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by xMUGIx
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カテゴリ:イギリス( 55 )

ステュアート朝

◆アン女王●実子ナシ
先代女王メアリー2世の妹
1665-1714 37歳即位 49歳没

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■夫 ジョージ・オブ・デンマーク
デンマーク=ノルウェー国王フレゼリク3世の息子
1653-1708 30歳結婚 55歳没

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ジョージは何を聞かれてもフランス語で「えっ、本当?」と答えるのが口癖だったので
それがあだ名になった。

夫婦仲は良く17回も妊娠したがすべて早逝したため酒に溺れるようになっていった。
ブランディ・アンと呼ばれた。
現代ではアンが子供に恵まれなかったのは
ポルフィリン症を患っていたためとされている。
この病気はスコットランド女王メアリー・スチュワートを通じて
息子イギリス国王ジェームズ1世に遺伝したと考えられている。

アンは肥満体質でどこへ行くにも輿に乗っていたが
晩年は全く歩くことができないほど肥満が進み
宮殿内を移動するにも車椅子を使っていた。
亡くなった時の棺は正方形だったといわれる。


★女王の親友 サラ・ジェニングズ
1660-1744 17歳結婚 84歳没
初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルと結婚

セアラとアン女王と幼なじみで、アンが即位した時には女官長に任命された。
セアラとアンは同性愛が囁かれるほど親しく、アンはセアラに
28,000平米の屋敷と60,000平米の庭園を持つブレナム宮殿をプレゼントした。
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by xMUGIx | 2005-02-09 00:00 | イギリス

ステュアート朝

◆女王メアリー2世●実子ナシ
先代ジェームス2世の子
1662-1694 27歳即位 32歳没

*天然痘で死亡。

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■夫 ウィリアム3世←オラニエ公ウィレム3世 イトコ結婚
オラニエ公ウィレム2世の息子
1650-1702 27歳結婚 51歳没

*暗い性格

*同性愛者

*メアリーよりも12センチも背が低く、痩せて貧弱な醜男だった。

*モグラ塚に脚を取られて落馬して死亡。

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★夫の愛人 アーノルド・ヨース・ファン・ケッペル
1670-1718 48歳没

ウィリアムがイギリスに来る時に連れてきた16歳のオランダ人美少年。
金銭・宝石・土地を惜しみなく与え、アルベルマール伯爵の称号を与えた。
後にエドワード7世の愛人となるアリス・ケッペルの先祖である。
さらにアリス・ケッペルの曾孫がチャールズ皇太子と再婚したカミラ夫人である。

ウィリアムは王の目を盗んで女を追いかけ、女たらしでも有名であった。
男も女も驚きの魔性の愛人体質一族です。




★夫の愛人 ポートランド伯爵ウィリアム・ベンティンク
1649-1709 60歳没




★夫の愛人 エリザベス・ヴィリアーズ/ハミルトン夫人(女性の愛人もいます)
1655-1733 78歳没
チャールズ2世の愛人バーバラ・ヴィリアーズのイトコ。
メアリー女王の女官、メアリー女王、アン女王とは幼なじみであった。

エリザベスは不細工で斜視、しかし聡明で直裁的な話術に長けていた。
メアリー女王は政治にまったく関心がなかったが
ウィリアムは彼女とはそういう議論ができた。
また、周囲にウィリアムとの関係を隠し通す慎重さもあった。

しかし、メアリー女王は天然痘で亡くなるときに夫に手紙を残した。
エリザベスとの不倫を激しくとがめる内容だった。
ウィリアムは土地と年金を渡してエリザベスをお払い箱にした。
40歳だったエリザベスはジョージ・ハミルトン伯爵と結婚し、
3人の子を生み、幸福な結婚生活を送った。

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by xMUGIx | 2005-02-08 00:00 | イギリス

ステュアート朝

ジェームズ2世の子供


●前妻の子 宗教プロテスタント メアリー2世 次代女王
●前妻の子 宗教プロテスタント アン 次々代女王
●後妻の子 宗教カトリック ジェームズ・フランシス・エドワード 通称:老僭王




●メアリー2世 次代女王
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●アン 次々代女王
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●ジェームズ・フランシス・エドワード 通称:老僭王
1688-1766 78歳没
ポーランド王族マリア・クレメンティナ・ソビエスカと結婚
1688-1766 78歳没

国王ジェームズ2世と後妻との間に待望の男子が誕生したが、国民は喜ばなかった。
ジェームズ2世の後はプロテスタントのメアリー王女かアン王女が即位するからこそ、
国民はカトリックの国王の存在を許していたのである。
勝ち目がないと判断したジェームズ2世は妻と息子を連れてフランスに亡命した。
<名誉革命>
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by xMUGIx | 2005-02-07 00:00 | イギリス

ステュアート朝

◆国王ジェームズ2世
先代チャールズ2世の弟
1633-1701 52歳即位 67歳没
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父王チャールズ1世処刑後
母妃と子供たちは母の実家フランス王室に身を寄せた。
心情フランス人・宗教カトリック。

王政復古により兄チャールズ1世と共にイギリスに戻ることができた。
陽気な兄の死後即位したが、背が高く浅黒く憂鬱そうな顔つきの王だった。
熱烈なカトリックであったが、ジェームズの死後はプロテスタントである娘たち、
メアリー王女・アン王女が即位するので国民は辛抱した。
ところが後妻との間に男子が生まれてしまい、勝ち目がないと判断したジェームズ2世は
妻と息子を連れてフランスに亡命した。<名誉革命>




