるキャロラインは敵とみなされた。

クリスチャンの精神状態が急速に悪化した。
王はふさぎこみ泣いてばかりいた。
現在では統合失調症だったのではと言われている。
ヨハン・フレゼリク・ストルーウンセというドイツ人医師が主治医になって王は快復した。

ところが今度はキャロラインが夫から梅毒をうつされた。
ストルーウンセが王妃の治療に当たった。
キャロラインは夫の脅威と虐待のさなかにあって
毎日自分の話をじっくりと聞いてくれるストルーウンセと恋に落ちた。
キャロラインの情事が始まると
クリスチャンは妻にもストルーウンセにも前よりも愛情を抱くようになった。
側近から忠告を受けても
「余は妃とストルーウンセの関係を心底喜んでいる。あの男は妃の欲求に完全に応えてくれるのだ」
と言った。
王はキャロラインとストルーウンセがそばにいる時だけ気分が良く
二人がいないとたちまち不安になった。
思うにキャロラインはとストルーウンセは王にとって両親だったのではないだろうか。
両親の元でやっと自分は子どもになることを許されると。


★キャロラインの愛人ストルーウンセ
1737-1772 34歳没
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王と王妃とその愛人は一緒に庭を散策したり馬車で出かけたり食事をしたりした。
とうとう3人は夏の離宮へ引っ越した。
王が遊んでいる間に王妃と愛人は文書を起草し後から王が署名をした。
彼らは貴族には重税を課し市民の税金は軽くした。
公園や庭園を国民に開放した。街灯を設置し道路を清掃した。病院や孤児院を造った。
宮廷の側近をリストラした。裁判制度を改革した。軍隊を改革した。
いいことづくめで国民は喜んだが貴族はストルーウンセに対する恨みを募らせ
クリスチャンの継母ユリアーネと手を結んだ。
ユリアーネは彼らとクーデターの計画を練った。

クリスチャンの精神状態は急速に悪化していた。
ユリアーネは真夜中にクリスチャンの寝室に行き
「王妃とストルーウンセが反乱を起こしました。
この文書に署名すれば陛下のお命は救われます」と嘘をついた。
と嘘をついてストルーウンセの逮捕状を差し出した。
王は嫌がったがユリアーネがペンを持たせて無理矢理署名させた。
そしてストルーウンセは処刑されキャロラインは国外退去となった。
クリスチャンは繰り返し王妃とストルーウンセの安否を尋ねたが誰も教えてはくれなかった。

最初兄ジョージ3世は妹の不倫を恥じて彼女を引き取ろうとはしなかった。
しかしイギリス国民がそんな王を軽蔑したため結局妹をハノーファーの領地に送った。
ユリアーネの政策に納得できないデンマーク国民は
キャロラインを呼び戻して統治してほしいと願っていた。
ハノーファーでは彼女は穏やかな生活を送った。
そしてこの地で亡くなった。
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by xMUGIx | 2005-02-14 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

◆皇太子フレデリック・ルイス 父より先に亡くなったため即位できず
先代ジョージ2世の子
1707-1751 44歳没*事故死

*人種ドイツ人・母語ドイツ語。

*ハノーヴァー朝の伝統にのっとり、女好きで父親嫌いだった。

*祖父王がイギリス国王となり、父皇太子も一家でイギリスに渡る時、
安全策として嫡男であるフレデリック・ルイスのみドイツに残された。
7歳から21歳まで両親と離れて暮らしたことがあだとなり両親に反発して育つ。

*父王は「歴史始まって以来の大悪党」と言い、
母妃は「世界一の人でなし。
この世からいなくなってくれればいいと心底から思う」と言った。

*クリケットのボールが頭に当たって死亡した。

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■妻 オーガスタ・オブ・サクス=ゴータ←アウグスタ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク
ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ2世の娘
1719-1772 17歳結婚 52歳没

*貧相な体型だが、目は可愛く口元はきりっとしていた。

*フレデリック・ルイスは結婚後に一転して家庭的な夫となった。
ただし夫の影響もありオーガスタも夫の両親とは不仲だった。

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●オーガスタ 
ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル公
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントと結婚

●ジョージ3世 
次代国王

●エドワード・オーガスタス 
未婚

●ウィリアム・ヘンリー 
未亡人マリア・ウォルポールと秘密結婚

●ヘンリー・フレデリック 
聖職者の娘オリヴァ・ウォルモットと秘密結婚、
未亡人アン・ホートンと秘密再婚

●キャロライン・マティルダ 
デンマーク国王クリスチャン7世と結婚




フレデリック・ルイス皇太子は次から次に愛人を作った。


★王の愛人 マダム・デリッツ
ハノーファー在住の愛人。

美しい女性で機知に富み多くの愛人がいた。
父王ジョージ2世の愛人でもあった。




★王の愛人 レディー・アーチボルド・ハミルトン 10人の子持ち夫人




★王の愛人 ドーセット公爵夫人グレイス・ボイル




★王の愛人 アン・ヴェイン
1713-1788 75歳没
母妃の女官

皇太子は彼女と暮らし始め子供も生まれたが、アンには別の愛人ハーヴィー卿もいた。
ハーヴィー卿は父王の側近であった。
皇太子がアンに買い与えた屋敷で、ハーヴィー卿とも密会を続けた。
二人の男による取り合いはスキャンダルになった。




★王妃の愛人ビュート伯ジョン・スチュアート
1713-1792 79歳没

夫が亡くなると王位継承者の母であるオーガスタの発言権が強まり
政治に関わろうとする姿勢が露わになった。
オーガスタの増長は国民の非難の的だった。
オーガスタは未亡人として別の城で隠遁生活を送ることにした。
そして彼女はジョージ王子の専属教官であった
ビュート伯ジョン・スチュアートと愛人関係になった。
亡くなったとき葬儀には野次馬が大勢集まりオーガスタを侮辱する声が叫ばれたという。
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by xMUGIx | 2005-02-13 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

国王ジョージ2世の子供


●フレデリック・ルイス 
皇太子→子は国王ジョージ3世

●アン 
オラニエ公ウィレム4世と結婚

●ウィリアム・オーガスタス 
未婚

●メアリー 
ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世の前妻・本人死別

●ルイーズ 
デンマーク・ノルウェー国王フレゼリク5世の前妻・本人死別




●フレデリック・ルイス 皇太子→子は国王ジョージ3世
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●アン 
1709-1759 50歳没
オラニエ公ウィレム4世と結婚
1711-1751 40歳没
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●ウィリアム・オーガスタス 未婚
1721-1765 44歳没

*スコットランドで起きたジャコバイトの乱において、スコットランド人カトリックに
容赦ない虐殺を行ったことから<ブッチャー・カンバーランド>と呼ばれた。

*生涯独身であったが、数多くの女優を愛人にした。
有名女優でなく、無名女優ばかりを選んだ。

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●メアリー 
1723-1772 49歳没
ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世の前妻・本人死別
1720-1785 65歳没

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●ルイーズ 
1724-1751 27歳没
デンマーク・ノルウェー国王フレゼリク5世の前妻・本人死別
1723-1766 43歳没

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by xMUGIx | 2005-02-12 00:00 | イギリス


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