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by xMUGIx
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ブルボン朝

◆国王ルイ16世
先代ルイ15世の孫/王太子ルイ・フェルディナンの子
1754-1793 20歳没 38歳没
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■妻 マリー・アントワネット・ドゥ・ロレーヌ・ドートリッシュ
←マリア・アントーニア・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
オーストリア女帝マリア・テレジアの娘
1755-1793 15歳結婚 37歳没
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ルイは幼くして両親を亡くし孤独な性格に育った。
マリー・アントワネットと結婚したが、真性包茎のため王妃を抱くことができなかった。
周囲から手術を勧められたが何度も逃げ出した。
とうとうアントワネットの兄ヨーゼフ2世がフランスまでやってきてルイを説得した。
そして無事手術を受けて結婚8年目にして第一子が生まれるのである。
フランス王妃の分娩は一般にも公開される慣わしだった。
宮殿は見学者で埋めつくされ、
産屋も王妃のベッドの周囲にロープを張らねばならないほどの混雑だった。


★愛人スウェーデン伯爵フェルセン
1755-1810 54歳没
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しかし長すぎたこの空白の間にアントワネットはスウェーデン伯爵フェルセンと愛人関係にあった。
彼はこの後、革命、投獄、処刑とアントワネットが亡くなるまで影のように付き従った。


ルイ14世・15世の二代に渡る浪費で国庫は破綻寸前だった。
それでもアントワネットは享楽的な生活を改めようとはしなかった。
国民は彼女を「赤字夫人」と呼び世情もだんだんと不穏なものになってゆき、
バスティーユが襲撃され群衆はベルサイユ宮殿にも押し寄せ
国王一家にパリに来るように要求した。
一家はパリのテュイルリー宮殿に軟禁された。

フェルセンが国王一家の逃亡計画を練った。
しかし逃亡途中で見破られ失敗一家はパリに引き戻された。
国王一家はタンプル塔に移された。
そしてまず国王が処刑された。
そしてアントワネットの番がきた。
さらに王子ルイ17世が病死した。


アントワネットの不幸は夫が公妾を作らなかったことである。
王の公認の愛妾には公妾という称号を与えられほぼ首相と同様の地位を得た。
公妾たちは芸術を奨励し、異国の外交官を魅了し、大臣を任命し、外交をリードした。
公妾の部屋のほうが王妃より贅沢で、公妾の衣装のほうが王妃より豪華で、
公妾の宝石のほうが王妃より高価なこともあった。
しかしいったん国民の不満が噴出した時その非難を一身に受けるのは公妾であった。
ルイ16世にはそういう存在がいなかったので
国民の非難はすべて王妃アントワネットに向けられたのである。


アントワネットの祖国オーストリアには当時から入浴の習慣があったが
入浴の習慣がなかったフランスでも彼女は入浴を続け
幽閉されたタンプル塔にも浴槽が持ち込まれた。

入浴の習慣は香水にも変化をもたらした。
アントワネットは当時は体臭を消すためにフランス貴族が愛用していた動物系の濃厚な香水ではなく
植物系香料の軽やかな香水を愛用し流行した。




●マリー・テレーズ 国王シャルル10世の息子ルイ・アントワーヌとイトコ結婚
●ルイ17世 王太子 早逝
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by xMUGIx | 2003-03-14 00:00 | フランス
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