直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
カテゴリ
御貴族様
イギリス
イタリア
オーストリア
オランダ
ギリシャ
ザクセン
スウェーデン
スペイン
デンマーク
ノルウェー
バイエルン
フランス
ブルガリア
プロイセン
ベルギー
ポルトガル
ルーマニア
ロシア
朝鮮
中国
以前の記事

ウィンザー朝

◆国王エドワード8世●実子ナシ
先代ジョージ5世の子
1896-1986 40歳即位 89歳没


*エドワード8世も長すぎる皇太子時代に悩んだクチだった。
父王と違って狩猟は好まなかったので、
日常生活の大半を乗馬・ダンス・ゴルフ・テニスなどの暇潰しに費やすことになった。
本来彼は忙しく働いていることが好きだったので、始終退屈していた。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
エドワード8世が側近ゴッドフリー・トマスに語った言葉

こうしてただずっと皇太子でいることに、本当に心底からうんざりしているんだ。
これでは神経がすりへって混乱するばかりだ。
私はね、時々自分が気が狂うんじゃないかと思うことがあるよ。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
父王ジョージ5世の証言

あれの友人にはまともな紳士は一人もいない。ちゃんとした人々と付き合った経験もない。
もう40歳になるのに。私が死んだら、あれは12ヶ月以内に破滅するだろう。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


エドワードの人生は父の予言どおりになる。




■妻 バツ2のアメリカ人ウォリス・シンプソン 夫41歳&妻43歳で結婚
1894-1972 41歳結婚 77歳没  

*20歳でアメリカ海軍のウィンフィールド・スペンサー・ジュニアと結婚離婚、
32歳でイギリス人の船舶会社社長アーネスト・シンプソンと略奪再婚離婚、
43歳でエドワードと再々婚、77歳没。

*ウォリスは男性を支配したがる利己的なタイプだったので、
エドワードはうってつけのカモだった。
愛人テルマがアメリカに行っている間に二人は親密な関係になり同棲を始めた。
エドワードの親友で大臣でもあったダフ・クーパーは、
「彼女は冷酷な女で、彼を愛してなどいなかった」と証言している。
ウォリスはエドワードを子供のように扱い、ときどき人前で叱りつけたりもした。
エドワードはウォリスに奴隷のような献身で応えた。
彼女に金や宝石を雨あられと注いだ。


エドワード8世は内外を問わず大変な人気者であった。
ヨーロッパでも屈指のプレイボーイとしても有名で
14年間愛人関係にあったフリーダ・ダドリー・ウォード議員夫人をはじめとして
貴族令嬢から芸能人まで交際相手は幅広かった。

そして愛人の一人テルマ・ファーネスからアメリカ人女性ウォリス・シンプソン夫人を紹介される。
母親からの愛情に恵まれないまま育ったことから
年上の女性や人妻からの温もりを求めるエドワードにとって
自由奔放かつ博識で母性を感じさせるウォリスの存在は大変に魅力的であり
彼女との結婚を真剣に検討するようになる。
しかしウォリスは離婚歴のある人妻であった。多くの国民がこの交際に反発した。

彼女は抜群の美貌ではなく小柄だったがお洒落や会話術、ダンスなどに
人一倍の努力を払っていたこともあって男性たちを魅了するタイプだった。
ウォリスは粗暴なアメリカ海軍中尉の夫を捨て
船舶会社社長のイギリス人アーネスト・シンプソンと再婚しイギリスへやって来た。
社交界に顔のきく夫のおかげで
シンプソン夫人はイギリスの社交界にデビューしすぐに花形となった。
そしてエドワード皇太子と出会った。
チヤホヤすることなく思うことを言葉にするシンプソン夫人にエドワードは新鮮な魅力を感じた。
伝統と格式の中で生きてきたエドワードにとって自由で奔放なウォリスは
まるでアメリカからやってきた自由の風のようだった。
その後のエドワードはどこにでも彼女を連れ歩き高価な物を好きなだけ買い与え
エドワードの邸宅で同棲するに至った。
シンプソン氏にも愛人がおり互いに干渉しない間柄だった。

しかしエドワードはパーティの席上でシンプソン氏に
「さっさと離婚しろ」と詰めより殴り倒すという暴挙に出たのである。
この国王にあるまじき醜態が原因となり議会が開かれた。
エドワードは王冠か恋かの選択を迫られ退位を決断する。

