直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
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ロマノフ朝

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ニコライ2世のイトコ マリア・パヴロヴナ大公女
パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公の娘・スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚

1904年の夏、哀れな皇太子がめでたく誕生した。
ところが長年世継ぎを待ち望んでいたロシア国民も
それまでの相次ぐ皇女の出生で落胆して気抜けしていたせいか、
待ちに待たれたはずの皇太子の誕生にも熱意を見せずまた慶祝気分も長続きしなかった。

皇太子が誕生してからというものその不幸な成長ぶりに全身全霊をかけてきた皇后は、
元来が丈夫でなかったのがますます健康を損ない、
希望という希望をすべて闇に閉ざしての長い年月を過ごしていた。
回避できない最小限度の公式行事が宮廷の中だけで執り行われるようになり、
この時だけが皇帝皇后両陛下が外界と接触する数少ない機会となった。
彼らが自らの世界へ隔絶してしまった以上、
皇帝からの連絡・皇帝への連絡いずれの場合でも、
皇帝の周囲にいる無知きわまる信頼もおけない者達の手を通すより他はなかった。

皇后は愛する皇太子の不治の病が、年齢を重ねるごとに悪化する事を承知していた。
ラスプーチンだけがこの苦痛を和らげられるとなると、
皇后が彼を唯一の救世主と見なしたのも当然至極の事だった。
ラスプーチンはずる賢くも自分がいなければ皇太子は生き長らえないとの
決まり文句を抜け目なく四六時中連発しては皇后の心をがんじがらめにしていった。
さらには傲慢にも皇帝一家の施術者という慎み深い役割では飽き足らなくなり、
より広範囲に自力を誇示したくなった。
その当時にまつわるおびただしい文書が公けになった現在、
ラスプーチンが皇帝皇后に言上した忠告はロシア農民階層に共通した常識を
そのまま伝えていたこともあったと言って差し支えないかもしれない。
貴族達は人民を抑圧しているだけでなく
皇帝との触れ合いをことごとく遮断しているという根拠のもとに、
ラスプーチンが貴族階級に抱いた根深い反発は農民にも共通していた。
まず手はじめに彼は皇后が周囲に対して敵意を抱くように仕向けた。

ドイツからロシアに輿入れして長い歳月が経つというのに、
生まれつき内気で秘密主義だった皇后にとって、
ロシア国民はいつまで経っても異邦の民でとうてい慣れ親しめない存在だった。
ロシアの貴族階級を放埓で自堕落とみなし、
彼らから冷やかな態度に出られると侮蔑をもって応酬した。
彼女は彼らが自分を始終観察しているような気持ちに襲われ、彼らを嫌厭した。
自らの関心事を家庭の範囲内だけに留め置いていたならば、
まあまあ上首尾に運んでいたろう。
ラスプーチンは自分勝手な都合で皇后を家庭から引きずり出し、
国政に興味を持たせた上で自分自身の考えを吹き込もうとした。
狡猾な農夫上がりのこの男は手中に収めた権力を駆使して、
まず貴族に対する根っからの恨みつらみを晴らそうとした。
私にはラスプーチンの直接的・間接的影響によってロシアが陥れられた窮地が、
幾世紀ものあいだ徹頭徹尾無視され続けたロシア農民の貴族階級に向けられた
救い難い暗黒の憎悪からくる復讐心の権化のように思われてならなかった。

大本営へ数ヶ月の長期出張を繰り返していた私の弟ドミトリーは、
そのたびに宮廷の事態が悪化しているのを痛感していた。
どれだけ進言しようとも、頑愚なうえ自分だけの殻に閉じこもってしまい
世間の動静に全く無知な皇后の差し金によって、
信頼に足る人物は全員宮廷から締め出されていた。
不実と虚偽に取り巻かれた両陛下は、
一般に蔓延している非難の声も聞こえない有り様だった。

皇帝は個人的には権力に無関心で自分に備わる力も意識していなかったが、
その絶対君主権が侵害される事だけは我慢ならなかった。
先祖代々継承されてきた独裁権という遺産を手つかずのまま保持する事こそ、
自らの神秘性に基づく聖なる責務だと信じていた。
皇帝は独裁権の神聖なる起源を信奉していた。
国家の幸福と繁栄に関する責任を国に対してではなく
神に対してのみ負うと考えていた皇帝にとって、
手ずから召し出した意見番以外の者が言上する忠告などは
無責任で的外れで何よりも煩わしい物の一言に尽きた。

