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by xMUGIx
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カペー朝

◆国王ルイ7世
先代ルイ6世の子
1120-1180 17歳即位 60歳没

*修道院に育ち神への祈りと献身を何よりの生き甲斐とする物静かな王子であったが
兄のフィリップ王太子が早逝したため即位した。

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■妻 アリエノール・ダキテーヌ  アキテーヌ女公 離婚
仏語名 アリエノール/エレアノール 英語名 エレノア/エリナー
1122-1204 82歳没

*15歳でフランス国王ルイ7世と結婚、子供2人生み離婚、
30歳でイギリス国王ヘンリー2世と再婚、子供7人生み別居、82歳没。
フランス王妃とイギリス王妃になった稀有な女性である。

≪フランス王妃としてのアリエノール≫
アリエノールは最初フランス王太子ルイと結婚した。
ところが結婚当日父王ルイ6世が亡くなったため花婿はルイ7世として即位した。
アリエノールは結婚と同時にフランス王妃となったのである。
しかし今までルイを意のままに操っていた僧侶は王妃に強い警戒感を覚えた。
そこで毎晩夫婦のベッドからルイを連れ去ったため、
結婚15年で王女2人しか生まれなかった。
吟遊詩人の本場で、華やかな恋愛が華ひらくボルドーの宮廷で育ったアリエノールと、
修道院で育った敬虔で地味なルイは水と油、うまく行くはずのない夫婦であった。
アリエノールは「王と結婚したと思ったら僧侶だった」と述べた。

信仰心の厚いルイは十字軍に参加することになった。
宮廷恋愛に夢中なはずのアリエノールも同行すると言い出した。
しかし彼女は手に負えないお荷物であった。
アリエノールにとって物見湯山の旅行に過ぎず、
彼女の衣装、道具、女官だけで一部隊が編成され、行く先々で好き勝手に行動した。
そして夫の苦労も知らず敵対するイスラム軍のプリンスと恋愛した。
ルイは十字軍を中断して帰国するしかなかった。
そして二人は離婚した。


≪イギリス王妃としてのアリエノール≫
アリエノールはルイと離婚してわずか2ヶ月後に
11歳年下のイギリス王ヘンリー2世と再婚した。
これによりアリエノールの領土はイギリスの物になる。
実にフランスの1/3以上の土地がイギリスに渡ったのである。
元夫ルイに対するしっぺ返しである。
さらに毎年のように子供を生み、4男3女をもうけた。
文化の香り豊かな宮廷に育ったので、フランスでもイギリスでも芸術家たちを保護した。

結婚15年が過ぎた頃、ヘンリーが若くて美しいロザモンド・クリフォードを愛人にする。
アリエノールは子供たちを連れてさっさとアキテーヌに戻り夫と別居した。
そして息子たちを父親に造反させたため、夫に捕らえられ15年間幽閉された。
しかし15年後、息子たちが再度造反し勝利を収め解放された。
解放された時アリエノールは67歳になっていたが、体力も気力も少しも衰えていなかった。
次々と王位に就く息子たちを補佐し、
82歳で亡くなるまで<アンジュー帝国>の中枢に君臨した。

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■2番目の妻 コンスタンス・ド・カスティーユ 死別
カスティーリャ王アルフォンソ7世の娘
1136-1160 18歳結婚 24歳没

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■3番目の妻 アデル・ド・シャンパーニュ 20歳年下
シャンパーニュ伯ティボー2世の娘
1140-1206 20歳結婚 66歳没

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●アリエノールの子 マリー 
シャンパーニュ伯アンリ1世と結婚

●アリエノールの子 アリックス 
ブロワ伯ティボー5世と結婚

●コンスタンスの子 マルグリット 
イギリス国王若ヘンリーと結婚死別、ハンガリー王ベーラ3世と再婚

●コンスタンスの子 アリス
イギリス国王リチャード1世と婚約破棄、ポンチュー伯ギヨーム4世と結婚

●アデルの子    フィリップ2世 
次代国王

●アデルの子    アニェス 
東ローマ皇帝アレクシオス2世コムネノスと結婚死別、
同アンドロニコス1世コムネノスと再婚死別、
軍人テオドロス・ブラナスと再々婚
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by xMUGIx | 2003-01-06 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王ルイ6世
先代フィリップ1世の子
1081-1137 27歳即位 56歳没

