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2017年 更新中
by xMUGIx
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ロマノフ朝

◆皇帝ニコライ2世 最後の皇帝
先代アレクサンドル3世の子
1868-1918 26歳即位 50歳没

*乗馬・ダンス・テニスが得意だった。
身長168センチと小柄であったが、晩年までスポーツを楽しむほど体力があった。

*英語はイギリス人に間違われるほど堪能で、妻アレクサンドラとは英語を使っていた。
他にもフランス語とドイツ語が堪能であった。

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ロナルド・ヒングリィ

ニコライ2世はチャーミングで上品で感じの良い風貌をしていたが、
体躯は小さくあまり立派な押し出しではなかった。
専制君主というよりは地方の郷土といった感じで、
犬や子供達と戯れている方が好きだった。


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政治家 パーヴェル・ミリュコーフ

ニコライ2世は、誠実な良き家庭人だった。
しかし彼は、生まれつき極めて意志が弱かった。
皇帝となる心の準備もしたこともなかったし、いざ重責を負った時はそれを嫌がった。
皇帝夫妻は宮廷の作法を嫌がり、従おうとしなかった。
皇帝は閣議の後うんざりするのか、よく屋外に走り出て薪割りをしていた。
それが皇帝のお気に入りの気晴らしだったからである。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

思わせぶりや気取り屋をまったく好かない皇帝アレクサンドル3世は、
むろんヴィルヘルム2世と気の合うはずがなかった。
皇帝ニコライ2世も、やはりヴィルヘルム2世を嫌った。
ヴィルヘルム2世がアレクサンドラ皇后に対して、
ロシアの皇后ではなくドイツ領内の小公国の公女に対する態度を取ったからである。
しかしヴィルヘルム2世が人物として
ニコライ2世より立ち勝っているのは誰の目にもはっきりわかる。
見かけにおいてもヴィルヘルム2世の方がはるかに皇帝らしい。
うぬぼれの強いニコライ2世はすっかりひがんでしまった。
ニコライ2世は相手が自分より知識や徳望の上で優れていると思うと、
どうしても我慢がならなかった。
ただ必要な時は仕方なしに我慢したのである。
彼は自分より無能な見聞の狭い人間と話してさえいれば機嫌が良かった。
果てはこの欠点を狙ってわざとそんな風を装う人間も出てきた。


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■妻 アレクサンドラ・フョードロヴナ←ヴィクトリア・アリックス
ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の娘/イギリス女王ヴィクトリアの孫
1872-1918 22歳結婚 46歳没

*人種ドイツ人・心情イギリス人・第一言語英語

*幼い頃に母親が亡くなったため、祖母ヴィクトリア女王に育てられた。
ニッキー(ニコライ2世)とアリックス(アレクサンドラ)の縁談が持ち上がった時、
姑となるマリア皇太后も、その姉であるイギリス皇太子妃アレクサンドラも、
アリッキーの性格ではロシアの皇后は務まらないと反対したが、
長年不仲だったロシアに身内を送り込みたかったヴィクトリア女王は結局承諾してしまう。

*父帝アレクサンドル3世も小国の公女に過ぎないアレクサンドラとの結婚に反対だったが、
病に倒れたため死の半年後やっと結婚を許可する。

*皇太子アレクセイが白血病とわかった頃から心身を病みはじめ、
頭痛・心臓の痛みを訴え、鬱症状もあり、やがては車椅子を使うようになる。
現在で言う心身症であったと思われる。

*母アリスとアレクサンドラには共通点が多い。
ともに異国の嫁ぎ先で病気がちで、宮廷の嫌われ者だったが夫とは深く愛し合っていた。
そしてアリスはドイツの宗教哲学者ダーフィト・シュトラウスを尊敬し神のように崇めた。
精神的なものに傾倒する性格はアレクサンドラに受け継がれた。

*気が強くて頑固、人の意見には警戒的だが自分の考えには自信を持った女性に育つ。
ピアノが上手でロシア語もマスターしたが、フランス語がたどたどしくダンスも下手、
世間話には付き合わなかった。

