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by xMUGIx
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ロマノフ朝

◆1906年

*皇帝一家は静養で09月10日から11月01日まで約2ヶ月首都を留守にする。

*この年のニコライ2世の日記には、アンナの登場は21回、ラスプーチンの登場は3回


■05月10日 第1回国会が開かれ、ストルイピンが首相に就任


■07月31日 ラスプーチンが皇帝夫妻と2度目の会見を果たす


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ニコライ2世の日記 1906年

07月31日
夜にセルギエフカ〔ニコライ・ニコラエヴィチ大公の領地〕へ行き、グリゴリーに会った。

10月26日
午後06時15分、グリゴリーが聖シメオンのイコンを持って訪れる。
子供達にも会い、07時15分までおしゃべりする。


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皇帝からストルイピンへの手紙 1906年10月29日

私はトボリスクから来た農民と面会した。
彼は皇后と私に相当強烈な感銘を与え、
彼との会話は予定していた5分をはるかに超えて1時間以上も続いた。
彼はまもなく郷里に戻るという。
私は貴殿が今週中にほんのわずかな時間でも見つけて、
彼と会う事をとても強く願っている。


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ニコライ2世の日記 1906年11月03日

*日記に初めてアンナの名前が登場する。

アンナ・タネーエヴァと昼食をともにした。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アンナはペテルブルクによくいるまぬけな良家の子女で、不器量で不格好、
生焼けのビスケットみたいに取り柄がなく、
皇后に一目惚れしてうっとりとした熱いまなざしを投げため息をつくような若い女だった。
丸ぽちゃの赤ら顔に、服装は上から下までひらひらした毛皮に覆われていた。


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ニコライ2世のイトコ マリア・パヴロヴナ大公女

アンナは彼女なりに誠実一筋に皇后に仕えていたが、
なにぶん諸事万般に知識が浅かった上、
ラスプーチンに捧げる盲目的な崇拝が仇となって人々の尊敬を集めていなかった。


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ラスプーチンの信者 歌手 アレクサンドラ・ベリング

私はある音楽会でアンナと知り合いました。
彼女は結婚したばかりで幸せそうでした。
彼女の夫は海軍の人で黒髪で丸顔、
妻のかたわらを離れずその目をじっとのぞき込んでいました。
彼女は際限なく笑い転げ、こちらもつられて笑ってしまうほどだったのです。
でも彼女は確かに陽気で声は優しく笑顔も愛らしく善良そうな目をしていましたが、
なんだか心からの気持ちというか
要するに本当に信じてもいいという気持ちを抱かせるものが感じられなかったのです。


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ヴェーラ・レオニードヴナ

アンナは自分の事はほとんど語らず、たまに語っても滑稽な事ばかりでした。
自分の事を茶化す事ができるのは利口な人だけだと言いますけど、彼女は利口でした。
それに彼女は大変な演技者でした。彼女はラスプーチンのすべての政治ゲームに参加し、
大臣達を任命したり追放したり宮廷の複雑きわまる陰謀を操っていたくせに、
自分をまったく無邪気なロシア娘と見せかける術も心得ていたのです。


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コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公の日記 1906年11月19日

妻から恐ろしい事を聞いた。
スタナが離婚してニコライ・ニコラエヴィチ大公と再婚するというのだ!
どうしてこんな結婚が許可されるのか。
ニコライ・ニコラエヴィチが皇帝に近しいおかげで大目に見てもらえるということだろう。
それ以外に考えられない。
これは2人の兄弟が2人の姉妹と結婚する事を禁じている教会法を犯すものだ。


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コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公の日記 1906年11月23日

ニコライ・ニコラエヴィチ大公が言い張るところでは、
彼自身は結婚のために指一本動かさなかった、
あの世のフィリップの力がなければどうしようもなかったことだ、と言うのだ。


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ニコライ2世の日記 1906年12月22日

ミリツァ、スタナと夕食をともにした。
二人は一晩中、グリゴリーについて話をしてくれた。


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by xMUGIx | 2008-02-06 00:00 | ロシア
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