継母にいじめられながら育つが、即位できた。

通称:肥満王。
若い頃は巨体で健啖家の肉体派だったが、40代からは馬に乗れないほど肥満していた。
慢性の肝臓病を患い、水腫に苦しみ、晩年は眠れないほどであった。
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■前妻 リュシエンヌ・ド・ロシュフォール 離婚●実子ナシ
モンテリ伯ギーの娘
1088-1137 16歳結婚 49歳没
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■後妻 アデル・ド・サヴォワ
サヴォイア伯ウンベルト2世の娘
1092-1154 23歳結婚 62歳没
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すべて後妻の子
●フィリップ 王太子 早逝
●ルイ7世 次代国王
●アンリ 聖職者
●ロベール
アニェス・ド・ギャルランと結婚、アルヴィズ・デヴルーと再婚、アニェス・ド・ボードモンと再々婚
●コンスタンス 
ブローニュ伯ウスタシュ4世と結婚死別、トゥールーズ伯レーモン5世と再婚
●フィリップ 聖職者
●ピエール 
エリザベート・ド・クルトネーと結婚
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by xMUGIx | 2003-01-05 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王フィリップ1世
先代アンリ1世の子
1052-1108 8歳即位 56歳没

*8歳で即位したため、母アンヌがフランス史上初の女性摂政となった。
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■前妻 ベルト・ド・オランド 幽閉のまま死亡
ホラント伯フロリス1世の娘
1055-1093 22歳結婚 38歳没
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■後妻 ベルトラード・ド・モンフォール 人妻
1070-1117 47歳没
19歳でアンジュー伯フルク4世と結婚、駆け落ち、22歳で国王フィリップ1世と再婚
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フィリップは40歳を過ぎてから不倫に走る。
相手はアンジュー伯フルク4世の妻ベルトラード、W不倫である。
ベルトラードは夫を捨てフィリップの元へ出奔し、フィリップはベルタを幽閉する。
ベルタは将来自分の息子が国王になるのも知らず死んでゆく。

美しく官能的なベルトラードにフィリップはすっかりのぼせ上がってしまった。
妻を寝取られたアンジュー伯はベルトラードを返すように要求。
教皇はこの事態に激怒しフィリップを破門した。
後に破門を解かれたが
フィリップとベルトラードが付いたり離れたりする度に破門が繰り返された。
繰り返される破門によりフィリップ1世の権威は失墜し、実権は王太子ルイに移った。
フィリップが亡くなると王太子ルイがルイ6世として即位したため、
失意のベルトラードは修道院に入った。


二人の妻とのスキャンダルを描いた絵
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●前妻の子 コンスタンス 
シャンパーニュ伯ユーグと結婚、アンティオキア公ボエモン1世と再婚
●前妻の子 ルイ6世 次代国王
●後妻の子 フィリップ
●後妻の子 フロリュス
●後妻の子 セシーリア 
ガリラヤ公タンクレードと結婚、トリポリ伯ポンスと再婚
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by xMUGIx | 2003-01-04 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王アンリ1世
先代ロベール2世の子
1008-1060 23歳即位 52歳没
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■前妻 マティルド・ド・フリーズ 死別
フリースラント辺境伯リウドルフの娘
1024-1044 10歳結婚 20歳没●実子ナシ
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■後妻 アンナ・ヤロスラヴナ
キエフ大公ヤロスラフ1世の娘
1024-1075 27歳結婚 51歳没
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*当時は7親等までの結婚は近親結婚とされたので、
どこかで必ず血の繋がりのあるヨーロッパの王室には適当な相手はいなくなってしまった。
そこでキエフまで花嫁を探して見つけてきたのがアンナである。
当時はフランスよりもキエフの方が国際的地位は高かった。
ブロンドの美しい女性であり、字も読めるインテリであるアンナに、
アンリはたちまち心を動かされた。
大量のビザンツ帝国の金貨を持参金に嫁いでくる。

*アンナはアンリ1世が亡くなるとすぐにヴァロワ伯ラウール3世と愛し合うようになり
それを隠そうともしなかった。
ラウールには妻がいたがアンヌと結婚した。
教皇はアンヌとラウールを破門した。
宮廷から遠ざけられた2人はそれでも睦まじく暮らした。
ラウールが亡くなるとアンヌは宮廷に戻った。
息子のフィリップ1世は母を許して迎えた。