*藤色が好きで、彼女の部屋は上から下まで藤色だった。
フランスのリヴィエラから毎日届けられるライラック・スミレ・ラン。
毎シーズン、パリで50着のドレスを作らせ、
ロゼ・ブランシュの香水とフランス煙草を愛用した。
皇帝の叔母マリア・パヴロヴナは皇后を【成金趣味】と評した。
皇后は倹約家でもあり、
要らなくなったドレスは貝ボタンをガラスボタンに付け替えてから古着屋に売った。

*アレクサンドラの一日は、朝ゆっくり起きてベーコンエッグと紅茶で朝食。
午前中はそのままベッドで本を読んだり手紙を書く。
昼食前に犬を連れて散歩、食事やワインには興味がなかった。
午後は郵便物を処理してから、馬車か自動車で公園に出かける。
夕食後は音楽を聴いたりピアノを弾いたりして、午後11時に皇帝とお茶を飲んで終わる。

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ニコライ2世の家庭教師だったコンスタンチン・ポベドノースツェフ

彼女はピョートル大帝以上に専制的で、イヴァン雷帝と同じぐらい冷酷である。
その上、自分が並外れた知性の持ち主だと信じている小才だ。


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ロシア首相 セルゲイ・ウィッテ

アレクサンドラを子供の時から知っているヘッセン宮廷の侍従は、ロシア大使に
「貴国で彼女をもらってくれてやれやれです」と小声で言った。
彼女は感受性に乏しく利己的な性格で、
私に頭を垂れない者は私の敵である、敵に対して私は専制君主としての権力を行使する、
なぜならば、私はこの世のあるべき姿の象徴だからであるという態度だった。


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セルゲイ・ヴォルコンスキー公爵

アレクサンドラはもともと社交性の無い人だった。生来人嫌いだったようだ。
皇后は社交界が嫌いだったが、社交界の方も彼女を嫌った。
人々は彼女を無視したため、彼女の存在は名のみの影法師のようなものだった。
彼女の方もペテルブルクを、少しもロシアらしくない腐敗した街だと忌み嫌っていた。


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女官 マドレーヌ・ザノッティ

皇后は自分は心臓が悪いのだと思い込んでいて、
一日の大部分を自室のソファーに横になって過ごしていた。
皇后は気の合った人達と一緒の時はいつもとても元気で、
心臓の痛みを訴えた事は一度もなかった。
だが何か気に障る事があると、すぐにこぼし始めた。


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女官エリザヴェータ・エルスベルグの姪 マリア・エルスベルグ

私の父の末の妹エリザヴェータ・エルスベルグは、女学校卒業後女官になりました。
叔母のエリザヴェータの話によると、
皇帝の方が皇后よりも娘達に気を配っていました。
皇后は頭痛で休む事が多かったし、
アレクサンドル市場から古物を買ったり売ったりする事に熱心でした。
女官達は自分の部屋に客を招く事を許されていましたが、皇后は大変なしまり屋でした。
女官達が客をもてなす時は、経費は自分持ちでした。
そのうえみんな勤めている間にお金を貯めておくように注意されていました。
年金がもらえないからです。
それから、女官・召使・給仕は独身でなければなりませんでした。
結婚した場合は、辞めさせられるか別の職場に移されました。


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婚約時代の皇后から皇帝への手紙

*父帝アレクサンドル3世が危篤状態にあった

しっかりなさいませ。
緊急事態発生の折は、侍医をあなたの所に直接来させなさい。
他の人の所へ先に行って、あなたをないがしろにさせてはなりません。
あなたは父上の大切な息子なのですから、
すべてについてあなたの指示を仰ぐようにさせるべきです。
あなた御自身の気骨のある所を示して、
周りの者にあなたの存在を忘れさせてはなりません。
差し出がましい事を言って許してね、坊や。

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●オリガ 未婚
●タチアナ 未婚
●マリア 未婚
●アナスタシア 未婚
●アレクセイ 皇太子 血友病 未婚


