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by xMUGIx
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ロマノフ朝

◆1912年

*皇帝一家は03月28日から06月15日までクリミアで静養、3ヶ月半首都を留守にする。
さらに9月17日から狩猟のためポーランド・ベロベシに出かけ、2ヶ月首都を留守にする。


■01月23日より秘密警察によるラスプーチンの監視が再開された


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秘密警察の報告

内務大臣マカーロフの命により、
ラスプーチンに対する再度の監視が1912年01月23日より行われた。


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秘密警察の報告

1912年、ラスプーチンは
雑誌『ロシア・エコノミスト』の出版者であるゲオルギー・サゾーノフと
彼の妻マリア・アレクサンドロヴナの住居に暮らしていた。
ラスプーチンとサゾーノフ夫人は愛人関係にあるものと思われる。


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皇后の友人 ラスプーチンの信者 リリ・デーン

ラスプーチンはロフチナ夫人と一緒にやってきました。
私は彼を病気の坊やが寝ている子供部屋へと連れて行きました。
この訪問の翌日には、坊やはよくなりました。
この事は私に深い感銘を与えました。
私は週に2,3回、ある時は自分の家、ある時はゴロヴィン家、
ある時はサゾーノフ家にいる彼の元に通うようになりました。


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秘密警察の記録 1912年01月24日

ラスプーチンは10時15分に家を出て店へ向った。
1本の瓶を持って出てくる。おそらくワインだと思われる。
彼はマリアとその母がいるゴロヴィン家をほとんど毎日訪れる。
通常2時から3時の間だった。
この時間、家にはジナイーダ・マンシュタットとリリ・デーンが集まっていた。
これらの女性達の同席のもと、彼は一日中過ごした。


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ニコライ2世の妹 クセニア大公女の日記 1912年01月25日

すべてはどのように終わりを迎えるのだろう。恐ろしい。

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秘密警察の報告

街の中を移動する時ラスプーチンは、
ゴロヴィン家の箱馬車かタクシーか女性信者によって雇われた辻馬車に乗った。
彼は一日中、リリかジナイーダかアキリーナかマリアかサゾーノフ夫人とともに現れる。

彼が一人で街に出るのはまれだった。
そんな場合には売春婦達が歩き回っている通りに行って一人選び、
ホテルか公衆浴場に向かった。
彼は身分の高い女性達と過ごしながらも、売春婦達を訪ねる事をやめない。

・ラスプーチンは個室付公衆浴場に、サゾーノフの妻(43歳)と一緒に訪れた。
・ジナイーダとともにイワノフ修道院へ行き、
その後売春婦に会うと一緒に宿屋で過ごした。
・サゾーノフの妻は2時間ラスプーチンのもとに残っていた。
その後彼は売春婦を拾ってその女の住居へ行った。
・ラスプーチンはその日、売春婦と2回公衆浴場に行った。
・売春婦2人の所からゴロヴィン家に行き、
2時間後再び売春婦をつかまえて公衆浴場へ行った。


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ヒノニア・ベルラツカヤの告発

知人の女性が、心をとても安らげてくれて秘められたる知恵を語ってくれる
ラスプーチンと近づきになるよう勧めてくれました。
ラスプーチンは私を落ち着かせてくれた上、女性信者達にも紹介してくれました。
彼女達のおかげで、彼の聖性についての私の信念が固まっていきました。
私はすべてにおいて彼に従おうと努め、
もし心の中で「嫌だ」「必要ない」といった声が抵抗を始めたり、
どうしても言いつけの実行に踏み切れなかったりした時には、
「私はわかっていない、これらはみな新しい事だ、
あの人の言葉は聖なる法であり私の判断の及ぶものではない」
などと自らを諭し、すべてに打ち勝ちました。

