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by xMUGIx
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カテゴリ:ロシア( 47 )

ロマノフ朝

★ラスプーチン グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン
1869-1916 47歳没


■妻 プラスコヴィア・ヒョードロヴナ・ドゥボローヴナ 2歳年上


●ドミトリー
●マリア マトリョーナ
●ヴァーラ ワルワーラ


*暗殺

*もとシベリアのトボリスク県ポクロフスコエ村の農民。
20歳で結婚したが、妻と3人の子供を残して突然出家。
2年の巡礼の間に各地で様々な宗派の人々の思想を吸収する。
その後は各地を旅する合間にポクロフスコエ村に立ち寄るという生活を続けていた。
1902年ペテルブルクに滞在中、ニコライ2世の親類に紹介され熱狂的な支持を得る。
1905年ペテルブルグに定住したラスプーチンは
たちまち評判となり社交界にも出入りし始め、ニコライ2世に紹介される。

*ニコライの日記にはラスプーチンが90回近登場する。

*第一次世界大戦中の1年半の間にアレクサンドラがニコライに送った手紙の中には、
ラスプーチンの名が150回以上登場する。

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アレクサンドラ皇后からラスプーチンへの手紙

熱愛する忘れがたい私の先生、救助者へ。
あなたがそばにいないと私はどんなに苦しいことでしょう。
先生が私のそばいる時だけ、私は安らぎ休息できます。
私はあなたの手にキスをして、私の頭をあなたの聖なる肩にもたれさせたい。
そうすれば私の気持ちはどんなに楽になることでしょう。
私は一つのことを願います。
あなたの肩、あなたの抱擁の中で永遠の眠りにつきたい。
あまたはどこにいるのですか、どこに飛び去ったのですか。
私は苦しく、心はふさいでいます。なるべく早く来て下さい。待ち焦がれています。
あなたの聖なる同意を願い、あなたの聖なる手にキスをします。
永遠にあなたを愛するママより。


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皇后の姉 エリザヴェータ・フョードロヴナ大公妃

ラスプーチンが私生活においては
皇帝の宮殿にいる時とまったく違ったように振る舞っている
という噂が私の元に届いた時、私は妹にその事を警告しました。
しかし妹はこういった噂を信じず、
敬虔な人生を送る人々に常につきまとう中傷とみなしていました。


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皇帝一家の家庭教師 ピエール・ジリャール

彼の予言の言葉は、単に皇后自身の秘められた願いを言明しただけのものだった。
彼女の個人的な願いがラスプーチンを通過する事によって、
彼女の目の前で神の啓示としての力と権威を得たのだ。


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農民時代のラスプーチン 子供たちと
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皇帝一家に囲まれる囲まれるラスプーチン
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皇帝一家とラスプーチン
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★アンナ・ヴィルボヴァ/旧姓アンナ・タネーエヴァ
1884-1964 80歳没

*アンナの父アレクサンドル・タネーエフは、皇帝直属官房長官を務めていた。

*ラスプーチンに負けず劣らずニコライの日記に登場するのが、アンナ・タネーエヴァ。
アンナは1904年にアレクサンドラの女官となり、皇帝夫妻とラスプーチンの仲を取り持っていた。
宮殿にラスプーチンを頻繁に呼ぶのは周囲がうるさいので、
時々は皇帝夫妻はアンナの家を利用してお忍びでラスプーチン会っていた。
1907年に軍人アレクサンダー・ヴィルボフと結婚するが翌年に離婚、
1909年以降もアレクサンドラとアンナの密着は続き、同性愛が疑われるほど
アンナと引き離さなければアレクサンドラの精神状態は治らないと言われるほどになっていた。

*アンナは「別れた夫ヴィルボフは精神病と診断されて治療のためスイスに送られ、
その後一度も会っていない」とロシア革命以降さかんに宣伝したが、
彼は新しい家庭を持ち、領地で平和に暮らし、地元の名士として尊敬された。

*アンナはロシア革命後はちゃっかりと亡命に成功し、
自分に都合良く美化した回想録を出版した。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アンナはペテルブルクによくいるまぬけな良家の子女で、不器量で不格好、
生焼けのビスケットみたいに取り柄がなく、
皇后に一目惚れしてうっとりとした熱いまなざしを投げため息をつくような若い女だった。
丸ぽちゃの赤ら顔に、服装は上から下までひらひらした毛皮に覆われていた。


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ニコライ2世のイトコ マリア・パヴロヴナ大公女 

マダム・ヴィルボヴァは彼女なりに誠実一筋に皇后に仕えていたが、
なにぶん諸事万般に知識が浅かった上、
ラスプーチンに捧げる盲目的な崇拝が仇となって人々の尊敬を集めていなかった。


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ラスプーチンの信者 歌手 アレクサンドラ・ベリング

私はある音楽会でアンナと知り合いました。
彼女は結婚したばかりで幸せそうでした。
彼女の夫は海軍の人で黒髪で丸顔、
妻のかたわらを離れずその目をじっとのぞき込んでいました。
彼女は際限なく笑い転げ、こちらもつられて笑ってしまうほどだったのです。
でも彼女は確かに陽気で声は優しく笑顔も愛らしく善良そうな目をしていましたが、
なんだか心からの気持ちというか
要するに本当に信じてもいいという気持ちを抱かせるものが感じられなかったのです。


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ヴェーラ・レオニードヴナ

アンナは自分の事はほとんど語らず、たまに語っても滑稽な事ばかりでした。
自分の事を茶化す事ができるのは利口な人だけだと言いますけど、彼女は利口でした。
それに彼女は大変な演技者でした。彼女はラスプーチンのすべての政治ゲームに参加し、
大臣達を任命したり追放したり宮廷の複雑きわまる陰謀を操っていたくせに、
自分をまったく無邪気なロシア娘と見せかける術も心得ていたのです。


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アンナとラスプーチン
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左から アレクサンドラ アンナ オリガ
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左から アンナ タチアナ アレクサンドラ オリガ
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アンナとアレクサンドラ
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アンナとアレクサンドラ
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アンナとアレクサンドラ
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アンナとアレクサンドラ
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*アレクサンドラにとって、
ラスプーチンはカウンセラー、アンナはカウンセラーの指示に忠実なナースのような存在で、
この両輪が絶対に必要だったのであろう。
晩年のニコライはもはや息子の健康のためというよりは、
妻の精神の安定のためにこれを黙認していたように感じられる。
ロシア革命後の幽閉先ではラスプーチンもアンナもいないにも関わらず、
アレクサンドラの不定愁訴は消えている。
アレクサンドラにとっては大ロシアの皇室よりも、
幽閉先で夫と子供たちと密接に暮らす家庭の方が彼女の理想に近かったのだろう。


幽閉先でのアレクサンドラ
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幽閉先でのニコライ2世
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by xMUGIx | 2008-01-27 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

皇帝ニコライ2世の子供


●オリガ 未婚
●タチアナ 未婚
●マリア 未婚
●アナスタシア 未婚
●アレクセイ 皇太子 血友病 未婚



*全員ロシア革命で処刑される


*四姉妹は頭文字を取って<OTMA>という共同の名前を使う事もあった。
上2人、下2人がそれぞれ仲が良かった。


*四姉妹はコティの香水を使っていた。
オリガは<ローズ・テ>タチアナは<ジャスミン・ド・コルス>
マリアは<リラ>アナスタシアは<ヴァイオレット>を愛用していた。




●オリガ
1895-1918 23歳没

*髪は金色、目は青色、健康的な肌色に、平均よりやや背が高かった。

*性格は父帝に一番似ていると言われ、家庭的なことよりも読書や勉強の方を好んだ。

*気丈でもあり、16歳で軽騎兵連隊の名誉連隊長となり陸軍の観閲式にも参加した。

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●タチアナ
1897-1918 21歳没

*髪は赤褐色、目は濃い青灰色、細身で背が高かった。

*性格は母妃に一番似ていると言われ、家政を取り仕切ることを好んだ。

*母妃と仲が良く、姉妹達の家庭教師の役割を果たした。

*公式の場ではタチアナの方が姉オリガより立ち勝っていた。
「ひと目見ただけで彼女は皇帝の娘だと誰でもわかる風情があった」と言われた。

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●マリア 
1899-1918 19歳没

*髪は明るい茶色、目は大きく青色、バラ色の頬に、肉づきの良い体型だった。

*姉妹の中で一番美人で性格は庶民的で陽気、
早く結婚して子供をたくさん持ちたいと夢見ていた。

*姉妹の中で弟アレクセイの面倒を一番みた。

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●アナスタシア 
1901-1918 17歳没

*髪は赤味がかった金色、目は明るい青色、背は低くずんぐりしていた。

*勉強は不得意だが、物真似が得意で外国語はすぐマスターした。

*機知に富み生意気で悪戯好きで、
家族がつけたあだ名は<シュヴィブジック>(小さな悪魔)

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●アレクセイ 皇太子 血友病
1904-1918 14歳没


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皇帝一家のフランス語の家庭教師 ピエール・ジリャール 

年の割には背が高く、面長で繊細な顔立ち、銅色の混じったとち色の髪、
母親似の灰色がかった大きな眼をしていた。
この少年は機知に富み、鋭い洞察力を備えていた。
年に似合わぬ質問をして私を驚かせたが、
それは彼が繊細で感受性豊かな事を示していた。

アレクセイは生活を充分楽しみ、病床にない時ははしゃぎ回る子だった。
彼の好みは単純であったが、皇太子であるため、
何でも満足するまで要求できたし、足りないと思う物は何も無かった。
家庭の中では姉達の言う事に従っていたが、
家庭の外では自分の方が姉達より上の人物である事をよく知っていた。

