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2017年 更新中
by xMUGIx
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ロマノフ朝

◆父 フェリックス・スマローコフ=エルストン伯爵
1820-1877


■母 ジナイダ・ユスポヴァ女公爵
1861-1939

*ロシアの名門貴族ユスポフ家の女性相続人


●ニコライ
未婚・不倫相手の夫と決闘して25歳で死亡
●フェリックス
次代当主




◆フェリックス・ユスポフ公爵 ラスプーチン暗殺者の一人
1887-1967


■妻 イリナ・アレクサンドロヴナ 皇帝ニコライ2世の姪
クセニア・アレクサンドロヴナ大公女&アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公の娘
1895-1870


●一人娘 イリナ・ユスポヴァ ニコライ・シェレメーテフ伯爵と結婚




◆ラスプーチンは1916年12月30日未明、ユスポフ公爵の屋敷で暗殺された。
実行メンバーは、ドミトリー・パヴロヴィチ大公、フェリックス・ユスポフ公爵、
ウラジーミル・プリシュケヴィチ議員、セルゲイ・スホーチン大尉、
スタニスラフ・デ・ラゾヴェルト軍医の5人。
この他にも男女数名の協力者がいたと言われるが、
実行メンバーは生涯その名を明かさなかったため、詳細は不明である。


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国会議員 ウラジーミル・プリシュケヴィチ

*1916年12月02日、彼は国会で痛烈なラスプーチン批判の演説を行った

翌日12月03日、一日中電話がなりっぱなしで、よくぞやったと言われた。
電話をかけてきた中で私の関心を引いたのは、ユスポフ公爵と名乗る人物だった。
彼はラスプーチンに関する問題を解明するために私の所に行ってもいいかと尋ねた。
電話で話すのは差しさわりがあると言うのだ。
私は朝9時に立ち寄ってくれと言った。


12月04日、やってきたユスポフ公爵は軍服を着た若者だった。
私は彼の風貌と精神的な忍耐力が気に入った。
彼の風貌の基調となっているのは、言い表し難い優美さと血筋である。
このような特質は、ロシア人には特に貴族の間には、あまり見られないものだ。


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ユスポフ公爵から妻イリナへの手紙 1916年12月04日

ラスプーチンを抹殺する計画を練るのにひどく忙しいのです。
これは今やどうしても必要な事です。君もこれに参加しなければなりません。
ドミトリー大公はすべて承知した上で助けてくれます。
ああ、早く君に会いたい!でもあまり早く来ない方がいいでしょう。
部屋の準備ができるのは12月15日でしょうから。
僕が書いた事は誰にも一言も言わないように。
僕の母には話して下さい。僕の手紙を読んであげて下さい。


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国会議員プリシュケヴィチの日記 1916年12月05日

午後8時、私はユスポフ公爵の家に行った。
部屋に若くすらりとして美男子が駆け込んできた。
それがドミトリー大公であることがわかった。

ラスプーチンは以前から某夫人とお近づきになる機会を求めていた。
某夫人はペテルブルクの若き美女で、ユスポフ家によく来ていた。
しかしその時、彼女はクリミアにいた。ユスポフ公爵はラスプーチンに告げた。
「某夫人は数日後にペテルブルクに戻ってきて何日か滞在する予定です。
自宅で彼女に引き合わせることもできますよ」と。


*某夫人とはユスポフ公爵自身の妻、イリナの事である。

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フェリックス・ユスポフ公爵

ラスプーチンはかなり前から私の妻と知り合いになりたがっていた。
彼女がペトロブルクにいると思って、彼は私の家に来る事に同意したのである。


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皇后の友人&ラスプーチンの信者 リリ・デーン

ラスプーチン様の人生最後の時に、
ユスポフ公爵は頻繁にラスプーチンの家に通っていました。
ラスプーチン様の言葉によれば、公爵は自分の妻について
驚くべき、ごく内輪だけに限られる事を話してくれたと言うのです。
彼は具体的には教えてくれませんでしたが、
ラスプーチン様はユスポフ公爵の妻を治療するために彼の家に出かけたのです。


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妻イリナからユスポフ公爵への手紙 1916年12月08日

