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2017年 更新中
by xMUGIx
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ハノーヴァー朝

◆ヴィクトリア女王
先代ウィリアム4世の姪
1819-1901 18歳即位 81歳没


*明治政府からヨーロッパに派遣された岩倉具視使節団は
イギリスでヴィクトリア女王と謁見している。
またイギリス留学中の夏目漱石はヴィクトリア女王の葬列を見物した。




■父 エドワード・オーガスタス王子
1767-1820 53歳没

兄のジョージ4世が子供を遺さなかったことから
自分の子供を作って王にすることを狙って
30年近く暮らしたサン・ローラン夫人を捨てて
50歳の時に32歳の二児のある未亡人ヴィクトリアと結婚する。
ヴィクトリアはジョージ4世の娘シャーロット王女の夫の姉の娘であった。
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■母 ザクセン・コーブルク・ザールフェルト公女ヴィクトリア バツイチ
1786-1861 75歳没

ヴィクトリア女王は心情ドイツ人・母語ドイツ語。
ヴィクトリアの生後半年で父が亡くなったので、
母は愛人サー・ジョン・コンロイと組んで娘の即位を夢見た。
母がドイツ人であったためヴィクトリアも3歳までドイツ語のみを話す生活を送った。
そのためヴィクトリアはドイツなまりの英語を話し、生涯ドイツびいきであった。
母は自分の思い通りに操れるようにヴィクトリアを他人と交流させなかった。
ヴィクトリアの孤独を埋めていたのは132体の人形だった。
人形にはすべて名前がつけられ豪華な衣装を着ていた。
そしてスパニエル犬のダッシュがヴィクトリアの最良の友だった。

ウィリアム4世の死によりヴィクトリアは18歳で即位した。
最初に行った仕事は母とその愛人を追放することであった。
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★母の愛人ジョン・コンロイ
1786-1854 68歳没
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■夫 アルバート・オブ・サクス=コバーグ・アンド・ゴータ イトコ結婚
ザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世の息子
1819-1861 21歳結婚 42歳没

ヴィクトリアがイトコのザクセン・コーブルク・ゴータ公子アルバートと初めて会ったのは
16歳のときである。
アルバートは教養があり知的できりりとした美男だった。
ヴィクトリアは彼に一目惚れした。
ちなみにヴィクトリアは自分からアルバートに求婚した。
女王に求婚することは許されなかったからである。


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ヴィクトリアの日記

アルバートの背丈はその兄エルネストと同じぐらいだが、ずっと頑丈そうに見える。
とてもハンサムだ。髪の色は私と同じ鳶色。目は青く大きい。
美しい鼻、並びの良い歯、甘い唇をしている。
最も魅力的なのは顔の表情だ。本当に素敵な表情を見せる。


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夫 アルバートの証言

ヴィクトリアは短気で激昂しやすい。私の言う事を聞かずにいきなり怒りだして、
私が彼女に信頼を強要している、私が野心を抱いている、と非難しまくって私を閉口させる。
そういう時私は黙って引き下がるか
(私にとっては母親にしかられて冷遇に甘んじる小学生のような心境だが)、
あるいは多少乱暴な手段に出る(ただし修羅場になるのでやりたくない)しかない。


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ヴィクトリアの日記

彼が示してくれる過分なほどの愛の思いと優しさは、
以前の私には望もうにも決して与えられなかった至上の愛情と喜びで私を満たしてくれた。
彼の美貌、愛らしさ、柔和さ。
これほどの夫に恵まれて、私はいったいどれだけ感謝すれば足りるのだろう。


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ヴィクトリアは一人娘でわがままで感情をむき出しにするところがあった。
そんな彼女を理想的な女王に教育していったのが夫のアルバートだったのである。
彼は「私は女王の夫、女王の秘書、子供たちの家庭教師である」と語っている。
ヴィクトリアとアルバート夫妻の夫婦愛は国民に畏敬の念を吹き込んだ。
浮気をせず貞節を守り家庭生活に満足し子どもは次々と生まれ政治的義務もしっかり果たす、
これはイギリス国民が誇りとした君主のありようであった。
結婚21年目に42歳で夫アルバートが死去する。
エドワード皇太子の女性スキャンダルを解決するために
病身をおして事にあたり急逝したのだ。
女王は夫の死はエドワードのせいだと思い憎むようになった。
女王は鬱に囚われ社会から引きこもってしまった。
彼女は三年間喪服で静かに暮らした。

ヴィクトリアは生涯アルバートを熱愛していたため、生まれた男子すべてにアルバートの名を入れた。
しかしどうしても息子たちは夫に比べて見劣りがすると思っており、
息子たちに愛を注がず、娘たちに期待した。
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★女王の愛人ジョン・ブラウン
1826-1883 57歳没

夫の死後引きこもりがちな女王は主治医から健康のために乗馬を勧められた。
毎日女王を外へ連れ出したのが馬丁のジョン・ブラウンであった。
まもなくヴィクトリアはキルトを着た逞しいこのスコットランド人を愛するようになる。
ブラウンは女王にぶっきらぼうな口のきき方をした。
女王の帽子の紐を結びながら「すぐ終わるから、いい子にしてな」と言われて女王は喜んでいた。

この粗野な無作法者に対する女王の寵愛は側近たちには理解不能だった。
思うに彼女は幼い時から周囲にはこのようにストレートに接してくる人物がいなかったのだと思う。
だからこそ一国を背負う女王ではなく、一人の女性として扱われることが新鮮だったのだろう。

ヴィクトリアの娘たちは母親から高圧的かつ冷淡な扱いを受けてきた。
彼女たちは自分たちの知らない親しみをブラウンに与えていることを知った。
娘たちはブラウンを「ママの恋人」と呼んだ。
またブラウンは「女王の種馬」とも呼ばれた。
女王は「ミセス・ブラウン」と陰で呼ばれた。

しかしブラウンは病気で急逝した。
女王は悲嘆にくれた。
なくなる前に彼女は遺言をしていた。
ブラウンの写真と巻き毛を私の左手に持たせて下さいと。
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ヴィクトリア女王とジョン・ブラウン
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●ヴィクトリア 
プロイセン国王フリードリヒ3世と結婚
●エドワード7世 次代国王
●アリス 血友病保因者 
ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の前妻・本人死別 
●アルフレッド 
ロシア皇帝アレクサンドル2世の娘マリアと結婚
●ヘレナ 
シュレースヴィヒ・ホルシュタイン公子クリスティアンと結婚
●ルイーズ 
アーガイル公爵ジョン・キャンベルと結婚
●アーサー 
プロイセン王族ルイーゼ・マルガレーテと結婚
●レオポルド 血友病患者 
ヴァルデック・ピエモント侯女ヘレナと結婚
●ベアトリス 血友病保因者 
ヘッセン大公族ハインリヒ・モーリッツ・バッテンベルクと結婚


*血友病患者の父親&健全な母親の場合、
男子は全員 健全、女子は全員 血友病保因者となる。

*健全な父親&血友病保因者の母親の場合、
男子は1/2の確率で血友病患者、女子は1/2の確率で血友病保因者となる。


子供たちをヨーロッパ各国の王侯貴族と結婚させたため、
孫は40人にのぼり「ヨーロッパの祖母」と呼ばれた。
しかし女王は血友病保因者だったため、
自身の息子を始めロシア皇太子アレクセイなどが次々と発病した。
ヴィクトリア女王の父方にも母方にもそれまで血友病患者はいないため、
突然変異によるものと言われている。
現在でも、血友病患者の約3割は突然変異によるものである。
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by xMUGIx | 2005-02-20 00:00 | イギリス
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