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by xMUGIx
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ランカスター朝

◆国王ヘンリー5世
先代ヘンリー4世の子
1387-1422 26歳即位 35歳没

*オックスフォード大学に学んだ最初の王。

*知的で礼儀正しく、寛大で審議を重んじた。

*赤痢で死亡
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■妻 キャサリン・オブ・ヴァロワ←カトリーヌ・ド・ヴァロワ
フランス国王シャルル6世の娘・姉は国王リチャード2世の2番目の妻イザベラ
1401-1437 19歳結婚 36歳没

*19歳でヘンリー5世と結婚、子供1人生み、21歳で死別、
30歳頃オーウェン・テューダーと愛人関係となり、子供4人生み、36歳没。

キャサリン王女は、ほっそりした体つき、白く輝く肌、楕円形の顔、
ヴァロア家特有の長く細い鼻、青く輝く瞳、ブロンドの豊かな髪、
その美しさから「麗しのキャサリン」と呼ばれた。
ヘンリーは19歳のキャサリン王女に一目惚れし求婚した。
ヘンリーは背が高く勇猛果敢、鹿を素手で射止めるほどの鹿狩りの名手で、
フランスを震撼させた英雄だった。
戦闘中に矢で大きな傷を負ったため横顔の肖像画しかないといわれる。
キャサリン王女もヘンリーの妻になりたいと熱い思いで求婚を受けた。
ハープが共通の趣味で2台のハープを注文している。
皇太子が生まれたが、結婚2年でヘンリーは遠征中に赤痢で病死する。

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ヘンリー6世出産時のキャサリン
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●子は国王ヘンリー6世




1歳にも満たない皇太子がヘンリー6世として即位した。
新王の王母に虫がつくのを恐れた宮廷は二重三重に対策を施していたが
灯台下暗しで側近の下級貴族オーウェン・テューダーと愛人関係となった。
オーウェンはがっしりした身体と美貌に恵まれた男だった。
キャサリンは愛人との間に3男1女を生んだが、
子供達と引き離されて修道院に幽閉される。

ちなみに、キャサリン&オーウェンの子供たちは上級貴族となり、
孫の一人はヘンリー・テューダー、後の国王ヘンリー7世である。




●エドマンド リッチモンド伯爵となる
サマセット公爵令嬢マーガレット・ボーフォートと結婚→子は国王ヘンリー7世

●ジャスパー ペンブルク伯爵となる
キャサリン・ウッドヴィルと結婚→姉は国王エドワード4世の妻エリザベス・ウッドヴィル
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by xMUGIx | 2005-01-16 00:00 | イギリス

ランカスター朝

◆国王ヘンリー4世
もとヘンリー・ボリングブロク/先代リチャード2世のイトコ
1367-1413 33歳即位 46歳没

クーデターを起こしチャード2世から王位を奪い即位した。
ランカスター朝の始まりである。
しかし正当性があいまいなため、地位の安定に苦労する。

背が低く、ずんぐりむっくりしていて、
自分の得になることなら何でもやってのける性格だった。
しかし晩年はリチャード2世の幻影に怯え、
皮膚病にも苦しめられ、脳出血で亡くなった。

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■前妻 メアリー・ド・ブーン 死別
ヘリフォード伯爵ハンフリー・ド・ブーンの娘
1368-1394 12歳結婚 26歳没

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■後妻 バツイチのジョーン・オブ・ナヴァール←ジャンヌ・ド・ナヴァール●実子ナシ
ナバラ国王カルロス2世の娘
1370-1437 67歳没

*16歳でブルターニュ公ジャン4世と結婚、7人子供生み、29歳で死別、
33歳で国王ヘンリー4世と再婚、43歳で死別、67歳没。

*前妻の子供たちを慈しみ、家庭の温かみを与えた。

*王の死後、妖術に凝ったとして幽閉された。

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すべて前妻の子

●ヘンリー5世 
次代国王

●トマス 
サマセット伯ジョン・ボーフォートの未亡人マーガレット・ホランドと結婚

●ジョン→ベッドフォード公爵、ジャンヌ・ダルクを火あぶりの刑にした人物
アンヌ・ド・ブルゴーニュと結婚死別、ジャケット・ド・リュクサンブールと再婚

●ハンフリー 
エノー女伯=ホラント女伯ジャクリーヌと結婚離婚、愛人エレノア・コブハムと再婚

●ブランシェ 
プファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世と結婚

●フィリッパ 
デンマーク=スウェーデン=ノルウェー王エーリク7世と結婚




フィリッパ王女はデンマーク=スウェーデン=ノルウェー王エーリク7世と結婚する。
白いウェディングドレスを着た初めての王女である。
エーリクよりフィリッパの方が統治者として有能だったため、彼女が摂政をつとめた。
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by xMUGIx | 2005-01-15 00:00 | イギリス

