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by xMUGIx
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ヴァロワ朝

◆国王アンリ3世●実子ナシ
先代シャルル9世の弟
1551-1589 22歳即位 38歳没 

*暗殺

即位したアンリ3世は母妃カトリーヌと共に国政を動かすこととなった。
母は彼を「愛らしいお目々ちゃん」と呼んで他のきょうだいが嫉妬するほど溺愛した。
青少年期の彼は子供たちの中で最も出来の良い息子と見られていた。
父や兄たちと違い彼は狩猟や運動にあまり関心を示さなかった。
彼は芸術と読書を楽しむことをより好んだ。

そして女装趣味があり同性愛者でもあった。あだ名は「ソドム閣下」
彼は衣装に凝り、厚化粧をし、香水の匂いをぷんぷんさせていた。
指輪やネックレス、イアリングで飾り立てていた。
国民からは「エルマフロディット(両性具有)の島の女国王」と呼ばれていた。
アンリ3世の宮廷では、男物の衣装は限りなく女性化され、
男性も子供に至るまで国王に倣った。 

アンリ3世は<ミニョン>という美青年たちをはべらせていたが、
ミニョンたちは女性的なタイプではなく、むしろたくましいタイプだった。
美貌も勇気も男気もある美少年たちを選りすぐり、
けばけばしい衣装に派手な化粧をさせた。
アンリ3世は彼らに称号を与え、領地を与え、年金を与え、役職を与え、
政治にも口出しをし始める。

国内はカトリックとプロテスタントの抗争で内戦状態にあった。
アンリ3世には嫡男がないため
フランスの王位継承者第一位はナヴァール国王アンリ4世であった。
しかしアンリ4世はプロテスタントであったため、
カトリック勢力はサン・バルテルミーの虐殺を先導したギーズ公爵アンリを支持した。
そこで信仰より王位の正当性を重視したアンリ3世はギーズ公爵を暗殺し、
ナヴァール国王アンリ4世を後継者に指名した。
そんな時アンリ3世の元に一人の僧侶がやってきた。
彼はカトリックの暗殺者だったのだ。
アンリ3世は腹を短剣で深く突き刺され絶命する。

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■妻 ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン
メルクール公爵ニコラの娘
1553-1601 22歳結婚 48歳没

アンリが秘かに憧れていた
コンデ公アンリの妻マリー・ド・クレーヴに似ていたことから妻にした。
しかし形ばかりの夫婦でロレーヌは鬱になっていった。
夫が暗殺されるとシュノンソー城に引きこもり居間を白と黒に塗らせ
死ぬまで白い喪服を着て城内をさまよい歩くようになり、「白い夫人」と呼ばれた。

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★愛人ルネ・ド・リュー 通称:美しきシャトーヌフ
1550-1586 36歳没

*男色にふけるアンリ3世を心配した母妃カトリーヌが、
自分が持つ300人の美女からなるくの一軍団<エスカロドン・ヴォラン>の最高の美女
ルネ・ド・リューを選んで息子に与えた。
目論見通り、アンリ3世はルネに溺れる。

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★憧れの人 マリー・ド・クレーヴ フランス国王アンリ4世のイトコ
クレーヴ=ヌヴェール公爵の娘/コンデ公爵アンリ1世の前妻
1553-1574 19歳結婚 21歳没

*アンリ3世は美貌で有名だった人妻マリーに一目惚れ、熱烈な崇拝を捧げる。
夫と離婚させて結婚しようとするがマリーの死亡によりかなわなかった。

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★愛人 ヴェロニカ・フランコ
1546-1591 45歳没
ヴェネツィアの高級娼婦

*アンリ3世はフランス国王になる前はポーランド国王だった。
ポーランド国王としてヴェネツィアに招待された時に知り合った愛人。
ヴェネツィアの高級娼婦の中でも最高の美人と謳われていた。

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★愛人Louise de La Beraudiere du Rouhet/La belle Rouhet
1530-1586 56歳没

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母カトリーヌ・ド・メディシスは息子アンリ3世が女に興味を持たないので苦労したというけど、
愛人に女性が多いのはどういうわけか?
ゲイでもバイでもなく、単なる女装趣味者だったんじゃないのか。
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by xMUGIx | 2003-02-17 00:00 | フランス