彼の愛撫は、私の気を重くさせました。
絶えず手にくちづけし、唇にもキスをしようとしました。
私はそれも忍耐の訓練と思って、終わるたびにホッとしました。
ポクロフスコエ村に行く一行は、ラスプーチンと一人の修道女、それに私と息子でした。
晩に皆が床に入ると彼は自分の所から這い出してきて私と並んで横たわり、
愛撫しキスをしまるで恋人のような言葉を語りかけ、
そして「俺の女房になってくれるか」と尋ねました。
私は「もしもそれが必要なら」と答えました。
私はすべてを彼への自分の愛の純粋さを試みるためのものと受け取りましたし、
女性信者の一人が何だかわけのわからない非常に苦しい試練を受けた
と話していたのも思い出しました。
私はこれは彼が試練を課しているであり、彼自身は汚れなき存在だと確信していました。
そして彼は夫にだけ許される事を行い始め、
私を無理矢理犯していろいろな事をしたのです。


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国会議長 ロジャンコ

新聞を読んだ皇太后は、すぐさま私を呼んだ。
ラスプーチンについての噂は世間であまりに度の過ぎたものになってしまったので、
彼の乱交について詳しく語った。
皇太后は黙って聞いていたが、別れ際になってから突然言った。
「あなたはこの事を皇帝陛下にお話しするつもりだそうですね。
彼は悪を信じるにはあまりに心が清らかすぎるのです。
あの子をあまり辛い目にあわせないで下さい」


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コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公の日記 1912年

皇太后は、
彼らが秘かにラスプーチンに会い続けている事を知って絶望しておられる。


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■皇后がラスプーチンに送った手紙が流出する


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流出した皇后からラスプーチンへの手紙

熱愛する忘れがたい私の先生、救助者へ。
あなたがそばにいないと私はどんなに苦しいことでしょう。
先生が私のそばいる時だけ、私は安らぎ休息できます。
私はあなたの手にキスをして、私の頭をあなたの聖なる肩にもたれさせたい。
そうすれば私の気持ちはどんなに楽になることでしょう。
私は一つのことを願います。
あなたの肩、あなたの抱擁の中で永遠の眠りにつきたい。
あまたはどこにいるのですか、どこに飛び去ったのですか。
私は苦しく、心はふさいでいます。なるべく早く来て下さい。待ち焦がれています。
あなたの聖なる同意を願い、あなたの聖なる手にキスをします。
永遠にあなたを愛するママより。


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皇后の友人 アンナ・ヴィルボワ

内務大臣マカーロフはこれらの手紙の現物を自分で皇帝に持って行きました。
私は自分の目でマカーロフの持って来た手紙を見て、
それが写しではなく実物である事を確信しました。
マカーロフは皇后に手紙を返さなかった事で、彼女の怒りを買ったのです。


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皇后から皇帝への手紙 1915年09月17日

彼らは私たちの友人ラスプーチンに宛てた私の手紙を部外者達に見せた
マカーロフに劣らぬ悪者達です。


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首相 ココフツォフ

印刷された4,5通の手紙の写しが町中に広まりつつあった。
1通は皇后から、残りは皇女達からラスプーチンに宛てた物だった。
1912年02月13日に私は皇太后から呼ばれた。
1時間半ほど続いた会話は、すべてラスプーチンの話題に費やされた。
「私の不幸な嫁は、自ら自分と王朝の死を招いているという事が理解できないのです。
彼女はあの疑わしい人物の神聖さを深く信じ切っているのです」


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マリア・ゴロヴィナからフェリックス・ユスポフ公爵への手紙 1912年02月14日

別の生を開示する人は、どんな時代にも迫害され追放されるものです。
キリストに従った人々と同様に。
あなたは彼についてあまりにも知らず見てもいないので、
彼の人格と彼を動かしている力を理解できないのです。
しかし私は彼を知って2年になりますから、彼が神の十字架を背負っており、
私達には理解しえない真理のために苦しんでいるという事を確信しています。


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1912年02月18日

これほど恥ずべき時代は前代未聞だ。
今ロシアを支配しているのは皇帝ではなく、山師ラスプーチンなのだ。
ラスプーチンは新聞雑誌の攻撃に閉口して、
「自分は立ち去る用意はあるのだが、身内が自分を必要としているのだ」と言っている。
その身内とは皇帝一家の事なのだ。


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1912年02月22日

あのラスプーチンが宮殿で行っている事に対して、全ペテルブルクが憤慨している。
ああ、あの男は皇后の元でならどんな事もできるのだ!