■前妻 アン・ハイド 宗教プロテスタント→のちにカトリックに改宗
大臣エドワード・ハイドの娘、実家にはのちにクラレンドン伯爵の称号が与えられる  
1637-1671 23歳結婚 34歳没

ジェームズは姉の女官アンを見初める。
アンは両親のあふれる愛を受けて育ち、明るく気さくな性格だった。
ジェームズは平民にすぎないアンに愛人となるように迫ったがアンは承知しなかった。
アンが妊娠するとジェームズは躊躇したが
兄チャールズ2世から自分を棚に上げて「約束した以上は守れ」と言われて結婚をした。
案外放蕩王チャールズ2世も結婚と浮気ははっきりと区別して
結婚は尊重すべきものというポリシーを持っていたのかもしれない。
夫の不貞に傷つき空虚感を食べることで埋めようとして
太るばかりで次第に気力を失いローソクが燃え尽きるように亡くなった。
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■後妻 メアリー・オブ・モデナ←マリーア・デステ 宗教カトリック 25歳年下
モデナ公アルフォンソ4世・デステの娘
1658-1718 15歳結婚 59歳没

すらりと背が高く黒髪でスタイルの良い15歳であった。
修道女になるつもりだったメアリーは
道楽者で親子ほども年の離れたジェームズとの結婚に躊躇したが
ジェームズは彼女を熱愛した。
メアリーは寛容で夫の放蕩を冷静に受け止めた。

カトリックであるジェームズ夫妻に風当たりが強かった。
そのためフランスへ再亡命し当地で亡くなった。
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●前妻の子 宗教プロテスタント メアリー2世 次代女王
●前妻の子 宗教プロテスタント アン 次々代女王
●後妻の子 宗教カトリック ジェームズ・フランシス・エドワード 通称老僭王
ポーランド王族マリア・クレメンティナ・ソビエスカと結婚




ジェームスが痩せて面相の悪い女性が好みだった。
「罪滅ぼしに神が醜い女を弟にあてがっているのだろう」と兄チャールズ2世は茶化した。
さらに人々は言った。
「チャールズはグルメ(美食家)だがジェームズはグルマン(大食家)だ」


★愛人 ジェイン・ミドゥルタン
1645-1692
サー・ロバート・ニーダムの娘/チャールズ・ミドゥルタンの妻




★愛人 ゴドサ・プライス
前妻の女官/サー・ハーバート・プライスの娘




★愛人 レディ・ロバーツ



★愛人マーガレット・デナム
1641-1667 26歳没
詩人サー・ジョン・デナムの妻

夫は27歳も年上だったので、喜んでジェームズの愛人となった。




★愛人 エリザベス・ハミルトン




★愛人アナベラ・チャーチル 庶子4人
1648-1730 82歳没 愛人期間10年
妹アン王妃の女官

長身で顔色の悪い骨と皮だけの女性だったが、
ジェームズはアナベラが狩りで落馬した時に見せた脚線美に魅せられたという。
ジェームズとの間に生まれた4人の庶子を連れて
チャールズ・ゴドフリー大佐と結婚して宮廷を去った。
40年もの幸福な結婚生活を送った。
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★愛人キャサリン・セドリー
1657-1717 60歳没
劇作家でもあるチャールズ・シードリー男爵令嬢、後妻の女官。

彼女は痩せて顔色が悪い上に近視で斜視、知性や機知にも欠け、
しかも奔放で王以外にも愛人がいた。
王の子を3人産んだが、王は自分の子かどうか疑っていた。
ジェームスの死後40歳で軍人ポートモア伯爵デーヴィッド・コーリアと結婚し、
さらに2人の子供を生んだ。
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痩せた女性が好きと言いながら王妃たちは肉感的でよく似てる。
それだから上手くいかなかったのか?
こういう肖像画の書き方が流行だったので似てるだけなのか。
王妃というより愛人のような肖像画ですね。
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by xMUGIx | 2005-02-06 00:00 | イギリス

ステュアート朝

◆国王チャールズ2世●実子ナシ
先代チャールズ1世の子
1630-1685 30歳即位 54歳没

*フランス国王ルイ14世はイトコにあたる。

*<ブラックボーイ>とあだ名されるほどの濃く豊かな黒髪を持ち、
180センチを超える長身だった。

*心情フランス人・宗教かくれカトリック。

父王チャールズ1世処刑後、
母妃と子供たちは母の実家フランス王室に身を寄せた。

イギリスでは共和制が始まったが実態はクロムウェルの独裁政治であった。
またピューリタンはプロテスタントの中でも極端に禁欲的なことで知られ、
その価値観を押し付けられた国民はあまりの窮屈さに音をあげ
王制の復活を望むようになる。
議会が王制復活を決議し、
フランスに亡命していたチャールズ2世を呼び戻した。<王政復古>
「メリー・モナーク」(陽気な王様)と呼ばれた。

王位もなく領土もない亡命中から、鬱憤を晴らすかのように放蕩に溺れる。
イギリスに戻ってからも、
結婚前から多くの愛人を持った。お忍びで売春宿にも出入りした。
クソ真面目なクロムウェルの統治に飽き飽きしていた国民は
遊び好きな新王を笑って許した。
チャールズは梅毒による心臓発作で亡くなったといわれる。

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■妻 キャサリン・オブ・ブラガンザ←カタリーナ・デ・ブラガンサ
ポルトガル国王ジョアン4世の娘
1638-1705 24歳結婚 67歳没

キャサリンは50万ポンドと船一杯の砂糖、
そしてモロッコのタンジールとインドのボンベイを持参金として嫁いでくる。
またイギリスに初めて紅茶の習慣を持ち込んだ。
背が低く、浅黒い肌、突き出た唇、内気で生真面目、敬虔なカトリックだった。
陽気な王様として名高いチャールズと結婚することになったのは
婚約者チャールズは堅実で高潔な人物だと聞かされていたからである。
実際は多くの愛人を持っていたチャールズには大きなショックを受けた。
多くの女性と浮名を流した王にとっては魅力的な花嫁とは言えなかった。
「まるでカラスを抱いているようだ」と王は言った。
側近たちも愛人のご機嫌取りばかりでポルトガルから嫁いできた王妃は孤独だった。
また王妃はカトリックで英語を話せなかったのでイギリスでは人気がなかった。
王妃が男子を生まなかったので王は離婚して再婚しようと考えた。
ところが愛人たちがこぞって反対した。
今の王妃より魅力的な妃が来て皇太子が生まれたら困るからだ。
王は強い反対に遭って王妃と離婚することはできなかった。
王の死後ポルトガルに帰国してのびのび過ごした。

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国民が彼に寛容であった理由はいくつかある。
まず、勢いでチャールズ1世を処刑したものの、
もともと王室好きにの国民は国王の不在が大きくこたえたということ。
またチャールズが愛人たちの面倒見が良かったこと。
愛人本人が行方不明になった数例を除き、例外なく充分な処遇をした。
それから王妃を常に守った。
王妃に礼を欠いた愛人は叱り飛ばされた。
そして彼はカトリックであったにもかかわらず、
自分の宗旨を明かさずプロテスタントにも理解を示した。
弟や娘たちにはプロテスタントを勧めたのも先見の明であろう。




チャールズは生涯に40人の愛人を持ち、
認知されているだけでも14人の庶子がいる。


★愛人クルスタベル・ウィンダム
乳母。初体験の相手とされている。




★愛人 マーガレット・ド・カートレット
ジャージー島の領主の娘




★愛人 シャティヨン公爵夫人イザベル・アンジェリク
夫人に遊ばれたという形。二人の関係は数年続いた。




★愛人 バイロン卿夫人




★愛人 エリザベス・キリグリュー 庶子1人
1632-1680 48歳没
劇作家サー・ウィリアム・キルグリューの娘/シャノン伯爵フランシス・ボイルの妻




★愛人 キャサリン・ペグ 庶子2人
1635-
ダービシャー州の大地主の娘




★愛人 オルタンス・マンチーニ/マザラン夫人
1646-1699 53歳没

マザラン枢機卿は妹二人が生んだ7人の姪をイタリアからフランスに呼び寄せた。
この7人の姪たちは「マザリネット」と呼ばれ、フランス宮廷で王侯貴族の注目を集めた。
マザリネットの内オランピアとマリーはフランス国王ルイ14世の愛人になり、
オルタンスはイギリス国王チャールズ2世の愛人になった。

夫のマザラン伯は異常だった。
たとえば性的だからといって乳搾りを禁止したり
ローマの彫像の性器を切り落としたり
メイドちが誘惑されないようにと前歯を折って醜くしたりした。
オルタンスにも男性に会うことを禁じたり田舎の屋敷に軟禁したり
女中に尾行させたりしたので彼女はとうとう夫の元から逃げ出して王の愛人となる。
しかしチャールズもあきれ果てるほど彼女は多情だった。
チャールズの死後は酒に溺れ美貌も健康も失ってしまった。
33年間病的なほど嫉妬深い夫から逃げおおせた彼女も53歳で亡くなった。
夫はオルタンスの亡骸をフランスに持ち帰り、あちこちを連れまわした。
妻はもう二度と裏切らない。それで彼は満足だった。

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★愛人 ウィニフリッド・ウェルズ
1612-1674
キャサリン王妃の女官




★愛人 キルデア伯爵夫人エリザベス




★愛人 ルーシー・ウォルター 庶子1人
1630-1658 28歳没

チャールズと出会う前に別の男性と同棲しており、バロウ夫人と名乗っていた。
「美しき売春婦、黒い肌の美女、勇気に富むが面白みのない女」と言われていた。
相当な男性遍歴を持った女性で、他の男性ともアヴァンチュールを楽しんだ。
ルーシーの裏切りを知ったチャールズは彼女と別れる。
ルーシーは困窮の果てに亡くなった。

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★愛人 バーバラ・ヴィリアーズ 庶子6人
1640-1709 69歳没
王党派議員ロジャー・パーマーの妻

チャールズがまだイギリスへ帰国していない時からの関係だった。
チャールズは夫にカールスメイン伯爵の称号を与える。
さらに後にはバーバラにクリーヴランド公爵夫人の称号を与える。

