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by xMUGIx
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ロシア皇帝アレクサンドル3世のイトコ その5

◆父 ミハイル・ニコラエヴィチ大公←皇帝ニコライ1世の子
1832-1909 77歳没




■母 オリガ・フョードロヴナ←バーデン大公女ツェツィーリエ
1839-1891 52歳没
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●ニコライ 
未婚・ロシア革命で処刑
●アナスタシア
メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世と結婚
●ミハイル
メーレンベルク伯爵令嬢ゾフィーと貴賤結婚
●ゲオルギー 
ロシア革命で処刑・ギリシャ王女マリア・ゲオルギエヴナの前夫・本人死別
●アレクサンドル
皇帝アレクサンドル3世の娘クセニアと結婚
●セルゲイ 
未婚・ロシア革命で処刑


立つ ミハイルの妻ゾフィー
座る左から アレクサンドル ミハイル セルゲイ
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左から ニコライ ミハイル ゲオルギー セルゲイ
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●ニコライ・ミハイロヴィチ大公●庶子アリ 未婚・ロシア革命で処刑
1859-1919 60歳没

*軍務を嫌い学問を好み、自由主義者・平和主義者であった。

*昆虫学・植物学・歴史学を得意とした。

*ギャンブル好き。

*生涯独身だったが、複数の庶子アリ。

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フェリックス・ユスポフ公爵 ラスプーチン暗殺者の一人

ニコライ・ミハイロヴィチ大公は大変矛盾する性格の持ち主だった。
博識で知的で独立不羈の歴史家だったが、
一方で身内に対して嘲弄的な口を弄する人だった。
口軽で打ち明け話が大好きで、しばしば慎み深さを欠く事があった。
またラスプーチンが大嫌いで、彼がロシアの害毒となっている事を理解していた。
ニコライ大公の政治的立場は極端な自由主義だった。
平気で政府を批判して、首都から追放されて自分の領地に蟄居させられた事もあった。

〔ラスプーチン暗殺の翌日〕
ニコライ大公は入ってくるなり私に言った。
「さあ、何をやったか話してくれ」
「あなたまで流言を信じているのですか。私はあの事件にはまったく関係ありません」
「他の連中にはそれでいいが、私にそんな事を言っても無駄だ。
私はすべて知っているぞ」

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●アナスタシア・ミハイロヴナ大公女●子供3人
1860-1922 62歳没
メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世と結婚
1851-1897 46歳没

*アナスタシアは、7人兄妹の中で唯一の女子ということで甘やかされて育つ。
病弱な夫を疎んじて一年の大半をイタリアやフランスで過ごした。
社交とギャンブルに明け暮れる妻を夫は愛し続けたが、別荘で転落死。
国民はアナスタシアが殺害したと疑ったという。
事故死か自殺かは現在も不明。

*夫の死後、秘書のウラディミール・パルトロフの庶子を生む。


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バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ

*独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人、
ニコライ2世のイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人、
セルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公と結婚。

私達が亡命後コート・ダジュールにいた頃、我が家からさほど遠くないヴィラに
住んでおられたアナスタシア大公女は誰よりも素敵な女性だった。
どこまでも礼儀正しく親切で純真な心を持ち、人生を愛し人生の楽しみ方を知っておられた。
ロシア革命前に息子がカンヌで病気になった時はたびたびお見舞いにいらして、
息子を御自宅のヴィラにも招待して下さった。おいしいお茶と軽食をふるまわれ、
彼はお菓子のひとかけらも残さなかったと笑いながら語っておられた。
今や息子も18歳で、アナスタシア大公女は彼に踊りを習わせたがっていらした。

アナスタシア大公女は1922年03月にコート・ダジュールで突然亡くなられた。
その2日前にいつも通り陽気で快活な彼女にお会いしたばかりだった。
大公所の忠実な長年の侍女がすぐに来てくれと言うので出向いた所、
大公女はすでに意識を失っておられた。最期の時が来た。
最後の2年間、彼女はまさに私達の人生を喜びと優しさで満たして下さった。
2時間後、大公女の姪クセニヤ・ゲオルギエヴナ大公女がカンヌからいらした。
翌日、大公女の弟アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公もパリから到着された。

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●ミハイル・ミハイロヴィチ大公●子供3人
1861-1929 68歳没
メーレンベルク伯爵令嬢ゾフィーと貴賤結婚
1868-1927 59歳没

