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by xMUGIx
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ボナパルト朝

◆皇帝ナポレオン1世
1769-1821 35歳即位 51歳没
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■前妻 アレクサンドル・ボアルネ子爵未亡人ジョゼフィーヌ 連れ子2人アリ
1763-1814 50歳没
16歳でボアルネ子爵アレクサンドルと結婚死別、33歳でナポレオンと再婚
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カリブ海の農園主の娘。ボアルネ子爵との結婚のためフランスへ来る。
2人の子供をもうけるが、夫はフランス革命で処刑された。
ルイ=ラザール・オッシュ将軍や総裁政府のポール・バラスの愛人となり、
社交界の花形となって<陽気な未亡人>と呼ばれる。

ナポレオンは魅力的な二人の子持ちである年上の未亡人ジョゼフィーヌと恋に落ちた。
結婚したナポレオンは遠征中も熱烈なラブレターを送った。
しかしジョゼフィーヌは友人に
「あの小柄な将軍と結婚するには多少の嫌悪感を克服せねばなりませんでした」
と書き送っている。

結婚当初は浮気をしてナポレオンを泣かせたこともあったが
彼が皇帝となってからは献身的な妻に変身して政策面でも彼を助けた。
ナポレオンの運が開けてきたのもそもそもジョゼフィーヌと結婚してからであり
彼にとって彼女は「勝利の女神」「幸運の女神」だったのだ。

しかし跡継ぎが欲しいナポレオンはジョゼフィーヌとの離婚を決意する。
彼は最大限の配慮をした。
フランス皇后の称号を使うことを許し、
マルメゾンの館の他にエリゼ宮を与え年に莫大な金額の生活費を渡した。

オーストリア皇女マリー・テレーズと再婚し待望の男子も生まれたが、
ナポレオンの運勢は下り坂になってゆく。

ジョゼフィーヌはナポレオンの好みや習慣を完璧に心得て
彼が快適に生活しやすいように心を砕いた。
ところがマリー・ルイーズに対しては
ナポレオンの方が気を遣わなければならなかった。
それにジョゼフィーヌは大変人気のある皇后であったが
マリー・ルイーズはまったく人気がなかった。
とうとうナポレオンは失脚する。
ジョゼフィーヌとの離婚から4年半後の出来事だった。

ジョゼフィーヌはエルバ島に行くつもりだったが、
ナポレオンが流罪となってから1ヶ月後に肺炎で亡くなった。




■後妻 マリー・ルイーズ・ドートリッシュ←マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ
オーストリア皇帝フランツ1世の娘
1791-1848 19歳結婚 57歳没
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ナポレオンはジョゼフィーヌと離婚し、オーストリア皇女と再婚した。
小心者の皇帝フランツ2世はナポレオンからの要求に反対できなかったのである。
マリー・ルイーズは皇帝とは名ばかりの
コルシカの成り上り者との結婚に大きなショックを受けた。
しかしナポレオンが下へも置かぬ扱いをしプレゼント攻撃をしてくれるので
たちまちこの結婚に慣れた。
マリー・ルイーズは鈍さと冷たさの混じった無神経なところがあり
人間的な面白みも魅力も感じられない人物だった。
翌年に生まれた息子にもまったく興味を示さない。
ナポレオンが失脚してエルバ島へ流罪となった時
家族と暮らしたいというナポレオンの願いを聞き流して
息子をつれてさっさと実家のオーストリアに帰ってしまう。
父帝は彼女をパルマの領主とした。


★マリー・ルイーズの再婚相手アダム・アルベルト・フォン・ナイペルク伯爵
1775-1829 54歳没
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彼女はいささかの躊躇もなく息子をオーストリアに置いたまま
すぐにパルマへ向かいほとんど会いにも来なかった。
マリー・ルイーズの補佐役としてナイペルク伯爵を送った。
彼女は妻子あるナイペルクの子供を生み彼と結婚した。


★マリー・ルイーズの再々婚相手シャルル・ルネ・ド・ボンベル伯爵
1785-1856 71歳没
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ナイペルクが亡くなったため次ははボンベル伯爵を送った。
またしても彼女は彼の子供を生み結婚した。




●前妻の連れ子 ウジェーヌ 
バイエルン王女オギュスタ=アメリーと結婚
●前妻の連れ子 オルタンス 
ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトと結婚離婚→子は皇帝ナポレオン3世
●後妻の子 ナポレオン2世 早逝




●後妻の子 ナポレオン2世
1811-1832 21歳没
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★カール大公妃ゾフィー
1805-1872 67歳没
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残されたナポレオン2世は徹底してオーストリア人として育てられた。
フランス語は禁止され宮廷の外には出してもらえず
父にも母にも会えない少年時代を過ごした。
その後ライヒシュタット公の称号を授けられ186センチ
ブロンドに青い目の貴公子に成長した。
それでも宮廷はナポレオンの忘れ形見を飼い殺しにするだけである。
ここに皇帝フランツ2世の二男カール大公妃バイエルン王女ゾフィーがいた。
彼女は堅苦しいウィーン宮廷になじめず孤独だった。
彼女は同じくよそ者で孤独だったライヒシュタット公と心を寄せ合うようになる。
彼は結核になった。彼から「やさしい美の天使」
と呼ばれていたゾフィーは懸命に看病した。
宮廷からの再三の催促にもかかわらず
母マリー・ルイーズは死の床にある息子になかなか会いに来なかった。
臨終の時にようやくやってきた母に看取られて21歳の人生を終えた。
マリー・ルイーズにとって愛とは与えるものではなく与えられるものだったようだ。

ライヒシュタット公とゾフィー妃の関係は
プラトニックなものだったのかどうかはわからないが
ゾフィーの二男マクシミリアンはライヒシュタット公の子供であるという噂は消えない。




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ところで、エルバ島に流罪となったナポレオンは
牢屋に入れられてたんだろうと勝手に思ってたんですが統治してたんですね。
まず上陸するとすぐに市街を見下ろせる絶壁の上にムリーニ小宮殿を建てさせてます。
それから道路の整備、農林業の振興、病院を造ったりしてます。
連日のようにあのナポレオンルックで村々を視察して回ってます。
そりゃまあ妻子も呼び寄せようとするわけですな。


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こちらは2度目の流罪先セント・ヘレナ島のロングウッド・ハウス。
宮殿とはいえませんが豪邸ですよね。
間取り図を見ると部屋数多い~。
岩窟王みたいにヒゲだらけで痩せこけて格子のはまった暗い監獄で
苦しんで死んでいったと思ってた同情を返せ~!
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by xMUGIx | 2003-03-16 00:00 | フランス
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