バーバラは19歳、美しい容貌、陶器のような肌、栗色の髪、卵形の顔、
官能的で身持ちが悪く貪欲で愚かで横柄だった。
チャールズと知り合った当時はチェスターフィールド伯爵の愛人だった。
王妃キャサリンが嫁いできたとき衝撃を受けたのが彼女の存在だった。
王は彼女と10年以上も確執を繰り広げた。
ヒステリーでおねだり上手で王以外にも多くの愛人がいた。
チャールズとはある意味似た者同士で、数々の恋愛スキャンダルを起こした。
劇作家、役者、綱渡り芸人、山師・・・、果てはチャールズの庶子モンマス公ジェイムズ、
手当り次第にベッドに連れ込んだ。
彼女はチャールズを罵り怯えさせ脅迫した。
金、称号、名誉を自分と子供たちに要求した。
バーバラの出産にあたっては、その都度誰が父親であるか揉めたが
いつもバーバラの粘り勝ちであった。
贅沢の上にギャンブル狂だったので王は湯水のごとく国庫を使わねばならなかった。
チャールズもかなり手を焼いたが一番長く付き合いが続いた。
愛人の一人モールバラ公ジョン・チャーチルは
ウィンストン・チャーチルの先祖である。

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★愛人 フランセス・スチュワート
1647-1702 55歳没
フランスに嫁いだ妹アン王女が、兄のために送ってきた女官

フランス育ちの洗練されたマナーで「ステュアートの佳人」と呼ばれ、
「ブリタニア」のモデルとなった。
チャールズとはしばらく愛人関係にあったが、チャールズには黙って
リッチモンド公爵チャールズ・スチュアートと駆け落ちして結婚してしまった。
チャールズは怒りがおさまると、銀貨にブリタニアとして彼女の像を刻んだ。

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★愛人 モル・デイヴィス 庶子1人
1648-1708 60歳没
女優

「世界で最も生意気な恥知らずのあばずれ女」との異名を取った。
翌年には同じく女優のネル・グィンに寵愛を取られる。
高額な年金を約束させて宮廷から去った。
後に宮廷楽師ジェームズ・ペジブルと結婚した。

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★愛人 ネル・グィン 庶子1人
1650-1687 37歳没 
女優

「可愛くてトンチがきくネル」と呼ばれた。
俳優チャールズ・ハート→チャールズ・サックヴィル卿→国王チャールズ
と渡り歩いたので、
ネルは最初の愛人を「チャールズ1世」、2番目の愛人を「チャールズ2世」、
そして国王を「チャールズ3世」と呼び、
「私の愛人はチャールズただ一人です」と言うのが持ちネタだった。
「変な魚を釣り上げたものだ」と王は笑った。

低い身分のため王からの待遇は良くなかった。
そこで息子を出産するとわざと舞台に復帰した。
ケチ臭い王だとアピールするためである。
王は慌てて家を借り調度を整え生活費を渡すようになった。
他の愛人が与えないものをネルは王に提供した。
きついジョークと何事にも動じない陽気さである。
「ネルさんはいつも素敵な下着を着けていらっしゃるそうね」
と他の愛人から言われたネルはすぐにスカートをたくし上げて丸見えにした。
同席していたフランス公使は大喜びで本国に報告した。
「私はこれまでかくも素晴らしい物をみたことがありません」
ジョーク好きで明るく数少ないプロテスタントの愛人だったネルは市民に人気があった。
ある日ネルが馬車で町に出かけたところ
ルイーズの馬車だと勘違いした人々に取り囲まれてしまった。
そこでネルが窓から顔を出し「あたしはプロテスタントの方の妾だよ」と言うと
拍手喝采が起こった。
ネルはチャールズから性病をうつされていたらしく心臓発作をで亡くなった。

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★愛人 ルイーズ・ケルアイユ 庶子1人
1649-1734 85歳没
フランスに嫁いだ妹アン王女の女官、フランス側のスパイ

ネルとは正反対の教養ある知的なフランス女性。
実はフランス国王ルイ14世から送られたスパイだった。
王の愛人となってイギリス側の動きをフランスに報告する役目を担っていた。
ベビーフェイスの可愛い顔立ちで気品があった。
ネル・グインは彼女に「しだれ柳」とあだ名をつけた。
外見と裏腹にバーバラ同様金銭欲と名誉欲は人一倍強かった。
バーバラのようになりふり構わず騒ぎ立てて手に入れるのではなく
知的に着々と自分のものにしていった。
政治にも口を出し王にも影響力を発揮して増長してゆく。
敵も多くなった。
チャールズは彼女を国外に追い出せという議会の要求をずっと無視していた。
チャールズは国事を有能なルイーズに委ねた。
彼女は政治の才能に恵まれていた。

臨終の際ルイーズがそばにいた。
王は密かにカトリックに改宗しており
ルイーズはそのことを知る数少ない一人だったのだ。
そしてカトリック司祭を呼んで臨終の秘蹟を授けてもらった。
弟ジェームズ2世には「ネルを飢えさせないように」と後を頼んだ。
チャールズ2世の死後はフランス大使館に保護されて帰国し
ルイ14世からの年金で生活し85歳で亡くなった。

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目まぐるしく変わるチャールズ2世の愛人の中で
最後まで愛人でいたのはネルとルイーズだけだった。


チャールズ2世の愛人たちってみんな似てますね。
当時の流行だったのかもしれないけど
肖像画の描き方も似てるから見分けがつきません。
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by xMUGIx | 2005-02-05 00:00 | イギリス

