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by xMUGIx
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ブルボン朝

◆ルイ・フェルディナン王太子 父より先に亡くなったため即位できず
先代ルイ15世の子
1729-1765 36歳没
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■前妻 マリー=テレーズ・ド・ブルボン←マリア・テレサ イトコ結婚 死別●実子ナシ
スペイン国王フェリペ5世の娘
1726-1746 19歳結婚 20歳没

引っ込み思案で自室にいることの方が多いマリー・テレーズだったが、
夫ルイ・フェルディナンとの夫婦仲は非常に良く、彼は妻のそばから片時も離れなかったという。
結婚一年で死別。
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■後妻 マリー=ジョゼフ・ド・サクス←マリア・ヨーゼファ・フォン・ザクセン
1731-1767 16歳結婚 35歳没
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すべて後妻の子
●ルイ16世 フランス国王
●ルイ18世 フランス国王
●シャルル10世 フランス国王
●クロティルド 
サルデーニャ国王カルロ・エマヌエーレ4世と結婚
●エリザベート 未婚 フランス革命によりギロチンで処刑




●ルイ16世 次代国王
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●ルイ18世 次々代国王
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●シャルル10世 次々々代国王
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●クロティルド 
1759-1802 43歳没
サルデーニャ国王カルロ・エマヌエーレ4世と結婚
1751-1819 68歳没
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●エリザベート 未婚 フランス革命により処刑
1764-1794 30歳没
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by xMUGIx | 2003-03-13 00:00 | フランス

ブルボン朝

国王ルイ15世の子供


ルイ15世が娘たちの縁組に興味がなかったのと、
本人たちが選り好みしているうちに王女たちは未婚のままになってしまった。
そして嫁いできたマリー・アントワネットにあることないこと吹き込んで、
事態を悪化させるオバサン軍団となる。


●エリザベート パルマ公フィリッポと結婚
●アンリエット エリザベートと双子 早逝
●ルイ・フェルディナン 王太子→子はルイ16世・ルイ18世・シャルル10世
●アデライード 未婚
●ヴィクトワール 未婚
●ソフィー 未婚
●ルイーズ・マリー 修道女




●エリザベート 
1727-1759 32歳没
パルマ公フィリッポと結婚
1720-1765 45歳没
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●アンリエット エリザベートと双子 早逝
1727-1752 25歳没
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●ルイ・フェルディナン 王太子→子はルイ16世・ルイ18世・シャルル10世
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●アデライード 未婚
1732-1800 68歳没
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●ヴィクトワール 未婚
1733-1799 66歳没
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●ソフィー 未婚
1734-1782 48歳没
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●ルイーズ・マリー 修道女
1737-1787 50歳没
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by xMUGIx | 2003-03-12 00:00 | フランス

ブルボン朝

◆国王ルイ15世
先代ルイ14世の曾孫/王太孫・プチ・ドーファンの子
1710-1774 5歳即位 64歳没

彼は美男子であり体格も良く教養に富んでいたが
政治に関心を持たずもっぱら趣味の狩猟に興じる日々を送った。
国民の支持を失った国王は亡くなっても葬儀は行われなかった。
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■妻 マリー・レクザンスカ←マリア・レシチニスカ
ポーランド王スタニスワフ・レシチニスキの娘
1703-1768 22歳結婚 65歳没

父ポーランド王は領土も持てず貧乏だったため、
多産の血統だけがマリーの持参金だった。
マリーは敬虔だが退屈な女性だった。父王ですら花婿にこう言った。
「娘はヨーロッパでもっとも退屈な女の一人だ。もう一人は私の妻だ」
しかしルイ15世は彼女を熱愛し仲睦まじかったが
王妃はほぼ毎年妊娠させられると夫婦生活を厭うようになったため、
ルイは大量の愛人を作り始めた。
「いつも寝て、いつも妊娠して、いつもお産ばかりして、何と言う人生でしょう!」
と王妃は嘆いた。
編み物とトランプ遊びが好きで礼拝堂で祈りを捧げて半生を過ごした。
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●エリザベート パルマ公フィリッポと結婚
●アンリエット エリザベートと双子 早逝
●ルイ・フェルディナン 王太子→子はルイ16世・ルイ18世・シャルル10世
●アデライード 未婚
●ヴィクトワール 未婚
●ソフィー 未婚
●ルイーズ・マリー 修道女




ルイ15世はネール家の姉妹を次々と愛人とした。


★愛人ルイーズ・ド・ネール/マイイ伯爵夫人
1710-1751 41歳没

長女マイイ夫人はルイの最初の愛人である。
イトコのルイ・アレクサンドル・ド・マイイ伯爵と結婚したが、
夫婦仲が悪く子供も生まれなかった。
姑が王妃の衣装係だった縁で、マイイ夫人も王妃の女官の職を手に入れた。
マイイ夫人は美人とは言えなかったが
魅惑的な体と可愛らしい性格の持ち主であった。
愛人は権勢を振るうことが常だったが彼女はそれをしなかった。
かえって変わり者と見なされた。
多情な王は他の女性に気を取られることがしばしばだったので彼女は消耗した。
話し相手に自分の妹を招いたがそれが彼女の命取りになった。
妹ヴァンティミール夫人は姉から王の寵愛を奪い取った。

王はさすがに良心が咎めたのか彼女に年金とパリにおける居住地を提供した。
他の愛人たちと違ってマイイ夫人は財産を作っていなかったからである。
その後も王はときどきマイイ夫人の思い出話を他の愛人に語っている。
宮廷から去ったマイイ夫人は修道院に入り、生活を信仰と慈善に捧げて亡くなった。
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★愛人ポーリーヌ・ド・ネール/ヴァンティミール夫人 庶子1人
1712-1741 29歳没

長女から王の寵愛を奪ったのは二女ヴァンティミール夫人。
まず王は持参金を付けてヴァンティミール伯爵ジャン・フェリックスと結婚させた。
ヴァンティミール夫人は体臭がきつく不細工で手足の大きな男性的な女性だった。
首の長いことについては王からからかわれたこともあるほどであった。
しかし王を楽しませることについては姉マイイ夫人以上の能力を発揮した。

ヴァンティミール夫人は姉マイイ夫人と違い権勢欲が旺盛で人事にも介入した。
金銭欲が強く野心家で政治に口を挟みたがった。
ルイの子供を出産する際に死亡した。
ヴァンティミール夫人の遺体はは丁重に埋葬されたが、
彼女の横暴を嫌った民衆は夜中に遺体を切り刻んだ。
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★愛人ディアーヌ・ド・ネール/ローラゲ夫人
1713-1760 47歳没

ヴァンテミール夫人の死後王の寵愛は三女のディアーヌに移った。
彼女が最初にしたことは長女のマイイ夫人を宮廷から追い出すことだった。
彼女がローラゲ公爵と結婚するとこの関係は終わった。
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★愛人マリー・ネール/シャトルー夫人
1717-1744 27歳没