ヴァロワ朝

◆国王シャルル9世●実子ナシ
先代フランソワ2世の弟
1550-1574 11歳即位 24歳没

11歳で即位したため、母カトリーヌ・ド・メディシスが摂政となった。
幼少のころ結核に罹り病弱であった。
母は弟アンリを溺愛していたので、アンリに嫉妬を抱いて育つ。
血を見ると興奮するたちで、狩りで獲物を仕留めると嬉々として解体した。
また、貴族でも平民でも気に入った女は手当り次第強姦した。
しかしながら、シャルルは常に母妃カトリーヌ・ド・メディシスの影に怯え続け
母妃がサン・バルテルミーの虐殺を引き起こした時も眺めているしかなかった。

サン・バルテルミーの虐殺とは、
カトリックの妹マルゴ王女とプロテスタントのナヴァール王子アンリ4世の婚礼のために
パリに集まっていた何千人ものプロテスタントが虐殺された事件である。
シャルル9世はプロテスタントの愛人マリー・トゥーシェの影響もあり、
アンリ王子に随行してきたプロテスタント派のトップ ガスパール・ド・コリニーに心酔したため、
コリニーは宮廷で力を持つようになってしまった。
危機感を抱いた母妃カトリーヌは、
息子アンリ4世とギーズ公爵アンリに命じてコリニーを暗殺させる。
これにプロテスタント側が激怒、最初はプロテスタント側の幹部だけを標的としていた
カトリック側も方向転換を迫られ一般市民まで殺戮するに至る。
恐怖したシャルル9世は途中で何度も中止命令を出すが、
虐殺は全国に波及しパリで数千人、地方で数万人の国民が死んだ。
シャルル9世は虐殺事件のショックから抜け出せないまま2年後に急逝する。

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■妻 エリザベート・ドートリッシュ←エリーザベト・フォン・エスターライヒ
オーストリア皇帝マクシミリアン2世の娘
1554-1592 16歳結婚 38歳没

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★愛人マリー・トゥーシェ
役人ジャン・トゥーシェの娘
1549-1638 89歳没

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シャルルが秘かに憧れていた
兄嫁メアリー・ステュワートに似ていたことから愛人にした。
しかしマリーはプロテスタントだったため
危惧した母カトリーヌがオーストリアのエリザベートとの縁談を進めた。

エリザベートは無邪気なほど一途に夫を愛したが、
あまりにも子供っぽいあからさまな愛情表現は宮廷人の失笑をかった。
当時もっとも洗練されていたフランス宮廷では
このような素朴さは美徳ではなかったからである。
シャルルも新妻に飽きて再びマリーに溺れる日が続いた。

王妃は結婚から3年半で未亡人となった。二人の間に子供はなかった。
未亡人となったエリザベートに夫の弟アンリ3世が求婚したが
断って実家オーストリアに戻った。
その後再婚はしなかった。
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by xMUGIx | 2003-02-16 00:00 | フランス

ヴァロワ朝

◆国王フランソワ2世●実子ナシ
先代アンリ2世の子
1544-1560 15歳即位 16歳没 

15歳で即位したため、母カトリーヌ・ド・メディシスが摂政となった。
フランソワは長い間子供に恵まれなかったカトリーヌが授かった最初の男子であった、
先天性の耳鼻咽喉科系の持病を持っておりいつも耳の後ろ側から膿を吹き出し
口を半開きにしておりアデノイドの症状を表していたという。
狩猟の帰りに耳の後ろに鋭い痛みを訴えて倒れ侍医は中耳炎と診断し手術を提言したが
母カトリーヌ・ド・メディシスはこれを拒絶したため
中耳炎は彼の脳葉にまで達し脳炎を引き起こして急逝した。
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■妻 スコットランド女王メアリー・ステュアート
スコットランド王ジェームズ5世の娘
1542-1587 14歳結婚 45歳没

フランソワ王太子と結婚死別
→ダーンリー卿ヘンリー・スチュワートと再婚死別
→ボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーンと再々婚

メアリーは父王の死により生後6日でスコットランド女王に即位する。
舅アンリ2世はメアリーを「小さな女王ちゃん」と呼んで大いに可愛がった
メアリーはアンリ2世の王太子フランソワと結婚した。
アンリ2世が亡くなると王太子がフランソワ2世として即位しメアリーはフランス王妃となった。
しかしフランソワ2世は病死、結婚して2年、即位して1年の不幸だった。
姑カトリーヌ・ド・メディシスに嫌われていた彼女は宮廷に居場所を失い、
スコットランドに帰国した。

その後、結婚離婚不倫を繰り返し、処刑される。
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by xMUGIx | 2003-02-15 00:00 | フランス