*全員ロシア革命で処刑される。
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★ニコライ2世の独身時代の愛人 バレリーナ マチルダ・クシェシンスカヤ 
1872-1971 99歳没

*マチルダは18歳で独身時代の皇帝ニコライ2世の愛人となり、
22歳でニコライが結婚したためイトコのセルゲイ・ミハイロヴィチ大公の愛人になり、
28歳でセルゲイの従甥アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の愛人ともなり三角関係に、
30歳で子供1人を生み、両名とも自分が父親であると主張したがアンドレイが認知、
両名からプロポーズされていたが49歳でアンドレイを選んで結婚、
ロシア革命で亡命後はフランスでバレエの指導者となり、99歳没。

*子供の父親としてアンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公の父親
ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公の名前も囁かれた。
しかし、いずれにしても【ロマノフの子】であるという事に落ち着いた。

*マチルダはバレエ一家の生まれ。
父はバレエダンサーのポーランド人フェリクス・クシェシンスキー、
兄も姉もバレエダンサーだった。

*ニコライはマチルダのために豪華な邸宅を用意した。
マチルダはパリから取り寄せた家具でこの家を飾り、自分の城として愛してやまなかった。
この家はロシア革命でボリシェヴィキに接収され、レーニンはここのバルコニーから演説した。

*ニコライが結婚して愛人関係は終わるが、
マチルダはその後も何かとニコライに陳情しては権力を利用した。


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ヴェーラ・ユレーネワ

クシェシンスカヤは美しくはなかった。足が短かったのです。
でもその目!招きよせ吸いこむような底なしの深い眼差し。小さな妖精でした。
彼女はイタリア人に学んで、テクニックは見事でした。
ある時32回のフェッテを踊って拍手の嵐が起こると、
可愛らしくもう一度繰り返してみせました。
彼女の事を「おしなべてバレエを愛し、特に生活を愛していた」と言いますが、
反対で、彼女はおしなべて生活を愛し、特にバレエを愛してたんだわ。
彼女は生涯偉大なバレリーナになる事を目指していましたが、
偉大とは認められませんでした。
彼女は客席から愛されない定めだったのです。
そしてその頃です、未来の皇帝から愛されるようになったのは。

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*マチルダと妻アレクサンドラは同い年。
ニコライはマチルダと出会う前にアレクサンドラと結婚すると心に決めていた。
一方でニコライはマチルダに一目惚れして<私のカナリア>と呼んで入れ込んだ。
バレリーナを愛人に持つことがペテルブルクの貴族たちの古い伝統だった。
バレリーナは芸者のような存在でもあり、プリマバレリーナとのロマンスは、
若い皇太子の自伝を飾りこそすれ汚しはしないものだった。


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ヴェーラ・レオニードワナ

裕福な家で男の子が青年になると、美しい、
そしてこれがもっと大切なのですが純潔な娘を小間使いに雇い入れたものです。
あの頃は〔性病など〕危険な時代でしたから、それが普通でしたわ。

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*ニコライがアレクサンドラと初めて会ったのは1884年、
アレクサンドラの姉エリザヴェータと
ニコライの叔父セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公の結婚式でだった。
ニコライは16歳、アレクサンドラは12歳だった。


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ニコライ2世の日記 1884年06月08日

セルゲイ叔父の美しい花嫁エリザヴェータと彼女の妹・弟に会った。
家族全員で食事をし、私はアレクサンドラと並んで座った。
私は彼女がすごく気に入った。エリザヴェータはもっといい。

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*1889年02月から03月にかけて、
アレクサンドラがロシアの姉エリザヴェータの元に滞在する。
ニコライは21歳、アレクサンドラは17歳。
一緒に過ごす内に、ニコライ2世はアレクサンドラを将来の妻にと願うようになる。

