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ブルボン朝

国王アンリ4世の子供


すべて後妻の子

●ルイ13世 次代国王

●エリザベート 
スペイン国王フェリペ4世の前妻・本人死別

●クリスティーヌ 
サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世と結婚

●ガストン
モンパンシエ公爵の娘マリー・ド・ブルボンと結婚死別、
ロレーヌ公爵の娘マルグリット・ド・ヴォーデモンと再婚

●アンリエット・マリー 
イギリス国王チャールズ1世と結婚




●ルイ 国王ルイ13世

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●エリザベート 
1602-1644 42歳没
スペイン国王フェリペ4世の前妻 本人死別
1605-1665 60歳没

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●クリスティーヌ 
1606-1663 57歳没
サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世と結婚
1587-1637 50歳没

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●ガストン オルレアン公
1608-1660 52歳没

*母マリー・ド・メディシスは長男ルイ13世とソリが合わず、二男のガストンを溺愛した。
スポイルされたガストンは話に乗せられやすく、王位を狙っては失敗を繰り返した。

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■前妻 モンパンシエ女公爵マリー・ド・ブルボン 死別
1605-1627 22歳没

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■後妻 ロレーヌ公爵の娘マルグリット・ド・ヴォーデモン
1615-1672 57歳没

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●アンリエット・マリー 
1609-1669 60歳没
イギリス国王チャールズ1世と結婚
1600-1649 49歳没

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by xMUGIx | 2003-03-03 00:00 | フランス

ブルボン朝

国王アンリ4世の愛人


アンリ4世には生涯に50人もの愛人がいたと言われる。
実子も庶子も一緒に育てられていたが、
アンリは多すぎる子供の名前もその母親の名前も覚えらないため
いつもメモを持ち歩いていた。




★愛人Louise de La Beraudiere de l'Isle Rouhet/La belle Rouhet
1530-1586 56歳没

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★愛人 シャルロット・ソーヴ男爵夫人/ノアムーティエ侯爵夫人
1551-1617 66歳没

*姑カトリーヌ・ド・メディシスが送り込んだ愛人

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★愛人 フランソワーズ・ド・モンモランシー 通称フォスーズ
1566-1641 75歳没

*前妻マルゴの女官、当時15歳だった。

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★愛人 ディアーヌ・ド・アンドアン 通称コリザンド
グラモン伯爵夫人/ギーシュ公爵夫人
1554-1620 66歳没

*当時26歳の豊満な肉体を持つ未亡人

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★愛人 アントワネット・ド・ゲイシェルヴィル/ポンス伯爵夫人
1570-1632 62歳没

*当時28歳の未亡人

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★愛人 クロード・ド・ボヴィリエ

*修道院長




★愛人 ガブリエル・デストレ 庶子3人生む
1571-1599 28歳没

クーヴル侯爵アントワーヌ・デストレの娘。
桃色の肌に青い目、豊かな金髪の背が高くすらりとした美女だった。
彼女は類まれな実行力と外交手腕を兼ね備えていた。
戦地にも恐れることなく王に付き従い
軍が危機にさらされれば惜しげもなく自分の金庫から巨額を王に与え
激戦のなか自軍を叱咤激励する。戦場での生活も快適に整えた。
ガブリエルは妊婦でありながら隙間風の吹くテントに住んだ。
一日が終わると王に良質の食事を提供し王の衣類を自らから洗濯し
政治や外交の通信文を起草し夜には二人で作戦協議をした。
そして庶子2男1女を生む。

アンリは彼女の説得でプロテスタントからカトリックに改宗したため
パリで戴冠式を行うことができた。
アンリはガブリエルを妻に迎えるためローマ教皇にマルゴ王妃との離婚を申請した。
教皇はガブリエルがアンリをカトリックに改宗させた功績によりこれを認めた。
しかし結婚式目前、ガブリエルは4人目の子供を死産、本人も死亡した。
毒殺説もある。

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★愛人アンリエット・ダントレーグ/ヴェルヌイユ侯爵夫人
1579-1633 54歳没

国王シャルル9世の愛人マリー・トゥーシェの娘。
ガブリエル・デストレを喪った後に愛人となる。
母親仕込みのテクニックで、肉体関係を持つ前に10万エキュを要求した。
アンリ4世が10万エキュを渡すと、今度は結婚の約束を要求した。

