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スコットランド

◆スコットランド女王メアリー・ステュアート
スコットランド王ジェームズ5世の子
1542-1587 0歳即位 44歳没

フランソワ王太子と結婚死別
→ダーンリー卿ヘンリー・スチュワートと再婚死別
→ボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーンと再々婚
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父ジェームズ5世が30歳で病死したが、
嫡男がなかったため生後6日のメアリーがスコットランド女王に即位する。
後にスコットランドで内乱が起きた際、フランス貴族出身の母マリーの提案で
メアリーはフランスのアンリ2世の元に逃れフランス宮廷で育てられた。




■最初の夫 フランソワ王太子
1544-1560 16歳没
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フランス国王アンリ2世はメアリーを「小さな女王ちゃん」と呼んで大いに可愛がった。
「フランスの白百合」と呼ばれ美しく成長したメアリーは
アンリ2世の子フランソワ王太子と結婚した。
アンリ2世が亡くなると王太子がフランソワ2世として即位し、
メアリーはフランス王妃となった。
しかしフランソワ2世は病死、結婚して2年、即位して1年の不幸だった。
姑カトリーヌ・ド・メディシスに嫌われていた彼女は宮廷に居場所を失い、
スコットランドに帰国した。




★宮廷詩人シャトラール
1540-1563 23歳没
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スコットランドに戻ってから宮廷詩人のシャトラールが
メアリーを熱愛するあまり寝室に忍び込むという事件が起きた。
彼はすぐに逮捕され処刑された。




■2番目の夫 ダーンリー卿ヘンリー・スチュワート
1545-1567 21歳没
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メアリーは自分より背が高い190センチ、金髪で踊りの上手な
イトコのヘンリー・スチュワートに一目惚れした。
やがてメアリーはとの結婚を考えるようになるがエリザベス女王が強硬に反対した。
イギリスの王位継承権を持つヘンリーとの結婚によって
メアリーの王位継承権が強化されることを恐れたためである。
そこで女王はヘンリーにすぐさまイギリスに戻るよう命令し、従わないと反逆罪とみなすとして
ヘンリーの母をロンドン塔に幽閉したが彼は従わなかった。




★愛人ダヴィッド・リッチオ
1533-1566 33歳没
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しかし一年も経たない内にメアリーは軽薄で尊大な酒乱の夫に愛想を尽かすようになった。
メアリーはイタリア人側近で音楽家のダヴィッド・リッチオを愛人にした。
ある夜食事会にヘンリーが乱入してきてリッチオをメッタ刺しにして殺した。
この時メアリーは妊娠中でヘンリーは妻にショックを与え
流産することを期待していたのである。
メアリーも傷を負ったが無事男子を生んだ。




■3番目の夫 ボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーン
1534-1578 43歳没
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別邸で爆発事件が起こりヘンリーの遺体が発見された。
犯人はボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーン。
彼はメアリーを自分の城に誘拐したがメアリーはジェームズに心を寄せるようになる。
そして夫の死後3ヶ月でジェームズと再々婚した。
夫を殺した犯人と結婚するメアリーに国民はあきれ返った。
カトリック・プロテスタント双方もこの結婚に反対した。
まもなく反ボスウェル派の貴族たちが反乱した。
ジェームズは国外へ逃亡したが逮捕されて獄死、
メアリーは反乱軍により退位させられ幽閉された。


スコットランドから脱走したメアリーはエリザベス女王の元に身を寄せた。
エリザベスはメアリーの扱いに頭を悩ませることになった。
スコットランドの国民はメアリーの復位を望んでいない。
かといってこのままイギリスに置けばカトリックの不満分子がメアリーに集まる。
実際カトリックたちはメアリーを担ぎ上げていくつもの陰謀を図った。
エリザベスは死刑執行書への署名を渋っていたが結局メアリーは処刑された。
エリザベスとメアリーは生涯顔を合わせたことはなかった。




●子はイギリス国王ジェームズ1世
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by xMUGIx | 2005-02-01 00:00 | イギリス
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