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左から マリア タチアナ アナスタシア オリガ アレクセイ
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左から タチアナ アナスタシア アレクセイ マリア オリガ
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左から オリガ タチアナ アナスタシア マリア 手前は母
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左から オリガ マリア アレクセイ アナスタシア タチアナ
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左から マリア タチアナ アナスタシア オリガ
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左から アナスタシア マリア タチアナ オリガ 父
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左から タチアナ 母方の伯父ヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒ マリア オリガ
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左から 父 タチアナ オリガ マリア アナスタシア アレクセイ
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左から オリガ マリア タチアナ アナスタシア
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左から アナスタシア オリガ 父 アレクセイ タチアナ マリア
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左から オリガ タチアナ マリア アナスタシア
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左から マリア オリガ アナスタシア タチアナ
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左から アナスタシア オリガ タチアナ 父 マリア
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左から マリア オリガ アナスタシア タチアナ
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オリガ
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タチアナ
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マリア
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アナスタシア
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by xMUGIx | 2008-01-26 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝ニコライ2世 最後の皇帝
先代アレクサンドル3世の子
1868-1918 26歳即位 50歳没

*乗馬・ダンス・テニスが得意だった。
身長168センチと小柄であったが、晩年までスポーツを楽しむほど体力があった。

*英語はイギリス人に間違われるほど堪能で、妻アレクサンドラとは英語を使っていた。
他にもフランス語とドイツ語が堪能であった。

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ロナルド・ヒングリィ

ニコライ2世はチャーミングで上品で感じの良い風貌をしていたが、
体躯は小さくあまり立派な押し出しではなかった。
専制君主というよりは地方の郷土といった感じで、
犬や子供達と戯れている方が好きだった。


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政治家 パーヴェル・ミリュコーフ

ニコライ2世は、誠実な良き家庭人だった。
しかし彼は、生まれつき極めて意志が弱かった。
皇帝となる心の準備もしたこともなかったし、いざ重責を負った時はそれを嫌がった。
皇帝夫妻は宮廷の作法を嫌がり、従おうとしなかった。
皇帝は閣議の後うんざりするのか、よく屋外に走り出て薪割りをしていた。
それが皇帝のお気に入りの気晴らしだったからである。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

思わせぶりや気取り屋をまったく好かない皇帝アレクサンドル3世は、
むろんヴィルヘルム2世と気の合うはずがなかった。
皇帝ニコライ2世も、やはりヴィルヘルム2世を嫌った。
ヴィルヘルム2世がアレクサンドラ皇后に対して、
ロシアの皇后ではなくドイツ領内の小公国の公女に対する態度を取ったからである。
しかしヴィルヘルム2世が人物として
ニコライ2世より立ち勝っているのは誰の目にもはっきりわかる。
見かけにおいてもヴィルヘルム2世の方がはるかに皇帝らしい。
うぬぼれの強いニコライ2世はすっかりひがんでしまった。
ニコライ2世は相手が自分より知識や徳望の上で優れていると思うと、
どうしても我慢がならなかった。
ただ必要な時は仕方なしに我慢したのである。
彼は自分より無能な見聞の狭い人間と話してさえいれば機嫌が良かった。
果てはこの欠点を狙ってわざとそんな風を装う人間も出てきた。


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■妻 アレクサンドラ・フョードロヴナ←ヴィクトリア・アリックス
ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の娘/イギリス女王ヴィクトリアの孫
1872-1918 22歳結婚 46歳没

*人種ドイツ人・心情イギリス人・第一言語英語

*幼い頃に母親が亡くなったため、祖母ヴィクトリア女王に育てられた。
ニッキー(ニコライ2世)とアリックス(アレクサンドラ)の縁談が持ち上がった時、
姑となるマリア皇太后も、その姉であるイギリス皇太子妃アレクサンドラも、
アリッキーの性格ではロシアの皇后は務まらないと反対したが、
長年不仲だったロシアに身内を送り込みたかったヴィクトリア女王は結局承諾してしまう。

*父帝アレクサンドル3世も小国の公女に過ぎないアレクサンドラとの結婚に反対だったが、
病に倒れたため死の半年後やっと結婚を許可する。

*皇太子アレクセイが白血病とわかった頃から心身を病みはじめ、
頭痛・心臓の痛みを訴え、鬱症状もあり、やがては車椅子を使うようになる。
現在で言う心身症であったと思われる。

*母アリスとアレクサンドラには共通点が多い。
ともに異国の嫁ぎ先で病気がちで、宮廷の嫌われ者だったが夫とは深く愛し合っていた。
そしてアリスはドイツの宗教哲学者ダーフィト・シュトラウスを尊敬し神のように崇めた。
精神的なものに傾倒する性格はアレクサンドラに受け継がれた。

*気が強くて頑固、人の意見には警戒的だが自分の考えには自信を持った女性に育つ。
ピアノが上手でロシア語もマスターしたが、フランス語がたどたどしくダンスも下手、
世間話には付き合わなかった。

*藤色が好きで、彼女の部屋は上から下まで藤色だった。
フランスのリヴィエラから毎日届けられるライラック・スミレ・ラン。
毎シーズン、パリで50着のドレスを作らせ、
ロゼ・ブランシュの香水とフランス煙草を愛用した。
皇帝の叔母マリア・パヴロヴナは皇后を【成金趣味】と評した。
皇后は倹約家でもあり、
要らなくなったドレスは貝ボタンをガラスボタンに付け替えてから古着屋に売った。

*アレクサンドラの一日は、朝ゆっくり起きてベーコンエッグと紅茶で朝食。
午前中はそのままベッドで本を読んだり手紙を書く。
昼食前に犬を連れて散歩、食事やワインには興味がなかった。
午後は郵便物を処理してから、馬車か自動車で公園に出かける。
夕食後は音楽を聴いたりピアノを弾いたりして、午後11時に皇帝とお茶を飲んで終わる。

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ニコライ2世の家庭教師だったコンスタンチン・ポベドノースツェフ

彼女はピョートル大帝以上に専制的で、イヴァン雷帝と同じぐらい冷酷である。
その上、自分が並外れた知性の持ち主だと信じている小才だ。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アレクサンドラを子供の時から知っているヘッセン宮廷の侍従は、ロシア大使に
「貴国で彼女をもらってくれてやれやれです」と小声で言った。
彼女は感受性に乏しく利己的な性格で、
私に頭を垂れない者は私の敵である、敵に対して私は専制君主としての権力を行使する、
なぜならば、私はこの世のあるべき姿の象徴だからであるという態度だった。


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セルゲイ・ヴォルコンスキー公爵

アレクサンドラはもともと社交性の無い人だった。生来人嫌いだったようだ。
皇后は社交界が嫌いだったが、社交界の方も彼女を嫌った。
人々は彼女を無視したため、彼女の存在は名のみの影法師のようなものだった。
彼女の方もペテルブルクを、少しもロシアらしくない腐敗した街だと忌み嫌っていた。


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女官 マドレーヌ・ザノッティ

皇后は自分は心臓が悪いのだと思い込んでいて、
一日の大部分を自室のソファーに横になって過ごしていた。
皇后は気の合った人達と一緒の時はいつもとても元気で、
心臓の痛みを訴えた事は一度もなかった。
だが何か気に障る事があると、すぐにこぼし始めた。


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女官エリザヴェータ・エルスベルグの姪 マリア・エルスベルグ

私の父の末の妹エリザヴェータ・エルスベルグは、女学校卒業後女官になりました。
叔母のエリザヴェータの話によると、
皇帝の方が皇后よりも娘達に気を配っていました。
皇后は頭痛で休む事が多かったし、
アレクサンドル市場から古物を買ったり売ったりする事に熱心でした。
女官達は自分の部屋に客を招く事を許されていましたが、皇后は大変なしまり屋でした。
女官達が客をもてなす時は、経費は自分持ちでした。
そのうえみんな勤めている間にお金を貯めておくように注意されていました。
年金がもらえないからです。
それから、女官・召使・給仕は独身でなければなりませんでした。
結婚した場合は、辞めさせられるか別の職場に移されました。


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婚約時代の皇后から皇帝への手紙

*父帝アレクサンドル3世が危篤状態にあった

しっかりなさいませ。
緊急事態発生の折は、侍医をあなたの所に直接来させなさい。
他の人の所へ先に行って、あなたをないがしろにさせてはなりません。
あなたは父上の大切な息子なのですから、
すべてについてあなたの指示を仰ぐようにさせるべきです。
あなた御自身の気骨のある所を示して、
周りの者にあなたの存在を忘れさせてはなりません。
差し出がましい事を言って許してね、坊や。

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●オリガ 未婚
●タチアナ 未婚
●マリア 未婚
●アナスタシア 未婚
●アレクセイ 皇太子 血友病 未婚


*全員ロシア革命で処刑される。
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★ニコライ2世の独身時代の愛人 バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ 
1872-1971 99歳没

*マチルダは18歳で独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人となり、
22歳でニコライが結婚したためイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人になり、
28歳でセルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の愛人ともなり三角関係に、
30歳で子供1人を生み、両名とも自分が父親であると主張したがアンドレイが認知、
両名からプロポーズされていたが49歳でアンドレイを選んで結婚、
ロシア革命で亡命後はフランスでバレエの指導者となり、99歳没。

*子供の父親としてアンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の父親
ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公の名前も囁かれた。
しかし、いずれにしても【ロマノフの子】であるという事に落ち着いた。