あなたの正気とは思えない御手紙に感謝いたします。私には話の半分もわかりません。
あなたが何かとんでもない事をやろうとしていることはわかりましたけれど。
お願いですから慎重になって、
あれこれの汚らわしい話には首を突っ込まないようにして下さい。
一番忌まわしいのは、あなたが私抜きで万事をお決めになった事です。
すべての準備が整っていると言うなら、
今さら私にどんな風に参加しろとおっしゃるのでしょう。
私抜きで何もしないように。25日か26日にペテルブルクに行きます。
さもなければ、まったくそちらへは生きません。それではごきげんよう。


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ユスポフ公爵から妻イリナへの手紙 1916年12月10日

君が長い手紙をくれたのはとてもうれしい。君には到底わからないでしょう。
あれこれの計画のせいで頭がずたずたに張り裂けそうなこの時、
僕が君をどれほど必要としているか。君にはすべてを話したいのです。
これは出口のない状況を救う唯一の手段なのです。
12月の半ばには、君にはどうしてもいてもらわないといけません。
僕が手紙に書いた計画は詳細に練り上げられ、もう4分の3は出来上がっています。
あとはフィナーレを鳴らすだけ。そのために君が来るのをみんな待っています。
君には囮になってもらうのです。マラーニャ〔不明〕も参加します。
もちろん他言は一切無用。


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フェリックス・ユスポフ公爵

家に来てくれれば妻に引き合わせると申し出ると、彼は同意した。
ただし条件があった。私の方から彼を迎えに行き、
帰りも私が彼を自宅に送り届けること、と言うのだ。
しかも彼は、裏階段を使ってくれと頼んだ。
こんなにあっさりと合意するなんてと思って私は驚き、またぞっとした。
彼は自分の方から厄介な事をすべて取り除いてくれたのだ。


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国会議員 ウラジーミル・プリシュケヴィチ

12月11日、私は下見のためユスポフ公爵の家へ行った。
お仕着せを着た黒人を先頭にして玄関に群がっている召使の列を見回して、
不安を抱きながらユスポフ公爵の書斎へ行った。
ユスポフ公爵は、当日は全部の召使に暇を出し、
正面玄関に詰める当直が2人残るだけだと説明して私を安心させた。


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妻イリナからユスポフ公爵への手紙 1916年12月16日

もしペテルブルクに行ったら、きっと病気になってしまいます。
始終泣きたい気持ちです。気分は最低です。
こんな事をゴタゴタ書きたくはありませんでした。
でもこれ以上我慢できません。
私にペテルブルクまで来いなんておっしゃらないで。あなたの方からこちらへ来て下さい。
私はもうこれ以上耐えられません。たぶん神経衰弱なのでしょう。
私のことを怒らないで。お願いですから、怒らないで。
私はとてもあなたを愛しているのですから。私はあなたなしでは生きていけません。


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皇后の友人&ラスプーチンの信者 アンナ・ヴィルボワ

午後8時にラスプーチン様の家に行きました。ラスプーチン様は、
ユスポフ公爵と一緒に出掛ける、彼の妻を治療師に行くのだと言いました。
私は、昼間おおっぴらに自分を迎え入れるのを恥じるような人の所へ
夜中に出かけていくなんて屈辱的ですよ、こんな招待は断りなさいと言いました。
彼はそれじゃ行かないと言っていました。


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ラスプーチンの信者 マリア・ゴロヴィナ

ラスプーチン様がユスポフ公爵の家に夜食に行き、
どんちゃん騒ぎをするつもりだという事を知っていました。
私は午後10時に彼の家を去りました。


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内務大臣 アレクサンドル・プロトポポフ

ラスプーチンが殺された夜、私は彼の家に立ち寄りました。
ヴォスコボイニコワを汽車まで見送った後で、12時頃でした。
私は彼の所に10分ほどいました。彼が自分でドアを開けてくれました。
姿を見たのは彼一人です。
どこかに出かけるつもりだということは、私には言いませんでした。


