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by xMUGIx
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カテゴリ:フランス( 55 )

カペー朝

◆国王シャルル4世
先代フィリップ5世の弟
1294-1328 28歳即位 34歳没
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■最初の妻 ブランシュ・ド・ブルゴーニュ 幽閉のまま死亡●実子ナシ
ブルゴーニュ伯オトン4世の娘
1296-1326 11歳結婚 30歳没
姉ジャンヌはフィリップ5世王妃
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国王ルイ10世、国王フィリップ5世、国王シャルル4世の三人はテニスに夢中になりすぎて
妻たちを構わなかったため、
妻たちはネールの塔に学生や騎士たちを連れ込み不貞をはたらくようになった。
一代スキャンダルとなりルイ10世王妃、シャルル4世王妃は幽閉され、
二人の王妃を手伝っただけのフィリップ5世王妃は釈放された。
「ネールの塔事件」と呼ばれる。




■2番目の妻 マリー・ド・リュクサンブール 死別●実子ナシ
神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の娘
1304-1324 18歳結婚 20歳没
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■3番目の妻 ジャンヌ・デヴルー イトコ結婚
エヴルー伯ルイの娘
1310-1371 15歳結婚 61歳没
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●3番目の妻の子 ブランシュ オルレアン公フィリップと結婚
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by xMUGIx | 2003-01-15 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王フィリップ5世
先代ジャン1世の叔父
1292-1332 24歳即位 40歳没
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ルイ10世の王女ジャンヌ2世を次期国王として望む声があったが、それには問題があった。
王女ジャンヌ2世は王の子ではないという疑惑があったからである。

国王ルイ10世、国王フィリップ5世、国王シャルル4世の三人は
テニスに夢中になりすぎて妻たちを構わなかったため、
妻たちはネールの塔に学生や騎士たちを連れ込み不貞をはたらくようになった。
一代スキャンダルとなりルイ10世王妃、シャルル4世王妃は幽閉され、
二人の王妃を手伝っただけのフィリップ5世王妃は釈放された。
「ネールの塔事件」と呼ばれる。

結局ルイ10世の弟フィリップ5世が即位する。




■妻 ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ
ブルゴーニュ伯オトン4世の子
妹ブランシュはシャルル4世王妃
1292-1330 16歳結婚 38歳没

両親の死によりブルゴーニュ女伯兼アルトワ女伯となった。
夫の死後は宮廷を出て自分の領地で暮らした。
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●ジャンヌ 
ブルゴーニュ公ウード4世と結婚
●マルグリット 
フランドル伯ルイ1世と結婚
●イザベル 
ヴィエノワ領主ギグ8世と結婚
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by xMUGIx | 2003-01-14 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王ジャン1世
先代ルイ10世の子
1316-1316 0歳即位 0歳没

ルイ10世の死後生まれたため出生と同時に即位したが生後1週間もたたずに死去した。
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by xMUGIx | 2003-01-13 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王ルイ10世
先代フィリップ4世の子
1289-1316 16歳即位 27歳没
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■前妻 マルグリット・ド・ブルゴーニュ イトコ結婚 幽閉のまま死亡
ブルゴーニュ公ロベール2世の娘 
妹はフィリップ6世王妃ジャンヌ
1290-1315 15歳結婚 25歳没
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国王ルイ10世、国王フィリップ5世、国王シャルル4世の三人は
テニスに夢中になりすぎて妻たちを構わなかったため、
妻たちはネールの塔に学生や騎士たちを連れ込み不貞をはたらくようになった。
一代スキャンダルとなりルイ10世王妃、シャルル4世王妃は幽閉され、
二人の王妃を手伝っただけのフィリップ5世王妃は釈放された。
「ネールの塔事件」と呼ばれる。

夫婦の間にはジャンヌ王女がいたが彼女が王の子かどうかが強く疑われた。
この疑惑は王女に生涯つきまとうことになる。




■後妻 クレマンス・ド・オングリー
ナポリ王族カルロ・マルテッロ・ダンジョの娘
1293-1328 22歳結婚 35歳没
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●前妻の子 ジャンヌ 
エヴルー伯フィリップ3世と結婚
●後妻の子 ジャン1世 次代国王
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by xMUGIx | 2003-01-12 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王フィリップ4世 通称:端正王
先代フィリップ3世の子
1268-1314 17歳即位 46歳没

*猪狩りの最中に事故死

*長身・金髪・端正な顔立ちのため「ル・ベル」(端正王)と呼ばれた。
しかし極端に無口だったため「石像のようだ」とまで言われた。

テンプル騎士団を異端として弾圧・解体したため
後世に悪評を残すことになった。
十字軍の時代はキリスト教徒のエルサレム巡礼を警護するために
多数の修道士騎士団が結成されていた。
テンプル騎士団はそのなかで最も有力な騎士団で
ヨーロッパ各地に領地を持ち莫大な財産を築いていた。