ステュアート朝

◆国王チャールズ1世
先代ジェームス1世の子
1600-1649 25歳即位 48歳没*処刑

*父親と同じく王権神授説の熱烈な信奉者で、議会と衝突する。

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側近 カンタベリー大主教ウィリアム・ロードの証言

温和で優雅ながら、偉大であること、
もしくはいかにして偉大になるべきかを知らない人。

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次男であるチャールズ1世は本来国王になる予定の人間ではなかった。
兄の皇太子ヘンリーは文武両道、そのうえハンサムで明るい性格だった。
チャールズ1世は幼い時から病弱で、脊髄と足に先天的な異常があり、
10歳になるまで歩くことができず、吃音症で会話も不明瞭だった。
大人になってからも身長は160cmにしか伸びず、吃音癖も残っていた。

しかし皇太子ヘンリーの早逝により、忘れられた存在だったチャールズが即位する。
長年のコンプレックスから王権神授説をふりかざし、
議会と衝突するわ、カトリックの王妃を迎えるわ、
宮殿に豪華なカトリックの礼拝堂を作るわで、何かと国民の感情を逆なでした。
議会から迫られて王権を制限する<権利の請願>に署名したものの、
チャールズは11年間も議会を開かせなかった。
クロムウェル率いる議会軍に敗北し、
ついにイギリスに前例のない王の斬首刑という事態に至った。

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■妻 ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス←アンリエット・マリー・ド・フランス
フランス国王アンリ4世の娘
1609-1669 16歳結婚 59歳没

*カトリックのヘンリエッタと結婚したこともプロテスタントの不信をかった。

*子供たちとともに祖国フランスに亡命。アヘン中毒になり死亡。

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★王妃の愛人 セント・オールバンズ伯爵ヘンリー・ジャーミン
1605-1684 79歳没

*夫と死別後ヘンリー・ジャーミンを愛人とし、フランスに亡命する際も連れて行った。
しかし彼はひどいDV男で、
王妃を子供たちの前で殴ったり蹴ったりするのは日常茶飯事だった。

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●チャールズ2世 次代国王

●メアリー・ヘンリエッタ 
オラニエ公ウィレム2世と結婚

●ジェームズ2世 次々代国王 

●ヘンリエッタ・アン 
オルレアン公爵フィリップ1世の前妻・本人死別




●チャールズ2世 次代国王

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●メアリー・ヘンリエッタ 
1631-1660 29歳没
オラニエ公ウィレム2世と結婚
1626-1650 24歳没

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フランスのオルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

*ゾフィーはチャールズ1世の姉ボヘミア王妃エリザベス・ステュアートの娘、
メアリーとはイトコ同士となる。

叔母〔ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストの妻ゾフィー〕
は具合がすぐれず、祖母〔エリザベス・ステュアート〕が
メアリー公妃の訪問に私を連れて行ってくれました。
私と同い年ぐらいの王子と遊んでいる時に近くにいた女性が気になり、
王子がその女性だと知らずに「あのとても大きな鼻をした女性は誰ですか」
と尋ねたところ、彼は笑って「僕の母です」と答えました。
私は驚きのあまり口がきけず、息を飲んで立ち尽くしてしまいました。

帰宅した後、祖母は横になっていた叔母の所へ行き、ベッドの端に腰をおろして、
「リーゼロッテには楽しい訪問でした」と笑って言い、一部始終を語って聞かせました。
叔母は祖母以上に楽しそうに笑い、
「上出来でしたね。気位の高いメアリーの鼻を折ったのですから」と喜びました。

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●ジェームズ2世 次々代国王

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●ヘンリエッタ・アン 
1644-1670 26歳没
オルレアン公フィリップの前妻・本人死別 イトコ結婚
1640-1701 61歳没

ヘンリエッタ・アン王女は兄ジェームズ2世に可愛がられ、
「ミネット」(子猫ちゃん)と呼ばれていた。
フランス国王ルイ14世の弟フィリップ1世と結婚するが、
同性愛者の夫は美しいヘンリエッタに見向きもしなかった。
同情した義兄ルイ14世と不倫関係になるが、
周囲の目をを欺くために自分の女官ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールを
ルイ14世の偽の愛人としてカムフラージュにした。
ところがそのうちルイ14世が本当にルイーズに恋してしまい、
もともと許されない関係であったヘンリエッタはあきらめざるを得なかった。

ヘンリエッタは腹いせに夫の愛人ギーシュ伯爵アルマンを愛人にするが、
フィリップの方は新しい愛人ロレーヌ公爵フィリップとその仲間たちを
館にまで連れ込んで妻の存在を無視して大騒ぎをした。
ヘンリエッタはルイ14世にこの苦境を訴えたため、
ルイはすぐにロレーヌ公爵を島送りにした。
ところがヘンリエッタが急死する。
ルイ14世はまたしてもフィリップを政略結婚させる。
再婚する条件としてフィリップが出した条件は、
ロレーヌ公爵を呼び戻して再び愛人とすることであった。

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by xMUGIx | 2005-02-04 00:00 | イギリス

ステュアート朝

国王ジェームズ1世の子供


●ヘンリー 皇太子 早逝

●エリザベス 通称:冬の女王
ボヘミア王フリードリヒ5世と結婚 

●チャールズ1世 次代国王




●ヘンリー 皇太子 早逝
1594-1612 18歳没
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●エリザベス 通称:冬の女王 →エリーザベト・シュトゥアルト
1596-1662 66歳没
ボヘミア王フリードリヒ5世と結婚 
1596-1632 36歳没

*エリザベスは大柄だかほっそりした体つきで、ピンクがかった肌に琥珀色の髪を持ち、
【イギリスの真珠】と呼ばれた。
高い教育を受け利発であったが、高慢なところはなく優しい性格だった。

ハプスブルク家はボヘミアにカトリックの王を送り込みプロテスタントを迫害した。
市民は激怒しカトリックの王を拒絶、
プロテスタントのフリードリヒをボヘミア王として迎えた。
しかしハプスブルク家はカトリック同盟軍を作って鎮圧、
たった1年でフリードリヒ一家はオランダのハーグに亡命することになる。
父ジェームズ1世はスペインとの関係を悪化させたくなかったし、
次に国王となった弟チャールズ1世も処刑されるなどゴタゴタしており、
イギリスからの援助が得られず一家は困窮する。
甥チャールズ2世が即位したため、エリザベスは48年ぶりにイギリスに戻れた。
その間に13人の子供が生まれていたが、夫はすでに亡くなっていた。

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エリザベスの孫 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

細面の祖母は黒髪と真っ直ぐな鼻をして、
父〔プファルツ選帝侯カール1世ルートヴィヒ〕によく似ていました。

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●チャールズ1世 次代国王
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by xMUGIx | 2005-02-03 00:00 | イギリス

ステュアート朝

◆国王ジェームズ1世
スコットランド女王メアリー・スチュワートの子
1566-1625 37歳即位 58歳没

*イングランドとスコットランドの旗を合わせて<ユニオン・フラッグ>を制定した。

*王権神授説の熱狂的な信奉者で、議会と衝突する。

左 母メアリー・スチュワート   右 ジェームズ1世
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■妻 アン・オブ・デンマーク
デンマーク=ノルウェーの王フレゼリク2世の娘
1574-1619 15歳結婚 44歳没

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先代エリザベス1世がジェームズを次代国王に指名して亡くなったため即位する。
スチュワート朝の始まりである。
美しいメアリー・スチュワートの息子がやってくると期待していたイギリス国民はがっかりした。
脚が湾曲しているためいつも足元がふらつき、
飛び出た大きな目をギョロギョロ回す癖があり、
唇に比べて舌が大きすぎ、滑舌が悪い上にダミ声で話が聞き取れなかった。
礼儀作法を知らず、振る舞いも粗野だった。

ジェームスは同性愛者で多くの側近を寵愛した。
女性恐怖症のような面があったが、それでも妻との間に9人の子をもうけた。
王妃は背が高く骨ばっていて、男っぽい性格だったので、良かったのかもしれない。

王妃は軽薄で浪費癖がありスコットランド時代から財政を脅かした。
パーティ、舞踏会、大旅行などを好み、
建築狂いで妙な建築物を多数つくって凄まじい浪費をした。
そのため王妃が亡くなると残された莫大な負債にジェームズ1世は悩まされる事になった。
また、プロテスタントからカトリックに改宗したりもした。
国民は彼女を「空っぽの頭」と呼んだ。




●ヘンリー 皇太子 早逝
●エリザベス 通称:冬の女王
プファルツ選帝侯フリードリヒ5世と結婚 
●チャールズ1世 次代国王




★王の愛人 レノックス公エズメ・スチュワート イトコ
1542-1583 41歳没

*美男に加えてフランス仕込のマナーの良さがジェームズを魅了した。

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★王の愛人 カーライル伯ジェームズ・ヘイ
1580-1636 56歳没

*スコットランドから連れてきた美青年。

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★王の愛人 ペンブローク伯フィリップ・ハーバート
1584-1650 66歳没

*狩りや鷹狩りに秀でておりジェームズの目に留まった。

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★王の愛人 サマセット伯ロバート・カー
1587-1645 58歳没

*エセックス伯夫人フランセスとも密通していた。
フランセスと結婚する際に妨害した詩人トーマス・オヴァバリーを共謀して毒殺した。
ロバートは死刑を宣告されたがジェームズが6年の懲役に減刑した。

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★王の愛人 バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズ
1592-1628 36歳没

*ジェームズは彼を「スティーニ」(スコットランド語で天使の意味)と呼んでいた。

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★王の愛人 ハントリー伯爵ジョージ・ゴードン
1562-1636




★王の愛人 ボスウェル伯爵フランシス・ステュアート
1563-1612



★王の愛人 キングホーン伯爵夫人アン・ライアン 通称レディ・アン・マレー
1579-1618 39歳没

*なぜか女性(笑)

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by xMUGIx | 2005-02-02 00:00 | イギリス

スコットランド

◆スコットランド女王メアリー・ステュアート
スコットランド王ジェームズ5世の子
1542-1587 0歳即位 44歳没

フランソワ王太子と結婚死別
→ダーンリー卿ヘンリー・スチュワートと再婚死別
→ボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーンと再々婚
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父ジェームズ5世が30歳で病死したが、
嫡男がなかったため生後6日のメアリーがスコットランド女王に即位する。
後にスコットランドで内乱が起きた際、フランス貴族出身の母マリーの提案で
メアリーはフランスのアンリ2世の元に逃れフランス宮廷で育てられた。




■最初の夫 フランソワ王太子
1544-1560 16歳没
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フランス国王アンリ2世はメアリーを「小さな女王ちゃん」と呼んで大いに可愛がった。
「フランスの白百合」と呼ばれ美しく成長したメアリーは
アンリ2世の子フランソワ王太子と結婚した。
アンリ2世が亡くなると王太子がフランソワ2世として即位し、
メアリーはフランス王妃となった。
しかしフランソワ2世は病死、結婚して2年、即位して1年の不幸だった。
姑カトリーヌ・ド・メディシスに嫌われていた彼女は宮廷に居場所を失い、
スコットランドに帰国した。




★宮廷詩人シャトラール
1540-1563 23歳没
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スコットランドに戻ってから宮廷詩人のシャトラールが
メアリーを熱愛するあまり寝室に忍び込むという事件が起きた。
彼はすぐに逮捕され処刑された。




■2番目の夫 ダーンリー卿ヘンリー・スチュワート
1545-1567 21歳没
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メアリーは自分より背が高い190センチ、金髪で踊りの上手な
イトコのヘンリー・スチュワートに一目惚れした。
やがてメアリーはとの結婚を考えるようになるがエリザベス女王が強硬に反対した。
イギリスの王位継承権を持つヘンリーとの結婚によって
メアリーの王位継承権が強化されることを恐れたためである。
そこで女王はヘンリーにすぐさまイギリスに戻るよう命令し、従わないと反逆罪とみなすとして
ヘンリーの母をロンドン塔に幽閉したが彼は従わなかった。




★愛人ダヴィッド・リッチオ
1533-1566 33歳没
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しかし一年も経たない内にメアリーは軽薄で尊大な酒乱の夫に愛想を尽かすようになった。
メアリーはイタリア人側近で音楽家のダヴィッド・リッチオを愛人にした。
ある夜食事会にヘンリーが乱入してきてリッチオをメッタ刺しにして殺した。
この時メアリーは妊娠中でヘンリーは妻にショックを与え
流産することを期待していたのである。
メアリーも傷を負ったが無事男子を生んだ。




■3番目の夫 ボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーン
1534-1578 43歳没
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別邸で爆発事件が起こりヘンリーの遺体が発見された。
犯人はボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーン。
彼はメアリーを自分の城に誘拐したがメアリーはジェームズに心を寄せるようになる。
そして夫の死後3ヶ月でジェームズと再々婚した。
夫を殺した犯人と結婚するメアリーに国民はあきれ返った。
カトリック・プロテスタント双方もこの結婚に反対した。
まもなく反ボスウェル派の貴族たちが反乱した。
ジェームズは国外へ逃亡したが逮捕されて獄死、
メアリーは反乱軍により退位させられ幽閉された。


スコットランドから脱走したメアリーはエリザベス女王の元に身を寄せた。
エリザベスはメアリーの扱いに頭を悩ませることになった。
スコットランドの国民はメアリーの復位を望んでいない。
かといってこのままイギリスに置けばカトリックの不満分子がメアリーに集まる。
実際カトリックたちはメアリーを担ぎ上げていくつもの陰謀を図った。
エリザベスは死刑執行書への署名を渋っていたが結局メアリーは処刑された。
エリザベスとメアリーは生涯顔を合わせたことはなかった。




●子はイギリス国王ジェームズ1世
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by xMUGIx | 2005-02-01 00:00 | イギリス

テューダー朝

◆女王エリザベス1世
先代女王メアリー1世の妹
1533-1603 25歳即位 69歳没●未婚

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ヴェネツィア大使の証言 若い頃のエリザベス女王について

御年23歳で、お顔立ちは美しいというより整っていらっしゃいます。
背はスラリとして均整が取れています。
美しい目をしていらっしゃいますが、何より美しいのは手です。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
フランス大使の証言 晩年のエリザベス女王について

顔はとても醜い。細長く頬はこけ歯は黄色く
歯並びが悪く抜けているので早口で話すと何と言っているかわからない。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ブランデンブルグの法律家の証言 晩年のエリザベス女王について

面長の顔、肌は白いがしわだらけで鼻が少し曲がっている。唇は薄く歯は真っ黒。
未婚女性は胸の開いた服を着る習慣なので皺の寄った胸が丸見えだ。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


母はヘンリー8世の2番目の妻アン・ブーリン。最初の妻の女官であった。
しかし父は嫡男を求めて、母を処刑し母の女官ジェーン・シーモアと結婚する。
エリザベスは王女の地位から私生児の地位に格下げになった。

エリザベスは乗馬の名手で狩猟が得意だった。
獲物を追いつめ息の根を止める、彼女の政治スタイルに似ている。
また当時の国際語であるフランス語イタリア語を英語同様に使えた他
音楽、ダンス、ユーモアにも富んでいた。
この荒ぶる魂と鋭い知性を持つ女王は当時の人々にもどこかしら不気味と感じられていた。

エリザベスは汚い言葉を吐き女官を打ったりつねったり側近を殴ったり唾を吐きかけたりした。
ロンドン塔に幽閉されていた時は鬱憤晴らしに猫を叩き潰している。

あちこちの国から縁談が持ち込まれた。
スペイン国王フェリペ2世、フランス国王アンリ3世の弟アンジュー公、
ハプスブルク家のカール大公、スウェーデン国王エーリク14世、ロシアのイワン雷帝・・・。
エリザベスは申込みを受けるようなそぶりを見せながら結果を引き延ばし、
実に24年ものあいだ彼らを翻弄し続けた。
そのあいだに結婚を餌に侵略を防ぎ国内の宗教戦いを消化した。

女王の座を手にするまではとにかく目立たない地味な格好をしていたが
即位すると絢爛豪華な衣装と宝石で飾り立てた。
王は神の代理人でありそれを万人に知らしめる目的のためだった。

