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by xMUGIx
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ハプスブルク=ロートリンゲン朝

◆フランツ・フェルディナント大公 先代より先に亡くなったため即位できず
先代フランツ・ヨーゼフの甥/カール・ルートヴィヒ大公の子
1863-1914 51歳没


■妻 ゾフィー・ホテク 貴賤結婚
ホトコウヴァ伯爵令嬢
1868-1914 32歳結婚 46歳没
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ルドルフ皇太子を失ったフランツ・ヨーゼフ皇帝は
実弟カール・ルートヴィヒの息子である甥のフランツ・フェルディナントを次期皇帝に決めた。
しかしフランツ・フェルディナンドはボヘミア貴族出身の女官ゾフィー・ホテクと秘密の恋愛をしていた。
フランツ・ヨーゼフは「王位を取るか、結婚を取るか」と迫ったが
フランツ・フェルディナンドは両方を望んだ。
結局フェルディナンドしか皇帝候補者はいないのであるから
結婚はしぶしぶ認められることとなった。
しかし貴賎結婚の慣例どおり
妻子にはハプスブルク家の一員としての権利は一切認められないこととなった。
ゾフィーはゾフィー・フォン・ホーエンベルク公爵夫人と呼ばれることになった。
そしてフランツ・ヨーゼフには死ぬまで謁見できなかった。
宮廷では夫の隣どころか、30人の大公女の末席に座らされる、
夫が退席するとゾフィーを警護する必要はないと近衛兵も退出する、
外国使節もゾフィーを表敬訪問することを禁じられる、などなどの扱いを受けて、
フランツ・フェルディナンドは妻を妃と持ち上げてくれる外国にばかり出かけるようになる。
そしてついにサラエボで二人は暗殺された。「サラエボ事件」である。
フランツ・ヨーゼフより先に亡くなったので皇帝の座にはつけなかった。
二人の遺体はウィーンに戻ってきたがゾフィーはもちろん
フランツ・フェルディナントもハプスブルクの墓には埋葬されなかった。


サラエボにて
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●ゾフィー 
フリードリヒ・ノスティッツ・リーネック伯爵と結婚
●マクシミリアン 
ヴァルトブルク・ツー・ヴォルフェッグ・ウント・ヴァルトゼー侯女エリーザベタ・ボナと結婚
●エルンスト
イギリス人マリー・テレーズ・ウッドと結婚 

*3人はナチスドイツに反対したので、
第二次世界大戦中はそれぞれ家族とともに強制収容所に入れられていた。
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●ゾフィー 
1901-1990 89歳没
フリードリヒ・ノスティッツ・リーネック伯爵と結婚
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●マクシミリアン
1902-1962 60歳没
ヴァルトブルク・ツー・ヴォルフェッグ・ウント・ヴァルトゼー侯女エリーザベタ・ボナと結婚
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●エルンスト 
1904-1954 50歳没
イギリス人マリー・テレーズ・ウッドと結婚
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by xMUGIx | 2001-02-15 00:00 | オーストリア
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