ヴァロワ朝

国王アンリ2世の子供


●フランソワ2世 
次代国王

●エリザベート 
スペイン国王フェリペ2世の3/4番目の妻・本人死別

●クロード 
ロレーヌ公シャルル3世と結婚

●シャルル9世
次々代国王

●アンリ3世
次々々代国王

●マルグリット 
国王アンリ4世の前妻・離婚

●エルキュール・フランソワ
アランソン公爵・未婚

●庶子ディアーヌ・ド・フランス 
生母フィリッパ・ドゥーチ/フィリッピーヌ・デデュック 
カストロ公オラツィオ・ファルネーゼと結婚死別・フランソワ・ド・モンモランシーと再婚




●フランソワ2世 次代国王

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●エリザベート 
1545-1568 23歳没
スペイン国王フェリペ2世の3/4番目の妻・本人死別
1527-1598 71歳没

もともとエリザベートはフェリペ2世の息子ドン・カルロス王太子と結婚する予定だったが
ドン・カルロスが異常だったため父フェリペと結婚することになった。
スペイン宮廷はフランス風になり贅沢な遊びをし豪華な調度品に囲まれ
最新流行の衣装を着たイサベルの女官であふれていた。
おしゃれで浪費家のエリザベートは一度着たドレスは二度と着なかった。
フェリペは彼女に甘く贅沢三昧を許していたが死別した。

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●クロード 
1547-1575 28歳没
ロレーヌ公シャルル3世と結婚
1543-1608 65歳没

*クロードは生まれつきの背むしと内反足に苦しんだが、子供は7人も成人した。

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●シャルル9世 次々代国王

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●アンリ3世 次々々代国王

*兄シャルル9世と激しくいがみ合っていたが、シャルル9世の死により決着する

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●マルグリット 国王アンリ4世の前妻・離婚

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●エルキュール・フランソワ アランソン公爵
1555-1584 29歳没 未婚

*兄アンリ3世と激しくいがみ合っていたが、自分の死により決着する

*兄たちに負けず劣らず性格が悪く陰険で腹黒かったが、空いばりで馬鹿だった。

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●庶子ディアーヌ・ド・フランス 
生母フィリッパ・ドゥーチ/フィリッピーヌ・デデュック 
1538-1619 81歳没

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■前夫 カストロ公オラツィオ・ファルネーゼ 死別
1531-1553 22歳没

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■後夫 フランソワ・ド・モンモランシー
1530-1579 40歳没

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by xMUGIx | 2003-02-14 00:00 | フランス

ヴァロア朝

国王アンリ2世の愛人


★愛人ディアーヌ・ド・ポワチエ 20歳年上
1499-1566 67歳没

由緒ある名門ヴァレンティノ伯爵家の令嬢、
国王ルイ11世の娘アンヌ・ド・ボージューが開いていたサロンで学ぶ。
料理や家政の他に、ギリシャ語・ラテン語・薬学・哲学などを修得した。
16歳の時55歳のモーレヴリエ伯爵ルイ・ド・ブレゼと政略結婚。
娘を一人生んだ後、32歳で夫と死別。
ディアーヌは金髪に透き通る白い肌繊細な目鼻立ち小さな唇の持ち主。
未亡人となった時は黒と白からなるぴったりとしたシルエットの喪服を作らせた。
この喪服はたちまち貴婦人の間で流行した。

国王アンリ2世は不遇の幼少期を過ごした。
母クロードはアンリがまだ幼い頃に亡くなった。
アンリ王子は女官ディアーヌを母親のように慕った。
しかしアンリの不運はそれだけはなかった。
父フランソワ1世がスペインの捕虜になったときに人質交換として
兄フランソワ王太子とともにスペインで4年間も監禁生活を送った。
祖国フランスを懐かしむと同時に優しかったディアーヌの面影が脳裏から離れなかった。
無事釈放されてフランスに戻ってからも父は明るく快活な兄フランソワ王太子を可愛がり
フランソワが早逝すると王の愛情は弟シャルル王子に移った。
アンリは父から頑丈な肉体を母から繊細な心を受け継いだが
アンリは常に孤独であり自分を理解してくれる人を必要としていた。
アンリの教育係となり母のように優しい愛情で包んでくれる美しいディアーヌに
誰よりも安らぎを感じたのも無理もないことであった。

