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ハプスブルク=ロートリンゲン朝

皇帝フランツ2世の子供


すべて2/4番目の妻の子
●マリア・ルドヴィカ 
フランス皇帝ナポレオン1世の後妻
●フェルディナント1世 次代皇帝
●マリア・レオポルディーネ 
ブラジル皇帝ペドロ1世の前妻・本人死別
●マリア・クレメンティーネ 
サレルノ公レオポルドと結婚
●マリア・カロリーネ 
ザクセン国王フリードリヒ・アウグスト2世の前妻・本人死別
●フランツ・カール・ヨーゼフ→子は皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
バイエルン王女ゾフィーと結婚




●マリア・ルドヴィカ 
1791-1847 56歳没
フランス皇帝ナポレオン1世の後妻
1769-1821 78歳没
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ナポレオンはジョゼフィーヌと離婚しマリア・ルドヴィカ皇女と再婚した。
小心者の父フランツ2世はナポレオンからの要求に反対できなかったのである。
マリー・ルイーズは皇帝とは名ばかりの
コルシカの成り上り者との結婚に大きなショックを受けた。
しかしナポレオンが下へも置かぬ扱いをしプレゼント攻撃をしてくれるので
たちまちこの結婚に慣れた。
マリー・ルイーズは鈍さと冷たさの混じった無神経なところがあり
人間的な面白みも魅力も感じられない人物だった。
翌年に生まれた息子にもまったく興味を示さない。
ナポレオンが失脚してエルバ島へ流罪となった時
家族と暮らしたいというナポレオンの願いを聞き流して
息子をつれてさっさと実家オーストリアに帰ってしまう。
父帝は彼女をパルマの領主とした。


★皇后の愛人ナイペルク伯爵
1775-1829 54歳没
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彼女はいささかの躊躇もなく息子をオーストリアに置いたまま
すぐにパルマへ向かいほとんど会いにも来なかった。
マリー・ルイーズの補佐役としてナイペルク伯爵を送った。
彼女は彼の子供を生み結婚した。


★皇后の愛人シャルル・ルネ・ド・ボンベル伯爵
1785-1856 71歳没
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ナイペルクが亡くなったため次ははシャルル・ルネ・ド・ボンベル伯爵を送った。
またしても彼女は彼の子供を生み結婚した。


●子はライヒシュタット公/ナポレオン2世
1811-1832 21歳没
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★フランツ・カール大公妃/バイエルン王女ゾフィー
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残されたナポレオン2世は徹底してオーストリア人として育てられた。
フランス語は禁止され宮廷の外には出してもらえず父にも母にも会えない少年時代を過ごした。
その後ライヒシュタット公の称号を授けられ190センチ、ブロンドに青い目の貴公子に成長した。
それでも宮廷はナポレオンの忘れ形見を飼い殺しにするだけである。
<オーストリアの高貴な囚人>と呼ばれていた。

ここに皇帝フランツ2世の二男カール大公に嫁いできたバイエルン王女ゾフィーがいた。
彼女は堅苦しいウィーン宮廷になじめず、長年子供ができないこともプレッシャーだった。
彼女は同じくよそ者で孤独だったライヒシュタット公と心を寄せ合うようになる。
容姿端麗で快活なナポレオン2世は、退屈なだけの夫とは正反対の存在だった。
二人はオペラ・舞踏会・謝肉祭といつもカップルで出かけた。

ゾフィーに待望の長男フランツ・ヨーゼフが生まれた。
しかし、その頃からナポレオン2世は結核で病床につくようになる。
彼から「やさしい美の天使」と呼ばれていたゾフィーは懸命に看病した。
宮廷からの再三の催促にもかかわらず
母マリー・ルイーズは死の床にある息子になかなか会いに来なかった。
臨終の時にようやくやってきた母に看取られて21歳の人生を終えた。
ナポレオン2世の死から2週間後、ゾフィーは二男マクシミリアンを生む。
ゾフィーはマクシミリアンだけを溺愛していたので、
ナポレオン2世の子供なのではないかという説もある。




●フェルディナント1世 次代皇帝
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●マリア・レオポルディーネ
1797-1826 29歳没 
ポルトガル王子/ブラジル皇帝ペドロ1世の前妻 本人死別
1798-1834 36歳没
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ペドロ王子を含むポルトガル王ジョアン6世一家は
ナポレオンに追われて植民地であるブラジルに渡っていた。
遅くとも2年のうちにはポルトガルに戻るという約束で
レオポルディーネははるばるブラジルまで嫁いできた。
レオポルディーネは小さい時から敬虔と質素をモットーに育てられたので
化粧を嫌い女らしさに欠け太って中年女性のように見えた。
乗馬と自然科学の才能があった彼女はブラジルの暑さには悩まされたものの
乗馬、水泳、珍しい動物、植物、鉱物の蒐集に夢中になり
オーストリアから連れてきた学者たちと研究し、成果をヨーロッパにもたらした。

ペドロは軽薄にして酷薄、優柔不断にして好色な人物ですぐに堂々と浮気を繰り返すようになる。
レオポルディーネは夫の浮気や癇癪、暴力など対して
ヨーロッパへ帰国する日だけを頼りにじっと耐えていた。
そしてジョアン6世がポルトガルに戻る時がやってきた。
ところがジョアン6世はペドロ一家だけを残していくというのだ。
要するにブラジル統治はペドロに任せるということだ。
しかし彼に統治する能力などない。
結局レオポルディーネが政治能力を発揮し苦労の末ブラジルを独立させるのである。


★皇帝の愛人ドミティリア
1797-1867 70歳没
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レオポルディーネの尽力で初代皇帝となれたペドロは感謝するどころかすぐに愛人を作った。
愛人ドミティリアはたちまち宮廷を牛耳った。
レオポルディーネは部屋に軟禁状態となり生活費も与えらなかった。
彼女は父帝に惨状を訴えたが小心者の父はなんの援助もしなかった。
自分と愛人のどちらを選ぶのかと迫ったレオポルディーネをペドロは殴り続けた。
そして流産して亡くなった。


★皇帝の後妻 ロイヒテンベルク公アメリー・ド・ボアルネ
1812-1873 61歳没
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フランツ2世は娘の死についてこう語った。
「ペドロが今必要としているのは、美しさと気転を兼ね備えた花嫁だろう」
その言葉の通りペドロは美貌のアメリーと再婚した。




●マリア・クレメンティーネ 
1798-1881 83歳没
サレルノ公レオポルドと叔父と姪の近親結婚
1790-1851 61歳没
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●マリア・カロリーネ 
1801-1832 31歳没
ザクセン国王フリードリヒ・アウグスト2世の前妻 本人死別
1797-1854 57歳没
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●フランツ・カール・ヨーゼフ→子は皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
バイエルン王女ゾフィーと結婚
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by xMUGIx | 2001-02-07 00:00 | オーストリア
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