直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
カテゴリ
御貴族様
イギリス
イタリア
オーストリア
オランダ
ギリシャ
ザクセン
スウェーデン
スペイン
デンマーク
ノルウェー
バイエルン
フランス
ブルガリア
プロイセン
ベルギー
ポルトガル
ルーマニア
ロシア
朝鮮
中国
以前の記事

カテゴリ:イギリス( 55 )

アンジュー朝

◆国王ヘンリー2世
先代スティーブンのイトコ
1133-1189 21歳即位 56歳没

協定通りマティルダ王女の息子ヘンリー2世が即位する。
アンジュー朝の始まりである。

先代からイングランドを、母からノルマンディを、父からアンジュー伯爵領を相続する。
さらにフランスに広大な領地を有するアキテーヌ女公である妻を迎え、
ヨーロッパ一の大領主となり、<アンジュー帝国>と呼ばれた。

*心情フランス人・母語フランス語、英語は使えなかった。

*ヘンリーは片時もじっとしていられない性質で、食事の時以外は腰をおろさず、
礼拝時にもソワソワと動き回っていた。あまり眠りもしなかった。
野性的で荒々しい気性であったが、高い教養を持っていた。
ラテン語をはじめ各国の語学に通じており、人を魅了する話術も備えていた。

*肩幅は広く胸は厚く腕は太くがっしりしており、
肩まで垂れた赤い巻き毛に燃えるように光る眼、
野性味と知性が混じり合った不思議な魅力の持ち主であった。

*4人の息子全員に裏切られる。

a0130272_1801129.jpg





■妻 アリエノール・ダキテーヌ アキテーヌ女公
仏語名 アリエノール/エレアノール 英語名 エレノア/エリナー
1122-1204 82歳没

*15歳でフランス国王ルイ7世と結婚、子供2人生み離婚、
30歳でイギリス国王ヘンリー2世と再婚、子供7人生み別居、82歳没。
フランス王妃とイギリス王妃になった稀有な女性である。

≪フランス王妃としてのアリエノール≫
アリエノールは最初フランス王太子ルイと結婚した。
ところが結婚当日父王ルイ6世が亡くなったため花婿はルイ7世として即位した。
アリエノールは結婚と同時にフランス王妃となったのである。
しかし今までルイを意のままに操っていた僧侶は王妃に強い警戒感を覚えた。
そこで毎晩夫婦のベッドからルイを連れ去ったため、
結婚15年で王女2人しか生まれなかった。
吟遊詩人の本場で、華やかな恋愛が華ひらくボルドーの宮廷で育ったアリエノールと、
修道院で育った敬虔で地味なルイは水と油、うまく行くはずのない夫婦であった。
アリエノールは「王と結婚したと思ったら僧侶だった」と述べた。

信仰心の厚いルイは十字軍に参加することになった。
宮廷恋愛に夢中なはずのアリエノールも同行すると言い出した。
しかし彼女は手に負えないお荷物であった。
アリエノールにとって物見湯山の旅行に過ぎず、
彼女の衣装、道具、女官だけで一部隊が編成され、行く先々で好き勝手に行動した。
そして夫の苦労も知らず敵対するイスラム軍のプリンスと恋愛した。
ルイは十字軍を中断して帰国するしかなかった。
そして二人は離婚した。


≪イギリス王妃としてのアリエノール≫
アリエノールはルイと離婚してわずか2ヶ月後に
11歳年下のイギリス王ヘンリー2世と再婚した。
これによりアリエノールの領土はイギリスの物になる。
実にフランスの1/3以上の土地がイギリスに渡ったのである。
元夫ルイに対するしっぺ返しである。
さらに毎年のように子供を生み、4男3女をもうけた。
文化の香り豊かな宮廷に育ったので、フランスでもイギリスでも芸術家たちを保護した。

結婚15年が過ぎた頃、ヘンリーが若くて美しいロザモンド・クリフォードを愛人にする。
アリエノールは子供たちを連れてさっさとアキテーヌに戻り夫と別居した。
そして息子たちを父親に造反させたため、夫に捕らえられ15年間幽閉された。
しかし15年後、息子たちが再度造反し勝利を収め解放された。
解放された時アリエノールは67歳になっていたが、体力も気力も少しも衰えていなかった。
次々と王位に就く息子たちを補佐し、
82歳で亡くなるまで<アンジュー帝国>の中枢に君臨した。

a0130272_1801120.jpg

a0130272_23502526.jpg





アリエノール・ダキテーヌ&ヘンリー2世の子供
●若ヘンリー 
イギリス国王
●マチルダ 
ザクセン公=バイエルン公ハインリヒ3世と結婚
●リチャード1世 
イギリス国王
●ジェフリー 
ブルターニュ女公コンスタンスと結婚
●エレノア 
カスティーリャ王アルフォンソ8世と結婚
●ジョーン 
シチリア王グリエルモ2世と結婚、トゥールーズ伯レーモン6世と再婚
●ジョン 
イギリス国王


