直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
カテゴリ
御貴族様
イギリス
イタリア
オーストリア
オランダ
ギリシャ
ザクセン
スウェーデン
スペイン
デンマーク
ノルウェー
バイエルン
フランス
ブルガリア
プロイセン
ベルギー
ポルトガル
ルーマニア
ロシア
朝鮮
中国
以前の記事

ブルボン朝

◆国王ルイ15世
先代ルイ14世の曾孫/王太孫・プチ・ドーファンの子
1710-1774 5歳即位 64歳没

彼は美男子であり体格も良く教養に富んでいたが
政治に関心を持たずもっぱら趣味の狩猟に興じる日々を送った。
国民の支持を失った国王は亡くなっても葬儀は行われなかった。
a0130272_1714216.jpg





■妻 マリー・レクザンスカ←マリア・レシチニスカ
ポーランド王スタニスワフ・レシチニスキの娘
1703-1768 22歳結婚 65歳没

父ポーランド王は領土も持てず貧乏だったため、
多産の血統だけがマリーの持参金だった。
マリーは敬虔だが退屈な女性だった。父王ですら花婿にこう言った。
「娘はヨーロッパでもっとも退屈な女の一人だ。もう一人は私の妻だ」
しかしルイ15世は彼女を熱愛し仲睦まじかったが
王妃はほぼ毎年妊娠させられると夫婦生活を厭うようになったため、
ルイは大量の愛人を作り始めた。
「いつも寝て、いつも妊娠して、いつもお産ばかりして、何と言う人生でしょう!」
と王妃は嘆いた。
編み物とトランプ遊びが好きで礼拝堂で祈りを捧げて半生を過ごした。
a0130272_1714379.jpg

a0130272_1714355.jpg





●エリザベート パルマ公フィリッポと結婚
●アンリエット エリザベートと双子 早逝
●ルイ・フェルディナン 王太子→子はルイ16世・ルイ18世・シャルル10世
●アデライード 未婚
●ヴィクトワール 未婚
●ソフィー 未婚
●ルイーズ・マリー 修道女




ルイ15世はネール家の姉妹を次々と愛人とした。


★愛人ルイーズ・ド・ネール/マイイ伯爵夫人
1710-1751 41歳没

長女マイイ夫人はルイの最初の愛人である。
イトコのルイ・アレクサンドル・ド・マイイ伯爵と結婚したが、
夫婦仲が悪く子供も生まれなかった。
姑が王妃の衣装係だった縁で、マイイ夫人も王妃の女官の職を手に入れた。
マイイ夫人は美人とは言えなかったが
魅惑的な体と可愛らしい性格の持ち主であった。
愛人は権勢を振るうことが常だったが彼女はそれをしなかった。
かえって変わり者と見なされた。
多情な王は他の女性に気を取られることがしばしばだったので彼女は消耗した。
話し相手に自分の妹を招いたがそれが彼女の命取りになった。
妹ヴァンティミール夫人は姉から王の寵愛を奪い取った。

王はさすがに良心が咎めたのか彼女に年金とパリにおける居住地を提供した。
他の愛人たちと違ってマイイ夫人は財産を作っていなかったからである。
その後も王はときどきマイイ夫人の思い出話を他の愛人に語っている。
宮廷から去ったマイイ夫人は修道院に入り、生活を信仰と慈善に捧げて亡くなった。
a0130272_1714426.jpg





★愛人ポーリーヌ・ド・ネール/ヴァンティミール夫人 庶子1人
1712-1741 29歳没

長女から王の寵愛を奪ったのは二女ヴァンティミール夫人。
まず王は持参金を付けてヴァンティミール伯爵ジャン・フェリックスと結婚させた。
ヴァンティミール夫人は体臭がきつく不細工で手足の大きな男性的な女性だった。
首の長いことについては王からからかわれたこともあるほどであった。
しかし王を楽しませることについては姉マイイ夫人以上の能力を発揮した。

ヴァンティミール夫人は姉マイイ夫人と違い権勢欲が旺盛で人事にも介入した。
金銭欲が強く野心家で政治に口を挟みたがった。
ルイの子供を出産する際に死亡した。
ヴァンティミール夫人の遺体はは丁重に埋葬されたが、
彼女の横暴を嫌った民衆は夜中に遺体を切り刻んだ。
a0130272_1714577.jpg