アンジュー朝

◆国王リチャード2世●実子ナシ
エドワード黒太子の子
1367-1400 10歳即位 33歳没

*幽閉のまま死亡

長身に金髪・青い目、美的感覚に優れ宗教心が高く優れた知性を持っていた。
しかし性格が弱く、発作的に行動する奇癖の持ち主だった。
臣下や国民の支持を得られず、頻発する反乱に悩まされる。

王位継承権を主張し続ける目障りな叔父ランカスター公爵ジョン・オブ・ゴーント
(エドワード3世の四男)が死亡するとリチャードは彼の領地を没収する。
激怒した息子ヘンリー・ボリングブルック(リチャードのイトコ)は
反乱軍を組織しロンドンに進軍する。
リチャードの稚拙な統治に怒りを覚えていた国民はヘンリーを歓迎し、
リチャードに罵声を浴びせた。
ヘンリーは国王ヘンリー4世として即位し、リチャードは幽閉され死亡した。

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■前妻 アン・オブ・ボヘミア 
神聖ローマ皇帝・ボヘミア王カール4世の娘
1366-1394 16歳結婚 28歳没 死別

当時ボヘミアは先進国だった。
アン王妃は額から二本の角が生えたように見える髪飾り、
衣装をはしょるためのピン
女性用の片鞍の3つをもたらした。
3つともイギリスで大流行する。
知的で優雅なアンとは仲睦ましい夫妻だったが死別。
王妃が亡くなったシーン離宮を見るたびに悲しみが蘇るので取り壊してしまった。

*アンは美人ではなく威厳にも欠けていたが、優しい性格で国民に慕われた。

*ボヘミアからもたらした髪飾りは、アンのしもぶくれの欠点を補ってよく似合っていた。

*ペストで死亡

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■後妻 イザベラ・オブ・ヴァロワ←イザベル・ド・ヴァロワ 22歳年下
フランス国王シャルル6世の娘 妹はヘンリー5世の妻キャサリン
1389-1409 20歳没

*夫29歳&妻7歳で結婚、10歳で未亡人となり、
17歳でオルレアン公シャルルと再婚、20歳で死亡。


なんか嫌がってる感じのイザベラ王女…
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なんか引いてる感じのフランス側…
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by xMUGIx | 2005-01-14 00:00 | イギリス

アンジュー朝

◆エドワード黒太子 父より先に亡くなったため即位できず
先代エドワード3世の子
1330-1376 46歳没

「黒太子」(ブラック・プリンス)と呼ばれる理由は
彼が常に黒色の鎧を着ていたという説と、
彼の残虐行為に対してフランス側が黒太子と呼んだという説がある。


左 エドワード3世   右 エドワード黒太子
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■妻 ジョーン・オブ・ケント 父エドワード3世のイトコ バツ2で4人の子持ち
ケント伯爵エドマンド・オブ・ウッドストックの娘
1328-1385 57歳没

*12歳でケント伯爵トマス・ホランドと秘密結婚、
すぐにソールズベリー伯爵ウィリアム・モンタギューと政略結婚させられ、
21歳の時ソールズベリー伯爵との結婚は無効、ケント伯爵との結婚が有効と認められ、
ケント伯爵の子供4人生み、31歳で死別、
33歳でエドワード黒太子と再々婚

「麗しのケントの乙女」と呼ばれ、エドワード黒太子とは幼なじみだった。
当時の王族では珍しい恋愛結婚であった。
バツ2で4人の子持ちであるジョアンとの結婚には反対が多かったが
ずっと彼女に片思いをしていた黒太子が押し切った。
ジョアンはキリスト教世界で一番の美女と呼ばれた。
トマス・ホランドと結婚したが秘密結婚であったため
家族によってソールズベリー伯ウィリアム・モンタキュートと結婚させられた。
後にローマ教皇によってウィリアム・モンタキュートとの結婚は無効、
トマス・ホランドとの結婚が有効と認められた。
トマス・ホランドと死別した後エドワードと再々婚をした。