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国会議員 ウラジーミル・プリシュケヴィチ

ラゾヴェルト軍医の運転する車でユスポフ邸に着くと、すでに他のメンバーはそろっていた。
ユスポフ公爵はラスプーチンのために作ったケーキを毒を盛る前に味見してみないかと言った。
ケーキは壁の色と合うように選ばれた薔薇色や茶色のごく小さなプチフールだった。
みんなでお茶を飲み終えると、
ラゾヴェルト軍医は手袋をはめて青酸カリの結晶をクリームケーキの中に入れ始めた。
チョコレートケーキはフェリックスのために取っておいた。
ラゾヴェルト軍医はこの恐ろしい仕事を終えると、運転手の制服を着た。
ユスポフ公爵とラゾヴェルト軍医が出ていき、家に残った者達は車が去って行く音を聞いた。

青酸カリを4つのグラスの内ユスポフ公爵が印を付けておいた2つに満たした。
私はポケットの中でずしりと重さの感じられた連発拳銃ソヴァージュを取り出して、
書斎のテーブルに置いた。
ラスプーチンを待ちながら、無言のまま部屋を歩き回った。何も話したくない気分だった。
とうとう車が中庭に入ってくる音を耳にした。
それからみんなは部屋に入ってきたラスプーチンの声を聞いた。
ユスポフ公爵はラスプーチンと地下室へ向かった。
ラゾヴェルト軍医は運転手の制服を脱いで、書斎の私達と合流した。
私は手に拳鍔を持っていた。
私の後ろにはドミトリー大公、その後ろにスホーチン大尉、最後にラゾヴェルト軍医がいた。
こうして私達は立ったまま、地下室のどんなかすかな音にも聞き耳を立てた。
話し声は響いてきたが、最大の問題は瓶のコルクを抜く音が聞こえてこない事だった。
ユスポフ公爵が書斎に戻ってきて、「なんてこった、あの野郎は食べも飲みもしないんだ」

ユスポフ公爵はもう一度ラスプーチンの所へ降りて行った。
やがて瓶のコルクを抜く音が聞こえてきた。ドミトリー大公が「飲んでるな」とささやいた。
「これでもう少しの辛抱だ」 しかし30分経っても何も起こらなかった!
青ざめたユスポフが書斎にやってきた。
「なんてことだ!奴は毒をグラス2杯も飲み、毒入りケーキをいくつも食べたのに。
そのうえ奴は某夫人がどうしてこんなに長く待たせるのかそわそわし始めている。
毒の効き目といえば、しょっちゅうゲップをしてちょっとよだれを流しているぐらいで」
そして自分からこう提案したのだ。
「諸君、私が奴を銃で撃ち殺すと言っても反対しないね?」

二度ほどとぎれとぎれの話し声が聞こえた後、銃声が響いた。
「あーあーあー」と長く引き伸ばされたうめき声がして、どすんと身体が床に倒れる音がした。
私達はまっしぐらに地下室に入った。瀕死のラスプーチンが横たわり、
連発拳銃を手にしたユスポフ公爵がそれを見下ろしていた。
ドミトリー大公が、「奴を絨緞からどけなくちゃいけない。血が染み込んだら都合が悪い」と言った。
そこでユスポフ公爵と私はラスプーチンを板の床に移した。
彼はまだ死んでおらず、身体を痙攣させて断末魔の苦しみを味わっていた。


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警察官 ステパン・ヴラシュク

夜中の3時頃、銃声が3,4発続けざまに聞こえました。
近くに立っていたエフィーモフ巡査にどこで発砲があったのかと聞くと、
エフィーモフはユスポフ宮殿を指差しました。
私はすぐに宮殿に向かい宮殿の屋敷番に会いましたが、
屋敷番は銃声など聞こえなかったと言いました。
この時、2人の人物が中庭を木戸の方へ向かうのが見えました。
彼らは軍服を着ていましたが、軍帽はかぶっていませんでした。
それがユスポフ公爵と執事のブジンスキーであることがわかりました。
私はブジンスキーに誰が銃を撃ったのかと尋ねました。
彼は銃声なんか耳にしていないと答えました。私は一安心して部署に戻りました。
しかし15分ぐらい後にブジンスキーが私の所にやってきて、
ユスポフ公爵が私を呼んでいると伝えました。
私が書斎に入ると、ユスポフ公爵と
私の知らない軍服を着たアゴヒゲと口髭を生やした男が迎えに出てきました。
この男は私に尋ねました。「プリシュケヴィチという名前を聞いた事があるかね?」
「あります」
「私がそのプリシュケヴィチだ。ラスプーチンが死んだのだ。
もし君が母なるロシアを愛しているなら、この事については黙っていなければならない」
「仰せの通りにいたします」
「それでは、行ってよろしい」
後で私の所にカリャージン署長が来たので、私は彼にすべてを話しました。