ヨーロッパで預けた金を、中東で引き出すことができるという銀行業務や金貸しも行った。
フィリップ4世はこのテンプル騎士団に借金があったので
それを帳消しにしようと企んだのである。
フィリップはテンプル騎士団に同性愛集団であるとか悪魔崇拝をしているとの
汚名を着せて処刑し財産を没収した。

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死亡現場
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■妻 フアナ1世
ナバラ王エンリケ1世の娘
1271-1305 13歳結婚 34歳没
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●ルイ10世 フランス国王
●フィリップ5世 フランス国王
●シャルル4世 フランス国王
●イザベラ 
イギリス国王エドワード2世と結婚




●イザベラ
1284-1327 13歳結婚 43歳没
イギリス国王エドワード2世と結婚

エドワード2世は
皇太子として初めて<プリンス・オブ・ウェールズ>を名乗った人物である。
先代エドワード1世が初めてウェールズを併合したので、
皇太子に<プリンス・オブ・ウェールズ>の称号を与えたからである。
しかしながら、後にエドワード2世は、イギリス史上最悪の愚王と呼ばれようになる。

その美しさから「佳人イザベラ」と呼ばれた15歳の王妃が
後に「フランスの雌狐」と呼ばれるまでになってしまった原因は夫にある。
エドワードは結婚前から男性の学友ピエール・ギャヴスタンを愛人にしていた。
ギャヴスタンは、頭の回転が速く頓智がきき、軽口や悪ふざけでエドワードを楽しませた。
案じた父エドワード1世がギャヴスタンを国外追放にしたほどである。
しかし自分が即位するや否や彼を呼び戻し、
自分の姪/妹ジョアンの娘マーガレットと結婚させ、
王の長男にのみ与えられるコーンウォール公爵の爵位を与えた。
イギリス人の度肝を抜いたほどのイザベラの豪華な山のような嫁入り道具も、
ギャヴスタンにプレゼントしてしまった。
そしてギャヴスタンと二人で王妃に数々の嫌がらせをした。
これにはフランス宮廷も激怒しギャヴスタンはイギリスの反国王派に暗殺される。

ギャヴスタンが暗殺されてから半年後、イザベラはエドワード皇太子を生む。
しかし悪夢再び、エドワードは
大ヒュー・ド・スペンサーと小ヒュー・ド・スペンサーの父子を愛人にした。
エドワードはイザベラをロンドン塔に幽閉した。
そこで王妃は反国王派のマーチ伯爵ロジャー・モーティマーと出会う。
イザベラにフランスの兄シャルル4世に表敬訪問する任務が与えられた。
このチャンスに彼女はエドワード皇太子を連れて渡仏した。
そこで亡命していたモーティマーと再会し愛人関係になる。

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★王妃の愛人ロジャー・モーティマー
1287-1330 43歳没


イザベラとモーティマー
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捕まった国王
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イザベラとモーティマーは軍を率いてイギリスに上陸。
国王は幽閉され、スペンサー父子が処刑された。
そして皇太子がエドワード3世として即位した。
ちなみにスペンサー父子はダイアナ妃の祖先である。


処刑されるスペンサー
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しかしイザベラとモーティマーの横暴は目に余るようになり
国民からも強い不満が噴き出すようになった。
エドワード3世は父王のようになるのを恐れてモーティマーを処刑し母を幽閉した。
幽閉は28年に及んだが贅沢三昧で、狩り・トランプなどに明け暮れた。
エドワード3世もしばしば母妃を訪問した。
亡くなったイザベラは遺言通り愛人モーティマーの眠る僧院へ埋葬された。
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by xMUGIx | 2003-01-11 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王フィリップ3世
先代ルイ9世の子
1245-1285 25歳即位 40歳没
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■前妻 イザベル・ダラゴン 死別
アラゴン王ハイメ1世の娘
1247-1271 15歳結婚 24歳没
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■後妻 マリー・ド・ブラバン
ブラバンド公アンリ3世の娘
1254-1321 20歳結婚 67歳没
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●前妻の子 フィリップ4世 次代国王
●前妻の子 シャルル 
マルグリット・ダンジューと結婚死別、
カトリーヌ1世・ド・クルトネーと再婚死別、
マオー・ド・シャティヨンと再々婚
●後妻の子 ルイ 
アルトワ伯族のマルグリットと結婚
●後妻の子 ブランシュ 
ボヘミア王ルドルフ1世と結婚
●後妻の子 マルグリット 
イギリス国王エドワード1世の後妻
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by xMUGIx | 2003-01-10 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王ルイ9世
先代ルイ8世の子
1214-1270 12歳即位 56歳没

