直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
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ロマノフ朝

●皇帝 ニコライ2世 愛称ニッキー
●皇后 アレクサンドラ 愛称アリックス
●ラスプーチン グリゴリー・ラスプーチン
●アンナ・ヴィルボワ 旧姓アンナ・タネーエワ/皇后の友人/ラスプーチンの信者
皇后の友人ナンバー1&ラスプーチンの信者ナンバー1
●皇太后 皇帝の母マリア・フョードロヴナ
●エリザベータ・フョードロヴナ大公妃 
皇后の姉/皇帝の叔父セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の妻
●クセニア・アレクサンドロヴナ大公女 
皇帝の妹/皇帝のいとこアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公の妻
→娘イリーナはラスプーチン暗殺者の一人フェリックス・ユスポフ公爵の妻
●ミハイル・アレクサンドロヴィチ大公 皇帝の弟
●オリガ・アレクサンドロヴナ大公女 皇帝の妹
●ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公 皇帝の叔父
●パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公 皇帝の叔父
→息子ドミトリー・パヴロヴィチ大公はラスプーチン暗殺者の一人
●ニコライ・ニコラエヴィチ大公 
皇帝の父のイトコ/モンテネグロ王女アナスタシア(愛称スタナ)の夫
●ピョートル・ニコラエヴィチ大公 皇帝の父のイトコ/モンテネグロ王女ミリツァの夫
●コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公 皇帝の父のイトコ
●セルゲイ・ミハイロヴィチ大公 皇帝のイトコ
●マリア・ゴロヴィナ ラスプーチンの信者/ユスポフ公爵の幼なじみ
母と共にラスプーチンの信者でゴロヴィナ家はラスプーチン信者のサロンとなっていた。
●アキリーナ・ラプチンスカヤ ラスプーチンの信者ナンバー2
●オリガ・ロフチナ ラスプーチンの信者/ロフチン夫人 
●ユリア・フォン・デーン 愛称リリ
皇后の友人ナンバー2/ラスプーチンの信者 アンナ・ヴィルボワの親戚  
●ツァールスコエ・セロー 「ツァーリの村」の意味。皇帝一家の宮殿がある地域
首都サンクトペテルブルクの南郊外にあり、
人工的で幻想的なミニチュアの世界を創り出していた。


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皇帝の侍医の息子 グレブ・ポトキン

ツァールスコエ・セローは、
少数の許された者のみが入れる魔法の国といった別個の世界であった。
忠誠な君主主義者にとっては一種のパラダイス、
いわば地上の神々の住む場所であったが、
革命家にとっては、
そこは血に飢えた暴君が無辜の民を虐げる陰謀を企む場所であった。

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*生涯を通じてアレクサンドラの
ニコライ2世、皇帝という存在、ロシア帝国への想いは次の手紙に象徴される。


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婚約時代の皇后から皇帝への手紙

*父帝アレクサンドル3世が危篤状態にあった

しっかりなさいませ。
緊急事態発生の折は、侍医をあなたの所に直接来させなさい。
他の人の所へ先に行って、あなたをないがしろにさせてはなりません。
あなたは父上の大切な息子なのですから、
すべてについてあなたの指示を仰ぐようにさせるべきです。
あなた御自身の気骨のある所を示して、
周りの者にあなたの存在を忘れさせてはなりません。
差し出がましい事を言って許してね、坊や。

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*アレクサンドラのラスプーチンへの傾倒は、次の証言に象徴される。


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皇帝一家の家庭教師 ピエール・ジリャール

ラスプーチンの予言の言葉は、
単に皇后自身の秘められた願いを言明しただけのものだった。
彼女の個人的な願いがラスプーチンを通過する事によって、
彼女の目の前で神の啓示としての力と権威を得たのだ。

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■ラスプーチンが現れる前から、皇帝夫妻は様々な祈祷師にハマった。
祈祷師を紹介するのはニコライの父のいとこ
ニコライ・ニコラエヴィチ大公&モンテネグロ王女アナスタシア夫妻と、
ピョートル・ニコラエヴィチ大公&モンテネグロ王女ミリツァ夫妻。
この2組の夫婦は兄弟&姉妹のカップルで、
【黒い家族】や【黒い姉妹】と陰で呼ばれるほどオカルトや神秘主義に傾倒していた。

*フランス人パピュス
父帝アレクサンドル3世の霊を呼び出してニコライと対話したことで、
絶大な信頼を得ることに成功する。

*裸足のマトリョーナ
大声でわけのわからない予言をわめきちらすボロ着をまとった裸足の女性で、
現れた時と同様に突然宮廷から姿を消した。

*「神と対話ができる」というふれこみの奇形の農夫コリアバ
両腕の無いコリアバは義手をつけていたが、
癲癇の発作が起きるとその義手を激しく振り回し、
わけのわからぬ言葉を叫び、泡を吹いてのた打ち回る。
アレクサンドラは彼の実演に毎回出席し、
コリアバの口走る言葉から必死に神のお告げを聞き取ろうとした。