アンリは生涯ディアーヌだけを愛した。
どこへ行くにも戦地であってもディアーヌを連れてゆき
毎日顔を合わせているにもかかわらず恋文を送り続け豪華な贈り物の山を築いた。
ディアーヌと同じ色の服を着て1日の大半をディアーヌの部屋で過ごした。
戴冠式には自分とディアーヌのイニシャル組み合せたサインを縫い付けたマントを
纏って登場したのには各国大使も驚いた。
このサインは宮殿で働く者たちの制服にも付け個人用の便箋にも付けた。

ディアーヌは知性、政治的洞察力に優れておりアンリは多くのをディアーヌに任せた。
彼女はアンリのブレーンだった。
アンリ2世の子供たちはディアーヌの影響下に育ったとされ
フランソワ王太子妃スコットランド女王メアリー・ステュアートも彼女の影響を強く受けたという。

王の死後ディアーヌはアンリから贈られた宝石類と公的文書カトリーヌはディアーヌに、
公式書類を入れたアンリの引き出しの鍵をカトリーヌに返した。
カトリーヌはディアーヌに王から贈られたシュノンソー城とショーモン城を交換するように命じた。
ディアーヌがショーモン城に行ってみると、
カトリーヌが長年黒魔術の儀式をした跡が生々しく残っていた。
ディアーヌはこの城には二度と訪れることなく、自分の領地の城にひっそりと暮らした。

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★愛人ジャネット・ステュアート 通称:麗しのスコットランド女/la Belle Ecossaise
1520-1553 33歳没

スコットランド王ジェームズ4世の庶子。フレミング卿夫人。
姪のスコットランド女王メアリー1世の教育係で、
メアリーがフランソワ2世と結婚した際にともにフランスに渡った。
メアリーがアンリの嫡男フランソワ2世に嫁いだ時にフランスに渡った。
アンリの愛人となり男子を産むが
本妻カトリーヌ・ド・メディシスと愛人ディアーヌ・ド・ポワチエの怒りを買い、
すぐに子供とともにスコットランドに送り返された。

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★愛人フィリッパ・ドゥーチ/フィリッピーヌ・デデュック
1520-1586 66歳没

アンリが王太子の頃にミラノ公国攻略中に知り合い、ディアーヌ・ド・フランスを生む。
その後ジャン・ド・サン・セヴランと結婚。

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★愛人ニコル・ド・サヴィニー 通称:フォンテットの奥方/dame de Fontette
1535-1590 55歳没
ジャン・ド・ヴィル男爵未亡人

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by xMUGIx | 2003-02-13 00:00 | フランス

ヴァロワ朝

◆国王アンリ2世
先代フランソワ1世の子
1519-1559 28歳即位 40歳没

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■妻 カトリーヌ・ド・メディシス←カテリーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ
ウルビーノ公ロレンツォ2世・デ・メディチの娘
1519-1589 14歳結婚 70歳没

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アンリ2世は背が高く美男だったが、気難し屋で知られていた。
父王の身代わりとして兄と2人4年間もスペインで人質となっていたことによる。

唯一気を許したのは、後に愛人としたディアーヌ・ド・ポワチエ。
もともと王の家庭教師で、人質としてスペインに行く際にも見送り、
無事戻ってきた時も出迎えたのがディアーヌであった。

カトリーヌは生後まもなく両親を亡くしたためローマ教皇クレメンス7世が後見人であった。
クレメンス7世はカトリーヌをフランソワ王太子と結婚させたかったが
フランス側は「商家の娘」を王太子妃として迎えるのに難色を示し
二男の嫁に決まったという。
しかしフランソワ王太子が急死したためアンリ2世が即位する。
自分の夫を王座につけるために
カトリーヌが王太子に毒を盛ったのではないかという噂が立つ。
カトリーヌの黒い噂の始まりである。

彼女は小肥りでメディチ家特有のぼってりとした鼻と突き出した大きな目
唇は薄く締まりのない口元をした不細工な王妃であった。

アンリはカトリーヌが嫁ぐ前から家庭教師であった20歳も年上の
ディアーヌ・ド・ポワチエ夫人と長く愛人関係にあった。
カトリーヌにとってディアーヌはライバルであるとともに
押し付けがましい年上のイトコでもあった。
あらたに美しい妃が来るよりはカトリーヌのほうがましだと考えたディアーヌは
王妃に子供をプレゼントするために一計を案じた。
まず王に自分とギリギリまでセックスをさせフィニッシュを王妃で済ませるのだ。
王妃はこの屈辱的な方法で王子を生むことができた。