*一方、1890年春にクシェシンスカヤを見初め愛人関係となる。


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ニコライ2世の日記 1890年 

07月18日
昼食後劇場へ行った。クシェシンスカヤは私の心を強くとらえている。

08月11日
劇場へ行って、窓越しに可愛いクシェシンスカヤと話をした。

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*ニコライ2世は1890年11月04日から1891年08月16日まで東方旅行をした。
1891年05月11日に大津事件に遭遇する。


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ニコライ2世の日記 1891年

08月16日〔東方旅行からの帰国当日〕
帰国後最初の観劇に出かけた。可愛いクシェシンスカヤを見る。
彼女はいっそうきれいになっていた。
クシェシニスカは私の頭を相当狂わせてしまった。

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*アレクサンドラとの結婚は両親の不賛成と、アレクサンドラが
プロテスタントからロシア正教への改宗に難色を示したためなかなか進まなかった。


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ニコライ2世の日記 1892年

01月02日
いつの日かアレクサンドラと結婚することが私の夢である。
私は以前から彼女を愛しており、
彼女がペテルブルクで過ごした1889年以来、彼女への愛はますます強くなっている。

03月22日
演劇学校へ行き、芝居とバレエを観た。
ただ可愛いクシェシンスカヤがいないのが寂しかった。

03月23日
驚くべき晩だった。クシェシンスカヤ姉妹の家に行った。
私は二人と2時間以上一緒に座り、おしゃべりを続けた。
かわいそうに私の可愛い子ちゃんは右目を病んで眼帯をしており、
脚の調子もあまり良くなかった。しかし、喜びは互いに大きかった。

04月13日
私がアレクサンドラを愛するようになってすでに4年目だ。
いつもできることなら彼女と結婚したいと思っている。
アレクサンドラを知った次の年にオリガ〔不明〕にひどく惚れ込んだ。
しかし今は彼女への愛は去った。
そして1890年から可愛いクシェシンスカヤを情熱的に愛している。
同時に私はアレクサンドラについて考える事をやめていない。

04月17日
晩にクシェシンスカヤの家へ復活祭のお祝いをしに出かけた。
2時間彼女と二人だけで陽気に過ごした。

04月26日
クシェシンスカヤの家に行った。彼女は再び一人だった。おしゃべりで時を過ごした。

04月28日
短時間だったが、クシェシンスカヤの家に行って過ごした。
こういうランデブーに満足する。

05月02日
長い間馬車を乗り回すうち、クシェシンスカヤ姉妹に4回会った。
そばを通過する時、尊大に御辞儀をして笑わないように努めた。
夜12時半にクシェシンスカヤの家へ直行。
長時間とどまり非常に充実した時を過ごす。
クシェシンスカヤには私の関心を非常にそそる何ものかがある。
その事に気づき私は幸福だった。前進の時だ。

05月03日
劇場からクシェシンスカヤの家へ出かけ、再び気持ちの良い時を過ごした。
二日間続けて放蕩にふけったわけだ。

05月11日
駅からクシェシンスカヤの家に直行した。彼女の姉はオペラからいったん帰宅したが、
クシェシンスカヤと私の二人だけを残しておやすみなさいと言って去って行った。
以心伝心。

07月18日
可愛いクシェシンスカヤが素晴らしく上手に踊っているのを観て、非常にうれしかった。

07月21日
劇場へ馬車を駆った。一つの興業を観るために23キロも往復するとは。
クシェシンスカヤに会い、午後最高の気分で野営に戻った。

08月04日
野営から帰館、劇場へ稽古を観に行く。
クシェシンスカヤと1時間非常に楽しく過ごした。彼女は私の頭を相当狂わせた。

08月08日
劇場へ行った。
興業が終わってから、別の馬車を使ってクシェシニスカを連れ出した。
馬車を乗り回し、最後に彼女を野営に連れてきた。
誘拐は迅速かつ秘密裏に実行された。非常に幸福な気分だ。

08月17日
クシェシンスカヤをトロイカに乗せて駆け、別れを惜しんだ。

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*1893年の01月から03月にかけての2ヶ月間の日記には、
クシェシンスカヤの名前が27回も登場する。