後釜に座ったのは五女のシャトルー夫人。トゥルーネル侯爵の妻であったが死別。
ルイからシャトルー公爵夫人の称号を贈られる。
姉妹の中で一番器量が良く背が高く堂々としており
自信家で冷淡で計算高い女性だった。宮廷では多くの男性たちに言い寄られていた。
しかしシャトルー夫人したたかだった。
彼女は姉たちの前例を研究しており
どうやって自分の立場を確かなものにするか考えていた。
王の愛人でいる間にできるだけたくさんの蓄財をしようと努めた。
姉妹の中で最も成功した愛人になった。
シャトルー夫人大きな権力を手に入れた。政治や人事にも介入した。
彼女の地位は磐石に見えたが王は発病して生命の危機に陥った。
弱気になった王は呼び寄せた聖職者たちの意見にしたがって
愛人シャトルー夫人は宮廷から去った。彼女は王の回復を待った。
王が健康な体に戻ったら必ずや彼女を求めるだろうと思っていた。
結果はその通りになったがシャトルー夫人は病気で急逝した。
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★愛人ポンパドゥール夫人/ジャンヌ・アントワネット・ポワソン
1721-1764 43歳没

ネール四姉妹との関係が終わると王はポンパドゥール夫人を寵愛した。
銀行家の父フランソワ・ポワソンの娘、
裕福な徴税請負人のル・ノルマン・デティオールと結婚。
夫婦が開くサロンには、ヴォルテール・モンテスキューなど
そうそうたる知識人や有名人が集った。

23歳の時に仮面舞踏会で国王の目に止まる。
知的で教養がある彼女は国王を魅了し愛人となった。
それまでの国王の愛人はみな貴族だったが
ブルジョワの女性を愛人にしたことに皆は驚いた。
ルイからポンパドゥール侯爵夫人の称号を贈られる。
中背で白い肌丸い小柄な整った顔立ちに明るい瞳をしていた。
立ち居振る舞いも完璧で宮廷夫人の誰も彼女に対抗できなかった。
さらに王妃への気遣いも怠りなかった。
ポンパドゥール夫人は王が王妃を軽く扱うことのないように仕向けていた。
陰謀渦巻く宮廷で王妃の友情が自分の力になることを知っていたのだ。

フランス国王の公式の愛人となったポンパドゥール夫人は様々な事業に手を染めた。
植物園を造って、ルイの大好物の苺を栽培したり、珍しい植物を栽培させた。
また農場を造ったり、牧場を造ったりした。
ガラス工房や陶器工房を造り、セーブル陶器を世界中に輸出した。
ルイを楽しませるために宮廷内に劇場を造り、芝居やオペラを上演させた。

ポンパドゥール夫人は美貌ばかりでなく学芸的な才能に恵まれ
サロンを開いて啓蒙思想家と親交を結んだ。
また芸術の熱心な愛好家、パトロンでもあり様々な芸術家とも交流した。
ポンパドゥール夫人の時代はフランスを中心に
優雅なロココ様式の発達した時代になった。

しかし、ポンパドゥール夫人は性的には淡白だった。
ところがルイは性欲旺盛で一日に何度もセックスをしたがった。
早朝のミサに参列し長時間のディナーに耐え、
王との望みもしない夜のお相手が待っていた。
こってりした食事、大量のワイン、手紙のやりとり、
宮廷での数々の義務にポンパドゥール夫人は疲れ切っていた。
要するにいつ何時王がやってきても対応できるようにしておかなければならないのだ。
狩猟の時は遠出が待っていた。悪天候でもおかまいなしでしばしば夫人は肺炎になった。
にもかかわらず疲れているとか病気であるとか退屈しているとか
一切悟られてはならなかった。
そこで彼女は愛人関係を友情へと転化するのに成功した。
王の老練な政治アドバイザーとなったのである。
そして王の愛情が他へ移らないように「鹿の苑」を作った。
ベルサイユの森にあるこの館に
ルイ好みの魅力的な肉体を持ち野心のない無教養な若い娘を集め
国王だとは知らずにお相手をさせて短期間で入れ替える。
ルイ15世が本気になってしまわないためだ。
これらの女性には持参金を持たせどこかの男性と結婚させる。
運悪く子供が出来てしまった場合は出産させ
男子は将校に取り立て女子は良縁を取り次いで面倒を見た。
ここで国王のお相手をした女性の数は200~300人、
生まれた私生児は60人以上だったという。

ポンパドゥール夫人が亡くなった時には王は涙を流して葬列を見送った。
ポンパドゥール夫人はヴェルサイユ宮殿で死ぬことのできた最初で最後の愛人である。
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★愛人デュ・バリー夫人/ジャンヌ・ベキュー
1743-1793 50歳没

デュ・バリー夫人は娼婦の身分から国王の愛人にまで登りつめた。
父の名もわからぬ私生児だったデュ・バリー夫人は20歳の頃、
悪名高いデュ・バリー伯爵(自称)と同棲、
伯爵(自称)は彼女を上流階級の男性相手の高級娼婦にする。
客は貴族や大物ばかりだったので、
宮廷でも通用するような作法や会話術を身につけていった。
伯爵は25歳になった彼女をヴェルサイユ宮殿に連れ出した。
狙い通りポンパドール夫人を失くして癒しを求めていたルイ15世は
魅力溢れる若いジャンヌの虜になった。
型通りの手続きを終えてルイの愛人となった。
まぶたが半分眠ったように垂れ
相手を催眠にかけるような話し方をする彼女には妖艶な美しさがあった。
白くなめらかな肌、真珠のような歯、入浴して清潔な身体を(当時あまり入浴の習慣はなかった)
宝石やリボンやレースで飾り立てていた。

オーストリアから嫁いできたマリー・アントワネットは愛人がいることも驚きだったが
娼婦出身だということにショックを受けた。
娼婦や愛人が嫌いな母マリア・テレジア女帝の影響を受けたアントワネットは
デュ・バリー夫人の存在を徹底的に憎んだ。
かねてからデュ・バリー夫人の存在を嫌がっていたルイ15世の王女たちも
アントワネットの側についたことが対立を一層深めた。
しかしデュ・バリー夫人は朗らかで愛嬌がある親しみやすい性格で
宮廷の貴族たちからは好かれていたという。

宮廷では低位の者が高位の者に先に声をかけることは許されない。
アントワネットは当然のようにデュ・バリー夫人を無視し続けた。
この状態が2年も続いた。
宮廷ではアントワネットがいつデュ・バリー夫人に話しかけるのかで大いに盛り上がった。
デュ・バリーがルイ15世に泣きつき怒った王はオーストリア大使に圧力をかけ
母マリア・テレジア女帝が「声くらいかけてやりなさい」
という手紙を寄こすという事態にまで発展した。
アントワネットは仕方なく独り言のように
「今日のヴェルサイユは大変な賑わいですこと」とデュ・バリー夫人に言った。
これが最初で最後の言葉であった。
愛人は国王が亡くなったら宮廷から去らねばならないので
いざというときのためにしっかりと財蓄しておく。
デュ・バリー夫人も現金や宝石、名画、土地や建物を所有していた。
ルイ15世の死後は邸宅で何人もの愛人を相手に悠々自適の暮らしを楽しんだ。
ド・ブリサック元帥、シャボ伯爵、ヘンリー・シーモアたちを愛人にした。
体はすっかりたるみ美しかった面影がないほど肥満した。