1916年12月、誰かがラスプーチンが死んだという一報を伝えた。
周囲が空前の興奮に沸き返っていたのを、今も目のあたりに思い出す。
長い間の嫌悪と憎悪の標的だった人物は、
ロシアに降りかかる厄難の咎めを一身に受けて謎の死を遂げた。
訃報は至る所で狂喜をもって迎えられ、
人々は復活祭さながら街角で抱き合い女達は嬉しさのあまり泣き崩れた。
1907年以来ずっとラスプーチンが宮廷に出没していたのは、
ロシア全土でも衆知の事実だった。
そして開戦の頃から彼の存在は一段と顕著になり始めていた。
1916年現在に至っては国の大半が、
前線の敗退も内政の不手際もすべてラスプーチンに事実上の責任があると見なしていた。
彼らにすれば戦争のためにこれ以上の犠牲を強いられるのはもうごめんだった。

明朝けたたましく鳴る電話のベルに飛び起きると、
それは緊急の面会を願い出るシャコフスコイ王子本人からのものだった。
15分後私の前に立った彼は、「殿下、ペトログラードで起きた事件を御存知ですね」
と口ごもりながら言うと手袋を弄んだ。
「昨日伝えられた詳細は不正確でした。今朝方真相が判明しましたが、
ロシアはユスポフ公爵率いる英雄達の手で解放され、
その内の一人は弟君ドミトリー大公です」
「事の次第は?」
「詳細は不明です。ラスプーチンの死体の発見はまだで、
ドミトリー大公とユスポフ公爵は皇后の命で逮捕されました。
弟殿下の果敢な行為に対して世間では喝采するでしょうから御心配は無用です。
ラスプーチンの滅亡は、ロシアにとって最大の恩恵です」

ラスプーチン暗殺の噂は大本営にも伝えられた。
大本営にいて皇帝を見かけた父は、皇帝が動揺も不安も表に出さず、
それどころか普段よりも機嫌がよく快活そうで、ラスプーチンが
ようやく姿を消してくれた事にホッとしているような感じすらあったという。
皇帝は大本営に詰めていた全員に別れを告げると、
慌しく御召列車に乗り込み宮殿に還御された。

ペトログラードの街はラスプーチン殺害への好奇と興奮に沸き返っていた。
ラスプーチンの死は内政と反体制運動のバランスを一挙に崩し、
世情を攪乱状態に陥れた。ラスプーチン殺害とその連鎖反応を
宮廷がいかに手際良く処理するかに何もかもがかかっていた。
王朝のみならず国家の存立も、宮廷の出方一つに委ねられてた。
すべての目は固唾を飲んで宮廷に向けられた。
ところが、ああ残念にも宮廷の応答は期待を裏切るものだった。
皇帝の帰還も待たずに皇后はドミトリーの逮捕を皇帝直属の将軍に命じ、
ユスポフ公爵もドミトリーと共に連行され宮殿の周囲には監視兵が立てられた。
人民の圧倒的な同情は、捕われた者達の上に集まった。
ドミトリー達の監禁されている宮殿には、
称賛と歓喜の言葉を携えて訪れる見舞客が引きもきらず活況を極めた。

皇后はラスプーチンを亡くして無限の悲しみに憑りつかれていた。
ラスプーチンの亡骸が発見されると、
亡骸は宮殿に運ばれ皇后が自ら選んだ庭園のとある場所に深夜埋葬された。
皇后があまりにも悲しみを大っぴらに顕示するさまに、
人々は彼女がラスプーチンに捧げていた愛情がどれだけ深く、
また他人が口を挟みえないものだったかを思い知らされた。

とにかく異例きわまる事件で、誰がどう裁かれるのか全く予想がつかなかった。
両陛下は誰にも会おうとせず、宮殿に閉じこもったっきり
親族が弟達の処分について口添えしようと訪れても相手にもしなかった。
私はモスクワを発ってキエフにマリア皇太后を訪ねた。
子供の頃から私達姉弟を慈しんでくれた皇太后は、
温かい歓迎の手を差しのべて私の言い分に熱心に耳を傾けてくれたが、
皇太后からの介入に期待するのは無理だと悟った。
母親と息子が絶対に触れ合わない領域はどこの家にも存在するものだ。
親子間の会話にも若い皇后についての話題だけは常に避けて通った。