中央緑のドレスがジェーン王女
a0130272_1801130.jpg





★王の独身時代の愛人 イケネ 庶子1人


★王の愛人 ブルターニュ伯爵夫人ベルタ 庶子1人


★王の愛人 ローフ・プルートの妻 庶子1人


★王の愛人 フランス王女アリス

もともと息子リチャード1世の婚約者だったのを愛人にした。
アリスはその後フランスに帰国し騎士と結婚した。


★王の愛人 ロザモンド・クリフォード

ヘレフォードに領地を持つウォルター・クリフォードの娘で、
その美しさから「麗しのロザモンド」と呼ばれた。
ヘンリーはアリエノールを欺くため
人里離れたウッドストックの森に迷路のような離宮を建てロザモンドを囲った。
ヘンリーは狩猟に行くと言ってロザモンドのところに通っていたが、
アリエノールが赤い糸をたどってロザモンドを見つけたという。


★愛人ベルベル
晩年の愛人
[PR]
by xMUGIx | 2005-01-05 00:00 | イギリス

ブロワ朝

◆国王スティーブン
先代ヘンリー1世の甥
1096-1154 39歳即位 58歳没

*恰幅が良く立派な顔を持ち、屈託がなく寛容、勇猛果敢だが気性が激しく移り気だった。

a0130272_1801086.jpg



■妻 マティルダ←マティルド・ド・ブローニュ イトコ結婚
ブローニュ伯ウスタシュ3世の娘
1105-1152 20歳結婚 47歳没

*夫に広大なブーローニュ伯領をもたらしただけでなく、勇気と決断力の持ち主であった。
勇猛果敢であるが優柔不断な夫の王位を支えた。

a0130272_1801025.jpg





先代ヘンリー1世は皇太子に先立たれ、実子は娘マティルダだけになった。
ヘンリー1世は
神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世の未亡人となっていたマティルダを呼び戻すが、
マティルダは未亡人となった後も神聖ローマ皇后として贅沢な暮らしを楽しんでいたので、
イギリスに戻るのを嫌がった。
さらに実子を生むために10歳も年下のジョフロア4世と再婚させられたが、
マティルダは後夫のの強引な性格も、ごつごつした体格も、
そばかすだらけの四角い顔も気に入らなかった。
また国民も、
ヘンリー1世が外国人であるジョフロア4世との結婚を勝手に決めた事に不満を抱いた。

ヘンリー1世の死亡を知ると、ヘンリーの甥スティーブンが
マティルダ王女を差し置いて戴冠式を行い即位してしまう。
彼一代だけがブロワ朝である。
貴族たちはスティーブンの方を支持した。

王位を奪われたマティルダ王女は激怒し、
以降15年に渡り王位をめぐって両者の激しい戦いが続いた。
マティルダが二人いてややこしいので、スティーブンの妻は<マティルダ王妃>
ヘンリー1世の娘マティルダは<マティルダ王女>と呼ぶことにする。
この三人はそれぞれがいとこ同士の関係である。

前夫が神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世であったマティルダ王女は、
帰国してからも再婚してからも自分を皇后と呼ばせ続けた。
「女という衣をまとった男」とまで言われたキツイ性格のマティルダ王女よりも、
イギリス国民の人気はイギリス育ちのマティルダ王妃の方にあった。

一時はスティーブンは捕虜となるが、
その間マティルダ王妃が貴族をまとめ上げロンドンを制圧する。
劣勢となったマティルダ王女はスティーブンを釈放し、フランスに逃げ帰る。
スティーブン国王は自分の終身王位(不可侵条約)と引換えに
自分の死後はマティルダ王女の息子ヘンリー2世に譲位する和平協定を結んだ。
しかしこれはスティーブンの嫡男ユースタスに不満を抱かせることにもなる。




●ユースタス 
フランス王女コンスタンスと結婚
●メアリー 
フランドル伯子マチューと結婚離婚
●ウィリアム 
サリー伯女イザベルと結婚
[PR]
by xMUGIx | 2005-01-04 00:00 | イギリス