*天使のような顔に鳩のような目を持つと言われたルイ9世は、
神経質で怒りっぽく、自分にも他人にも厳しいタイプだった。
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■妻 マルグリット・ド・プロヴァンス
プロヴァンス伯レーモン・ベランジェ4世の娘
1221-1295 13歳結婚 74歳没

12歳で即位したため、母ブランシュが摂政となった。
祖母アリエノールや母エレオノール譲りの政治力で見事に統治したのは良いが、
息子ルイ9世の私生活にまで干渉した。要するに嫁姑問題である。

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ルイ9世に仕えた騎士の証言

母妃は夜のとばりが下りて床に就くというならやむを得ないとして、
それ以外の時間に息子が嫁と一緒にいることは許せないととにかく邪魔をした。
王の部屋は上階に王妃の部屋は下階にあったので、二人は階段で会うことにし
母妃が近づくと合図をするように守衛と打ち合わせていたものである。

ある時、産後の肥立ちが悪くて、王妃が瀕死の状態になった。
王は王妃のそばから離れなかった。すると母妃がやってきて
息子に「来なさい。ここにいてもすることなどないでしょう」と言った。
息子の手をつかみ、そのまま連れて行こうとするのを見て
「お義母様は私が死ぬかもしれない時ですら夫の顔を見せて下さらないのですね」
と叫んで気絶した。持ち直すには大変な苦労を要したものだった。

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●イザベル 
ナバラ王テオバルド2世と結婚
●フィリップ3世 次代国王
●ブランシュ 
カスティーリャ皇太子フェルナンド・デ・ラ・セルダと結婚
●マルグリット 
ブラバント公ジャン1世と結婚
●ロベール 
ブルゴーニュ公族ベアトリスと結婚
●アニェス 
ブルゴーニュ公ロベール2世と結婚
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by xMUGIx | 2003-01-09 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王ルイ8世
先代フィリップ2世の子
1187-1226 36歳即位 39歳没

*文武両道で、身体が大きく、見栄えもよく、馬上槍試合の名手でもあった。
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■妻 ブランシュ・ド・カスティーユ
カスティーリャ王アルフォンソ8世の娘
1188-1252 12歳結婚 64歳没

政略結婚ではあったが二人は非常に仲睦まじい夫婦になった。
ブランシュは行動力あふれるエネルギッシュな女性であったが、
文芸を愛する豊かな教養を持ち信仰心も厚かった。
やがて彼女は祖母アリエノールや母エレオノールと同じように
政治に影響を及ぼすようになる。
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●ルイ9世 次代国王
●ロベール 
ブラバント公女マティルドと結婚
●アルフォンス 
トゥールーズ女伯ジャンヌと結婚
●シャルル 
ベアトリス・ド・プロヴァンスと結婚死別、マルグリット・ド・ブルゴーニュと再婚
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by xMUGIx | 2003-01-08 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王フィリップ2世
先代ルイ7世の子
1165-1223 15歳即位 58歳没

*ハゲて赤ら顔、酒飲みかつ大食いで精力的だった。

*ルイ7世と離婚してイギリス国王ヘンリー2世と再婚したアリエノールが
持参したアキテーヌの領土はフランスの1/3にあたる広さであった。
ところがアリエノールの息子ジョン国王が
フランスの領主ユーグ10世の婚約者であるイザベラに一目惚れして略奪結婚した。
そこでフィリップ2世はジョン国王に戦いを挑んだ。
しかしジョン国王にはフランスと戦う勇気はなくフランスにあった領土を失った。
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■最初の妻 イザベル・ド・エノー 死別
エノー伯ボードゥアン5世の娘
1170-1190 10歳結婚 20歳没
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■2番目の妻 アンジュビュルジュ・ド・ダヌマルク←インゲボルグ 幽閉●実子ナシ
デンマーク王ヴァルデマー1世の娘
1175-1236 18歳結婚 61歳没

美しく気立ての良い女性だったが、なぜか王はこの妻が気に入らず、
彼女を幽閉して新しい女性と再々婚した。
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■3番目の妻 アニェス・ド・メラニー
メラーノ公ベルトルト4世の娘
1180-1201 16歳結婚 21歳没