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国会議長 ロジャンコ

1912年02月28日、書類によって武装し皇帝の元へ報告に向かった。
私は皇帝に対し、
ラスプーチンが鞭身派であると皆が知った時の世間一般の怒りについて述べた。
「あなたはなぜ彼が鞭身派だと思うのですか」と皇帝は尋ねた。
私は「彼が女達と一緒に公衆浴場へ通っているのを、見張りの警察が突き止めたのだ」
と述べた。
「それがいったい何だというのですか?平民達の間ではよくある事です」
そこでラスプーチンの犠牲者達による手紙や告白のこと、
ラスプーチンが狂気に追いやったロフチナ夫人のこと、
ラスプーチンが暮らしていたサゾーノフ家で行われていた宗教儀式のことなどを話した。
「あなたはストルイピンの報告書を読みましたか」と皇帝が尋ねた。
「いいえ、それについては存じておりますが読んではおりません」
「私はあれを却下したのだが」と皇帝は言った。
そして皇帝は私に、トボリスク事件の調書を借り出して調べてみるよう勧めた。

私に調書を持ってきたのは、宗務院総裁補佐のダマンスキーだった。
次の日に彼は私に電話をかけてきて面会を求めた。
やってくるなりダマンスキーは告げた。
「私はラスプーチンに関する機密文書をお返しいただくようお願いに参りました」
「あなたは皇帝陛下の命を受けておられるのですか」
「いいえ。しかしいとやんごとなき御方からあなたへの依頼であります。皇后陛下です」
「皇后陛下にお伝えください。
あの方もこの私と同じく皇帝陛下、すなわち御自分の夫君に仕える身でいらっしゃると」


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ニコライ2世の日記 1912年02月28日

ママがお茶の時間にやってきて、グリゴリーについて話をした。

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ニコライ2世の妹 クセニア大公女の日記 1912年02月29日

ママは言いたい事を全部言ったので満足していた。
アレクサンドラは、ラスプーチンは素晴らしい人物であり、
ママも彼に近づきになるべきだと言って彼を弁護した。
ママは「いま国会が返答を待っている所なので、
彼に出て行ってもらったほうがいい」と勧めただけだった。
アレクサンドラは一歩も退く事はできないと宣言した。


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■皇帝皇后は世論の鎮静化のため、ラスプーチンを故郷のポクロフスコエ村へ行かせた。


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ポクロフスコエ村のラスプーチンから皇帝夫妻への手紙

愛しいパパとママ!これは呪うべき悪魔が力を得ているのです。
国会も悪魔に仕えています。あそこには革命家やユダヤ人どもが大勢います。
果たして連中は何を求めているのか?
それは神の遣わした皇帝を一刻も早く追い払う事なのです。
パパ、これはあなたの国会だから、どうとでもやりたいようになさるがいい。


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■ポクロフスコエ村でゆったりと田園生活を楽しんでいたラスプーチンの所に、
1912年03月ごろ正気を失ったロフチナ夫人がやってきた。
かつてペテルブルクのファッションをリードしていたロフチナ夫人は、
数々のリボンやイコンをぶら下げた珍妙な白い上衣をまとい裸足だった。
施し物で飢えをしのぎつつポクロフスコエ村まで歩いて来たのだ。
彼女は村人の視線を浴びながら、「キリストは甦りたまえり!」と叫びながら歩いていた。
新聞は、ラスプーチンがこの哀れな夫人を狂気に追い込んだのだと書き立てた。
そこでラスプーチンは彼女に奇行を禁じ、絶え間なく叫ぶ彼女を容赦なく殴った。
ラスプーチンの妻もまた、ロフチナ夫人の髪を掴んで家の門から引きずりだすと
通りの真ん中で殴ったりするのが目撃された。


