直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
カテゴリ
御貴族様
イギリス
イタリア
オーストリア
オランダ
ギリシャ
ザクセン
スウェーデン
スペイン
デンマーク
ノルウェー
バイエルン
フランス
ブルガリア
プロイセン
ベルギー
ポルトガル
ルーマニア
ロシア
朝鮮
中国
以前の記事

ヴィッテルスバッハ朝

◆国王ルートヴィヒ1世
先代マクシミリアン1世の子
1786-1848 39歳即位 62歳没

*天然痘のためアバタ顔で、額に大きなコブがあり、
耳がよく聴こえず言語障害があった。

*芸術・建築を推奨しミュンヘンを芸術都市へと発展させたが、
愛人問題で退位を余儀なくされ息子に王位を譲る。

*女好きで、ニンフェンブルク城にはルートヴィヒが描かせた
上流・下流問わず美人の肖像画ばかりを集めた美女ギャラリーを持っていた。

a0130272_0263261.jpg

a0130272_0264572.jpg

a0130272_22555419.jpg





■妻 テレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン
ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公フリードリヒの娘
1792-1854 18歳結婚 62歳没

*ヨーロッパ一の美女と言われたが、結婚後は夫の絶え間ない浮気に悩まされ続ける。

a0130272_027257.jpg

a0130272_0271259.jpg





●マクシミリアン2世 次代国王

●マティルデ・カロリーネ 
ヘッセン大公ルートヴィヒ3世の前妻・本人死別

●オットー ギリシャ王オソン1世となる 
オルデンブルク大公女アマーリエと結婚

●ルイトポルト→子は国王ルートヴィヒ3世
トスカーナ大公女アウグステ・フェルディナンデと結婚

●アデルグンデ 
モデナ公フランチェスコ5世と結婚

●ヒルデガルト 
テシェン公アルブレヒトと結婚

●アレクサンドラ 
未婚

●アーダルベルト 
スペイン王族カディス公爵令嬢アマリアと結婚




★愛人ローラ・モンテス
1818-1861 43歳没

本名マリー・ドロレス・イライザ・ロッサナ・ギルバート、
アイルランドで軍人エドワード・ギルバートの娘として生まれる。
家族三人でインドに赴任したが半年で父が死亡、
1年も経たないうちに母は父の同僚クレイギーと再婚する。
教育をつけるためにイギリスに送られたローラは、
バースの寄宿学校で学び、パリのフィニッシングスクールで仕上げを受けた。

ローラが18歳になると、
母親は60過ぎのインド在住の有力者と結婚させようとイギリスにやってくる。
反発したローラは、
インドから母に同行してきたアイルランド軍人トーマス・ジェームスと駆け落ちして結婚する。
夫妻はインドに戻るが、インド社交界の花形となったローラは夫を捨てる。
インドに居づらくなった22歳のローラはイギリスに渡る。
演技やダンスを習った後、スパニッシュダンスに目をつける。
25歳のローラは<セビリア貴族の末裔のアンダルシア女ローラ・モンテス>
というふれこみでデビューする。
ヨーロッパ各国をを流れ歩き、数々の有力者と関係を持った。
音楽家リストの愛人だった時期もある。

1846年10月ミュンヘンにたどり着いた28歳のローラは、
国王ルートヴィヒに見初められる。
11月には早くも彼女に豪華な邸宅と公式馬車と
年1万フローリンの年金と改築費用2万フローリンを与えた。
さらにルートヴィヒは、自分の死亡時には10万フローリン、
その後もローラが独身を守れば2400フローリンの年金を与えるという遺言書まで書いた。
バイエルンの総理大臣の年俸が6000フローリンの時代であった。

国王は肖像画を描かせて例の美女ギャラリーに飾り、
ローラの足をかたどった大理石の足を作り、
大理石の足にキスをして大事にした。
振る舞いは粗野で気性は激しく、気まぐれで嘘つきで癇癪持ち、
相手かまわず喧嘩をふっかけ、国王以外にも多くの愛人がいた。
国王の目に余るルードヴィヒの振る舞いに政府が反発すると、
1847年02月国王は内閣を解散させ、新内閣<ローラ内閣>を作る。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ミュンヘンのイギリス大使館から本国の外務大臣への報告書 1847年

バイエルン国王に対するローラの影響は日々強まり、
みな驚きの声を上げています。
国王は彼女を愛しながら恐れ、
彼女の美貌と人を操る才能と激しい性格に屈服しています。
そのため国民は、
国王を退位させ皇太子マクシミリアンを国王にという叫び声を上げています。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

ローラは連れ歩いている犬を人々に向かって襲わせたりする、
市民は公式馬車を乗り回すローラに馬糞を投げつける、
などなど互いの攻撃はエスカレートする。
国王がローラにランツフェルト伯爵夫人という肩書を与えたことから
市民の怒りはピークを迎え大規模なデモに発展する。
1848年03月20日、国王が退位したため、ローラはミュンヘンを脱出した。

しばらくヨーロッパを放浪した後、年下の軍人ジョージ・トラフォード・ヘールドと再婚する。
しかしこの結婚も長続きせず、33歳のローラはアメリカに渡りダンサーとして人気者になる。
ゴールデンラッシュに沸くカリフォルニアで
新聞社社長のパトリック・パーディ・ハルと再々婚する。
しかしこの結婚も長続きせず、36歳のローラはオーストリアに渡るが旬は過ぎていた。
再びアメリカに渡ったローラは、左半身マヒになり神に祈りを捧げる隠遁生活を送る。
ニューヨークのエピスコパル教会で、誰に看取られることもなく息を引き取った。

a0130272_0491156.jpg

a0130272_0492656.jpg

a0130272_0493673.jpg

a0130272_0494657.jpg

[PR]
by xMUGIx | 2002-07-03 00:00 | バイエルン
<< ヴィッテルスバッハ朝 ヴィッテルスバッハ朝 >>


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング
その他のジャンル