*マチルダはバレエ一家の生まれ。
父はバレエダンサーのポーランド人フェリクス・クシェシンスキー、
兄も姉もバレエダンサーだった。

*ニコライはマチルダのために豪華な邸宅を用意した。
マチルダはパリから取り寄せた家具でこの家を飾り、自分の城として愛してやまなかった。
この家はロシア革命でボリシェヴィキに接収され、レーニンはここのバルコニーから演説した。

*ニコライが結婚して愛人関係は終わるが、
マチルダはその後も何かとニコライに陳情しては権力を利用した。


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ヴェーラ・ユレーネワ

クシェシンスカヤは美しくはなかった。足が短かったのです。
でもその目!招きよせ吸いこむような底なしの深い眼差し。小さな妖精でした。
彼女はイタリア人に学んで、テクニックは見事でした。
ある時32回のフェッテを踊って拍手の嵐が起こると、
可愛らしくもう一度繰り返してみせました。
彼女の事を「おしなべてバレエを愛し、特に生活を愛していた」と言いますが、
反対で、彼女はおしなべて生活を愛し、特にバレエを愛してたんだわ。
彼女は生涯偉大なバレリーナになる事を目指していましたが、
偉大とは認められませんでした。
彼女は客席から愛されない定めだったのです。
そしてその頃です、未来の皇帝から愛されるようになったのは。

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*マチルダと妻アレクサンドラは同い年。
ニコライはマチルダと出会う前にアレクサンドラと結婚すると心に決めていた。
一方でニコライはマチルダに一目惚れして<私のカナリア>と呼んで入れ込んだ。
バレリーナを愛人に持つことがペテルブルクの貴族たちの古い伝統だった。
バレリーナは芸者のような存在でもあり、プリマバレリーナとのロマンスは、
若い皇太子の自伝を飾りこそすれ汚しはしないものだった。


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ヴェーラ・レオニードワナ

裕福な家で男の子が青年になると、美しい、
そしてこれがもっと大切なのですが純潔な娘を小間使いに雇い入れたものです。
あの頃は〔性病など〕危険な時代でしたから、それが普通でしたわ。

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*ニコライがアレクサンドラと初めて会ったのは1884年、
アレクサンドラの姉エリザヴェータと
ニコライの叔父セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の結婚式でだった。
ニコライは16歳、アレクサンドラは12歳だった。


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ニコライ2世の日記 1884年06月08日

セルゲイ叔父の美しい花嫁エリザヴェータと彼女の妹・弟に会った。
家族全員で食事をし、私はアレクサンドラと並んで座った。
私は彼女がすごく気に入った。エリザヴェータはもっといい。

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*1889年02月から03月にかけて、
アレクサンドラがロシアの姉エリザヴェータの元に滞在する。
ニコライは21歳、アレクサンドラは17歳。
一緒に過ごす内に、ニコライ2世はアレクサンドラを将来の妻にと願うようになる。

*一方、1890年春にクシェシンスカヤを見初め愛人関係となる。


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ニコライ2世の日記 1890年 

07月18日
昼食後劇場へ行った。クシェシンスカヤは私の心を強くとらえている。

08月11日
劇場へ行って、窓越しに可愛いクシェシンスカヤと話をした。

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*ニコライ2世は1890年11月04日から1891年08月16日まで東方旅行をした。
1891年05月11日に大津事件に遭遇する。


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ニコライ2世の日記 1891年

08月16日〔東方旅行からの帰国当日〕
帰国後最初の観劇に出かけた。可愛いクシェシンスカヤを見る。
彼女はいっそうきれいになっていた。
クシェシニスカは私の頭を相当狂わせてしまった。

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*アレクサンドラとの結婚は両親の不賛成と、アレクサンドラが
プロテスタントからロシア正教への改宗に難色を示したためなかなか進まなかった。


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ニコライ2世の日記 1892年

01月02日
いつの日かアレクサンドラと結婚することが私の夢である。
私は以前から彼女を愛しており、
彼女がペテルブルクで過ごした1889年以来、彼女への愛はますます強くなっている。

03月22日
演劇学校へ行き、芝居とバレエを観た。
ただ可愛いクシェシンスカヤがいないのが寂しかった。

03月23日
驚くべき晩だった。クシェシンスカヤ姉妹の家に行った。
私は二人と2時間以上一緒に座り、おしゃべりを続けた。
かわいそうに私の可愛い子ちゃんは右目を病んで眼帯をしており、
脚の調子もあまり良くなかった。しかし、喜びは互いに大きかった。

04月13日
私がアレクサンドラを愛するようになってすでに4年目だ。
いつもできることなら彼女と結婚したいと思っている。
アレクサンドラを知った次の年にオリガ〔不明〕にひどく惚れ込んだ。
しかし今は彼女への愛は去った。
そして1890年から可愛いクシェシンスカヤを情熱的に愛している。
同時に私はアレクサンドラについて考える事をやめていない。

04月17日
晩にクシェシンスカヤの家へ復活祭のお祝いをしに出かけた。
2時間彼女と二人だけで陽気に過ごした。

04月26日
クシェシンスカヤの家に行った。彼女は再び一人だった。おしゃべりで時を過ごした。

04月28日
短時間だったが、クシェシンスカヤの家に行って過ごした。
こういうランデブーに満足する。

05月02日
長い間馬車を乗り回すうち、クシェシンスカヤ姉妹に4回会った。
そばを通過する時、尊大に御辞儀をして笑わないように努めた。
夜12時半にクシェシンスカヤの家へ直行。
長時間とどまり非常に充実した時を過ごす。
クシェシンスカヤには私の関心を非常にそそる何ものかがある。
その事に気づき私は幸福だった。前進の時だ。

05月03日
劇場からクシェシンスカヤの家へ出かけ、再び気持ちの良い時を過ごした。
二日間続けて放蕩にふけったわけだ。

05月11日
駅からクシェシンスカヤの家に直行した。彼女の姉はオペラからいったん帰宅したが、
クシェシンスカヤと私の二人だけを残しておやすみなさいと言って去って行った。
以心伝心。

07月18日
可愛いクシェシンスカヤが素晴らしく上手に踊っているのを観て、非常にうれしかった。

07月21日
劇場へ馬車を駆った。一つの興業を観るために23キロも往復するとは。
クシェシンスカヤに会い、午後最高の気分で野営に戻った。

08月04日
野営から帰館、劇場へ稽古を観に行く。
クシェシンスカヤと1時間非常に楽しく過ごした。彼女は私の頭を相当狂わせた。

08月08日
劇場へ行った。
興業が終わってから、別の馬車を使ってクシェシニスカを連れ出した。
馬車を乗り回し、最後に彼女を野営に連れてきた。
誘拐は迅速かつ秘密裏に実行された。非常に幸福な気分だ。

08月17日
クシェシンスカヤをトロイカに乗せて駆け、別れを惜しんだ。

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*1893年の01月から03月にかけての2ヶ月間の日記には、
クシェシンスカヤの名前が27回も登場する。


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ニコライ2世の日記 1893年

02月04日
クシェシンスカヤの家に立ち寄る事に成功した。
彼女と非常に気持ちの良い時を過ごした。最初は4人で、それから2人だけで。 

02月08日
夜の12時にクシェシンスカヤの家に出向き、
朝の4時までよくしゃべり、よく笑い、大騒ぎした。

02月19日
バレエの最終興業を観に飛んで行った。
クシェシンスカヤは『眠れる森の美女』を見事に踊った。

03月04日
クシェシンスカヤ姉妹は二階建ての居心地の良い新居に引越していた。
あれやこれや手を入れる必要がある。またも午前4時まで彼女の所にいつづけた。

03月27日
クシェシンスカヤの家へ行く。
別離は非常に悲しかった。2ヶ月もランデブーを続けた後だから。

11月30日
午前中に昨夜からテーブルの上に横たわっていた封書を開いた。
アレクサンドラからの手紙で、すべてが終わった事に気づいた。
プロテスタントからロシア正教に改宗するのは不可能であり、
この頑固な障害の前に、
私のすべての希望、最良の夢、未来への最大の心からの願いが崩れ去った。
一日中麻酔薬を飲んだように歩き回り、とうてい冷静かつ快活にはなれなかった。

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*1894年アレクサンドラの兄/ヘッセン大公エルンストと
イギリスのアルフレッド王子の娘ヴィクトリア・メリタの結婚式がドイツのコーブルクで行われた。
イギリスからヴィクトリア女王、ドイツから皇帝ヴィルヘルム2世、ロシアからニコライ2世が出席、
アレクサンドラも姉エリザヴェータ・フョードロヴナと共に滞在していた。
この機会にニコライ2世はアレクサンドラにプロポーズするが、
改宗を嫌がるアレクサンドラはイエスと言わなかった。
そこでアレクサンドラの祖母のヴィクトリア女王、いとこのヴィルヘルム2世が説得したため、
アレクサンドラは改宗を受け入れプロポーズに同意した。
ニコライ2世は26歳、アレクサンドラは22歳だった。


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ニコライ2世の日記 1894年

04月17日
神様、今日はなんという日か。部屋にアレクサンドラが到着した。
アレクサンドラはすごく美しかったが、ひどく悲しそうであった。
二人だけにされ、私が久しい間強く望み、同時に強く恐れていた会話が始まった。
12時まで話し合ったが、説得する事ができなかった。
アレクサンドラはやはり改宗に反対で、かわいそうにアレクサンドラはたくさん泣いた。