フランス革命が勃発した。デュ・バリー夫人は財産を持ってイギリスに逃げた。
ド・ブリサック元帥への想いは深くパリに戻ってしまう。
すぐに逮捕されギロチン台に送られた。
貴族たちは誇りを持っていたので取り乱すことなく断首されていったが
デュ・バリー夫人だけが叫び、逃げ回り、民衆に命乞いをしたと言われている。
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★愛人マリー・ルイーズ・オミュルフィ
1737-1815 78歳没

この絵が評判となり、ルイ15世に呼び寄せられ鹿の苑に住んだ。
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★愛人Francoise de Chalus/duchesse de Narbonne-Lara
1734-1821 87歳没
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★愛人Anne Couppier de Romans/baronne de Meilly-Coulonge
1737-1808 71歳没

これすごい残酷な構図じゃないですか…?
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by xMUGIx | 2003-03-11 00:00 | フランス

ブルボン朝

◆王太孫ルイ/プチ・ドーファン 祖父より先に亡くなったので即位できず
1682-1712 29歳没
先代ルイ14世の孫・王太子/グラン・ドーファンの子

*真面目で信心深く、忍耐強い優しい子に育つ。

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■妻 マリー・アデライード・ド・サヴォワ
サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世の娘
1685-1712 12歳結婚 26歳没

*愛らしく陽気な妃は義祖父ルイ14世のお気に入りであった。

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●ブルターニュ公爵 ルイ

●アンジュー公爵 ルイ →次代国王ルイ15世 


*当時パリで麻疹が大流行し、26歳の王太子妃が麻疹で死亡、
続けて29歳の王太子が死亡、次に王子たちも麻疹に罹り、
5歳の兄王子が死亡、2歳の弟王子だけが生き残って国王となった。

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プチ・ドーファンの大叔母 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

王太子妃のお命を奪ったのは医師団です。
いつでも国王を楽しませるユーモアを持ち、国王の慰めと喜びであった王太子妃を喪い、
悲しみに耐えていらっしゃる国王のお顔が見られません。

昨日は王太子妃の葬儀、
不幸は重なり王太子が王太子妃に続き今朝8時半に亡くなられました。
皆がどれほどの悲しみに突き落とされたか御想像できると思います。
王太子は特に篤く、正義を愛で、知的でした。
フランス全土にとってひどい損失です。

医師団はブルターニュ公爵にかかりきりになっていたので、
アンジュー公爵の侍女達が公爵と一緒に部屋に閉じこもり、
公爵にビスケットとワインを少々与えていました。
そして昨日公爵の熱が高くなったと聞きつけた医師団が瀉血を施そうとしたところ、
教育係のヴァンタドール夫人と養育係のヴィルフォール夫人が拒否して頑強に抵抗し、
内側から鍵をかけて医師団を部屋に入せさせず、
部屋を暖かくして看病しました。この処置が麻疹にかなっていたのです。
公爵は回復に向かいました。医師団が治療していたら亡くなっていたでしょう。

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●国王ルイ15世

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by xMUGIx | 2003-03-10 00:00 | フランス

ブルボン朝

◆王太子ルイ/グラン・ドーファン 父より先に亡くなったため即位できず
先代ルイ14世の子
1661-1711 49歳没

*読書好きではなかったが芸術を愛した。
オペラ・狩り・賭け事・舞踏会が大好きで、軍人としての才もあった。

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グラン・ドーファンの叔母 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

王太子はわけのわからない人でした。善人かなと思うとすぐに悪人だと思わされ、
また悪人かなと思っていると善人だと思わせられるのです。
彼は誰も真に愛さず、また真に憎みもしませんでした。
意地悪で、そしてあらゆる悪ふざけをしました。それが最大の楽しみでした。
しかし好意を見せる時にはとても優雅でした。
分別があるとは言えません、しかし馬鹿でもありません。
彼ほど自分や他人を馬鹿にする人を見たことがありません。
彼がこの世で一番恐れたのは、国王にならなければならないことでした。
恐怖から統治を嫌がっていました。
大変なものぐさで、一日中ローデンベッドに横になっているか、
肘掛椅子に座ってストックで靴を叩き一言も発しないこともありました。

フランス全土が王太子の突然の死に悲しんでいるかをお知らせせずにはいられません。
王太子は天然痘に罹っていました。
死後全身が真っ黒になりましたので、発疹チフスから天然痘になったのだとわかりました。
天然痘の発疹は首から上にだけ出て、胴体には何も出ませんでした。
鼻の中もびっしりでしたから、きっと窒息したのでしょう。

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■妻 マリー・アンヌ・ド・バヴィエール←マリア・アンナ
バイエルン選帝侯フェルディナント・マリアの娘
1660-1690 20歳結婚 30歳没

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グラン・ドーファンの叔母 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

1686年08月11日
王太子は世の中の出来事に何の関心も抱かず、
楽しみのみを追い求め、ひどく堕落しています。
王太子妃はお気の毒に大変退屈な生活を送られ、妊娠ばかりしています。

1689年06月05日
王太子妃は最近とみに気絶しやすくなられ、変事が起るのではないかと案じています。
シャルル王子を胸に抱き、
「私がいま病気だと言っても、誰も私のことを心配しないでしょう」と嘆かれました。

1690年02月08日
お可哀相に、王太子妃の具合がまたひどく悪くなられました。
私は王太子妃を心から愛しています。
老婆〔舅ルイ14世の愛人マントノン夫人〕が王太子妃を悲しい立場に追いやったのです。
これは死に繋がりかねません。

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夫妻
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●ルイ 王太孫/プチ・ドーファン→子はルイ15世

●フィリップ スペイン国王フェリペ5世となる

●シャルル ベリー公爵 
オルレアン公爵フィリップ2世の娘マリー・ルイーズ・エリザベートと結婚




●ルイ 王太孫/プチ・ドーファン→子はルイ15世ルイ
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●フィリップ スペイン国王フェリペ5世
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●シャルル ベリー公爵
1686-1714 28歳没
オルレアン公爵フィリップ2世の娘マリー・ルイーズ・エリザベートと結婚 イトコ結婚
1695-1719 24歳没

*シャルルは大食漢で狩りが大好き、勉強嫌いで無教養だった。

*マリーの母方の祖母はルイ14世の愛人モンテスパン夫人

*マリーは独身時代から拒食症を患ったり、
結婚後も遊び好きな父親と一緒になって乱痴気騒ぎをするなどしたため、
国王ルイ14世がマリーの祖母に説教するように頼んだほどだった。

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マリーの父方の祖母 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