すべて後妻の子
●フィリップ1世 次代国王
●ユーグ1世 
アデライード・ド・ヴェルマンドワと結婚
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by xMUGIx | 2003-01-03 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王ロベール2世
先代ユーグ・カペーの子
972-1031 24歳即位 59歳没

勉強に励み教養が高く信心深く、敬虔王とまで呼ばれたロベール2世だったが、
即位してすぐに女性問題でつまづく。
ブロワ伯ウード1世の未亡人と不倫関係になり、
妻ロザーラと離婚してベルトと再婚する。

しかしローマ教皇はこれを許さずロベール2世は破門されてしまう。
ロベール2世は表向きベルトと別れて破門を解いてもらうが、
隠れて同居を続けたため、破門と許しが繰り返される事態となる。

周囲に多大な迷惑をかけた再婚だったが、
ベルトに子供ができなかったため結局離婚、新妻コンスタンスと再々婚。
しかしコンスタンスは家庭ではわがまま放題、
政治にも口を出すという気性の激しいタイプで、
嫌になったロベール2世はコンスタンスと別れてベルトと復縁したいと
ローマ教皇に申し出るが、相手にされなかった。

長男のユーグが反乱を起こし、続いて二男アンリと三男ロベールも反乱を起こした。
息子たちと戦っている最中に戦死した。
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■最初の妻 ロザーラ・ディタリー バツイチ 離婚
イタリア王ベレンガーリオ2世の娘
937-1003 66歳没●実子ナシ

フランドル伯アルヌール2世の未亡人。
父王が多産であることを見込んで息子の妻とした。
父王の死後、2番目の妻ベルトと愛人関係となったため、ロザーラを離婚する。
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■2番目の妻 ベルト・ド・ブルゴーニュ バツイチ 離婚
ブルグント王コンラートの娘
964-1010 46歳没●実子ナシ
19歳でブロワ伯ウード1世と結婚
32歳でロベール2世と再婚離婚

ブロワ伯ウード1世の未亡人。
最初の妻を捨て、愛人関係にあったベルトと再婚したが、
マタイトコだったため教皇はこれを近親結婚として婚姻の無効を宣告した。
それでも同居を続けた二人に対して、神の怒りを恐れた家臣や召使までもが避け始めた。
さらにベルトとの間に子供ができなかったこともあってベルトを離婚する。
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■3番目の妻 コンスタンス・ダルル 幽閉のまま死亡
アルル伯ギヨーム1世の娘
986-1034 15歳結婚 48歳没

吟遊詩人を連れて嫁いできて恋の歌を歌わせたので、
風紀の乱れに宮廷の人々は眉をひそめた。
ロベールの子供はすべてコンスタンスが生んだ子であるが、
長男ユーグが早逝すると、
二男アンリは嫌いだから三男ロベールを即位させたいと言い出したが、
ロベールはこれを聞き入れずアンリを即位させた。
そこでロベールの死後アンリに反旗を翻したため、幽閉され死亡する。
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すべて3番目の妻の子
●アドヴィザ 
ヌヴェール伯ルノー1世と結婚
●ユーグ 王太子 早逝
●アンリ1世 次代国王
●アデル 
ノルマンディー公リシャール3世と結婚、フランドル伯ボードゥアン5世と再婚
●ロベール1世 
エリー・ド・サミュールと結婚離婚、エルマンガルド・ダンジューと再婚
●ウード
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by xMUGIx | 2003-01-02 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王ユーグ・カペー
ユーグ大公の子
938-996 49歳即位 58歳没

選挙によりユーグ・カぺーが国王に選ばれた。
カペー朝の始まりである。

ちなみにカペーとは俗人修道院長が羽織った丈の短い外套のことで
元はユーグ自身に付けられたあだ名であったが、後に家名となった。
ユーグ・カペーの末裔たちは白百合(フルール・ド・リス)を共通の紋章として用いている。
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■妻 アデライード・ダキテーヌ
アキテーヌ公ギヨーム3世の娘
945-1004 25歳結婚 59歳没
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●エドヴィジュ/アヴォワーズ
●ロベール2世 次代国王
●ジゼル
●アデル/アリックス
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by xMUGIx | 2003-01-01 00:00 | フランス


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