04月20日
私の生涯における忘れがたい日、見飽きる事のない愛するアレクサンドラと婚約した日だ。
午前10時過ぎにアレクサンドラがやってきて、お互いの意思を確かめ合った。
私達の話が終わるまで、ヴィルヘルム2世は隣の部屋で待っていてくれた。
すぐに二人でヴィクトリア女王を訪問し、それから親戚宅へ戻った。
そこでは家族全員が長時間喜びのキスを交わし合っていた。
神よ、どれほどの山のような重荷が私の肩からずり落ちたことか。
なんという喜びで愛するパパとママを喜ばす事ができるか。
私は婚約者のアレクサンドラと一緒に歩き回り、庭に座っていた。
アレクサンドラが私の婚約者である事が信じられないほどだった。

11月01日
今日はなんという日だろう。神は私達が熱愛しているパパを天国に召された。
頭が混乱している。信じたくない。今まで考えもしなかった恐ろしい事が現実になった。
神よ、このつらい日々に私達を助けたまえ。かわいそうなママ。

11月26日 
今日は私の結婚式だ。みんなでコーヒーを飲んでから着替えに行った。
孔雀の間でアレクサンドラが化粧をしている間、私達全員はアラビアの間で待っていた。
12時10分に教会への入場が始まった。そしてそこから既婚者として帰ってきた。
ママは私達の部屋で、パンと塩を持って待っていた。

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by xMUGIx | 2008-01-25 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

皇帝アレクサンドル3世の子供


●ニコライ2世
次代皇帝
●ゲオルギー 
未婚・病死
●クセニア 
ロシア大公アレクサンドル・ミハイロヴィチと結婚
●ミハイル 
バツ2のナターリヤ・セルゲーヴナ・ヴリフェルトと貴賤結婚
●オリガ 
アレクサンドル・オリデンブルクスキー公爵と結婚離婚、
軍人ニコライ・クリコフスキーと貴賤再婚


左から ミハイル ゲオルギー 母妃マリア 手前はオリガ
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左から ミハイル 母妃マリア クセニア 後ろはオリガ
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左から オリガ ミハイル クセニア
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●ニコライ2世 次代皇帝

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●ゲオルギー・アレクサンドロヴィチ大公 未婚・病死
1871-1899 28歳没

*利発で社交的、ユーモアのセンスに優れていた。結核で死亡。
兄ニコライ2世はゲオルギーの言ったジョークを書き残しており、
時々一人でメモを取り出しては眺めて笑っていたという。

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●クセニア・アレクサンドロヴナ大公女●子供7人 
1875-1960 85歳没
ロシア大公アレクサンドル・ミハイロヴィチと結婚
1866-1933 94歳没

*幼馴染の二人は新婚時代から夫婦円満であったが、
末っ子が生まれる頃には夫婦仲は冷え切り、互いに愛人を持つようになる。

*ロシア革命により亡命した後は妻はイギリスで夫はフランスで暮らし、各自その地で亡くなる。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

皇帝アレクサンドル3世は、
叔父アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公を非常に敬愛されていた。
しかし大公の子供達に対しては、あまり良い感情は持っていなかった。
皇帝の目には
自分の皇女の夫としてはアレクサンドル大公はふさわしくない者に映ったのであろう。

ある時皇帝はアレクサンドル大公と一緒にフィンランド沿岸を遊航した事があった。
巡遊中何かの原因で皇帝の使用していた風呂が壊れた。
そこでアレクサンドル大公は自分の持っていたペルシャゴム製の風呂を皇帝に提供した。
皇帝はよほど気に入ったものとみえ、非常にこれを称賛された。
そこでアレクサンドル大公はこう言った。
「皇帝陛下は、とうとう僕にも一つぐらい良いものあると発見したよ」
事実これは皇帝がアレクサンドル大公に対して初めて与えた称賛の言葉であった。
皇帝はアレクサンドル大公の事といえば何でもかんでも片っ端から批評し、
気に入った事は一つも無かったのであった。

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●ミハイル・アレクサンドロヴィチ大公●子供1人 
1878-1918 40歳没

*ロシア革命で処刑

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

ミハイル・アレクサンドロヴィチ大公は才智や教養の点では皇帝ニコライ2世に劣っていたが、
その性格は父帝アレクサンドル3世にそっくりであった。

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★元恋人ベアトリス・オブ・エディンバラ イギリス王子/エディンバラ公爵アルフレッドの娘
1884-1966 82歳没

*相思相愛となるが、イトコであることを理由に結婚を認められなかった。
(皇帝の許可があればOK)
ベアトリスはスペイン王族ガリエラ公アルフォンソと結婚する。


★元恋人アレクサンドラ・コシコフスカヤ 妹オリガの女官
1875-1923 48歳没

*貴賤結婚となるため結婚を認められなかった。


■妻 バツ2のナターリヤ・ブラソヴァと貴賤結婚
1880-1952 72歳没

*ナターリアは、22歳で音楽家セルゲイ・マモントフと結婚して子供1人、
25歳で離婚して愛人の軍人ウラジーミル・ヴルフェルトと再婚、
ミハイルと不倫関係になり子供1人、32歳で離婚してミハイルと再々婚、
38歳でミハイルと死別して亡命、72歳没。

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左から 後夫ミハイル ナターリア 前夫ウラジーミル
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●オリガ・アレクサンドロヴナ大公女●子供2人 
1882-1960 
19歳で結婚、34歳で離婚して愛人と再婚、子供2人、78歳没

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オリガのイトコ マリア・パヴロヴナ大公女 

細身でしなやかな肢体をした陽気なオリガは運動神経が抜群で、
子供のように気取らない率直さと鷹揚な心を兼ね備えていた。
彼女は素朴な人間達の間にいるのを好んだ。

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■前夫 ピョートル・オリデンブルクスキー公爵 離婚 夫33歳&妻19歳で結婚
1868-1924 56歳没

*オリガの母マリア皇后とピョートルの母エヴゲニヤ・マクシミリアノヴナ公爵夫人が
親友だった事から結婚が決まったが、ピョートルは同性愛者であった。
ギャンブル中毒で多額の借金を抱えていたことからオリガとの結婚に踏み切ったと言われる。

*ロシア革命で亡命した後、未亡人オリガ・ラトコヴァ=ログノヴァと再婚。

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■後夫 軍人ニコライ・クリコフスキーと貴賤再婚 夫35歳&妻34歳で再婚
1881-1958 77歳没

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by xMUGIx | 2008-01-24 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝アレクサンドル3世
先代アレクサンドル2世の子
1845-1894 49歳没

*身長190センチで堂々とした体格だったが、頭の働きはあまり良くなかったようで、
父親は彼に【去勢された牛】というあだ名をつけて呼んでいた。

*友人と酒を酌み交す事が何よりも楽しみで、晩年医師に飲酒を禁じられると、
皇后に見つからないように長靴に携帯用の酒瓶を隠して飲み続けていた。

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ドイツ人外交官 H・フォン・サムソン=ヒメルシュティールナ

皇帝は背が高く、堂々とした体格で、広い額を持っていた。
その外見から、彼には力強さと弱さ、傲岸さと内気さが同居していること、
彼が常に自分自身の事について思い悩む精神の持ち主である事がうかがえた。
彼が皇太子の頃は社交的でないというだけで済んでいたが、
皇帝になった後の特に最後の数年間非常に孤立してしまった事もうなずける。

皇帝は生来感じやすい性格で、絶えず矛盾に陥っているように見受けられる。
尊大な専制君主となるべく苦心を重ねているが、いまだに成功していない。
遠慮がちな性格は持って生まれた内気さのせいであり、自信に欠けているせいでもある。
皇帝は他の人間の意見にはほとんど耳を貸さない。
それは自分の意見があるからではなく、
他人から影響を受けない存在になろうと考えているからである。
依頼心を持つ事よりも、依頼心が強いと見られる事の方を恐れているからである。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

私は二代の皇帝に近侍する光栄を持った。
アレクサンドル3世は才能・教養ともに平凡以上ではなかった。
ニコライ2世は才能においても教養においても父帝に優っていた。
しかしアレクサンドル3世はなんとなく重々しい人であった。
彼は美男子でもなく態度も別段立派なところもなく、早く言えば【熊】じみていた。
身長は高く一見丈夫らしくはあったが、
筋骨たくましいと言うでなくただ肥大なだけであった。
しかし彼が群衆の中に現れれば、
それを皇帝と知らぬ者までこれを仰視して敬愛の念を起さないではいられなかった。
彼の特徴は実に重厚なる態度であった。平淡なる温顔であった。

アレクサンドル3世は才能においてまったく平凡であった。
その才能や教養については十人並以下であったかもしれない。
外貌はロシアの大柄な農夫に似ていて、
もし似合いの服装を求むるならば農夫等の短外套とか袖無し上着等が最も相応するかと思われた。
しかしいかなる服装をしていようとも、
そこにいる者は何人でも思わず低頭したであろうほどの偉大な風格を備えていたのである。

アレクサンドル3世はどんな場合でも死を恐れなかった。
しかし皇帝がただ一つ非常に恐れるものがあった。
それは乗馬が下手だったので、馬を恐れる事だった。
マリア皇后は騎乗が上手で少しも馬を恐れなかったが、皇帝はまるで反対だった。
皇帝は晩年に非常に肥満してきた。それで主馬寮では
皇帝が安心して乗れる馬を見つけるのにずいぶん骨が折れたそうである。
主馬寮を管轄していたフレデリック男爵が私に話した事があった。
「皇帝が馬を怖がるのには僕も閉口するよ。
皇帝が安心して乗るような馬を見つけるのが一仕事だし、
その新しい馬に乗る事を皇帝に納得させるのはさらに難しいのだから」