カトリーヌは嫉妬を病的にまで深く内向させてゆき魔術にのめり込むようになる。
魔術師や占星術師などいかがわしい人物を身近に置き黒ミサに凝るようになった。
かの有名なノストラダムスは彼女のお気に入りの一人だった。

エリザベート王女がスペイン王フェリペ2世と結婚した。
祝宴の際の馬上槍試合に参加した父王アンリ2世は
モンゴメリー伯の槍に目を貫ぬかれ死亡した。
カトリーヌはモンゴメリー伯を決して許さずイギリスに逃れていた彼を殺害させたという。

アンリが死んでカトリーヌは今まで溜まりにたまった嫉妬や屈辱を晴す時が来た。
カトリーヌは王がディアーヌに贈ったもののリストを作っており
王の死後直ちにディアーヌにその全ての返還を迫った。
さらに王の葬儀にも招かなかった。そして宮廷からディアーヌを追放した。
現代になってディアーヌの遺体を調べると高濃度の金と水銀が検出された。
ジエチルエーテルに塩化金を溶かした「金のエリクサー」による
金中毒で毒殺された可能性が高い。

次にカトリーヌは9歳で即位した息子のシャルル9世の摂政となり政治にも乗り出していった。
いったん堰を切って爆発したカトリーヌの鬱憤はもう止めようがなかった。
気に入らないことが少しでもあると容赦なく側近を鞭で打ったり
邪魔と思われる人物は毒殺・暗殺を平気でやってのけるような陰湿な人間になってゆくのである。
彼女は黒い喪服を着て修道女のような姿をしてストイックに陰謀にのめり込んだ。
300人の美女くの一軍団<エスカドロン・ヴォラン>を作り、
要人にあらゆるハニートラップを仕掛けた。

カトリーヌによって当時はフランスより先進国だったイタリアの文化がもたらされた。
アイスクリーム、マカロン、フォークやナイフ、バレエなどなど。 




●フランソワ2世
次代国王

●エリザベート 
スペイン国王フェリペ2世の計4回の3番目の妻・本人死別

●クロード 
ロレーヌ公シャルル3世と結婚

●シャルル9世 
次々代国王

●アンリ3世 
次々々代国王

●マルグリット 
国王アンリ4世の前妻・離婚

●エルキュール・フランソワ 
アランソン公爵・未婚

●庶子ディアーヌ・ド・フランス 生母フィリッパ・ドゥーチ/フィリッピーヌ・デデュックの子 
カストロ公オラツィオ・ファルネーゼと結婚死別・フランソワ・ド・モンモランシーと再婚




カトリーヌが作った300人の美女くの一軍団<エスカドロン・ヴォラン>の最大の成果は、
ブルボン兄弟に対するハニートラップである。
兄はヴァンドーム公爵アントワーヌ、弟はコンデ公爵ルイ1世、
プロテスタント陣営のトップの地位にあった。
しかし兄アントワーヌはナヴァール王国女王ジャンヌ・ダルブレと結婚して
プロテスタントに改宗したものの、軽佻浮薄で女好きだった。
一方弟のルイは猫背で不細工だったが、
頭の良さや豪胆さはプロテスタント陣営で最高の切れ者として通っていた。

そこでカトリーヌは<エスカドロン・ヴォラン>最高の美女
ルイーズ・ド・ラ・ベロディエールをアントワーヌに差し向けた。
ルイーズの魅力の虜となったアントワーヌは、
プロテスタントからカトリックに再改宗してしてしまう。
プロテスタントの総大将が信仰を捨て、
敵の陣営に寝返ってしまうという前代未聞のハニートラップが成功したのである。

次にカトリーヌは<エスカドロン・ヴォラン>の美女
マドモワゼル・ド・リムーユを弟ルイに差し向けた。
ルイもまたプロテスタント陣営を裏切り、カトリーヌ陣営に加わった。
しかしプロテスタント陣営も目には目を女には女という訳で、
妻を亡くしていたルイにプロテスタントの美女
ロングヴィル伯爵令嬢フランソワーズ・ド・ロングヴィルを紹介、
ルイはフランソワーズと再婚して、マドモワゼル・ド・リムーユを捨ててしまう。
カトリーヌは戻って来たマドモワゼル・ド・リムーユを
フィレンツェの裕福な銀行家に嫁がせてやり、彼女は贅沢三昧の生涯を送った。
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by xMUGIx | 2003-02-12 00:00 | フランス


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