1711年
マリーは私の説諭を受け入れ、ずっと良くなりました。
どうかこのまま続きますように。

1713年
息子と孫娘は御存知のように巷で悪い噂が飛び交うほど大変愛し合っていたのですが、
今では毎日悪魔のように罵り合いをしています。
さらに悪いことに孫娘が夫と父をケンカするように仕向けたので、
息子は絶望的になりパリへ行ってしまいました。

1718年
マリーには満足しています。
彼女は以前とはまったく変わり、まともになるだろうと思っています。
分別もあり心情豊かです。悪徳を憎み、徳を愛し、迷信を信じません。
ですから神は彼女を憐み、悔悛させてくださるものと信じています。

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by xMUGIx | 2003-03-09 00:00 | フランス

ブルボン朝

国王ルイ14世の子供




■正妻マリー・テレーズ・ドートリッシュの子

●ルイ 王太子/グラン・ドーファン
父王より先に亡くなったため即位できず




■愛人ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールの子


●マリー・アンヌ
コンティ公爵ルイ・アルマン1世と結婚

●ルイ ヴェルマンドワ伯爵
未婚




■愛人モンテスパン夫人の子

●ルイ・オーギュスト メーヌ公爵 
コンデ公爵アンリ3世の娘ルイーズ・ベネディクトと結婚

●ルイーズ・フランソワーズ
コンデ公爵ルイ3世と結婚

●フランソワーズ・マリー
オルレアン公爵フィリップ2世と結婚

●ルイ・アレクサンドル トゥールーズ伯爵
アンヌ・ジュール・ド・ノアイユ公爵の娘バツイチ子持ちのマリー・ヴィクトワールと結婚


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ルイ14世の義妹 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

1688年04月14日
マントノン夫人は養育してきたモンテスパン夫人の庶子たちを愛し、
特に足の不自由なメーヌ公爵を我が子のように愛していますから、
私の娘とメーヌ公爵、私の息子とフランソワーズ・マリーを結婚させるように仕向けています。
娘の異母姉たちはみな良い結婚をしているのに、
よりによって私の娘が割に合わない結婚相手をあてがわれる私の気持ちをお察し下さい。
メーヌ公爵はひどく醜く、足も性格も悪く、悪魔のように痩せこけて情味もありません。
フランソワーズ・マリーの方は情味はありますが、ひどく病気がちで
衰弱した眼をしていて、そのうち盲目になるのではと心配するぐらいです。
母親のモンテスパン夫人はこの地上にいる最悪の人間であり、
もっとも捨てばちになった女性です。


*結局フランソワーズ・マリーと
リーゼロッテの息子フィリップ2世の結婚が決められてしまう。

1692年01月10日
夫が私に告げました。「あなたは承服しがたいかもしれないが、
国王と私は息子フィリップとフランソワーズ・マリーの結婚を決め、息子も同意しました。
万が一にもあなたは拒否するという馬鹿なことはしないでしょうが、
この結婚に同意するかどうか今晩国王に返事して下さい」
それを聞いた時の驚きと歎きはいかばかりだったでしょうか。
夜の8時に国王は私をお呼びになって意見を聞かれました。
私は「それが国王陛下と王弟陛下の御意向ですから従うほかありません」
と答えるしかありませんでした。
今日はこのニュースを聞きつけた宮廷中の人々が
次々と私の部屋へやってきてお祝いを述べましたので、頭が張り裂けそうでした。


*メーヌ公爵は他の女性との結婚が決まってリーゼロッテは一安心だったが、
まだメーヌ公爵の弟トゥールーズ伯爵が残っていたので心配は尽きない。
結局トゥールーズ伯爵も別の女性と結婚、リーゼロッテの娘は無事他の男性と結婚できた。

1692年03月07日
メーヌ公爵とコンデ公爵令嬢との結婚が決まって大喜びです。
でも、次はトゥールーズ伯爵を娘の婿に推しつけられるのではないかと気がかりです。


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by xMUGIx | 2003-03-08 00:00 | フランス

ブルボン朝

国王ルイ14世の愛人


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ルイ14世の義妹 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

ヴァリエール夫人はいつでも心から王を愛していました。
しかし、モンテスパン夫人は野心から、スービーズ夫人は好奇心から、
マントノン夫人は野心と好奇心の両方から王に近づいたのです。
フォンタンジュ嬢も心から王を愛していましたが、
まるで自分が小説の主人公であるかのように
現実離れしたロマンチックな思いにひたっていました。
リュドル嬢も王を愛しましたが、まもなく王の方が飽きてしまいました。
モナコ夫人が王と床を共にしなかったとは断言できかねます。

モンテスパン夫人の時代には私は王の不興を買い、リュドル嬢の時には王とうまくいき、
その後またモンテスパン夫人が盛り返したので悪くなりました。
フォンタンジュ嬢の時はとても良い関係になり、
今のマントノン夫人になってからはずっと良くありません。

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マザラン枢機卿は妹二人が生んだ7人の姪をイタリアからフランスに呼び寄せた。
この7人の姪たちは「マザリネット」と呼ばれ、フランス宮廷で王侯貴族の注目を集めた。
マザリネットは全員色黒でギョロギョロした眼をしていたため、
とても美人とは呼べなかったが、陽気で遊び好きなイタリア女性は魅力に映ったらしく、
オランピアとマリーはフランス国王ルイ14世の愛人になり、
オルタンスはイギリス国王チャールズ2世の愛人になった。

全員が愛人だったわけではありませんが、せっかくなので全員ご紹介します。
★は愛人、☆は非愛人


<ラウラ・マルゲリータ・マツァリーノ伯爵夫人の娘たち>

☆アンナ・マリーア・マルティノッツィ コンティ公アルマンと結婚

☆ラウラ・マルティノッツィ モデナ公爵アルフォンソ4世と結婚


<ジェローラマ・マツァリーノ男爵夫人の娘たち>

☆ラウラ・マンチーニ 通称ロール 
ヴァンドーム公爵ルイ2世と結婚

★愛人オリンピア・マンチーニ 通称オランプ 
ソワソン伯爵ウジェーヌ・モーリスと結婚

★愛人マリーア・マンチーニ 通称マリー 
パリアーノ公爵ロレンツォ・オノフリオと結婚

☆オルタンス・マンチーニ 通称オルテンシア 
メユライ公爵アルマン・シャルルと結婚

☆マリーア・アンナ・マンチーニ 通称マリー・アンヌ 
ブイヨン公爵ゴドフロワ・モーリスと結婚


左から マリー・アンヌ マリー オルテンシア
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オルテンシアとマリー
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☆アンナ・マリーア・マルティノッツィ コンティ公アルマンと結婚
1637-1672 35歳没

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☆ラウラ・マルティノッツィ モデナ公爵アルフォンソ4世と結婚
1639-1687 48歳没

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☆ラウラ・マンチーニ 通称ロール ヴァンドーム公爵ルイ2世と結婚
1636-1657 21歳没

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★愛人オリンピア・マンチーニ 通称オランプ ソワソン伯爵ウジェーヌ・モーリスと結婚
1638-1708 70歳没

