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by xMUGIx
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ハプスブルク=ロートリンゲン朝

◆皇帝フランツ・ヨーゼフ
先代フェルディナント1世の甥
1830-1915 18歳即位 85歳没
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■妻 エリーザベト・ヴィッテルスバッハ 愛称シシィ イトコ結婚
バイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフの娘
1837-1898 17歳結婚 61歳没

夫を見限ってまで息子を皇帝の座に就けた母ゾフィーは、息子の嫁も決めていた。
実妹マリー・ルドヴィカの娘ヘレーネである。
しかし、お見合い当日ヘレーネと一緒に旅行気分で16歳のエリーザベトがついてきた。
そしてフランツはヘレーネではなくエリーザベトを選んだのである。
母ゾフィーは強行に反対したがフランツは頑として聞き入れなかったので
ゾフィーもあきらめざるを得なかった。

エリーザベトは、名門貴族でありながら型破りで自由奔放な父親の教育方針によって
伸び伸びと開放的に育てられた。
スポーツや乗馬を楽しみ、詩や文学、芸術を愛好する、
当時としては先進的な生き方を仕込まれていた。

しかし夫となったフランツはワーカーホリックで早朝から深夜まで執務。
エリーザベトのことは宝物のように大切にはするがかまってはくれない。
ウィーンの宮廷は堅苦しくて息がつまる。
姑ゾフィーとは凄まじい確執がある。
子供が生まれてもゾフィーに取り上げられてしまう。
とうとう彼女はノイローゼになってしまった。
医者は転地療養を勧めた。
彼女の生涯の大半を占めることになる旅の始まりであった。
エリーザベトが公式の場に姿を現すことはなくなった。
人々は彼女のことを「ゼルトザーメ・フラウ」(奇妙な女性)と呼んだ。
そして旅先で暗殺されて亡くなった。
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170センチ50キロ、ウエスト50センチの体型を死ぬまで維持し続けた。
主な栄養は牛乳・アイスクリームなど乳製品で、
卵は白身のみ、肉は極力食べず、肉汁を絞って飲んでいた。
長い黒髪は玉子入りコニャックで洗い3時間かけて手入れし、
白肌のためにミルク風呂に入った。
乗馬・フェンシング・水泳、宮殿には体操室を作り、
吊り輪・鉄アレイなどの器械体操をした。
空腹のまま長時間ウォーキングして気を失ったというのは
もう強迫観念としか言えない。
実際の身体は栄養失調を起しており、
貧血・骨粗しょう症・水泡症などの病気を患っていた。

30代後半になるとお遊びの乗馬ではなく、
全速力で障害物を飛び越えて技を競う乗馬競技にのめり込む。
一日何時間もの特訓を受けているうちに、ヨーロッパ屈指の女性騎手となる。
オーストリアだけに飽き足らず、イギリスやフランスにまで遠征した。
夢中になると他が見えなくなる性格から、
農地にまで入り込んで農作物を踏み荒らすなど、住民とのトラブルも絶えなかった。
結局坐骨神経痛を悪化させて乗馬熱は冷めたが、次に競歩に取りつかれる。
雨でも嵐でも大股で進むエリーザベトに、
付いて行かねばならない女官たちは悲鳴を上げた。
長期間肌を太陽にさらし続けたため、顔はシワとシミだらけになった。

エリーザベトは世界中の美女の写真を集め、部屋中に貼りつけていた。
それを眺めるのが大好きだった。


晩年は衰えた美貌を人に見られることを嫌い、革製の扇で顔を隠していた
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●ギーゼラ 
バイエルン王子レオポルトと結婚
●ルドルフ 皇太子
●マリー・ヴァレリー 
オーストリア・トスカーナ大公フランツ・ザルヴァトールと結婚
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by xMUGIx | 2001-02-11 00:00 | オーストリア
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