*プレイボーイ。社交とギャンブルに明け暮れる。
皇帝アレクサンドル3世から「馬鹿者」と呼ばれていた。

*貴賤結婚により国外追放となり、そのショックで母親は死亡した。

*ドイツ・フランス・イギリスなどで暮らしていたため、ロシア革命による処刑を逃れた。

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●ゲオルギー・ミハイロヴィチ大公●子供2人 ロシア革命で処刑
1863-1919 56歳没
ギリシャ王女マリア・ゲオルギエヴナの前夫・本人死別
1876-1940 64歳没

*ゲオルギーは物静かで優しい性格。

*マリアは24歳で結婚して子供2人、43歳で死別、46歳で再婚、64歳没。

*ゲオルギーは妻子を愛したが、
マリアは平民の恋人と引き裂かれての結婚だったので夫を愛せなかった。
そのため一年の大半を海外で過ごすようになる。
おかげで夫は処刑されたが、マリアはロシア革命を免れる。

*ゲオルギーの死後、
マリアはギリシャ人軍人ペリクレス・イオアニデスと夫41歳&妻46歳で再婚。

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●アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公●子供7人
1866-1933 67歳没
皇帝アレクサンドル3世の娘クセニアと結婚
1875-1960 85歳没

*海軍軍人。

*幼馴染の二人は新婚時代から夫婦円満であったが、
末っ子が生まれる頃には夫婦仲は冷え切り、互いに愛人を持つようになる。

*ロシア革命により亡命した後は妻はイギリスで夫はフランスで暮らし、
各自その地で亡くなる。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

皇帝ニコライ2世に不断の影響を与えたのは大公達であった。
一部の大公達は始終皇帝の上に忌まわしい勢力をふるった。
ことに皇帝の義兄弟であるアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公がその最たる者であった。
この大公さえいなかったら、
恐らく我々があの極東で受けた一切の不幸を知らずに済んだであろうと思う。

父親ミハイル・ニコラエヴィチ大公は国民の親愛を得ていた温厚な人であったが、
母親オリガ大公妃は国民に極めて不人気だった。
彼女は艶麗で小才があり小策を弄することを好む陰謀家であった。
アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公は母親に似た子であった。
容貌が端麗で他人の顔色を読むことが上手で
小利口で無教育でうぬぼれが強くしかも陰険であった。
アレクサンドル大公は皇帝ニコライ2世の妹クセニア大公女と結婚、
彼女は皇帝ともっとも仲の良い愛妹であったため、
皇帝はすぐにアレクサンドル大公を特に親愛するようになった。

皇帝アレクサンドル3世は、
叔父アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公を非常に敬愛されていた。
しかし大公の子供達に対しては、あまり良い感情は持っていなかった。
皇帝の目には
自分の皇女の夫としてはアレクサンドル大公はふさわしくない者に映ったのであろう。
ある時皇帝はアレクサンドル大公と一緒にフィンランド沿岸を遊航した事があった。
巡遊中何かの原因で皇帝の使用していた風呂が壊れた。
そこでアレクサンドル大公は自分の持っていたペルシャゴム製の風呂を皇帝に提供した。
皇帝はよほど気に入ったものとみえ、非常にこれを称賛された。
そこでアレクサンドル大公はこう言った。
「皇帝陛下は、とうとう僕にも一つぐらい良いものあると発見したよ」
事実これは皇帝がアレクサンドル大公に対して初めて与えた称賛の言葉であった。
皇帝はアレクサンドル大公の事といえば何でもかんでも片っ端から批評し、
気に入った事は一つも無かったのであった。

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●セルゲイ・ミハイロヴィチ大公●庶子アリ 未婚・ロシア革命で処刑
1869-1918 49歳没

★愛人バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤ
1872-1971 99歳没

*マチルダは18歳で独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人となり、
22歳でニコライが結婚したためイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人になり、
28歳でセルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の愛人ともなり三角関係に、
30歳で子供1人を生み、両名とも自分が父親であると主張したがアンドレイが認知、
両名からプロポーズされていたが49歳でアンドレイを選んで結婚、
ロシア革命で亡命後はフランスでバレエの指導者となり、99歳没。

*セルゲイは陸軍軍人、数学・物理学を得意とした。

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by xMUGIx | 2011-02-15 00:00 | 御貴族様
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