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by xMUGIx
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カテゴリ:イギリス( 55 )

ハノーヴァー朝

◆国王ウィリアム4世●実子ナシ
先代ジョージ4世の弟
1765-1837 65歳即位 71歳没
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*兄王ジョージ4世の唯一の王女シャーロットが嫡子を遺さず亡くなったのを見て、
20年間も夫婦同然だった愛人を捨て、しかるべき身分の女性を探し結婚をする。

*しかし皮肉にも、庶子は10人もいたが実子はできなかった。

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当時の記録

情け深く善意に満ち、決して馬鹿ではなくおどけ者で、元気のいい老人である。
もし気が狂ったりしなければ立派な国王になるかもしれないが、
時おり奇行が見られる。

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■妻 アデレード←アーデルハイト・フォン・ザクセン=マイニンゲン 27歳年下
ザクセン=マイニンゲン公ゲオルク1世の娘
1792-1849 26歳結婚 57歳没
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★愛人ドロシー・ジョーダン 庶子10人生む
1761-1816 55歳没

愛人と言えば王から沢山のプレゼントを巻き上げる存在だが彼の場合逆だった。
ウィリアムは女優ドロシー・ジョーダンに充分な生活費を渡すと約束していたが
一度も履行されたことはなかった。
20年間王の子供を10人も生みながら彼女はイギリス中を興行して回り金を稼いだ。
ウィリアムとドロシーはブッシー・ハウスに引越した。
この豪華な邸宅は王から愛人へのプレゼントではなく
愛人から王へのプレゼントだったのである。
ドロシーは病気になり稼げなくなって
債務者刑務所に収監されることになりフランスへ逃げた。
ウィリアムは彼女を助けるために指一本動かすことはなかった。
手紙の一通も書かなかった。
ドロシーは彼からの連絡を待ちわびながらフランスで亡くなった。
ウィリアムは正式な結婚をするためにドロシーを捨てたのであった。
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by xMUGIx | 2005-02-19 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

国王ジョージ4世の愛人

*ジョージはかなり年上の孫までいるような女性に尻に敷かれるのが好みだった。

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親友の証言

すべての女性を愛おしむあまり、誰か一人の女性だけを愛おしむことなどできない男。
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★愛人メアリー・ロビンソン 1780年代の愛人
1757-1800 43歳没
女優・人妻

17歳のジョージは21歳の美人女優メアリーに惚れ込む。
人妻であり2人の子持ちであった。
豪華な住まいや宝石を贈り続けこれが彼の借金人生の始まりとなる。
さらに「自分が二十歳になったら2万ポンド贈る」という証書もプレゼントしてしまう。
ジョージがメアリーの付き人に夢中になったため、7ヶ月で破局する。
しかしジョージが出したラブレターをネタにゆすられ、
父王ジョージ3世はラブレターを買い戻すために5000ポンド支払った。
しかしまだ証書があったので、
父王はさらにメアリーとその子供たちに年金を支給することになった。

後にメアリーは詩人として有名になる。
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★愛人グレース・エリオット 1780年代の愛人
1754-1823 69歳没
高級娼婦
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★愛人フランセス・ヴィリアーズ 1790年代の愛人
1753-1821 68歳没
母の友人。
夫は国王の主馬頭ジャージー伯爵ジョージ・ヴィリアーズで20歳も年上の夫だった。

この頃ジョージは借金をチャラにするために結婚したものの
王妃に嫌気がさして女性遍歴を再開した。
夫との間に10人の子供を生むが、下の2人はジョージの子と言われる。
ジョージがフィッツハーバード夫人に夢中になったことによりこの関係は終わった。
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★愛人メアリー・スマイス/フィッツハーバート夫人 1790年代の愛人 
1756-1837 81歳没 ジョージとの間に庶子10人あり

バツ2 一番長い愛人 秘密結婚していた
19歳の時にエドワード・ウェルドと結婚死別、トマス・フィッツハーバートと再婚死別。

ジョージが22歳の時に28歳のフィッツハーバート夫人と出会う。
鼻が長く小麦色の肌のフィッツハーバート夫人は美人ではなかったが
穏やかで高貴な雰囲気を漂わせていた。身持ちが良く金への執着もなかった。
問題は彼女はカトリックだったことだが、
何よりもジョージ好みの「すばらしい胸」の持ち主だった。
ジョージはブライトンに館を買ってフィッツハーバード夫人と暮らし始める。
秘密結婚して、その後10年ほどはまずまずの生活を送った。
夫人は年齢と肥満を重ね、ジョージは女遊びを重ねた。
ジョージがハートフォード夫人に夢中になったことによりこの関係は終わった。
年金1万ポンドを与えられた。
その後ジョージが亡くなったとき遺体の首にかかっていたペンダントには
フィッツバード夫人の絵が入っていた。
ロケットは遺体とともに埋葬された。
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★愛人イザベラ・アン・イングラム 1810年代の愛人
1759-1834 75歳没
夫はハートフォード侯爵フランシス・シーモア=コンウェイ

もともとジョージが皇太子の時に魅かれた女性だったが、
夫はジョージから妻を引き離しておいた。
しかしジョージは30年後ハートフォード夫人を手に入れる。
夫人は大柄ででっぷりした女性ですでに孫がいた。
周囲は驚いたが夫人は温かい家庭生活で彼を包んだ。
彼女は政治にも口を出すようになるが、
父王や内閣とことごとくぶつかっていたジョージをうまくなだめて妥協させた面もある。
信頼されていたハートフォード夫人も
ジョージがカニンガム夫人に夢中になったことによりこの関係は終わった。
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★愛人エリザベス・カニンガム 1820年代の愛人
1769-1861 92歳没
夫はヘンリー・カニンガム侯爵、5人の子持ち。

カニンガム夫人は美しいが非常識さが目立ち 「卑しい女」扱いをされていた。
しかし情事には事欠かず、ロシアのニコライ1世とも恋愛した。
エリザベスは強欲だったのでジョージは国の宝物庫にあった
伝来の宝石までプレゼントしてしまった。

カニンガム夫人に対するジョージの愛は死ぬまで変わらず
年をとるにつれて彼女に依存するようになっていく。
彼女はジョージ4世が亡くなるまで付き添っていたが、
ウィリアム4世が即位すると宮廷から閉め出された。
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★愛人アナ・マリア・クラウチ
1763-1805 42歳没
オペラ歌手・人妻

ジョージは彼女に金や宝石や豪華なプレゼントを贈った。
そして、ラブレターと証書も。
ジョージが別れようとすると、またもラブレターや証書を盾にゆすられた。
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★愛人ヘンリエッタ・ポンソンビー/ベスボロー夫人/通称ハリエット
1761-1821 60歳没
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by xMUGIx | 2005-02-18 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

◆国王ジョージ4世
先代ジョージ3世の子
1762-1830 58歳即位 67歳没
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■妻 キャロライン・オブ・ブランズウィック
←カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル イトコ結婚
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの娘
1768-1821 27歳結婚 53歳没
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ジョージのあだ名は<快楽の王子>。
彼は自分の全生涯を愉快に過ごすことだけに捧げた。
10代の頃から酒と麻薬に溺れた女たらし、
飲む打つ買うの上におしゃれと美食と美術品と建築物に目がない底なしの浪費家だった。
そのため莫大な借金を負うことになり、独身貴族を泣く泣くあきらめて、
持参金つきの妻と結婚して借金を帳消しするしかなくなる。

初対面の時ジョージは彼女の強烈な体臭に驚きキャロラインは彼の肥満に驚いた。
キャロラインは小柄で肥満体、陽気で騒々しく優雅さや洗練さとは無縁で、
風呂に入らず歯磨きもせず下着も替えなかったので体臭が強かった。
ドレスは汚れて擦り切れ洗濯もされていなかった。
キャロラインの身だしなみを一目見て震え上がったジョージは
「気分が悪い」とつぶやき去っていった。
それでもジョージは新婦と3回性交した。
「体中があまりにも不潔で吐き気がした。二度とこいつに手を触れるものかと誓った」
とジョージは友人に書き送った。

そして実際彼は二度と妻に触れなかった。
ところがこれだけでキャロラインは妊娠しシャーロット王女を生んだ。
そこで役目を終えた二人は別居することになる。
キャロラインはイギリスでもヨーロッパでも情事を重ねた。
海軍大佐サー・シドニー・スミスを愛人とし、次に海軍大佐トマス・マンビーに乗り換えた。
イタリアではイタリア人兵士バルトロメオ・ベルガミを愛人にした。
情事には不自由しなかったが、
彼女はどんどん肥満して衣装も態度もだらしなくなっていった。

ジョージは妻をを戴冠式に呼びたくなかった。
そこで彼は妻の不貞を理由に離婚裁判を起こした。
双方マスコミを使って相手を攻撃し、大々的なスキャンダル合戦を繰り広げた。
結局離婚は認められなかった。王は戴冠式で一計を案じた。
戴冠式が行われるウェストミンスター寺院の扉を閉ざして王妃を入れなかったのである。
これがきっかけとなったのかキャロラインは1ヶ月も経たない内に亡くなった。
イギリスには埋葬されたくないという遺言を残して。




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ジョージは他人の金で何か美しいものに時間を費やすのが一番の幸せだった。
彼は自分の全生涯を愉快に過ごすことだけに捧げた。
彼の華麗な生活は無謀な浪費によって維持されていた。
建築熱に浮かされて王宮や宮殿や街を造りかえた。
また着飾るのが好きだった。
彼が上院に登場した時の格好は、
金糸で刺繍された黒のベルベットの上下(裏地はピンク)に
ピンクの靴、チリチリにカールさせた髪というものだった。
また大食漢であった。
ある日の朝食は鳩のパイを2枚、ステーキ3枚、ワイン1本、グラス1杯のシャンパン、
グラス2杯のポートワイン、グラス1杯のブランデーをとっている。

晩年のジョージは肥満のため横たわることもできなくなり、
一日中ブランデーやアヘンに酔って過ごした。
体重は110キロ、ウエストは125センチ。
そして肘掛椅子に座ったまま亡くなった。




●子は王女シャーロット・オーガスタス
1796-1817 21歳没
ベルギー国王レオポルド1世の前妻・本人死別
1790-1865 75歳没

*シャーロットは父王に溺愛されていたが、
目が行き届かないこともあって恋多き王女に育つ。
オランダ国王ウィレム2世との縁談がもちあがるが、
イギリスを離れたくないからと拒絶する。
結局ベルギー国王レオポルド1世と結婚することになるが、
結婚式までにシャーロットが別の男性と駆け落ちしないように厳重に見張られていた。
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by xMUGIx | 2005-02-17 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

国王ジョージ3世の子供


●ジョージ4世 
次代国王

●フレデリック 
プロイセン王女フレデリカと結婚

●ウィリアム4世 
次々代国王

●シャーロット 
ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の後妻

●エドワード 
ザクセン・コーブルク・ゴータ公女ヴィクトリアと結婚→娘はヴィクトリア女王

●オーガスタ 
未婚

●エリザベス 
ヘッセン・ホンブルク方伯フリードリヒ6世と結婚

●アーネスト 
メクレンブルク・シュトレーリッツ大公女フリーデリケと結婚

●オーガスタス
ダンモア伯爵の娘オーガスタ・マレーと秘密結婚・離婚、
アラン伯爵の娘/未亡人セシリア・レティシアと秘密再婚 

●アドルファス 
ヘッセン・カッセル・ルンペンハイム方伯の娘オーガスタと結婚

●メアリー 
グロスター公ウィリアム・フレデリックと結婚

●ソフィア 
未婚

●アミーリア 
未婚




●ジョージ4世 次代国王

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●フレデリック●実子ナシ 
1763-1827 64歳没
プロイセン王女フレデリカと結婚
1767-1820 53歳没

*妻フレデリカは不細工でひどい口臭があり、
異常に小柄で足のサイズは5,5インチしかなかった。

*内気なフレデリカはぬいぐるみに囲まれて暮らしており、夫の浮気にも寛大だった。

*女優メアリー・アンクラークを愛人とし、
政治家や実業家から賄賂を取っていたことが発覚し失脚。

*その後は、ラットランド公爵夫人エリザベス・ハワードを愛人にした。

夫妻の風刺画
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●ウィリアム4世 次々代国王

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●シャーロット●実子ナシ 
1766-1828 62歳没
ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の後妻
1754-1816 62歳没

*夫フリードリヒの前妻は兄ジョージ4世の妻キャロラインの妹アウグステ。
フリードリヒは結婚直後からアウグステに暴力をふるい、
離婚を申し出たアウグステは不貞の罪で幽閉され24歳で死亡。

*フリードリヒは巨大な肥満体の奇怪なルックスだったが、
シャーロットはこの縁談に飛びついた。新郎は45歳、新婦は30歳であった。

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●エドワード→娘はヴィクトリア女王

ジュリー・サン・ローランと27年も夫婦同然の生活を送ったが、
52歳の時に32歳のザクセン・コーブルク・ゴータ公女ヴィクトリアと結婚。
彼女はライニンゲン公エミッヒ・カールの未亡人で二人の子持ちだった。
二人の間には後の女王ヴィクトリアが生まれるが
生後半年でエドワードは死亡する。

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●オーガスタ 未婚
1768-1840 72歳没

*父王の侍従武官サー・ブレント・スペンサーと秘密結婚

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●エリザベス●実子ナシ 
1770-1840 69歳没
ヘッセン・ホンブルク方伯フリードリヒ6世と47歳で結婚
1769-1829 60歳没

*エリザベスは絵画が堪能だった。

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●アーネスト
1771-1854 80歳没
メクレンブルク・シュトレーリッツ大公女フリーデリケと結婚 イトコ結婚 バツ2子持ち
1778-1841

*フリーデリケは15歳でプロイセン王子ルートヴィヒと結婚、
子供2人生み18歳で死別、
25歳でフリードリヒ・フォン・ゾルムス=ブラウンフェルスと再婚、
子供4人生み36歳で離婚、
37歳でイギリス王子/カンバーランド公爵エルンスト・アウグストと再々婚、
子供1人生み63歳没。

*アーネストは完全に常軌を逸した人物で、
些細なことで従僕を殴り殺したり強姦未遂事件も頻繁に起こしていたと言われる。

*フリーデリケも2人の前夫を暗殺したと噂される女性で、似合いの夫婦だった。

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●オーガスタス 秘密結婚2回
1773-1843 70歳没

*病弱で転地療養が多く、その先々で秘密結婚をした。

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■前妻 ダンモア伯爵の娘オーガスタ・マレー
1768-1830 62歳没

オーガスタスはイタリアを旅行した際彼女と出会った。
2人は父王ジョージ3世の同意のないまま結婚した。
オーガスタスはロンドンに連れ戻された。
裁判所はこの結婚を王の同意を得ていないことから無効だとした。
それでも二人は8年間同棲して子供も生まれた。
しかし彼は議会年金12,000ポンドをもらうためオーガスタと子供たちを捨てた。
オーガスタはさらに子供たちの保護権を保持し年4,000ポンドの養育費も受け取っていた。


■後妻 アラン伯爵の娘セシリア・レティシア
1785-1873 88歳没

サー・ジョージ・バギンの未亡人で王子とは貴賎結婚にあたる。
この結婚も王の同意を得ないものだった。




●アドルファス 
1774-1850 76歳没
ヘッセン・カッセル・ルンペンハイム方伯の娘オーガスタと結婚
1797-1889 92歳没

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●メアリー●実子ナシ 
1776-1857 81歳没
グロスター公爵ウィリアム・フレデリックと40歳で結婚 イトコ結婚
1776-1834 58歳没

*40歳でグロスター公爵と結婚するが、粗暴な夫に苦しめられた。

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椅子の2人 左はヴィクトリア女王 右はメアリー
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●ソフィア 未婚
1777-1848 70歳没

その生涯の間数多くの噂に付きまとわれた。
56歳の馬丁トーマス・ガースとの間に男子を生んだ。
しかし実は兄のアーネストとの間の子で、
ガースはその尻拭いに過ぎないとも言われている。

ソフィアはヴィクトリア王女の教育係であるジョン・コンロイの魅力の虜となり
彼に自分の資金の管理を任せていた。
ソフィアは10年もの間視力を失って過ごした後に亡くなった。
ソフィアの死後コンロイが彼女の金を使い込んでいたのが発覚した。

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●アミーリア 未婚
1783-1810 27歳没

結核になった時の主治医の息子チャールズ・フィッツロイと恋愛関係になり
性病をうつされ27歳で亡くなった。
死後、彼と秘密結婚していたことが発覚した。
遺書には全財産をフィッツロイに贈ると書かれていた。

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by xMUGIx | 2005-02-16 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

◆国王ジョージ3世
フレデリック・ルイス皇太子の子
1738-1820 22歳即位 81歳没

*久しぶりのイギリス生まれのイギリス育ちだったジョージは国民に愛された。
先代たちのように愛人を持つこともなく、
妻子を大切にし質素な生活を好んだところも好感を呼んだ。

*彼は10歳でやっと字が読めるようになり、
20歳で字が書けるようになったが子供並の文章だった。

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■妻 シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
←シャルロッテ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ
メクレンブルク=シュトレーリッツ公子カール・ルートヴィヒの娘
1744-1818 17歳結婚 74歳没

*この妻も英語はまったく駄目で
結婚式の時の「アイ・ウィル」という返事すら覚えられず
結局本番では「イッヒ・ウィル」という珍妙な返事をした。
不細工で知性に欠けていたが、夫婦仲は良かった。

*夫妻は共にスキャンダル・不倫などに厳しい倫理観を持っており
子供にもそう接したがこの教育は裏目にでる。
(ただし、王妃は夫の目を盗んで情事は楽しんでいた)

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*王は子供たちの非行に悩むことになる。
もともとハノーヴァー家は好色の血統で品行方正なジョージ3世が例外なのである。
王は子供たちのスキャンダルに心を痛めついには発狂してしまった。
現在ではポルフィリン症だったのではないかと言われている。
そしてまた非行に走った子供たちもポルフィリン症だった可能性が高いと言われている。

これは遺伝性の代謝異常で初期は痙攣と関節の激しい痛みと発疹、
さらに白目が黄色くなりろれつが回らなくなり、錯乱状態に陥る。
幻覚症状やヒステリー症状、妄想症、精神分裂症を引き起こすために
精神病と思われることが多い。

日頃は穏やかで清廉潔白なジョージが
女官に襲いかかったり子供たちにも暴力を振るったりした。
片側のヒゲだけ剃って、反対側は剃るなと言ったりした。

ジョージ3世だけでなく、ジョージ1世・ジョージ2世・フレデリック・ルイス皇太子など、
ハノーヴァー王家の人々には何かと奇行が多いのもポルフェリン症の遺伝だと思われる。

ジョージの精神状態は良くなったり悪くなったりしたが
晩年は回復せず、目もほとんど見えず耳もほとんど聞こえなくなり、
紫色の部屋着で長く白いアゴヒゲを生やし部屋に引きこもってハープシコードを弾いた。
そして過去の出来事を大声で語るのみであった。
王妃は彼の姿を見るのも嫌がった。

王子たちは愛人を作って中年になるまで独身貴族を楽しんでいたが
兄のジョージ4世が子供を遺さなかったことから
自分の子供を作って王にすることを狙って慌てて結婚していく。

王女たちは両親から恋愛を厳しく監視されていた。
年寄りの男しか出入りさせず、中年になっても縁談を手配しなかった。
皮肉にも若い男性に接する機会のなかった王女たちは手近な男の手に落ちていく。




●ジョージ4世 
次代国王

●フレデリック 
プロイセン王女フレデリカと結婚

●ウィリアム4世 
次々代国王

●シャーロット 
ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の後妻

●エドワード→娘はヴィクトリア女王 
ザクセン・コーブルク・ゴータ公女ヴィクトリアと結婚

●オーガスタ 
未婚

●エリザベス 
ヘッセン・ホンブルク方伯フリードリヒ6世と結婚

●アーネスト 
メクレンブルク・シュトレーリッツ大公女フリーデリケと結婚

●オーガスタス
ダンモア伯爵の娘オーガスタ・マレーと秘密結婚・離婚、
アラン伯爵の娘/未亡人セシリア・レティシアと秘密再婚 

●アドルファス 
ヘッセン・カッセル・ルンペンハイム方伯の娘オーガスタと結婚

●メアリー 
グロスター公ウィリアム・フレデリックと結婚

●ソフィア 
未婚

●アミーリア 
未婚
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by xMUGIx | 2005-02-15 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

皇太子フレデリック・ルイスの子供


●オーガスタ 
ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル公
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントと結婚

●ジョージ3世 
次代国王

●エドワード・オーガスタス 
未婚

●ウィリアム・ヘンリー 
未亡人マリア・ウォルポールと秘密結婚

●ヘンリー・フレデリック 
聖職者の娘オリヴァ・ウォルモットと秘密結婚、
未亡人アン・ホートンと秘密再婚

アン・ホートン夫人と秘密結婚

●キャロライン・マティルダ 
デンマーク国王クリスチャン7世と結婚




●オーガスタ 
1737-1813 76歳没
ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル公
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントと結婚
1735-1806 71歳没

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●ジョージ3世 次代国王

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●エドワード・オーガスタス 未婚
1739-1767 28歳没

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●ウィリアム・ヘンリー
1743-1805 62歳没
7歳年上のウォルドグレイヴ伯爵未亡人/サー・エドワード・ウォルポールの庶子
マリア・ウォルポールと秘密結婚
1736-1807 71歳没

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●ヘンリー・フレデリック
1745-1790 45歳没

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■前妻 聖職者の娘オリヴァ・ウォルモットと秘密結婚


■後妻 アン・ホートンと秘密再婚
クリストファーホートン未亡人/カーハンプトン伯爵の娘
1742-1808 66歳没

*ヘンリーと後妻アンは互いに多くの浮名を流した浮気者同士の再婚であった。

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●キャロライン・マティルダ 
1751-1775 24歳没
デンマーク王クリスチャン7世と結婚
1749-1808 59歳没

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キャロラインはデンマーク王クリスチャン7世と結婚した。
クリスチャンは華奢で背の低い人形のような外見していたが
酒に溺れ街なかでの乱暴な振る舞いと無分別な暴力で有名な国王だった。
要するに頭のいかれた女たらしのアル中だったのである。

クリスチャンは早々に結婚生活が気にくわなくなった。
彼はキャロラインを愛せないと公に宣言さえして無視し彼女は孤独な生活を送った。
彼は悪友たちと娼館で馬鹿騒ぎをする生活に戻ってしまった。

姑はクリスチャンの継母ユリアーネ・マリーエ。
彼女は自分の息子フレゼリクを王位につけることを狙っていた。
そのため跡継ぎを生む可能性のあるキャロラインは敵とみなされた。

クリスチャンの精神状態が急速に悪化した。
王はふさぎこみ泣いてばかりいた。
現在では統合失調症だったのではと言われている。
ヨハン・フレゼリク・ストルーウンセというドイツ人医師が主治医になって王は快復した。

ところが今度はキャロラインが夫から梅毒をうつされた。
ストルーウンセが王妃の治療に当たった。
キャロラインは夫の脅威と虐待のさなかにあって
毎日自分の話をじっくりと聞いてくれるストルーウンセと恋に落ちた。
キャロラインの情事が始まると
クリスチャンは妻にもストルーウンセにも前よりも愛情を抱くようになった。
側近から忠告を受けても
「余は妃とストルーウンセの関係を心底喜んでいる。あの男は妃の欲求に完全に応えてくれるのだ」
と言った。
王はキャロラインとストルーウンセがそばにいる時だけ気分が良く
二人がいないとたちまち不安になった。
思うにキャロラインはとストルーウンセは王にとって両親だったのではないだろうか。
両親の元でやっと自分は子どもになることを許されると。


★キャロラインの愛人ストルーウンセ
1737-1772 34歳没
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王と王妃とその愛人は一緒に庭を散策したり馬車で出かけたり食事をしたりした。
とうとう3人は夏の離宮へ引っ越した。
王が遊んでいる間に王妃と愛人は文書を起草し後から王が署名をした。
彼らは貴族には重税を課し市民の税金は軽くした。
公園や庭園を国民に開放した。街灯を設置し道路を清掃した。病院や孤児院を造った。
宮廷の側近をリストラした。裁判制度を改革した。軍隊を改革した。
いいことづくめで国民は喜んだが貴族はストルーウンセに対する恨みを募らせ
クリスチャンの継母ユリアーネと手を結んだ。
ユリアーネは彼らとクーデターの計画を練った。

クリスチャンの精神状態は急速に悪化していた。
ユリアーネは真夜中にクリスチャンの寝室に行き
「王妃とストルーウンセが反乱を起こしました。
この文書に署名すれば陛下のお命は救われます」と嘘をついた。
と嘘をついてストルーウンセの逮捕状を差し出した。
王は嫌がったがユリアーネがペンを持たせて無理矢理署名させた。
そしてストルーウンセは処刑されキャロラインは国外退去となった。
クリスチャンは繰り返し王妃とストルーウンセの安否を尋ねたが誰も教えてはくれなかった。

最初兄ジョージ3世は妹の不倫を恥じて彼女を引き取ろうとはしなかった。
しかしイギリス国民がそんな王を軽蔑したため結局妹をハノーファーの領地に送った。
ユリアーネの政策に納得できないデンマーク国民は
キャロラインを呼び戻して統治してほしいと願っていた。
ハノーファーでは彼女は穏やかな生活を送った。
そしてこの地で亡くなった。
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by xMUGIx | 2005-02-14 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

◆皇太子フレデリック・ルイス 父より先に亡くなったため即位できず
先代ジョージ2世の子
1707-1751 44歳没*事故死

*人種ドイツ人・母語ドイツ語。

*ハノーヴァー朝の伝統にのっとり、女好きで父親嫌いだった。

*祖父王がイギリス国王となり、父皇太子も一家でイギリスに渡る時、
安全策として嫡男であるフレデリック・ルイスのみドイツに残された。
7歳から21歳まで両親と離れて暮らしたことがあだとなり両親に反発して育つ。

*父王は「歴史始まって以来の大悪党」と言い、
母妃は「世界一の人でなし。
この世からいなくなってくれればいいと心底から思う」と言った。

*クリケットのボールが頭に当たって死亡した。

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■妻 オーガスタ・オブ・サクス=ゴータ←アウグスタ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク
ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ2世の娘
1719-1772 17歳結婚 52歳没

*貧相な体型だが、目は可愛く口元はきりっとしていた。

*フレデリック・ルイスは結婚後に一転して家庭的な夫となった。
ただし夫の影響もありオーガスタも夫の両親とは不仲だった。

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●オーガスタ 
ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル公
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントと結婚

●ジョージ3世 
次代国王

●エドワード・オーガスタス 
未婚

●ウィリアム・ヘンリー 
未亡人マリア・ウォルポールと秘密結婚

●ヘンリー・フレデリック 
聖職者の娘オリヴァ・ウォルモットと秘密結婚、
未亡人アン・ホートンと秘密再婚

●キャロライン・マティルダ 
デンマーク国王クリスチャン7世と結婚




フレデリック・ルイス皇太子は次から次に愛人を作った。


★王の愛人 マダム・デリッツ
ハノーファー在住の愛人。

美しい女性で機知に富み多くの愛人がいた。
父王ジョージ2世の愛人でもあった。




★王の愛人 レディー・アーチボルド・ハミルトン 10人の子持ち夫人




★王の愛人 ドーセット公爵夫人グレイス・ボイル




★王の愛人 アン・ヴェイン
1713-1788 75歳没
母妃の女官

皇太子は彼女と暮らし始め子供も生まれたが、アンには別の愛人ハーヴィー卿もいた。
ハーヴィー卿は父王の側近であった。
皇太子がアンに買い与えた屋敷で、ハーヴィー卿とも密会を続けた。
二人の男による取り合いはスキャンダルになった。




★王妃の愛人ビュート伯ジョン・スチュアート
1713-1792 79歳没

夫が亡くなると王位継承者の母であるオーガスタの発言権が強まり
政治に関わろうとする姿勢が露わになった。
オーガスタの増長は国民の非難の的だった。
オーガスタは未亡人として別の城で隠遁生活を送ることにした。
そして彼女はジョージ王子の専属教官であった
ビュート伯ジョン・スチュアートと愛人関係になった。
亡くなったとき葬儀には野次馬が大勢集まりオーガスタを侮辱する声が叫ばれたという。
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by xMUGIx | 2005-02-13 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

国王ジョージ2世の子供


●フレデリック・ルイス 
皇太子→子は国王ジョージ3世

●アン 
オラニエ公ウィレム4世と結婚

●ウィリアム・オーガスタス 
未婚

●メアリー 
ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世の前妻・本人死別

●ルイーズ 
デンマーク・ノルウェー国王フレゼリク5世の前妻・本人死別




●フレデリック・ルイス 皇太子→子は国王ジョージ3世
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●アン 
1709-1759 50歳没
オラニエ公ウィレム4世と結婚
1711-1751 40歳没
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●ウィリアム・オーガスタス 未婚
1721-1765 44歳没

*スコットランドで起きたジャコバイトの乱において、スコットランド人カトリックに
容赦ない虐殺を行ったことから<ブッチャー・カンバーランド>と呼ばれた。

*生涯独身であったが、数多くの女優を愛人にした。
有名女優でなく、無名女優ばかりを選んだ。

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●メアリー 
1723-1772 49歳没
ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世の前妻・本人死別
1720-1785 65歳没

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●ルイーズ 
1724-1751 27歳没
デンマーク・ノルウェー国王フレゼリク5世の前妻・本人死別
1723-1766 43歳没

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by xMUGIx | 2005-02-12 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

◆国王ジョージ2世
先代ジョージ1世の子
1683-1760 44歳即位 76歳没

*人種ドイツ人・母語ドイツ語・英語はできなかった。

*ハノーヴァー朝の伝統にのっとり、女好きで父親嫌いだった。

*ケンジントン宮殿の屋外トイレの中で死亡。

*皇太子時代、父ジョージ1世と息子ジョージ2世の確執は表面化していた。
父は息子の友人の出入りを一切禁止したり息子の宮廷費を減らしたり
宮殿の一室に閉じ込めるなど子供じみた嫌がらせを行ったため、
ジョージ2世一家がジョージ1世の宮殿から退去するという事態にまでなった。

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■妻 キャロライン・オブ・アーンズバック←カロリーネ・フォン・アンスバッハ
ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨハン・フリードリヒの娘
1683-1737 22歳結婚 54歳没

小柄でパッとしないジョージとは正反対に
容姿端麗で知的で有能な女性で二人は良好な夫婦関係を保った。
毎晩9時に王妃の部屋を訪れたが、異常に時間にうるさいジョージは
懐中時計をにらみながら9時になるまで動かなかった。

ジョージはカッとなりやすく怒りにかられると、
カツラを脱ぎカツラを足で蹴りまくったり下品な言葉で吐き散らしたりした。
キャロラインは頑固でわがまま癇癪持ちの夫を上手く操縦した。
政治に興味のない夫の代りに、政府と二人三脚で国政を運営した。
彼女が亡くなった時は国民は、
彼女の死を悼んでクイーンを抜いてトランプ遊びをしたという。

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●フレデリック・ルイス 
皇太子→子は国王ジョージ3世
●アン 
オラニエ公ウィレム4世と結婚
●ウィリアム・オーガスタス 
未婚
●メアリー 
ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世の前妻・本人死別
●ルイーズ 
デンマーク・ノルウェー王フレゼリク5世の前妻・本人死別




好色といわれるハノーファー家の例に漏れずジョージ2世も多くの愛人を多く持った。
王妃キャロラインは際限なく増え続ける愛人たちに部屋を用意し、
監督しなければならなかった。
しかしジョージ2世は、
愛人は国王になったら持つべき付属品の一つだと思っており溺れることはなかった。


★愛人メアリー・ベレンデン
1695-1736 41歳没
王妃の女官

メアリーは愛人となったが、ジョージ2世が自分に何の情熱も持たず、
愛人としての特権も金銭的恩恵もないことをすぐに悟った。
そこでアーガイル公ジョン・キャンベルと結婚して、愛人関係を終らせた。




★愛人ヘンリエッタ・ハワード夫人
1689-1767 78歳没
王妃の女官

チャールズ・ハワードと結婚していたが、
ジョージ2世の目に止まり王妃の女官を命じられる。
ハワード夫人は趣味の良い洞察力のある優雅な女性だったが、
ジョージは彼女の知的な面を認めず優しい言葉も甘い言葉もかけなかった。
20年経ちハワード夫人は次第に耳が遠くなり、
夜のお相手も苦行以外の何物でもなかった。

ハワード夫人が宮廷を辞したいと申し出た時、王妃は大反対した。
ジョージは何事もキャロラインに相談し彼女の判断通りに動いた。
そしてハワード夫人も諸事全般にキャロラインの指示通りに動き
三方が円満の関係にあったからである。
しかし
「つんぼでつむじ曲がりの婆さんをやっと厄介払いできて喜んでいるのに何を言うか」
とジョージは激怒した。
夫とは死別していた彼女は12歳年下のバークリー伯爵令息ジョージ・バークレーと
すぐに再婚してして長生きして幸福に暮らした。
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★愛人メアリー・スコット夫人
1703-1744 41歳没
子供の家庭教師。
デロレイン伯爵ヘンリー・スコットと結婚死別、ウィリアム・ウィンダムと再婚。

ハワード夫人が宮廷を去ったためジョージは子供たちの部屋で過ごすことが多くなり、
子供の家庭教師を見初めた。
美貌だが頭は空っぽでうぬぼれ屋で大酒飲みでハワード夫人とは正反対だった。




★愛人マダム・デリッツ
ハノーファー在住の愛人。

ジョージ2世は一年おきにイギリスとドイツを往復していたため、現地の愛人。
美しい女性で機知に富み、王の他にも多くの愛人がいた。
王の息子フレデリック・ルイス皇太子の愛人でもあった。




★愛人アマリエ・ウォルモーデン伯爵夫人
1704-1765 61歳没
ハノーファー在住の愛人

黒い瞳に栗色の髪をした美しくファッショナブルな女性だった。
ジョージは初めて情熱というものを知った。
ウォルモーデン夫人との出会いから結ばれるまでを60ページの手紙にして王妃に送った。
王妃は彼女を連れて帰っても良いとまで言ったのだが、
ジョージは彼女の肖像画を持って一人で帰ってきた。
王妃の死後イギリスに呼び寄せる。
ヨーマス伯爵夫人の地位を贈ら20年ほど愛人を続けたが、
ウォルモーデン夫人は政治にも富にも執着はなかった。
しかし子供たちや孫たちは
王がいい年をして愛人をはべらせているのを快く思わなかった。
王の死後、ドイツに戻った。
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by xMUGIx | 2005-02-11 00:00 | イギリス

ハノーヴァー朝

■父 ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグスト
1629-1698 50歳相続 69歳没

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★長年の愛人 クララ・エリーザベト・フォン・プラーテン伯爵夫人

クララは豊かな黒髪の美女だった。
娘をどこかの王族の妾にしようと企む父親の
フィリップ・フォン・マイゼンブーク伯爵に連れられてヨーロッパの宮廷を流れ歩く。
フランスで国王ルイ14世を狙うが、愛人のモンテスパン夫人に蹴落とされる。
イギリスで国王チャールズ2世を狙うが、愛人のルイーズ・ケルアイユに蹴落とされる。
ハノーファー公国でやっとエルンスト・アウグスト公の愛人におさまる。
フランツ・エルンスト・フォン・プラーテンと結婚して
夫を首相の座につけ宮廷を牛耳った。




■母 ゾフィー・フォン・ハノーファー
ボヘミア王フリードリヒ5世&イギリス国王ジェームズ1世の娘エリザベスの娘
1630-1714 28歳結婚 84歳没

母ゾフィーは嫁ゾフィーの父とかつて婚約していたが、
嫁ゾフィーの父は天然痘により美貌が損なわれた母ゾフィーと婚約破棄した上、
長年愛人であったフランス人と貴賤結婚した。
母ゾフィーは元婚約者の弟エルンスト・アウグストと結婚したため、
嫁ゾフィーの叔母に当る。
これらの因縁から嫁姑の関係は悪かった。

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母ゾフィー・フォン・ハノーファーの手紙

持参金毎年10万ターレルというのは魅力的な金額です。
それに美しい花嫁というのも侮れません。
息子ゲオルグにふさわしい嫁を見つけるのは至難の業なのです。
あの子はこの世で一番頭が空っぽで強情です。
脳みその周りの殻はあまりに分厚く、
その中に本当は何がはいっているのか誰にもわかったものではありません。
でも年10万ターレルにはきっと魅力を感じていることでしょう。誰だってそうですもの。

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◆国王ジョージ1世←ゲオルグ・ルートヴィヒ
1660-1727 54歳即位 67歳没

*アン女王に嫡子がなかったので、
ドイツのハノーファー家のゲオルクが国王ジョージ1世として即位。
ハノーヴァー朝の始まりである。
国王ジェームズ1世の曾孫にあたる。

*人種ドイツ人・母語ドイツ語・英語はできなかった。

*ドイツ貴族の例にもれず、オペラ好きでカードなど博打好きであった。
イギリスの政治に興味がなく、頻繁にドイツに帰ったため
議会が強い力を持つに至った。

*オランダからドイツに戻る途中の馬車の中で脳出血で死亡。

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■妻 ゾフィー・ドロテア・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク イトコ結婚
リューネブルク侯ゲオルク・ヴィルヘルムの娘
1666-1726 16歳結婚 60歳没

最も嫌うイトコのジョージとの婚約を知らされたゾフィーは自室にこもって泣き続けた。
夢見る乙女のような幼さがあり冷徹で計算高いジョージとは対照的だった。
16歳で家庭教師を妊娠させたのを始めとして
身近な女性に手をつけ多くの庶子をもうけた。
ゾフィーは絶世の美女として知られたがジョージは彼女に関心を抱くことなく
多くの愛人を持ち妻を顧みなかった。
宮廷では夫の愛人に囲まれ姑にも嫌われ気の休まる暇のない結婚生活だった。

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★ゾフィーの愛人ケーニヒスマルク伯フィリップ・クリフトフ
1665-1694 29歳没
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孤独なゾフィーはケーニヒスマルク伯フィリップ・クリフトフと愛人関係になっていった。
駆け落ちの計画がバレてゾフィーは幽閉された。
愛人ケーニヒスマルク伯は後に遺体で発見された。
ゲオルクによる暗殺という噂がヨーロッパ中で公然と囁かれた。
ゾフィーは以後60歳で亡くなるまで半生を超える32年幽閉された。
イギリスの土地を一度も踏むことはなかった。
ジョージ1世の息子ジョージ2世は父が母に行なった仕打ちを決して許さずに成長する。




ジョージ国王がイギリスで人気がなかったのは
英語が話せなかったことと妻への仕打ちに原因があると言われる。
国王が初めてイギリスにやってきたとき王妃ではなく
二人の不細工な愛人を連れてきたことに国民はびっくりした。

ジョージの好みは変わっていて美人を嫌って不細工を好む傾向があった。
彼自身が不細工であるコンプレックスと
母に似た女性を求めると不細工になってしまうという結果である。
事実不細工の母妃は美しい嫁を疎み不細工な愛人たちを可愛がっていた。
二人とも物欲がすさまじくジョージは莫大な生活費を渡していた。


★一人は愛人エーレンガルト・メルジーネ・フォン・デア・シューレンブルク 庶子3人アリ
1667-1743 76歳没

不細工で背の高い女性でカカシというあだ名がついていた。
実はジョージと秘密結婚していた。

物欲がすさまじく、まず自分にケンダル公爵夫人の地位を贈らせたのを皮切りに、
多額の年金・宝石・不動産などを次々とねだった。

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★もう一人は愛人ゾフィー・シャーロッテ・フォン・キールマンセッゲ
1675-1725 50歳没

不細工で異常な肥満体で象とというあだ名がついていた。
実はジョージの父&愛人プラーテン伯爵夫人の庶子=ジョージの異母姉であった。

彼女も物欲がすさまじく、自分にダーリントン伯爵夫人の地位を贈らせたのを皮切りに、
王に会いたがっている貴族に王との面会をセッティングし、
紹介料として500ポンドを取るなどしていた。

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★イギリス人の愛人 アン・ブレント
マクルズヴィーフィールド伯爵夫人の娘、王がイギリスに移住してからの愛人




●ジョージ2世 
次代国王
●ゾフィー・ドロテア 
プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世と結婚




●ジョージ2世 次代国王

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●ゾフィー・ドロテア 
1687-1757 70歳没
プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世と結婚
1688-1740 52歳没

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by xMUGIx | 2005-02-10 00:00 | イギリス


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