3番目の妻を迎えるが、幽閉されたインゲボルグの実家デンマーク王家が
ローマ教皇に訴えたためフィリップ2世は破門されてしまう。
破門を解いてもらうためにあれこれしている間にアニェスが亡くなったため、
結局インゲボルグを再び王妃の座に就けて丸く収まった。
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●最初の妻の子 ルイ8世 次代国王
●3番目の妻の子 マリー 
ナミュール伯フィリップ1世と結婚死別、ブラバント公アンリ1世と再婚
●3番目の妻の子 フィリップ 
ダンマルティン伯女マティルドと結婚
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by xMUGIx | 2003-01-07 00:00 | フランス

カペー朝

◆国王ルイ7世
先代ルイ6世の子
1120-1180 17歳即位 60歳没

*修道院に育ち神への祈りと献身を何よりの生き甲斐とする物静かな王子であったが
兄のフィリップ王太子が早逝したため即位した。

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■妻 アリエノール・ダキテーヌ  アキテーヌ女公 離婚
仏語名 アリエノール/エレアノール 英語名 エレノア/エリナー
1122-1204 82歳没

*15歳でフランス国王ルイ7世と結婚、子供2人生み離婚、
30歳でイギリス国王ヘンリー2世と再婚、子供7人生み別居、82歳没。
フランス王妃とイギリス王妃になった稀有な女性である。

≪フランス王妃としてのアリエノール≫
アリエノールは最初フランス王太子ルイと結婚した。
ところが結婚当日父王ルイ6世が亡くなったため花婿はルイ7世として即位した。
アリエノールは結婚と同時にフランス王妃となったのである。
しかし今までルイを意のままに操っていた僧侶は王妃に強い警戒感を覚えた。
そこで毎晩夫婦のベッドからルイを連れ去ったため、
結婚15年で王女2人しか生まれなかった。
吟遊詩人の本場で、華やかな恋愛が華ひらくボルドーの宮廷で育ったアリエノールと、
修道院で育った敬虔で地味なルイは水と油、うまく行くはずのない夫婦であった。
アリエノールは「王と結婚したと思ったら僧侶だった」と述べた。

信仰心の厚いルイは十字軍に参加することになった。
宮廷恋愛に夢中なはずのアリエノールも同行すると言い出した。
しかし彼女は手に負えないお荷物であった。
アリエノールにとって物見湯山の旅行に過ぎず、
彼女の衣装、道具、女官だけで一部隊が編成され、行く先々で好き勝手に行動した。
そして夫の苦労も知らず敵対するイスラム軍のプリンスと恋愛した。
ルイは十字軍を中断して帰国するしかなかった。
そして二人は離婚した。


≪イギリス王妃としてのアリエノール≫
アリエノールはルイと離婚してわずか2ヶ月後に
11歳年下のイギリス王ヘンリー2世と再婚した。
これによりアリエノールの領土はイギリスの物になる。
実にフランスの1/3以上の土地がイギリスに渡ったのである。
元夫ルイに対するしっぺ返しである。
さらに毎年のように子供を生み、4男3女をもうけた。
文化の香り豊かな宮廷に育ったので、フランスでもイギリスでも芸術家たちを保護した。

結婚15年が過ぎた頃、ヘンリーが若くて美しいロザモンド・クリフォードを愛人にする。
アリエノールは子供たちを連れてさっさとアキテーヌに戻り夫と別居した。
そして息子たちを父親に造反させたため、夫に捕らえられ15年間幽閉された。
しかし15年後、息子たちが再度造反し勝利を収め解放された。
解放された時アリエノールは67歳になっていたが、体力も気力も少しも衰えていなかった。
次々と王位に就く息子たちを補佐し、
82歳で亡くなるまで<アンジュー帝国>の中枢に君臨した。

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■2番目の妻 コンスタンス・ド・カスティーユ 死別
カスティーリャ王アルフォンソ7世の娘
1136-1160 18歳結婚 24歳没

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■3番目の妻 アデル・ド・シャンパーニュ 20歳年下
シャンパーニュ伯ティボー2世の娘
1140-1206 20歳結婚 66歳没

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●アリエノールの子 マリー 
シャンパーニュ伯アンリ1世と結婚

●アリエノールの子 アリックス 
ブロワ伯ティボー5世と結婚

●コンスタンスの子 マルグリット 
イギリス国王若ヘンリーと結婚死別、ハンガリー王ベーラ3世と再婚

●コンスタンスの子 アリス
イギリス国王リチャード1世と婚約破棄、ポンチュー伯ギヨーム4世と結婚

●アデルの子    フィリップ2世 
次代国王

●アデルの子    アニェス 
東ローマ皇帝アレクシオス2世コムネノスと結婚死別、
同アンドロニコス1世コムネノスと再婚死別、
軍人テオドロス・ブラナスと再々婚
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by xMUGIx | 2003-01-06 00:00 | フランス


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