直球感想文 洋館

2017年 更新中
by xMUGIx
カテゴリ
イギリス
イタリア
オーストリア
オランダ
ギリシャ
ザクセン
スウェーデン
スペイン
デンマーク
ノルウェー
バイエルン
フランス
ブルガリア
プロイセン
ベルギー
ポルトガル
ルーマニア
ロシア
朝鮮
中国
その他
以前の記事

アブスブルゴ朝

◆国王カルロス2世●実子ナシ
先代フェリペ4世の子
1661-1700 4歳即位 39歳没
a0130272_151952.jpg

a0130272_1511076.jpg

カルロスは近親結婚の繰り返しによる弊害か、父王からの先天性梅毒のせいか、
生まれつき虚弱体質で両頬に蜂窩織炎を起こし、
頭はかさぶたで覆われ首が化膿していた。
4歳になってもまだ乳母から乳を飲んでおり介助なしには歩くこともできず
6歳で麻疹と水疱瘡、風邪の繰り返しによる腎臓の悪化、
10歳で風疹、11歳で天然痘にかかった。
32歳で髪を失い、35歳でマラリアにかかりキニーネを常用するようになる。
キニーネによる老化現象が進み痩せこけて
38歳で浮腫が全身に現れ、舌にまで浮腫があったため言語不明瞭に陥り
2時間以上てんかん発作が続くようになる。
早逝したきょうだちたちは発作の際に舌を噛んで死亡している。
「身体は小さく、足は不自由、声は甲高く、目は出っぱって、顔は異常に長く細い。
彼を見た人はみな奇妙な気持ちになる」
父は道化のような姿の息子に落胆し、人前に出すときはベールを被せた。
人々は彼を「エル・サチード」(呪われた王)と呼んだ。

異母兄ドン・ファンは
カルロスがこれまで広く言われていたような知的障害者ではないことに気づいた。
むしろ彼は母親によって人格や能力の発達を阻害されていたのである。
マリアナは息子に養育係をつけようとしなかった。

ドン・ファンはカルロスに読み書きから教え始めた。
だんだんとカルロスは高度な教育を求め始め養育係をつけるまでになった。
堅苦しい宮廷儀式を廃止するとともに宮廷作法も自由でのびやかなものにし
黒い宮廷装束をフランス式の明るいモードに変えた。
カルロスは32歳年上のドン・ファンに父に対するような信頼を寄せていたのだろう。
ドン・ファンの方はどうのような思いだったのかはわからないが。
しかし少なくともこの頃にはスペイン王になりたいという野望はドン・ファンには失せていた。
彼はスペイン・ハプスブルク家の一員としてつねにカルロスを背後から守っていた。
孤立したマリアナはトレドへ逃がれた。

しかし彼は50歳で病死する。
ドン・ファンの死後、カルロスはトレドに逃れていた母マリアナ王妃を迎えに行き
母とともに宮廷へ戻ってきた。




■前妻 マリア・ルイサ・デ・オルレアンス←マリー・ルイーズ・ドルレアン
オルレアン公爵フィリップ1世の娘
1662-1689 17歳結婚 27歳没

お見合い肖像画を見たときからカルロスの一目惚れだった。
カルロスの方は一緒にいられるだけで幸せだったが
マリア・ルイサの方はただ静かに寄り添っていた。
子供ができないのはカルロスの不能によるものであるのに
彼女が周囲に一方的に責められ、ノイローゼになり病的なまでに肥満して急逝した。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
マリア・ルイサ王妃の継母 オルレアン公爵フィリップ1世の後妻 リーゼロッテの手紙

1679年12月15日

可哀相なマリー・ルイーズは、
スペインで暮らさなければならないのを嘆いていました。
慰めは連れて行った犬たちだけです。宮廷の人々の振る舞いはいかめしく、
マリー・ルイーズはフランスから連れて行った主馬頭と話すのも禁じられ、
通りすがりに手と頭の仕草で意志を交わすだけです。
フランスから付いて行った女官たちも閉じ込められた生活に慣れず、
みんなフランスに帰りたがっています。
私は彼女より9歳年上でしたので、娘というより妹のように愛しました。
私が嫁いできた当時はとても子供っぽく、一緒に遊び大騒ぎをしたものです。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

a0130272_151112.jpg

a0130272_1511242.jpg





■後妻 マリアナ・デ・ネオブルゴ←マリア・アンナ・フォン・プファルツ=ノイブルク
プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルムの娘
1667-1740 23歳没 73歳没

傲慢でわがままで野心家であった。
前妻の悲劇から学んだ彼女は、妊娠したが流産したという嘘を10回もつく。
妊娠すると喜ぶカルロスにその度に身内の登用などを要求した。
カルロスは勝手気ままに振る舞う気の強い妻を恐れた。

a0130272_1511265.jpg

a0130272_1511323.jpg





子供は生まれない、病状は進行する、しかし王に身体的欠陥があることはありえない。
なぜならば王とは神に祝福された存在だからだ。
それならばなぜ、と周囲は考えた。
それは王に悪魔が憑いているからだ。悪魔を祓わなければならない。
かくして宮廷には修道士や悪魔祓い、魔術師、祈祷師、怪しげな医者などがうろつくようになる。
宮廷のあちこちで悪魔との接触が試みられ、笛の音でおびきよせてみたり
弦を奏でてみたり、舞を舞ってみたりした。
夢か現かわからない空間に置かれたカルロスは
前妻の遺骸を掘り起こして手元に置くなど病状は悪化し亡くなった。
早逝すると思われていたが39歳の死であった。


初代カルロス1世が生まれたのが1500年、カルロス2世が亡くなったのが1700年。
この間200年。ここにスペイン・ハプスブルク家は断絶する。
[PR]
by xMUGIx | 2006-01-16 00:00 | スペイン
<< ボルボン朝 アブスブルゴ朝 >>


フォロー中のブログ
検索
記事ランキング