*彼女の子供のうち何人かはルイの子供だと言われている。
母妃アンヌ・ドートリッシュはソワソン伯爵と結婚させて彼女を宮廷から追い出した。

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★愛人マリーア・マンチーニ 通称マリー パリアーノ公爵ロレンツォ・オノフリオと結婚
1639-1715 76歳没

*マリーアは色黒で痩せぎす、マザリネットの中で一番不器量だった。
器量が悪い娘には高い持参金を付けなければならなかったので、
当時の親は修道院に入れてしまうのが常だった。

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マリーア・マンチーニ

7歳の時にすでに母は美しくない私に見切りをつけて、
カンポ・マルツィオ修道院に入るようにと勧めたのです。

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高い教育を受け教養ある少女だったマリーは、
年下のルイに文学・絵画・哲学その他の手ほどきをした。
ルイは真剣にマリーと結婚しようと考えていたため、
母妃アンヌ・ドートリッシュは彼女をイタリアへ嫁がせて宮廷から追い出した。

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☆オルタンス・マンチーニ 通称オルテンシア メユライ公爵アルマン・シャルルと結婚
1646-1699 53歳没

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☆マリーア・アンナ・マンチーニ 通称マリー・アンヌ 
ブイヨン公爵ゴドフロワ・モーリスと結婚
1649-1717 68歳没

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★愛人 イギリス王女/義妹 ヘンリエッタ・アン
1644-1670 26歳没

*父王チャールズ1世が清教徒革命で処刑されたため、
妻子は妻の実家フランスに亡命、ヘンリエッタも幼い頃からフランス宮廷で育つ。
国王ルイ14世の弟フィリップ1世と結婚するが、
同性愛者の夫は美しいヘンリエッタに見向きもしなかった。
同情した義兄ルイ14世と不倫関係になるが、
周囲の目をを欺くために自分の女官ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールを
ルイ14世の偽の愛人としてカムフラージュにした。
ところがそのうちルイ14世が本当にルイーズに恋してしまい、
もともと許されない関係であったヘンリエッタはあきらめざるを得なかった。

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★愛人ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール/ヴァリエール夫人 庶子4人
1644-1710 66歳没 
*愛人期間6年。

美しい肌ブロンドの髪青い目甘い笑顔柔らかで穏やかな女性だったといわれている。
彼女は両足の長さが違ったため特別に作らせた靴を履いていた。
これはルイーズの初めての真剣な愛であった。
彼女は王の愛に誠実で、信仰が篤く、浪費家ではなく、金や称号に関心がなかった。
また、愛人という立場に罪悪感を持ち続けてたルイーズは王妃に対しても謙虚に接した。
王妃は彼女を「ノルマンディーの野に咲く可憐なすみれのような人」と表現した。
しかし王の寵愛がモンテスパン夫人に移る。
モンテスパン夫人も自分の身のまわりの世話をさせるなどルイーズを女官のように扱った。
宮廷の愛憎劇に疲れたルイーズは宮廷を去ることを決意し、
戒律が厳しいことで知られるカルメル会の尼僧院の尼僧となった。
尼僧院の苦行に耐えられるかと尋ねられたルイーズは
「私が宮廷で受けた苦しみに比べたらどんな苦しみにも耐えられます」と答えた。
宮廷を去る日ルイーズは王妃の足元に身を投げ出して許しを請うた。
王妃はキスの祝福をし黒いヴェール与えた。
王妃は精神的な慰めと休息のために度々ルイーズの修道院で逗留した。
王妃が修道院を訪ねると粗末な衣を着た小柄な修道女が
洗濯籠を抱えてびっこを引きながら中庭を通っていった。
王妃はさめざめと泣いたという。
恋敵モンテスパン夫人ですらルイーズの元へ出かけ彼女に助言を求めている。
ルイーズは彼女を許し助言した。
36年間の信仰生活ののち修道院の墓地に埋葬された。

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★愛人モンテスパン夫人/フランソワーズ・アテナイス・ドゥ・モルトマール 庶子7人
1640-1707 67歳没

モルトマール公爵令嬢、モンテスパン侯爵と結婚して一男一女を生む。
モンテスパン夫人は王妃の女官で、ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールと親友でもあった。
野心家のモンテスパン夫人はなんとか国王の愛人になりたいと
以前から機会をうかがっていた。
豊かな金髪の巻き毛、青い瞳、なめらかな白い肌、真珠のような歯、小さく愛らしい唇、
金髪に青い瞳の豊満な美女で快活で才気があり優れた話術と機知と
辛辣なユーモアを持ったモンテスパン夫人に王は急速に惹かれていった。
そして彼女を愛人にする。
政治には関心がなかったが宮廷で絶大な権力を振るうようになった。
次々と貴族と恋愛を繰り返し彼らの子供を生んだ。
宮廷内で女王然とふるまうようになり金に糸目を付けず豪華な宝石やドレスを注文した。
外国の使節の中には影の薄いマリー・テレーズより
目立つモンテスパン夫人を王妃だと誤解する者までいた。
当然このような目に余る態度は王妃や宮廷の人々の怒りを買った。
モンテスパン夫人の天下は13年にも及んだ。
度重なる出産のせいでかつての美貌は失われビール樽のように太った。
感情を抑制できず怒鳴り散らし子供も生みっぱなしで愛情を注がなかった。
子供たちが病気になった時つきっきりで看病するのは後の愛人マントノン夫人であった。
ルイ14世の寵愛に翳りが見え始めた。モンテスパン夫人は黒魔術を信じていた。
恋のライバルを蹴落とすために黒魔術を使い続けた。
そこで王の寵愛を再び取り戻そうと黒魔術師のラ・ヴォワザンを訪れた。
モンテスパン夫人はラ・ヴォワザンと共に黒ミサを行なった。
黒ミサではモンテスパン夫人が祭壇に裸で横たわり、
身体に生贄になった胎児の血が注がれた。
しかしラ・ヴォワザン他360人もの黒ミサ参加者が逮捕された。
捜査が進むにつれモンテスパン夫人が顧客だった事が明らかになった。
黒ミサ事件は一大スキャンダルとなった。
かつてはモンテスパン夫人に溺れきっていた王も
この頃には嫉妬心やヒステリックな性格にうんざりして嫌気がさしてきていたが
今回の事件で完全に愛想をつかしてしまった。
モンテスパン夫人は宮廷を出て修道院に入った。
モンテスパン夫人の気が変わらないうちにと
王はその後すぐに彼女の部屋を別の者に与えたという。

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★愛人フォンタンジュ夫人/マリー・アンジェリク・ド・スコライユ
1661-1681 20歳没

王弟オルレアン公爵の後妻リーゼロッテの女官。
フォンタンジュ夫人はは美人で絵画などにもよく描かれた。
ところが彼女は頭が良いとは言えず見た目と会話のギャップに人々はあきれ果てた。
ルイはしばらくはフォンタンジュに夢中だったが早々に飽きてしまった。

