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by xMUGIx
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ロマノフ朝

★ラスプーチン グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン
1869-1916 47歳没


■妻 プラスコヴィア・ヒョードロヴナ・ドゥボローヴナ 2歳年上


●ドミトリー
●マリア マトリョーナ
●ヴァーラ ワルワーラ


*暗殺

*もとシベリアのトボリスク県ポクロフスコエ村の農民。
20歳で結婚したが、妻と3人の子供を残して突然出家。
2年の巡礼の間に各地で様々な宗派の人々の思想を吸収する。
その後は各地を旅する合間にポクロフスコエ村に立ち寄るという生活を続けていた。
1902年ペテルブルクに滞在中、ニコライ2世の親類に紹介され熱狂的な支持を得る。
1905年ペテルブルグに定住したラスプーチンは
たちまち評判となり社交界にも出入りし始め、ニコライ2世に紹介される。

*ニコライの日記にはラスプーチンが90回近登場する。

*第一次世界大戦中の1年半の間にアレクサンドラがニコライに送った手紙の中には、
ラスプーチンの名が150回以上登場する。

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アレクサンドラ皇后からラスプーチンへの手紙

熱愛する忘れがたい私の先生、救助者へ。
あなたがそばにいないと私はどんなに苦しいことでしょう。
先生が私のそばいる時だけ、私は安らぎ休息できます。
私はあなたの手にキスをして、私の頭をあなたの聖なる肩にもたれさせたい。
そうすれば私の気持ちはどんなに楽になることでしょう。
私は一つのことを願います。
あなたの肩、あなたの抱擁の中で永遠の眠りにつきたい。
あまたはどこにいるのですか、どこに飛び去ったのですか。
私は苦しく、心はふさいでいます。なるべく早く来て下さい。待ち焦がれています。
あなたの聖なる同意を願い、あなたの聖なる手にキスをします。
永遠にあなたを愛するママより。


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皇后の姉 エリザヴェータ・フョードロヴナ大公妃

ラスプーチンが私生活においては
皇帝の宮殿にいる時とまったく違ったように振る舞っている
という噂が私の元に届いた時、私は妹にその事を警告しました。
しかし妹はこういった噂を信じず、
敬虔な人生を送る人々に常につきまとう中傷とみなしていました。


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皇帝一家の家庭教師 ピエール・ジリャール

彼の予言の言葉は、単に皇后自身の秘められた願いを言明しただけのものだった。
彼女の個人的な願いがラスプーチンを通過する事によって、
彼女の目の前で神の啓示としての力と権威を得たのだ。


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農民時代のラスプーチン 子供たちと
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皇帝一家に囲まれる囲まれるラスプーチン
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皇帝一家とラスプーチン
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★アンナ・ヴィルボヴァ/旧姓アンナ・タネーエヴァ
1884-1964 80歳没

*アンナの父アレクサンドル・タネーエフは、皇帝直属官房長官を務めていた。

*ラスプーチンに負けず劣らずニコライの日記に登場するのが、アンナ・タネーエヴァ。
アンナは1904年にアレクサンドラの女官となり、皇帝夫妻とラスプーチンの仲を取り持っていた。
宮殿にラスプーチンを頻繁に呼ぶのは周囲がうるさいので、
時々は皇帝夫妻はアンナの家を利用してお忍びでラスプーチン会っていた。
1907年に軍人アレクサンダー・ヴィルボフと結婚するが翌年に離婚、
1909年以降もアレクサンドラとアンナの密着は続き、同性愛が疑われるほど
アンナと引き離さなければアレクサンドラの精神状態は治らないと言われるほどになっていた。

*アンナは「別れた夫ヴィルボフは精神病と診断されて治療のためスイスに送られ、
その後一度も会っていない」とロシア革命以降さかんに宣伝したが、
彼は新しい家庭を持ち、領地で平和に暮らし、地元の名士として尊敬された。

*アンナはロシア革命後はちゃっかりと亡命に成功し、
自分に都合良く美化した回想録を出版した。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アンナはペテルブルクによくいるまぬけな良家の子女で、不器量で不格好、
生焼けのビスケットみたいに取り柄がなく、
皇后に一目惚れしてうっとりとした熱いまなざしを投げため息をつくような若い女だった。
丸ぽちゃの赤ら顔に、服装は上から下までひらひらした毛皮に覆われていた。


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ニコライ2世のイトコ マリア・パヴロヴナ大公女 

マダム・ヴィルボヴァは彼女なりに誠実一筋に皇后に仕えていたが、
なにぶん諸事万般に知識が浅かった上、
ラスプーチンに捧げる盲目的な崇拝が仇となって人々の尊敬を集めていなかった。


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ラスプーチンの信者 歌手 アレクサンドラ・ベリング

私はある音楽会でアンナと知り合いました。
彼女は結婚したばかりで幸せそうでした。
彼女の夫は海軍の人で黒髪で丸顔、
妻のかたわらを離れずその目をじっとのぞき込んでいました。
彼女は際限なく笑い転げ、こちらもつられて笑ってしまうほどだったのです。
でも彼女は確かに陽気で声は優しく笑顔も愛らしく善良そうな目をしていましたが、
なんだか心からの気持ちというか
要するに本当に信じてもいいという気持ちを抱かせるものが感じられなかったのです。


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ヴェーラ・レオニードヴナ

アンナは自分の事はほとんど語らず、たまに語っても滑稽な事ばかりでした。
自分の事を茶化す事ができるのは利口な人だけだと言いますけど、彼女は利口でした。
それに彼女は大変な演技者でした。彼女はラスプーチンのすべての政治ゲームに参加し、
大臣達を任命したり追放したり宮廷の複雑きわまる陰謀を操っていたくせに、
自分をまったく無邪気なロシア娘と見せかける術も心得ていたのです。


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アンナとラスプーチン
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左から アレクサンドラ アンナ オリガ
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左から アンナ タチアナ アレクサンドラ オリガ
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アンナとアレクサンドラ
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アンナとアレクサンドラ
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アンナとアレクサンドラ
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アンナとアレクサンドラ
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*アレクサンドラにとって、
ラスプーチンはカウンセラー、アンナはカウンセラーの指示に忠実なナースのような存在で、
この両輪が絶対に必要だったのであろう。
晩年のニコライはもはや息子の健康のためというよりは、
妻の精神の安定のためにこれを黙認していたように感じられる。
ロシア革命後の幽閉先ではラスプーチンもアンナもいないにも関わらず、
アレクサンドラの不定愁訴は消えている。
アレクサンドラにとっては大ロシアの皇室よりも、
幽閉先で夫と子供たちと密接に暮らす家庭の方が彼女の理想に近かったのだろう。


幽閉先でのアレクサンドラ
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幽閉先でのニコライ2世
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by xMUGIx | 2008-01-27 00:00 | ロシア
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