「王である前に一人の男性であり、自分の心のままに従いたい。
王冠を捨てるのは愛する彼女の助けと支えなしでは
王として重大な責任と義務を果たすことが到底不可能であるからだ」
という声明をBBC放送を通じて国民に伝えて退位した。
1年に満たない在位であった。
この一連のスキャンダルは「王冠を捨てた恋」と呼ばれる。
a0130272_2114519.jpg

a0130272_2114566.jpg

a0130272_2114523.jpg

a0130272_2114520.jpg

退位してウインザー公夫妻となった二人はパリに新居をかまえた。
当初エドワードはフランスでしばらくほとぼりを冷ました後は
またイギリスに戻って元通りの生活できると思っていたようだ。
ところが国王ジョージ6世から
「許可を得ずに帰国するようなことがあれば王室からの手当を打ち切る」
と言われたため実現には至らなかった。

以来王室とは疎遠となり
特に母メアリー王太后やジョージ6世王妃エリザベスとは絶縁状態にあった。
エリザベス王妃は病弱なうえに吃音症や脚の障害を抱える夫
を無理矢理王位につかせたエドワード夫妻を憎んだ。

一生このままだという事実がわかったエドワードは
二人に好意的なナチス・ドイツと急激に親しくなる。
ナチス・ドイツに協力してドイツがイギリスを征服した後イギリス国王として返り咲こうと計画した。
「この戦争が終わり、ヒトラーがアメリカを撃破した後、われわれの出番となる。」と語っていた。

ナチス・ドイツ寄りの発言や行動が目立つようになった夫妻に慌てたイギリス政府は
エドワードをバハマ総督に任命して2人をヨーロッパから離した。
夫人はバハマを嫌い特注のエルメスのバッグを持ち毛皮や宝石で飾り立てて
飛行機で何度もアメリカへ買い物をしに行く姿は戦時下で苦難にあえぐ人々の批判の的となった。

第二次世界大戦後はフランスに戻り半ば引退のような生活を送った。

エドワードは幼少期に母の愛情が少なかった体験から長く神経性胃炎と躁鬱病を患っていた。
また大人になってからも何か自分に気に入らないことがあると
すぐに大声で泣き叫ぶなど年不相応に幼い面が多く見られたという。

60年経って「王冠を捨てた恋」の真実が暴露された。
1995年に第二次世界大戦中イギリス軍によって押収されたドイツの外交文書の一部が公表された。
その資料からシンプソン夫人はナチスの駐英大使リッベントロップと深い関係にあったことが
明るみになった。
当時のイギリス政府がシンプソン夫人との結婚に反対したのは夫人の離婚歴ではなく
ナチスとの関係を問題視したためだった。

エドワードとの結婚後も愛人関係はは続いており
イギリスを始めとする連合国の機密情報をナチスに漏らしていた可能性が高い。
さらに2002年にアメリカのFBI文書が公開され
シンプソン夫人はドイツ諜報部の工作員だったという事実が明かされた。
第二次世界大戦中夫妻がバハマ提督に任命されたのも
イギリス政府が夫人の背後にいるナチスを警戒したためであった。
またこの情報に基づきルーズベルト大統領は夫妻がアメリカを訪れた際に
常にFBIの監視下に置いていた。
a0130272_2114578.jpg

a0130272_2114551.jpg



二人は永遠に「王冠を捨てた恋」というロマンスのカップルを演じ続けなければならない。
ロマンスのカップルは離婚も出来ず、愛人を作って情事を楽しむということも出来ない。
エドワードは王冠を捨てたことを後悔していた。だから自分を王として扱ってくれる国を好んだ。
晩年の二人は酒に溺れていた。
a0130272_2114658.jpg





彼は恋愛相手に母親のような役割を求めたため、子供もいるような人妻が多かった。


★愛人フリーダ・ダドリー・ウォード 議員夫人
1894-1983 89歳没
a0130272_2114618.jpg

a0130272_2114669.jpg



★愛人セルマ・モーガン ファーネス子爵夫人
1904-1970 66歳没
テルマはウォリスをエドワードに紹介したために、エドワードを取られてしまう。

美貌の双子として有名だった。
a0130272_2114656.jpg

a0130272_2114627.jpg

[PR]
by xMUGIx | 2005-03-06 00:00 | イギリス
<< ウィンザー朝 ウィンザー朝 >>


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング
その他のジャンル