このような彼女の魅力のゆえに彼女の生んだ子供が
黒太子の子供かどうかの疑惑はついてまわった。

カレーで開催された戦勝記念舞踏会でジョアンが踊っていると
ガーターベルトが外れて床に落ちてしまった。
当時ガーターベルトを落とすことは下着を落とすことに等しかった。
会場は静まり返ったが舅国王エドワード3世が
そのガーターベルトを拾い上げ自分の左脚にはめた。
そして一同に向かってラテン語で言った。「これを悪しきと思う者に災いあれ」
この出来事を機にエドワード3世は、他人の窮地に昂然と立ちはだかることを
騎士道の精神とした「ガーター騎士団」を創設した。

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●子は国王リチャード2世
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by xMUGIx | 2005-01-13 00:00 | イギリス

アンジュー朝

◆国王エドワード3世
先代エドワード2世の子
1312-1377 15歳即位 65歳没

フランスのカペー家が断絶しヴァロア家に王位が移ると、
エドワードは母がカペー家出身であることを口実にフランスを攻めた。
これが百年戦争の始まりである。

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■妻 フィリッパ・オブ・エノー
フランドルのエノー伯爵ギヨーム1世の娘
1314-1369 14歳結婚 55歳没

フィリッパはすらりとした長身でバラ色の頬をした健康美に輝く女性であった。
織物工業で栄えたフランドルのエノー伯領で育ったフィリッパは、
イギリスの羊毛から毛織物工業を発展させた。

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●エドワード黒太子
皇太子

●イザベラ 
クーシー伯爵アンゲラン7世と結婚

●ライオネル・オブ・アントワープ
アルスター伯爵令嬢エリザベス・ドゥ・バローと結婚死別、
ガレアッツォ・ヴィスコンティ2世の娘ヴィオランテと再婚

●ジョン・オブ・ゴーント→子は国王ヘンリー4世
<白の貴婦人>ブランシュと結婚死別、
コンスタンス・オブ・カスティルと再婚死別、
愛人キャサリン・スウィンフォードと再々婚

●エドムンド・オブ・ラングリー 
イザベラ・オブ・カスティルと結婚死別、親類のジョウン・ドゥ・ホランドと再婚

●メアリ 
ブリタニー公爵ジョン5世と結婚

●マーガレット 
ペンブルック伯爵ジョン・ヘイスティングスと結婚

●トマス・オブ・ウッドストック 
ヘリフォード伯爵の娘エレノア・ド・ブーンと結婚




★王の愛人 アリス・ペラーズ 庶子3人
1340-1401 61歳没

王妃の死後愛人となったアリス・ペラーズは王妃の女官だった。
国政や裁判にまで口出しをし王室の財産を横領しイギリスでも有数の地主になった。
若い愛人に溺れる父王に黒太子はアリスを追放しようとしていたが
急逝したためかなわなかった。
王がもうろくしてるのをいいことに
同じ宝石を再三プレゼントするように仕向けてくすねていた。
死の床についた国王の指から高価な指輪を持ち逃げした。
エドワードの死因はアリスからうつされた淋病といわれている。
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by xMUGIx | 2005-01-12 00:00 | イギリス

アンジュー朝

◆国王エドワード2世
先代エドワード1世の子
1284-1327 23歳即位 43歳没

*皇太子として初めてプリンス・オブ・ウェールズと呼ばれる

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■妻 イザベラ・オブ・フランス
フランス国王フィリップ4世の娘/エドワード2世の継母妃マーガレットの姪
1295-1358 13歳結婚 63歳没
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エドワード2世は
皇太子として初めて<プリンス・オブ・ウェールズ>を名乗った人物である。
先代エドワード1世が初めてウェールズを併合したので、
皇太子に<プリンス・オブ・ウェールズ>の称号を与えたからである。
しかしながら、後にエドワード2世は、イギリス史上最悪の愚王と呼ばれようになる。

その美しさから「佳人イザベラ」と呼ばれた15歳の王妃が
後に「フランスの雌狐」と呼ばれるまでになってしまった原因は夫にある。
エドワードは結婚前から男性の学友ピエール・ギャヴスタンを愛人にしていた。
ギャヴスタンは、頭の回転が速く頓智がきき、軽口や悪ふざけでエドワードを楽しませた。
案じた父エドワード1世がギャヴスタンを国外追放にしたほどである。
しかし自分が即位するや否や彼を呼び戻し、
自分の姪/妹ジョアンの娘マーガレットと結婚させ、
王の長男にのみ与えられるコーンウォール公爵の爵位を与えた。
イギリス人の度肝を抜いたほどのイザベラの豪華な山のような嫁入り道具も、
ギャヴスタンにプレゼントしてしまった。
そしてギャヴスタンと二人で王妃に数々の嫌がらせをした。
これにはフランス宮廷も激怒しギャヴスタンはイギリスの反国王派に暗殺される。

ギャヴスタンが暗殺されてから半年後、イザベラはエドワード皇太子を生む。
しかし悪夢再び、エドワードは
大ヒュー・ド・スペンサーと小ヒュー・ド・スペンサーの父子を愛人にした。
エドワードはイザベラをロンドン塔に幽閉した。
そこで王妃は反国王派のマーチ伯爵ロジャー・モーティマーと出会う。
イザベラにフランスの兄シャルル4世に表敬訪問する任務が与えられた。
このチャンスに彼女はエドワード皇太子を連れて渡仏した。
そこで亡命していたモーティマーと再会し愛人関係になる。


★王妃の愛人ロジャー・モーティマー
1287-1330 43歳没


イザベラとモーティマー
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捕まった国王
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イザベラとモーティマーは軍を率いてイギリスに上陸。
国王は幽閉され、スペンサー父子が処刑された。
そして皇太子がエドワード3世として即位した。
ちなみにスペンサー父子はダイアナ妃の祖先である。


処刑されるスペンサー
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しかしイザベラとモーティマーの横暴は目に余るようになり
国民からも強い不満が噴き出すようになった。
エドワード3世は父王のようになるのを恐れてモーティマーを処刑し母を幽閉した。
幽閉は28年に及んだが贅沢三昧で、狩り・トランプなどに明け暮れた。
エドワード3世もしばしば母妃を訪問した。
亡くなったイザベラは遺言通り愛人モーティマーの眠る僧院へ埋葬された。




●エドワード3世 
次代国王

●ジョン
早逝・未婚

●エリナー 
ゲルデルン公レイナルト2世と結婚

●ジョーン 
スコットランド王デイヴィッド2世と結婚
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by xMUGIx | 2005-01-11 00:00 | イギリス

アンジュー朝

◆国王エドワード1世
先代ヘンリー3世の子
1239-1307 33歳即位 68歳没

*イギリス名を持つ初めての王である。

*長身で、乗馬に適したがっしりした長い脚、見事な剣さばきの長く太い腕、
父と同じく左まぶたが少し垂れていた。

*戦いに明け暮れる生涯を送ったが結婚生活は平和だった。


中央玉座
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■前妻 エリナー・オブ・カスティル←レオノール・デ・カスティーリャ 死別
カスティーリャ=レオン国王フェルナンド3世の娘
1241-1290 13歳結婚 49歳没

*黒髪で美しい女性だったと言われる。

*旅行好きで、夫の十字軍遠征にも随行した。

*王妃とともに輿入れしてきたスペインの貴婦人たちは、
衿が高く袖は腕にぴったりと細く裾は長く引くドレスを着ており、
イギリスの宮廷人はその美しさに目を見張った。

*また、壁に豪華なタペストリーを飾ったり、床に贅沢なカーペットを敷いたりしたが、
当時のイギリスでは石の壁はむき出し、床はいぐさが敷かれているだけだったので
イギリス人はこれにも驚いた。

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■後妻 マーガレット・オブ・フランス←マルグリット・ド・フランス  
フランス国王フィリップ3世の娘 
1275-1318 夫60歳&妻24歳で結婚 43歳没

*美人ではなかったが、信仰心が篤く性格の良い女性だった。

*王と放蕩息子である皇太子の間をよく取り成したので、
皇太子から実の母親のように慕われていた。

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●前妻の子 エリナー 
バル伯アンリ3世と結婚

●前妻の子 ジョーン
グロスター伯爵ギルバート・ド・クレアと結婚、ラルフ・ド・モンサーマー男爵と再婚

●前妻の子 マーガレット 
ブラバント公ジャン2世と結婚

●前妻の子 エリザベス 
ホラント伯ヤン1世と結婚、ヘレフォード伯爵ハンフリー・ド・ブーンと再婚

●前妻の子 エドワード2世 
次代国王

●後妻の子 トマス
サー・ロジャー・ヘイルズの娘アリスと結婚、ピーター・ド・ブローズの娘メアリーと再婚

●後妻の子 エドマンド
バツイチのウォーク女男爵マーガレットと結婚
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by xMUGIx | 2005-01-10 00:00 | イギリス

アンジュー朝

◆国王ヘンリー3世
先代ジョンの子
1207-1272 9歳即位 65歳没


■妻 エリナー・オブ・プロヴァンス
プロヴァンス伯爵レーモン・ベランジェ4世の娘
1223-1291 13歳結婚 68歳没


ヘンリー3世&エリナー
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最後尾の王冠をかぶった女性がエリナー
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ヘンリーは中背で引き締まった身体をしていたが、心がもろかった。
また片方のまぶたが垂れており、瞳が見えなかったと言われる。

エリナーの父プロヴァンス伯爵は貧乏で有名で、
財産は詩作と美貌に恵まれた4人の娘たちだけだった。
4人の姉妹は全員各国の王妃となった。

ヘンリーは4人姉妹の二女エリナーに求婚したが、
持参金の問題でなかなか話が進まず、
業を煮やしたヘンリーは持参金ナシの花嫁を迎えた。
エリナーはティアラをかぶって嫁いできたので、
イギリスに初めてティアラの習慣が始まった。

*夫婦そろって、信仰に篤く教養があって知的、
しかし浪費家とあらゆる面でお似合いの夫婦だった。

*二人は、衣裳・宝石・宴会などなどの贅沢に湯水のように金を使った。
国庫はたちまち底をつき、貴族たちに上納金を要求したりしたので不満が募った。

*また王妃と一緒に輿入れしたプロヴァンス人が宮廷にあふれ、
国政にまで口をだすようになったため、
国民は「イギリスをイギリス人の手に」と反発した。

*そのためヘンリー3世の55年の治世は反乱の連続だったが、
夫婦そろって天寿をまっとうした。




●エドワード1世 
次代国王

●マーガレット 
スコットランド王アレグザンダー3世と結婚

●ベアトリス 
ブルターニュ公爵ジャン2世と結婚

●エドマンド 通称エドマンド・クラウチバック
アヴリーヌ・ド・フォアと結婚、ブランシュ・ダルトワと再婚
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by xMUGIx | 2005-01-09 00:00 | イギリス

アンジュー朝

◆ジョン王 通称:欠地王
先代リチャード1世の弟
1167-1216 32歳即位 49歳没

*女好き、洒落者。
自分は派手で高価な服を着ていたが、溺愛した後妻でもあまり服は作ってやらなかった。

*赤痢で死亡。

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■前妻 イザベル・オブ・グロスター 離婚●実子ナシ
グロスター伯爵ウィリアム・フィッツ・ロバートの娘
?-1217

*ジョンは若い時からイザベルに思いを寄せており、
かつグロスター伯爵はイギリス一の金持ちあったため王妃とする。
しかし、10年後ジョンは後妻イザベラと結婚したいがために離婚する。

*離婚後イザベルは当時の実力者と次々と結婚していった。

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■後妻 イザベラ・オブ・アングレーム
アングレーム伯爵エマールの娘
1188-1246 58歳没

*12歳で国王ジョンと結婚、2男3女を生み、28歳で死別、
32歳でかつての婚約者ラ・マルシュ伯爵ユーグ9世の息子10世と再婚、5男4女を生み、
58歳没。

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ジョンの最大の失策は、母エレアノールが持参したアキテーヌの領土を失ったことである。
これはフランスの1/3にあたる広さであった。
原因はジョンがフランスのラ・マルシュ伯爵ユーグ9世の婚約者であった
イザベラに一目惚れし、前妻であるグロスター伯爵の娘イザベルをと離婚し、
後妻イザベラと略奪結婚したことにある。
激怒したユーグはフランス国王フィリップ2世に訴える。
追いつめられたジョンはフランスに持っていた広大な領土を失った。
また、彼の見境いのない人妻あさりも家来たちの不満の一つであった。
臣下にも国民にも反目されたジョンは、
王権の大幅な制限を定めた大憲章<マグナ・カルタ>に署名するに至る。

ジョンに失望した母アリエノールは娘アリエノールの嫁ぎ先カスティーリャ王国へ行き、
孫娘ブランカを連れ帰りフランス国王ルイ8世に嫁がせて王妃にした。

後妻イザベラはフランスに戻って再婚してもイギリス王妃だった誇りを捨てず、
フランス国王に屈する事を拒み、夫をそそのかしてルイ9世に対して反乱させた。
しかし追い詰められ、イザベラは修道院に逃げ込んだ。
夫と子供達が反逆者として捕えられても、イザベラは修道院から出てこなかった。
そのまま修道院で暮らし亡くなる。