★愛人ディアーヌ・ド・ネール/ローラゲ夫人
1713-1760 47歳没

ヴァンテミール夫人の死後王の寵愛は三女のディアーヌに移った。
彼女が最初にしたことは長女のマイイ夫人を宮廷から追い出すことだった。
彼女がローラゲ公爵と結婚するとこの関係は終わった。
a0130272_1714595.jpg

a0130272_1714692.jpg





★愛人マリー・ネール/シャトルー夫人
1717-1744 27歳没

後釜に座ったのは五女のシャトルー夫人。トゥルーネル侯爵の妻であったが死別。
ルイからシャトルー公爵夫人の称号を贈られる。
姉妹の中で一番器量が良く背が高く堂々としており
自信家で冷淡で計算高い女性だった。宮廷では多くの男性たちに言い寄られていた。
しかしシャトルー夫人したたかだった。
彼女は姉たちの前例を研究しており
どうやって自分の立場を確かなものにするか考えていた。
王の愛人でいる間にできるだけたくさんの蓄財をしようと努めた。
姉妹の中で最も成功した愛人になった。
シャトルー夫人大きな権力を手に入れた。政治や人事にも介入した。
彼女の地位は磐石に見えたが王は発病して生命の危機に陥った。
弱気になった王は呼び寄せた聖職者たちの意見にしたがって
愛人シャトルー夫人は宮廷から去った。彼女は王の回復を待った。
王が健康な体に戻ったら必ずや彼女を求めるだろうと思っていた。
結果はその通りになったがシャトルー夫人は病気で急逝した。
a0130272_1714792.jpg





★愛人ポンパドゥール夫人/ジャンヌ・アントワネット・ポワソン
1721-1764 43歳没

ネール四姉妹との関係が終わると王はポンパドゥール夫人を寵愛した。
銀行家の父フランソワ・ポワソンの娘、
裕福な徴税請負人のル・ノルマン・デティオールと結婚。
夫婦が開くサロンには、ヴォルテール・モンテスキューなど
そうそうたる知識人や有名人が集った。

23歳の時に仮面舞踏会で国王の目に止まる。
知的で教養がある彼女は国王を魅了し愛人となった。
それまでの国王の愛人はみな貴族だったが
ブルジョワの女性を愛人にしたことに皆は驚いた。
ルイからポンパドゥール侯爵夫人の称号を贈られる。
中背で白い肌丸い小柄な整った顔立ちに明るい瞳をしていた。
立ち居振る舞いも完璧で宮廷夫人の誰も彼女に対抗できなかった。
さらに王妃への気遣いも怠りなかった。
ポンパドゥール夫人は王が王妃を軽く扱うことのないように仕向けていた。
陰謀渦巻く宮廷で王妃の友情が自分の力になることを知っていたのだ。

フランス国王の公式の愛人となったポンパドゥール夫人は様々な事業に手を染めた。
植物園を造って、ルイの大好物の苺を栽培したり、珍しい植物を栽培させた。
また農場を造ったり、牧場を造ったりした。
ガラス工房や陶器工房を造り、セーブル陶器を世界中に輸出した。
ルイを楽しませるために宮廷内に劇場を造り、芝居やオペラを上演させた。

ポンパドゥール夫人は美貌ばかりでなく学芸的な才能に恵まれ
サロンを開いて啓蒙思想家と親交を結んだ。
また芸術の熱心な愛好家、パトロンでもあり様々な芸術家とも交流した。
ポンパドゥール夫人の時代はフランスを中心に
優雅なロココ様式の発達した時代になった。

しかし、ポンパドゥール夫人は性的には淡白だった。
ところがルイは性欲旺盛で一日に何度もセックスをしたがった。
早朝のミサに参列し長時間のディナーに耐え、
王との望みもしない夜のお相手が待っていた。
こってりした食事、大量のワイン、手紙のやりとり、
宮廷での数々の義務にポンパドゥール夫人は疲れ切っていた。
要するにいつ何時王がやってきても対応できるようにしておかなければならないのだ。
狩猟の時は遠出が待っていた。悪天候でもおかまいなしでしばしば夫人は肺炎になった。
にもかかわらず疲れているとか病気であるとか退屈しているとか
一切悟られてはならなかった。
そこで彼女は愛人関係を友情へと転化するのに成功した。
王の老練な政治アドバイザーとなったのである。
そして王の愛情が他へ移らないように「鹿の苑」を作った。
ベルサイユの森にあるこの館に
ルイ好みの魅力的な肉体を持ち野心のない無教養な若い娘を集め
国王だとは知らずにお相手をさせて短期間で入れ替える。
ルイ15世が本気になってしまわないためだ。
これらの女性には持参金を持たせどこかの男性と結婚させる。
運悪く子供が出来てしまった場合は出産させ
男子は将校に取り立て女子は良縁を取り次いで面倒を見た。
ここで国王のお相手をした女性の数は200~300人、
生まれた私生児は60人以上だったという。