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アンリ4世の誓約書 1599年10月01日

本日を起点とし、半年後にアンリエットが懐妊し男子を出産せる時、
正式なる妻とする。


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ところがアンリ4世は借金で首が回らなくなっており、
メディチ家から60万エキュの持参金付きの後妻をもらうことに決まってしまった。
かくして王妃マリーとアンリエットは同時に妊娠し、共に男子を生む。
誓約書を握っているアンリエットは、スペインと組んで自分の息子を王位につけようとする。
この陰謀が露呈し、アンリ4世はアンリエットを宮廷から追放した。
アンリエットはとてつもなく肥満して孤独のうちに55歳で亡くなった。

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★愛人 ジャクリーヌ・ド・ヴュエイユ/モレ伯爵夫人
1588-1651 63歳没

*金髪美人

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★愛人 シャルロット・デ・ゼサール/ロモランタン伯爵夫人/ヴィトリー公爵夫人
1580-1651 71歳没

*美乳の持ち主だった。

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★愛人 シャルロット・ド・フォンルボン




★愛人 シャルロット・ド・モンモランシー
1594-1650 56歳没

54歳のアンリ4世は15歳のシャルロットを見初めた。
アンリ4世は相手から結婚をせがまれないように、
まずシャルロットに無害な夫コンデ公爵アンリ2世をあてがった。
彼は背むしでどもりな上、同性愛者という噂もあったからである。
ところが40歳以上年上の王よりマシだと思ったのか本心からか、
夫妻は熱烈に愛し合うようになる。
国内国外を転々と逃げ回るコンデ公爵夫妻に、
フランスと反目していたスペイン国王フェリペ3世が援助を申し出た。
アンリ4世、フェリペ3世、コンデ公爵の3人がローマ教皇に相談を持ちかける事態となり、
15歳の娘をめぐって数ヶ月間ヨーロッパの政治情勢は緊張状態に陥った。
しかしシャルロットの父親がコンデ公爵との結婚の無効を訴え離婚が成立した。
ところがスペインはフランスへ渡る旅券をシャルロットに発行しなかった。
そこでアンリはスペインに宣戦布告した。大騒ぎである。
しかし運良くアンリ4世が暗殺されたためシャルロットは逃げ切り、
再びコンデ公爵と結ばれ3人の子供に恵まれた。

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by xMUGIx | 2003-03-02 00:00 | フランス

ブルボン朝

■父 ヴァンドーム公爵アントワーヌ・ド・ブルボン
1518-1562 44歳没

*軽佻浮薄で女好き、妻は無能な夫に期待していなかった。
結婚の際にカトリックからプロテスタントに改宗したが、
カトリックの女性と不倫関係になりカトリックに再改宗するという愚挙をおかす。

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■母 ナヴァール女王ジャンヌ・ダルブレ
1528-1572 44歳没

*ユーリヒ・クレーフェ・ベルク公ヴィルヘルム5世と結婚離婚、
ヴァンドーム公爵アントワーヌ・ド・ブルボンと再婚

*息子とマルゴの結婚式に参列するためパリにくるが、結婚式直前に急死。
対立していたカトリーヌ・ド・メディシスによる暗殺説も根強い。

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●アンリ4世
次代国王

●カトリーヌ
ロレーヌ公爵アンリ2世の前妻・本人死別




◆国王アンリ4世 
1553-1610 36歳即位 57歳没

*暗殺

*先代アンリ3世は嫡男がなかったため、
王位継承権第一位のナヴァール国王アンリ4世を後継者に指名していた。
そしてアンリ3世の死亡により即位する。
ブルボン朝の始まりである。

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■前妻 マルグリット・ド・ヴァロワ●実子ナシ 通称:王妃マルゴ
国王アンリ2世の娘
1553-1615 19歳結婚 62歳没

マルゴの兄はフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世である。
マルゴと3人の兄たちとは近親相姦の関係にあったともいわれている。
カトリックとプロテスタントの深刻な対立を解消するために
カトリックのマルゴとプロテスタントのナヴァール王子アンリ4世の結婚が決められた。
マルゴの祖父フランソワ1世とアンリ4世の祖母マルグリット・ド・ナヴァールが
姉弟である関係から二人はマタイトコとなる。
ナヴァール王国は祖母の時代からルネッサンス文化を後援していたため
プロテスタントに寛容であったが
母ジャンヌ・ダルブレ女王の時代にはプロテスタントを国教とするほどになっていた。

カトリックのマルゴは教会内でプロテスタントのアンリは教会の外で
という異例の結婚式を挙げた。
その婚礼直後にサン・バルテルミーの虐殺が発生する。
マルゴは幼い頃から近親相姦や幾多の恋愛を経験した淫獣、
アンリは母親の方針で農家に預けられて育った性生活にも大らかな野獣、
うまく行くかに思われた組み合せだったが、アンリの体臭がそれを阻んだ。
アンリは、脇の臭い、足の臭い、ニンニク好きの口臭がひどく、
それなのに風呂嫌いで、悪臭を放っていたからである。