すべて後妻の子

●ヘンリー3世
次代国王

●リチャード
ペンブルック伯爵令嬢イザベルと結婚、
プロヴァンス伯爵令嬢サンシーと再婚、
ファルケンブルク伯爵令嬢ベアトリスと再々婚

●ジョーン 
スコットランド王アレグザンダー2世と結婚

●イザベラ 
神聖ローマ皇帝&シチリア王フリードリヒ2世の3/3番目の妻

●エリナー 
ペンブルック伯爵ウィリアム・マーシャルと結婚、シモン・ド・モンフォールと再婚




★王の愛人 サリー伯爵ウィリアム・ド・ワーレンの妹スーザン 庶子1人


★王の愛人 オマール伯爵夫人オージ 庶子1人


★王の愛人 ヘンリー・ピネルの妻クレメンティナ 庶子1人


★王の愛人 ジョフリー・ド・マンデヴィルの妻マティルダ


★王の愛人 ユースタス・ド・ヴェッシの妻


★王の愛人 ヒュー・ド・ネヴィルの妻


★王の愛人 ヘンリー・ビシットの妻




●イサベラ 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の3/3番目の妻
1214-1241 21歳結婚 27歳没

夫フリードリヒはイスラム文化に傾倒しており
ハーレムを作って多くのアラブ人の愛人を置いていた。
イサベラも黒人の宦官に管理されたハーレムで暮らさねばならなかった。

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by xMUGIx | 2005-01-08 00:00 | イギリス

アンジュー朝

◆国王リチャード1世●実子ナシ 通称:獅子心王
先代 若ヘンリーの弟
1157-1199 32歳即位 42歳没

*母語フランス語、英語は使えなかった。

*男色家

*戦争中、矢で肩を撃たれ戦死。

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★元婚約者 アデル・ド・フランス
フランス国王ルイ7世の娘
1160-1220 60歳没

リチャードの婚約者として幼い時からイギリス宮廷で育てられていた。
父ヘンリー2世が母アリエノールを幽閉した後にヘンリー2世の愛人になったとされ、
リチャードの即位後に婚約解消された。
フランスに戻ったアデルは
35歳で19歳年下のポンチュー伯ギヨーム4世16歳と結婚した。




■妻 ベレンガリア・オブ・ナヴァール
ナバラ王サンチョ6世の娘
1165-1230 26歳結婚 65歳没
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*夫の転戦に伴い地中海の国々に滞在したが、
一度もイギリスの土を踏むことなく亡くなる。

リチャードは君主というより武人であった。
戴冠式を済ませるや否や十字軍遠征に行ってしまう。
プランタジネット家特有の激しい性格を兄弟の誰よりも強く受け継ぎ、また男色に溺れた。
母アリエノールは彼が結婚して跡継ぎを作らないと内乱になると案じていた。
しかし彼は馬上槍試合の際ナヴァール王女ベレンガリアを見初めた。
金髪に青い目、陶器のような白い肌をしていた。
リチャードの恋を知ったアリエノールは七十歳近い高齢をおしてピレネー山脈を越え
ナヴァール王からベレンガリア王女を貰い受けシチリアでリチャードに引き渡した。


フランス国王フィリップ2世の歓迎を受けるリチャード1世とジェーン王女(中央緑のドレス)
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この時シチリア王グリエルモ2世に嫁いだ妹ジェーン王女が
夫の死後新王タンクレーディに捕らえられていた。
兄リチャード1世が攻め込み妹を救った。
そしてリチャード、ベレンガリア、ジェーンは聖地エルサレムへ向けて出発するが
嵐に襲われてベレンガリアとジェーンはキプロス島に流れ着きその君主に捕らえられた。
またしてもリチャードが攻め込み妻と妹を救った。
無事エルサレムに到着してサラセン王とキリスト教徒の巡礼許可を取りつけ
成果を携えて帰国した。
しかし彼の同性愛はやまず子供の生まれる気配はなかった。
そしてリチャードは遠征中に戦死する。結婚8年、
ベレンガリアは英雄の妻となりながら王妃としての栄光を得ることはついになかった。

次代国王となったリチャードの弟ジョンはベレンガリアに年金を送ってこなくなった。
ローマ教皇たちの仲介でジョンは送金を約束する。
しかしジョンが亡くなり国王となったジョンの子ヘンリー3世も年金を送ってこなかった。
また教会の仲介でヘンリー3世は送金を約束する。
ベレンガリアはやっと送られてきた年金で修道院を建て、修道女として亡くなった。
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by xMUGIx | 2005-01-07 00:00 | イギリス


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