ポンパドゥール夫人が亡くなった時には王は涙を流して葬列を見送った。
ポンパドゥール夫人はヴェルサイユ宮殿で死ぬことのできた最初で最後の愛人である。
a0130272_1714826.jpg

a0130272_1714959.jpg





★愛人デュ・バリー夫人/ジャンヌ・ベキュー
1743-1793 50歳没

デュ・バリー夫人は娼婦の身分から国王の愛人にまで登りつめた。
父の名もわからぬ私生児だったデュ・バリー夫人は20歳の頃、
悪名高いデュ・バリー伯爵(自称)と同棲、
伯爵(自称)は彼女を上流階級の男性相手の高級娼婦にする。
客は貴族や大物ばかりだったので、
宮廷でも通用するような作法や会話術を身につけていった。
伯爵は25歳になった彼女をヴェルサイユ宮殿に連れ出した。
狙い通りポンパドール夫人を失くして癒しを求めていたルイ15世は
魅力溢れる若いジャンヌの虜になった。
型通りの手続きを終えてルイの愛人となった。
まぶたが半分眠ったように垂れ
相手を催眠にかけるような話し方をする彼女には妖艶な美しさがあった。
白くなめらかな肌、真珠のような歯、入浴して清潔な身体を(当時あまり入浴の習慣はなかった)
宝石やリボンやレースで飾り立てていた。

オーストリアから嫁いできたマリー・アントワネットは愛人がいることも驚きだったが
娼婦出身だということにショックを受けた。
娼婦や愛人が嫌いな母マリア・テレジア女帝の影響を受けたアントワネットは
デュ・バリー夫人の存在を徹底的に憎んだ。
かねてからデュ・バリー夫人の存在を嫌がっていたルイ15世の王女たちも
アントワネットの側についたことが対立を一層深めた。
しかしデュ・バリー夫人は朗らかで愛嬌がある親しみやすい性格で
宮廷の貴族たちからは好かれていたという。

宮廷では低位の者が高位の者に先に声をかけることは許されない。
アントワネットは当然のようにデュ・バリー夫人を無視し続けた。
この状態が2年も続いた。
宮廷ではアントワネットがいつデュ・バリー夫人に話しかけるのかで大いに盛り上がった。
デュ・バリーがルイ15世に泣きつき怒った王はオーストリア大使に圧力をかけ
母マリア・テレジア女帝が「声くらいかけてやりなさい」
という手紙を寄こすという事態にまで発展した。
アントワネットは仕方なく独り言のように
「今日のヴェルサイユは大変な賑わいですこと」とデュ・バリー夫人に言った。
これが最初で最後の言葉であった。
愛人は国王が亡くなったら宮廷から去らねばならないので
いざというときのためにしっかりと財蓄しておく。
デュ・バリー夫人も現金や宝石、名画、土地や建物を所有していた。
ルイ15世の死後は邸宅で何人もの愛人を相手に悠々自適の暮らしを楽しんだ。
ド・ブリサック元帥、シャボ伯爵、ヘンリー・シーモアたちを愛人にした。
体はすっかりたるみ美しかった面影がないほど肥満した。

フランス革命が勃発した。デュ・バリー夫人は財産を持ってイギリスに逃げた。
ド・ブリサック元帥への想いは深くパリに戻ってしまう。
すぐに逮捕されギロチン台に送られた。
貴族たちは誇りを持っていたので取り乱すことなく断首されていったが
デュ・バリー夫人だけが叫び、逃げ回り、民衆に命乞いをしたと言われている。
a0130272_1715011.jpg

a0130272_1715185.jpg





★愛人マリー・ルイーズ・オミュルフィ
1737-1815 78歳没

この絵が評判となり、ルイ15世に呼び寄せられ鹿の苑に住んだ。
a0130272_1715157.jpg





★愛人Francoise de Chalus/duchesse de Narbonne-Lara
1734-1821 87歳没
a0130272_1715253.jpg





★愛人Anne Couppier de Romans/baronne de Meilly-Coulonge
1737-1808 71歳没

これすごい残酷な構図じゃないですか…?
a0130272_1715310.jpg

[PR]
by xMUGIx | 2003-03-11 00:00 | フランス
<< ブルボン朝 ブルボン朝 >>


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング