直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
カテゴリ
イギリス
イタリア
オーストリア
オランダ
ギリシャ
ザクセン
スウェーデン
スペイン
デンマーク
ノルウェー
バイエルン
フランス
ブルガリア
プロイセン
ベルギー
ポルトガル
ルーマニア
ロシア
朝鮮
中国
その他
以前の記事

アンジュー朝

◆エドワード黒太子 父より先に亡くなったため即位できず
先代エドワード3世の子
1330-1376 46歳没

「黒太子」(ブラック・プリンス)と呼ばれる理由は
彼が常に黒色の鎧を着ていたという説と、
彼の残虐行為に対してフランス側が黒太子と呼んだという説がある。


左 エドワード3世   右 エドワード黒太子
a0130272_180185.jpg





■妻 ジョーン・オブ・ケント 父エドワード3世のイトコ バツ2で4人の子持ち
ケント伯爵エドマンド・オブ・ウッドストックの娘
1328-1385 57歳没

*12歳でケント伯爵トマス・ホランドと秘密結婚、
すぐにソールズベリー伯爵ウィリアム・モンタギューと政略結婚させられ、
21歳の時ソールズベリー伯爵との結婚は無効、ケント伯爵との結婚が有効と認められ、
ケント伯爵の子供4人生み、31歳で死別、
33歳でエドワード黒太子と再々婚

「麗しのケントの乙女」と呼ばれ、エドワード黒太子とは幼なじみだった。
当時の王族では珍しい恋愛結婚であった。
バツ2で4人の子持ちであるジョアンとの結婚には反対が多かったが
ずっと彼女に片思いをしていた黒太子が押し切った。
ジョアンはキリスト教世界で一番の美女と呼ばれた。
トマス・ホランドと結婚したが秘密結婚であったため
家族によってソールズベリー伯ウィリアム・モンタキュートと結婚させられた。
後にローマ教皇によってウィリアム・モンタキュートとの結婚は無効、
トマス・ホランドとの結婚が有効と認められた。
トマス・ホランドと死別した後エドワードと再々婚をした。

このような彼女の魅力のゆえに彼女の生んだ子供が
黒太子の子供かどうかの疑惑はついてまわった。

カレーで開催された戦勝記念舞踏会でジョアンが踊っていると
ガーターベルトが外れて床に落ちてしまった。
当時ガーターベルトを落とすことは下着を落とすことに等しかった。
会場は静まり返ったが舅国王エドワード3世が
そのガーターベルトを拾い上げ自分の左脚にはめた。
そして一同に向かってラテン語で言った。「これを悪しきと思う者に災いあれ」
この出来事を機にエドワード3世は、他人の窮地に昂然と立ちはだかることを
騎士道の精神とした「ガーター騎士団」を創設した。

a0130272_1801983.jpg





●子は国王リチャード2世
[PR]
by xMUGIx | 2005-01-13 00:00 | イギリス
<< アンジュー朝 アンジュー朝 >>


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング