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ヴァロア朝

国王アンリ2世の愛人


★愛人ディアーヌ・ド・ポワチエ 20歳年上
1499-1566 67歳没

由緒ある名門ヴァレンティノ伯爵家の令嬢、
国王ルイ11世の娘アンヌ・ド・ボージューが開いていたサロンで学ぶ。
料理や家政の他に、ギリシャ語・ラテン語・薬学・哲学などを修得した。
16歳の時55歳のモーレヴリエ伯爵ルイ・ド・ブレゼと政略結婚。
娘を一人生んだ後、32歳で夫と死別。
ディアーヌは金髪に透き通る白い肌繊細な目鼻立ち小さな唇の持ち主。
未亡人となった時は黒と白からなるぴったりとしたシルエットの喪服を作らせた。
この喪服はたちまち貴婦人の間で流行した。

国王アンリ2世は不遇の幼少期を過ごした。
母クロードはアンリがまだ幼い頃に亡くなった。
アンリ王子は女官ディアーヌを母親のように慕った。
しかしアンリの不運はそれだけはなかった。
父フランソワ1世がスペインの捕虜になったときに人質交換として
兄フランソワ王太子とともにスペインで4年間も監禁生活を送った。
祖国フランスを懐かしむと同時に優しかったディアーヌの面影が脳裏から離れなかった。
無事釈放されてフランスに戻ってからも父は明るく快活な兄フランソワ王太子を可愛がり
フランソワが早逝すると王の愛情は弟シャルル王子に移った。
アンリは父から頑丈な肉体を母から繊細な心を受け継いだが
アンリは常に孤独であり自分を理解してくれる人を必要としていた。
アンリの教育係となり母のように優しい愛情で包んでくれる美しいディアーヌに
誰よりも安らぎを感じたのも無理もないことであった。

アンリは生涯ディアーヌだけを愛した。
どこへ行くにも戦地であってもディアーヌを連れてゆき
毎日顔を合わせているにもかかわらず恋文を送り続け豪華な贈り物の山を築いた。
ディアーヌと同じ色の服を着て1日の大半をディアーヌの部屋で過ごした。
戴冠式には自分とディアーヌのイニシャル組み合せたサインを縫い付けたマントを
纏って登場したのには各国大使も驚いた。
このサインは宮殿で働く者たちの制服にも付け個人用の便箋にも付けた。

ディアーヌは知性、政治的洞察力に優れておりアンリは多くのをディアーヌに任せた。
彼女はアンリのブレーンだった。
アンリ2世の子供たちはディアーヌの影響下に育ったとされ
フランソワ王太子妃スコットランド女王メアリー・ステュアートも彼女の影響を強く受けたという。

王の死後ディアーヌはアンリから贈られた宝石類と公的文書カトリーヌはディアーヌに、
公式書類を入れたアンリの引き出しの鍵をカトリーヌに返した。
カトリーヌはディアーヌに王から贈られたシュノンソー城とショーモン城を交換するように命じた。
ディアーヌがショーモン城に行ってみると、
カトリーヌが長年黒魔術の儀式をした跡が生々しく残っていた。
ディアーヌはこの城には二度と訪れることなく、自分の領地の城にひっそりと暮らした。

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★愛人ジャネット・ステュアート 通称:麗しのスコットランド女/la Belle Ecossaise
1520-1553 33歳没

スコットランド王ジェームズ4世の庶子。フレミング卿夫人。
姪のスコットランド女王メアリー1世の教育係で、
メアリーがフランソワ2世と結婚した際にともにフランスに渡った。
メアリーがアンリの嫡男フランソワ2世に嫁いだ時にフランスに渡った。
アンリの愛人となり男子を産むが
本妻カトリーヌ・ド・メディシスと愛人ディアーヌ・ド・ポワチエの怒りを買い、
すぐに子供とともにスコットランドに送り返された。

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★愛人フィリッパ・ドゥーチ/フィリッピーヌ・デデュック
1520-1586 66歳没

アンリが王太子の頃にミラノ公国攻略中に知り合い、ディアーヌ・ド・フランスを生む。
その後ジャン・ド・サン・セヴランと結婚。

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★愛人ニコル・ド・サヴィニー 通称:フォンテットの奥方/dame de Fontette
1535-1590 55歳没
ジャン・ド・ヴィル男爵未亡人

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by xMUGIx | 2003-02-13 00:00 | フランス
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