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■妻 マリア・フョードロヴナ←マリー・ソフィー・フレデリケ・ダウマー 愛称ミニー
デンマーク王クリスチャン9世の娘/姉はイギリス王妃アレクサンドラ
1847-1928 81歳没

*マリアは最初ニコライ皇太子の婚約者であったが、ニコライが結婚前に亡くなったため、
その弟アレクサンドル3世と結婚した。

*マリアは美人で有名で多くの縁談が寄せられた。
健康で快活で社交的で、たちまちロシア宮廷の人気者となった。夫婦仲も良好だった。

*しかし子供達に対しては、頭から抑えつけようとする強い母親だった。
特に三男のミハイルは溺愛したが、長男のニコライ2世には女々しいと批判的だった。

*ロシア革命が起きると姉イギリス王妃アレクサンドラが妹一家の救出に奔走し、
息子ジョージ5世が戦艦を差し向けてマリアを救い出した。
マリアは祖国デンマークに戻った。

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姉イギリス王妃アレクサンドラと
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●ニコライ2世
次代皇帝
●ゲオルギー 
未婚・病死
●クセニア 
ロシア大公アレクサンドル・ミハイロヴィチと結婚
●ミハイル 
バツ2のナターリヤ・セルゲーヴナ・ヴリフェルトと貴賤結婚
●オリガ 
アレクサンドル・オリデンブルクスキー公爵と結婚離婚、
軍人ニコライ・クリコフスキーと貴賤再婚
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by xMUGIx | 2008-01-23 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

皇帝アレクサンドル2世の子供


●前妻の子 ニコライ 
皇太子 未婚・病死
●前妻の子 アレクサンドル3世 
次代皇帝
●前妻の子 ウラジーミル 
メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリア・パヴロヴナと結婚
●前妻の子 アレクセイ 
アレクサンドラ・ズコーヴスカヤと貴賤結婚・離婚  
●前妻の子 マリア 
イギリス王子/ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレッドと結婚
●前妻の子 セルゲイ 
ヘッセン大公女エリザヴェータ・フョードロヴナと結婚
●前妻の子 パーヴェル 
ギリシャ王女アレクサンドラ・ゲオルギエヴナと結婚死別、
バツイチのオリガ・カルノヴナと貴賤再婚
●後妻の子 ゲオルギー 
ザルケナウ伯爵夫人アレクサンドラと結婚・離婚
●後妻の子 オリガ 
ゲオルク・ニコラウス・フォン・メレンベルク伯爵の前妻・本人死別
●後妻の子 エカチェリーナ 
アレクサンドル・バリャティンスキー公爵と結婚死別、
セルゲイ・オボレンスキー公爵と再婚離婚




●ニコライ 皇太子 未婚・病死
1843-1865 22歳没
デンマーク王女ダウマーと婚約・結婚前に本人死亡

*ダウマーは、ニコライの弟・皇帝アレクサンドル3世と結婚する。

婚約者ダウマーと
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●アレクサンドル3世 次代皇帝

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●ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公●子供4人 
1847-1909 62歳没
マリア・パヴロヴナと結婚←メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリー・アレクサンドリーネ
1854-1920 66歳没

*夫婦そろって長男の急逝により二男のアレクサンドル3世が皇帝になれたように、
三男のウラジーミルにもチャンスが回ってくる可能性を夢見て、
アレクサンドル3世夫妻を目の敵にした。
皇帝ニコライ2世の時代には、息子キリルに皇帝のチャンスが回ってくる可能性を夢見て、
ニコライ2世夫婦を目の敵にした。


*ウラジーミルは、近衛部隊の司令官・狩猟家・美食家・芸術のパトロン


*社交好きで社交界の中心になることが好きなマリア・パヴロヴナは、
兄嫁の皇后マリーヤ・フョードロヴナに対抗して自分の宮殿に社交界を作り上げた。

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ウラジーミルの姪/パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公の娘 マリア・パヴロヴナ大公女  
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚

頭脳明晰で活発なうえ進取の気性に富むマリア大公妃は、
その自主性と舌鋒を敬遠され宮廷では受けが悪かった。
しかし伯母は人をもてなす事にかけては当世一だったので、
土地のエリート階層だけでなく
外交官や外国人までがその知性と人柄に魅了されて集まってきた。

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●アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公●子供1人 
1850-1908 58歳没

*海軍元帥だったが、「女には速く軍艦は遅い」と言われた浮気性、美食家。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公は
マリア・フョードロヴナ皇后の大のお気に入りである。
夫の兄弟の内ただ一人の独身者で、マリア皇后の非常な寵愛を受けていた。
アレクセイ大公自身は尊敬すべき高潔な人物であったが、
同時に国務の上ではあまり重要な人物ではなかった。

アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公は、
皇帝アレクサンドル3世の愛弟であった関係上非常に大きな勢力を持っていた。
アレクセイ大公は相当の才幹はあったが、国家的政策について確固たる理想を持っていなかった。
また国家的仕事より、むしろ個人としての生活に留意する所が多かった。
彼はまた独身という欠点があった。それで彼と同棲している婦人に動かされる場合が多かった。


アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公がパリで客死した。
非常に善良で誰にも悪い事はせぬ、要するに典型的な大公であった。
会って非常に気持ちのいい人物であったため、大公を知る者はみな彼の死を悲しんだ。
彼の風采もまたいかにも大公らしい品格を備えていた。
しかし、政治の面ではまったく弱い人間であった。

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■アレクサンドラ・ズコーヴスカヤと貴賤結婚・離婚●子供1人  
1842-1899 57歳没

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★愛人ジナイーダ・スコベレワ イトコのロイヒテンベルク公エヴゲーニーの後妻・人妻
1856-1899 43歳没

*ジナイーダの夫は社交界の花であった妻の不倫を黙認した。
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アレクセイとジナイーダ
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●マリア・アレクサンドロヴナ大公女●子供5人 
1853-1920 67歳没
イギリス王子/ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレッドと結婚
1844-1900 56歳没

*マリアはイギリス王室にもイギリス国民にも嫌われた。本人もイギリス嫌いだった。
まず、ヨーロッパにおいては皇帝は国王より格上となる。
そのため女王の息子アルフレッドより皇帝の娘マリアの方が格上となるため、
結婚式はロシアで挙げざるを得なかった。(これは仕方なし)
さらに、称号として<妃殿下>ではなく、
今まで通り<皇女殿下>を使うことと<皇太子妃>より上位に置くことを要求した。
そこで姑ヴィクトリア女王が激怒し、イギリスでは<皇女殿下>の称号を使わせなかった。
しかしマリアは、その後もデンマーク<王女>である皇太子妃アレクサンドラが、
ロシア<皇女>である自分より上位に立つことに嫌悪感を表し続けた。

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セルゲイの姪/パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公の娘 マリア・パヴロヴナ大公女  
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚

伯母は無愛想なところが災いして人によっては煙たがられたが、
実際にはいきいきとした多少皮肉の混じったユーモアのセンスの富む女性だった。
そのうえ自分の意見を内に秘めておけない、思いついたままを率直に口に出す、
私達の周囲では期初価値のある存在であった。
私達姉弟は彼女のもったいぶった仰々しさに日頃はからかい半分で接していたが、
心の底では深く尊敬していた。
伯母はいつになっても完成しない編物を膝にして肘掛椅子に落ち着くと、
周囲で何かと気ぜわしそうに画策する者達を大きなメガネ越しに観察しては
事の次第を的確にそして子細に見抜き、やんわりと冷やかした後で最後の審判を下した。

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●セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公●実子ナシ 
1857-1905 48歳没
エリザヴェータ・フョードロヴナと結婚←ヘッセン大公女エリーザベト
イギリス女王ヴィクトリアの孫/愛称エラ/妹はロシア皇后アレクサンドラ
1864-1918 54歳没

*セルゲイは同性愛者。厳格で気難しく非社交的、文学や芸術を好んだ。

*猛烈な反動主義者で、のちに暗殺される。

*エリザヴェータは美人として有名で、多くの縁談が寄せられた。
厳格で内向的で非社交的。

*夫の死後、修道院を作り修道女となる。ロシア革命で処刑。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公は利己的な人間であり、
皇帝ニコライ2世の叔父であるばかりか皇后の姉君の夫であるという縁故から、
皇帝の統治の初めからセルゲイ大公がモスクワ総督として暗殺者の凶手に倒れるまで、
常に皇帝の意を左右する力を持った人であった。
彼は極端な保守主義者で非常に偏狭な人で、ひどい反ユダヤ人主義者だった。


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ロシア駐在フランス大使 モリス・パレオログ

エリザヴェータ・フョードロヴナとパリで食事をともにした時の事が忘れられない。
1891年頃であったと思う。あの時の彼女の姿が今でも目に見えるようだ。
すらりとした背の高さ、身に備わった威厳、深みのある明るいナイーブな眼差し、
やさしい口元、頬のやわらかい線、まっすぐの薄い鼻筋、
うっとりするようなリズミカルな動作。その話には素晴らしい女性の知性、
わざとらしさのない真面目な隠された善良さに満ちあふれた知性がうかがわれた。


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セルゲイの姪/パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公の娘 マリア・パヴロヴナ大公女  
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚

伯父は怒りがこうじて不機嫌になると口元が一本の縮れた線状になり、
細まった目は鋭い光線を放つ二個の点に変じた。
周囲が伯父の事を冷淡で柔軟性が欠けると言うのにも一理あったが、
私達姉弟には母にも似た優しい愛情を注いでくれた。
が、それと同時に家中の全員に要求したのと同じ服従を私達にも期待した。
伯父は家中のこと農場のこと事業のこと家族の個人的な些末な事に至るまで取りしきり、
どんな些細な事にも反発や反抗を許さなかった。
そんな彼に真の愛情を抱く者は周囲でも少なく、
近親者からですら畏怖されると共に敬遠されていた。