*コゼリスキー/ググニヴィ/ミーチャと呼ばれていたドミトリー・オズノビシン。
長い髪に修道士風の法衣を身に着け、長い杖をついて裸足で歩き回っていた。

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ニコライ2世の日記 1906年01月27日

オプチナ修道院近くのコゼリスクから、【神の人】ドミトリーという男がやってきた。
彼は自分の見た幻影によって描いたイコンを持ってきた。
私は彼と1時間半ほど話した。

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*フランス人フィリップ 本名ナジェ・ヴィショー
フランスを訪問していた皇帝夫妻に、ミリツァが引き合わせた。
彼の奇蹟は手品のようなものでフランスでは笑いものになっていたが、
アレクサンドラは信じ込んだ。
アレクサンドラに月光の下で沐浴することを勧め、ハーブを調合した薬を与えた。
1903年に儀式が行われ、翌1904年めでたく皇太子アレクサンドル誕生。
夫妻はますますオカルトに傾倒してゆく。

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ニコライ2世の父のイトコ コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公の日記

フィリップは50歳ぐらいの小柄で黒い髪と黒い髭の男で、
ひどく強い南フランスの訛りがあった。
彼はフランスとヨーロッパにおける宗教の没落について論じた。
別れるとき彼は私の手にくちづけしようとして、私は自分の手を引き離すのに苦労した。


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国家評議会議員 ポロフツェフの日記

ミリツァは皇后とフィリップを引き合わせた。
マリア皇太后はミリツァとスタナ姉妹にひどく腹を立てた。
皇太后の依頼に応じてパリの諜報員を使ってフィリップの過去を調べる事にした。
回答はとんでもないものだった。
パリ在住のロシア諜報員はフランスの新聞記事を送ってきた。
それはフィリップの公開催眠術ショーについて皮肉たっぷりに書いたものだった。
フランス人はフィリップをうさん臭い山師と呼んでいた。

セルゲイ・ミハイロヴィチ大公から聞いた話では、
パリの諜報員からフィリップに関して都合の悪い報告が届こうものなら、
皇帝は24時間以内にこの諜報員を解雇するよう命じたという。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

ロスチャイルド一族のアルフォンソ・ロスチャイルド男爵は、
フランスの偽医師フィリップがロシアの両陛下に近づき、
両陛下が彼を聖人扱いして尊敬され、一部の大公および大公妃達の信用を得て、
これらの人々に対して大きな勢力を持っていると述べ、このようなペテン師が
宮廷に入り込めるような国に安心して多額の融資はできないと言うのである。

フィリップとパリで知り合い彼の奇怪な言行に眩惑されてロシアへ土産話としたのが、
ミリツァとスタナであった。
彼をもっとも深く信仰したのはニコライ・ニコラエヴィチ大公である。
この人は非常な迷信家で、常人をして精神状態を疑わしめるほどであった。
私はニコライ大公を有為の材だとは思わない。しかし真面目で別に悪意のある人ではない。
皇帝に対しては盲目的に従順であるし、軍事については相当の才能のあった人だと考える。
それ以来フィリップは時々ロシアへやってきて数ヶ月間秘かに宮中に滞在して、
両陛下にいろいろと神秘的治療を行ったりしていた。
このモンテネグロの王女達はたった2人の取るに足らぬ女性であったが、
ロシアの皇室に災いしたことはいかに大きかったか。
この姉妹の醜劣な言行を書き立てるならば、どんな大冊な書物になるかしれない。

機会をつかむ事に寸時も注意を怠らなかった姉妹は、
遠く他国に嫁したばかりで周囲の人々に親しみを持たぬ
アレクサンドラ皇后の侍女達を押しのけて皇后の左右に近侍した。
それ以来彼女達は皇后の側を去る事のない親友となり、
次第に宮中で勢力を得るようになった。
彼女達の欲望はまず金銭の方向に表れてきたので、彼女達と私の間に小衝突が起こった。
まだロイヒテンベルク公妃であった時にスタナは、
ロイヒテンベルク公家の歳費を15万ルーブル増額する事を皇后を通じて皇帝に請願した。
私はもちろんこれに承諾を与えなかったが、
勅令によって宮内省から15万ルーブル支出する事になって結末がついた。
またミリツァは、夫ピョートル・ニコラエヴィチ大公が
投機に手を出して大穴をあけたというので、
私に中央銀行から貸し出しを取り計うように依頼してきた。私はそれを拒絶したが、
するとこれも勅令で宮内省から御料地の収入を割いて援助する事になった。


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ラスプーチン暗殺者の一人 フェリックス・ユスポフ公爵の証言

