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by xMUGIx
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ブルボン朝

■父 ヴァンドーム公爵アントワーヌ・ド・ブルボン
1518-1562 44歳没

*軽佻浮薄で女好き、妻は無能な夫に期待していなかった。
結婚の際にカトリックからプロテスタントに改宗したが、
カトリックの女性と不倫関係になりカトリックに再改宗するという愚挙をおかす。

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■母 ナヴァール女王ジャンヌ・ダルブレ
1528-1572 44歳没

*ユーリヒ・クレーフェ・ベルク公ヴィルヘルム5世と結婚離婚、
ヴァンドーム公爵アントワーヌ・ド・ブルボンと再婚

*息子とマルゴの結婚式に参列するためパリにくるが、結婚式直前に急死。
対立していたカトリーヌ・ド・メディシスによる暗殺説も根強い。

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●アンリ4世
次代国王

●カトリーヌ
ロレーヌ公爵アンリ2世の前妻・本人死別




◆国王アンリ4世 
1553-1610 36歳即位 57歳没

*暗殺

*先代アンリ3世は嫡男がなかったため、
王位継承権第一位のナヴァール国王アンリ4世を後継者に指名していた。
そしてアンリ3世の死亡により即位する。
ブルボン朝の始まりである。

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■前妻 マルグリット・ド・ヴァロワ●実子ナシ 通称:王妃マルゴ
国王アンリ2世の娘
1553-1615 19歳結婚 62歳没

マルゴの兄はフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世である。
マルゴと3人の兄たちとは近親相姦の関係にあったともいわれている。
カトリックとプロテスタントの深刻な対立を解消するために
カトリックのマルゴとプロテスタントのナヴァール王子アンリ4世の結婚が決められた。
マルゴの祖父フランソワ1世とアンリ4世の祖母マルグリット・ド・ナヴァールが
姉弟である関係から二人はマタイトコとなる。
ナヴァール王国は祖母の時代からルネッサンス文化を後援していたため
プロテスタントに寛容であったが
母ジャンヌ・ダルブレ女王の時代にはプロテスタントを国教とするほどになっていた。

カトリックのマルゴは教会内でプロテスタントのアンリは教会の外で
という異例の結婚式を挙げた。
その婚礼直後にサン・バルテルミーの虐殺が発生する。
マルゴは幼い頃から近親相姦や幾多の恋愛を経験した淫獣、
アンリは母親の方針で農家に預けられて育った性生活にも大らかな野獣、
うまく行くかに思われた組み合せだったが、アンリの体臭がそれを阻んだ。
アンリは、脇の臭い、足の臭い、ニンニク好きの口臭がひどく、
それなのに風呂嫌いで、悪臭を放っていたからである。

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アンリ4世の愛人の一人 ヴェルヌイ夫人の証言

アンリ4世は王様になれて本当に得をなさいました。
もし王様でなければ、とてもお付き合いは致しかねます。
と申しますのは、腐った死骸のような臭いがするのですから。
特に王様の脇の下と足の先はお臭くていらっしゃいます。

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しかし、アンリもマルゴも当時としてはかなりのインテリだったため、
互いの聡明さを認め、互いに多くの愛人を持ちつつ
協力して結婚生活を送る同志となる。
母妃カトリーヌは目的のためならアンリはもちろん
実の娘のマルゴですら毒殺するような危うい立場だったからである。

アンリ4世&マルゴ夫妻は何度かカトリーヌ&アンリ3世親子に謀反を起した。
マルゴは捕えられて19年間幽閉される。
その間にアンリ4世は政敵に勝ち抜き、国王の座に就いた。
アンリはマルゴの幽閉を解き、二人は離婚して、マルゴはパリに戻った。
33歳だったマルゴは52歳になっていたが、自分好みのサロンを作り上げ、
多くの情事を楽しみ、若い愛人に看取られて62歳で亡くなった。


若い頃のアンリ4世って、せんだみつお入ってますね
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★王妃の愛人ギーズ公アンリ
1550-1588 38歳没
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■後妻 マリー・ド・メディシス←マリア・デ・メディチ
トスカーナ大公フランチェスコ1世の娘
1575-1642 25歳結婚 67歳没

アンリは太って大柄で愚鈍なマリーに関心を持たなかった。
多情なアンリは50人以上もの愛人を持っていたとも言われ夫婦仲は良くなかった。
気が強くデリカシーに欠けたマリーはしょっちゅうヒステリーを起こしわめき散らしていた。
そのせいでマリーの浪費癖は尋常ではなくなり、
毎日のように宝石を購入したりしたためせっかくの持参金も底をついてしまうほどであった。

アンリは政局に応じてカトリックとプロテスタントの改宗を繰り返したため
馬車に乗ろうとした際に狂信的なカトリック教徒に暗殺された。

息子ルイ13世が8歳で即位したため、母妃のマリー・ド・メディシスが摂政となった。
これを機にマリーは政治にのめり込んでいく。
嫁ぐ時に連れてきた幼なじみのイタリア人の女官レオノーラを寵愛し、
その夫コンチーニと愛人関係になり、この3人で政治の実権を握った。

王妃マリーは幼い頃から乳母の娘レオノーラと姉妹のような関係で育った。
マリーがイタリアからフランスに嫁ぐ際には女官として付いてきた。
レオノーラはすぐに同じく随員の一人だった4歳年下の20歳だったコンチーニと結婚して
夫婦でマリーの側近となる。
王アンリ4世が亡くなる頃には、
コンチーニはレオノーラの手引きでマリーの愛人の座におさまっていた。

好き勝手に振る舞うレオノーラ一派への反発が高まった頃、リシュリューが現れる。
リシュリューはまずレオノーラに取り入って彼女の愛人となることから始めた。
マリーは長男のルイ13世とはソリが合わず、二男のガストンを溺愛していた。
成長してからも母が権力の座を譲る気配がないことに不信感を募らせたルイ13世は、
リシュリューと協力してレオノーラ夫妻を殺害し母を幽閉した。
脱出したマリーは息子に反旗を翻したが失敗し国外追放となった。

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★王妃の幼なじみ/女官 レオノーラ・ガリガイ
1571-1617 46歳没

*はっきりした顔立ちに濃い褐色の髪で、ガリガリに痩せていた。

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★王妃の愛人 レオノーラ・ガリガイの夫 コンチーノ・コンチーニ
1575-1617 42歳没

*詐欺や放蕩でイタリアにいられなくなり、
厄介払いとして王妃の輿入れの際の随員にさせられフランスへ来た。

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すべて後妻の子

●ルイ13世 
次代国王

●エリザベート 
スペイン国王フェリペ4世の前妻・本人死別

●クリスティーヌ 
サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世と結婚

●ガストン
モンパンシエ公女マリー・ド・ブルボンと結婚死別、
ロレーヌ公女マルグリット・ド・ヴォーデモンと再婚

●アンリエット・マリー 
イギリス国王チャールズ1世と結婚
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by xMUGIx | 2003-03-01 00:00 | フランス
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