伯母はいまだかつてあれだけきれいな人に出会ったことがない、
と断言できるほどの絶世の美女だった。
清純で典雅な目鼻立ちの印象的なスラッとした長身の金髪美人で、
田舎に滞在中でも身仕舞に長い手間暇をかけお洒落に熱中した。
日光が肌に触れるのを極力嫌い、戸外に出る時は常に網目になった絹のベールを被り、
絹地のパラソルを片時も手放さなかった。
着る物はほとんど自らデザインして、形が決まると水彩絵具で色をつけ、
それを参考に丁寧な仕立をさせ、縫い上がると実に上手く上品に着こなしたものだった。
無類の宝石好きだった伯父から膨大な宝石類を贈られていた伯母は、
衣装の一着一着に合わせて宝飾品を選べるだけの宝石持ちでもあった。

伯父夫婦は子宝に恵まれなかった。
二人の関係は、伯父が大小にかかわらず家中の万端に采配をふるい、
伯母がそれに穏和に追従するという、
私の目から見れば一種独特のいわば不自然ともいえる愛情の上に築かれていた。
二人そろって自尊心が強く、内気で、本音をめったに吐かず、相手を充分に信頼していなかった。

伯父は妻をいつも小児のように扱った。
伯母は夫から遠ざかり、孤独の殻に閉じこもる方を選んだ。
夫婦の間柄は親密と言うにはほど遠かった。
食卓に一緒に並んで座るだけで、二人だけになるのを互いに忌避しあって終日過ごした。
ところが大きなダブルベッドに並んで休む習慣だけは、年老いても変わらなかった。

結婚後ロシア正教に改宗した伯母は、歳月を追うごと信教に著しく傾斜していった。
伯父もロシア正教の教義を几帳面に守る方だったが、
妻があまりにも霊的生活にのめり込むのを懸念して、
とうとうその態度が中庸を欠いていると意見するようになった。

毎朝の食前、私達は伯父のお供をして農場を巡回した。
散歩の後には、バルコニーでコーヒーを飲むのが日課だった。
伯母は1時間あまりの一人の散歩を楽しんでから合流した。
伯父は新聞に目を通し、
伯母はイギリスやフランスから取り寄せたグラビア雑誌やスタイルブックに熱中した。
気に入ったデザインを見つけると、衣装計画の参考に切り抜いてアルバムに貼った。
朝食後は勉強が11時まで続いた。解放されると私と弟は木陰や水辺を求めて遊んだ。
遊び終ると、昼食に間に合うよう飛んで帰った。
伯父は時間に厳格で、1分でも遅刻すると小言とおしおきが容赦なく待ち受けていた。
午餐会には最低15人から20人の招待客があるのが常で、
私達姉弟にとっては一日中で一番苦手な時間だった。
伯父は私達が招待客と交わす会話に注意深く耳を傾けた。
話題が提供できないと、後で厳しい叱責と罰を受けた。
食事の後は、食堂に続くテラスでコーヒーを飲んだ。
コーヒーが済むと、伯父は昼寝をするため自室に引きあげた。
伯父は昼寝に向かう直前、伯母には一言の相談もなしに午後からの日程を勝手に決め、
その次第を指示してから部屋に引きこもった。そして肘掛椅子に上半身を傾け、
椅子を汚さないように新聞紙を広げた上にブーツのままの両足を投げ出して目を閉じた。
時たま何らかの理由で伯父の言い付けが実現不可能になると伯母がやむなく変更したが、
それが伯父に知れると立腹ときつい小言が待ち構えていた。
伯母は庭園に降りて行きお気に入りの片隅に陣取ると、
絵筆を握るか朗読をさせ耳を傾けながら女官達と刺繍針を動かしていた。
伯父の昼寝中屋敷はしんと静まりかえり、
午後も遅くなってから生活は再び軌道に乗って作動し始める。
伯母が晩餐のために身支度を整えるのは、儀式にも似てたいそう時間が要った。
女中・衣装係を含む全員が集合させられる。
バスケットの中にはレースの縁飾りのついた下着類が用意され、
洗面器にはバーベナで香りをつけた温水が張られ、浴槽には薔薇の花びらが浮かされる。
女中達が伯母の着ている午後の服を脱がせ終わると、彼女は一人で化粧部屋に閉じこもる。
小間使達は総動員で多種多様な複雑な洋品類を分類して、身につける順番に並べ待機する。
伯母は湯浴みを済ませると、コルセットのままの姿で扉を開ける。
女中達はめいめい担当する洋品類を捧げつつ進み出て、割り当てられている作業に打ち込む。
その合間に伯母は、あらゆる角度からくまなく全身を眺められるように調節された
等身大の三面鏡に自分の姿を映し入念な点検を行う。
最後の仕上げは必ず自らの手でした。
着てしまった衣装が気に入らないと女中に命じて脱がせ、別の物を運ばせた。
そしてまた最初から細心の注意を払って、一枚また一枚と身体に重ねていった。
結髪係が髪型を整え終ると、次に伯母は爪を手入れするのに自ら専念した。
それも終わると、総仕上げでもある私の出番になる。
私は宝石店のショーケースそっくりの宝石タンスの扉を開き、
指定された宝石の数々を運んでくる。
すると毎晩判で押したように規則正しく扉がノックされ、
晩餐の支度が整ったと告げる伯父が姿を見せる。
二人は私に接吻すると、食堂に向かった。
早めに夕食を済ませている私とドミトリーは、そのまま寝室に放り込まれる。

伯父は総督公邸への道すがら、爆弾を仕掛けられて爆死した。
肩先にマントを投げかけただけの伯母は、帽子も被っていなかった。
橇は全速力で滑走し始め、広場の死角に消え去った。
動転した伯母が向かった先は、雪上に散乱した伯父の遺体の元だったのだ。
伯母はあたり一面に吹き飛んだ肉塊を両手でかき寄せると、
近くにあった粗末な軍用担架に乗せた。
幾人かの兵士が軍服の上着を脱いで亡骸を蔽い担架を担ぎ上げると、
宮殿に隣接したキリスト奇跡僧院に運んだ上で聖堂に安置した。

野次馬の目から伯母を守ろうと、袖を引くようにして廊下に連れ出した。
その時はじめて伯母の明るい青色のドレスの右袖が、鮮血に染まっているのに気づいた。
爪にまでどす黒い血がこびりついた血まみれの手は、
伯父が肌身離さず付けていたメダイを固く握りしめていた。
私と弟が部屋に連れ帰ると伯母はそのまま肘掛椅子に倒れ込み、
一滴の涙も浮かべずに生気のない異様な目つきで宙を凝視するだけで一言も発しなかった。
しばらくして立ち上がった伯母は便箋を持ってこさせると、
皇帝をはじめ親族全員に伯父の死を通知する電報文をしたため始めたが、
その間も表情は変化しなかった。

伯母は沈痛の日々を周囲の者達が理解に苦しむぐらい雄々しい態度で受けとめていたが、
その精神力がどこから生まれてくるかは私も見当がつかなかった。
伯母が受け身の人生に長らく甘んじてきた事を思うと、
彼女は打って変って精力的に動き回り、
不愉快な事件の事後処理を細かい所までテキパキと指示していた。
物事に没頭する性質の伯母は、
一身を賭して宗教に傾倒する事で心の平安を見出そうとしていた。
喪中を理由に社交界から遠ざかり、霊的な面でも実際的な面でも、
自分の任務と心得た事だけを忠実かつ完璧に遂行するのに一心不乱だった。
私の目から見た伯母は人生から逃避していた。

私達に接する態度は今までと一変して、初めて魂の触れ合いを求めてきた。
伯母との間柄は親密になり、
私達はかつてとは打って変わって内面的な対話に長時間を過ごすようになっていた。
それでも私は伯母の前に出ると、
全身がカチカチになるほど緊張する癖がどうしても抜けなかった。
お前達はいつまでも幼い子供でいなさいと伯父から幾度となく言い聞かされたものだ。
伯母も同じ主義信条を持っていたので、
身内の相談事や政治問題について私達に語りかける事はなかった。
何か事件があっても、私達はいつも一番最後に知らされた。
私のしつけについては、伯母自身の受けたしつけをそっくりそのまま倣わせたいと思っていた。
世代の相違などありえないことで、またあってはならないと頭から信じ込んでいた。
15歳になるかならないうちに、
私の髪型は伯母の娘時代のオーストリア皇女をまねて結い上げられる事になった。

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●パーヴェル・アレクサンドロヴィチ●前妻に子供2人・後妻に子供3人 
1860-1919 59歳没

*貴賤再婚をして国外追放となる。後に赦されて帰国、ロシア革命で処刑。

■前妻 アレクサンドラ・ゲオルギエヴナと結婚・死別←ギリシャ王女アレクサンドラ
1870-1891 21歳没●子供2人

*ロシア皇室とギリシャ王室は交流があったため、二人は幼馴染だった。

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■後妻 オリガ・カルノヴィチと不倫ののち貴賤再婚●子供3人
1865-1929 64歳没 

*19歳でスウェーデン貴族エリック・フォン・ピストルコルスと結婚して子供3人、
28歳でパーヴェルと不倫して前夫と離婚、37歳でパーヴェルと再婚して子供3人、
54歳で死別、64歳没。

