直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
カテゴリ
イギリス
イタリア
オーストリア
オランダ
ギリシャ
ザクセン
スウェーデン
スペイン
デンマーク
ノルウェー
バイエルン
フランス
ブルガリア
プロイセン
ベルギー
ポルトガル
ルーマニア
ロシア
朝鮮
中国
その他
以前の記事

ハプスブルク朝

すべて前妻の子
●フィリップ 皇太子
●マルグリット
フランス国王シャルル8世と婚約破棄、
スペイン皇太子フアンと結婚死別、
サヴォイア公フィリベルト2世の後妻・死別




●フィリップ 皇太子 父王より先に死亡したため即位できず
a0130272_293944.jpg





●マルグリット
1480-1530 50歳没

フランス国王シャルル8世と婚約破棄
→スペイン皇太子フアンと結婚死別
→サヴォイア公フィリベルト2世の後妻死別

a0130272_295171.jpg

a0130272_29596.jpg



★元婚約者フランス国王シャルル8世
1470-1498 28歳没

マルグリットは運命に翻弄される。
母と死別し父が追放された時マルグリットはまだ2歳だった。
フランスのルイ11世は王太子シャルル8世の嫁にとマルグリットを拉致した。
シャルルは彼女より一回り年上の病弱で不細工な王子だった。
フランスでは虚弱体質の王家にやっと元気旺盛なマルグリットの血が注がれると
彼女が早く適齢期になるのを楽しみにしていた。
フランス式の教育を受け愛らしく聡明なまわりを明るくさせるような少女に育った。
フランス生活も10年となったころ父帝マクシミリアンは敵国フランスを東西から挟むために
ブルターニュ公女アンヌと再婚することを決意した。
慌てたフランスのシャルル王子はブルターニュ公国を攻撃しアンヌ公女を奪って妃とした。
こうなればシャルルは婚約者マルグリットをフランスから追い出すしかない。
人々は愛らしく聡明なマルグリットの代わりに不細工なアンヌを娶れねばならないとは
シャルルも気の毒なことだと嘆くと同時にマルグリットとの別れを心から惜しんだ。
こうしてマルグリットは幸運にも故郷のブルゴーニュ公国へ戻ることができた。
a0130272_2101342.jpg



■前夫 スペイン王子フアン・死別
1478-1497 19歳没

そして前述した、兄フィリップとともにスペイン王国との二重結婚が成立する。
スペインに嫁いだ17歳のマルグリットはフェルナンド王やイサベル女王
そして夫ファン王子に大変気に入られた。
しかしファンの愛情は常軌を逸したほどに激しいものであった。
やはり妹フアナと同じ血が流れていたのかもしれない。
結婚以来ファンはマルグリットのそばから片時も離れなかったのである。
しかし病弱だったファンは19歳で病死してしまう。
当時妊娠していたマルグリットに王子出産の期待がかかったが死産であった。
これでスペイン王国は跡取りを失った。
イサベル女王は慰留したが未亡人となったマルグリットは祖国に戻った。
a0130272_2102324.jpg



■後夫 サヴォイア公フィリベルト2世の後妻・死別
1480-1504 24歳没

父の指示によって今度はマルグリットはサヴォイ公フィリベルト2世の後妻となる。
サヴォイ公国は小さいながらもフランスを攻撃する上で重要な拠点だったからである。
しかし彼も病死してしまう。また子供のなかったマルグリットは祖国に戻った。
a0130272_2103547.jpg



彼女は父帝にもう二度と結婚する意志のないことを告げた。
父帝も彼女の意思を尊重してブルゴーニュ公国の総督の任を与えた。
政治能力にも優れた彼女には適任であり兄フィリップの遺児たちの養育も引き受けた。
父帝マクシミリアン皇帝の死にともなう皇帝選挙では甥カール5世が皇帝となれるよう奔走した。
また音楽家・作家・画家を庇護することによって文化水準をさらに高め
さまざまな工芸品も発展させた。
そして誰からも愛された総督は惜しまれつつ静かに世を去った。


ちなみにマルグリットは兄フィリップの遺児たちの養育のために
ヨーロッパ中から優れた学者を集めて学校を作った。
その学校にヘンリー8世の2番目の妻となるアン・ブーリンが留学して学んでいた。
[PR]
by xMUGIx | 2001-01-03 00:00 | オーストリア
<< ハプスブルク朝 ハプスブルク朝 >>


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング
その他のジャンル