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2017年 更新中
by xMUGIx
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ロマノフ朝

皇帝アレクサンドル2世の子供


●前妻の子 ニコライ 
皇太子 未婚・病死
●前妻の子 アレクサンドル3世 
次代皇帝
●前妻の子 ウラジーミル 
メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリア・パヴロヴナと結婚
●前妻の子 アレクセイ 
アレクサンドラ・ズコーヴスカヤと貴賤結婚・離婚  
●前妻の子 マリア 
イギリス王子/ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレッドと結婚
●前妻の子 セルゲイ 
ヘッセン大公女エリザヴェータ・フョードロヴナと結婚
●前妻の子 パーヴェル 
ギリシャ王女アレクサンドラ・ゲオルギエヴナと結婚死別、
バツイチのオリガ・カルノヴナと貴賤再婚
●後妻の子 ゲオルギー 
ザルケナウ伯爵夫人アレクサンドラと結婚・離婚
●後妻の子 オリガ 
ゲオルク・ニコラウス・フォン・メレンベルク伯爵の前妻・本人死別
●後妻の子 エカチェリーナ 
アレクサンドル・バリャティンスキー公爵と結婚死別、
セルゲイ・オボレンスキー公爵と再婚離婚




●ニコライ 皇太子 未婚・病死
1843-1865 22歳没
デンマーク王女ダウマーと婚約・結婚前に本人死亡

*ダウマーは、ニコライの弟・皇帝アレクサンドル3世と結婚する。

婚約者ダウマーと
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●アレクサンドル3世 次代皇帝

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●ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公●子供4人 
1847-1909 62歳没
マリア・パヴロヴナと結婚←メクレンブルク=シュヴェリーン大公女マリー・アレクサンドリーネ
1854-1920 66歳没

*夫婦そろって長男の急逝により二男のアレクサンドル3世が皇帝になれたように、
三男のウラジーミルにもチャンスが回ってくる可能性を夢見て、
アレクサンドル3世夫妻を目の敵にした。
皇帝ニコライ2世の時代には、息子キリルに皇帝のチャンスが回ってくる可能性を夢見て、
ニコライ2世夫婦を目の敵にした。


*ウラジーミルは、近衛部隊の司令官・狩猟家・美食家・芸術のパトロン


*社交好きで社交界の中心になることが好きなマリア・パヴロヴナは、
兄嫁の皇后マリーヤ・フョードロヴナに対抗して自分の宮殿に社交界を作り上げた。

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ウラジーミルの姪/パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公の娘 マリア・パヴロヴナ大公女  
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚

頭脳明晰で活発なうえ進取の気性に富むマリア大公妃は、
その自主性と舌鋒を敬遠され宮廷では受けが悪かった。
しかし伯母は人をもてなす事にかけては当世一だったので、
土地のエリート階層だけでなく
外交官や外国人までがその知性と人柄に魅了されて集まってきた。

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●アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公●子供1人 
1850-1908 58歳没

*海軍元帥だったが、「女には速く軍艦は遅い」と言われた浮気性、美食家。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公は
マリア・フョードロヴナ皇后の大のお気に入りである。
夫の兄弟の内ただ一人の独身者で、マリア皇后の非常な寵愛を受けていた。
アレクセイ大公自身は尊敬すべき高潔な人物であったが、
同時に国務の上ではあまり重要な人物ではなかった。

アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公は、
皇帝アレクサンドル3世の愛弟であった関係上非常に大きな勢力を持っていた。
アレクセイ大公は相当の才幹はあったが、国家的政策について確固たる理想を持っていなかった。
また国家的仕事より、むしろ個人としての生活に留意する所が多かった。
彼はまた独身という欠点があった。それで彼と同棲している婦人に動かされる場合が多かった。


アレクセイ・アレクサンドロヴィチ大公がパリで客死した。
非常に善良で誰にも悪い事はせぬ、要するに典型的な大公であった。
会って非常に気持ちのいい人物であったため、大公を知る者はみな彼の死を悲しんだ。
彼の風采もまたいかにも大公らしい品格を備えていた。
しかし、政治の面ではまったく弱い人間であった。

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■アレクサンドラ・ズコーヴスカヤと貴賤結婚・離婚●子供1人  
1842-1899 57歳没

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★愛人ジナイーダ・スコベレワ イトコのロイヒテンベルク公エヴゲーニーの後妻・人妻
1856-1899 43歳没

*ジナイーダの夫は社交界の花であった妻の不倫を黙認した。
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アレクセイとジナイーダ
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●マリア・アレクサンドロヴナ大公女●子供5人 
1853-1920 67歳没
イギリス王子/ザクセン=コーブルク=ゴータ公アルフレッドと結婚
1844-1900 56歳没

