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復古ブルボン朝

◆国王シャルル10世 
先代ルイ18世の弟
1757-1836 67歳即位 79歳没
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*義兄マリー・アントワネットと仲が良かった。

*勉強嫌いでイタズラ好き、愛想が良くオープンな性格だった。

フランス革命により亡命。
ナポレオン失脚後にフランスへ帰国したが、ナポレオンの復帰により再び亡命。
ナポレオンが百日天下で完全に失脚するとフランスに帰国した。

兄以上の反動的な専制政治を行なったため不満を持ったフランス国民により7月革命が起こされた。
この革命によってシャルル10世は退位を余儀なくされ亡命した。




■妻 マリー・テレーズ・ド・サルデーニュ←マリーア・テレーザ・ディ・サヴォイア
サルデーニャ国王ヴィットーリオ・アメデーオ3世の娘
姉はルイ18世王妃マリー・ジョゼフィーヌ
1756-1805 17歳結婚 49歳没
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★愛人ルイーズ・ド・ポラストロン
1764-1804 40歳没
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シャルル10世には若い頃から多くの愛人がいた。
一番長く続いたのはルイーズ・ド・ポラストロン夫人である。
フランス革命勃発後シャルルはヨーロッパ各地を転々としたが
ルイーズもフランスを発って正妻の目を盗んでシャルルと密会を続けていた。
しかしルイーズの死によってこの関係は終わった。
亡命生活と愛人の死によってシャルルの人生観はすっかり変わり道徳的な生活を送った。




●ルイ・アントワーヌ 
国王ルイ16世&マリー・アントワネットの娘マリー・テレーズと結婚
●シャルル・フェルディナン
イギリス人未亡人のエイミー・ブラウンと秘密結婚・離婚、
両シチリア王女マリー・カロリーヌ・ド・ブルボンと再婚




●ルイ・アントワーヌ
1775-1844 69歳没
国王ルイ16世&マリー・アントワネットの娘マリー・テレーズと結婚 
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●シャルル・フェルディナン
1778-1820 42歳没
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■前妻 イギリス人未亡人エイミー・ブラウン 秘密結婚・子供2人
1783-1876 93歳没

■後妻 両シチリア王女マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン
1798-1870 18歳結婚 72歳没
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シャルルはイギリスに亡命中、
プロテスタントの牧師の娘で未亡人のエイミー・ブラウンと秘密結婚して二人の娘が生まれた。
しかし、王家の承認のない結婚は無効として、
両シチリア王女マリー・カロリーヌ・ド・ブルボンと結婚。
娘ルイーズ・ダルトワと息子アンリ・ダルトワが生まれたが、シャルルは暗殺される。
ルイ18世にも兄ルイ・アントワーヌにも嫡子がなかったため、
唯一の世継ぎである息子アンリは「奇跡の子供」ともてはやされた。

母マリーは息子アンリのために王位奪還を夢見て、
国王ルイ・フィリップの暗殺や反乱を企てた。
マリーは逮捕されたが妊娠していることが発覚した。
実際は青年弁護士ギベールの子であったが、
マリーはイタリア貴族ルケーシ伯爵の子であると主張した。
マリーはルケーシ伯爵の主君フェルディナンド2世の姉であったので、
ルケーシ伯爵は仕方なくマリーを引き取った。
その後マリーはルケーシ伯爵との間に4人の子を生んだ。
舅シャルル10世はこの不貞に激怒したため、マリーはブルボン王家と縁を切られた。
母を失った娘ルイーズと息子アンリは伯母であるマリー・ルイーズに育てられた。
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by xMUGIx | 2003-03-19 00:00 | フランス
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