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by xMUGIx
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ハプスブルク=ロートリンゲン朝

◆皇帝カール1世 最後の皇帝
1887-1922 29歳即位 35歳没
貴賎結婚をしたフランツ・フェルディナンドに失望したフランツ・ヨーゼフ皇帝は
<又甥>すなわち実弟カール・ルートヴィヒの息子の
オットー・フランツの息子カールを皇帝に指名する。


■妻 ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ
パルマ公ロベルト1世の娘
1892-1989 19歳結婚 97歳没
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ブルボン王朝の末流にすぎなかったがフランツ・ヨーゼフはご満悦であった。
なにかとツィタを優遇し
貴賎結婚をしたフランツ・フェルディナント大公の妻ゾフィー・ホテクと差別した。
フランツ・フェルディナント大公の死により王位継承権はカールに移動した。
そして不死身とも思われたフランツ・ヨーゼフが亡くなり皇帝カール1世として即位した。

しかし時代はサラエボ事件をきっかけに始まった第一次世界大戦の最中であった。
凡庸な皇帝カールは何事も妻に相談した。
人々はツィタをが皇帝を操作していると感じた。
決定的となったのは戦争の早期終結のためフランスとの和平交渉を秘密裏に行ったことである。
一応ブルボン王朝の末流であるツィタの人脈を利用したのである。
しかし民衆は自分達が同盟国ドイツとともに戦っている最中に
ツィタの示唆により敵国フランスと交渉を持ったことに激怒した。
カールに残された道は退位しかなかった。

カール一家はスイスに逃亡した。
しかしカールとツィタは王政復古をあきらめたわけではなかった。
オーストリア=ハンガリー帝国のうちオーストリアは手放したが
まだハンガリーが残っていると思っていたのだ。
そこでハンガリーに二度も密入国し画策した。
しかしこれが明るみに出てカール一家は大西洋上のマディラ島へ送られた。
カールは半年後に病死。

ここに650年にわたるハプスブルク王朝は終焉を迎えた。


●オットー 皇太子 
ザクセン・マイニンゲン公女レギーナと結婚
●アーデルハイト 未婚
●ローベルト 
アオスタ公女マルゲリータと結婚
●フェリックス 
アーレンベルク公女アンナ・ウジェニーと結婚
●カール・ルートヴィヒ 
リーニュ公女ヨランドと結婚
●ルドルフ 
クセニヤ・チェルニシェヴァ・べゾブラソヴァ伯爵夫人と結婚死別、
ヴレーデ侯女アンナ・ガブリエーレと再婚
●シャルロッテ
メクレンブルク・シュトレーリッツ公ゲオルク・ヘルツォーク・ツー・メクレンブルクの後妻
●エリーザベト 
リヒテンシュタイン侯子ハインリヒと結婚
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by xMUGIx | 2001-02-16 00:00 | オーストリア
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