フェリックスの父親が散歩していると、
見知らぬ男と一緒に馬車に乗っているミリツァに出会った。
父親は会釈したが、ミリツァの方は応えなかった。
数日後どうして会釈に応えなかったのかミリツァに尋ねると、
「あなたには私の姿は見えなかったはずですわ」とミリツァは答えた。
「私はフィリップス先生と一緒にいたのですから。
あの方が帽子をかぶると姿が見えなくなるんです。
そして一緒にいる人も同じように見えなくなるんですのよ」


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ニコライ2世の日記 1901年08月26日

ズナメンカ〔ミリツァ&スタナ姉妹の家〕に行き、5時まで過ごす。
【私たちの友】も一緒だった。


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ニコライ2世の日記 1901年08月01日

ズナメンカに出かけた。一晩中【私たちの友】〔フィリップ〕の話に耳を傾ける。
帰路はうっとりするような月夜。


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ニコライ2世の日記 1901年08月02日

ズナメンカに行き、【私たちの友】と一緒に最後の夜を過ごした。

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アレクサンドラからニコライ2世への手紙 1901年09月09日

フィリップを知るようになってから、私達の人生はなんと豊かになった事でしょう。

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■1902年アレクサンドラは妊娠したが、医師の診断を拒絶した。
担当医となったはミリツァ&スタナ姉妹とフィリップだった。
皇后のお腹は順調に膨らみ臨月が近づいたが、想像妊娠であった事が発覚する。


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ニコライ2世の妹 クセニア大公女の手紙 1902年08月

なんてことでしょう。お気の毒なアレクサンドラは全然御懐妊されていなかったのです。
どんなに自尊心を傷つけられたことでしょう。


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コンスタンチン・コンスタンノヴィチ大公の日記 1902年09月06日

セルゲイ・ミハイロヴィチ大公の主張するところによれば、
両陛下は神秘的な気分にはまり込み、
ズナメンカでフィリップとともに祈り、幾夜も過ごし、
そしてなんだか有頂天になって戻ってくる。
目は光り、顔は輝いて、まるで恍惚状態にあるようだ。
これは危険というより滑稽ではないか。
よろしくないのは、お二人がズナメンカ訪問を秘密にしている事だ。


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コンスタンチン・コンスタンノヴィチ大公の日記 1902年09月07日

セルビア王女イェレナは、
弟のセルビア王太子がミリツァとフィリップに影響されてしまったと言った。
セルビア王太子の言うには、フィリップの地上での使命は終わりに近づきつつあり、
間もなくこの世を去るけれども、友人達の元に違う人間の姿をとって戻ってくるとの事だ。
なんという馬鹿げたことだろう!セルゲイ・ミハイロヴィチ大公は、
皇帝と皇后のズナメンカ訪問についてとても心配していると私に言った。


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官僚 アレクサンドル・ポロフツェフの日記 1902年09月12日

フィリップは催眠術を使って皇后に妊娠していると信じ込ませたのだ。
そう思い込まされ、皇后は医師の診察を拒否した。
ところが皇后は突然痩せ始めたので、08月半ばに産科医のオットーを呼ばれたのだった。
オットーは、皇后は妊娠していないと告げた。
だがこのような事件にもかかわらず、
フィリップに対する皇帝夫妻の信頼は揺らぐ事はなかった。
お二人の目にはフィリップは素晴らしい霊感に満ちた人物であり続けたのだ。
これほど悲しい事件でなければ、滑稽と言ってもいいくらいの事なのだが。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

皇后は4人の皇女を持ったが、皇子は一人もなかった。
ちょうどそこへフィリップなる者が現れて、
皇后に「必ず皇子を御懐妊なさる」と暗示したのであった。
皇后もこれを信じて懐妊していると思った。皇帝もこれを喜び、皇后懐妊が発表された。
そして丸9ヶ月が過ぎた。しかしなかなか分娩の期が来なかった。
皇后は最後の最後まで診察を拒んだが、
とうとう宮内省の産科医オットーが皇后の身体を診察する事が許された。
オットーは「現在妊娠中でなく、また従来も懐妊されていなかった」と診断した。


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コンスタンチン・コンスタンノヴィチ大公の日記 1902年09月19日

ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公のところに赴く。
彼は心を痛めている問題に話題を切り替えた。つまり、フィリップの事だ。
彼の考えでは、フィリップを皇帝夫妻にここまで親密にしてしまった罪は
ニコライ・ニコラエヴィチ大公にあり、
大公こそがこのような事態を引き起こした張本人だと言う。
そしてフィリップの不埒な行為のせいで、
皇帝夫妻は世間の物笑いと軽蔑の的になっている。


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■1904年02月08日 日露戦争勃発


■1904年08月12日 皇太子アレクセイ誕生
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by xMUGIx | 2008-02-01 00:00 | ロシア
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