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by xMUGIx
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ハノーヴァー朝

◆国王ジョージ4世
先代ジョージ3世の子
1762-1830 58歳即位 67歳没
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■妻 キャロライン・オブ・ブランズウィック
←カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル イトコ結婚
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの娘
1768-1821 27歳結婚 53歳没
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ジョージのあだ名は<快楽の王子>。
彼は自分の全生涯を愉快に過ごすことだけに捧げた。
10代の頃から酒と麻薬に溺れた女たらし、
飲む打つ買うの上におしゃれと美食と美術品と建築物に目がない底なしの浪費家だった。
そのため莫大な借金を負うことになり、独身貴族を泣く泣くあきらめて、
持参金つきの妻と結婚して借金を帳消しするしかなくなる。

初対面の時ジョージは彼女の強烈な体臭に驚きキャロラインは彼の肥満に驚いた。
キャロラインは小柄で肥満体、陽気で騒々しく優雅さや洗練さとは無縁で、
風呂に入らず歯磨きもせず下着も替えなかったので体臭が強かった。
ドレスは汚れて擦り切れ洗濯もされていなかった。
キャロラインの身だしなみを一目見て震え上がったジョージは
「気分が悪い」とつぶやき去っていった。
それでもジョージは新婦と3回性交した。
「体中があまりにも不潔で吐き気がした。二度とこいつに手を触れるものかと誓った」
とジョージは友人に書き送った。

そして実際彼は二度と妻に触れなかった。
ところがこれだけでキャロラインは妊娠しシャーロット王女を生んだ。
そこで役目を終えた二人は別居することになる。
キャロラインはイギリスでもヨーロッパでも情事を重ねた。
海軍大佐サー・シドニー・スミスを愛人とし、次に海軍大佐トマス・マンビーに乗り換えた。
イタリアではイタリア人兵士バルトロメオ・ベルガミを愛人にした。
情事には不自由しなかったが、
彼女はどんどん肥満して衣装も態度もだらしなくなっていった。

ジョージは妻をを戴冠式に呼びたくなかった。
そこで彼は妻の不貞を理由に離婚裁判を起こした。
双方マスコミを使って相手を攻撃し、大々的なスキャンダル合戦を繰り広げた。
結局離婚は認められなかった。王は戴冠式で一計を案じた。
戴冠式が行われるウェストミンスター寺院の扉を閉ざして王妃を入れなかったのである。
これがきっかけとなったのかキャロラインは1ヶ月も経たない内に亡くなった。
イギリスには埋葬されたくないという遺言を残して。




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ジョージは他人の金で何か美しいものに時間を費やすのが一番の幸せだった。
彼は自分の全生涯を愉快に過ごすことだけに捧げた。
彼の華麗な生活は無謀な浪費によって維持されていた。
建築熱に浮かされて王宮や宮殿や街を造りかえた。
また着飾るのが好きだった。
彼が上院に登場した時の格好は、
金糸で刺繍された黒のベルベットの上下(裏地はピンク)に
ピンクの靴、チリチリにカールさせた髪というものだった。
また大食漢であった。
ある日の朝食は鳩のパイを2枚、ステーキ3枚、ワイン1本、グラス1杯のシャンパン、
グラス2杯のポートワイン、グラス1杯のブランデーをとっている。

晩年のジョージは肥満のため横たわることもできなくなり、
一日中ブランデーやアヘンに酔って過ごした。
体重は110キロ、ウエストは125センチ。
そして肘掛椅子に座ったまま亡くなった。




●子は王女シャーロット・オーガスタス
1796-1817 21歳没
ベルギー国王レオポルド1世の前妻・本人死別
1790-1865 75歳没

*シャーロットは父王に溺愛されていたが、
目が行き届かないこともあって恋多き王女に育つ。
オランダ国王ウィレム2世との縁談がもちあがるが、
イギリスを離れたくないからと拒絶する。
結局ベルギー国王レオポルド1世と結婚することになるが、
結婚式までにシャーロットが別の男性と駆け落ちしないように厳重に見張られていた。
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by xMUGIx | 2005-02-17 00:00 | イギリス
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