*マリアはイギリス王室にもイギリス国民にも嫌われた。本人もイギリス嫌いだった。
まず、ヨーロッパにおいては皇帝は国王より格上となる。
そのため女王の息子アルフレッドより皇帝の娘マリアの方が格上となるため、
結婚式はロシアで挙げざるを得なかった。(これは仕方なし)
さらに、称号として<妃殿下>ではなく、
今まで通り<皇女殿下>を使うことと<皇太子妃>より上位に置くことを要求した。
そこで姑ヴィクトリア女王が激怒し、イギリスでは<皇女殿下>の称号を使わせなかった。
しかしマリアは、その後もデンマーク<王女>である皇太子妃アレクサンドラが、
ロシア<皇女>である自分より上位に立つことに嫌悪感を表し続けた。

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セルゲイの姪/パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公の娘 マリア・パヴロヴナ大公女  
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚

伯母は無愛想なところが災いして人によっては煙たがられたが、
実際にはいきいきとした多少皮肉の混じったユーモアのセンスの富む女性だった。
そのうえ自分の意見を内に秘めておけない、思いついたままを率直に口に出す、
私達の周囲では期初価値のある存在であった。
私達姉弟は彼女のもったいぶった仰々しさに日頃はからかい半分で接していたが、
心の底では深く尊敬していた。
伯母はいつになっても完成しない編物を膝にして肘掛椅子に落ち着くと、
周囲で何かと気ぜわしそうに画策する者達を大きなメガネ越しに観察しては
事の次第を的確にそして子細に見抜き、やんわりと冷やかした後で最後の審判を下した。

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●セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公●実子ナシ 
1857-1905 48歳没
エリザヴェータ・フョードロヴナと結婚←ヘッセン大公女エリーザベト
イギリス女王ヴィクトリアの孫/愛称エラ/妹はロシア皇后アレクサンドラ
1864-1918 54歳没

*セルゲイは同性愛者。厳格で気難しく非社交的、文学や芸術を好んだ。

*猛烈な反動主義者で、のちに暗殺される。

*エリザヴェータは美人として有名で、多くの縁談が寄せられた。
厳格で内向的で非社交的。

*夫の死後、修道院を作り修道女となる。ロシア革命で処刑。

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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公は利己的な人間であり、
皇帝ニコライ2世の叔父であるばかりか皇后の姉君の夫であるという縁故から、
皇帝の統治の初めからセルゲイ大公がモスクワ総督として暗殺者の凶手に倒れるまで、
常に皇帝の意を左右する力を持った人であった。
彼は極端な保守主義者で非常に偏狭な人で、ひどい反ユダヤ人主義者だった。


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ロシア駐在フランス大使 モリス・パレオログ

エリザヴェータ・フョードロヴナとパリで食事をともにした時の事が忘れられない。
1891年頃であったと思う。あの時の彼女の姿が今でも目に見えるようだ。
すらりとした背の高さ、身に備わった威厳、深みのある明るいナイーブな眼差し、
やさしい口元、頬のやわらかい線、まっすぐの薄い鼻筋、
うっとりするようなリズミカルな動作。その話には素晴らしい女性の知性、
わざとらしさのない真面目な隠された善良さに満ちあふれた知性がうかがわれた。


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セルゲイの姪/パーヴェル・アレクサンドロヴィチ大公の娘 マリア・パヴロヴナ大公女  
スウェーデン王子ヴィルヘルムと結婚離婚

伯父は怒りがこうじて不機嫌になると口元が一本の縮れた線状になり、
細まった目は鋭い光線を放つ二個の点に変じた。
周囲が伯父の事を冷淡で柔軟性が欠けると言うのにも一理あったが、
私達姉弟には母にも似た優しい愛情を注いでくれた。
が、それと同時に家中の全員に要求したのと同じ服従を私達にも期待した。
伯父は家中のこと農場のこと事業のこと家族の個人的な些末な事に至るまで取りしきり、
どんな些細な事にも反発や反抗を許さなかった。
そんな彼に真の愛情を抱く者は周囲でも少なく、
近親者からですら畏怖されると共に敬遠されていた。

伯母はいまだかつてあれだけきれいな人に出会ったことがない、
と断言できるほどの絶世の美女だった。
清純で典雅な目鼻立ちの印象的なスラッとした長身の金髪美人で、
田舎に滞在中でも身仕舞に長い手間暇をかけお洒落に熱中した。
日光が肌に触れるのを極力嫌い、戸外に出る時は常に網目になった絹のベールを被り、
絹地のパラソルを片時も手放さなかった。
着る物はほとんど自らデザインして、形が決まると水彩絵具で色をつけ、
それを参考に丁寧な仕立をさせ、縫い上がると実に上手く上品に着こなしたものだった。
無類の宝石好きだった伯父から膨大な宝石類を贈られていた伯母は、
衣装の一着一着に合わせて宝飾品を選べるだけの宝石持ちでもあった。

伯父夫婦は子宝に恵まれなかった。
二人の関係は、伯父が大小にかかわらず家中の万端に采配をふるい、
伯母がそれに穏和に追従するという、
私の目から見れば一種独特のいわば不自然ともいえる愛情の上に築かれていた。
二人そろって自尊心が強く、内気で、本音をめったに吐かず、相手を充分に信頼していなかった。

伯父は妻をいつも小児のように扱った。
伯母は夫から遠ざかり、孤独の殻に閉じこもる方を選んだ。
夫婦の間柄は親密と言うにはほど遠かった。
食卓に一緒に並んで座るだけで、二人だけになるのを互いに忌避しあって終日過ごした。
ところが大きなダブルベッドに並んで休む習慣だけは、年老いても変わらなかった。

結婚後ロシア正教に改宗した伯母は、歳月を追うごと信教に著しく傾斜していった。
伯父もロシア正教の教義を几帳面に守る方だったが、
妻があまりにも霊的生活にのめり込むのを懸念して、
とうとうその態度が中庸を欠いていると意見するようになった。

毎朝の食前、私達は伯父のお供をして農場を巡回した。
散歩の後には、バルコニーでコーヒーを飲むのが日課だった。
伯母は1時間あまりの一人の散歩を楽しんでから合流した。
伯父は新聞に目を通し、
伯母はイギリスやフランスから取り寄せたグラビア雑誌やスタイルブックに熱中した。
気に入ったデザインを見つけると、衣装計画の参考に切り抜いてアルバムに貼った。
朝食後は勉強が11時まで続いた。解放されると私と弟は木陰や水辺を求めて遊んだ。
遊び終ると、昼食に間に合うよう飛んで帰った。
伯父は時間に厳格で、1分でも遅刻すると小言とおしおきが容赦なく待ち受けていた。
午餐会には最低15人から20人の招待客があるのが常で、
私達姉弟にとっては一日中で一番苦手な時間だった。
伯父は私達が招待客と交わす会話に注意深く耳を傾けた。
話題が提供できないと、後で厳しい叱責と罰を受けた。
食事の後は、食堂に続くテラスでコーヒーを飲んだ。
コーヒーが済むと、伯父は昼寝をするため自室に引きあげた。
伯父は昼寝に向かう直前、伯母には一言の相談もなしに午後からの日程を勝手に決め、
その次第を指示してから部屋に引きこもった。そして肘掛椅子に上半身を傾け、
椅子を汚さないように新聞紙を広げた上にブーツのままの両足を投げ出して目を閉じた。
時たま何らかの理由で伯父の言い付けが実現不可能になると伯母がやむなく変更したが、
それが伯父に知れると立腹ときつい小言が待ち構えていた。
伯母は庭園に降りて行きお気に入りの片隅に陣取ると、
絵筆を握るか朗読をさせ耳を傾けながら女官達と刺繍針を動かしていた。
伯父の昼寝中屋敷はしんと静まりかえり、
午後も遅くなってから生活は再び軌道に乗って作動し始める。
伯母が晩餐のために身支度を整えるのは、儀式にも似てたいそう時間が要った。
女中・衣装係を含む全員が集合させられる。
バスケットの中にはレースの縁飾りのついた下着類が用意され、
洗面器にはバーベナで香りをつけた温水が張られ、浴槽には薔薇の花びらが浮かされる。
女中達が伯母の着ている午後の服を脱がせ終わると、彼女は一人で化粧部屋に閉じこもる。
小間使達は総動員で多種多様な複雑な洋品類を分類して、身につける順番に並べ待機する。
伯母は湯浴みを済ませると、コルセットのままの姿で扉を開ける。
女中達はめいめい担当する洋品類を捧げつつ進み出て、割り当てられている作業に打ち込む。
その合間に伯母は、あらゆる角度からくまなく全身を眺められるように調節された
等身大の三面鏡に自分の姿を映し入念な点検を行う。
最後の仕上げは必ず自らの手でした。
着てしまった衣装が気に入らないと女中に命じて脱がせ、別の物を運ばせた。
そしてまた最初から細心の注意を払って、一枚また一枚と身体に重ねていった。
結髪係が髪型を整え終ると、次に伯母は爪を手入れするのに自ら専念した。
それも終わると、総仕上げでもある私の出番になる。
私は宝石店のショーケースそっくりの宝石タンスの扉を開き、
指定された宝石の数々を運んでくる。
すると毎晩判で押したように規則正しく扉がノックされ、
晩餐の支度が整ったと告げる伯父が姿を見せる。
二人は私に接吻すると、食堂に向かった。
早めに夕食を済ませている私とドミトリーは、そのまま寝室に放り込まれる。

