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by xMUGIx
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アブスブルゴ朝

◆国王カルロス1世/カール5世
先代女王フアナの子/オーストリア皇帝マクシミリアン1世の孫
1500-1558 16歳即位 58歳没 

オーストリアから数百の船団を組んでやってきたカルロス一行を見てスペイン人は仰天した。
金糸銀糸を縫い込んだ衣装、宝石類をちりばめた剣、白い羽飾りのついた兜、
このように華やかな宮廷人は地味で質実剛健なスペインにはいなかったからだ。
ここに優雅なブルゴーニュの騎士文化と
スペインの風土のもとで培われた厳しい宗教観が融合して独特のスペイン文化が生まれる。

神聖ローマ帝国皇帝であるオーストリアのマクシミリアン1世の死にともなう皇帝選挙は
カルロスとフランス国王フランソワ1世との一騎打ちであった。
マクシミリアン1世の妹である叔母のブルゴーニュ公国総督マルガレーテの奔走などにより
カルロスが皇帝の座についた。
選挙と戦争の両方で敗れた国王フランソワ1世の怨みはすさまじく
イスラム教のオスマン帝国をけしかけカルロス1世の実家オーストリアのウィーンを包囲させている。

マルチリンガルだったカルロスもドイツ語だけは話そうとしなかった。
「スペイン語は神への言葉、イタリア語は女性への言葉、フランス語は男性への言葉、
ドイツ語は馬への言葉」と言ったという。

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■妻 イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン イトコ結婚
ポルトガル王マヌエル1世の娘
1503-1539 23歳結婚 36歳没
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ポルトガル宮廷の華美な雰囲気の中にスペイン宮廷の教育を持ち込んだ。
カトリックに対する敬虔な思いと家事の切り盛りである。
イサベラはその二つを吸収して育った。
「豊かな金髪、尖った鼻、小さな口、大きな目。
高貴な顔立ちであり身体は華奢で整っている。
母マリアの元でスペイン風の教育を受けており、ヨーロッパで最も裕福な王女である」
彼女は政治能力も高く夫の留守中は国王代理の役目を果たした。
カルロスはイサベルをこよなく愛した。
しかしカルロスが39歳の時イサベルが亡くなった。
カルロスは1ヶ月間修道院にこもるほどショックを受けた。

イサベラは清純な女性だったので出産の時も一声も漏らさず
苦しい顔やしぐさを産婆や女官に見られないために部屋を真っ暗にしていた。
亡くなった時も「夫以外の男性に身体を見せることはできない」と
医者の診察を拒み続けた結果であった。
(いくらなんでも限度があるだろうよ・・・)

イサベラの死後カルロスは再婚することはなかった。
真面目で几帳面な性格であったため結婚中は愛人も作らなかった。
そして貴族身分の愛人から子が生まれれば認知し
商人・工人身分の愛人から子が生まれれば修道院などへ入れて面倒を見た。

カルロスはドイツに9回スペインに6回イタリアに7回オランダに10回フランスに4回
イギリスに2回アフリカに2回行き、その間に40回の遠征をした。
戦争につぐ戦争と持病の通風に疲れ切ったカルロスは引退を宣言した。
母フアナが亡くなった翌年だったのは偶然だろうか。
国王を息子フェリペ2世に譲り、修道院で隠遁生活に入った。
そして2年後に亡くなった。




●フェリペ2世 次代国王
●マリア 
オーストリア皇帝マクシミリアン2世と結婚
●フアナ 
ポルトガル皇太子ジョアン・マヌエルと結婚


庶子も多い


●庶子 マルガリータ 生母ヨハンナ・ファン・デル・ヘインスト  
●庶子 ドン・フアン・デ・アウストリア 生母バルバラ・フォン・ブロンベルク




●フェリペ2世 次代国王
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●マリア 
1528-1603 75歳没
オーストリア皇帝マクシミリアン2世と結婚 イトコ結婚
1527-1576 49歳没

マクシミリアンは幼少時をスペインの宮廷で過ごしたが肌に合わず
それゆえかカトリックの家元である国の大公子でありながら
プロテスタントのルター派にかぶれていたが
父帝から勘当を迫られてやむなくカトリックにとどまった。
ところが父帝が亡くなると国民の信仰の自由を認めると言い出しマリアと反目した。
世俗的で陽気で女好きだった。

マリアは保守的なカトリック教徒だったのでマクシミリアンとは対立した。
16人の子供が生まれたが夫の死後スペインへ戻ったマリアは
「異教徒のいない国に住めてとても幸せだ」と語ったという。
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●フアナ 
1535-1573 38歳没
ポルトガル皇太子ジョアン・マヌエルと結婚
1537-1554 17歳没

夫は第1子妊娠中に死亡、嫡男セバスティアンが生まれた。
兄フェリペ2世がイギリス女王メアリー1世と結婚してスペインを留守にすることとなったため、
息子をポルトガルに置いてスペインに戻り代理を務める。
その後ポルトガルに戻ることはなく息子とも会うこともなかった。
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●庶子 マルガリータ 生母ヨハンナ・ファン・デル・ヘインスト
1522-1586 64歳没

フィレンツェ公アレッサンドロ・デ・メディチと結婚死別
1510-1537 27歳没
パルマ公オッターヴィオ・ファルネーゼと再婚
1524-1586 62歳没
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●庶子 ドン・フアン・デ・アウストリア 生母バルバラ・フォン・ブロンベルク
1547-1578 31歳没●未婚

レパント海戦の英雄。
同じカトリックのスコットランド女王メアリーとの縁談が決まっていたが、
結婚前に本人死亡。

バルバラは名家ブロンベルク家に生まれたが、父の死後生活が苦しくなった。
そこで母親が美しく若い娘バルバラをカルロス1世に引き合わせた。
息子ドン・フアン・デ・アウストリアが生まれたのは良いが、
バルバラは次から次へと男を変える奔放な生活を始めた。
慌てたカルロス1世はドン・ファンを引き取り、
バルバラを手頃な男と結婚させて生活費を送ることにした。
しかしバルバラ夫妻は仕送りを超える贅沢三昧をして、カルロス1世の頭痛の種となる。
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by xMUGIx | 2006-01-10 00:00 | スペイン
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