ノルマン朝

◆国王ヘンリー1世 通称:碩学王
先代ウィリアム2世の弟
1068-1135 32歳即位 67歳没

*兄弟の中では一番背が高くがっしりした体つきに端正な顔立ちをしていた。

*ウィリアム2世の死の現場にいたヘンリーは直ちに戴冠式を済ませ即位する。
ウィリアム2世の死からたった三日後という早業だった。
当時は即位のルールが確立していなかったので早い者勝ちなのである。

*有能な王として知られる一方、女道楽の国王としても知られ
庶子の数は20人を数え以降イギリス国王でこの記録を破った者はいない。
しかし皮肉にも嫡男には恵まれなかった。

*好物のウナギに当って死亡。

a0130272_180915.jpg





■前妻 マティルダ・オブ・スコットランド←エディス
スコットランド王マルカム3世の娘
1080-1118 38歳没

*エディスの美しさは広く知られており、絹のような白い肌、
教養も高く淑やかで、気品と優雅さが備わっていた。

しかし彼女は修道女だったため、ヘンリーの求婚に躊躇した。
ヘンリーには8人ほどの愛人がいて、すでに20人もの庶子がいた。
しかしこの結婚により
ノルマン人とアングロサクソン人の融和が期待されていたため承諾した。
スコットランド名のエディスはノルマン名のマティルダに改名した。

a0130272_180993.jpg





■後妻 アデライザ・オブ・ルーヴァン 35歳年下 
ブラバント公爵ゴドフロワ1世・ド・ルーヴァンの娘
1103-1151 夫53歳&妻18歳で結婚 48歳没

*18歳で53歳の国王ヘンリー1世と結婚、32歳で死別、
35歳でアランデル伯爵ウィリアム・ド・アルビーニーと再婚、7人子供生み、48歳没。

*唯一の男子であった皇太子が事故死したため、
3ヶ月後ヘンリー1世は嫡男を求めて慌てて再婚するがかなわなかった。

*<ブラバンドの美しき乙女>と呼ばれた美しい女性で、年の離れた夫によく仕え、
夫の遠征中も国内をうまく統治した。

*ヘンリー1世の死後、
アランデル伯爵ウィリアム・ド・アルビーニーと再婚して7人の子供に恵まれた。

a0130272_1801040.jpg





●前妻の子 マティルダ 通称モード→子は国王ヘンリー2世
神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世と結婚死別、アンジュー伯ジョフロワ4世と再婚

●前妻の子 ウィリアム 皇太子・早逝
アンジュー伯フルク5世の娘アリスと結婚




★王の愛人 ノルマンディーのカーンの女 庶子1人


★王の愛人 サー・ロバート・コービットの娘シビル 庶子1人
ハーバート・フィッツハーバートと結婚


★王の愛人 エディス
オックスフォード城代ロバート・ロイリと結婚


★王の愛人 モーラーン伯爵の娘イザベル
ペンブロク伯爵ギルバード・ド・クレアと結婚




●ウィリアム皇太子 早逝
1103-1120 17歳没
アンジュー伯フルク5世の娘アリスと結婚・本人死別

遠征先から帰国する際、
父王と皇太子妃妻アリスが同じ船に、皇太子は別の<ブランシュ・ネフ号>に乗った。
<ブランシュ・ネフ号>ではどんちゃん騒ぎが始まり、
皇太子は船長をけしかけて猛スピードで船を走行させた。
泥酔していた船員は舵を誤り、大きな岩にぶつかって皇太子一行は死亡した。
残された皇太子妃アリスは実家に戻り修道女となった。




●マティルダ 通称モード→子は国王ヘンリー2世
1102-1167 65歳没

*12歳で神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世と結婚、23歳で死別、
26歳で10歳年下のアンジュー伯ジョフロワ4世と再婚、49歳で死別、65歳没

マティルダ王女は神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世と結婚。
弟のウィリアム皇太子が海難事故で亡くなったため、
夫と死別すると王位継承者としてイギリスに呼び戻された。
父王には多数の庶子がいたが、実子はマティルダ一人になったからである。