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アンリ4世の愛人の一人 ヴェルヌイ夫人の証言

アンリ4世は王様になれて本当に得をなさいました。
もし王様でなければ、とてもお付き合いは致しかねます。
と申しますのは、腐った死骸のような臭いがするのですから。
特に王様の脇の下と足の先はお臭くていらっしゃいます。

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しかし、アンリもマルゴも当時としてはかなりのインテリだったため、
互いの聡明さを認め、互いに多くの愛人を持ちつつ
協力して結婚生活を送る同志となる。
母妃カトリーヌは目的のためならアンリはもちろん
実の娘のマルゴですら毒殺するような危うい立場だったからである。

アンリ4世&マルゴ夫妻は何度かカトリーヌ&アンリ3世親子に謀反を起した。
マルゴは捕えられて19年間幽閉される。
その間にアンリ4世は政敵に勝ち抜き、国王の座に就いた。
アンリはマルゴの幽閉を解き、二人は離婚して、マルゴはパリに戻った。
33歳だったマルゴは52歳になっていたが、自分好みのサロンを作り上げ、
多くの情事を楽しみ、若い愛人に看取られて62歳で亡くなった。


若い頃のアンリ4世って、せんだみつお入ってますね
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★王妃の愛人ギーズ公アンリ
1550-1588 38歳没
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■後妻 マリー・ド・メディシス←マリア・デ・メディチ
トスカーナ大公フランチェスコ1世の娘
1575-1642 25歳結婚 67歳没

アンリは太って大柄で愚鈍なマリーに関心を持たなかった。
多情なアンリは50人以上もの愛人を持っていたとも言われ夫婦仲は良くなかった。
気が強くデリカシーに欠けたマリーはしょっちゅうヒステリーを起こしわめき散らしていた。
そのせいでマリーの浪費癖は尋常ではなくなり、
毎日のように宝石を購入したりしたためせっかくの持参金も底をついてしまうほどであった。

アンリは政局に応じてカトリックとプロテスタントの改宗を繰り返したため
馬車に乗ろうとした際に狂信的なカトリック教徒に暗殺された。

息子ルイ13世が8歳で即位したため、母妃のマリー・ド・メディシスが摂政となった。
これを機にマリーは政治にのめり込んでいく。
嫁ぐ時に連れてきた幼なじみのイタリア人の女官レオノーラを寵愛し、
その夫コンチーニと愛人関係になり、この3人で政治の実権を握った。

王妃マリーは幼い頃から乳母の娘レオノーラと姉妹のような関係で育った。
マリーがイタリアからフランスに嫁ぐ際には女官として付いてきた。
レオノーラはすぐに同じく随員の一人だった4歳年下の20歳だったコンチーニと結婚して
夫婦でマリーの側近となる。
王アンリ4世が亡くなる頃には、
コンチーニはレオノーラの手引きでマリーの愛人の座におさまっていた。

好き勝手に振る舞うレオノーラ一派への反発が高まった頃、リシュリューが現れる。
リシュリューはまずレオノーラに取り入って彼女の愛人となることから始めた。
マリーは長男のルイ13世とはソリが合わず、二男のガストンを溺愛していた。
成長してからも母が権力の座を譲る気配がないことに不信感を募らせたルイ13世は、
リシュリューと協力してレオノーラ夫妻を殺害し母を幽閉した。
脱出したマリーは息子に反旗を翻したが失敗し国外追放となった。

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★王妃の幼なじみ/女官 レオノーラ・ガリガイ
1571-1617 46歳没

*はっきりした顔立ちに濃い褐色の髪で、ガリガリに痩せていた。

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★王妃の愛人 レオノーラ・ガリガイの夫 コンチーノ・コンチーニ
1575-1617 42歳没

*詐欺や放蕩でイタリアにいられなくなり、
厄介払いとして王妃の輿入れの際の随員にさせられフランスへ来た。

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すべて後妻の子

●ルイ13世 
次代国王

●エリザベート 
スペイン国王フェリペ4世の前妻・本人死別

●クリスティーヌ 
サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世と結婚

●ガストン
モンパンシエ公女マリー・ド・ブルボンと結婚死別、
ロレーヌ公女マルグリット・ド・ヴォーデモンと再婚

●アンリエット・マリー 
イギリス国王チャールズ1世と結婚
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by xMUGIx | 2003-03-01 00:00 | フランス


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