オリガと前夫
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●ゲオルギー●子供1人 
1872-1913 41歳没
ザルケナウ伯爵夫人アレクサンドラと結婚・離婚
1883-1957 74歳没

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●オリガ●子供2人 
1872-1913 41歳没
ゲオルク・ニコラウス・フォン・メレンベルク伯爵の前妻・本人死別
1871-1948 77歳没

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●エカチェリーナ●前夫に子供2人 
1878-1959 81歳没

*23歳で結婚して子供2人、32歳で死別、38歳で再婚、44歳で離婚、歌手となり、81歳没。

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■前夫 アレクサンドル・バリャティンスキー公爵と結婚・死別
1870-1910 40歳没

■後夫 セルゲイ・オボレンスキー公爵と再婚・離婚
1890-1978 88歳没
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by xMUGIx | 2008-01-22 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝アレクサンドル2世
先代ニコライ1世の子
1818-1881 37歳即位 63歳没

*喘息持ちで神経質。

*ひどい便秘症で、アヘンを吸いながら便器に座っていた。

*浮気性。

*暗殺。

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ピョートル・クロポトキン

*地質学者・探検家 小姓として皇帝に仕えたことがある

彼は凡人ではなかったが、彼の中には二人の異なった人間が生きていた。
二人の人間はしだいに成長し、互いに争うようになった。
この内なる争いは、彼が年を取るにつれて激しさを増していった。
彼が愛想良くふるまう事もできたが、あっという間に残忍な態度に変わった。

父から横暴な性質を有り余るほど受け継いでいた。
普段は優しい態度を見せてはいるが、横暴な面がすぐに顔をのぞかせるのた。
よく癇癪を起こし、臣下に対しておそろしく見下した態度をとる事があった。
政策についても個人的な感情についても、とうてい信頼のおける人物とは言えなかった。
執念深いところもあった。私は彼は心から人を愛した事がないのではないかと思う。

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■前妻 マリア・アレクサンドロヴナ
←ヘッセン大公ルートヴィヒ2世の娘
マクシミリアーネ・ヴィルヘルミーネ・マリー・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
1824-1880 17歳結婚 56歳没

*アレクサンドル2世がヨーロッパ旅行中に出会い見初める。
公国の公女にすぎなかったので父親から大反対されるが、押し切って結婚する。
しかしアレクサンドルの愛情はすぐに冷めて、次々と愛人を作るようになる。

*内向的で人見知りが激しかったため、
夫が浮気を繰り返してもロシア宮廷の同情を得られなかった。

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ピョートル・クロポトキン

皇族の中でもっとも思いやりにあふれていたのは、疑いなく皇后マリアだった。
誠実な女性で、皇后が何かうれしくなるような事を言う時は
心からそう思っているのがわかった。
皇后の家庭生活はどう見ても幸福ではなかった。宮廷の女性達からも嫌われていた。
彼女達は皇后は固すぎると思い、皇后が夫の不実に深く傷つく理由も理解できなかった。

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■後妻 エカチェリーナ・ミハイロヴナ・ドルゴルーコヴァ 29歳年下 夫62歳&妻33歳で再婚
没落貴族ミハイル・ミハイロヴィチ・ドルゴルーコフ公爵令嬢
1847-1925 78歳没 

*前妻が死ぬとすぐに長年の愛人を後妻にする。

*アレクサンドルはエカチェリーナと庶子たちを宮殿に住まわせ妻妾同居を強行し、
人前でも互いに<サーシャ><カーチャ>と愛称で呼び合い、宮廷の顰蹙を買った。

*19歳で愛人となり庶子3人、33歳で正妻となり、34歳で死別、78歳没。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アレクサンドル2世は60歳を越えて、大きな皇子や皇孫まで持っている年配でありながら、
高貴の人としてはいかがわしい結婚をした。
エカチェリーナが利権問題に関与して私利を計り、
利権や特許権の仲介をして利益を得ていた事は、皇太子時代のアレクサンドル3世に
著しい精神的影響を及ぼさずにはおかなかったのである。


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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後コート・ダジュールにいた頃、
アレクサンドル2世の貴賤結婚の未亡人エカチェリーナがニースで亡くなられた。
我々はすぐにアナスタシア・ミハイロヴナ大公女と共に最後のお別れに出向き、
ニース大聖堂で行われた葬儀にも出席した。


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●前妻の子 ニコライ 
皇太子 早逝
●前妻の子 アレクサンドル3世 
次代皇帝
●前妻の子 ウラジーミル
メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリア・パヴロヴナと結婚
●前妻の子 アレクセイ 
アレクサンドラ・ズコーヴスカヤと貴賤結婚・離婚  
●前妻の子 マリア 
イギリス王子/ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレッドと結婚
●前妻の子 セルゲイ 
ヘッセン大公女エリザヴェータ・フョードロヴナと結婚
●前妻の子 パーヴェル 
ギリシャ王女アレクサンドラ・ゲオルギエヴナと結婚死別、
オリガ・ヴァレリアノヴナ・カルノヴナと貴賤再婚
●後妻の子 ゲオルギー 
ザルケナウ伯爵夫人アレクサンドラと結婚
●後妻の子 オリガ 
ゲオルク・ニコラウス・フォン・メレンベルク伯爵の前妻・本人死別
●後妻の子 エカチェリーナ 
アレクサンドル・バリャティンスキー公爵と結婚死別、
セルゲイ・オボレンスキー公爵と再婚離婚
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by xMUGIx | 2008-01-21 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

皇帝ニコライ1世の子供


●アレクサンドル2世 
次代皇帝
●マリア 
ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボアルネと結婚死別、
グレゴリー・ストロガノフ伯爵と貴賤再婚
●オリガ 
ヴュルテンベルク王カール1世と結婚
●アレクサンドラ 
ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒの前妻・本人死別
●コンスタンチン 
ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラと結婚
●ニコライ 
オルデンブルク公女アレクサンドリーネと結婚・別居
●ミハイル 
バーデン大公女ツェツィーリエと結婚




●アレクサンドル2世 次代皇帝

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●マリア・ニコラエヴナ大公女●前夫に子供6人、後夫に子供1人 
1819-1876 57歳没

*20歳で結婚して子供6人、後夫と不倫、33歳で前夫と死別、
35歳で後夫と再婚して子供1人、57歳没。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

マリア・ニコラエヴナ大公女が夫と良い関係にあったのは結婚当初だけで、
皇帝アレクサンドル3世や宮中の考えでは、
マリア公女・ニコライ公子・エヴゲニヤ公女だけが本当に夫の血を受け継いだ子供で、
後の公子達は疑惑を差しはさむ余地があると解していた。
ことにゲオルギー公子はストロガノフ伯爵の子であると見られていた。
事実マリア大公女は夫が死ぬとすぐに、
非常に美男子の評判が高かったストロガノフ伯爵に嫁したのは周知の事である。

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■前夫 ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボアルネ←ナポレオン一族 死別
1817-1852 35歳没
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■後夫 グレゴリー・ストロガノフ伯爵と貴賤再婚 夫30歳&妻35歳で再婚
1824-1879 55歳没
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●オリガ・ニコラエヴナ大公女●実子ナシ 
1822-1892 70歳没
ヴュルテンベルク王カール1世と結婚
1823-1891 68歳没

*カール1世は同性愛者。

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★夫の愛人チャールズ・ウッドコック アメリカ人

*カールがチャールズに男爵の地位を与えたことから、非難を浴びる。




●アレクサンドラ・ニコラエヴナ大公女●実子ナシ 
1825-1844 19歳没
ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒの前妻・本人死別
1820-1884 64歳没

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●コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公●子供5人 
1827-1892 65歳没
アレクサンドラ・イオシフォヴナと結婚←ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ
1830-1911 81歳没

*コンスタンチンは気性が荒く、短気で非社交的な性格だった。
芸術を愛し、特に音楽を好み、チェロが得意だった。

*アレクサンドラは美しさ、快活さ、優雅さでロシア社交界で人気を得る。

*夫がチェロ、妻がピアノを弾いて楽しむなど音楽の趣味は共有できたのだが、
コンスタンチンが教養派であるのに対し、アレクサンドラは教養がなかった。
夫婦仲は冷え始めて夫が愛人を作るに至り、妻はオカルトや神秘主義に傾倒してゆく。

*愛人アンナ・クズネツォーヴァと庶子を同じ宮殿に住まわせて顰蹙を買う。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公とニコライ・ニコラエヴィチ大公が
ひどく皇帝アレクサンドル3世の不興を蒙ったのは、
両大公が女優と同棲し皇族としていかがわしい生活をしていたのが主なる原因であった。

コンスタンチン大公が正しい家庭生活をしていたら、
おそらく皇帝との関係も当時のように先鋭化されなかった事であろう。
コンスタンチン大公が踊り子のアンナと一緒に
ロシア各地や外国までも旅行して歩くような事をしなかったら、
彼に対する皇帝の不興もかくまでひどくはならなかったであろう。
であるからコンスタンチン大公は皇帝よりもはるかに年長の叔父であったにもかかわらず
ペテルブルクに来る事ができないで、常に外国かヤルタに住んでいたのである。

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★愛人アンナ・クズネツォーヴァ バレリーナ 庶子2人アリ
1847-1922 75歳没