王の子を何人も生んで容色が衰え始めていた40歳のモンテスパン夫人にとって
18歳の愛人は脅威であった。
モンテスパン夫人は6頭立ての馬車が自慢だったが
フォンタンジュ夫人の馬車は8頭立てで豪華な物だったのでくやしがった。
しかしフォンタンジュ夫人は流産を機に醜く変貌した。
絶望した彼女は宮廷を去って尼僧院へ入ったが半年後に死亡した。
前年にラ・ヴォワザン事件があったので、モンテスパン夫人が毒殺したという噂も流れた。
またフォンタンジュ夫人の女官デズイエ犯人説もある。
デズイエもルイの寵愛を受け数人の子供を生んでいるのである。
陰の存在からフォンタンジュに取って代わろうとしたが
王がデズイエの子供たちを認知しようとしなかったため恨んでいたという経緯があった。

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ルイ14世の義妹 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

フォンタンジュ嬢は思慮深くはありませんが、心優しく天使のように美しい人でした。
王が彼女を愛していた時には、彼女はいつでも私にそばにいてほしいと頼むので、
私も常に王のおそばにありました。

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★愛人マントノン夫人/フランソワーズ・ドービニェ ・スカロン
1635-1719 84歳没

皮肉にもマントノン夫人と王を引き合わせたのはモンテスパン夫人だった。
子供たちのためにつけた家庭教師がマントノン夫人だったのである。
子供たちのうち特に長男のメーヌ公爵を実子のように可愛がった。
マントノン夫人は貧しい家庭の出で、困窮した一家は西インド諸島に渡った。
帰国して<西インドの乙女>というふれこみで、
作家ポール・スカロンのサロンに出入りし始める。
スカロンは下半身不随で車椅子を使っていたが、
多くの文人や貴婦人が出入りする有名なサロンの主人だった。
夫42歳&妻17歳で結婚、夫50歳&妻25歳で死別、子供は無かった。
未亡人となった後はいつも黒いドレスに身を包み、胸に十字架を下げていた。
彼女は気性の激しかったモンテスパン夫人と違って
信仰厚く謙虚で穏やかな優しい性格の女性だった。
王は献身的なマントノン夫人に魅かれ彼女と政治、宗教、国家財政など
重要な問題について語りあった。
王は「マントノン夫人は愛することはどのようなことか知っている。
彼女に愛されることは大きな喜びとなるだろう」と言った。

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セヴィニエ侯爵夫人の手紙

王様はまったく新しい国をお見つけになりました。
気づまりやいざこざのない友情というものに魅せられておしまいになったようです。

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黒ミサ事件に関わったモンテスパン夫人は急速に評判を落とし
王の最後のお気に入りフォンタンジュ夫人は宮廷を去り、
王妃マリー・テレーズが亡くなった。
王とマントノン夫人は私的な結婚式を挙げた。
マントノン夫人はヴェルサイユ宮殿の王の部屋と同じ階に
極めて豪華な私室与えられ皆は驚いた。
王は毎日彼女と過ごすようになった。
75歳になっても性欲の衰えないルイ14世について
「王は毎日でも性の交わりをご所望です」と王の司祭にこぼすと
「神は陛下を罪の汚れからお救いになるためにあなたを選ばれたのです」と答えた。
物も言いようである。
ルイ14世の死後彼女は宮廷を去った。
摂政であるオルレアン公爵フィリップ2世は彼女に高額な年金を与えて彼女に敬意を表した。

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ルイ14世の義妹 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

老婆〔マントノン夫人〕は、
王家のすべての人々が国王の不興を買うように仕向けて楽しんでいます。
王太子妃もお可哀想です。老婆の策略で悪く思われるばかりです。
王太子妃が、病気の子供たちのそばにいてあげたいので
もう数日サン・クルーに留まりたい希望を述べられただけで、
国王のそばにいたくないからそう言うのだと非難されるのです。
そこで国王と一緒にヴェルサイユへお供しますと言うと、
今度は子供たちを愛していないから
病気の子供たちの心配を何もしないと言われる有り様です。
老婆はこれまで10回以上も王太子妃が私に逆らうように仕向けました。
王太子妃に、国王に良く思われたいなら私との友情を断つように強要しました。
大臣たちはみな老婆におべっかを使い、へつらっています。
理性ある者や誠実な者は悲しんでいます。
彼らは至る所に紛れ込んでいる密偵を恐れつつ、貧乏暮らしを余儀なくされています。
不満を抱いてはいますが、どうにもならないのです。

今朝マントノン夫人の死を知りました。
メーヌ公爵夫妻の逮捕がマントノン夫人に衝撃を与え、
それ以降彼女は一瞬たりとも平穏で楽しい時を過ごせませんでした。
メーヌ公爵と一緒に国を支配したいという夢が破れた怒りをおさめられず、
それがもとで病気になって亡くなったのです。
全能の神がマントノン夫人をこの世から取り去り、
フランス全土が魔物から解放されました。
でも、30年前でしたらどんなに良かったでしょうに。

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★愛人カトリーヌ・ベリエ
1614-1689 75歳没

*ルイ14世の乳母。初体験のお相手。

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★愛人ガブリエル・ドゥ・モルトゥマール/ティアンジュ夫人
1633-1693 60歳没

*モンテスパン夫人の姉

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★愛人カトリーヌ・シャルロット・ド・グラモン/モナコ公夫人
1639-1678 39歳没

オルレアン公妃アンリエッタ・アンの女官。
彼女は美貌と知性で名を上げ宮廷の男性たちの視線を惹きつけた。
情事を謳歌しすぎて「連発屋」と呼ばれた。
兄はハンサムでフランス宮廷でも名高かったギーシュ伯爵アルマン。
アルマンは
オルレアン公爵フィリップ1世&アンリエッタ・アン夫妻両方の愛人であった。

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★愛人 アンヌ・ド・ロアン/スービーズ公爵夫人
1641-1709 68歳没

*スービーズ男爵フランソワ・ド・ロアンの妻
妻の働きのお陰で男爵から公爵に出世する。

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★愛人Bonne de Pons/marquise d'Heudicourt
1641-1709 68歳没

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★愛人Isabelle de Ludres/marquise de Ludres
1642-1726 84歳没

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by xMUGIx | 2003-03-07 00:00 | フランス

ブルボン朝

◆国王ルイ14世
先代ルイ13世の子
1638-1715 5歳即位 76歳没

*イギリス国王チャールズ2世はイトコにあたる。

5歳で即位したため、母アンヌ・ドートリッシュが摂政となった。
しかし姑マリー・ド・メディシスの例を見てきた彼女は
ルイが成人すると政治からは一切身を引いた。

ルイは政治に無関心で寵臣や愛人に政治を委ねた。
パリから離れたヴェルサイユへ宮廷を遷したのも反乱を恐れてのことである。
ヴェルサイユ宮殿が完成し夜毎コンサート、オペラ、バレエ、芝居、舞踏会が催された。
ルイ14世が亡くなったとき国民は老王の死に歓喜し葬列に罵声を浴びせた。