エラ伯母はラスプーチンの影響が宮廷で顕著になり始めた頃から、
実妹である皇后に彼を信用して頼り切らないようにと口を酸っぱくして忠告してきた。
最初はエラ伯母の言葉を聞き流していただけだった皇后も、
ラスプーチンへの傾倒が深まるにつれて忠言の類すべてに拒絶反応を示すようになった。
ラスプーチンの影響力が家庭の域を超えて政治面にまで及ぶようになると、
エラ伯母はいっそうの危惧を抱いて今度は皇帝に直接諫言したが相手にされなかった。
それまで親しく温かかった姉妹の間柄は次第に冷却するとともに、
皇后はエラ伯母の存在に圧迫感を抱くようになった。
エラ伯母は皇帝と皇后に最後の説得を試みようと、意を決して宮廷へ赴いた。
ところが皇帝は不在で、皇后はよそよそしい態度を露骨にした。
エラ伯母は今にも反乱が勃発しそうなモスクワの窮状を率直に伝え、
早急に何らかの措置を講じなければ取り返しがつかなくなると警告した。
明くる朝伯母が皇后から受け取ったのは、
「ここから引き取るように」という簡単な走り書きだった。
数ヶ月ぶりにエラ伯母を修道院に訪ねた。私は軟禁中の皇帝一族の生活に触れ、
必要があればエラ伯母からの信書を彼らの手元に届けようと申し出た。
エラ伯母の瞳は険しく冷たい光芒を放った。そして口元をきっと一文字に結ぶと、
「手紙は書けない。伝える事がない。
実妹である事には変わりがないが、皇后とは理解し合うのを放棄した」と答えた。

「今夜ペルシャ前線に出征を命じられました。皇帝の副官が私の監視に付き、
旅行中は面会および他人との連絡は一切禁止するとの達しで、
最終目的地の前線も知らされていません」
ドミトリーは動揺を抑え一気に報告した。
ユスポフ公爵には「君はクールスク地方の君の領地に追放だ。
後から警視総監が汽車の出発時刻を知らせてくるそうだ」
ロシアは国を挙げて、
ラスプーチンの暗殺事件とその関係者を宮廷がどう扱うかに注目していた。
暗殺に加わった者達を虐げる事は、
同時に皇后がラスプーチンに抱いていた過度の執着を露呈し、
彼の駆使した威力にまつわる聞くに耐えない噂を証拠づけ、
さらには皇帝のどうしようもない無気力さを改めて世間に公表する事になる。
ドミトリーとユスポフ公爵が流刑に処せられたという第一報は、
驚くべき速さで世間に広まった。

1917年03月13日皇后からの召し出しがあったので、父は宮廷に出向いた。
皇后は厳しい表情で、親族一同が皇帝に理不尽な影響を及ぼそうとしているのは
忠義に欠ける背反行為だと言って頭ごなしに不興を表した。
彼女の態度は以前にも増して頑なで、弾力性のかけらもなかった。
ロシア全土の人民がなべて皇帝の味方であることについては確固たる証拠もあり、
皇族・貴族・国会の代表らは厚顔無恥にもその逆の事を考えているらしいが、
それはまったくの誤解で今にも真実が発言すると言い切った。

03月15日ロシアの玉座を300年ものあいだ占めてきた王朝の継承者が、
畏まっている国会の代表達の前に一枚のタイプ紙を差し出した。
これが彼の絶対君主としての最期の意思表示であり、彼が発した最後の勅令だった。
あの時の私は、
たとえ大落雷と大地震が一時に襲いかかってきたとしても顔色すら変えなかったろう。
ロシアの歴史的滅亡を意味する皇帝の退位はキリストが十字架の死を遂げた時と同様に、
何か特別な自然現象を伴うものだと無意識の内に決めていた。

03月16日の夜明け、革命支部の司令官が皇帝が退位したと報告してきた。
朝になって父が皇后に会いに行くと、
信じがたい事に彼女は皇帝の退位をまだ知らなかった。
この重大ニュースを皇后に伝えるだけの勇気は誰にもなかったらしい。
父がその大任を果たした。彼女は見上げるほどの毅然とした態度でこの不幸を甘受すると、
落ち着いた口調で麻疹にかかった子供達の事を案じクリミアに向けて出発したいと言った。
宮廷人のうち幾人かは逮捕され、幾人かは逃亡し、
幾人かは新政府の不興をこうむるのが嫌さに帝室から離反した。
居残ったわずかな者達が、分厚い絨緞の敷きつめられた大廊下を忍び足で歩いていた。
その脇を泥だらけの軍靴を履いて兵隊帽を横被りし上着のボタンを外しっぱなしにした
酒臭い無精髭の兵士達の集団がガヤガヤと浮き足立って通り過ぎていった。

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by xMUGIx | 2008-01-29 00:00 | ロシア
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