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ニコライ2世の日記 1893年

02月04日
クシェシンスカヤの家に立ち寄る事に成功した。
彼女と非常に気持ちの良い時を過ごした。最初は4人で、それから2人だけで。 

02月08日
夜の12時にクシェシンスカヤの家に出向き、
朝の4時までよくしゃべり、よく笑い、大騒ぎした。

02月19日
バレエの最終興業を観に飛んで行った。
クシェシンスカヤは『眠れる森の美女』を見事に踊った。

03月04日
クシェシンスカヤ姉妹は二階建ての居心地の良い新居に引越していた。
あれやこれや手を入れる必要がある。またも午前4時まで彼女の所にいつづけた。

03月27日
クシェシンスカヤの家へ行く。
別離は非常に悲しかった。2ヶ月もランデブーを続けた後だから。

11月30日
午前中に昨夜からテーブルの上に横たわっていた封書を開いた。
アレクサンドラからの手紙で、すべてが終わった事に気づいた。
プロテスタントからロシア正教に改宗するのは不可能であり、
この頑固な障害の前に、
私のすべての希望、最良の夢、未来への最大の心からの願いが崩れ去った。
一日中麻酔薬を飲んだように歩き回り、とうてい冷静かつ快活にはなれなかった。

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*1894年アレクサンドラの兄/ヘッセン大公エルンストと
イギリスのアルフレッド王子の娘ヴィクトリア・メリタの結婚式がドイツのコーブルクで行われた。
イギリスからヴィクトリア女王、ドイツから皇帝ヴィルヘルム2世、ロシアからニコライ2世が出席、
アレクサンドラも姉エリザヴェータ・フョードロヴナと共に滞在していた。
この機会にニコライ2世はアレクサンドラにプロポーズするが、
改宗を嫌がるアレクサンドラはイエスと言わなかった。
そこでアレクサンドラの祖母のヴィクトリア女王、いとこのヴィルヘルム2世が説得したため、
アレクサンドラは改宗を受け入れプロポーズに同意した。
ニコライ2世は26歳、アレクサンドラは22歳だった。


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ニコライ2世の日記 1894年

04月17日
神様、今日はなんという日か。部屋にアレクサンドラが到着した。
アレクサンドラはすごく美しかったが、ひどく悲しそうであった。
二人だけにされ、私が久しい間強く望み、同時に強く恐れていた会話が始まった。
12時まで話し合ったが、説得する事ができなかった。
アレクサンドラはやはり改宗に反対で、かわいそうにアレクサンドラはたくさん泣いた。

04月20日
私の生涯における忘れがたい日、見飽きる事のない愛するアレクサンドラと婚約した日だ。
午前10時過ぎにアレクサンドラがやってきて、お互いの意思を確かめ合った。
私達の話が終わるまで、ヴィルヘルム2世は隣の部屋で待っていてくれた。
すぐに二人でヴィクトリア女王を訪問し、それから親戚宅へ戻った。
そこでは家族全員が長時間喜びのキスを交わし合っていた。
神よ、どれほどの山のような重荷が私の肩からずり落ちたことか。
なんという喜びで愛するパパとママを喜ばす事ができるか。
私は婚約者のアレクサンドラと一緒に歩き回り、庭に座っていた。
アレクサンドラが私の婚約者である事が信じられないほどだった。

11月01日
今日はなんという日だろう。神は私達が熱愛しているパパを天国に召された。
頭が混乱している。信じたくない。今まで考えもしなかった恐ろしい事が現実になった。
神よ、このつらい日々に私達を助けたまえ。かわいそうなママ。

11月26日 
今日は私の結婚式だ。みんなでコーヒーを飲んでから着替えに行った。
孔雀の間でアレクサンドラが化粧をしている間、私達全員はアラビアの間で待っていた。
12時10分に教会への入場が始まった。そしてそこから既婚者として帰ってきた。
ママは私達の部屋で、パンと塩を持って待っていた。

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by xMUGIx | 2008-01-25 00:00 | ロシア
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