伯父は総督公邸への道すがら、爆弾を仕掛けられて爆死した。
肩先にマントを投げかけただけの伯母は、帽子も被っていなかった。
橇は全速力で滑走し始め、広場の死角に消え去った。
動転した伯母が向かった先は、雪上に散乱した伯父の遺体の元だったのだ。
伯母はあたり一面に吹き飛んだ肉塊を両手でかき寄せると、
近くにあった粗末な軍用担架に乗せた。
幾人かの兵士が軍服の上着を脱いで亡骸を蔽い担架を担ぎ上げると、
宮殿に隣接したキリスト奇跡僧院に運んだ上で聖堂に安置した。

野次馬の目から伯母を守ろうと、袖を引くようにして廊下に連れ出した。
その時はじめて伯母の明るい青色のドレスの右袖が、鮮血に染まっているのに気づいた。
爪にまでどす黒い血がこびりついた血まみれの手は、
伯父が肌身離さず付けていたメダイを固く握りしめていた。
私と弟が部屋に連れ帰ると伯母はそのまま肘掛椅子に倒れ込み、
一滴の涙も浮かべずに生気のない異様な目つきで宙を凝視するだけで一言も発しなかった。
しばらくして立ち上がった伯母は便箋を持ってこさせると、
皇帝をはじめ親族全員に伯父の死を通知する電報文をしたため始めたが、
その間も表情は変化しなかった。

伯母は沈痛の日々を周囲の者達が理解に苦しむぐらい雄々しい態度で受けとめていたが、
その精神力がどこから生まれてくるかは私も見当がつかなかった。
伯母が受け身の人生に長らく甘んじてきた事を思うと、
彼女は打って変って精力的に動き回り、
不愉快な事件の事後処理を細かい所までテキパキと指示していた。
物事に没頭する性質の伯母は、
一身を賭して宗教に傾倒する事で心の平安を見出そうとしていた。
喪中を理由に社交界から遠ざかり、霊的な面でも実際的な面でも、
自分の任務と心得た事だけを忠実かつ完璧に遂行するのに一心不乱だった。
私の目から見た伯母は人生から逃避していた。

私達に接する態度は今までと一変して、初めて魂の触れ合いを求めてきた。
伯母との間柄は親密になり、
私達はかつてとは打って変わって内面的な対話に長時間を過ごすようになっていた。
それでも私は伯母の前に出ると、
全身がカチカチになるほど緊張する癖がどうしても抜けなかった。
お前達はいつまでも幼い子供でいなさいと伯父から幾度となく言い聞かされたものだ。
伯母も同じ主義信条を持っていたので、
身内の相談事や政治問題について私達に語りかける事はなかった。
何か事件があっても、私達はいつも一番最後に知らされた。
私のしつけについては、伯母自身の受けたしつけをそっくりそのまま倣わせたいと思っていた。
世代の相違などありえないことで、またあってはならないと頭から信じ込んでいた。
15歳になるかならないうちに、
私の髪型は伯母の娘時代のオーストリア皇女をまねて結い上げられる事になった。

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●パーヴェル・アレクサンドロヴィチ●前妻に子供2人・後妻に子供3人 
1860-1919 59歳没

*貴賤再婚をして国外追放となる。後に赦されて帰国、ロシア革命で処刑。

■前妻 アレクサンドラ・ゲオルギエヴナと結婚・死別←ギリシャ王女アレクサンドラ
1870-1891 21歳没●子供2人

*ロシア皇室とギリシャ王室は交流があったため、二人は幼馴染だった。

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■後妻 オリガ・カルノヴィチと不倫ののち貴賤再婚●子供3人
1865-1929 64歳没 

*19歳でスウェーデン貴族エリック・フォン・ピストルコルスと結婚して子供3人、
28歳でパーヴェルと不倫して前夫と離婚、37歳でパーヴェルと再婚して子供3人、
54歳で死別、64歳没。

オリガと前夫
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●ゲオルギー●子供1人 
1872-1913 41歳没
ザルケナウ伯爵夫人アレクサンドラと結婚・離婚
1883-1957 74歳没

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●オリガ●子供2人 
1872-1913 41歳没
ゲオルク・ニコラウス・フォン・メレンベルク伯爵の前妻・本人死別
1871-1948 77歳没

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●エカチェリーナ●前夫に子供2人 
1878-1959 81歳没

*23歳で結婚して子供2人、32歳で死別、38歳で再婚、44歳で離婚、歌手となり、81歳没。

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■前夫 アレクサンドル・バリャティンスキー公爵と結婚・死別
1870-1910 40歳没

■後夫 セルゲイ・オボレンスキー公爵と再婚・離婚
1890-1978 88歳没
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by xMUGIx | 2008-01-22 00:00 | ロシア
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