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ラスプーチンの信者 オリガ・ロフチナ

つかみ合いについては、確かにそういう事はありました。
ある日ラスプーチン一家がお客に行っていた時、私は別の村人の家に寄りました。
その家の住人がたいそう貧窮していることを知った私は、
ラスプーチン様に牝牛をくれるようしつこくせがみました。
私は何か思いつくと、それが実現されるまでずっとこだわり続けるたちなのです。
それで私は客の前でラスプーチンの妻をケチだと言って責めたのです。
客が去るとラスプーチンの妻は、よその人の前で悪口を言ったとして私を責め、
髪をつかんで私を殴ったのです。私は彼らの元から去りました。

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■皇帝一家は3月末からクリミアへ保養に行った。
クリミアに到着すると、皇帝皇后はすぐにラスプーチンに電報を打った。
電報を受け取ったラスプーチンは、ポクロフスコエ村からクリミアへ向かった。


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ボグダノヴィチ将軍夫人の日記 1912年03月14日

明日皇帝一家はそろってクリミアへ発たれる。ラスプーチンも合流する。
この鞭身教徒を大目に見るという事ができる皇后の御趣味については、
書くのも悲しい。


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秘密警察の記録 1912年03月23日

ラスプーチンはペテルブルク行きの列車に乗った。

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ニコライ2世の妹 クセニア大公女の日記 1912年03月23日

*ニコライの妹クセニアとオリガの姉妹もクリミアへ向かった。

車内でオリガは私達にアレクサンドラとの会話を話して聞かせた。
かわいそうな坊やがあの恐ろしい病気にかかったこと、
そしてそのために自分も病気になり全治の見込みはないことを、
アレクサンドラは初めて語ったのだ。
アレクサンドラはラスプーチンについて、
「彼がそばに来てくれたり祈ってくれたりすると
すぐに子供の具合が良くなるのを目にしているだけに、
自分は彼を信じないわけにはいかない」と語ったという。
神よ!なんと恐ろしいことでしょう!そして彼らはなんと哀れなことでしょう!

ラスプーチンがクリミアに到着するとアレクサンドラは大喜びして、
「この人は自分がいつ私に必要なのかを常に感じ取ってくれる」と言った。


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■10月22日 アレクセイ皇太子危篤が報じられる。
皇位継承第2番目であった皇帝の弟ミハイルは結婚を急いだ。
もし跡を継いでしまえば、
今の恋人ナタリア・ヴリフェルトと結婚することは不可能となるからだ。


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ミハイル・アレクサンドロヴィチ大公から皇太后への手紙 1912年10月31日

愛しい母上、あなたを悲しませるのは僕にとってどんなに辛く心痛むことでしょう。
2週間前に僕はナタリアと結婚しました。
もし小さなアレクセイの病気がなかったら、
おそらく決してこんな思い切った事はしなかったでしょう。

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■首都に戻ったラスプーチンは以前と同じサイクルで生活を始めた。
堅苦しいゴロヴィン家の後は売春婦、
その後アンナと会い女性信者の誰かと公衆浴場を訪れ、休憩時間にまた売春婦、
そして晩には時々自動車に乗って皇帝皇后に会いに行くというパターンである。


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秘密警察の報告

以前は彼は売春婦との逢引に際して警戒心を示し
周りに目を配りながら人気のない通りを歩いていたのに対し、
最近ではこうしたこともまったく大っぴらになされるようになった。

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by xMUGIx | 2008-02-12 00:00 | ロシア
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