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by xMUGIx
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ロマノフ朝

◆1913年

*皇帝一家は06月22日から翌年01月01日までバルト海・クリミアで静養、
約6ヶ月首都を留守にする


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ニコライ2世の日記 1913年01月31日

善良なグリゴリーに会った。彼は1時間15分、私達の所にいた。

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■1913年はロマノフ王朝300周年であった。
1年に渡って様々な記念式典が行われたが、常にラスプーチンが招かれていた。


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ニコライ2世の妹 クセニア大公女の日記 1913年05月24日

ラスプーチンが入口の所に立っていて、私以外の者はみな彼を見ていた。
聖職者達の間の不満と抗議は大変なものだった。


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ニコライ2世の日記 1913年06月14日

お茶の後でグリゴリーに会った。

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ニコライ2世の日記 1913年07月30日

午後7時にグリゴリーがやってきて、
アレクサンドラとアレクセイのそばにおり、私や娘達と話をした。
グリゴリーが去って間もなくアレクセイの腕の痛みが無くなり始め、落ち着いて寝入った。


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■10月 ラスプーチンは初めて首都ペテルブルクに自分自身の住居を構えた。
二人の娘は上流階級の子女のためのステブリン・ラメンスカ高等女学校に入学を許された。


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イギリス大使ジョージ・ブキャナンの娘 マリエル・ブキャナン

オペラのボックス席にいた皇后の白い鷲の羽の扇子が
ひどく不自然に揺れ始めたのが目に入った。
皇后の青白い顔は急に上気して、とてもこの場にいられない様子に変った。
彼女が苦しそうに息をするたびに、
ドレスに散りばめられたダイヤモンドが不安気にきらめいた。
苦痛に耐え切れなくなった皇后は皇帝にちょっと耳打ちするとボックス席から姿を消し、
その夜は二度と現れなかった。場内に憤慨のさざ波が走った。
ささやかれる話はいつも同じで、「皇后はペテルブルクをひどく嫌っておられる。
社交界も、ここに住む人々も、ここに関係のある物はすべて気に入らないのだ。
その場に感情移入して、自らも楽しむという人ではない」というものだった。
父は本当に身体がつらくて席を立たれたのだと私に説明した。
それは本当だった。たまに公の場に出ると、
皇后は決まって息切れ・失神・疲労などの発作を起こすのだった。
だがいくら理由が説明されても、人々の間には不快な印象を残し、消えなかった。


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ラスプーチンの信者 レオニード・モルチャノフ

4つか5つの部屋からなる住居は家具調度が粗末で快適ではありませんでした。
部屋の一つにはアキリーナ・ラプチンスカヤが住んでいましたが、
差し当り女中がいないため彼女がサモワールを沸かしたり魚汁を作ったりしていました。
別の部屋には二人の娘達がステブリン・カメンスカヤ私立中学校の寄宿舎から
帰ってきた時に一緒に住んでいました。


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ラスプーチンの信者 マリア・ゴロヴィナ

モギリョフ県の農婦アキリーナは、以前ヴェルホトゥリエ修道院に住んでいました。
しかしその後なんらかの面白くない事件が起こったため、
彼女はそこを去り看護婦となりました。


*ヴェルホトゥリエ修道院は、放浪中のラスプーチンが立ち寄った場所である。

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秘密警察の報告 1916年

アキリーナはラスプーチンの家に何ヶ月も暮らしている。
彼女を相手にしたエロティックな体操は、ブラインドが無いので通りから丸見えだった。


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ジナイーダ・ユスーポワから息子フェリックス・ユスポフ公爵への手紙 1913年11月

私は皇帝一家のテーブルに席を与えられました。。
皇后は私にお祝いを述べ、お前たち二人の事についてたくさん話しました。
愛想よく見せようとしていたにもかかわらず会話はそっけないもので、
私がどれだけ彼女にとって気に食わぬ存在かという事が見て取れました。
皇帝は笑顔や握手で事をごまかそうとし、言葉は一言も発せられませんでした。
アンナは5番目の皇女という資格で、そのように振る舞っていました。
【黒い姉妹】はまるでペスト扱いで、
皇帝夫妻が彼女たちをまったく無視しているのを見ると、
宮廷の者達は誰も彼女達に近づいていこうとしないのでした。


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by xMUGIx | 2008-02-13 00:00 | ロシア
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