前夫との間に子がなかったためアンジュー伯ジョフロワ4世と再婚させられ、
のちの国王ヘンリー2世を生んだ。

*長身で豪華な衣装を身にまとい、気性は激しく頑固で皮肉屋、
誇り高く権力欲が強いマティルダは、「女という衣をまとった男」と呼ばれてた。

*父王から呼び戻されたが、マティルダは未亡人となった後も
神聖ローマ皇后として贅沢な暮らしを楽しんでいたので、イギリスに戻るのを嫌がった。

*さらに実子を生むために10歳も年下のジョフロア4世と再婚させられたが、
マティルダは後夫のの強引な性格も、ごつごつした体格も、
そばかすだらけの四角い顔も気に入らなかった。

*また国民も、
国王が外国人であるジョフロア4世との結婚を勝手に決めた事に不満を抱いた。

a0130272_1801083.jpg

[PR]
by xMUGIx | 2005-01-03 00:00 | イギリス

ノルマン朝

◆国王ウィリアム2世 通称:赤顔王
先代ウィリアム1世の子
1060-1100 27歳即位 40歳没●未婚

*背が低くずんぐりしていて、髪も髭も赤く赤ら顔だったため
<ウィリアム・ルーファス>(赤顔王)と呼ばれた。

*同性愛者。

*父王危篤の知らせを受取ると
十字軍に参加して留守だった兄ロベール2世を差し置いて戴冠式を行い即位した。

*信仰心が無く、無教養で粗野で冷酷、
吃音癖のため演説は何を言っているのかわからなかった。

*しかし、たび重なる放蕩・乱脈の果てに謎の死を遂げる。
ウィリアムはお供と弟のヘンリー1世を連れて赤鹿狩りに出かけたが、
胸に矢が刺さった死体で発見される。
事故だったのか他殺だったのかいまだに謎となっている。

a0130272_180982.jpg

[PR]
by xMUGIx | 2005-01-02 00:00 | イギリス

ノルマン朝

◆国王ウィリアム1世 通称:征服王
もとフランスのノルマンディー公爵ギョーム2世 
1027-1087 39歳即位 60歳没

*人種ノルマン人・母語フランス語

*父はノルマンディー公爵ロベール1世、母はその愛人でなめし皮職人の娘アルレッタ。

*他の男性より頭一つ分大きく、がっしりとした体格、
美貌であったが表情は厳しく目つきが険しく、彼ににらまれると誰もが縮み上がった。

*軍を率いてイギリスに上陸しウェストミンスター寺院で戴冠式を行った。

*イギリスで初めての国勢調査を行い、それに基づいて税金を徴収した。

*フランス遠征中に落馬して死亡。

a0130272_180882.jpg





■妻 マティルダ・オブ・フランダース
フランドル伯爵ボードゥアン5世の娘
1031-1083 22歳結婚 52歳没

*極端に背が低く、美人でもなかった。

*名家の娘として大事に育てられ、教養が高く、刺繍も得意だった。

マティルダはウィリアムの求婚を
「由緒あるフランドル伯爵家の娘が、私生児などとは結婚できません」とはねつけた。
縁談は7年も膠着、業を煮やしたウィリアム1世がフランドルに乗り込み、
教会で礼拝を終えて帰宅途中のマティルダの三つ編みをつかんで泥道に引きずり出し、
殴る蹴るの暴行をはたらき逃げ去った。(えっ!)
ところがマティルダは、「わたくしを公衆の面前で殴るほどのお方なのですから、
勇気があり男らしいに違いありません」と結婚することに決める。
(えええっ! まあそういう時代なんでしょうなあ)
しかし血縁関係にあったことから教皇から婚姻の無効を宣告された。
のちに認められたがその条件として2人は修道院と尼僧院と病院とを寄進した。

*それまでイギリスには王妃が戴冠する習慣がなかったが、
ウィリアムは自分の遠征中にマティルダに国を任せられるように戴冠させた。
ゆえにマティルダは戴冠した初めてのイギリス王妃である。

*ウィリアムがイングランドで戦っている間、
マティルダは嫡男ロベールの摂政としてノルマンディをよく統治した。
しかしロベールには甘く、ロベールが父に反旗を翻した時も、
溺愛するロベールのために資金を提供し、
手持ちの金が無くなると衣装やアクセサリーを売り払ってまで援助を続けた。

a0130272_180864.jpg





●ロベール2世 
コンヴェルサーノ伯爵令嬢シビラと結婚
●ウィリアム2世 
次代国王
●アデラ→子は国王スティーブン 
ブロワ伯爵エティエンヌ2世と結婚
●コンスタンス 
ブルターニュ公アラン4世と結婚
●ヘンリー1世 
次々代国王
[PR]
by xMUGIx | 2005-01-01 00:00 | イギリス


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング
その他のジャンル