ルイ14世は「歯はすべての病気の温床である」という説を唱える侍医によって
12回にわたる手術の末すべての歯を抜かれた。
しかも当時は麻酔もないため歯は麻酔なしで引き抜かれ
抜いた後は真っ赤に焼けた鉄の棒を歯茎に押し当て消毒とした。
歯の無いルイ14世は8時間以上かけてくたくたになるまで煮込んだ
ホロホロ鳥や雉などしか食べられなくなった。
また常に胃腸の調子が悪くトイレに頻繁に駆け込んだ。
時にはトイレから従臣たちに命令を下すこともあったという。
あまりにもトイレに行く回数が多かったため衣服にも悪臭が染み付いてしまっていた。
そのため従臣たちは香水を染み込ませたハンカチを鼻に当てて閣議に臨んだ。

*ルイ14世はバレエが大好きだった。
本人も15歳で舞台デビューし
バレエが現在のようなダンスとして体系づけられたの彼の功績である。

*かつらを着用する習慣はルイ14世時代に広まった。
父ルイ13世ははげ隠しのためにカツラを使用していたが
ルイ15世は背を高く見せるために使用した。
ルイ14世の身長は160センチしかなく
王としての威厳を演出するために20センチもあるカツラをかぶった。
さらに10センチのハイヒールを履いた。
外出時には、さらに大きな羽根のついた派手な帽子をかぶって大きく見せていた。

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■妻 マリー・テレーズ・ドートリッシュ←マリア・テレサ
スペイン国王フェリペ4世の娘
1638-1683 22歳結婚 44歳没

マリー・テレーズは異常に小柄で太っていた。
お菓子・ペット・小人の道化師・トランプ・礼拝にしか興味を示さなかった。
フランス語をマスターすることもできず、
フランス宮廷のエスプリの効いた会話にはついていけなかったため、
社交界では物笑いの種であった。

愛人モンテスパン夫人がルイに
「もっと王妃を大事にして差し上げて」と忠告したこともある。

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●子は王太子ルイ/グラン・ドーファン

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伯母と姪で姑と嫁
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マリー・テレーズは政治や文学に興味を持たず
同じスペイン・ハプスブルク家出身の姑アンヌ・ドートリッシュと共に
スペイン語でおしゃべりやトランプ遊びをして過ごした。
ルイ14世は多くの愛人を作ったが、
その存在を最後に知らされるのはマリー・テレーズ王妃であった。
「結婚してから一日だって幸せなことがあったかしら」と王妃は言った。

マリーテレーズはココア/チョコレート、道具一式をフランスにもたらした。
王妃は異常なココア/チョコレート好きで
「王とココア/チョコレートは我がただ二つの情熱」と述べた。
ただしココア/チョコレートのせいで虫歯だらけで口を開けると黒い歯が見えたそうだ。

でもルイ14世も若い時から歯が全部なかったんだから仲良くすればよかったのに。
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by xMUGIx | 2003-03-06 00:00 | フランス

ブルボン朝

国王ルイ13世の子供


●ルイ14世 次代国王

●フィリップ1世 オルレアン公爵
イギリス王女ヘンリエッタ・アンと結婚死別、
プファルツ選帝侯エリーザベト・シャルロッテと再婚




●ルイ 国王ルイ14世
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●フィリップ1世 オレルアン公爵
1640-1701 61歳没

*同性愛者で、女装好きで、賭博好き。
妻子には生活費を渡さず、
取り巻きには湯水のように金を使いっていつも借金で首が回らない。
複数の証言によると、女物のハイヒールを履いているので男性側のダンスが踊れず、
女性側のダンスを嬉々として踊っていたそうだ。

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サン・シモン公爵

王弟陛下は小柄でずんぐりしていて、
竹馬に乗っていると思われるほど高いヒールの靴を履き、
両手のどの指にも指輪が光り、数えきれないほどの腕輪をつけ、
他にもつけられるだけの装身具で身を飾り立て、
打ち粉を振った黒い大きなカツラをかぶり、そこらじゅうにリボンをつけている。


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フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

王と王弟は仲が良く、またこれほど異なる兄弟を見たことがありません。
王は背が高くブロンドまたはライトブラウンの髪をして男性的で立派なお顔です。
一方王弟は下品ではありませんが、小柄で髪も眉もみな真っ黒で、
大きな茶色の眼をして、細面で大きく長い鼻、小さな口、汚い歯をしていました。
大変女性的で乗馬も狩りも好まず、賭け事ばかりしてパーティーが趣味でした。
よく食べ飲み化粧し、一言で言えば女性が好む物すべてを好みました。
王の好みは、狩り・音楽・コメディでしたが、
王弟は大パーティーや仮面舞踏会が好きでした。
王は女性との恋愛遊戯を愛でましたが、
王弟は生涯に渡って恋などしたことがないと思います。


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■前妻 アンリエット・アンヌ・ダングルテール←ヘンリエッタ・アン・ステュアート
イギリス国王チャールズ1世の娘 イトコ結婚
1644-1670 26歳没

*チャールズ1世が清教徒革命で処刑されたため、
妻子は妻の実家フランスに亡命、ヘンリエッタも幼い頃からフランス宮廷で育つ。
国王ルイ14世の弟フィリップ1世と結婚するが、
同性愛者の夫は美しいヘンリエッタに見向きもしなかった。
同情した義兄ルイ14世と不倫関係になるが、
周囲の目をを欺くために自分の女官ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールを
ルイ14世の偽の愛人としてカムフラージュにした。
ところがそのうちルイ14世が本当にルイーズに恋してしまい、
もともと許されない関係であったヘンリエッタはあきらめざるを得なかった。

ヘンリエッタは腹いせに夫の愛人ギーシュ伯爵アルマンを愛人にするが、
フィリップの方は新しい愛人ロレーヌ公爵フィリップとその仲間たちを
館にまで連れ込んで妻の存在を無視して大騒ぎをした。
ヘンリエッタはルイ14世にこの苦境を訴えたため、
ルイはすぐにロレーヌ公爵を島送りにした。
ところがヘンリエッタが急死する。
ルイ14世はまたしてもフィリップを政略結婚させる。
再婚する条件としてフィリップが出した条件は、
ロレーヌ公を呼び戻して再び愛人とすることであった。

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■後妻 エリザベート・シャルロット・ド・バヴィエール 通称リーゼロッテ
←エリーザベト・シャルロッテ・フォン・デア・プファルツ
プファルツ選帝侯カール1世ルートヴィヒの娘
1652-1722 70歳没

政略結婚であることは仕方がないとしても、同性愛者として名高く、
前妻を毒殺したという噂まであるフィリップとの結婚が幸福であるはずがなく、
その苦しみの毎日をヨーロッパ中の家族親戚友人知人に手紙にして書きまくった。
その数6万通。膨大な書簡は現在当時の宮廷生活を知る貴重な資料となっている。

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フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