エリザベスの威光を高めようとする演出は神がかり的なレベルになっていった。
肖像の彼女は永遠に年を取らない。ヴァージン・クイーンは生ける聖母マリアなのだ。

彼女は独身女性の格好をしていた。
16世紀半ばのイギリスでは未婚女性だけが首や肩を露出することを許されていた。
エリザベスは生涯この特権を利用した。
眉毛を抜き額を頭頂まで剃り上げ顔の上半分を大きく見せることで
少女のような愛らしさを作り出すのだが
同じことを彼女がすると奇怪なほどけばけばしい白塗りの老女でしかない。
69歳で亡くなった。

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手に持ってるのは透明ホース? ドレスにもいっぱい目が描いてあるし・・・
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博物誌みたいなドレスの柄
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手に持ってるのはタンバリン? まさかザルじゃないよね
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世界を踏みつけてるんですか、そうですか
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★宰相ウィリアム・セシル
1520-1598 78歳没

エリザベスは即位するとすぐにウィリアム・セシルを宰相にした。
有能かつ勤勉、信頼できる人間で死ぬまでの40年間エリザベスに忠誠を尽くした。
エリザベスも彼を「マイ・スピリット」(私の精霊)と呼んでいた。
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★宰相ロバート・セシル
ウィリアム・セシルの子
1563-1613 50歳没

父ウィリアムは自分の息子を後継者として育て上げた。
父ウィリアムが彼に遺した助言は、「女王に仕えることにより、神に仕えよ」
せむしで小柄だった。父と同じくエリザベスによく仕えた。
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エリザベスは生涯結婚はしなかったが、終生美男好みだった。


★初恋の人 トマス・シーモア
1509-1549 40歳没

父ヘンリー8世の6番目の妻/最後の妻キャサリン・パーは、
深い教養と慈愛の心を持つ女性だった。
自分とは血の繋がりのないヘンリー8世の子供たちの教育に情熱を注いだ。
王の子供たちは、厳格なカトリックであったメアリーですら優しい義母を敬愛していた。

ヘンリー8世の死後3ヶ月でキャサリンは
ヘンリー8世に引き裂かれたかつての恋人トマス・シーモアとようやく再婚を果たした。
未成年のエリザベスもシーモア家に引き取られた。
ところが野心家のトマス・シーモアがキャサリンの妊娠中に
エリザベスの寝室に出入りしているところを見られた。
キャサリンはショックを表面に出すことはしなかったが
エリザベスはシーモア家から出ざるを得なくなった。
キャサリンは出産の際に死亡した。
トマス・シーモアはエリザベスに求婚したが拒否された。
彼の野心は宮廷の怒りを買い、ロンドン塔に投獄され斬首された。

エリザベスは処刑当日の日記にこう記した。
『今日、知恵に富むが判断力に欠ける男が亡くなった』

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★愛人ロバート・ダドリー レスター伯爵
1532-1588 56歳没

ロバート・ダドリーはエリザベスと同い年で幼なじみだった。
180センチを越える長身、眉目秀麗、
馬上槍試合の名手で、ダンスが得意で話し上手だった。
エリザベスが彼につけたあだ名は<お目々ちゃん>
女王警護の総責任者である主馬頭に抜擢され、
宮廷での部屋もエリザベスのすぐ近くに与えられ、
翌年にはガーター勲章を受けて枢密院メンバーとなる異例の出世を遂げた。
エリザベスの彼に対する寵愛は誰の目にも明らかであったが、
彼にはは17歳の時に結婚した妻がいた。
その妻が階段から落ちて死んでいるのが見つかった。
ダドリーとエリザベスは微妙な立場に立たされた。
その後も愛人関係は続いたがもはや結婚は論外となった。
彼が秘かに再婚していたと知った時、エリザベスは彼をロンドン塔に放り込み、
妻は実家に閉じ込めておくとの条件で許した。
エリザベスはスコットランド女王メアリー・スチュアートの結婚相手として
ダドリーを推薦したが、メアリーは人のお古は嫌だと断った。
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★愛人ウォルター・ローリー
1554-1618 64歳没

美貌以外に取柄のないロバート・ダドリーとは違って
才気と覇気に満ちた伊達男で服装の凝り方も飛び抜けていた。
180センチ、黒髪で色白、上品な顔立ちをしていた。
宮廷にタバコを流行らせた人物である。
ローリーが女王の女官と秘密結婚していたことを知ったエリザベスは
彼をロンドン塔に放り込んだ。

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★愛人クリストファー・ハットン
1540-1591 51歳没

ダンスの巧みさで女王の目を惹き「羊さん」と呼ばれて人一倍可愛がれていた。

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★愛人ロバート・デヴルー エセックス伯爵 32歳年下
1565-1601 36歳没

32歳も年下の名家出身の美青年。エリザベスにとってダドリーの再来と思われた。
ダドリーと同じく主馬頭となり、枢密院のメンバーにもなる。
しかしダドリーと違って、彼は野心家であった。
エリザベスの反対をおしてアイルランド総督となり制圧に失敗し
勝手に講和条約を結んだ挙句任務を放棄してイギリスに帰ってきた。
さすがにエリザベスも彼をかばうことはせず、
枢密院の面々の前で彼を怒鳴りつけて殴った。
女王の寵愛を失ってあせったロバートは反乱を起こし逮捕・処刑された。

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by xMUGIx | 2005-01-26 00:00 | イギリス


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