●ニコライ・ニコラエヴィチ大公●子供2人 
1831-1891 60歳没

*妻アレクサンドラは、
18歳で結婚して子供2人、30代で別居、51歳で修道女となり、62歳没。

*ニコライは女と金にだらしなかった。
陰で「妻以外のすべての女を愛している男」と言われた。

*アレクサンドラは不細工で服装に無頓着、非社交的で洗練されていなかった。
夫の兄 皇帝アレクサンドル2世に夫の不倫を訴えるが、
皇帝は逆にアレクサンドラに愛人を見習ってもっと身なりに構うように説教する始末だった。

*ニコライは晩年脳に腫瘍ができ発狂、幽閉された。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公とニコライ・ニコラエヴィチ大公が
ひどく皇帝アレクサンドル3世の不興を蒙ったのは、
両大公が女優と同棲し皇族としていかがわしい生活をしていたのが主なる原因であった。
ニコライ大公が踊り子のエカチェリーナと同棲した事に起因している。
ニコライ大公とこの踊り子との間には一人の子供、
皇帝ニコライ1世に似た非常に美しい女の子があった。
ニコライ大公はアレクサンドル3世を非常に恐れていた。
その観念はアレクサンドル3世の治世を通じ、死ぬまで抜けなかった。

ニコライ大公が常に他の婦人と同棲していること、および
アレクサンドラ大公妃が二子を生んだ後まったく夫と別居していた事を見れば、
この夫妻の間柄は決して円満なものではなかった。
ニコライ大公はかなり聞こえた放蕩者であったし、
またアレクサンドラ大公妃も温良な聡明ではあったが変わった性格の人であった。
大公妃は久しき以前から腰の疾患のため歩行不自由の身であった。
彼女はキエフの広大な王宮に
家令のロストフツォフと侍僧のレベデフの二人のみを相手に寂しき日を送っていた。
それで彼の地のやや身分のある者はおおかた招かれて宮殿に伺候した。
私達夫婦も常に出入りしていた。
しかし大公妃が侍僧レベデフを愛顧すること甚だ分に過ぎ、
レベデフもまた寵遇に慣れて挙措すこぶる専恣であったので、
両者の関係を普通以上にあるかの如く風評する者も少なくなかった。
皇帝アレクサンドル3世はこの風評を耳にすると大いなる不快を禁じ得ず、
大公妃がキエフ宮殿に居住する事を禁じ、レベデフを首都に召還してしまった。
大公妃はその後キエフに近いドニエプル河畔に宏壮な邸宅を建設した。
それは半ば僧院であり、半ば病院であった。
大公妃はここで信仰と慈善事業に余生を送ったのである。

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■アレクサンドラ・ペトロヴナと結婚・別居←オルデンブルク公女アレクサンドリーネ
1838-1900 62歳没
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★愛人バレリーナのエカチェリーナ・チスロヴァ●庶子4人
1846-1889 43歳没
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●ミハイル・ニコラエヴィチ大公●子供7人
1832-1909 77歳没
オリガ・フョードロヴナと結婚←バーデン大公女ツェツィーリエ
1839-1891 52歳没

*ミハイルは女にハマって家庭を顧みなかった兄達と違って放蕩はしなかったが、
代りに軍務にハマって家庭を顧みなかった。

*妻オリガも、子供達をスパルタで育てた。

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ミハイルの又姪 マリア・パヴロヴナ大公女  

大叔父に当るミハイル大公は格段に背が高く、
エレガントな老紳士だったのが印象に強い。
均整の取れた優美な態度が完璧に演じられる人で愛想が良く、
今ではすっかり消滅してしまった一昔前の王侯貴族特有の雰囲気を身辺に漂わせ、
周囲の心をとらえて離さなかった。
祖父時代の宮廷作法通り、男性同士の会話にはトゥイを用いる最後の大公でもあった。
かなり老齢だったにもかかわらず、
婦人の前では必ず優雅なしぐさで腰を折り手の甲に接吻を授けた。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

ミハイル・ニコラエヴィチ大公は国民の親愛を得ていた温厚な人であったが、
妻オリガ大公妃は国民に極めて不人気だった。
彼女は艶麗で小才があり小策を弄することを好む陰謀家であった。

ミハイル・ニコラエヴィチ大公はかなり狭隧な人間で、
政治的にも狭隧であり政治的教養も少なかったが、伝統的な大公であった。
伝統の人であったため、コーカサス提督に任命された時に彼は伝統、
すなわちキリスト教化したコーカサスの住民に対して差別的待遇をせず、
ロシア人同様に扱うという方針を忠実に守った。

彼は物質的方面、すなわち金や土地に少しも執着を持たぬ人間であった。
しかし彼の妻オリガ大公妃は、
その方面では裏面で糸を引いた事はコーカサスにおける周知の事実である。


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by xMUGIx | 2008-01-20 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝ニコライ1世
先代アレクサンドル1世の弟
1796-1855 29歳即位 59歳没

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キュスティーヌ侯爵夫人

彼はいつも苦しさに耐えているような表情を浮かべていた。
そのため整った顔立ちにもかかわらず、感じの良い表情とは言えなかった。
もっともごくまれに優しい光が浮かんで、
尊大な支配者然とした顔つきが和らぐ事があった。
しかしその感じの良い表情も、すぐにもとの威厳ある端正な顔に戻るのだった。


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イギリス ヴィクトリア女王

彼は厳格でこれと定めた義務感に凝り固まっていて、
その気持ちを変えさせる事は絶対にできない。
聡明だとはとても思えない。教養が高いとも思えない。
おそらく教育がおろそかにされたのだろう。
彼の関心は、もっぱら政治と軍事に向けられている。


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■妻 アレクサンドラ・フョードロヴナ←シャルロッテ・フォン・プロイセン 
プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の娘
1798-1860 19歳結婚 62歳没

*夫妻は互いを<ニック>と<ムフィー>と呼び合って長く夫婦円満だったが、
中年以降は愛人を作るようになる。

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●アレクサンドル2世
次代皇帝
●マリア
ロイヒテンベルク公マクシミリアン・ド・ボアルネと結婚死別、
グレゴリー・ストロガノフ伯爵と貴賤再婚
●オリガ 
ヴュルテンベルク王カール1世と結婚
●アレクサンドラ 
ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒの前妻・本人死別
●コンスタンチン 
ザクセン=アルテンブルク公女アレクサンドラ・イオシフォヴナと結婚
●ニコライ 
オルデンブルク公女アレクサンドラ・ペトロヴナと結婚・別居
●ミハイル 
バーデン大公女オリガ・フョードロヴナと結婚




★愛人バルバラ・ネリドヴァ 妻の女官
1814-1897 83歳没
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by xMUGIx | 2008-01-19 00:00 | ロシア

ロマノフ朝

◆皇帝アレクサンドル1世
先代パーヴェル1世の子
1777-1825 48歳没

*生まれてすぐ両親から離されて、祖母エカチェリーナ2世に育てられる。
不仲である祖母エカチェリーナと父パーヴェルの板挟みになり悩みながら育つ。

*結婚後しても奔放な恋愛を楽しんでいたアレクサンドルは中年で神秘主義に傾き、
一変して家庭にこもって静かな生活を送るようになる。

*神秘主義に傾いたのはクリュデネル夫人と名乗る神秘主義者の影響。
彼女はロシア皇室の前はナポレオンに取り入ろうとしたが、
ナポレオンは関心を示さず「気違いばあさん」呼んで追い返された人物。

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ティーセンハウゼン伯爵夫人の証言

端正で繊細な顔立ちに、輝くほど瑞々しい肌をしている。
形の良い鼻と小さめの口が調和し、鋭敏で表情豊かな青い瞳は、軽い近視である。
黄金色の髪は古代のカメオやメダリオンのように入念に整えられ、
月桂樹かオリーブの冠を戴くにふさわしい。
気品のある堂々たる長身を、古代の彫像のように優美に前にかがめる癖があって、
慈愛に満ちた優しい雰囲気があり、それがあらゆる人の心をつかみ、
たちまちにして信頼感を抱かせる。

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(どの絵を見ても、言われるほど美男とは思えない…。もしかして、雰囲気イケメン?)
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■妻 エリザヴェータ・アレクセーエヴナ←ルイーゼ・マリー・アウグステ・フォン・バーデン
バーデン大公子カール・ルートヴィヒの娘
1779-1826 14歳結婚 47歳没

*皇后としては珍しくロシア語を完璧にマスターし、ロシアの歴史等も熱心に勉強したが、
内向的な性格からロシア宮廷になじめず、夫からも放置され、
ポーランド貴族アダム・イエジィ・チャルトリスキ公爵と不倫関係となる。

*チャルトリスキ公爵が追放されると、次は軍人アレクセイ・オコトニコフと不倫関係となる。

*エリザヴェータは子供を2人生んだが、どちらも夫の子ではないと言われる。
子供は2人とも幼くして早逝。

*しかし夫アレクサンドルは特に文句を言うこともなく、生まれた子供も可愛がった。
この夫婦は兄妹か同志のような間柄であったらしい。
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★夫の愛人マリア・ナルィシキナ 愛人関係19年
ポーランド王族マリア・チェツェティンスカ・/ナリシキン大公ドミトリーの妻
1779-1854 75歳没

*16歳で結婚して子供2人、20歳でアレクサンドルの愛人となり、39歳で清算、
59歳で前夫と死別、後夫と再婚、75歳没。

*子供うちの何人かは皇帝の子と言われる。
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★妻の愛人アダム・イエジィ・チャルトリスキ公爵 ポーランド貴族
1770-1861 91歳没

*関係を知った舅の皇帝パーヴェルにより海外駐在に飛ばされる。
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★妻の愛人アレクセイ・オコトニコフ  軍人
1780-1807 27歳没

*暗殺
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by xMUGIx | 2008-01-18 00:00 | ロシア


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