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2017年 更新中
by xMUGIx
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愛新覚羅氏

1932年昭和07年野砲第四連隊大隊長に任命された田中は、
芳子を奉天の満州国軍政部最高顧問多田駿大佐に託して帰国する。
芳子は多田と愛人関係になり、特製の軍服に身を固め安国軍の司令官におさまった。
このニュースは日本でも大きく報道されたが、実際は芳子は特に何の働きも果たさず、
プロパガンダに利用されただけに終わる。


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朝日新聞 1933年昭和08年02月 

男装の麗人川上芳子嬢、熱河自警団の総司令に推さる 雄々しくも兵匪討伐の陣頭に

彼女がこの大任に当るについては満州国に人無しといえども、
芳子嬢を出すには及ばぬと非難する者もあるが、
まずやらしてみなければわからぬと彼女の活躍に非常な期待がかけられている。
男装の佳人川島芳子嬢は華々しい存在の一つである。
満州事変上海事変から満州の建国へと着々として進展して行く東亜新情勢の
発展の中にはいつも彼女のスマートな凛々しい男装の姿が見受けられた。

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昭和08年芳子をモデルに小説『男装の麗人』を書いた村松梢風

最近川島芳子さんの評判は大した事になってしまった。
「いったい川島芳子という人はほんとにエライ女性なのか」と私はよく人から聞かれる。
エライと言っていいか感心だと言っていいか、私にはわからないのだ。
その当時、上海で川島芳子さんの噂をよく耳にした。
事変前から日本の一スパイとして盛んに地下活動をやっていたという事や、
現在でも某方面と関係があって種々の活躍をしているような噂だった。
しかしいろんな噂はあっても、
事実芳子さんがどの程度の働きをしているかという事はほとんど誰も知らなかった。
ばかりでなく、だいたい川島芳子という女性はいかなる人間であるかという事についても、
本質的には従前から少しも世間に紹介されていないのだ。
デマやゴシップは盛んに人の口端にのぼるが、本体はほとんど知っている者はない。
まったく彼女は謎の女性、不可解な存在だった。
植物や花にも変り種があるように、甚だしく類型を異にした女性が稀に現れて、
破天荒の快事業を成し遂げるというような事を想像するのも悪い気持ではない。

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陸軍大佐 河本大作の三女

大連の家には川島芳子さんがよく訪ねてこられました。
昭和10年前後だったと思いますが、
財政困難になった彼女に父ははお小遣いをあげていたようです。
断髪で軍服姿の彼女はなんだか宝塚の主役のようで、
女学生だった私はダンスホールに連れて行ってもらったり
蒙古の子守歌を教えてもらったりしました。
あるとき妹と二人で入浴していたら芳子さんが入ってこられて、
私達は大声を上げた事があります。
考えてみれば女同士だから、騒ぐ事はなかったのに。

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やがて関東軍は芳子を持て余すようになり、1936年昭和11年日本に送り返す。
芳子は大物相場師伊東阪二の愛人となる。
伊東坂二(イトウ ハンニ)は本名松尾正直、三重県の生まれで
伊勢の伊・東京の東・大阪の阪を取って名前をつけた。
二人の住居は東京九段にあった。
芳子と別れた後の伊東は詐欺事件を繰り返し、
1948年昭和23年に逮捕されたのを機に世間から姿を消し、
昭和40年代にひっそり息を引き取った。


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日印協会理事 副島八十六の娘 昭子

九段のお宅はよく覚えています。
芳子さんの寝室は緑の絨緞に真っ赤なベッドという派手なもので、
入り口に【司令室】と書いてありました。
仏壇には芳子さんの字で【御先祖様】と書いた紙が下がり、
座敷には御簾を掲げていっぷう変わった雰囲気でした。
月見の宴などを開いた時には、
女優の水谷八重子・栗原すみ子らを招いて賑やかなものでした。
伊東さんと出会った事はありませんが、一緒に暮らしておられるというのがもっぱらの噂で、
家族は他に千鶴子さん〔秘書〕・ピーター〔預かっていたアジア男児〕、
それに廉子さんの姿も時々見かけました。

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1937年昭和12年、
伊東と別れた芳子は天津の日本租界松島街で中華料理店【東興楼】を経営し、
天津の【東興楼】、北京の自宅、福岡東中州のホテル清流荘を行き来していた。
1939年昭和14年、家賃滞納のため【東興楼】は立ち退きとなった。
日本へは静養という名目で九州大学病院をはじめその他の病院を転々としながら、
白羽二重の和装に断髪といういでたちで東中州の料亭で遊び回っていた。
そして、ダイヤを散りばめた時計が盗まれたとか5千円が消えたとか
病院の医師がキスをしたとか薬局が水増し請求をしたとか
次々に警察に言い立てるようになるが、いずれも狂言だった。


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芳子の秘書 小方八郎

あの人は悪気はないんですが、人を騒がせるのが好きだったんです。
寂しさを紛らわせるためだったのか、どうもあの点だけは理解に苦しみます。

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昭和14年、福岡で芳子に可愛がられた福岡高女の女学生 園本琴音/旧姓鹿毛琴音

「琴ちゃん」と何か言いかけて、「ちょっと失礼。身体に残った銃弾の痕が痛くてね」
ふくよかな太ももの透き通るように白い肌に鉛色の注射器が斜めに突き刺さり、
静かに押す指の間からガラスの筒が鈍く光っていた。

ある日 真顔で芳子様が、
「琴音ちゃん、僕のことをお兄ちゃんと呼んで」とおっしゃった事があった。
私は一度も呼べなかった。そんな簡単な事がなぜできなかったのか。
若さ、それだけの事だったのに悔やまれる。

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右翼政治家 笹川良一への取材

1940年昭和15年大衆党総裁として満州へ慰問飛行を行った笹川が
北京のホテル翠明荘に滞在した時、旧知の由利少尉から
多田駿の命によって「芳子を始末しろ」と仰せつかって頭を痛めていると打ち明けられる。

「上海では特務機関の田中の元で情報部員として、まあ、かなりの功績をあげとるんですが、
最近、軍では少々彼女をもてあましていましてね」と由利は告げた後、
「軍で使うだけ使っておいて、多少悪い事があるからといって始末するのでは
道義にはずれる行為ですから、私にはとても彼女はやれんのですよ」
と笹川に相談を持ちかけた。

笹川は「むごい話だ。よろしい、これから芳子に会って善処してみましょう」と言い、
北京の北池子にあった芳子の住居に駆けつけた。
笹川が芳子に事の概略を語ると、芳子は涙ながらに身柄を笹川に任せると伝えた。
笹川はその日のうちに芳子を大連の、かつて川島浪速が住んでいた家に引き込ませた。
そのご笹川が日本に帰国すると、
芳子は後を追って来て土地勘のある福岡に荷をおろし笹川を慕い続けた。

「いつ聞いても、年は27歳と言いよった。
しかし誰がしつけたのか、私が脱いだ袴をきちんと畳んだのには驚いた。
あの時分でも、袴を畳める女性はそうざらにはいなかった」
笹川の目前でいきなり股に自分で注射針を刺したとも言うのだが、
何のための注射であったかは笹川も確かめていない。

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芳子の秘書 小方八郎

日本では山王ホテルの一室にこもって、毎日何をするでもなく過ごしていました。
動物好きの彼女は浅草で猿を見つけて部屋で飼い始めたんですが、
それが子を産んだりして最後は4匹にもなりました。

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相変わらず中国と日本を行き来していたが、1945年昭和20年の敗戦は中国で迎える。
日本への帰国を勧める者も多かったが、芳子は中国に留まり放蕩の生活を続けていた。
しかしついに11月、北京の自宅にいた芳子は国民党軍に逮捕される。
漢奸として起訴され3年に渡って裁判が続けられたが死刑判決が下され、
1948年3月25日に銃殺刑となった。


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芳子の同腹兄 愛新覚羅憲立

芳子には理想がなく、また芳子の取り巻きはあまりに通俗的な人物が多すぎた。
もし彼女が思想的に基礎を踏まえた教育を受けたなら、
頭脳も勘も抜群の資質を備えていた彼女のことだから、
なんらかの歴史的役割を担う人物になっていたかもしれない。
しかし家庭的に恵まれず、くわえて生来の特異な性格の故もあって、
その一生は無意味な独走の繰り返しに終わっている。

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芳子の同腹妹 愛新覚羅顕琦/川島速子 学習院に留学

芳子はたしかに聡明でした。
しかし公平に見て、スパイ行為をするほどの力量はありません。
彼女の悲劇の原因の一つは川島浪速の養女になった事にあり、
もう一つは美貌にあります。美貌がたたったのだと思いますよ。

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芳子の実姪/義妹 愛新覚羅廉鋁/川島廉子 松本高女に留学

大連で芳子としばらく同居しました。
叔母は白いハイネックのセーターを着ていましたが、私がそれを褒めると
兎皮を器用に使って同じような上着を私にも縫ってくれたのを思い出します。
料理の味付けも上手かったし、日本にいた頃は
留学中の一族の世話を親身になってしたりしてよく気のつく人でした。
あのような運命に巡り合わねば、いい主婦になったでしょうに。
私個人としては、可哀想な女性という気がしてなりません。

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川島浪速の義理の孫 原田伴彦の芳子への弔辞

彼女の武器は、絶世の美貌と愛新覚羅王朝の貴種の血と金力と
あふるるばかりの才気と頭脳であった。
しかし彼女の悲劇の原因もそこから発した。
彼女の生活には理想もなければイデオロギーもなければ、
近代的性格はほとんど存在しなかった。
彼女のスパイ活動がどのようなものであったか、私はその真相を知らぬ。
一切の虚飾を取り除いたとき私の目に映る彼女は、
幸福なる女性の本道を行く事ができなかった不幸な一女性であり、
かつそれだけに自ら選んだ世紀のマヌカンの姿のカリカチュアがあまりにも哀れだからである。

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by xMUGIx | 2007-01-23 00:00 | 中国
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