妊娠を心配しなくなってから、もうだいぶ経ちます。
娘の出産後、その危険はなくなったのです。
夫がベッドを別々にする提案をしたので、私は喜んでその申し出を受けました。
夫は眠っている時に身体に触れられるのをひどく嫌がり、
私が無意識に伸ばした足が夫に触れたりすると、
起されて30分も文句を浴びせられるのです。
ですから自分の部屋で一人で寝られれば、
文句も言われずベッドからも落ちず、うれしいことです。


*1701年6月9日フィリップ1世は亡くなる。
遺言には子供や孫はもちろん従者や小間使いに至るまで贈物が記されてあった。
ところが、妻であるリーゼロッテには何ひとつ遺さなかった。

私ほど哀れな者はいません。この結婚は私を乞食にしただけです。
夫は遺書の中で私に一言も触れていません。
しかも、夫は3人の若い取り巻き達に
毎年10万ターラーも与えていたという事実が発覚しました。
夫の頭の中には若い情人のことしかなく、一晩中彼らと食べ、飲み明し、
彼らのためならお金に糸目をつけず、高額のお金を与えるのです。
私が肌着やシーツが必要な時は、何日も何年も頼み続けなければならないのに、
お気に入りの情人が白いシャツが欲しいと言うと
惜しげもなく1万ターラーも与えるのです。


*リーゼロッテの高価な嫁入り道具、彼女の遺産60万リーヴル、
祖国からの彼女の年金4万リーヴル、これらすべてをフィリップ1世は賭け事で消費した。
そのうえ750万リーヴルもの負債を遺した。

結婚生活は幸福ではありませんでしたので再婚するつもりはなく、
生涯をここで終える決意です。
もう年ですし、何よりも地位にふさわしいお金がありませんから。
誰もそのような考えは頭はないようです。
国王にお金の無心をしたりせずに暮らせればどんなにいいでしょうか。
しかし現実は厳しく、私は乞食のように王にすがらなければ生きていけないのです。
国王が御厚意を示して下さる限りここに留まります。
そうでなくなったら、私の城モンタルジに引きこもると決めました。
残念ながら故郷の人々に会える可能性は二度とありません。


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●前妻の子 マリー・ルイーズ 
スペイン国王カルロス2世の前妻・本人死別

●前妻の子 アンヌ・マリー 
サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世と結婚

●後妻の子 フィリップ2世 
ルイ14世の庶子フランソワーズ・マリー・ド・ブルボンと結婚

●後妻の子 エリザベート・シャルロット 
ロレーヌ公爵レオポルト・ヨーゼフと結婚


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フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

私はマリー・ルイーズより9歳年上でしたので、娘というより妹のように愛しました。
私が嫁いできた当時はとても子供っぽく、一緒に遊び大騒ぎをしたものです。

童話に洗礼の時に妖精に様々な才能を贈られた話がありますが、
息子フィリップ2世もも同じです。
最初の妖精は美しくあるように、2番目は能弁さを、
3番目はあらゆる学芸を理解する才能を、
4番目はフェンシング・乗馬・ダンスの能力を、
5番目は軍事の才を、6番目は誰よりも豊かな心を贈りました。
しかし7番目の妖精は招かれなかったので腹を立て、
彼に与えられたものが何の役にも立たないようにしたのです。
つまり醜い歩き方や黒いヒゲ、しかめっ面を与え、
音楽・絵画・エッチングなど何をしても退屈し、
孤独を好み誠実な人々を嫌悪するように、また戦場においては不運に遭い、
放埓な生活を好み、良い友の忠告に聞く耳を持たないように呪ったのです。
その結果、息子は正しき人々と交わるよりも
娼婦や侍女たちと過ごすのを好むようになり、
自分の身分にふさわしく家を治めるよりも、
馬鹿げたことに耳を傾けるようになったのです。

娘エリザベートの顔はどちらかと言うと角張っています。美しさも並です。
眼は美しいですが、口はそれほどでもなく、鼻は小ぶりです。
でも分別はありユーモアのセンスに富んでいるので、
お目にかかる機会でもあれば楽しませることはまちがいありません。

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★オルレアン公爵と前妻両方の愛人 ギーシュ伯爵アルマン・ド・グラモン
1637-1673 40歳没

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★オルレアン公爵の愛人 フィリップ・ド・ロレーヌ 通称シュヴァリエ・ド・ロレーヌ
1643-1702 59歳没

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★オルレアン公爵の愛人 ヴェルマンドワ伯ルイ・ド・ブルボン
1667-1683 16歳没

*兄ルイ14世の庶子

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by xMUGIx | 2003-03-05 00:00 | フランス

ブルボン朝

◆国王ルイ13世
先代アンリ4世の子
1601-1643 9歳即位 42歳没

*ルイはチックをともなう神経症に悩んだ。結核で死亡。

9歳で即位したため、母マリー・ド・メディシスが摂政となった。
しかし成長してからも母が権力の座を譲る気配がないことに不信感を募らせたルイは、
レオノーラ夫妻を殺害し母を幽閉した。
脱出したマリーは息子に反旗を翻したが失敗し国外追放となった。

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■妻 アンヌ・ドートリッシュ←アナ・デ・エスパーニャ イトコ結婚
スペイン国王フェリペ3世の娘
1601-1666 14歳結婚 65歳没

異性であろうと同性であろうとセックス嫌いのルイは王妃に全く関心を示さなかったし、
実権を握る姑マリー・ド・メディシスからは無視された。
アンヌはフランス文化に慣れずスペインの習慣のまま生活を続けたが
人々は彼女の美しさには感嘆した。
夫は何年も妻に近づこうとはしなかった。
業を煮やした側近が王妃の寝室に彼を放り込んで後のルイ14世が生まれた。
結婚23年目のことであった。
それ故にルイ14世はルイ13世の子ではないという説もある。

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●ルイ14世
次代国王

●フィリップ1世 オルレアン公爵 
イギリス王女ヘンリエッタ・アンと結婚死別、
プファルツ選帝侯エリーザベト・シャルロッテと再婚




★王妃の愛人 バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズ
1592-1628 36歳没

アンヌはイギリス国王ジェームズ1世の「愛人」バッキンガム公と愛人関係になった。

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★王妃の愛人 マザラン枢機卿
1602-1661 59歳没

夫の死後は宰相マザラン枢機卿を愛人にした。

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★王の愛人 マリー・ド・オートフォール
1616-1691 75歳没

*ルイ13世は30歳の頃、リヨンで出会った美少女に一目惚れする。
ルイ13世にとって初恋だった。しかしセックス恐怖症だったルイ13世は、
何時間も狩猟の話を聞かせたり、マリーのためにジャム作りを始めたり、
二人の仲はなかなか進展しなかった。

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★王の愛人 ルイーズ・ド・ラファイエット
1616-1665 49歳没

*王妃を含む側近たちはルイ13世がとにかく女性に恋愛感情を抱いたことを喜び、
マリーの後釜としてルイーズを送り込んだ。
ルイ13世はルイーズを気に入ったが、何時間も歌を歌わせて眺めているだけだった。

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by xMUGIx | 2003-03-04 00:00 | フランス


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