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警察官 フロル・エフィーモフ

午前2時30分に一発の銃声が聞こえました。その後さらに3,4発続きました。
最初の銃声の跡には、小さな叫び声も響きました。女性の悲鳴のような。

2,30分の間、通りには1台の自動車も馬車も通りませんでした。
30分ほど経ってから自動車が1台通ったのですが、どこにも停まりませんでした。


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ニコライ・ミハイロヴィチ大公の日記 


1916年12月30日
電話が2本。一つはトルベツカヤ公爵夫人から、もう一つはイギリス大使ブキャナンから。
昨夜ラスプーチンが殺されたと知らされた。この思いがけないニュースに私は仰天し、
事の真相を知るために
弟のアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公〔ユスポフ公爵の舅〕の家へ車を飛ばした。
召使は、フェリックスの帰宅は遅くなるだろうと告げた。

ヨットクラブに食事に出かけた。クラブは人でごった返していて、
みんなラスプーチン失踪の事でもちきりだった。
食事が終わる頃、死んだように青ざめたドミトリー大公が姿を現した。
私は彼と話をせず、そのまま彼は別のテーブルについた。
トレポフ首相は、
これはすべてたわごとだとみんなに聞こえるような大声で言い立てていた。
一方ドミトリー大公は、
ラスプーチンは失踪したか殺されたかのどちらかではないかと思うと言明していた。


1916年12月31日
相変わらずフェリックスには会えないうちに、
私は彼と2人の甥がクリミアに行く事を知った。
トレポフ首相は電話で、ラスプーチンは殺されたのだろう、
暗殺関係者としてドミトリー大公、ユスポフ公爵、プリシュケヴィチ議員の名前が
挙げられていると伝えてきた。
私はのびのびとため息をつき、
あの悪党もこれ以上害をもたらす事はなくなったと喜びながら、
安らかな気分でトランプ遊びを始めた。
私がびっくり仰天したのは、フェリックスから電話があった事だ。
彼はニコラエフスキー駅で拘留されてしまった、と告げたのである。


1917年01月01日
フェリックスはドミトリー大公の家に移った。
彼らの部屋に入った時、私はつい口を滑らせた。「ごきげんよう、暗殺者諸君!」
フェリックスはもはやしらを切り続けても仕方ないと見てとって、
本当の事をすべて私にぶちまけた。
ラスプーチンはすぐに彼が好きになり、やがて全面的に信用するようになったと言う。
彼らはほとんど毎日のように会い何でも話し合った。しかもラスプーチンは、
あけっぴろげに途方もない将来の計画をすべてフェリックスに打ち明けたのである。
ラスプーチンの心理が理解できない。
フェリックスに抱いた限りない信頼はどうすれば説明がつくのか。
ラスプーチンはまったく誰も信用せず、毒殺や暗殺を警戒していたのに。
何か信じがたい事があったと推定する他あるまい。
おそらくラスプーチンはフェリックスに惚れ込んだのだ。
彼に対して覚えた肉欲があの淫蕩な農夫の頭をぼうっとさせ、
結局その命を奪ったのではないか。
いつまでも尽きない会話をしていた時、彼らは本当におしゃべりしていただけだろうか。
友情を何らかの形で肉体的に表現する事があったに違いない。
接吻するとか、身体に触れ合うとか、あるいはもっと卑猥な事とか。
ラスプーチンのサディズムには疑問の余地がない。
しかしフェリックスの性的倒錯がどれほどのものか、私にはまだあまりわからない。
彼の色欲の噂は、彼の結婚以前に社交界で流れていたけれども。


1917年03月29日
フェリックスとイリナの家に行き、あのドラマの現場をつぶさに見た。
信じがたいことだが、彼らは同じ食堂で平然と食事をしている。


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by xMUGIx | 2008-01-30 00:00 | ロシア
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